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「ニーベルングの指輪」あらすじ

第一日  ワルキューレ


第一日目の内容は、序夜とはうって変わって人間たちの世界。
序夜での物語は遠い過去となり、オーディンはかつて指輪と黄金を手にしようとした自らを悔い、その過ちを正すために暗躍している。
神々の思惑が、人間たちを翻弄する。



第一幕 フンディングの家の中

巨大なとねりこを柱にした家に疲れきった逃亡者が訪れる場面からスタート。
気を失い、炉辺に倒れこんでいた男を見つけたのは、家の主婦。女は、疲れきった男に、家の主は自分の夫・フンディングだと語る。彼女は一目でその男の精悍な姿が気に入った。傷は大したことない、と、すぐにも家を出ようとする男を引き止める女。
やがて家の主フンディングが戻って来た。見知らぬ男を見付け嫌な顔をしながら、渋々と家においておく夫。妻に、食事の支度をするよう言いつけ席で待つ間に、彼は、妻とその見知らぬ男が不思議に似ているのに気づいていた。

男は語る。自分はヴェーヴァルト(苦しみを受ける者)、不幸な運命に呪われた男なのだと。父はヴォルフェ(狼)と言い、自分は双子の妹とともにこの世に生まれたが、幼い頃に家が襲われ、母は殺され妹は行方不明…そしてまた、森をさ迷ううちに父も行方知れずとなってしまった。やがて彼は恋に落ち、駆け落ちするが、追ってきた娘の親族とともに、恋した娘も失ってしまう。

だが、フンディングこそ、その追っ手の一人だった。
目の前にいる男こそ自分の敵と知ったフンディングは、明日自分と決闘するようにと迫る。武器も無い者に戦いを挑むとは、と妻はいさめるが、夫は聞き入れない。
2人が寝室に消えた後、父の本当の名ヴェルゼを呟きながら、とねりこを見上げたヴェーヴァルトは、幹からもれる光で、そこに隠されていた剣に気づく。それは、かつてオーディンが隠した、ただひとりのための剣だった。

夫の目を盗んでこっそり戻ってきた女は、その剣の由来を語り、ヴェーヴァルトへの思いを語る。ヴェーヴァルトは、彼女を抱きしめながら、父の本当の名はヴェルゼであること、自分の本当の名はジークムント(勝利の加護を受けたもの)であることを打ち明ける。女は狂喜する。彼女こそ奪われたジークムントの双子の妹。いつかここに来て剣を抜く運命にあった兄を待ち望んでいたのだ。
ジークムントは剣と妹を手に、ヴェルスングの血に栄光あれ、と高らかに叫ぶ。



<注釈>

この場面で、ヴェーヴァルトことジークムントの語る過去の話は、「ヴォルスンガ・サガ」でジークムントとシンフィョトリが森で暮らした時代の話を元にしている。狼の皮、という部分にも、ヴォルスンガ・サガでの「着たものが獣と化す呪われた皮」の形跡が見える。
また、広間にある「とねりこの木」とは、ヴォルスンガ・サガでは「バルンストック」という名の林檎の木である。オーディンが剣を突き刺し、ジークムントだけが抜くことが出来た、というのも、ここから来ている。(参考:ヴォルスンガ・サズのアイテムリスト

…と、ここまでサガの話を引き継ぎながら、違うのは、恋愛的要素が非常に多くなっていること。
双子の兄妹が、そうと知りながら夫婦となる近親相姦は、サガには無い。(ヴォルスンガ・サガでは、兄は妹と知らずに通じ、妹は、復讐の切望を叶えるヴォルスングの純血の子を得る目的のために兄を騙して抱かれる)
また、ジークムントが駆け落ちのために命を狙われるという展開も、サガのものとは異なる。
「サガ」は復讐の炎に燃える物語、「指輪」は愛の炎に燃える物語。炎の質が違うわけだ。



第二幕 荒涼たる岩山


戦の父でもあるヴォータンが、戦乙女(ワルキューレ)、ブリュンヒルデに指示して、いざジークムントとフンディングの決戦の場へ向かわせようする。ジークムントは気づいていないが、オーディンこそ、彼の本当の父。戦の中で姿を消したというのは、息子の教育が終わってワルハラへ帰ったということだったのだ。彼は当然、息子に勝たせるつもりだった。

だがそこへ、婚姻の女神である女神フリッカが雄羊にひかせた車で登場する。彼女は、夫ヴォータンを非難し始める。ジークリンデが神聖な結婚の誓いを破ったこと、近親相姦の罪を犯したこと、それらの罪を罰せずむしろ祝福するというのなら、あなたは私という妻をないがしろにすることなる…と。
ここで、フリッカによって、ワルキューレたちは彼女の娘ではなく、オーディンの度重なる浮気によって生まれた子供たちであることも、ジークムントとジークリンデを故意に引き裂いたこと、兄と妹を愛しあうように仕向けたことも、バラされてしまう。
ヴォータンは、指輪の呪いによって黄昏へと向かう自分たちの運命を変えてくれる英雄を欲し、そのために人間の女との間に子を作ったのだった。
フリッカは厳しい口調で、ジークムントとフンディングとの戦いの場に手を貸してはならない。与えた剣の魔力を取り払え、戦乙女には手を出させるな、と夫に迫る。


言い負かされ、うなだれたオーディンは、苦痛のままにブリュンヒルデに過去(序夜)の出来事を話す。かつて権力への欲にかられて黄金の指輪を奪ったこと、その黄金はファーフナーが持っていったが、黄金を奪った事実は消えず、その呪いから逃れることは出来ない。

ヴォータンは人間の英雄に運命を変えてもらおうと人間界に降りたのだった。だが結局のところ、ジークムントはヴォータンによって運命を与えられ、その通りに動いているに過ぎなかった。偶然見つけたと見えた剣はかつてヴォータンがそこに仕込んでおいたもの、妹を敵に奪わせ、再び出会わせたのもヴォータン自身。結局、それは自分自身の手によって、運命を作っているに過ぎない。
ジークムントを勝たせてはならない。結局その男も、自分の操り人形に過ぎなかった。ジークムントを使って、指輪を奪っていったファーフナーを殺すことは、自らの手で契約を破ることに他ならない。
知恵の女神エルダの娘ブリュンヒルデは、それを拒もうとするが、ヴォータンは叱りつけ、ブリュンヒルデは戦場へ赴いた。


その頃ジークムントとジークリンデは、森の中に隠れていた。2人の男に通じた罪の意識に怯え、迫り来るフンディングの気配に愛する兄の敗北を予感して気を失うジークリンデ。そこへ現れ、ジークムントに死の運命が定められたことを告げるブリュンヒルデ。
ブリュンヒルデは彼に、永遠の喜びの存在するワルハラのことを語るが、ジークムントは、自分はワルハラになど行かない、と断る。そこにはジークリンデは行けないのだから、と。

戦の誉れよりも、ひとりの女を取る、と言う男の思いに心打たれたブリュンヒルデは、父なる神を裏切ることを決意し、ジークムントを勝たせようとする。だが戦場に現れたヴォータンが無残にもジークムントの持つ剣を打ち砕き、フンディングの槍はジークムントを貫く。勝敗は決した。自らの行為に嫌気が差したように、ヴォータンはさらにフンディングの命も奪い、フリッカのもとにこのことを報告するがいい、と吐き捨てる。そして、ジークリンデを連れて逃げ去った裏切り者のブリュンヒルデを、激しい怒りとともに追いかけるのだった。



<注釈>

ほぼヴォルスンガ・サガをそのままなぞっているが、オーディンが直接現れて剣を砕いたり、フンディングを殺したりするのは、少し勝手が違っている。また、登場人物たちの行動の基本にある倫理観が、元の物語とは異なっている。

北欧神話・サガの世界になじみのある方はご存知だろうが、古代北欧において、婚姻は一族の血のつながりに劣る関係だった。夫は血のつながりのない他人、子供や親兄弟は血のつながりのある相手であり、その繋がりは決して切れることはない。だから、たとえ夫が親兄弟に殺されても復讐などしないのが普通である。むしろ、親兄弟に殺されるようなことをした夫のほうが非を責められる。

しかし感情的にはそう納得できない場合があったようで、たとえば「フンディング殺しのヘルギの歌」では、シグルーンが、夫ヘルギを殺した弟ダグをひどくなじり、追放するという場面が出てくる。ダグは「身内を呪うとは、正気ですか、姉上?」と聞き返しているが、これは、婚姻関係より血筋を重視する社会ならではのセリフだろう。(ちなみに、このヘルギもサガではヴォルスング家の血筋)

ここでのジークムントは、ジークリンデの腹に自分の子=自分の血筋を持つ子孫 が宿っていることを知ってなお、自分とともに彼女と子供を殺そうとする。子孫は自分が死んだのち自分の復讐を遂げてくれる存在であると期待する、古代北欧の倫理観とは別のものが、このストーリーを支配している。



第三幕 ブリュンヒルデの岩山

戦場から戻ったワルキューレたちが岩山に集っているところへ、長女のブリュンヒルデが名馬グラニを駆って必死の体で現れる。馬に乗せていたのは、いつものように戦死した者ではなく、女だった。
彼女は姉妹たちに、父なる神に逆らい追われていること、連れてきた女はヴォルスングの血をひく子を腹に宿したジークムントの花嫁であることを語る。

目を覚ましたジークリンデは、兄亡き今、自分は生きていても仕方ないと言うが、腹に子が宿っていると聞くと、どうしても生き残らなければ、と決意する。身を隠すには、指輪を奪った巨人ファーフナーのいる忌まわしい森がよいだろう、とブリュンヒルデは言う。さらに、砕けたジークムントの剣をジークリンデに手渡して、生まれた子がその剣を作り直し、手にして戦うだろう、とも。
ブリュンヒルデは、これから生まれてくる子にジークフリート(勝利と喜びの人)という名を与え、ジークリンデを送り出す。自らは、残って神の怒りを受けようというのだ。

やがて怒りとともに現れたヴォータンは、最愛の娘に、力を失い人間の妻となれ、という恐ろしい宣告を下す。戦乙女は乙女であるため、誰かの妻になることは、神から人への転落を意味していた。
ブリュンヒルデひとりを残し、ワルキューレたちは追い払われる。岩山に残されたブリュンヒルデは、せめてつまらない男が自分を手に入れることが無いように、と、岩山に炎の壁を作って欲しい、と言う。
葛藤の末、娘の願いを受け入れたヴォータンは、抱擁と接吻で彼女の力を奪い、眠りに付かせ、焔の神ローゲを呼び出して、岩山を、勇気亡きものは近づくことの出来ない炎に包ませる。
眠りにつくブリュンヒルデをひとり残し、ヴォータンは静かに姿を消す。



<注釈>

元となる伝承のストーリーをなぞりながら、細部、というよりキャラクターたちの心情が大いに異なる。

神さえも運命に縛られている、自分の思った通りには行動できない。ヴォータンの悲痛な叫びが響く部分だが、彼の語る愛なる言葉にかなりの偽りを感じるのは、私だけだろうか…。彼の言う、身内への愛とは、フリッカの糾弾ごときでゆらぐものか? 彼の言う愛とは、八つ当たりにも等しい感情で簡単に切れてしまうものなのか?
その矛盾点をブュンヒルデも鋭く突いている。一本化した自らの意思を貫き、心で愛し合う愛は要らない、と、断固として語るアルベリヒに比べると、神としてのヴォータンの役割と自らの本心の間で板ばさみになり、ウロウロさ迷うばかりで、心もとない。

ブリュンヒルデの気の強さと、自らの意思を貫くところには、力強く、ゲルマン的な香りが残っているが、ヴォータンにそれを求めるすべはない。自らが生み出し、育ててきた英雄、ジークムントが運命を変えるに不十分であったと知るや、自暴自棄に陥り、「世界など滅びてしまえ」と口にする。これは北欧神話の中の、いかなる非情な手段を持ってしても滅びの運命を避けようとした彼の姿とは大いに異なる。

次の幕では「神よりも自由な男」、生まれる前からすでに神によって否定され、ただ一人、ブリュンヒルデだけに肯定され、その名を与えられた英雄が登場する。そう、運命に逆らう者とは、オーディンが否定した者たちのことだったのだ。


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