デジカメ日記/Nikon COOLPIX950にて撮影

 2004年 8月12日(木)

 最近は名古屋の郊外でも放置されている空き地というのが少なくなった。
 だから、たまにこういう草ぼうぼうの空き地を見るとちょっとホッとする。
 あまりにも遊んでいる土地がなさすぎるというのもなんだか息苦しい気がするから。

 子供の頃は名古屋にもまだたくさんの空き地があった。
 小学校の帰りなどはよくそいうところに入り込んで友達と遊んだものだ。
 道草を食う、というのは私たちの頃はコンビニに行くとかファーストフードへ行くとかではなく、空き地などで遊ぶことだった。
 けど、今は空き地で遊んでいる子供などまったく見かけない。
 たいていはフェンスで囲まれていたり、誰かが管理してる土地だったりするからというのもあるのだろうけど、それ以前にそういう発想がなくなっているのだろう。
 囲まれていようがどうだろうがその気になればどこにでも入っていけるわけだし。

 空き地にはいろんな生き物がいて、よく捕まえたのを思い出す。
 定番はトカゲで、ヘビなどもたまにいた。
 バッタを捕まえて、友達に「口になんかついてるよ。ちょっと口開けてみ」などと言って開けた瞬間にバッタを口に放り込んだり、カマキリの卵を見つけて家に持ち帰り、そのことを忘れていて、ある日ふ化したカマキリの子供が部屋中に溢れかえったりなんてこともよくあった。
 トカゲのしっぽを踏んづけてしっぽを切ったり、ヘビを振り回して遊んだり、考えたら残酷なこともした。
 けど、そういう残酷なことをしたからこそ大人になってそのことを反省してやらなくなったということもある。

 空き地遊びや生き物を捕まえることが必ずしも正しいことではないし、必要不可欠なわけでもないけど、あんな楽しいことをやらずに子供時代を終わらせてしまうのはちょっともったいないような気がする。
 今は娯楽が増えたというけど、子供時代しか楽しめない多くのことを今の子供たちは知らずにいるんじゃないだろうか。
 カブトムシやクワガタだって、ホームセンターで買うより、朝早起きして山へとりに行って見つけた方がどれだけ嬉しいか。
 今と比べて昔の方が一方的に良かったなんて思わないけど、楽しい習慣や伝統は残していって欲しかった。
 一度すたれた伝統はなかなか戻ることはないから。
 空き地ももうこの先増えることはないだろう。
 私たちは、空き地で遊んだ最後の世代になってしまうのかもしれない。

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