アーサー王伝説-Chronicle of Arthur

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アーサー王伝説と聖杯

<2017/5/29 修正>
最新研究の蓄積から「島のケルト」の存在が否定され、ブリテン島やアイルランドはそもそもケルトじゃなかったということが確定しつつあるため、かつてここで「ケルト神話」と表現していたものを「ブリタニアとヒベルニアの古伝承」へと置き換えました。
 ・ケルト神話→アイルランドやブリテン島に伝わる伝承を"ケルト"神話と呼ぶのは不適切となりましたので削除します
 ・ケルト語→そもそもケルト人が喋っていた言葉ではないかもしれない、と議論されていますが、とりあえず名前としてはまだ存在するので残します
[>修正に関するブログ記事  




アーサー王伝説といえば、聖杯探求。
日本では最も有名なアーサー王伝説のストーリーと思われる、トマス・マロリーによる「アーサー王の死」という作品でも、第11巻から第17巻までが聖杯探求の物語に割かれている。聖杯は、一般的なアーサー王本や創作などで「ホーリーグレイル(Holy Grail)」と呼ばれ、かつてキリストの血を受けた、またはキリストが復活の日に食事をしたものなどと説明され、アリマタヤのヨセフによってブリテン島にもたらされたことになっていることが多い。

だが、アーサー王伝説の中で「聖杯」と呼ばれているモノは、本来、キリスト教的な聖遺物ではなかった。

その起源と変遷について、これから概要と代表的な説をご説明した上で、本来の形を推測してみたい。
諸説があることほ承知した上で、私が書きたい最初に結論を述べてしまうとこうなる。

のちに「聖杯」と呼ばれることになる道具の本来の姿は、宴会用の食器である。
原型は、ブリタニアやヒベルニア(アイルランド)の古伝承に見られる"豊穣の器"である。これら土着の神話においては、自在に食料を生み出す「深皿」「釜」「鍋」といった食器は、豊穣の象徴として神や英雄たちが所持する代表的なアイテムの一つだ。(例えばダグダ神の持つ粥を生み出す鍋)
この容器にキリスト教的な解釈を紐付け、聖遺物だという解釈の「皮」を被せたものが、のちにアーサー王伝説で聖杯と呼ばれる容器なのだ。

本来この容器が古伝承での豊穣の器だったからこそ、登場する場所が宴会の席なのであり、初期の伝説において手にする資格を持つものがパーシヴァルだったのであり、血の滴る槍という特殊なシンボルとセットで登場しているのである。


* * * * * * *

この記事は、謎の多い「聖杯」の本来の姿と、文学作品に登場する小道具としてのその後の変遷を、それなりの形に纏めてみる目的で書かれた。
少々長いが、以下の順で書いてある。何かの足しになればと思う。

【もくじ】
1. クレティアンからマロリーへ。物語の変遷
2. 「聖杯」の語源と正体
3. 聖杯の変化、その凋落
4. 聖槍の元ネタ

* * * * * * *


まず初心者むけに基本的な事項を――。
アーサー王伝説には、「唯一の原典」は存在しない。異なる時代や言語で作られた数多くの冒険エピソードの集合体がアーサー王伝説である。本来ひとつではなかった、時代も成立過程も言語も異なる物語を、無理やり繋ぎ合わせたものの一つが、おそらく日本で最も有名と思われるトマス・マロリーによる「アーサー王の死」である。つまりこの物語は原典ではなく、"アーサー王に関連する作品の一つ"にすぎない。
「聖杯」が登場する部分も、元々はアーサー王伝説にあんまり関係ないエピソードだった。そこに登場する聖杯も、後世になってからキリスト教的な解釈が付け加えられ有名な「神の国に属する聖なる杯」というイメージに変化したのである。

トマス・マロリーは聖杯を手にするのをガラハッドとしているが、元となる伝承ではそれはパーシヴァルの役目だった。本来、彼は、アーサー王伝説とは無関係な(或いは、少しは関係していたかもしれないが)ストーリーの中に存在していた神話的な人物だ。(ちなみに、ガウェインやケイといったお決まりの面々ですら、元々は別の神話から組み込まれている。ランスロットに至っては初出のはっきりしている後付の存在)
聖杯の元ネタとなった存在がアーサー王伝説に取り入れられたのは、"グラール"を手にする元々の人物であるパーシヴァルがアーサー王伝説に取り込まれたからに過ぎない。つまり、本来聖杯伝説はアーサー王とは関係がなかったと言える。

ただし、聖杯の原型が「なにもの」であったのか、古伝承の元ネタは明確ではない。何しろ伝説は最初は形なき”口伝”だった。その後、書き留められたものが様々な作者の手を経て変化していったことが予想されるが、その過程は残されていない。現在残っている最も古い聖杯の物語は、アーサー王伝説を騎士文学というテキストの姿に変えた最初の人物、クレティアン・ド・トロワ。

あちこち分断されたかたちでしか残っていない伝承の中で、今日まで存在する諸テクストから判断すれば、クレチアンが誰よりも早く、1180年と1190年の間に、聖杯についての物語(ロマン)を書き、漁夫王の城の広間を横切る行列を描写したのであった。聖杯の主題(テーマ)とその展開の純粋に文学的な研究はすべて、クレチアンから出発しなければならない。

「聖杯の神話」ジャン・フラピエ/筑摩叢書


私たちも、ここから探求の旅を始めることにしよう。


1. クレティアンからマロリーへ。物語の変遷

クレティアン・ド・トロワは12世紀のフランスの文人である。
未完成に終わった作品「ペルスヴァルまたは聖杯の物語」で、聖杯に該当する存在が、セットとなる槍とともに登場している。槍は聖杯城の王を傷つけ、不具にしたものと物語のあとのほうで判明する。やや長くなるが、その部分を以下に引用する。

室内は、館の中を蝋燭のあかりで照らしうる最大限の明るさで、とても明るかった。二人があれこれと話し合っている間に、とある部屋からひとりの小姓が、白銀に輝く槍の、柄の中ほどを持って入ってきて、炉の火と寝台に座っている二人との間を通った。そして、その場にいあわせた人たちはみな、銀色の槍、銀色の穂先を見、一滴の血が槍の先端の刃尖から出てきて、小姓の手のところまでその赤い血は流れ落ちた。

両手で一個のグラアルを、ひとりの乙女が捧げ持ち、いまの小姓たちといっしょに入ってきたが、この乙女は美しく、気品があり、優雅に身を装っていた。彼女が広間の中へ、グラアルを捧げ持って入ってきたとき、じつに大変な明るさがもたらされたので、数々の蝋燭の灯もちょうど、太陽か月が昇るときの星のように、明るさを失ったほどである。
その乙女のあとから、またひとり、銀の肉切台(タイヨワール)を持ってやってきた。前をゆくグラアルは、純粋な黄金で出来ていた。そして高価な宝石が、グラアルにたくさん、さまざまに嵌め込まれていたが、それらはおよそ海や陸にある中で、最も立派で最も貴重なものばかりだった。まちがいなく、他のどんな宝石をも、このグラアルの宝石は凌駕していた。さきほど槍が通ったのとまったく同じように、行列は寝台の前を通りすぎて、一つの部屋から次の部屋へと入った。

<中略>

若者は、それらが通り過ぎるのを目にしながら、あえて訊ねようとしなかった。グラアルについて、誰にそれで食事を供するのかを。

(「フランス中世文学集 愛と剣と」天沢 退二郎 訳)


主人公ペルスヴァルが、釣りをする足なえの王と出会い、その居城たる不思議な城の宴の席で神秘を目にするシーンである。ここでの聖杯(グラアル)は、光り輝く豪華な品であり、肉切台とともに運ばれている。最初に書いた結論「聖杯の元ネタは古伝承の豊穣の器」を思い出してもらいたい。宴会の席での登場。「食事を供する」という描写。いわくつきの槍。(槍はブリタニアとヒベルニアの古伝承では英雄たちの代表的な持ち物である。ゲイ・ボルグの例を挙げるまでもなく、英雄たちが女神から受け取るのは剣ではなく槍)

さらに、聖杯についての重要な情報がある。「若者は、それらが通り過ぎるのを目にしながら、あえて訊ねようとしなかった。」という一文である。足なえの王は、ある事情から癒えぬ傷を負っている。聖杯は癒しの力を持つが、その力をもってしても王の傷を癒すことが出来ないでいるのである。癒しの力が効力を発揮し、王が元の体に戻るためには、選ばれた訪問者、すなわち主人公の「問いかけ」が鍵となる。不思議を目にした主人公が、王の体の不具合の原因を尋ねれば、それによって傷は癒される。しかし、この時点ではまだ未熟な主人公は、その問いかけを発することが出来ず、最初の試練に失敗してしまうのである。

さて、古伝承の英雄の条件に、「五体満足」というものがある。神々の王であったヌァザが王位を去らねばならなかったのは、片腕を失ったためであった。(※1) 主人公の訪れた聖杯城では、王は傷を負い、立つことの出来ない状態にある。つまり王権を失っている。古代の信仰として、王が王権を発揮している時は国が富み栄えるが、ひとたび失えば飢饉や疫病、外敵などによって国は栄光を失うとされた。王の不具が元に戻るということは、王がその威光を取り戻し、国が再び栄えることを意味した。これは引用した部分の少し後でも語られているが、もしも主人公が適切な問いかけを発し、王の傷が癒されていれば、王国は「再び繁栄を取り戻した」はずだったという。

これらの描写は、キリスト教的な要素を取っ払えば、そのままブリタニアとヒベルニアに古くから伝わる伝承のままなのである。聖杯城――この城は異界にあり、選ばれた者しかたどり着くことは出来ない。主人公が聖杯城へたどり着くのは、古伝承に多く見られる「異界行」エピソードの一つである。城の主をはじめ、そこに仕える人々もすべて異界の住人だ。
その異界に住む王は、聖杯と呼ばれる物体が癒しの力を持つにも関わらず、異界の王(足なえの王)は癒えることのない傷に苦しんでいる。 王の傷は、選ばれし訪問者である主人公が聖杯を目にしたときに、「あれは誰のための食べ物ですか」「王はなぜ傷を負ったのですか」と問えば癒える。癒えない傷は魔術的な呪いなのである。その呪いを打ち破るには、異界の外から来た者の「問いかけの一言」が必要なのだ。

この場面は本来、豊穣の器の真の力を発揮することが出来ないでいる年上の王と、器の力を使うことができるがいまはまだその術を知らない、のちに新たな王となるべき若い英雄の最初の邂逅のシーンなのである。


次へ移ろう。
13世紀初頭、未完に終わったクレティアンの物語を完成させる人物が現れる。ドイツの騎士詩人ヴォルフラム・フォン・エッシェンバハ。物語の大筋はクレティアンと同じだが、登場人物が大幅に増え、物語の背景説明など情報が付け足されている。
彼の作品「パルチヴァール」の中での聖杯登場シーンは2箇所あるが、主人公が不思議の城で聖杯と出会う、先にあげたクレティアンの物語と全く同じシチュエーションのシーンを抜き出してみる。

この乙女はアラビア産の上等の絹の衣裳をつけて、緑色のアハマルディー絹布の上に「楽園の理想」を、その根も葉ものせて捧持して来た。それは物でグラールといい、「現世の理想」を超えるものであった。聖杯を捧げ持つ役を命じられたこの助成は、その名をレパンセ・デ・ショイエと言った。

<中略>

誰でも聖杯の前に手を差し延ばすと、そこには一切のもの、即ち温かい食べ物でも、新しい料理でも古い料理でも、家畜の肉でも野獣の肉でも一切がととのっていたということだ。そんなことが起こるものかと反論する人も多かろうが、そのような反論は見当違いである。というのは聖杯こそは至福の果実で、天国の物と言っていいほどに、現世の甘美な至福に溢れていたからである。

(「パルチヴァール」加倉 井粛ほか共訳)


ここでは、足なえの王を傷つけた槍は、聖杯(杯と訳されているが実際の描写は"石"の形状)とともに運び出されない。宴で食物を供するもの、という側面が強調されており、城じゅうの人々が聖杯から十分な、ありとあらゆる食べ物を得たことが記されている。豊穣の器としての側面が強調されているのだ。(ここで言われる「根も葉も」とは、「すべて」の意味)

こちらでも主人公は最初の試練には失敗する。王の体を気遣う問いかけを発し、聖杯によって傷が癒える奇跡が起こるのは、物語のクライマックス、クレティアンの作品では未完のまま終わったため書かれる事のなかった二回目の聖杯城訪問の際である。目出度く試練に成功し、今度はしくじらなかった主人公によって器は力を発揮し、足なえの王は美しさを取り戻すのだ。しかしそこにはキリスト教的な「皮」が入念に被せられており、聖杯の力ではなく、「神の恩寵によって」奇跡が起こったのだと書かれている。


15世紀に入る。
時代を経るごとに古伝承の要素はキリスト教的な要素に置き換えられていくが、マロリーの「アーサー王の死」に登場する聖杯は、ずいぶん姿を変えていた。まず大きな変化として、聖杯に選ばれる「資格者」が、パーシヴァルに該当する「ペルスヴァル」や「パルチヴァール」から、ランスロットの息子ガラハッドに変更され、ガラハッド、パーシヴァル、ボースの三人が聖杯のもとにたどり着くという筋書きにされていること。そしてもう一つが、聖杯は不思議の城にはなく、足なえの王との関連や問いかけの試練といった関連する設定が消え、聖杯は聖杯という物体だけで存在させられていることである。
設定の誓約が消え意味も変わったことで、聖杯の登場回数は大増量され、登場する場所も足なえの王の城に限らず何処でも良くなった。

いくつかの登場シーンを抜き出すと、このように描かれている。

第11巻 第14章

ちょうどその時、聖杯の聖なる器が甘美なよい香りを漂わせて近づいてきた。だが彼らには誰がその器を持っているのかがわからなかったが、パーシヴァル卿には聖杯とそれを捧げ持っている乙女がぼーっと光っているのが見えた。彼はまったく純潔だったからである。するとたちまち二人とも、皮膚も手足もいままでどおり完全に治ってしまった。それで彼らはひじょうに謙虚になり、神に感謝を捧げたのである。

第17巻 第20章

それでペレス王とその息子とが去っていった。残った騎士たちにこのような事件が起こったように見えた。司教の装いをした老人が手に十字架を持ち、四人の天使とともに天から降りてきた。四人の天使は司教を椅子に乗せると、聖杯が安置されている銀の台の前においた。老人の額には次のような文字があった。「このヨセフを見よ、キリスト教国の最初の司教。サラスの町の聖なる霊廟で、主に救われし者なり。」
これに騎士たちは驚いた。それは司教が三百年前に、すでに亡くなっていたからである。
「ああ、騎士たちよ」と司教は言った。「驚きめさるな。かつてわたしもこの世の者だったのですから。」
すると大広間の扉が開く音がして、天使の姿が見えた。二人は手に蝋燭を持ち三人目は布地をもち、四人目は槍を持っていたが、その槍からは血がしたたっており、もう一人がもつ箱に三滴したたりおちた。二人は蝋燭を台の上に、三人目は布切れを聖杯の上に、四人目は聖なる槍を聖杯の上にまっすぐに立てた。


「アーサー王物語 4」(井村君江 訳)


聖杯の癒しの力は健在であり、乙女が捧げ持って出てくる、槍とともに登場する、など共通項もあるが、ストーリーのキリスト教化が進んだことにより乙女は天使に変えられ、槍から滴る血の不吉さも消えている。もはやこの聖杯には、本来の意味はなくなり、ただ神の恩寵を象徴するだけの小道具となってしまっている。

※1
北欧神話では、主神オーディンは片目を失って肉体を傷つけることで、逆に王権を強固にしている。
世界中のすべての神話で、肉体的な不備が即座に王権の喪失と結びつくものではないことに注意。




2. 「聖杯」の語源と正体

さて、アーサー王伝説では慣習的に「聖杯」という訳が充てられている物体だが、訳の都合で「聖杯」になっているだけである。

マロリー版では「聖杯」部分の単語はsungrealなのでこれは聖杯と訳せるが、出発点となるクレティアン版ではgraal。そしてグラールという単語自体には、聖杯という意味はない
最初に聖杯に相当するものをグラールと名づけ、文学作品に登場させたのはおそらくクレティアンが最初だったのだろうが、この単語はクレティアンの造語ではなく、またクレティアンの生きていた時代以前に、キリスト教的な祭儀に関わる単語として使われた例はない。

その正体は、

 宴会用の大きな深皿 だ。


graal という言葉は普通名詞としては一般的なもので、その語源も、かなり詳細に研究されている。その言葉は、ギリシャ語のcrater あるいは crâtis から、ラテン語の gradalis に変化し、南仏語 grazal  となった。
”ラテン語の Gradalis、ガリア語で Gradale と言われるのは、広口でやや深めの杯であり、俗語でグラアル Graalz と呼ばれるのである” ――これはグラールについて、13世紀前半に書かれたラテン語の書物の孫引きである。(出典元は「聖杯の神話」ジャン・フラピエ)

グラールと呼ばれた皿は、イノシシの頭を丸ごと盛り付けることが出来るほど大きく、かつ宴会で身分の高い人々に食事を提供する際に使われるため金など貴重な材料で作られ、宝石のような装飾品がついていたという。おそらくテーブルのド真ん中にメインディッシュ用として使われるような皿だったのだろう。

これはまさに、さきに挙げたクレティアンの描写する「グラール」の姿とも一致する。(最初に挙げた引用部分を参照のこと!)
「グラール」は乙女が「両手で」捧げもつほど大きく、宴の場に持ち出されるほど豪華で、中には尊い王に供されるべき食事が入っていると説明されている。また、宴会用の深皿だったからこそ、肉切台とともに運ばれているのだ。(王に供される特別な食べ物は、のちに聖体拝領に変えられるので、肉切台は必要なくなってしまうのだが…。)

なぜクレティアンが宴会用の食器という単語を当てたのかは、この物体の本来の姿が「古伝承の豊穣の器」であったとすれば、すぐに理解できるだろう。
グラールは城じゅうの人々の食欲を満たし、王の傷を癒す物体である。書かれ方からしても、クレティアンが元ネタとした、現存はしてない原型の物語では「聖杯」は単に豊穣の器で、それに該当する土着語の単語が当てられていたのだと推測される。もっとも、その原型の物語が残っていないので、何と呼ばれていたのかは確定できないが。

ただし時が経つにつれ、「グラール」という言葉自体は変わらないまま、そこに被せられるイメージだけが変化していく。
マロリー版では、聖杯はキリストの血を受けた聖なる杯という「設定」になっており、キリスト受難の地から運ばれたもの、アリマタヤのヨセフの家系によってブリテンに持ち込まれ守られてきたものとされている。しかしこの設定はロベール・ド・ボロン「聖杯の由来の物語」(13世紀初頭)以降に確立したもので、クレティアンの物語が成立した時点では存在していなかった。


クレティアンは何もないところから「ペルスヴァルまたは聖杯の物語」を作り出したわけではない。それはアーサー王伝説を下敷きに作り出された騎士物語であり、イングランドから渡ってきた、何らかの元ネタを整形しなおしたものである。聖杯(グラール)に関わる、足なえの王や乙女、槍、問いかけといった要素は、元にした物語の中で既に語られていたはずである。古伝承の口伝を文書化した「マビノギオン」に似た形のエピソードが残っていることも、これを裏付ける。

まとめると、こうなる。
元は土着語(ケルト語?)で何か単語があり、それがクレティアンの時代にフランス語の「グラール」と置き換えられる。
「グラール」は宴会皿の意味だったが、そこにキリスト教的な解釈を加えるうちに「グラール」の意味が杯になってしまい、英語で「ホーリーグレイル(グレイル=グラールの英語読み」となったことから、現在「聖杯」と翻訳される単語が生まれた。

すでに述べたように、文学作品として最初に聖杯=グラールが登場するクレティアンの物語では、聖杯の扱いは古伝承の「お約束」を踏襲しながら、異教的な物語として解釈可能な筋書きとなっている。
表面上はキリスト教的な装いになっていても、各要素は古伝承によくあるモチーフとの類推が可能で、クレティアンが元にした物語の中で、"グラール"は、元は、古伝承の各エピソードの中に多く見られるような、魔術的な存在であったことが想像できる。

本来それを求めるには、かつて島のケルトと呼ばれていた、アイルランドやブリテン島の古伝承にある「異界」、すなわち地下にある王国や、海の果ての国のように、聖杯城という限られた者にしかたどり着けない城に赴かねばならなかった。そして本来、"グラール"を手にすることは、傷ついた王を解放し王権を取り戻させること、新たな異界の王になることを意味していたはずなのである。のちに聖杯と呼ばれる物体を求める主人公に求められていた役割は、これら古伝承でルーグが演じた役割に似たものだったのだ。



3. 聖杯の変化、その凋落

ここまでに、聖杯(グラール)の元ネタになったのは古伝承の各エピソードの中に多く見られるような魔術的な存在であったこと、それはケルト神話によく登場する「異界」に属したことを繰り返し説明してきた。

だが、物語がキリスト教化されるにあたり、「異界」は「天国」、すなわち神や天使の住む国に置き換えられてゆく。同じような変化は古伝承の他のエピソードでも起きており、たとえば「ブランの航海」において、ブランの向かう先が、のちの物語では聖者たちの住まう神々しい世界に置き換えられている。
この変化に伴い、"グラール"を手にすることで得られるのは、もはや異界の王たる資格ではなくなった。異界が天国になってしまえば、グラールとともに手に入れるのは、天国に入る権利―― すなわち、トマス・マロリーが描いたような、「隠居と昇天」になってしまうのである。
言い換えれば、マロリー版アーサー王伝説で聖杯を手にした三人の騎士が天に召されてしまったのは、かつて古伝承の異界行エピソードで行くはずだった妖精の国が天国に変わってしまったための必然だったということだ。

聖杯出現シーンの見た目は、12世紀に書かれたクレティアンの時代と、15世紀に書かれたトマス・マロリーの「アーサー王の死」で大きくは変わっていない。乙女、槍、癒しの奇跡など、主要な要素は形式だけでも引き継がれている。ただし、それが 本来「古伝承的な異界(他界)」の存在であった という意味だけは、完全に失われてしまった。のちに聖杯と呼ばれることになる物体が持っていた神秘的な意味合いは、キリスト教化が進行する中で薄れてしまったのだ。

この変化によって、聖杯はその価値を失ったと言ってもいい。
古伝承の異界は自然界そのものである。異界に存在した時の聖杯は、人の手の届かぬもの、断固としたルール(魔術的なしきたり)に沿って動き、人の自由にできないものだった。
しかし、異界がキリスト教的な「天国」に置き換えられてしまうと、天国は祈りに答えるもの、神は祈りに応じて奇跡を見せるものであるから、聖杯も簡単に異界を出たり入ったりすることになる。必然的に登場シーンは増え、それを目にする人間の数も増えた。

クレティアンの未完のパルチファル(フランス語)で、グラールが出現するのは一回のみ。
ヴォルフラムが完成させたパルチヴァール(ドイツ語)では、主人公が一度は失敗した聖杯城での試みを成功させた際にももう一度出現するため合計で二回
マロリーのアーサー王の死では計十一回、しかも登場する場所は限られておらず森の中や礼拝場などにも出現し、アーサー王の宮廷のド真ん中に登場して、多くの人に姿を晒してもいる。それを手にする資格の無いランスロットの前にすら、五回も出現しているのだ。


ブリタニア・ヒベルニアの古伝承だけに限らないが、妖精や神の住まう世界である異界に存在するものは、手に入れるために試練を乗り越えなくてはならず、多くの場合、それを手にする機会は一度きりしか無い。資格の無い者の前に何度も現れることも、特定の厳しい条件なしに出現することも、神話的なストーリーからすれば、考えにくい。出現回数が増量されたことによって、聖杯は明らかに奇跡のハードルを下げている。このテの試練は最初から選ばれし者だけが達成することが出来ることによっているのだから、何もアーサー王の円卓のド真ん中に思わせぶりな出現をして騎士たちを勝ち目のない冒険に連れ出す必要など本来は無かったのだ。

これを私は伝説の凋落と呼びたい。

古くからある物語の「お約束」を壊してしまうと、書き手は自由を得るかわりに、キャラクターやアイテムの持つ重厚な性格を失うことになる。確かに、本来の聖杯は異教的すぎたかもしれない。また、聖杯の本来の継承者たるパーシヴァルがケルト的な”純粋”を象徴する存在だったことや、ランスロットの家系に聖杯を継がせたい意図からすれば、大幅な改編も仕方がなかったのだろうが、聖杯探求に挑む多くの騎士たちがザコキャラ扱いになってしまい、結果的に喜劇に思える結末を物語にもたらしている。
神話から大衆小説への変化。無知な若者から成長し、聖杯の試練を成功させ、聖杯城の立派な王となるパルチヴァールと、聖杯の探求を経てもなお成長せず、王妃との不倫を続けるランスロットを比べれば、物語の中で扱われる聖杯の重さがどれほど変化しているかが感じられるだろう。


4. 聖槍の元ネタ


聖杯とセットになっている聖杯とセットになって登場する「血の滴る槍」についても解釈を加えておきたい。

聖杯がそうだったように、槍も、元は古伝承的な存在である。ロンギヌスの槍と同一視されるようになるのは、キリスト教的な解釈が加えられてからだ。そもそも槍は足なえの王を傷つけた忌むべきものであり、その屈辱と王国を見舞った不運の象徴である。マビノギオンのテキストでは、血を流す槍を見た人々は嘆きの声を上げて迎えている。忌むべき対象として認識されているのだ。

この槍は、「自ら血を流している」というところに特徴がある。
「ヨハネによる福音書」(第19章34節)では、キリストを突いた槍は単なる兵士の槍であり、「わき腹を突くと、血と水が流れ出た」としか書かれていない。この物語を脚色してロンギヌスの槍として語られるようになったいかなる伝承も、"自らが"血を流す槍という表現はしていない。槍が血を流すのは後付の設定ではなく、聖杯の起源となった何らかの存在とともに作られた初期の伝承から受け継がれているものだと思われる。

この槍の出所はどこなのか?

ジャン・フラピエは、ケルト神話には血を流す槍の伝説があるという。(※フラピエの時代には、まだ「島のケルト」が存在すると信じられていた)
古伝承の説話に登場する、ケルトハールの持つ槍というものだ。敵を殺すごとに毒液の鍋につけなければ、槍は燃え尽きてしまうという。持ち主であるケルトハールは、その槍から滴り落ちた一滴の燃える毒の血によって肉体を貫かれて死んだという。
ただしこの槍以外にも、古伝承には多くの「神秘的な槍」が登場する。英雄ク・ホリン(クーフーリン)の持つ槍は最も有名だが、フラピエが挙げているのはルー神の槍(ブリューナク)、オィングスの槍、巨人マック・ケヒトの槍などだ。いずれも戦いのための槍、破壊的な意味を持つ。
のちに聖槍ロンギヌスと設定されることになるこの「血を流す槍」も、元は古伝承に見られる呪われた武器だったのではないか。多くの学者が、このような推測をしているようである。


【結びとして】

以上の話は、入り口にすぎない。

聖杯の物語が完全に古伝承的な元々のストーリーから生まれてきたことを「認める」か「認めないか」、すなわち元々のアイデアに聖書の影響があるのか否かは、多くの(西洋の)文学者たちが長年論じてきた話のように思う。ここで私が採ったのは、そのうちの一方、元々のアイデアには聖書の入り込む余地がない、という立場になる。

しかし聖杯の物語が、そのかなり初期の段階からキリスト教的な素材を持っていたことも確かだ。聖杯城の主は釣りをしており「漁夫王」と呼ばれる。これは、キリストがガリラヤ湖畔の出身で、最初の弟子たちが漁師だったことを想起させる。「血の滴る槍」と癒しの力を持つ器は、キリストを槍で突き、その血で癒されたロンギヌスのエピソードと融合する要素を最初からはらんでいる。ケルトの異界がそこかしこでキリスト教の異界すなわち天国へと置き換えられつつあった時代、元々からして曖昧で示唆的な聖杯の物語に、聖書に慣れ親しんだ人々によってキリスト教的な装いを付け加えるための新たな解釈が成されたのは、無理らしからぬ話である。

クレティアンを含む初期の作者たちは、物語を意図的に改ざんしようとしたわけではない。ただ「その時代」の宿命として、物語はキリスト教的な方向へ少しずつ変容していく運命にあったのだと思われる。


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