2001.7.18-

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 7月31日(火) 「永遠=一瞬+一瞬+一瞬+……」

 相手に好かれるためにすることと、相手のためにすることって、違う。
 でも、恋に心が取り込まれてしまっている時はそのことに気づかない。どうやれば好きになってもらえるかってことしか考えられなくなってしまう。
 とはいえ、そういうことに気づいてしまうほど冷めた恋なんて詰まらないって言えば詰まらないし、このあたりのことが恋の難しさでもあり、面白さでもあるのだろう。
 大事なことに気づいたり、見失ったり、思い出したり。
 
                   *
 
 世の中には、何もしなくても不幸の方から避けていってくれる人種というのが確かに存在していて、たまに会ったり見かけたりするんだけど、そういう人を見るとなんだかとてもほっとする。なんていうか、世の中や人間も捨てたもんじゃないなって思えるから。
 でも私はそういうタイプとはちょっと違うし、そうなりたくないし、そうなれないだろう。
 私もあまり不幸には縁がない人間ではあるけれど、きちんと不幸を見極めて自分で避けていきたい。不幸と正面から喧嘩するんじゃなくて、迫り来る不幸をひらりひらりとかわしたい。
 不幸に関わっているほど暇じゃないから。
 
                   *
 
 人間の価値はピンチになった時分かる。何もない平和な時にいくら正しくて賢くて強くても大して意味はない。追いつめられた時、戦うべき相手と戦えるか、そこで価値が決まる。
 それと、大事なのは失敗しないことではなくて失敗した後、いかに失敗を取り戻すかだ。誰も完全ではありえない。時には取り返しのつかない失敗もする。でも大事なのはそこからだ。いかに誠実で速やかな対応ができるか、それが実力というものだろう。
 そのためには日頃から準備をして失敗に備えておかないといけない。あとは最悪な状況に陥った時の心構えをしておくこと。
 たとえ人生が思い通りにいかず、失敗に終わったとしても、失敗の後も人生は続くのだということを忘れないように。
 
                   *
 
 その人を好きになったら何でも許せると思う。
 でも、本当に好きになったらいろんなことが許せなくなってくる。小さな欠点や、自分の方を向いてない時間や、過去のことなどを……。
 だから、人は愛に逃避する。愛することでいろんなことをあきらめるのだ。あるいは、愛の名のもとに自分を誤魔化す。
 もし、相手のすべてを許せるとしたらそれは、恋愛とは別のものだろう。
 
                   *
 
 人生に成功や失敗はないのかもしれない。失敗人生、成功人生という言葉を私はよく使うのだけれど。
 あるのは、たぶん、いい人生と、悪い人生のどちらかだ。自分にとって自分の一生がいいものだったと思えればそれはもう他の誰かがなんと言おうともいい人生なのだ。
 
                   *
 
 愛する人の幸福のためにできること、それはなんだろうと考えてみる。
 もしここで愛する人が思い浮かばなかったとしたら、それは存在の危機を意味する。
 愛する人を持たない人間は非常にあやうい。存在価値がないと判断されても仕方がない。
 世界は部分で成り立っているけど、全体としてひとつなわけで、その全体にとって役に立たない人間は価値が低い。
 人は気づこうと気づくまいと、望もうと望むまいと、他人のために生きている。
 他人のために生きられない人間は、ただの場所ふさぎのタダ飯食いのようなもの。
 愛することは自分のためであると同時に他人のためであり、他人のためでありながら自分のためでもある。
 この構造を理解しておかないと。
 
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 私がしているのは、正論の逆説の逆説の正論を言うことだ。
 一周回って正論に戻ってしまったら意味ないではないかと思うかもしれないけど、そうじゃない。世界一周して元の場所に戻ってくることが無意味なことではないように。
 そうやって論理を一周まわすことによって論理は円になる。このことが大切なのだ。
 物事にはいろんな見方があって、いろんな解釈ができる。そのどれもが間違っていなくて、どこから見ても正解なんだということに気づくためには論理を円にする必要がある。そういうことだ。
 
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 人は誰も一瞬から一瞬へと移りながら生きている。だから完璧ではありえない。完璧とは全体で、人は全体があることは不可能だから。
 今できることをすればいい。というよりも、それしかないのだ。今しかできないことやること。そうやって部分を完成させていくことによって、部分をつないだ全体が完全になる。
 ジグソーパズルを完成させるためにはまずはピースが正しくなければならない。そのピースは一日いちにちだ。最初からできているわけじゃない。
 もし毎日を完璧に生きることができたとしたらば、人生は完璧になる。
 それは無理にしても理想を追いかけることはできる。
 今日をおろそかにして明日に完璧さを求めすぎると、人生全体を失うことになるだろう。ピースの数が足りなければいつまで経ってもジグソーパズルは完成しない。
 一日いちにちを大切に生きる、それは使い古された言葉だけど、でもそれはやっぱり正しい。
 
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 今日も「ファイナルファンタジー9」中心の一日。すっかり夢中になってしまって、他のことがだいぶ飛んでしまっている。ちょっとまずい。けど、今はこれでいい。「FF9」からも多くのことを学べる。
 
                   *
 
 今日、SONYのPCモニターが青ざめて私の顔も青ざめた。
 どういうことかというと、PCのモニターが突然青いフィルターをかけたように全体がうっすらと青くなってしまったのだ。突然。
 そしてその青はだんだん濃くなってきて、今度は緑色になった。
 思いもよらない事態にかなり動揺した私は、すかさずオークションのモニターを検索して買い換えの体勢に入ったのだった。色の付いたモニターで目がチカチカしながらも。
 でもちょっと冷静になってみるとまだやれることはあるかもしれないと思い始めた。
 とりあえずモニターの調節ボタンをあれこれいじってみる。うーん、一応色合いの調節はできるからそれっぽくはなったんだけど、どうもノーマルにはほど遠い。我慢できないレベルではないけど気になることは確かだ。長時間の使用は苦しいだろう。
 次に画面調整のプロパティで調節してみる。青、赤、緑の色をそれぞれ濃くしたり薄くしたりできるようになっているので色々試してみたのだけど、これでも納得いかない。気になる。
 ああ、やっぱり買い換えかぁと思いつつ、念のためPCとモニターの接続コネクタを外して、接点クリーナーで磨いて付け直してみた。
 すると、直った……ような気がするけど、どうもまだちょっとおかしい。いや、でもかなりノーマルに近い感じには戻った。今度は少し赤っぽい気がするけど。
 ふー、やれやれ、とりあえずは生き延びたようだ。今日、明日にでも買い換えなくてはいけないという事態は脱した。
 けど、きっと寿命に近づいていることは確かで、いつ同じ様な症状になるか知れたものではない。ここはやっぱりオークションをこまめに覗いて、安くてよさそうなものがあったら買い換えるべきだろう。モニターがないPCは、燃料と弾薬がなくなった戦車くらい役に立たない。
 VAIOのテレビチューナー付きモニターが本当は欲しいんだけど、あれは高いからなぁ。
 
                   *
 
 富士山を遠くから見ようドライブは今週の金曜に行けるかもしれない。今は暑くてロングドライブって気分ではないのだけど、ここのところどうもあれこれ滞ってるから、出掛けて風を入れたい。だから行けるものなら行こう。
 
                   *
 
 今日、テレビでこんなインタビューをしていた。
 選挙の日、内海海岸に遊びに来ている若い子たちに、政治に関するいろんな質問をしてみようという企画だ。
「小泉首相の本名は何?」とか「小泉首相がかかげるキャッチフレーズは何か?」などの質問に対して若い子たちが期待通りのトンチンカンな答えを繰り返していたのだけど、ある女の子にこんな質問がなされた。
「小泉首相は何党だと思いますか?」
 その問いに対して女の子は、自信がなさそうに、少し照れながらこう答えたのだった。
「……甘党?」
 今日からひと月くらいは思い出し笑いができそうだ。彼女には幸せな人生を送って欲しいと思う。
 でも実際、小泉首相は甘党なのだろうか? だとしたら彼女の答えは正解ということになる。もしそうなら笑ったことを彼女に謝らないとな。
 
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 今日のための言葉
 
「歌に上手い下手ってないんですよ。あるのは、いい歌とそうじゃない歌だけで」
 
 森進一

 7月30日(月) 「韻文的一日」

 深夜、窓の外で一匹の蝉が鳴いている。弱々しく、今にも消えそうな声で。
 まだ夏は始まったばかりだというのに、もういってしまうのか?
 命の最後に、何を思う?
 この世界は、きみが土の中で7年間夢見たものだったろうか?
 でも確かにこの世界に生まれ、生きた。それだけは間違いなくて、その事実はたとえこの世界がなくなっても消えることはない。
 
 ジジッという鳴き声と共に蝉はどこかへ飛び去ったようだ。
 もうすぐ夜が明ける。明日もまた生きられるのだろうか?
 
                   *
 
 心がざわめく。ザワザワザワと。かすかな音を立てて。
 深い森の中で、動物たちが何かに怯る気配のように。
 崩壊と絶望の予感はいつでも身の回りに漂っていて離れようとしない。
 しかし、捕まえようとしても姿を現さない。
 それにしても私は一体何に怯えているのだろうか?
 
                   *
 
 ありもしない正解をいつまで探しているんだ?
 探すことで誤魔化しているだけなのか?
 けど、この時代、正解を本気で探している人間はそんなに多くない。だから私は探す。探さなければ絶対に見つからないのだから。
 非難も嘲笑も罰も、覚悟しなければならないだろう。でもそれでも見つけたい、探し続けている正解を。
 
                   *
 
 ささやかすぎる思い出を頼りに生きるのは、洞窟の中で夜露をなめて生き延びる世捨て人のようなものだ。
 思い出は倒れそうになるのを支える杖だ。でも杖を抱えていたのでは全速力で走れない。走るときは潔く杖を投げ捨てなくては。
 私たちは思い出を作るためにこの世界に生まれてきたんじゃない。
 
                   *
 
 憂鬱は伝染病だ。人にも伝染するし、自分の心も浸食する。
 ひとつの憂鬱事が横ズレして、次々と他の心配事に感染していく。ほとんど一瞬で。
 憂鬱は根本から絶たないと駄目だ。そのためのワクチンはある。必ずあるはずだ。それさえ見つければ完治する。
 憂鬱を侮って放っておいてはいけない。
 
                   *
 
 小さな子供を連れた自分より若い母親を見て思うこと。
 ーー失った時間の大きさ。
 私は自分の子供よりも大切なものを手に入れたのだろうか? あるいはこの先で手に入れることができるのだろうか?
 けれど私は知っている、失った時間に意味を持たせることができるのは未来の自分だけだということを。
 
                   *
 
 好きになれる人と好きになれない人との間には広くて深い溝がある。好きな食べ物と嫌いな食べ物の関係とは根本的に違う。
 けど、もしその溝を跳び越えることができたなら、もう後戻りすることはないだろう。
 だとしたら、むしろその溝は広くて深いほどいいのかもしれない。
 
                   *
 
 根拠のない恋愛感情は長持ちしない。
 恋はどうしたって揺れるし、迷う。その時その恋に引き戻すことができるのは、その人を自分が好きな理由と、その人じゃなきゃ駄目だという根拠だけだ。
 人を好きになるのに理由はいらないと言う人がいるけど、私はそうは思わない。人を好きになるには理由が必要だ。そして、自問自答した時、その根拠を答えられない恋はやがて失われるだろう。
 
                   *
 
 正しい思考をするためには絶対的な思考の量と時間が必要不可欠だ。仕事帰りと週末だけの思考量では、小説家にはなれても絶対に哲学者や詩人にはなれない。
 哲学者や詩人は専門職だ。別に偉いわけでも正しいわけでもないけれど、でも片手間でつとまるほど簡単な仕事ではない。
 
                   *
 
 思考や感情を的確に捉えるだけでは充分ではない。
 捉えるべき思考や感情を正確に捉えて、過不足ない言葉で表現してみせなくては。
 歌うべき価値のない歌をどれだけ上手に歌っても意味がないように。
 
                   *
 
 人生をもう一度やり直せるとしたら、身長をあと10センチ高くしてやり直してみたい。
 10センチで人生はどれくらい変わるだろう?
 何も変わらないことはないと思う。女の子の場合、170センチを超えてしまうとかえって人生の可能性が狭くなってしまう部分がある気がするけど、男の場合、180センチあると可能性が広がる。
 もちろん背の高さが絶対的な要素ではないことは知っているけれど、より多い選択肢の中で自分がどの道を選んでどんな人生になるのかということに興味があるということだ。
 10センチ高い場所から見た世界や人間はどう見えるのだろう?
 
                   *
 
 高い視点を手に入れたら、今度は低い視点を手に入れなくてはいけない。努力して。
 高い場所からは全体がよく見えるけど部分は見えないから。
 世界が見えるということは、全体も部分もよく理解してるということだ。どちらか一方だけ詳しくても意味がない。
 
                   *
 
 幸福も不幸も時々邪魔くさい。
 もし毎日が幸福だったら、それはそれで疲れて嫌になってしまう気がする。
 幸福は高級料理のようにたまに味わうのがいい。その方がありがたいから。
 
                   *
 
 毎日が人生。人生は毎日だ。
 生きることは日々を暮らすこと。生活イコール人生とは思わないけど、人生は日々にしかない。
 人生は日常なんだという当たり前のことに最近ようやく納得できるようになった。
 人生はここではないどこかにある、といつも思ってきたけどそうじゃなかった。人生は、今、ここにしかない。
 もっと毎日と対峙すること。それがこの先の大きなテーマになる。
 人生が成功でも失敗でも、大切なのは毎日だ。
 
                   *
 
 過去の素敵な物語は未来の私たちへのプレゼント。
 では私たちが過去の人たちに贈れるものは何か?
 感謝の気持ちは未来の人たちに届ければいい。
 もっと素敵な物語を。
 
                   *
 
 昨日の散文的な一日の反動か、今日は韻文的な一日だった。
 やや沈みがちで暗くて重い。
 けど、これくらいだと言葉が生まれやすいから私にしてみたらいい感じだ。
 こんなトーンの時は、人に対して優しい気持ちになれる。
 
 過ぎていく日々に思いを馳せ終わったら、次は明日に思いを向けよう。
 いつだって、昨日より今日、今日より明日の方が大事なのだから。
 
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 今日のための言葉
 
「忙しい人間は涙のための時間を持たない」
 
 ジョージ=ゴードン・バイロン

 7月29日(日) 「良くも悪くもない駄目な一日」

 散文的な一日。思考もひどく散文的で何も考えられない。思考が足りなければ言葉も足りない。感情も足りない。
 こういう不幸でも幸福でもない一日というのは、たぶん一番駄目なんだと思う。善人でも悪人でもない人間が使えないように。
 今日は本当に何もない日だった。
 
                   *
 
 いくら罰金を取られるなら選挙に行くだろうか、と考えてみる。
 500円なら行かない。
 1,000円ならちょっと迷ってやっぱり行かないだろう。
 2,000円ならどうする? これは迷う。当日の気分次第か。
 3,000円なら行くしかないなと思うだろう。
 
 選挙に行く人間と選挙に行かない人間は、どれだけ自分の正当性を主張しても結局は理解し合えないような気がする。それぞれの論理ともない論理がかみ合わず。
 私は選挙に行かないから行かない人間の論理は分かる。
 つまり、行く価値がないからだ。義務とか権利とかは関係ない。
 じゃあどうすれば行くか? 答えは簡単。総理大臣国民投票制にして、インターネット投票可にすればいい。
 ま、それでも投票しない人はしないけど。
 ただ思うに、投票率があまりにも高いというのは逆に良くない傾向だ。高い投票率は、国民が切羽詰まっていて今の状況をなんとかしなくてはいけないと考えている証拠だから。
 
 選挙は行きたい人が行けばいい。それだけの話だ。
 しかし、あの候補者の顔ぶれを見て、人はどんな夢を見て、どんな希望を託すのか?
 専門の学校へも行かず、特別な勉強もせずになれる国会議員なんてものが偉いとはどう考えても思えないのだけど。
 少なくとも立候補者に一般常識と政治経済に関する筆記試験をすべきじゃないのか?
 
 それにしても選挙速報は勘弁して欲しかった。観たい番組が全部飛んでしまうんだもの。
 あそこまで全部の局が延々とやらなくてもよさそうなものだけどな。
 
                   *
 
 さほど不幸ではないということが慰めになることはない。
 自分より不幸な人間がいることを知って一時的に気持ちが軽くなることはあるけど、それでは根本的な解決にはならない。

 幸福であるためにはどうすればいいのか? それは、過去の幸福を忘れることかもしれない。過去の幸福と今を比べるから今が実際以上に不幸に思えるのだ。
 過去の幸福を忘れて新しい幸福を探すこと。それが正解だろう。そしてそれは、他人とも関係性にも言えることだ。
 
                   *
 
「ファイナルファンター9」を始めた。
 面白い。というか、楽しい。最初から戸惑うことなく、すぐにシステムにも慣れて、世界観にも馴染めて、退屈することなく楽しめるRPGなんて、本当に久しぶりだ。「FF8」でも面白くなったのは中盤以降だったのに。
 もう「FF10」が出てしまった今だけど、この「FF9」はシリーズ最高の出来だろう。少なくとも私にとってみたらそうだ。すごく気に入った。7時間やって、ここまでまったく文句のつけようがない。
 内容、キャラクター、ゲームシステム、グラフィック、ムービー、どれを取っても洗練されていて高水準でまとまっている。スクエアの底力を見た。
 どんなゲームでも文句をつける人間はいるもので、それはそれで一つの意見として認めるけど、この「FF9」に注がれた多くの才能は非難の対象にはならない。
「FF9」は間違いなく一級品だ。それは個人の好き嫌いの問題じゃない。
 
                   *
 
 世の中には、自分の好き嫌いを語る権利と作品を批判する権利を混同してる人間が多い。
 誰でも好き嫌いを語る権利はある。でも、批判する権利は一部の人間に限られているのだ。それは暴論に思うかもしれないけどそうじゃない。批判したければ批判できる立場の人間になる必要がある。
 つまり、作品の創造者だ。
 作品を作ってみれば分かる。作品を作ることがどんなに難しいかが。
 そして思うだろう。人の作品をそう簡単に非難できるものではない、と。
 
                   *
 
 今日は最後まで低調な一日だった。まさか巨人の自力優勝が消えたからとかそういうことではないと思うけど。
 いや、実はもっと他に原因があって、それをなんとかしなくちゃいけないんだけど、さて、どうしたものか。
 けど、この詰まらないと感じてしまう毎日の理由はやっぱりそこにあるのだろうから、やっぱりどうにかしなくては。
 今の毎日は喜怒哀楽のすべてが足りない。
 
 明日は積極的に動こう。行動することで心も動かしたい。心が淀んでる。風を吹かせ、かき混ぜなくては。
 新しい一日を生きる自覚を持って。
 
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 今日のための言葉
 
「どうしてそんなに自分を美化しようとするんだ?」
 
 映画『フローレス』より

 7月27日(金) 「生きられる理由」

 この世界のすべてを愛せるわけではないけれど、それでもこの世界を愛したい。
 努力して無理矢理ではなく、自然に、当たり前に。
 それは所詮祈りに過ぎないのか?
 だとしても私は夢を見よう。
 愛の夢を。
 夢を見られなければ、この世界に負けてしまう。
 
                   *
 
 結局のところ私が言いたいのは、人生は色々あるけど、生きることはやっぱり楽しくて、この世は嬉しいことであふれてるということだ。つらいことよりも楽しいことや嬉しいことの方が多いはず。
 私たちは何故生きているのか?
 それは楽しいからだ。じゃなきゃ耐えられない。
 楽しいーーそれが生きる基本であり、生きることに迷った時、帰っていくべき場所だろう。
 生きることは、美しくもないし、素晴らしいことでもないけれど、愛すべきことであることだけは間違いない。
 生きる価値はある。確かにある。
 
                   *
 
 不幸になることで真実に目覚めているようじゃ駄目だ。遅すぎる。
 幸福であることからこの世界の真実に気が付かないと。
 痛い目にあってから学習してるようじゃいつまで経っても充分賢くなれない。

                   *
 
 人は親になって得られるものはとても多いのだけど、同時に失ってしまうこともたくさんある。
 それは時間とか、自由とかそういう物理的なものではなくて、なんというか視点みたいなものだ。
 親の視点を得ることで純粋に人間としての視点を失ってしまう気がする。
 子供が自分の分身ならば、子供を持つことで自分の一部を失ってしまうのは当然のことなのかもしれない。
 
                   *
 
 生きることを突き詰めていくと単純さに行き着くのだけど、必要以上に生きることを単純化してはいけないと私は思う。
 たとえば、信仰だけに生きたり、恋だけに生きたり、仕事だけに生きたり。
 そうすれば生きることはとても単純になる。でも、それはどこか違っているような気がするのだ。
 以前の私は、悟りを開くことがゴールだと思ってた。けど、今は気づいた、悟りを開くのはより良く生きるためだということに。
 信仰も恋も仕事も、自分の人生を豊かにするためにすることだろう。それらは人生の本質ではない。一部だ。
 大切なのは、人としてどこまで成長できるか、そして、人に対してどれだけのことができるか、だ。
 いつか、みんな気づくのだろうか、自分の幸福を求めることが人生の本当の目的ではないということに。
 
                   *
 
 誰も何も間違ってない。
 これは本当なのだ。
 この世の出来事は、何一つ間違っていない。
 何故なら、絶対的な基準がないから。
 この世界にあるのは二つ。起こったことと、起こらなかったこと。
 すべては間違ってないし、正しくもない。
 
                   *
 
 人生を変えるのは人との出会いだ。人と出会うことで人生は動く。
 新しい出会いが取り返しのつかない不幸を呼び込んでしまうこともあるけれど、リスクを覚悟しなければ本当に欲しいものは手に入らない。危険だからといって一人でいたら、いつまで経っても人生は動かないまま年老いて死んでしまう。
 出会うことを恐れないように。
 
                   *
                   *
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 ここのところ低調ともいえない低調が続いている。やる気が出ないのは暑さのせいだけじゃないだろう。
 全体的な流れも悪い。
 今週はもうこれでロングドライブもないし、大きな動きがないまま終わってしまいそうだ。
 来週はちょっと動こう。8月になることだし。
 
 メモリを更に増設した。
 160MBから32MB足して(32MBを64MBに差し替え)、192MBにしたのだけど、ほとんど変化はない。少しHDの読み込みが減ったくらいだ。
 時々動作が鈍くなるのはメモリ不足ではなく、Windowsのせいだということがはっきりした。
 Windowsってどうも好きになれない。誰かWindowsよりも優れたOSを開発してくれないだろうか。
 メモリ増設はもうここで終わりにする。しばらくPCのフタを開けることもないだろう。
 ADSLにもなったし、PCでやることはしばらくなさそうだ。
 
 ゲームはけっこう気持ちが続いている。「FF8」以来かなり戻った。
 が、それにしても「ドラクエ7」は面白くない。楽しくないのだ。中盤に入って乗れないということはこのまま最後まで駄目なんだろう。とりあえず早く終わらせてしまおう。
 オークションで「FF9」をようやく落札できた。PS2で出た「FF10」を先にやってしまおうかとも思ったのだけど、やっぱり順番を守った方がいい。先に「10」をやってしまうと「9」に戻る気になれなくなってしまうかもしれないし。
 
 この前買ったNINTENDO64は「マリオカート」と「オウガバトル64」をやっている。まあまあ楽しめてるかな。
 けど、やはりN64は他のPSやDCとは何か異質なものを感じる。良くも悪くも。
 任天堂テイストか。
 キューブがDVD−ROMになってどの程度このテイストを残すのか楽しみ。PS2に近づくのだろうか?
 
 映画はビデオで『M:i-2』を観た。
 予想してたより10倍くらい面白かった。個人的には一作目よりずっと良かった。というか、まったく別の作品と思った方がいいだろう。二作目の方が断然出来がいい。
 みんなあんまり誉めてなかった気がしたけど、私はこの作品を買う。かなり上質のスパイ・アクションだと思う。

                   *
 
 明日は放っておくと徹底的にルーズになってしまいそうなので、なんとか無理矢理にでもタイトにしなければ。
 普段延ばしのばししてることをいくつかまとめてやろう。
 
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 今日のための言葉
 
「出会えたことから すべては始まった
 傷つけ合う日も あるけれども
 一緒にいたいと そう思えることが
 まだ知らない明日へと つながってゆくよ」
 
 Every Little Thing「fragile」より

 7月25日(水) 「短すぎる永遠」

 永遠とは、今から死ぬまでの間のこと。
 私たちの永遠には致命的な水漏れ箇所がある。修復不能な。
 そして、私たちの永遠は、思っている以上に短い。
 夏休みのように。
 
                   *
 
 思い出は大事なもの。でも必死になって抱えるようなものじゃない。
 記憶からこぼれていく思い出は、こぼれるに任せればいい。
 いつまでも覚えておかなければならない思い出なんてものはたぶん何もないのだ。
 
                   *
 
 人間には深層心理がある。
 ということは、浅層心理や中層心理というものもあるはずだから、そういう心理もちゃんと研究した方がいい。深く潜るほどいいってわけでもないから。
 
                   *
 
 個性のない奴なんかいない。だから、個性なんてものは免罪符にはならない。
 存在の正当性を証明したければ絶対的なオリジナリティを持つことだ。
 人と違ってることが正しいのではない。自分の代わりになる人間がいないことが正しいのだ。
 いくらでも代わりがきくような個性では意味がない。
 
                   *
 
 結婚は恋愛のゴールではない。結婚は恋愛の折り返し地点だ。だから油断しちゃいけない。
 恋愛のゴールは死でもない。心中は途中放棄だ。
 
                   *
 
 人は本当に欲しいものの代用品で我慢してるだけだ。
 どんなに満たされているように見える人でも、その心の中をのぞいてみるとおそらく満足からはほど遠い。本当はもっと欲しいものが他にある。
 趣味に走る人間は愛が足りなかったり、仕事人間は夢をあきらめてしまった人間だったり、愛に溺れる人間は人生の目標が見つけられなかったりする。
 本人にその自覚がないことが多いのだけど。
 
                   *
 
 ないことが不幸なのではない。足りないことが不幸なのだ。
 最初からなければあきらめもつく。でも足りないという感覚は喉の渇きに似て、我慢できない。
 今の私たちは何もかもが足りない。持っていないものは、もしかしたら何もないのかもしれないけれど、でもすべてが足りない。
 私たちが不幸から逃れるためには、たえず自分が欲しているものを与え続けるしかない。もはや我慢することで不幸から逃れることはできないのだから。
 
                   *
 
 恐怖を知らない人間は絶対に強くなれない。
 強さというのは恐怖を感じないことではなく、恐怖を克服することだから。
 人間の本質は弱さにある。けど、弱さに甘んじてはいけないと私は思う。
 空から金が降ってこないように、天から強さも降ってはこない。だから、強さは自分で獲得するより他にしょうがない。
 恐怖を乗り越えて、強くならなくては。
 まずは根本的な部分で強くなること。
 優しさや賢さはその後でも充分間に合う。
 
                   *
 
 時は与え、そして奪う。何もかも。
 時は優しいところもあるけれど、でも本当は非情だ。情けなど一切ないのだから。
 私たちは時の奴隷だ。逆らうことを許されない。
 いつか、私たちはこの時の支配から逃れ、自由の身になることができるのだろうか?
 私はなれると思う。
 けど、今じゃない。もっと人間は成長した時だ。今の人間では本物の自由には耐えられないだろう。それほど成熟していない。
 だから、もうしばらくは時の支配に身を委ねよう。自由になる日を夢見ながら。
 
                   *
 
 この世は恐ろしく不幸な出来事に満ちているけれど、現実問題として、私たちはその不幸をどうすることもできない。空を飛んで次々に不幸をやっつけるなんてことはできやしない。
 それは仕方がないことだ。人の不幸を見て見ぬふりをしている、という非難は正しくない。
 逆に言えば、誰も自分の不幸をやっつけに来てはくれないということだ。だから、私たちは自分の不幸は自分でどうにかするしかない。戦ってやっつけるか、それとも逃げるか。
 自分とは関係ないところで起こっている不幸に対して何も感じないというのは、人間としては正常な感覚だろう。もし、世の中すべての不幸に対していちいち心を痛めていたら、毎朝新聞を読むたびに気が狂ってしまう。
 他人の不幸は他人の不幸。それでいい。
 
                   *
 
 長く生きれば生きるほど、死人の知り合いが増えていく。
 そして、それだけ人生が重くなっていくということでもある。
 それでも死人は死に続け、私たちは生きている。
 死を思うことで生を思い出す。
 確かなことは、死んでる場合じゃないということだ。
 
                   *
 
 生きることは恥ずかしいことだ。恥じる必要はない。
 きれいに生きるために何もしないより、恥ずかしいことでもたくさんした方がいい。
 大切なのは、どれだけきれいに生きたかではなく、どれだけ多くのことをしたかだから。
 
                   *
 
 自分が求めているものが、もっと複雑で絶対的な幸福なのか、それとももっと単純なものなのかが時々決定的に分からなくなる。
 求める幸福の形が見えなくなってしまうのだ。
 それは誰でもそうなのかな?
 
                   *
 
 どんなに頑張っても今日の中で人生の結論が出るわけでもないけれど、でも今日の限界まではいきたい。そうじゃないと明日に上手くつながらない気がするから。
 想いもすべて言葉に換えて、今日に置いて明日に向いたい。
 一日の始まりは身軽なほどいいから。
 
                   *
 
 人は誰も、心の扉をノックしてくれる人を待ち続ける。
 だったら、待つだけではなく、自分から誰かの扉をノックしてあげればいい。
 ノックしても応えてくれないかもしれないし、人違いかもしれない。
 でも、きっとその人は救われる。わずかかもしれないけれど。
 
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 今日のための言葉
 
「『永遠に待つって言ったのに……。』
 『永遠は長すぎたわ、トリスタン……。』」
 
 映画『レジェンド・オブ・フォール』より
 
 7月23日(月) 「大事な言葉の行方」

 すでに始まり、そして終わろうとしている今日なんてどうでもいい。大事なのは、明日何処へ向かうかだ。その決意と覚悟だ。
 明日、どうする? また今日と同じ一日を繰り返す?
 
                   *
 
 私は今までずっと前へ向かって言葉を投げてきた。未来の自分や未来の誰かに向けて。
 でも最近になって、後ろに向かって投げる言葉が増えてきているような気がする。
 それは成長の証なのだろうか? あるいは、後退なのか?
 先が短くなっているからなのか、それとも死の予感なのか。
 でも本当は、言葉というのは投げるものではなく自分が通った後に落としていくものなのかもしれない。
 
                   *
 
 君は恵まれてるから幸福を感じろ、という論理は好きじゃないし正しいとも思えない。
 いくら周りから見て恵まれているように見えたとしても本人が不幸だと感じたならそれはやっぱり不幸なのだ。そのことは認めてあげないといけない。
 身勝手な価値観の押しつけでその人の価値観が歪んでしまわないように。
 
                   *
 
 恋愛が下手な人間は恋愛のバランス感覚が先天的に狂ってるのだ。
 好きになるべき人を好きになれずに、好きになっても自分を好きになってくれない人ばかり好きになる。
 それはやっぱり欠陥だろう。音痴みたいなものだ。
 
                   *
 
 成長することは正しいこと。でも成長しなければいけないというのは恥ずかしいことでもある。
 努力は美徳じゃない。恥に近いものだ。だから、するなら人に知られないようにこっそりしなければ。
 
                   *
 
 日々新しい自分を生きているのに、人はその感覚を上手く掴めない。
 感じたければ旅をするか恋をすればいい。そうすれば毎日違う自分を発見する。
 
                   *
 
 旅が長くなれば思い出も増えるし、言葉も増える。
 でも、同時に言葉にできない想いも増えていく。
 大切な人に伝えられなかった大事な言葉は、一体何処へ行ってしまうんだろう?
 いつまでも消えることなくこの世界の空をさまようのだろうか?
 それとも、種となって誰かの中にそっと植えられるのだろうか?
 
                   *
 
 私は悩んでない。考えているだけだ。
 何を考えているのか?
 考えなくてもよくなる方法を考えている。
 いつか思考から解放される時は来るのか?
 
                   *
                   *
                   *
 
 今日は夜「あいのり」を観てから、「あいのり」のHPをずっと読んでいた。最初から最近までの軌跡を。
 本当にいろんなことがあった。たくさんの恋があって、多くの人が来て、また去っていった。その一つひとつを思い出していた。
 思い出のトーンは少し重たい音色で、色もくすんでいて、でも優しい。
 
 恋は運命なんかじゃない。人が見つけ、育てるものだ。
 恋はこの世で一番……。一番どんなものかはよく分からないけれど、一番何々という冠が付く何かであることは確かだ。

 ちゃんと恋を探してますか?
 
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 今日のための言葉
 
「彼は私が好きになって諦めてきた人にすごく似てる。感情をあまり表に出さないからつかみにくい人。だから一緒にいてすごく辛い恋愛」
 
 「あいのり」みゆきの日記より

 7月21日(土) 「小さな幸せコースと大きな幸せコース」

 人は若さゆえに多くの過ちを犯す。
 けれど、歳を取れば一方的に賢くなっていくわけではない。経験と知識が物事の本質を見誤らせることもある。
 人は、賢くなると同時に愚かにもなっていく。
 大切なのは、若者と老人が互いに敬意を表すことだ。互いに侮り合っていても得られるものは少ない。
 
                   *
 
 知っているだろうか、小さな幸せをいくら集めても大きな幸せにはならないということを。
 小さな幸せは最初から最後まで小さな幸せのままなのだ。全部足して大きな幸せにすることはできない。小さな画面のテレビをいくら並べても大画面にはならないように。
 人生には二種類のコースがある。小さな幸せを求めるコースと、大きな幸せを求めるコースが。そう、道が最初から違うのだ。途中で交わってはいないし、コース変更もきかない。
 
                   *
 
 賢さが答えにならないことに気づくためには、賢さを追求して何十年か生きなければならないだろう。
 賢さは答えにならない。それは人に教えてもらうことではなく、自分で気づかなければならないことだ。
 賢さは虚しく、果てがない。
 
                   *
 
 人は代価を支払わなければ物の価値が分からない。
 どれだけ学習しても、タダのものの価値を正確に判断できるようにはならないだろう。
 命の価値も、死をもってしか知ることができない。
 
                   *
 
「難しい」という言葉をなるべく使いたくない気分が私の中にある。
「思っていることを正確に伝えるのは難しい」とか、「生きることは難しい」とか、「忙しい毎日の生活の中で時間を作るのは難しい」とか。
 難しいことは確かにたくさんあるし、弱音を吐きたくなることもある。でも、なるべく言いたくない。それは、たいていの場合、難しいと口にすることで自分を守っているにすぎないから。
 だから、こう言おう。「できるだけやってみようと」と。そして、「やっぱりできなかった」と。
 
                   *
 
 二年前見えなかったことが今ははっきりと見える。
 前にあるものを見る時、人はその後ろ姿しか見えない。あるいは前を行く人を見る場合もそうだ。
 その物事や人を追い抜いて振り返った時初めて正面の姿を見ることができて、その全体像を知るのだ。
 後ろ姿だけで批判してはいけない。後ろからの非難にはまともに取り合う必要はない。
 
                   *
 
 説教や体罰は願いや祈りのようなものでなくてはいけない。
 感情から出た説教や体罰は無意味に他人を傷つける。
 そして自分も貶める。
 
                   *
 
 まったく無駄なことをやるのはつらいけど、ほとんど無駄なことならやってもいい。
 生きるということはそういうことかもしれない。
 
                   *
 
 雨降り後の水たまりで釣りをしている人がいたらみんな笑ったり馬鹿にしたりするだろう。
 でも、その人間が毎日30年間、同じ場所で釣りをし続けたらどうだろう?
 人はその人を哲学者と呼ぶかもしれない。
 どんな下らないことでも続けていれば意味が生まれるものだ。
 何かで人に評価されたいと思えば、とにかく続けることだ。何十年も。もしくは死ぬまで。
 価値があるかないかなんて考えなくてもいい。
 
                   *
 
 危機はチャンスでもある。それを乗り越えれば今まで以上にいろんなことが上手くいくようになるのだから。
 ピンチはチャンス、という言葉があるけど、それは本当だ。不幸は戦う理由を与えてくれる。
 
                   *
                   *
                   *
 
 あああー、海行きてえ〜。
 と、ふいに心が叫んだ。深夜の静かな部屋で。
 いや、でも本当に海に行きたくなってきた。海が見たい、波の音が聞きたい。潮の香りをかいで、潮風に吹かれたい。
 海は、なんというか、生命力が有り余っていて、そばにいると元気になるからいい。
 あとひと月以上シーズンオフだけど、我慢できるだろうか。平日、そばを通るだけなら大丈夫かもしれないから、どうしても行きたくなったら行ってみよう。
 
 少し前まで私は自分を山の人間だと思っていた。田舎は山に囲まれていて、夏休みなんかはいつも山で遊んでいたし、海のそばに住んだこともなくて、海はめったに行かなかったから。
 でも30を過ぎて、突如海が好きになった。今は山よりも海の方が好きだし、自分に近いものを感じる。どうしたことか。何か自分の中で変化があったのだろうか。
 そのへんはよく分からないけれど、とにかく今は海だ。海に目覚めた。
 この調子だと、10年後くらいにサーファー・デビューするかもしれない。それとも素潜りの方が面白いかな?
 
 そうだっ、そういえば私は水瓶座ではないか。
 ……。
 関係ない?
 
                   *
 
 川村結花の曲が聴きたくなってレンタル屋を回ったら、置いてないっ。なんてこった。
 仕方ないのでオークションで探したら、なんとか見つかった。一番聴きたかったアルバム「Lush Life」が800円。送料や振込手数料を考えると高くついてしまうけど、MDにコピーしてまた売れば差額は400円くらいだからレンタルとさほど変わらないか。
 しかし、川村結花は思っている以上にマイナーらしい。SMAPの大ヒット名曲「夜空ノムコウ」の作曲家だというのに(作詞はスガシカオちゃん)。
 
 さて、そのアルバムが今日届いたので早速聴いてみた。
 うーむ、なかなかいいかもしれない。かなりいい気がする。
 もう少し聴き込んでみないとないとも言えないけど、暗すぎず、明るすぎず、センチメンタルすぎず、べとついたラブソングでもない。そして何よりオリジナリティを感じさせるのがいい。過剰じゃないけど、平凡ではない。これは久々の当たりの予感がしている。
 
「夜空ノムコウ」のセルフカバーもSMAPバージョンとはかなり違っていて味わいがある。
 基本的に男の側の歌だから、少し違和感というか不自然さはあるものの、悪くない感じだ。気に入った。
 でも、こうなるとスガシカオの「夜空ノムコウ」が聴きたくなってくる。考えたら断然聴きたい。SMAPバージョンもかなり良かったけど、これをスガシカオが歌ったらもっといい曲になる気がする。アルバムに入れてくれないだろうか。ライブでは歌うことがあるらしいけど、ライブに行くまでの入れ込みではないからなぁ。
 テレビか何かで一回でも歌ってくれれば録画しておくんだけど。
 
 それはそうと、川村結花はおすすめ。機会があったら一度じっくり聴いてみてください。
 
                   *
 
 ストイコビッチが今日でJリーグ最後だった。
 まだ寂しいという気持ちにはならいけど、時間が経つに連れてだんだん寂しくなっていくに違いない。
 あれから7年か。真っ赤なジャケットを着て名古屋空港に現れた時の姿が今でもしっかりと映像記憶として残ってる。
 おいおい、また派手なやつが来たなぁ。こいつホントにやるんかい、と疑ったことも。
 最初の頃はなにかっていうとレッドカードばっかりで見ててイライラしたものだけど、やっぱり彼は偉大なサッカープレーヤーだった。
 上手な選手はたくさんいる。でも観る者を魅了する選手は少ない。彼はサッカーが美しいスポーツだということを教えてくれた。
 スターとは輝くこと。またひとつ、Jリーグから輝きが失われた。
 ジーコが引退し、中田がいなくなり、ストイコビッチも、小野もいなくなる。また寂しくなるな。
 
                   *
 
 やがてすべてが古びてしまうだろう。
 そして、そこから新しいものが生まれてくる。
 
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 今日のための言葉
 
「……これも人生だ」
 
 ドラガン・ストイコビッチ

 7月19日(木) 「両方大事」

 微妙に狂っていく毎日の中で、私たちができることは限られている。
 可能性はたくさんあっても実際にできることは少ない。
 大切なのは現実を知ること。そして人間を理解することだ。その上で現実を突破する試みが必要になる。
 絵空事に意味はないし、きれいごとだけは何も解決しない。理想を描かなくては。
 成すべきは、現実を知り、理想を描き、その間を埋める作業だ。
 理想主義者も、現実主義者も、未来では生き残れない。
 
                   *
 
 始まってしまえば終わりが来る。だから始めたくない、という気持ちもある。
 そういう時、どちらが不幸なのかの判断に迷う。始まらないことか、終わってしまうことか。
 たとえば、憧れの恋とか。
 
                   *
 
 エンディングのないゲームがたまにあるが、あれはひどく退屈なものだ。もしくはすぐに飽きてしまう。
 エンディングのないゲームをやると、不老不死なんてものはいかに詰まらないものかということがよく分かる。
 どんな面白いゲームも、どんな楽しい人生も、終わりがあるからいいんだ。
 変わらない愛なんてのも退屈でしかない。
 人生を面白くしている一番の要因は間違いなく、死だ。
 
                   *
 
 私がもっと若い頃に信じた真実や、感じた正しさに対して、今の私は心動かされることはない。けれど、この感覚はどちらも正しいのだと思う。過去の感覚も、今の感覚も。
 真実や正しさなんてものは、万人にとっての普遍的な答えなどではなくて、個人がその時々で自分を修正したり向上させたりするために利用するヒントに過ぎないのだから。
 20歳過ぎの私はアイルトン・セナの生き方や考え方が絶対的に正しいと思ってた。でも、彼が死んだ歳に近づいた今の私には彼の限界が見えるし、彼の考え方が一面的すぎることも分かる。けれど、あの時の私は彼から多くのものを学び、多くを感じたことは間違いなくて、それで充分なのだ。過去の盲信を否定する必要はない。
 大切なのは、学び、成長することだ。正しく在ることではない。
 前進することだけが人の存在を正当化する。
 
                   *
 
 人は誰も、部分しか生きられない。全体を生きることは不可能だ。
 だから自分のパートを全うするしかない。それでいい。
 
                   *
                   *
                   *
 
 今日、PS2の「ファイナルファンタジー10」が発売された。
 買いたい……。
 やりたい……。
 でもなぁ……。
 今はやらなくちゃいけないゲームが家にたくさんあるのだ。うなってる。この状況の中に「FF10」を入れ込む余裕はないだろう。いや、少ししか……。
 やっぱり買ってしまおうかな。もしかしたら明後日にも死んでしまうかもしれないし。
 がしかし、今日、NINTENDO64が届いたのだった。そう、「オウガバトル64」もやらないといけない。
 うえーん、どうしよう。迷うなぁ。まだ「ドラクエ7」も中盤の手前だし。「FF9」もできたら先にやりたいところだし。
 しょうがない。一晩寝て考えよう。深夜の欲望や決定や決意はあまり信用しない方がいい。
 
                   *
 
 あんまり暑いんで、髪をカットした。もちろんいつものように自分で。
 だいぶすっきりした。やっぱり髪の毛の長さで暑苦しさというのはずいぶん変わるものだ。
 今回は失敗しなかった。鳳啓介にも、大槻教授にも、いとうせいこうにもならなかった。
 
                   *
 
 インテグちゃんの磁場は完全に直った。今日一日注意して見てたけど、ちゃんとコンパスは正しい方角を示していた。よしよし。もう安心だ。二度と山奥の峠道で迷ったりするもんか。
 
                   *
 
 ADSLは早くもスピードに慣れてしまった。あぁーれぇー。
 それはちょっと早すぎるだろうと思うけど、でも実際問題これがごく当たり前のスピードだと思えるから仕方がない。56Kモデムがいくらなんでも遅すぎるのだ。
 人間にはある程度スピード感に対する共通の認識みたいなものがあって、たとえば車の運転なら、60キロは普通で、40キロは遅くて、100キロは速い、というのが一般的だろう。
 そういった感覚からすると、56Kはいかにも遅い。1Mも速くない。これくらいが普通だとみんな思うのではないだろうか。

 ネットをしてる全員がADSLレベルの1M程度の通信速度になれば、ネット事情も大きく変わるだろう。特に個人のHPが変わるはず。画像はもちろん、当たり前に動画を扱えるようになればもっといろんなことができるから。

 それにしても人間というのは贅沢に慣れるのが早い生き物だ。たぶん、どんな贅沢にも慣れることができるだろう。
 そして、一度贅沢を知ったらもう元には戻れない。
 
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 今日のための言葉

「来年の目標は、更に上達することだ」
 
 タイガー・ウッズ

 7月18日(水) 「最高の顔と後ろ姿」

 人に向かって、悲しむななどと言う人間は、本当の悲しみを知らない人間だ。
 本当の悲しみを知っている人間は、人に悲しむななどと言ったりはしない。何故なら、悲しみというのは、本当はそんなに悪いものではないということを知っているからだ。
 悲しみことも、悩むことも、後悔することも、すべて意味がある。
 そして、それらは自力で突破しなければ意味がない。
 逃げることを勧めるなんて、まったく馬鹿げてる。
 戦わずに手に入る大切なものなど何があるというのか?
 
                   *
 
 神に寄り添いすぎる人間は早死にする。
 長生きしたければ神から離れることだ。できるだけ遠く。
 神と関わるとロクなことがない。
 
                   *
 
 告白は可能性を生む。
 ゼロからパーセントが発生する。
 無から有を生み出す。
 告白の意味とはそういうことだ。
 告白は終わりじゃない、始まりだ。そこから新たに始まる。
 
                   *

 毎日の生活の中で、時々ふっと優しい気持ちになることがある。そういう時は誰かにこの優しい気持ちを分けてあげたいなと思う。
 けど、逆にすごく凶暴な気分になることもある。そういう時は、そばに人がいなくて良かったなとほっとする。
 凶暴な気持ちを分けても仕方がない。
 
                   *

 人間は自分の金を払うという痛みを伴わないとものの価値が分からない。
 無料のものは、それがどんなに優れたものでもその価値をなかなか認めようとはしないものだ。
 そして、高いものほど価値があると思い込む。間違った思いこみと分かっていてもそう思ってしまう。
 
                   *
 
 人間は、泣きながら笑うことさえできる高度な生き物だ。
 その一点でたぶんどんな異星人にも負けやしない。
 泣き笑いしながらご飯を食べることさえできる。
 
                   *
 
 失ってみないとその大切さに気づけないものがこの世にはたくさんあって、恋も間違いなくその一つだ。たとえそれが片想いの恋だとしても。
 すべての恋はオリジナルで、この世に同じものは二つとなく、代わりになるものもない。
 だから、どんな小さな恋も大切に扱わなくてはいけないのだ。
 壊れてしまってから嘆いてもしょうがない。
 
                   *
 
 自分の好きな人といる時、人は最高の顔をする。最高のポテンシャルを発揮する、と言ってもいい。
 もし、その時の自分の顔を鏡で見ることができたなら、たちまち分かるに違いない。ああ、自分は本当にこの人のことが好きなんだな、と。
 
                   *
 
 人は好きな人の後ろ姿に惚れるのかもしれない。
 その人の後ろ姿を見た時の感情で自分が好きかどうかを判断しているんじゃないだろうか。
 逆に言えば、もしその人の後ろ姿を見て何も感じないとしたら、おそらくその人のことを好きになることはないだろう。
 
                   *
 
 天才であるかどうかなんてことは、ほとんどの人にとって何の価値もないことかもしれない。
 たとえば、小学生に向かって、オレは天才なんだぜ、と威張ってみても小学生にしてみればそんなことはどうでもいいことだ。
 あるいは、ほとんどの人間にとって天才なんてものは何の意味もないものなのかもしれない。
 自分が天才ではなかったとしても嘆く必要はないのだろう。
 いや、というよりも、天才なだけでは駄目だということだ。人間として他の部分でも優れてないと。
 そういう意味では、天才と美人と金持ちは似ている。
 
                   *
                   *
                   *
 
 ここで喜ばしいニュースがあります。
 といっても喜ばしいのは私だけで他の人にとってみたらなーんも関係ないんだけど、何を隠そう(全然隠す必要はない)、インテグちゃんの車内の磁場が正常に戻ったのだぁ!
 ……。
 まったく喜ばしくないですか?
 いやいや、私にとってはかなり喜ばしいことなのですよ。やっぱり磁場が狂った車ってちょっと嫌ですからね。
 何故かある日急にコンパスが正常に動くようになったのだ。何もしてないし、どこか特別なところへ行ったわけでもないのに。
 まあなにはともあれ良かった、よかった。
 またこれでロングドライブも安心だ。コンパスで進んでる方向さえ分かれば大きく迷い込むことはない。
 今週はもう無理だから来週だ。金曜あたり行きたい。
 富士山が噴火する前に行かなくちゃ。
 
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 今日のための言葉
 
「日毎にぼくは知性に重きを置かなくなっていく」
 マルセル・プルースト


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