2005年1月26日
「有松の町並み(ありまつのまちなみ)」
名古屋市緑区
地図
撮影 MINOLTA DiMAGE7 UG
桶狭間を後にして、有松の町へ向かう。 有松といえばこのあたりでは有松絞りで有名 なのだけど、全国区かどうかは知らない。 古い町並みが残ってるというので、 歩いてみることにした。 車でも通れるのだけど、 写真を撮るなら歩かないといけない。 決まった駐車場はないので、 一本入ったところに路上駐車した(駐禁じゃない)。 UFJ銀行そばの脇道で、旧道と1号線の間。 |
|
町並みはこんな感じで保存されている。 なるほどなかなか昔の面影を残していて 風情がある。 ただ、当然住む人は生活していかないといけない ので、車もとまってるし、マンホールもある。 生活と町並み保存の両立は やはり無理がある。 名残を残すということに意味がある といえばそうなんだけど。 |
|
東海道の石碑があった。 こちらが旧東海道で、 1号線から少し入ったあたりになる。 慶長13年(1608)に東海道五十三次の 知立と鳴海の合宿として 開かれた、 というから江戸初期からということだ。 |
|
このへんの建物はかなり古そうだ。 一番古いもので幕末のものが 残ってるらしい。 うちの三重の田舎も、もとは宿場町だったので こういう古い建物が少し残っているけど、 これだけしっかり乗ってるのは なかなかのものだ。 |
|
ここはどこ邸宅だったか。 武田邸だっただろうか。 有松絞りは竹田庄九郎という人が 始めたらしい。 |
|
山車の倉庫だか車庫だかだったような。 唐子山車だったか何だか。 有松祭りで出されるもの。 |
|
ここは服部邸だったか違ったか。 相変わらずいい加減な見方をしてる。 写真を撮ることに気を取られて。 それにしてもこの町並みはDiMAGE7 UGには 厳しい被写体だった。 何しろ家が黒いので、こちらに露出を合わせると どうやっても空が白く飛んでしまう。 どうにかアンダーで撮って空の色を残そうと したけど、結局駄目だったので途中であきらめた。 |
|
ん? ここさっきも撮ったかも? 往復したので、同じものを反対側から 違うもののように思って撮ってたりした。 だいたい、どの建物も似てるんで。 |
|
ここは有松絞り会館だったかな。 |
|
有松絞りの店も何軒かあった。 工房のようなところや、 若者がやってそうなものとか。 |
|
皇太子、皇太子妃、行啓記念という石碑。 昭和61年当時の皇太子ということは、 今の天皇がここを訪れたということか。 |
|
ちょっと洒落た構えの店。 ここは古い建物というより、 それを模して作られたという感じだ。 エアコンの室外機をさり気なく木の柵で 囲っていたりという気遣いも見せる。 この町並みはなるべく雰囲気を 壊さないようにと、電柱が茶色に 塗られたりもしている。 なかなか。 |
|
郵便局までもがこの佇まい。 徹底されていて気持ちがいい。 |
|
UFJ銀行もこの通り。 この塀などは相当古そうだ。 |
|
銭湯の煙突だろうか。 こういう町並みには銭湯がよく似合う。 |
|
町並みの西の外れに、 祇園寺という寺がある。 門が閉まっていて中には入れなかったけど。 |
|
細い路地。 こういうのも風情があっていい。 |
|
相当ディープな田舎を知ってる私でも、この町並みはけっこうやるなと感じるものがあった。 必ずしも古い町並みそのものをかつての姿のまま保存してるというわけではないのだけど、町ぐるみで演出していこうという姿勢に好感が持てる。 当然生活もしていかないといけないし、便利に越したことはないけど、でもぎりぎりのところで雰囲気を壊すものは排除していこうという決めごとがあるのだろう。通りにコンビニなどはもちろんない。 こういうふうに生活と折り合いを付けながら町並みを保存していこうというものの方が、ある意味では長く命脈を保つことになるのかもしれない。 完全に隔離してして保存すれば傷みも少なく長く保存はできるけど、歴史の息づかいのようなものが消えてしまうから。 こういう保護された古い町並みが愛知県にどれくらいあるのかは知らないけど、けっこう貴重なものだとは思う。 ちょっとおすすめしたい場所だ。 |