フィンランド叙事詩 カレワラ-KALEVALA

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第50章
Viideskymmenes runo


 マリヤッタという名の娘がいました。
 彼女は男嫌いで、純潔を守ろうとして、世の中のあらゆる男を寄せ付けないという(雄牛、雄羊もダメ!^^;)徹底振り。
 そんな彼女が、山に腰を下ろして小鳥のさえずりに耳を傾けていたときのこと。

 「娘さん、娘さん」

 苺が藪の中から声をかけます。「誰も私を食べてくれないの。食べてくれない?」
 その苺が赤く熟れて、あまりにもおいしそうだったので、マリヤッタはつい、棒を持って来て、自分の背丈くらいの高さになっている、その苺を叩き落そうとしました。
 すると枝を離れた苺は、勝手に口の中に飛び込んできて、彼女は反射的にそれを飲み込んでしまいました。ごくん、と。
 それが始まり。
 苺は、彼女の中で膨らみ始め―――、つまり、子供になってしまったのです。苺で妊娠。ありそうで、なさそうで、不思議な話。



 けれどこの時代、結婚してないのに子供を宿すのはタブー中のタブーです。彼女は自分が妊娠していることさえわからずに、大きくなっていくおなかを、ただ呆然と抱えているしかありませんでした。
 両親さえも、禁忌を犯した娘に対し冷たく当たり、手を貸してはくれません。苺を食べただけだ、なんて話も信じてはくれません。男嫌いの娘が彼氏作るとかそういう段階通り越していきなり「できちゃっ」てるんだから親も気づけよ、って気はしますが。
 彼女は、苦しみながら言います。
 「私が宿しているのは、高貴なお方の子供なのです。あの不滅の賢者、ワイナミョイネンさえ押さえることができるわ。」
 「ふん…、だったら、とっとと行ってその高貴な人とやらに助けてもらいな! 出て行け、淫婦め!」
 追い払われた彼女は、下女のピルッティとともに、子供を産める場所を探してさまよいます。けれど、禁忌を犯した娘をかくまえば、その家まで類が及びますから、誰も手を貸そうとはしてくれません。

 仕方なく森の奥へと入ったマリヤッタは、自分で産室をつくり、そこで一人の男の子を産み落とします。この子は不思議な子供で、尋常ではない力を宿しているのでした。



 あるとき、子供が突然いなくなってしまいました。
 大慌てで探しに出かけた母親のマリヤッタに、星も月も太陽も好意的。「そのかたは、私たちを創られた」とまで言います。
 ってことは創造主ですかい。
 男の子は沼で見つかりましたが、空に輝くものたちの不可解な言葉は残ります。処女懐胎によって生まれた子供、創造主、これってまさか…?!

 時が経ち、子供にも、洗礼を受けさせる日がやって来ました。
 マリヤッタは子供を老聖職者のもとへと運びますが、「父の無い子は呪われているので、名前もつけられなけければ、洗礼を受けさせることも出来ない」と、にべもない言葉。
 では、その子をどうすればよいか?
 審判のために、ワイナミョイネンが呼ばれました。
 老賢者は、「その子が苺によって孕まれたのなら人間の子ではない、殺してしまえ」と判断を下します。けれど、それに対し、生まれてまだ半月の子供が突然口をひらき、反論します。
 「なぜ愚かに掟に従うのか。あんたには掟に従う理由はない、なぜなら、あんた自身が掟であったのだから。かつてどのような罪を犯したときも、あんたは裁かれたことがない。もし私を掟に従い裁くのならば、あんた自身も裁かれねばならない。」


 ―――と、まぁ、こんな流れなんですが、ここで注釈を入れさせてください。
 最初にも書いたとおり、「カレワラ」の物語は、各地に散逸していたものをリョンロット氏が収集・編纂して一つにまとめた物語です。ですから、下敷きになっている元々の言い伝えとは違っている部分が多々あります。
 特に困ったのが、この最後の部分。
 「カレワラ」文庫版では、子供はワイナミョイネンの過去の罪を暴露し(序盤のアイノ自殺やイルマリネンへの欺き)、ワイナミョイネンを参らせるという形で終わっていますが、原型では「自分の父はそこにいる、ワイナミョイネンだ」と続き、「てめぇがオレの親父だろ!」と、告白したことになっています。
 さらに、「洗礼の儀式」という話の展開から、このシーンはすでにフィンランドがキリスト教圏に入っており、異教の侵略を前に土着信仰であるワイナミョイネンが敗退するというふうにも解釈できると言われています。

 マリヤッタの言葉を信じるならば、「ワイナミョイネン=古い神」を越える、新しい神の子供、…と、いうことになるんでしょうが、子供の父親がワイナミョイネンである、という解釈もあります。こちらの解釈だと、子供は、「老人は若い娘に求婚してはならない(第19章)」と、言ったことを指摘して、自分を裁くなら、裁き手であるワイナミョイネン自身も裁かれねばならない、と主張したことになります。

 どちらにせよ、言葉が力を持つ呪歌の世界で、大賢者であるジジイが言い合いに負けたのです。
 聖職者はこれを良しとし、子供に洗礼を施し、名を与え、優れたるものとしてカレリアの王の座を約束しました。

 赤子に負けたジジイは、悔しいやら何やらで言葉も出ません。まさか自分の言った言葉で足元をすくわれるとは。
 これが直接の原因だったかどうかは分かりませんが、子供を祝福する聖職者がワイナミョイネンの判定を覆し、子供を祝福したということで、そこに自分の居場所は無くなったと感じたワイナミョイネンは、最後の呪文で船を作り出し、大海原へと漕ぎ出していきます。

 いつか人々が、もう一度彼を必要とするとき、不滅の賢者は帰ってくる。
 新しいサンポと、新しいカンテレが必要になるときは、必ずやって来る。
 そう、言い残して。


 多少の矛盾は残るものの、それが古の物語というものかもしれません。
 こうして旅立った偉大なる英雄・ワイナミョイネンは、その後、空のどこか彼方で、今ものんびりと昼寝をしながら、自分の子孫たちであるカレワラの人々を見守っているそうです。

 おしまい。



わたしの口を閉じねばならぬ、わたしの舌を固く縛り、
歌謡を歌い終えなくては、陽気な歌声をやめねばならぬ。

いつか更なる道が開け、
歌の糸球がほどかれる時が来るまでは。



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