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Hoelderlin  "Germanien"(1801)

ゲルマニア



その昔顕現した神の国
古き国の神々を
もはや私は呼ぼうとは思わない
故国の水の数々よ! その流れとともに
心の愛が嘆くなら そのほかに何を求めよう
清らかな悲しみにひたる心は? 故国の土は
期待に満ちて広がり 暑熱の日々のように
不吉な気配の天は 低く垂れ込め
あこがれる水とともに 我らを今日は翳らす。
天は予兆(きざし)に溢れ おどしつつ迫るかのよう
それでも私はこの空のもとから動かない。
わが魂は退いてはならぬのだ。
いとしくはあれど 遠く過ぎ去った彼らの方へ。
彼らの美しい面ざしを かつてのように
眺めることは 命にかかわるだろう。
死者を呼び起こすのは 禁断の業なのだ。

逃散の神々よ! 今あるよりも
隠れなくかつては示現した その神々にも定まる刻限はあった。
否定も強弁もするつもりはない。
時が尽きれば 陽の光は消え
神宮まず去り ひとつながりに
御堂も神像も礼式も
暗い国へ沈み 輝くもの一つとしてない。
しかし塚に立つ火か 古い物語は
金色の靄となってその上にたなびき
心乱れた我らの頭をめぐっておぼろに霞む
わが身に起きたことも覚えぬままに ひとは
かつてあった者たちの幻を感じ
地を新たに訪(おとな)う 遠い世の者たちを感じ取る。
新たに来る者たちが 我らをせき立てる。
聖なる霊の族(うから)は この先さらに
蒼空の中で いたずらに時を費やしはしない。


あらけない時を告げる歌 この時のために
早くも野は青み 祭りの直会(なおらい)に
饗(あえ)の物は調えられ 谷は開け川は流れる
預言を秘めた山々のめぐりを。
ひとは遠く東方をはるかに見はるかし
そこから始まる数多の遍歴に 胸はずませる。
天空からは まめやかな神々の姿が
降臨し 神託は数限りなく
雨と降り注ぎ 杜の奥処に鳴りとよむ。
鷲は インダスから飛来し
雪たわわなるパルナスの峰を越え
イタリアの斎の丘の上高く
父なる神のための牲(にえ)を いそいそと探し求める
昔にいやます飛翔のたくみ
神さびた鳥は雄叫びを上げ アルプスを
ついには翔り過ぎ 装いとりどりの国を眺める。


巫女(いつきめ) いとも静かな神の娘
心清らに つつましく口をつぐんでいる
この娘を鷲は求める 先頃の死の嵐が
頭上に吹きすさんだ時も 何知らぬ顔で
眼晴れやかに まじろぎもせず見据えていた娘を。
まことに彼女は観じていたのだ よりよい世界を
やがて 大いなる驚きが天に生まれた。
信仰深い彼女その人が
恵み深い高みの力にひとしくある故に。
されば神々の使いは 目敏く彼女を認め
「心ゆるぎない者なるあなたには 違う言葉をさし向けよう」
と微笑して思うなり 甲高く叫ぶ
ゲルマニアを見やりつつ 若やいだ鳥は。
「選ばれて 一切を愛するあなたは
重い幸福に耐えるまでに
力強くなったのだ。


かつて森にひそみ 花咲く芥子に酔い
甘やかにまどろんだあなたは 私を顧みもしなかった。
まだ僅かの人も この処女の矜持を悟らず
誰なのか どこから来たのか いぶかり怪しむこともなく
あなた自身もそれを知らなかった その時でも私は
あなたを見誤ることはなかった。
あなたが夢見ていた間 ひそかに私は
真昼に別れながら あなたに友誼の証を残した
口に咲く花なる言葉を。そこであなたはひとり語ったが
金色の言葉の充溢を 幸福なひと あなたは
川とともに送り 言葉は汲めども尽きせず
ありとあらゆる土地に溢れ出る。さながらかの聖女
すべての母にして
隠れしものと人に呼ばれる女のように
愛 また悩み
予感 かつは平安が
あなたの胸を満たしている。

おお飲むがよい 朝の微風を
あなたが広やかに開かれるまで。
名指すがよい 目の前にあるものを。
神秘は長らく隠されていたが
今はもう 語られぬままに
とどまってはならぬ。
いかにも 人間には羞恥が相応し
神々とてもおおよそは
含羞をもって語ることをよしとする。
だが純粋な泉にもまさり 言葉の黄金が
溢れあり余り 天の嵐がただならず荒ぶ時
昼と夜との間に ついには
真なる一者が現れるにちがいない。
これを入念に 言葉を択んで語るがよい。
ただし 純真なあなたにいうが
その本来のありようは
やはり語られぬままにとどまるであろうが。
おお名指すがよい 母を
神聖な大地の娘よ! 水は岩を噛み
嵐は森にとよむ。名指されて
過ぎし遠い夜の神の力は ふたたび高鳴る。
おおこの変容! ひたぶるに輝き語るのは
喜々としてはるかから寄せる未来。
だが過去と未来のあわい 時の中心には
清い処女なる大地とともに
天上の気がゆったりと息づく。
満ち足りた者らは 満ち足りた者らのもとで
もてなしを喜びながら 思い出にひたる。
あなたの祝日に ゲルマニアよ
あなたはみずから巫女となり
身を守ろうともせず 忠告を与える
もろもろの王たち もろもろの民の子らに。」


和訳/「ヘルダーリン詩集」川村二郎(岩波文庫)


■この詩の鑑賞■

 日本語訳の文庫についている解説では、冒頭の「古き国」はギリシャだと書かれ、ゲルマニアはドイツのラテン語形で女神の名でもある、と書かれているが、敢えて、そこに出てくる神々の中に北欧神話の影を探したい。

 ヘルダーリンの人となりや生涯については、ほとんど何も知らない。
 知らないが、ドイツ生まれの彼が「ゲルマニア」と呼んだのなら、それは北欧神話の神々のことでなくてはならないと思う。ドイツ人の祖先はギリシア人ではない。たとえ、ヘルダーリンの詩に多くギリシア神話のモチーフが出てきたとしても、ここでの神は、ギリシアの神々とは違うはずだ。

 そんなことを考えながら、歴史の本で見かけた「ドイツとは何か」という、有名な言葉(アメリカのドイツ史家、シーハンの問い)を思い出した。
 彼が最初にその言葉を言ったわけではなく、彼が最後だったわけでもない。
 ドイツとは、国か、それとも、そこに住む人々ことなのか?
 ドイツ人が、ドイツ語という共同の言葉を持つ現在のまとまりを作ったのは15−16世紀のことだという。そして、共通の国民性を意識しはじめたのは、ようやく19世紀になってからだ。
 この、ヘルダーリンの生きた時代は、ちょうど両者の中間に位置する。

 彼は詩の中で「誰に」呼びかけていたのだろうか。彼の見た神…当時のドイツ人が呼びかけることの出来た神…とは、一体、どの世界の神のことなのでろうか?

 詩人は夢に神と語り、紙に言葉をつむぐ。晩年を、狂気という幻の中に生きた詩人が、精神の中にある秩序と混沌のはざまに見た世界は近いようでいて遠く、私には、手も触れられない。

(…個人的に言うなれば、『古き国の神々をもはや私は呼ぼうとは思わない』『わが魂は退いてはならぬのだ』と言いつつ、後半では神々への郷愁から、来た道を振り返ってしまったらしいところに、彼の弱さを感じる。自分だったら振り返ることも忘れてサクサク行ってしまうなあ…それでは過ぎ去りし神々の姿は見えんわ^^; 適度に弱く、心の繊細さや脆さを持ってないと、現と夢のはざまは覗けないのかも。)



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