〜 海に行く訳 A 〜 何かあると、ふと、「海に行こう!」と思うようなったのは、いつからだろう? 何気なく、そんな思いつきから記憶の底を手探りしていたら、1971年の夏の事に思い当たった。 1971年。高校3年の夏休み。8月23日に祖母が亡くなった。 その夏休みは一応受験生として夏期講習に通い、それなりの緊張感をもって生きていたような記憶がある。しかし、同居していた祖母の死から葬式、その後の諸々に至る出来事の連続で、何かが切れた。すっかり気力が萎えてしまったのだ。このまま秋を迎え、冬を越し、受験を迎えるのか? 重苦しい気持ちになった。その時、ふと思った。 「今まで一度も行った事のない日本海を見に行こう!」 何でも三日坊主なのに、その夏休みは早寝早起きの規則正しい生活を続けて、毎日ちゃんと夏期講習に通っていた。 そして、ある朝のことだ。あの朝のことは今でも鮮やかに覚えている。 カーテンの隙間から漏れる朝日。通り過ぎて行く牛乳屋のカタカタと瓶の鳴る音。そして、辺りに充満している夏休みの朝の匂い。 これは遊びに行く時の匂いだ、と思った。夏休み、いつも海に行くために、山に行くために、早起きした時に出会った気配だ。なのに今の今まで、夏期講習の事しか頭になかった。たった一度しかない高校3年の夏休み、受験しか視野に入れず終わっていく・・・。何か、大切な物を忘れているような焦燥感に襲われた。 そんな事も伏線になっていたのだと思う。祖母の葬式の数日後、唐突に思ったのだ。 「夏休みが終わる前に、今までにした事のない事をしよう!」 夏休みの匂いに圧倒された朝。夏期講習に行くために、いつもの時間にいつもの駅に行った。ホームは都心へ向かう人達で一杯。向かいはガラガラの郊外へと向かうホーム。それまで一度も疑問に思わなかったが、いつもの夏休み、自分は向こうのホームにいるのだ。海に行くために。山に行くために。この夏休みに限ってどうして、今まであっちの電車に乗りたいと思わなかったのだろう? それが不思議だった。 今からでも出来るじゃないか。今、向かいのホームから電車に乗れば、あの海に行けるじゃないか。 でも、その朝、満員電車に飲み込まれるのを止める事は出来なかった。 その事は、その後もずっと尾を引いた。だから、あの夏の終わり、きっと思ったのだ。 「残る夏休みのうちに、海に行こう!」 夏期講習には当時付き合っていた彼女と二人で申し込んだ。毎朝待ち合わせて、二人で通い始めた。彼女は喜々としていたよう思う。 一週間位経った頃だろうか。不意にこんな声が聞こえたような気がした。 「受験生のくせに彼女とへらへらしてるんじゃねぇよ!」 その声に負けた。彼女に、明日からは別々に通う事にしようと切り出した。彼女は当然、「何故?」と言った。うまい言葉が見つからなかった。 そして、何度目かの「何故?」に、反射的にこう言ってしまった。 「一緒に通うの、わずらわしいんだ。」 彼女は翌日から来なくなった。 たかが受験。なのに、一人の大切な人を傷つけずにいられない脆弱な自分。このまま、この混雑したホームから同じ電車に乗り続けていると、一生、俺は同じ事を繰り返すんじゃないか? だから、今乗っているレールから一度、降りてみよう。分かり切った「受験」と云う目的地には行かない電車に乗ってみよう。 「今まで経験した事のない事をしてみよう! 日本海に行ってみよう!」 そう。それどこじゃないのに、向かいのホームに海に行く電車が来ると思わず飛び乗ってしまうのは、あの夏以来かもしれない。 <PROFILEに戻る> |