SANYO DSC-SX150にて撮影

2003年 9月29日(月)



 重なるビルのシルエットと、その向こうに狭く広がる秋の青空。
 狭い空の下で、空を見上げることなく急ぎ足で通り過ぎる人々と、その人たちを車の運転席からぼんやり目で追う私。
 同じようでもあり、まったく違うようでもある。
 この空の下で、儚さを喜びに変え、それぞれの慌ただしさの中に身を紛らわせるようにして日々をやり過ごす。
 違うところがあるとすれば、彼らは空を見上げることがなく、私は空ばかり見ているところくらいのものだろうか。
 私は空の青さを知っている、知識としてではなく実感として。
 でもそのことに一体どれほどの意味があるというのか?
 空ばかり見てる人間なんてあまりまっとうではないような気もする。

 郊外に住み、めったに都会に出て行かないと、たまに都会へ行ったとき色々感じるものが多い。
 それは刺激があるとか、緊張感があるとか、人々にスピード感があるとか、そういう部分だけではなくて、なんというか違和感のようなものと言ったらいいだろうか。
 都会を形成してる人々や街並みは、その内部にいると当たり前なのだけど部外者として進入するとやはりどこか居心地の悪さを感じる。
 いや、その違和感が嫌いだとか駄目だとか言ってるのではない。
 むしろその逆で、その違和感が楽しい。
 自分の住む街にいるときはどこへ行っても風景に溶け込んでいる気がするけど、都会では風景に溶け込めず浮いているような感じがする。
 それは多分に気のせいなのだけど、その感覚が面白い。
 だから普段感じられないことを感じられたり日常と違う考えが浮かんだりするのだ。
 逆にもっと田舎に行くとそれはそれでまた違った違和感が楽しめて面白いのだけど。

 それにしても私は昔から都会願望というものがなかった。
 都会は遊びに行くところであって住むところではないという思い込みがあって。
 たぶんこの先もずっとそうなんじゃないだろうか。
 間違っても東京なんかに住もうとは思わないだろう。

 でもやっぱりたまには都会の空気を吸いに行かないとね。


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