
![]() 「土曜日のシアワセ」 「一輪挿しはどこにあったっけ?」 散歩から帰った慶彦に声をかけられた時、真弓は洗濯物を干していた。その年初めて微かに夏の匂いがした土曜日の朝のことだった。 仕事を持っている真弓は掃除、洗濯を土曜の午前中に一気に片づける。家事に才能のない慶彦はただオロオロするばかりなので、その時間は散歩に出ることにしていた。しかし、二人がここ、おゆみ野みずき街に引っ越してきてまだ半年たらず、慶彦が散歩で仕入れてくる街の生活情報も立派な「家事」の一つと言えるかもしれない。最寄りのJR鎌取駅前のショッピングセンター「ゆみ〜る」のスケールの大きなこと、次々と新しいお店が出来てること、その中で見つけたオシャレなレストランのこと。駅周辺のセンター地区は、三角屋根の建物がズラっと並んでてメルヘンチックな街並になってること。この辺りには歩行者用の道路が充実していて、中でも、「夏の道」のケヤキ並木が素晴らしいこと等々。いつもそんな「お土産」を持って帰る慶彦の話を真弓は楽しみにしているのだった。 「一輪挿し? 洗面所の下にあったと思うけど、今日はどんなお土産?」 「うん、ちょっとネ・・・」 妙にくぐもった返事だったので不審に思った真弓だったが、空になった洗濯籠を持って洗面所に戻ると、その「ちょっと」が何であったかが判った。 「あっ、シアワセがある!」 真弓は思わずそう叫んだ。一輪挿しに鮮やかなオレンジ色のマリーゴールド。真弓は結婚して以来、慶彦のちょっとした「思いやり」を「シアワセ」と名付けて、あたかも「シアワセ」と云うモノがそこにあるかのように言う癖があった。少女じみているようだが、「シアワセ」は口に出すと次の「シアワセ」の呼び水になることを真弓は知っている。特に、慶彦のように男女の機微に鈍感なタイプには有効な方法だった。 「またどこかでいい花屋さんでも見つけたの? このマリーゴールド、すっごく可愛い!」 「いい花屋を見つけなくても、たまには俺でも花くらい買うさ・・・」 「あら珍しい。前、花買ってきてって頼んだら、男が花買うなんて格好悪いから嫌だって言ってたのに」 「え? そうだっけ・・・」 「でも、このシアワセ、素敵、ほんとに、ステキ!」 予想以上の真弓の喜びようは慶彦の心にも「シアワセ」を運んだようだった。 それ以来毎週土曜日、洗面所の一輪挿しにはささやかな花が飾られることになった。 しかし、真弓には気になることがひとつ、あった。 「どこの花屋さんで買ってくるの?」 そう訊いても、慶彦は、うん、とか、ああ、とか曖昧な返事をするばかりなのだ。初めはさして気にかけなかったのだが、ふと考えてみると怪しい。何故、どこの花屋かを隠す必要があるのだろう? 何か後ろめたいことでもあるのだろうか? 疑惑は疑惑を呼ぶ。いつの間にか、洗面所のささやかな「シアワセ」にほんの少し、翳りがさし始めていた。 そんな堂々巡りに一つの出口を与える出来事が起こったのは、慶彦の謎の花屋通いが始まってから一月ほど経った頃だった。いつも小銭などを入れたまま洗濯籠に放り込んである慶彦のGパンのポケットをチェックすると、シワシワになったレシートが出てきたのだ。印字は薄かったが、「フラワー・ミキズガーデン」と読めた。こう云う事は、この街の大先輩、お隣の奥さんに訊くにかぎる。情報通の彼女の話によると、駅近くではなくて、住宅街の中にポツンとあるような店らしかった。 「今度一回連れて行ってよ、ミキズガーデン」 次の土曜日、一輪挿しに花を活けている慶彦の後ろ姿にいきなりそう言ってみた。 「え、え? な、なに? なんで?」 慶彦は面白いくらい動揺した。真弓は内心ほくそ笑んだ。自分の推理が的中したと思ったのだ。そして、さらにダメをおすべく「持ちダマ」を慶彦にぶつけてみた。 「きれいな奥さんと可愛い娘さんのいるお店よね?」 「・・・行ったの、あの店」 その時、慶彦の顔色の変化に気付くべきだった。しかし、やっと解いたパズルに有頂天になった子供のように、真弓は嬉々として自分の推理を慶彦に押しつけてしまった。 図星図星! 普段は花なんか見向きもしないのにフラっと店に入ってしまったのは、たぶん、そのお店の前で偶然奥さんと目が合っちゃったりしたからで、その瞬間、「どうぞ、お店の中も見て行って下さい」なんて言われちゃったからで、そしたら案外その奥さんが好みだったりして、ついつい勧められるままに花買っちゃったりして、「優しいご主人で奥さん幸せですね」なんて言われていい気になって、毎週通っちゃって、でも、その奥さん目当てだって思われたくないから私には内緒にしてたりした訳で・・・ 「レシート一枚から、ここまで推理するなんて、わたしもちょっとした名探偵よね」 「・・・で、実際どんな店か見に行ったんだ」 「・・・う、うん。レシート見つけた翌日・・・」 真弓はハっと我に帰った。慶彦の口が真一文字に結ばれている。それは気分を害した時の典型的な兆候だった。慶彦の「真心」の中に土足で踏み込んでしまったのかもしれない・・・そう気が付いても、もう取り返しがつかない。お調子者の真弓はよくこう云う失敗をしでかすのだが、こんな時は下手に取り繕うと墓穴を掘るばかりだ。じっと身を縮めて嵐の通り過ぎるのを待つしかない。 翌週、洗面所から土曜日のシアワセは消えてしまった。淋しいけれど、真弓が花を買ってくる訳にもいかない。しまうキッカケを失った一輪挿しは、立たされ坊主のように洗面所の片隅でポツンと口を開けているばかりだった。 慶彦はその一件について一言も触れないから、真弓には心の内が読めない。今までにこの程度のイタズラならお互い、いろいろ仕掛け合ってきた筈だ。そして、いつもすぐに笑い話にしてきた筈だ。何故、今回はこんなに頑ななのだろう? あの花屋には、何かもっと深い因縁でもあるのだろうか? その答えが出たのは、二週間後の土曜日のことだった。真弓がいつものように空の洗濯籠を持って洗面所に戻ると、一輪挿しに何処かで見た覚えのある可愛い花が活けられていた。そして、その下にはメモ用紙。 「御推理、あまりに図星ゆえ、二週間ほど拗ねさせていただきました。(花屋の奥さんのセリフまで図星でマイッタ、マイッタ!) なお、今回は調査不要、領収証付き! PS.本日のお土産情報。七月十九日(土)、泉谷公園などで『ほたるまつり』が開催されるそうです。夜、照明をおとして沢山のホタルを一斉に放すのだとか。闇夜に光る『土曜日のシアワセ』ってのもいいんじゃない? 」 ※写真で手書きの領収証 「領 収 証 金 0円也 フラワーショップ・大百池公園の土手 」 ※ もう一枚写真(一輪挿しに活けた野の花が咲いている大百池公園の土手の風景) |