SANYO DSC-SX150にて撮影

2003年 10月26日(日)



 街が夕暮れ色に沈む時、人々の一日が終わり、私の夜が始まる。
 長い夜が。
 夜を生きている人間と、夜に眠っている人間とでは、同じような姿形をしていても異なる生き物なのかもしれない。
 夜の闇の中、人工的な明かりに照らされて人は昼間見えないものを見たり、感じないことを感じたり、静けさを知ったりする。
 そして見るべきものを見失い、反動として自分を取り戻す。
 街の喧噪から逃れて静かな部屋に戻った時のように。

 これまで書かれた詩や小説の7割だか8割だかは夜に書かれたという話をどこかで読んだことがある。
 その数字がどこまで正確なものなのかは分からないけど、なるほどとうなずけるものはある。
 現実感を失わなければ見えないものや掴めないものも確かにあるから。
 ただ、夜に生まれたものも昼間の明かりの下で通用しなければ無意味なのだということだけは知っておく必要があるだろう。
 深夜、自分に酔っぱらって書いたラブレターの多くは太陽の下では輝きや力を持たないことを思い出せば分かる。
 それは自分自身についても同じだ。
 夜中だけ本当の自分に戻れるような錯覚をしてはいけない。
 深夜に立てた誓いや決意や目標は一度日の光に晒してみる必要がある。
 それでも燃え尽きなかったものだけが本物とだ。

 人は日の出と共に起き、日没と共に眠りにつくことが正しいと言う人がいる。
 でも私はそうは思わない。
 この世界では夜に生きる夜の番人も必要不可欠なのだ。いろんな意味で。
 何故ならこの世界は昼と夜とで出来ているのだから。
 どちらが上でも下でもないし、どちらかが正しいわけでもない。
 人は好きな方を選ぶことができる。昼間生きるか、夜中を生きるか。
 私は深夜を生き、この世界の眠りを守る。
 夜が明けるまで何も悪いことが起きませんようにと願いながら。


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