2005年1月26日
「桶狭間古戦場跡
(おけはざまこせんじょうあと)
愛知県豊明市
地図
撮影 MINOLTA DiMAGE7 UG

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有松に古い町並みが残ってるというのを知って、
そこへ行ったのだけど、地図を見たらすぐそばに
桶狭間の古戦場跡があるのを見つけて、
こりゃいいやと、まずはそっちへ行ってみた。
のだけど……。
ここへは期待を込めて行かない方がいいと思う。
児童公園くらいのスペースで、
中の様子はこんな感じ。
場所間違えたか?
と思ったけど、間違いじゃない。
ち、違う……。
戦国の歴史の中では相当重要で
有名な場所なのに、
そうとは思えないほどの扱い。
どれくらいの人が訪れるのかは知らないけど、
駐車場さえない。
一応公園の横は駐車禁止じゃないから
数台は路上駐車できるのだけど、
それにしてもちょっとと思ってしまう。
遠くから楽しみに来る人だっているだろうに。
桶狭間古戦場址の石碑。
これもそんなに古いものではなく、
とりあえずこのへんに建てておきました、
という感じで雰囲気はない。
実際の戦場は、今川方だけでも2万5千の兵が
いたわけで、相当な広範囲だったはず。
こんな狭い場所のはずがない。
ここが本陣だったというわけでもなさそうだ。
戦死者を祀った碑だったかな(うろ覚え)。
木だけは立派だった。
観光客は私以外にいるはずもなく、
写真を撮ってると学校帰りの学生たちに
注目されてしまう。
通学、通勤で普通に人が横切ってた。
この辺の人は特に感慨もないのだろう。
今川義元の墓。
墓が建てられたのは明治時代らしい。
この公園に今でも今川義元の魂がいる
なんてことはないだろう。
戦国時代の息吹は、
ほとんどまったく感じられない。
こんな碑文がありつつも、
何かこう感じるものがない。
この場所そのものに。
道路を渡った先に、高徳院という
立派な寺があった。
こちらも古戦場に少し関係があるらしいけど、
あまり古い感じもない。
桶狭間関係の資料館のようなものは
閉鎖になりましたという文章があった。
こちらの中に、今川義元本陣跡
というのがあった。
これは本当なのかもしれない。
違うかもしれない。
ただ、こっちは崖の上になってるけど
どうなんだろう。
古戦場跡との位置関係で
なんとなく釈然としない。
古戦場関係の何かがあったのかもしれない
けど、ちょっと雰囲気に馴染めなかったので、
すぐに立ち去った。
なんとなく。
タブの木はとても立派だった。


 熱い合戦があった場所ということで戦国の息吹を感じようとして行くと大コケする。
 長久手の古戦場も何もなくて拍子抜けしたけど、ここはそれ以上だった。
 ただ、名古屋市内からちょっと出たところで桶狭間の合戦が行われたんだということを知るという意味では意義がある。特に名古屋人やその周辺の人間にとっては。
 そうかぁ、熱田神宮で戦勝祈願をして、そのまま馬を飛ばしてここまでやって来たんだなぁ、と。

 少し離れたところに、桶狭間古戦場公園というのもあるらしい。
 また何かのついでがあったら行ってみたい。

 それにしても、名古屋や愛知県というのは、こういう名所旧跡を利用して人を呼ぶのが致命的に下手だ。イベントごとに慣れていない。
 商売は下手じゃないと思うんだけど、宣伝が駄目なんだろう。
 せっかく郷土から信長、秀吉、家康という三英傑が出てるのに、全然上手く活用できてない。
 前田利家だって、加賀の人間のような思われてるけど、もともとは名古屋(中川区荒子)の出身なのだ。
 もったいない。こんなにもいい素材があるのに。

 しょうがないから、個人的に古戦場や旧跡巡りをしていこう。
 信長の清洲や、秀吉の生誕の地関係や、家康の岡崎など、まだまだ回るところはたくさんある。

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