カーネーション。
赤いカーネーションは母の日に贈られることが多いようだ。
花言葉は、純粋な愛とか、あなたの愛を求めるとか信じるとからしい。
私はカーネーションを見ると、条件反射のように、リ・インカーネーション(もしくはリ・インカネーション)という言葉が頭に浮かぶ。全然関係ないけど、言葉の響きだけで。
たとえば花は輪廻転生するのだろうか、などと考えたりもする。
毎年同じ場所で同じ季節に咲く野草は同じ花なのか、別の花なのか、子供なのか、輪廻転生なのか、とか。
同じ木に咲く桜や梅はどこまでが個で、どこからが全体なんだろう?
花ひとつひとつに単独の命があるとみるべきか、それとも一本の木としてひとつの命なのか?
そんなことは考えて分かるようなことではないけれど、ふと思いを巡らせたりする。
人の魂は転生するのかどうかとか、人間の魂と動物の魂は同じ種類のものなのか別のものなのかとか、そんなことも前はよく考えたりした。
今はもうしてない。
個人的には、許してもらえるなら喜んで生まれ変わりたいと思ってる。
いろんな時代のいろんな世界を見てみたいし、体験してみたいから。
地球だけじゃなく宇宙もいい。
どこがいいとかじゃなく、どこでもいいのだ。自分にとって新鮮でありさえすれば。
毎年、忘れもせず、同じ季節に同じような花を咲かせる桜の木たち。その季節がもうすぐ巡ってくる。
去年の桜と今年の桜は同じなのか別なのか。
成長していることは間違いない。だから、厳密に同じではない。
その桜を眺める自分は、ちゃんと去年よりも一年分成長できているだろうか。
変わっていることはいるけど、それが成長だと言い切れるかというと少し自信がない。
せめて成長の証として、去年よりは上手に桜を撮りたいと思っている。
せっかくきれいに咲いてくれる桜に対して恥ずかしくないくらいには。
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