デジカメ日記/Nikon COOLPIX950、SANYO DSC-SX150にて撮影

 2004年 7月2日(金)

 今回、同時に買った(期せずして)、NikonのCOOLPIX950(左)と同じくNikonのCOOLPIX885(右)だ。
 大きさも、スタイルも、方向性も、質感も、何もかも違うこの2台。
 ただ、次の写真を見ると分かるように撮れた写真だけはよく似ている。直系ではないものの、叔父(950)と甥(885)のようなものだから。



 上が1999年発売211万画素の950で、下が2001年発売337万画素の885になる。
 描写力はほとんど同じと言っていいんじゃないか(どちらも高画質で撮ってそのまま縮小しただけで、修正は加えていない)。
 ただ、色合いがけっこう違う。950は青系統が鮮やかになる傾向があり、885は赤がより赤くなる感じだ(両方とも必ずしも正しい色ではない)。
 あと、885は少し色がくすんでる印象があり、それに比べると950の方がクリアに感じられる。
 まあ、それもこうして比較した場合に分かることで、どちらも画質としては必要充分だと思う。

 カメラとしても質感や使用感を車にたとえると、950は古き良き時代のスポーツカーで、885は現代的なスポーツクーペに似ている。
 950はメカだけでいかに速く走るかを追求した古いタイプのスポーツカーで、885はコンピューターチューンされた今風のスポーツカーというように。
 950は5速マニュアルで、885はスポーツタイプのオートマチックとも言える。

 更に言えば、この2台のデジカメには決定的な差がある。
 それは、カメラに込められた作り手のスピリットの差だ。
 単純に言ってしまえば、950にはスピリットがあり、885にはそれがない。
 それが結果としてどういうところに現れるかといえば、撮っていて楽しいか楽しくないかではっきりと分かる。
 スポーツカーにたとえたが、運転していて楽しい車と特に楽しいと感じない車があるように、デジカメにも撮っていて楽しいデジとそうじゃないデジがある。
 その差は決定的だ。
 出来上がった写真とは別の部分で。

 885はコンパクトで、持ち歩くのに適していて、何も難しいことを考えず普通にシャッターを押せば、それなりにきれいな写真が撮れる。というか、カメラが撮ってくれる。
 一方、950は自分が上手く撮ろうとしないとカメラがきれいな写真を撮ってくれない。
 マニュアル設定や機能はどちらも同じくらい持っているのだけど。
 そんなたいそうなと思うかもしれないけど、実際そう感じる。

 885は悪くないデジ、950は明らかにいいデジ、それがここ10日くらい使ってみた感想だ。

 ところで、写真のサイドテーブルの上の様子を見てどう思っただろうか。
 もしあなたがO型なら、けっこう整理整頓してるんだなと感じたかもしれない。
 A型なら、なんか中途半端に雑然としてるなと思っただろう。
 B型なら、これってホントに使いやすい配置になってるの、と疑問に思っただろうか。
 これは典型的なAB型の机の上なんじゃないかと思う。
 A型みたいに縦のものは縦に横のものは横にというように整理されてないけど、O型ほどあっちこっちとっちらかってない、B型ほど独創的でも大胆でもない。
 自分自身や自分の身の回りのものに対して、AB型はマイルールを作ってそこに当てはめていくことが多い(とはいえB型のようにマイルールを他人にまで押しつけようとはしない)。
 整理整頓より合理性を重視して、自分が使いやすいように物を配置し、雑然としててもどこに何があるか自分だけは分かっている。
 他人からみるとそれは理解しがたいので、子供の頃は親に大事なものを片づけられたり捨てられたりしがちだ。
 この机の上に関しても、どこに何があるか、ほぼ完全に把握している。
 重ねた雑誌の何冊目に何があって、メモ用紙のどこに何が書かれていて、ペン立てのどこにどのペンがささっているのかも。
 決して適当に散らかしてるわけではないのだ。
 AB型の子供を持つ親は、勝手に子供の部屋を片づけてはいけないです。


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