SANYO DSC-SX150にて撮影

2003年 3月19日(水)

満月が低い空で大きな顔をして浮かんでいた。
写真の中央やや右寄りあたりに。
どれやねんって?
こりゃいかん、また構図失敗だ。
車の運転中に撮影するのはやはり無理がある。
けどわざわざ降りてまで撮影するのは恥ずかしいんだよねぇ。

それはともかくとして、話はそれより左の黄色い看板のPCショップのこと。
近所で唯一まともにPC関連のパーツなどが置いてある店「コムロード」。
車で30分くらいかかるけどここしかないのでたまに行く。
ここは自作PCのためのケースやらマザーボードやらまで置いてある。
こんな郊外の店でそんなものを買ってる客は見たことないけど。

それにしてもPCショップに置かれてるPCを見てると、
自分が今使っているマシンや周辺機器がいかに時代遅れのものか思い知らされる。
電化製品でもそういう傾向はあるけど、PCほど進歩やデザインの流行の変化が激しくない。
この劣等感に似た羨望感はPC特有のものかもしれない。
この前中古で買ったNXのVE35Dでも3年くらい前の最先端だったのに、まったく通用しない。
性能はもちろん、当時としてはかなり洗練されたシルバー/ブラックのツートンカラーのデザインさえも。
実際、PCの世界の感覚でいくと3年経つともう完全に時代遅れの感じがする。
とてもじゃないけど付いていけない。

PCに限らず人間の流行感覚というか時代の美意識の全体的な変化というのは、
面白くもあり不思議でもある。
何を見て格好いいと思うか、何を見て時代遅れだと感じるか、
その感覚がみんなほぼ同時に移行していくのはなんでだろう。
電化製品なら少し前に黒色全盛の時代があって、今はメタリックが主流になっていたりするし、
ずっと昔流行った木目調がいったんすたれて、また新しい感じになってる。
それはメーカー側からの押しつけや、雑誌やテレビなんかの情報操作もあるにはあるのだけどそれだけじゃない。
たとえばSONYなんかが斬新なデザインのものを発売して、
それが消費者に受け入れられて大ヒットしたりすると、
他のメーカーは一斉に右へならえでよく似た商品を発売してきて、
それがその時代のスタンダードになる。
つまり、メーカーに主導権があるものの、
時代の流行を作っているのは間違いなく消費者の時代感覚だろう。
メーカーは自分たちが流行を作っている気でいるかもしれないけど、
実際は受け手の感覚が選択している部分が大きい。

たとえば10年前とか20年前とかに録画したビデオを観ると、
その時のCMの商品は笑ってしまうくらい古めかしい。
その当時の最先端だったものほど。
でももちろん、その時はその商品を見て、私たちはすごく新しいと感じたのだ。
今の私たちが最新の商品を見て感じるのと同じように。
これってどういう精神的なメカニズムなのか分からないけど面白いよなぁ、
などと帰りの車の中で考えていたのだった。

時代は繰り返すとか、流行は10年周期とか言うけど、私はそうは思わない。
時代というのは常に一方通行で前にしか進まないのだと思う。
古いものはやっぱり古いのだ。
昔のものを肯定して今のものを否定する精神は好きじゃない。
私は常に新しいものを求めたいし、まだ見たことがないものを見たい。
たとえ今のものより昔のものの方が良かったとしても、
私はもっと先でそれよりも良いものを探して見つければいいと思ってる。
どんどん進歩し、変化していくPCが楽しみだし、大きく遅れながらも一所懸命後を追いたい。
生きている間、PCがどんなふうに変化していって、どんなことができるようになるのか、すごく楽しみだ。
少ない持ち金の中でいかにいいPCを手に入れたり改造したりして満足を得るか、
なんてのはきっとあの世ではできない楽しみだろうから。

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