サイトTOP2号館TOP>コンテンツ

(6) その他 観光地めぐり



島のメイン観光コースはひと通り回ってきたのだが、そこらへんの写真はたぶん探せば沢山あるだろうから、あまり詳しい話はしない。
モアイはともかく海沿いを適当に歩いていればそのへんに沢山転がっている。もとが墓の上に立てられていたもので、島中のあちこちにあった各村ごとに集合墓地が存在したことを考えれば、村の数だけあるんだということは分かるだろう。

倒れたモアイと転がっている赤い石がプカオ

ただしこれらは、食糧不足や人口密度の高まりによって激化した村どうしの争い「モアイ倒し戦争」で一度はごく一部を除いてすべて倒されてしまった。
モアイはその村の首長をかたどったもので一族の権力を表すものでもあったので、モアイを倒せばその部族に勝利したことになったのだという。旗倒しみたいなものか。


ちなみに、最終的に勝利した(と、今も自称している)部族の子孫たちによれば、最後まで立っていたモアイはこちらであるらしい。

まえのめり
現在は前のめりに倒れているが…
なんか、もとはちゃんと立っていたものを大航海時代の冒険者が持って帰ろうとして失敗して倒しちゃったらしい。当たり前だ、ムリだろ。こんなデカいモアイ持ち帰ってどーすんだ。とか思うんだけどねえ。もっとちっちゃいの狙えばいいのに…。

モアイ像は、その製造の歴史の後期にはデカければデカいほどいいとされたようで、モアイ製造地ラノ・ララク山には切り出し途中のバカでかいモアイが何体も残されている。
この写真のモアイは、「実際に建てられた」中では最大のものだったそうだ。

一体しかなくて寂しい感じだけど、大きさ的には最大だったのでウチの部族が一番強かったんだ! と、ここの村の子孫な島民は主張しているようです。ほんとかどうかは誰も知らない。(笑)


意外に海が近いんだよねちなみに、上記モアイのすぐ近くにあるのが、「地球のヘソ」と呼ばれる石テ・ピト・クラ。真ん中の1つがそうで、磁気を帯びている。

島自体が火山の噴火で作られていて、全般的に微力な磁気を帯びているので、磁気性の石があること自体はとくに不思議ではない。場所的にも海のすぐ近くなので波で洗われて丸くなったのだろう。

ちなみに周囲にある4つの石はテ・ピト・クラとは全然関係なく、近年になってイタズラ好きの島民がデコレーションとして並べたものだそうだ…。

ヒーリングとかパワースポットとか有難がってる観光客をノせて楽しむ島民お茶目さん。




にょきにょきこちらが、モアイ像を切り出していた山、ラノ・ララク。
そこらじゅうに作り途中のモアイがにょきにょき生えている。これらは長年のうちに土が滑り落ちてきて埋もれてしまったもので、全部ではないが過去に調査されたことがあり、掘ってみると長い胴体が出てくるんだそうだ。

モアイは、発注元の部族の首長に似せて作られていたそうで、一体ずつ微妙に顔がちがっている。やや首をかしげたモアイや、胴体部分に船が描かれたモアイもある。

島の部族は男系だったが、モアイの中にはごく少数ながら女性のものと呼ばれているものもある。ただし、女性モアイは小型で、石組み(アフ)の上には建てられていない。そのすぐ側にあるだけだ。




雨雲の通り道ラノ・ララクから東のほうに見えるマウンガ・プアカティキ(プアカティキ山)とポイケ半島。モアイ倒し戦争の始まる前、島には支配階級であるハナウ・エエベ(エエベ族)と、一般市民であるハナウ・モモコ(モモコ族)がいて、モアイづくりや食料調達はモモコ族がやっていたそうだ。

ところが木がなくなるなどして島の食料生産が厳しくなってくると、モモコ族は反乱を起こす。支配階級エエベ族をポイケ半島に追い込み、ついには一人を残して全部殺してしまった。

惨劇の舞台となったポイケ半島だが、道も家もないので今んとこ考古学者でもないと入っていくことはない。
このあたりは国立公園として国の土地になっている。





とんがってるで、最後に生き残ったエエベ族は、文化を伝えるために生かされ、同じくラノ・ララクから見えているとんがった山、マウンガ・トアトアに住むようになったんだという。

ラノ・ララクからトアトア方面は、運ばれる途中で放棄されたモアイがいくつも倒れていて、「まるでモアイが自力で歩いていたように見えることから「モアイの道」と呼ばれている。

このあたりは特に道が悪く、雨が降ったら巨大な浅い湖と化す。車で走っていると土埃がめちゃくちゃ舞い上がって呼吸が苦しくなってくるくらいだ。一日で鼻の穴が真っ黒になるのでティッシュ持っていったほうがいい…。


ずっと疑問に思っていたことなのだが、モアイ像ふくめこの島の遺跡には、文字が刻まれたことがない。通常の文明なら記念碑には文字を刻むことが多いにもかかわらず、だ。

イースター島で使われていた現在も未解読の文字「ロンゴロンゴ」はほかのポリネシア系の文化には存在しないし、形状からして、モノに刻んだり、何かを大量に記録するのには向かない。そのため後世に作られたデッチ上げ説もあったりする。

だが、これだけ大量のモアイ像が放棄されているのを見て、モアイは短期間で入れ替えられる使い捨ての像で、恒久的な記念碑ではなかったんだな、と思いあたった。そもそもモアイが作られているここの山の石は、とても柔らかく加工しやすさから材料として選ばれている。材質からしても、短期間に大量に作ることを重視していて、文字を刻んで後世に何かを伝える目的ではない。

それに、モアイを作っていたのは非支配者階級のモモコ族だったわけだ。文字を使っていたのは支配者階級に限られたとすれば、いかな専属の職人といえ知らない文字は刻めない。モアイ像や、その土台となった石組みに一切の文字が見られないのは、たぶんそういうことなんだろう。長年の疑問が少しだけ解決した気分だ。



なーーーんもないこれらの観光地は、個人でレンタカーを借りてきている人も多かったが、何度も言うようだか島内はほんとに なーーーーーーんもない。
見渡すかぎりの果てし無き草原。
どこまでも走っていける… どこまでも。

なので自力観光はほんと自己責任。途中でパンクしても、島内に無数にある洞窟にうっかり落ちても、誰も通りかからない可能性もあるんで。

フリーダム観光も楽しいとは思うんだけど、突然暴風になったかと思うとカラリと晴れたりもする、お天気の読めない島であることは忘れてはいけない。
私も登山装備で食料と水持って出歩いていた。

ちなみにレンタバイシクルで頑張ってる強者は、滞在中 一人だけしか見かけなかった。島が広すぎて、道も悪いので実質村の中でしか使えない。エジプトのルクソールのレンタバイシクル思い出した。あれも、砂漠のド真ん中の遺跡に行くのに自転車で行けるかアホオオオ!って実質ムリゲーすぎて誰も借りられない状態だったんだよなあ。^^;


海沿い
何もない海岸に転がる赤い石はモアイの頭にのっけられていたプカオの残骸。すぐ側に転がっているのがモアイの成れの果てと思われるが風化が進んでいてよく分からない。

海岸はこんな感じでほとんどが岩、そうでなければ切り立った断崖絶壁になっている。波の音は心地良く、されど容易に人を寄せ付けない自然も感じさせる島だった。








この石積みが昔からあるのかどうかはナゾ
ちなみに、島をウロウロしているとこんな感じの石積みが野っ原の中に唐突に現れることがある。
これは、昔は村と村の境界として作られていた塔なんだそうだ。(たまにニワトリ小屋の跡とかもあるらしいが…)

ただし、昔からあったものの大半は牛や馬に崩されたり、風化したりしてそのまま残っては居ない。

実際のところ現在も見られるこうした石積みは、酒を飲んだ島民がノリで作ったものが少なくないのだという。なにしろ大昔から石を積み続けてきた人々の子孫、なんかこう血が騒ぐというか習性というか、たまに無性に石を積みたくなるらしい。お察しください。

ちなみに島民が積むのは文化の一部なので黙認されているが、他所かきた観光客が勝手にそのへんに積むのは、見つかると罰金らしい。日本人は石を積みたければ賽の河原へ行きましょう。


前へ ◎ チリTOP ◎ 次へ