デジカメ日記/Nikon COOLPIX950にて撮影

 2004年 7月4日(日)

 いつも思い出そうとして思い出せないことがいくつかある。
 そのひとつが、中学、高校生のときの下校途中で自分は何を考えていただろう、というものだ。
 起こったことのほとんどを忘れてしまってる私だから、気分まで覚えてるはずもないといえばないのだけど、それにしても何を思いながら歩いたり自転車をこいだりしてたのかを、できることなら少しは思い出したいと思う。
 まったく思い出せないだけになんだかとても気になる。
 みんなは覚えてるのだろうか。

 中学のときはテニス部の帰りで歩いて20分くらい、高校の時は自転車で30分くらい、どちらも友達と一緒だったけど、どんなことをしゃべって、どんなことを考えていたんだろう。
 当時は女の子のことなんかは友達同士ほとんど話さなかったから、テレビのこととか、学校のこととかだったんだろうか。
 黙ってることなんてあんまりなかったから何かしゃべってたはずだけど、一体飽きもせずあの頃の私たちは何を話してたんだろう?
 そして私は何を思いながら毎日を過ごしていたんだろう?
 思い出そうと目を細めてみるけど、それはあまりにももうろうとしていて、どうにも掴むことができない。
 浮かんでくるのは、断片的なシーンだけだ。

 夕暮れ時、車の運転席から学生服の中高生を見かけると、よくそんなことを思う。
 夕方の5時、6時、彼や彼女は何を考えながら家に向かっているんだろう。
 ちゃんと毎日を楽しめているだろうか。
 将来を夢見ていられてるのか。
 彼等は15年後、20年後、今の私みたいに学生時代の自分を思い出せるんだろうか、などと。
 ひとりで少し疲れたみたいに家路を辿ってる中学生とかを見ると、ちょっと心配になったりもする。
 友達同士で屈託なく笑ったりふざけてる姿を見ると、ほっとする。

 大人になって学生時代の記憶が役に立つかどうかは何とも言えない。
 楽しかった思い出が大人の退屈な日常を打ち消してくれるわけではない。
 ただ、ふっと学生時代の気分が自分の中で蘇るような瞬間があって、それは懐かしくて嬉しい気持ちになることは確かだ。
 それは大人になった人間へのご褒美みたいなものだと思う。

 寂しそうに歩いている冴えない中学生の女の子を車で追い越すとき、心の中でつぶやく。
 大人になるって、そんなに悪いことじゃないよ、と。
 できることなら、背中を丸めて自転車をこいでる高校生の私に車で後ろから追いついて、思い切り背中を叩いてこう言ってやりたい。
 おい、もっと楽しそうにしなよ! って。
 けげんそうな、少しムッとした表情の高校生の私を残し、私は車の窓からVサインを出して走り去るのだ。
 もしそんなことが実際にあったなら、今でも私はそのエピソードを忘れずに覚えているだろう。
 そして、夕暮れ時に車を運転しながら自転車に乗る高校生を見ると、いつも思い出すに違いない。

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