SANYO DSC-SX150にて撮影
2003年 10月30日(金)
100円ショップに行ったら世界地図が売ってたので何気なく買ってみた。 前々から世界地図はちょっと欲しいと思ってたし、何しろ100円だからいいかと思って。 家に帰ってきて早速貼ってみた。 おおお、久々に世界地図を見たぞ。 日本はこれくらいで、世界はやっぱりこんなにも広いんだなぁ、などと思いつつ眺める。 そしてふと違和感を感じる。違和感というより、なんだかこの地図見にくいな、という感じを受けた。 そうだ、国ごとに色分けされてないからだ。 世界地図というと、私の中ではそれぞれの国が違う色で塗られて分かりやすいように区別されているものという強い思い込みがあった。 きっと教科書で見る世界地図はそうなっているのだろう。覚えるために都合がいいように。 けど考えてみればそれもおかしな話だ。本物の世界は当然国ごとに色分けされてるわけではないし、空から見ても国境線だって見えない。 だからこれでいいのだ。 高い山は濃い茶色、低い山は黄色、平地は緑色といったように描かれている地図こそ本当の地図に違いない。 100円ショップの地図がこんな大事なことを気づかせてくれるとは思ってもなかった。感謝したい。 ありがとう、ダイソー(全然関係ないけど、ダイソーを見るたびに青い稲妻の代走松本を思い出すのは私だけだろうか)。 それにしてもこうしてみるといかに世界が山だらけかということをあらためて知る。 陸地のほとんど3分の2は山岳地帯と言っていいくらいで、平地は3分の1もないくらいだ。 しかもその平地も人の住める気候のところは本当に限られている。他は生き物が住むには寒すぎる。 そうかぁ、こんなわずかな平地の部分に人間はへばりつくようにして生きているのだなぁ。狭いところにたくさん集まって。 そんなことを考えていたらちょっと悲しいような気持ちになってきた。 しかしこの陸地の配置は非常に効率の悪い配置だな。 大陸の一番広くて平地が多い部分が赤道から遠く離れていて寒くて住めないのだから。 思い切って3分の1くらいごっそり下にずらしてしまったらいいのに。そうしたら人や生き物が住みやすい陸地が劇的に増えるではないか。 そうだ、ということは最近の地球温暖化はそれほど悲観するものではないのかもしれない。 今まで人が住んでいた陸地が海に沈んでしまったとしてもそのままみんなで北に移住すればいいのだから。 地球の長い歴史の中で生き物はみんなそうしてきたのだろう。 このように世界地図をたまに眺めるといろんなことに気づくことができていいもんだ。世界の広大さを再認識できるし。 ただこの世界地図には大いに不満がある。 それは日本列島が地図の中心に描かれていることだ。 昔から思ってたけど、これはやはり間違っている。日本は極東という言葉が示すとおり地図の右端でなければならないと私は強く思う。 日本人の多くが極東意識を欠いてしまっているのは、子供の頃からこういう日本中心の間違った世界地図を見て育ったからではないだろうか(こういふうに自分の国を世界地図の中心に描いてしまう国って世界にはどれくらいあるのだろう?)。 極東意識というのは世界に置ける日本の位置や、世界の人々から見る日本人観を知る上でとても重要なキーワードなのに、日本人はそのことにあまりにも無自覚すぎる。 世界の人々は、日本や日本人というのは単に小さい島国に住む人々というのではなく、世界の一番東の端っこの小さな島に住む人々というとらえ方をしてるはずなのだ。 だからこそ、軽んじる気持ちも日本人が思っている以上だし、驚異を感じる思いも私たちの想像以上のものになるのだろう。 その辺の意識の微妙なずれは私たちが思ってる以上に致命的なのではないだろうか。 とはいえな、極東意識を持つことで卑屈になったり謙虚になったりする必要は全然ない。むしろ一番新しい日を最初に迎えているということを自慢に思ってもいい。日本人は歴史の先頭に立っているのだと。 日本は世界の中心では決してない。でも一番先に立っているのだということをもっと自覚すべきだ。 私たちは日出づる国の住人なのだと。 本当に日本が国際社会の一員を目指すなら、まずは小学校の社会科の世界地図を正しい姿に書きかえるべきだろう。 |