海に行く訳 4/

      

 
小笠原では、よくこんな言い方をする。

小笠原に惹かれる人は、小笠原の呼んでいる声が聞こえる ――― 、

 私にもその声が聞こえたと云うことなのだろう。本当に、あの島が好きだ。

 だから、また一つ、扉を開けた。40日間、住んでみたのだ。

 内地からの距離。何が起こるか判らない海。イルカのいる海。クジラのいる海。遊歩道から見る景色。そして、船が入る度に呼吸するように蠢く島自体のダイナミズム。

 今思えば、あの島自体が現実離れした「夢」のような場所だ。海の好きな人なら、きっと、「こんな所に住みたいなぁ」と思うだろう。たいてい、それは願望で終わるのだけれど。

 しかし、私の前にはまた一つ、扉が開いた。

 結婚して、本籍も移して、家を建て、猫を飼い、犬を飼う。そんなふうに次々に扉を開けて行った。きっと、端から見ると素晴らしい生活なのだろう。なのに、だんだん機嫌が悪くなっていったのは何故だろう?

 それは、たぶん、どこまで行っても次の扉があるから。そんなところかもしれない。キリがないのだ。そして、いくつも扉を開けていると、だんだん、扉を開けることの感動も薄れて行く・・・。

 感動とドキドキを求めて、どんどん進んで行ったのに、感動もドキドキも、どんどん薄れて行く。これじゃぁ、意味ないじゃないか。

 そんなふうにして、小笠原での暮らしは、8年ほどで終わった。

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