2001.7.4-
7月17日(火) 「フレッツADSLへのそんなに遠くない道のり」 |
常時接続にしたい、と最初に思ってから半年は経っただろうか。ようやく今日、フレッツADSLでそれが実現した。いやはや、ずいぶんかかってしまったものだ。 何故こんなにも延びのびになってしまったか? 答えは簡単。面倒だったから……。 話を聞くとそれほど難しいとは思えなかったけど、でもあれこれすごく面倒に思えたのだ。NTTへの申し込み、モデムかTAの購入(もしくはレンタル)、それらの取り付け、配線、ソフトのインストール、設定、プロバイダの変更申し込み、などなど、考えただけで嫌になった。
けど、色々事情もありやるなら今しかないということになってようやく動いたというわけだ。
簡単に流れを説明しよう。最初から最後までやるべき最低限のことが分かっていれば恐れることはない。 まずはNTTに申し込む。166に電話して申し込む方法もあるけど、NTTは横のつながりがすごく悪いので、受付からフレッツADSL担当者への連絡がかなり怪しい(ような気がする)からやめた方がいい。
インターネットでNTTのHPから申し込むのが一番。
すると、一週間くらいでNTTから電話が来る。本当に申し込んだかどうかの確認と、工事日を知らせるために。
最近までADSLモデムの生産が追いつかずに1ヶ月以上待たされたらしいけど、最近はずいぶん改善されて、最初の申し込みから2週間くらいで使えるようになると思う。
テレホーダイなどの絡みがあるから、そのへんはあらかじめ計算しておいた方がいいだろう。申し込んですぐにADSLになるわけではない。
NTTへの申し込むが終われば次はLANだ。
LANというのは、ADSL用のモデムとPCを接続するためのアダプターのようなものと思っておけば大きな間違いではない(たぶん)。 だが、フレッツADSLではこのLANが一番やっかいなのだ。特にPC初級者にとっては。 ま、逆に言えばここさえ乗り切ればあとはなんとかなるのだけど。 ただ、ノートPCなら話は簡単。LANカードというのが売ってるからそれを買ってきてPCカードスロットに差し込めば終わりだから。
これがデスクトップになるとちょっと厳しい。メモリ増設をしたことがある人なら大丈夫だとは思うけど、買ってから一度もPCのカバーを外したことがない人にいきなりLANボードを差してみろと言ってできるだろうか。いや、作業自体は簡単にしても、PCのフタを開けて、後ろのカバーを外してボードを差し込む、という作業はけっこう抵抗があるのではないだろうか。
これも一回やってしまえばなんてことはないんだけど。 この手順はマニュアルに載ってるのでそれを見ればやり方は分かるはず。いい機会なので挑戦してみてください。
ただし、下手をすると私のようにモニタのボードまで外してしまってモニタが故障寸前まで追い込まれて顔面蒼白、失神手前までいくこともあるので少し注意が必要です。
あるいは素直に1万だか1万5,000円だかをNTTに払って係員にやってもらうという手もある。
LANボード自体は安いものだ。私はオークションで1,000円で買ったけど新品でも2,000円くらいだろう。
あとはADSLモデムとつなぐためのLANケーブル(ストレート・タイプ)も必要で、これが500円か600円くらいだろうか。
とりあえず買い揃えるものはこれだけだ。
ADSLモデムはNTTのものを買い取るかレンタルする。市販のものは使えない(ということになっている)。
買い取ると2万くらいだったか。レンタルだと月に550円(だったと思う)。
個人的にはレンタルをおすすめする。まだまだ現状では接続方法が流動的で今後どうなるか分からない。
もうすぐyahoo!でも安くADSL接続を始めるし、そっちの方がよければそっちに乗り換えることもありえる。 たぶんNTTのADSLモデムは使い回しがきかないと思うのでこの時期買い取るのは危険だろう。 NTTからの電話の一週間か10日後あたりに回線工事が行われるはずで、その少し前にADSLモデムとスプリッタ(電話機と共用するための二股ソケットのようなもの)と、接続ソフトが入ったCD-ROMと説明書が送られてくる。
あとは工事の日を待つだけだ。
工事日当日。
といっても、NTTのオヤジが家に来るわけではない。家の外にも来ない。だから、外出用の恰好をしたり、化粧をしたり、PCの壁紙を人に見られてもいいようなものに替えたりする必要はない。
工事はNTTの内部で何かをするだけらしい(全然よく分かってない)。 その日から使えます、と最初の電話で知らせてくれる以外、当日開通しました、という電話が来るわけでもない。
じゃあ、どうやって知るかといえば、つないでみてつながったらつながったということだ。
ん?
当日の流れはこうだ。
まずはプロバイダにフレッツADSLの申し込みをしないといけない。
たぶん、当日でいいと思う。
プロバイダによって色々あるのかもしれないけど、申し込みが完了した時点で即使えるようになるはずだ。
ただし、使えるのはいわゆる使い放題コースだけなので、それ以外の従量コースの人はあらかじめコース変更をしておかないといけない。この場合は一ヶ月前くらいにしないといけないかもしれない。
biglobeの場合は、申し込みページでユーザーIDとパスワードを打ち込んで送信したらそれで終わりだった。特に余分な料金もかからない。
次は接続。
各家庭によって状況は色々だろうけど、私のおすすめはこうだ。 元のモジュラージャックからPCのそばまで電話線を伸ばしてきて、それをまず二股の電話回線用ソケットに差す。そして、片一方をこれまで通りPCのモデムにつないで、もう一方をスプリッタにつなぐ。
スプリッタから家庭用の電話機に配線して、もう一方をADSLモデムにつなぐ。こうだ。
何故こんなことをするかといえば、こうしておけばADSLモデムに何かトラブルがあったりしてADSL回線につなげなくなった場合、すぐに今まで通りモデム経由の電話回線でつなぐことができるからだ。ADSLはまだ何があるか分からない。
電話線をつないだら、次はLANケーブルだ。といってもこれは簡単。LANボードとADSLモデムをLANケーブルでつなぐだけだから。
次はADSLモデムのACコードをつなぎ、スイッチを入れる。
最初ADSLのランプが点滅して、1分後くらいに点灯するはず。これでADSL回線は開通したということだ。
続いて接続ソフトのインストールになるが、これまた簡単ですぐ終わる。まったく心配することはない。
CD-ROMを入れて、指示に従っていけば5分もかからず終わる。特に難しい設定もない。
一度再起動が必要になるから、再起動する。
そして、再起動後に少し設定変更があるがこれもまったく心配いらない。
いよいよフレッツADSLで接続だ。
ガガガガァァー、ガガガガァー、という音が聞こえないなぁ、と思たらもうつながってた。あら?
そう、電話回線じゃないからあの耳障りな音を聞かなくてもいいのだ。これはかなり嬉しい。
しかも接続が嘘みたいに速い。最初だけ認証がどうしたこうしたとかあるけど、次からは10秒くらいでつながるんじゃないだろうか。
しかも、Windowsを立ち上げると同時に接続する、という設定にしておけば、PCのスイッチを入れて起動し終わった時にはもうつながってるということになる。これは便利だ。
なんだ、あっけなくつながったではないか。楽勝だなぁ。ははは。
と思っていると、実はここから先に大きな落とし穴が待っている。私も心配してたのはここから先のことだったのだけど、その嫌な予感が当たってしまった。
メーラーとブラウザの設定が分からない……。
そう、問題はここなのだ。NTTから送られてきたマニュアルにも、プロバイダの説明でも、接続するまでの説明しかなく、メーラーなどの設定はどこにも書いてないのだ。いや、ホントに。
当然電話回線じゃないから設定も変えなくちゃいけないはずなのに、どこをどう変えればいいのかさっぱり分からない。
ためしにフレッツADSLでつないだままメーラー(Outlook
Express)を立ち上げてみる。
が、当然上手く接続されない。「認証中」をいうところで止まってしまう。うーむ、どうすれば?
<ツール>→<オプション>をのぞいたけどそれらしい設定はない。
しばし考えて、<ツール>→<アカウント>に進んでみたら、ここにあった。変更場所が。
あれこれやってみて、ようやく分かったのだけど、この<プロパティ>の<接続>の部分をダイヤル回線ではなく<LANローカルエリアネット>に変えなくてはいけないのだ。
って、みんな当たり前のようにこんなことに気づくんだろうか……。
NTTもプロバイダもこのへんのところをもっと説明してくれなくちゃ。みんなつないで終わりのわけなくて、つないだら次はメーラーやブラウザを当然使うわけで、その設定変更を自分で考えてしなくちゃいけないのはちょっとつらすぎる。みんな上級者というわけじゃないんだから。
とにもかくにもこれでメーラーは使えるようになったので、早速受信してみることにした。
はやっ!
鬼のように速い。いつもは受信するのに5秒くらいかかっているメールマガジンが一瞬で落ちてくる。一行のメールを受信する感じで。
送信も受信ほどではないけど、それでも充分な速さだ。ほとんど瞬間的に送信完了。
メールにそれほどスピードは必要ないにしても、この速さはやはりすごいと思う。 次はブラウザ(Internet Explorer)だ。
メーラーが使えるんだから、当然ブラウザも使えるだろう、と思ったら甘かった。
全然応答しないのだ。何をクリックしても。
むむむ? どういうこった?
ここでかなり途方に暮れた。あれこれ見てみたんだけど、どうも分からない。
それで、いったん電話回線に戻して、ネットを見て回ることにする。
ここを見つけてなかったら、まだ今頃泣きながら設定をいじくってたかもしれない。
まずは<ツール>→<インターネットオプション>の<接続>のところで「ダイヤルしない」にチェックをいれないといけなのだ。
これもなかなか気づかないと思うんだけどなぁ。
あと、同じところの「LANの設定」というところで、「設定を自動的に検出する」のチェックを外さないといけない。
これは絶対気づかないって。この自動検出にしておくといちいち検出しにいくから最悪つながらなかったり、速度が極端に遅くなったりするらしいのだ。
これで終わりかと思うとそうじゃない。
次は<スタート>→<コントロールパネル>→<ネットワーク>と進んで、「ネットワークの設定」を自分の使ってるLANカードのものにしなければいけない。
私の場合「TCP/IP->corega Ether……LAN
Card」というところだけど、要するに「LAN Card」というところにするらしい。
このへんの理屈は私も全然分かってないんで、とにかく指示に従うしかない。従えばつながるんだからそれでいい。
他にIPアドレスの設定もあるけど、これはプロバイダから特に指示がなければ「自動検出」でいいと思う。
これでようやくつながるようになった。やっとだ……。
たまに「再試行」などという表示が出るけど、これはブラウザの仕様みたいなものでしょうがないらしい。再試行すれば問題なく進むからいいだろう。 さて、問題の速度だけど、とにかくべらぼうに速い。けど、遅い部分もある。
つまり、写真などの表示は異常と思えるほど速い。50KB程度の画像なら文章と同じくらいの感覚で表示される。オフラインで見ているくらいだ。
写真の多いページなどでも、スパスパッ、シャキシャキッとまったくストレスなく画像が表示されて気持ちいい。とういうか、笑える。あはは。はえ〜、って。
ただし、ページの切り替えなどPCの処理能力に依存する部分は当然だけど今まで通りの速度だ。このあたりの速さと遅さの共存がかなりまどろっこしい。
アクセル全開で突っ走ってる途中で急ブレーキがガツン、ガツン、とかかって前のめりになる感じとでも言おうか。
画面の表示速度が速いだけに、次のページに切り替わる速度の遅さが体感的に引っかかるのだ。
このへんは速いマシンを使ってる人ならあまり気にならないのだろうけど、遅いマシンの人はかなり気になるだろう。
私のはPentiumUの266MHzだけど、明らかにADSLのスピード感についていけない。
使用感に関してもう少し付け加えると、ダウンロードはそれはもうすごい。
4.9MBあるダウンロードファイルをダウンロードしたのだけど、56Kモデムなら42分かかるのにADSLなら1分弱なのだ。これは嘘くらい速かった。
1MBなら10秒なのだ。これでダウンロードはもう何も恐くない。まさかこれほどとは思わなかった。
あと、実際のスピードがどれくらい出てるか測ってみた(普段は表示されない)。
ADSLは不安定というかなんというか、いろんな要素によって速度が極端に違ってくる。各家庭の回線の状況や、NTTから家までの距離や、プロバイダや、アクセス先のサーバによって。
上限は1.5Mということになってるけど、たぶんここまで出てる人はそんなにいないと思う。よくて1.2Mくらいだろう。
私の場合は、だいたい900K前後といったところだ(最高933K)。
これがテレホ時間になるとかなり遅くなって、最悪388Kまで落ちた。
まあでもそれでも充分な速さだからそんなに不快なほどではないし、400Kといってもピーク時だけで、だいたい800Kは出てたし、今のところスピードに関する不満はない。
結論。
フレッツADSL導入は思っていたほど面倒でも難しくもなかったけど、お茶の子さいさいというわけにはいかなかった。
メモリ増設をやったことがあって、Windowsのことは一通り分かっている人ならまあ楽勝の部類に入るだろう。
だが、「メールを始めて半年になります。ようやくメールをうまく打てるようになりました。楽しいメール待ってますね(はあと)」といった人にとってはかなり敷居が高いと私は見る。
その中間の人なら、なんとかなるだろう。
PCはややこしい部分も多々あるけど、やってみればなんとかなるもんだから。
多少苦労はあるにしてもフレッツADSLにしてみる価値はある。値段もこの先下がっていくだろうし、現時点でも電話代を月に5,000円以上払ってる人なら元は取れる。
冗談のように速い速度はやっぱり感動するし、何より常時接続というのは決定的なものだ。
ビデオで映画を観ていて、この女優いいなぁ、他にどんな作品に出てるんだろう、とちょちょいのちょいで調べたり、明日の天気予報は、と思って見てみたり、ふと行きたい場所が思いついた時、マピオンでささっと調べたり、プロ野球中継が途中で終わってしまったら続きはネットラジオで聴いたり(うちはラジオの入りがものすごく悪いのだ)、ふと懐かしい曲のメロディーが浮かんで聴きたくなったら、ネットですっと検索して、一部だけだけどRealオーディオで聴いたり、Realビデオで映像を見たり、買い物に行く前にオークションで相場を確かめたり、ゲームをしながら攻略ページをカンニングしたり……。
可能性はどんどん拡がる。 常時接続、しかも高速常時接続を実現することで初めてインターネットは生活の一部になる。 高速常時接続はただ単に便利なだけではなく、ネットライフを根本から変えるだろう。
あとはもっとスピードが必要だ。まだこれでも足りない。
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今日のための言葉 「私は進歩を信じる」 ハインリッヒ・ハイネ
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7月15日(日) 「谷間にて」 |
谷間の日々。古いことが終わらず、新しいことを始められない。狭い谷に閉じこめられて、前へも後ろへも進めない感じだ。 今はまだ、高い崖をよじ登る気力がわかない。
なんとか朽ち果てるまでには登り始めないといけないのだけど。
この週末は特にこれといったエピソードがなかった。可もなく不可もなし。
ゲームをして、ビデオを観て、テレビも観て、部屋の片づけをして、オークションの売り買いと送り出しの作業をして、ネットをして……。
とまあ、こんなところか。 あとは、オークションで落札した電話機が届いたんでそれの取り付けと設定もした。
今までの電話機は子機の充電が最初から上手くいかず、メーカーへのクレームで新品に交換してもらっても駄目だったのをなんとかだましだまし使ってきたのだが、これがとうとういかれてしまったのだ。まだそんなに使ってないのに。 今度買ったのは親機も子機もコードレスのWコードレスというやつで、けっこう気に入った。
なかなか思ったのが見つからなくてずいぶん長い間探したのだけど、やっと手頃なのが見つかって落札できたのだった。 あれこれ基本的な設定をして、電話帳も登録した。最近のは短縮の数字で登録するんじゃなくて、3文字までのカタカナで登録するようになっている。これなら短縮番号を覚えなくていいから私にぴったりだ。
電化製品はなんでもどんどん便利になる。
ADSLになればいつでも電話も使えるようになるし、これで電話関連は万全だろう。
ネットと電話の共有問題も今まではかなりネックになっていたのだ。
ゲームの方は相変わらず「ドラクエ7」が面白くない。どうしたことか。みんな前半も面白いと思ってやったんだろうか。
「ファイナルファンタジー9」は、今日オークション勝負で3度負けた。どれも100円とか200円のことで。
自分の設定金額を上回ってしまうと満足度が激減してしまうので、オークションを楽しむ基本的なルールとして、最初の設定金額を上回ったら潔くあきらめることにしている。だからしょうがない。
ま、勝負は明日も明後日もある。
オークションの売りは順調。
今日締め切りだったものが全部で1万5,000円くらいになった。これでまた何か買える。さて、何を買おう?
……。
しばらく考えたけど思いつかない。今あんまり欲しいものがないのかもしれない。1万とか2万で買えるものは。 ならばここは9月発売の「ニンテンドーゲームキューブ」まで力を溜め込んでおこうか。2万5,0000円なら買える。
これはスーパーファミコン以来、久々に買いたいと強く思わせる任天堂のハードだ。かなり楽しみ。SONYの一人勝ちもそろそろ詰まらなくなってきた。 と、その前のつなぎにNINTENDO64も買っておこうかな、とふと思いついた。
今まで何度となく買おうと思ってやめてきたけど、なんとなく買っておいた方がいいような気がしてきた。ゲームキューブが出ればもちろん値下がりはするだろうけど、あっちが出ればもうNINTENDO64には戻る気がしなくなるだろうから、買うなら今が最後のチャンスだ。「ゼルダ」だけはやっぱりやっておかないといけないだろう。ゲームを20年やってきた人間としては。
近い内に買ってしまいそうな気がしてきた……。
いや、それともここまで縁がなかったのだ。このままなのかもしれない。
そういえば今日は「ファミコンの日」ではないか。発売は1983年。もうそんなになるんだ。 任天堂か……。トランプや花札を作ってた頃、株を買い占めておけばよかった。
ルーズな一日のルーズな日記もそろそろ終わりにしよう。
外はすっかり明るくなって、蝉が元気に鳴いている。
今日はチェホフの命日だ。
この時期のロシアはどんな気候なんだろう?
今日の「今日のための言葉」はそのチェホフの言葉にしよう。まるで私に向けて言った言葉のようだ。けど、アントン、学ぶより教える方がずっと面白いと思わない? ==================
今日のための言葉 「愚者は教えたがり,賢者は学びたがる」 アントン・チェホフ
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7月14日(土) 「ゼロ以上」 |
人間は、生まれる前はゼロだけど、死んでもゼロにはならない。 生きるということにはそれなりの価値があるということだ。どんな人生も決して無駄じゃない。 *
もし人生にリセットボタンがあって、一度だけ使えるとしたら、あなたは使うだろうか?
どこで?
ここまで来るまでにもう使ってる?
それともまだ先で使う?
でも、また一からやり直す気になるだろうか?
しかも、何度でもできるならともかく一回きりなんて。それならいっそのことやらない方がいいんじゃないか? 少なくとも私なら使わないだろう。面倒だし、私は基本的に繰り返すことが嫌いだから。 あるいは、命が二つあったらどうだろう? 一度死ぬことができて、そこからまたやり直せたら。
うーん、やっぱりこれも意味がないか。
やっぱり人間というのはどこまでも上手くできている。これ以上変えようがない。誰が考えたのかは知らないけれど。
*
男は寂しいから格好良くて、女は悲しいから美しい。
格好良さや美しさは目の錯覚だ。
でもそれは幸福な錯覚と言うべきだろう。
*
慰めるだけじゃ駄目だ。慰めることは間違いではないけど、それでは不完全すぎる。
慰めと励ましがセットでなくてはいけない。 慰められると人は安心する。安心したら人は向上心を失う。 だから、抱きしめた後は、しっかり背中を押してあげなくてはいけない。
その人の代わりに歩いてあげることは誰にもできないのだから。
*
迷いがある内は大丈夫。まだ駄目になってない証拠だし、もっと良くなる余地があるということだから。
迷いがなくなったとしたら、それはむしろ危険信号だ。間違った道を突っ走ってる可能性が高い。
そして、その道はたぶん、行き止まりだ。
*
人生には感動する時期が必要だ。必要以上に。育ち盛りにたっぷりの栄養が必要なように。
けど、ある時期を過ぎると栄養過多はむしろ体に悪い影響を及ぼす。
感動で思考を鈍らせないようにしないと。
*
上手にできるだけでは存在価値は低い。自分だけにしかできないことを何か一つでも持っていなくては。
けど、間違えてはいけない。個性というのは人と違っていることではなく、人より優れていることを言うのだ。
オリジナルでなければ生き残れない。
*
人はいつも、未来を持つことで許されている。子供のいたずらや間違いや失敗が許されるように。
人には可能性がある。だから許される。可能性がなくなったらもう許されない。
未来が必要なのは子供だけじゃない。大人も、老人も、未来は必要なのだ。
*
いつでも笑いが少し足りない。毎日過不足のない笑いが必要だ。ビタミンCと同じくらい。
それも、サプリメントのような人工的な笑いだけではく、昔、日本の田舎にあったような天然の笑いが。
*
*
*
「ドラゴンクエスト7」は全然楽しくなってこない。もう20時間以上やってるのに。
これって、本当に名作なんだろうか? 私には単なるお使いゲームにしか思えないんだけど。
転職できるようになればもっと面白くなるのだろうか。それにしてもなかなかそこまでいきそうにない。盛り上がるのは中盤以降なのか?
「ドラクエ7」がこんな調子だから早く「ファイナルファンタジー9」を買ってやりたいところなんだけど、どうもタイミングが悪くて買えないでいる。観たいレンタルビデオとの相性が悪くてなかなか観られない時みたいに。
それにしても来週の前半までには買おう。
久々にPCゲームがやりたくなって、オークションで「ルナティックドーン」を落札してみた。900円。
かなり自由度の高いRPGらしいけど、合うだろうか。
ドリキャスの「クレイジータクシー」はどうも合わないようだ。すごく評判のいいゲームだけど私はあまり面白くない。
これは早々に売りに回そう。
*
ビデオで『カル』を観た。ハン・ソッキュ主演の韓国映画だ。
これがすごく力強くて面白かった。単に私がハン・ソッキュ好きだからというだけではもちろんなくて、作品としてのできがかなりいい。
韓国映画のレベルは最近本当に上がった。部分的には日本を大きく超えている。これからもどんどんいい作品を作ってくれることだろう。
それにしてもハン・ソッキュはいい俳優だ。いろんな役になりきることができる俳優はけっこういるけど、自分自身を演じてどんな作品に入っても違和感がない俳優というのはめったにいない。
ハン・ソッキュはどの作品の中でもハン・ソッキュそのもので、公安のスパイでも、田舎の写真屋の店主でも、ラジオ局のディレクターでも、全然おかしくない。どこにいても自然で説得力があるというのはすごいことだ。あれこそ本物の才能というものだろう。
もっともっと彼の作品が観たい。
*
NTTからADSLに関するマニュアルやCDが追加で届き、これであとは回線の切り替えを待つだけになった。火曜日からだけど、待ち遠しい。
しかし、設定がすんなりいくかどうかが不安。何かありそうなんだよなぁ。
気のせいだといいけど……。
パソコンに関してはある程度分かるようになってきたけど、それでも今ひとつ自信というか確信が持てない。何かしようとすると必ずと言っていいほどこっちの予期してないことが起きるから、だんだん不信感が募っていって、それが決定的になってしまった。
いつかこの不信感が消える日が来るのだろうか?
*
東海地方も今日で梅雨が明けたようだ。
一時集中的に降ったけど、結局それだけで終わってしまった。あっけなかった。
それにしても今年は暑い。と、毎年言ってる気もするけど、今年はやっぱり特別だそうだ。なにしろ熱中症(暑さにやられて目眩、吐き気、貧血などを起こすこと)で病院に運ばれた人間の数は、これまで一昨年の75倍だというのだから。
そりゃあ、毎日35度にもなったら倒れてもおかしくない。 けど、日射病とかで死ぬ人もいるし、なかなか馬鹿にしてはいけないだろう。
ということで、私みたいに深夜活動して、暑い日中は寝るに限る。なんて健康的な生活なんだ。夏だけは自信を持って昼まで寝ていよう。
さて、そろそろ今日も陽が高くなってきたし、眠るとしよう。また明日。
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今日のための言葉 「技術的に上手い人間はたくさんいる。でも私たちは技術に感動するわけじゃない。心の声が聞こえた時、感動するのだ」 溝口肇「情熱大陸」より
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7月12日(木) 「平和の向こう側」 |
知りたいことがたくさんある。 知ってどうなるものでもないと知りながら。
*
幸福になりたいと思う。
でも願ってはいない。 幸福になることが目的じゃないから。
目的は……。
やっぱり、最後の目標を達成すること、だろうか。
幸福は旅の途中にあったりなかったりするものだ。 *
退屈な平和に答えはない。たとえ教科書にそう書かれていなかったとしても、それは間違いなくこの世の真実だ。
人類は争いをやめ、平和に向かおうとしている。でも目的地を間違えている。向かうべきなのは平和ではなく、平和の向こう側なのだ。平和にとどまるのではなく平和を超えなくては。
そこに何があるのかは誰も知らない。けど、行かなくてはいけない。何があるかを確かめるために。
宇宙における人類の可能性はまだまだこんなものじゃない。地球という物語はまだ始まったばっかりだ。
*
自分に正直なだけだと開き直る人は、単に不器用な駄目人間だ。
正直であっても他人に対して装うことはできる。それができないというのはやはり威張れることじゃない。
*
悲しみは放っておくと勝手に拡散するから、一滴落ちた時にすばやく取り除くのがいい。
喜びは拡がりにくいから、自分で撹拌した方がいい。
喜びは甘すぎて、悲しみは苦すぎる。上手く混ぜればビター・スウィートで美味しくなる。分量を間違えないようにすれば。
*
*
*
オークションで買った64MBのメモリ(3,000円)が昨日届いたので今日取り付けをした。
が、32MBの差し替えで実質32MBしか増えてないので、あまり変わった感じはない。最初、64MBから124MBに増設した時は劇的に速くなって感動したのだけど。
やっぱり124MBで充分だったということか。Windows95で、普通にネットだけで使うなら160MBはいらないだろうなぁ。
まあでも、HDの読み込み頻度も減って、画面の切り替えなんかも少しは速くなったし、フリーズも減ったし、少しは効果があったと思っていいだろう。
とりあえずメモリの増設はここまでにしよう。
VRAMも4MB増設したし、他に何かないだろうか。CPUの乗せ換えはちょっと恐いからやめておいた方が無難だろう。
ハードはこれくらいかな。となるとあとはWindowsだ。どうしよう。せめてWin98にはしたいんだけど、考えただけで面倒だ……。
やめよ。
* ADSLのモデムとスプリッタが今日NTTから送られてきた。回線の切り替えは17日からだから、まだ取り付けはいいだろう。LANボードとケーブルはもう取り付けが完了してるから、あとは回線が切り替わったところで線をつなぐだけだ。と思いたい……。
何かトラブルの予感がしないでもないんだけど。
17日が待ち遠しい。スピードよりも常時接続がネットのスタイルをかなり劇的に変えるような気がしている。今までは夜11時から朝の8時までのテレホーダイ時間がネットの中心であり、生活パターンもそれに合わせていたけど、これからはそれをしなくてよくなる。そうなると、ぐっと自由度が上がるんじゃないだろうか。生活も超深夜型から少しは抜け出せるかもしれない。
あと、スピードに関してももちろん期待している。
大きなファイルも気軽にダウンロードし放題だし、MPEGムービーもたくさん見られるだろう。 色々楽しみだ。
*
「ファイナルファンタジー8」が終わった。
途中、キャラクターをあまりにも鍛えすぎて、最後の敵をあっさり倒してしまったので少し拍子抜けだったけど、でもこのゲーム、私は面白かった。スクエアに批判的な私だけど、これは素直に誉めたいし、感謝したい。嫌いな映画監督のいい作品を観た時に似た感覚だ。
とにかくこのゲームシステムに惚れたので、その部分ですごく楽しめた。満足。
もうゲーム熱もRPGへの耐性も消えてなくなったと思ったけど、これでまた呼び覚まされた。しばらくゲームをしてみよう。
ということで、続けて「ファイナルファンタジー9」をやろうと思ったのだけど、買うのが間に合わなかったので、その間のつなぎとして、これまたずっと放り出してあった「ドラゴンクエスト7」を再開してみた。
けど、どうも面白くない。序盤は完全なお使いゲームで。
中盤以降はきっと盛り上がるんだろうけど、その前にやっぱり「FF
9」がやりたい。明日にでも店で買うか、オークションで落札するかしなくては。
*
新しいドラマが一斉に始まった。
ただ、中途半端な時期なのか、番組宣伝みたいなものをほとんど見かけなかったのだけどどうだったんだろう。
まあ私の場合、新しいやつはとりあえず全部観るから関係ないか。
今のところ出だしで気に入ってるのは、「できちゃった結婚」と「ウソコイ」と「緊急病棟24時」だ。
それぞれ、竹野内豊、中井貴一、江口洋介が好きだから、ってのもあるんだろうけど、それだけじゃなくて、この3本は脚本の出来がいい。
「ウソコイ」はフェイ・ウォンの思い切った起用ですでに成功は決まったようなものだ。彼女はすごく魅力がある。美人じゃないけど。
あと、主題歌もいい。彼女の歌を聴くと、歌うことの才能ってのはこういうことをいうのだなといつも思う。
「恋したい恋したい恋したい」、「フレーフレー人生」、「非婚家族」、「世界で一番熱い夏」はまずまず。
「ビューティー7」、「マリア」、「ファイティングガール」、「氷点2001」、「ネバーランド」は個人的に好きじゃない。
そういえば、20代の5年間くらい、まったくドラマを観ない時期があった。あれはなんだったんだろう。何故かあの時期だけドラマに対する熱が完全に冷え込んでしまったのだ。
でもまたこうしてドラマを観まくっている。とても面白く感じるから。
興味の対象はいつだって不安定だ。ある日急に興味が生まれ、ある日急に興味が消える。
そういうことをこれまで何度も経験してるから、今やりたいことや興味があるものに対してはできるだけやるようにしている。今日面白くやれてることも明日になったらできなくなってしまうかもしれないから。
みんなはそんなことないんだろうか?
*
今週から来週にかけては動きが止まる。いろんなことが切り替えの時期でもあり、来週はADSLにまつわるあれこれがあって、祝日もある。
ということで、ロングドライブその他は7月の終わりになりそうだ。
それはそうと、そろそろ髪の毛をカットしないと。今回は夏仕様で少し短くしたい。ただし、前髪だけは充分注意を払う必要がある。二度と再び鳳啓介になってはいけない。
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今日のための言葉 「大人になっていくにつれ、 何かを残して、何かを捨てていくのだろう 時間は待ってはくれない。 握りしめても、開いたと同時に離れていく……」 ゲーム「ファイナルファンタジー 8」より
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7月11日(水) 「この場所」 |
人を幸福にする文章というものが確かにある。 上手い下手ではなく、テクニックでもなく、人柄のようでありながらそれだけでもない。
それは人の顔に感じるものと似ているかもしれない。自分が好きな顔を見ているとなんだか幸せな気持ちになるあの感覚に。
いい文章を読むだけで人は幸せになれるのだ。そのことを書き手も読み手ももっと意識した方がいい。
私自身もっといい文章を読みたいし書きたい。幸せになれる顔ももっと見たい。 *
人はこの世で何ができるか?
その答えはたぶん、いくら探しても見つからない。それでも探すことが大事だ。
何かができることだけは確かなのだから。
*
時々、自分は何もかもが感覚的に分かっているような錯覚に陥ることがある。
逆に、何一つ分からない気がして絶望的な気持ちになることもある。
問題は、その中間で上手くバランスが取れないことだ。
けど、人はどっちに傾いていた方が正常なのだろう?
*
ひとりで世界を変えようとしてもできるものではない。
でも、世界が変わるきっかけになるのはいつもひとりの人間の登場だ。
たとえば、もう終わったと思われていた政治や自民党が小泉純ちゃんの登場で生き返ったように。
世界が変わるために人を必要とするのか、人が登場するから世界が変わるのか、それははっきりとは分からないけれど。
*
絶叫するほどの歓喜を知らないまま終わる人間は多い。たぶん、普通に生きていたのではその機会は訪れないだろう。
その点、スポーツ選手は幸せだ。一生の中でそういう機会が何度も訪れる。
あるいは、燃え尽きることができる人間はほとんどいない。スポーツ選手でも多くはないはずだ。
絶叫するほどの歓喜を何度も味わい、最後は燃え尽きて死ぬ。そういう人生を探すべきだ。少なくとも、そう思いたい。
*
誰も彼もが正しく思えないというのは異常なのか正常なのか?
自分だけが正しいと思うのは明らかに異常だけど、私の場合、自分も他人も同じように正しく思えないから分からなくなる。
存在としての正しさではなく、行動としての正しさを追求していくしかないのか?
*
切り取られていない風景を見に行こう。
映画や絵や写真がどれほど真実を見せてくれたとしても、それは切り取られた真実だ。
切り取られていない風景はその場所に実際立ってみないと見ることはできない。そこにはきっと感じるものがたくさんあるだろう。たとえ、自分の目では写真やカメラの映像ほど真実を捉えることができなかったとしても。
*
ここでしか捕まえることができない想いや言葉がある。このHPの断想日記の中でしか。
だから、こうして毎日のように深夜の中をさまよっている。
意味など分からないけれど。
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今日のための言葉 「ひとつの季節が終わり、 新しい季節が始まる。 過ぎてしまえば一瞬のこと。 でも、その想いはずっと消えることなく 胸の奥で生き続ける」 「BOYS BE…」より |
7月9日(月) 「否定すべきものと肯定すべきもの」 |
人々の錯綜する思いを乗せて、世界は今日も進む。 結末などありえない。あるのは、終わることのない現実だけだ。
終わる思いもない。ただ変化するだけのこと。
誰かとすれ違った思いは、他の誰かに届くだろう。
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自分が眠りに落ちる瞬間が分からないように、自分が恋に落ちる瞬間も分からない。
気づいた時にはもう落ちた後だ。 そして、分かるのはどちらも覚めた時。
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誰でも心の中に恋のスイッチがあって、オンとオフを繰り返しながら生きているわけだけど、特徴的なのは、オンが通常の人間とオフが通常の人間とにはっきり分かれるということだ。
常に恋のスイッチがオンになっていてたまにオフになる人間と、いつもはずっとオフなんだけどその時だけオンになる人間がいる。
どっちが正常なのかの判断は難しいところだけど、でもやっぱりなるべくオンになっているに越したことはないだろう。
部屋の明かりだって、暗いよりは明るい方がいい。
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平凡なことを平凡に書いても意味がない。
非凡なことを平凡に書いてはもったいない。 非凡なことを非凡に書くと読み手が疲れてしまう。 だから、正解は、平凡なことを非凡に書く、これだ。 文章と料理は似ている。素材と調理の関係性が。
ありふれた素材から最高の料理を作ることが料理人の目指すべき道だと私は思う。 文章も同じことだ。 *
たとえば大家族で暮らす外国の人たちの様子を見て、彼等は日本人が忘れてしまった大事なものを失っていない、だから私たちも彼等を見習って思い出さなくてはいけない、などと分かったようなことを言う人をよく見かける。でも、それは違うだろうと私は思うのだ。私たちは彼等を肯定すべきじゃないだろうか。
日本人は知らない間になくしたり忘れたりしたわけじゃない。前へ進むためにあえて捨てたのだ。もっと大事なものを手に入れるために。
それは確かに間違っていたかもしれないし、大切なことを失ってしまったのは愚かなことだったのかもしれない。でも、この愚かさを通り抜けなければ決して前へ進めないことも事実だ。
いつまでも家族を大事にして貧しくてもみんなが寄り集まって生きていくことが正しいとは思えない。守っているだけでは進歩も成長もないのだから。
私たちは、自分たちの間違いをあえて肯定すべきだろう。そして、間違っていることに気づいても前へ進むべきだ。それしか道はないのだから。
家族の崩壊、自然の破壊や自然災害、地球環境の危機。それらは人類の歴史の中の必然だ。避けては通れない。そのことで自分たちのやってきたことを否定するのは間違ってる。
私たちは今更引き返すことなどできやしない。反省してる暇があったら少しでも前へ進んだ方がいい。
これからも破壊があり、崩壊もあるだろう。でも、その後にこそ、本当の正しさや美しさを私たちは手にすることができると私は信じている。
もう、あの頃に戻る必要なんてないのだ。
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車を運転しながら聴くいい曲は、見慣れた風景や、道行くありふれた人々をドラマチックに変身させる。
バックに音楽が流れ、スローモーションとカット割りされた映像が窓の外に映し出されているように見える。
車というのは私にとってとても大切なもので、必要不可欠なものでもある。
単に便利な移動手段などではない。
昔の人は歩きながらあれこれ考えたけど、今の時代の速度だと車のスピードの方が思考するのに向いている気がする。
車を運転してるといろんなことが見えたり、いろんなことを考えたり、たくさんのことを感じたりする。
もし私が車を持ってなかったら、今まで見つけた3分の1の言葉は見つけられなかったかもしれない。
車は私が人生で出会った素敵で大切なもののひとつだ。これからもずっとつき合っていきたい。
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今、ゲーム「ファイナルファンタジー8」に浸かってる。自由な時間のほとんどをこれに費やしていると言っていい。面白いではないか……。今更だけど。
これは友達に借りたもので、最初ちらっとやって、なんだ、詰まらん、と思ってその後ずっと放りっぱなしになっていた。でも、今度PS2から「ファイナルファンタジー10」が出るということでふと思い出して再開してみたら、突然取り込まれた。物語の中盤に差し掛かるあたりで。
ストーリーやキャラクターはどうでもいい。世界観もそれほど重要ではない。面白いのはこのゲーム特有のシステムだ。
簡単に言えば、いかにしてキャラクターを強くするか、ということなんだけど、これが簡単でも単純でもなくて奥が深い。最初は複雑すぎて理解できなかったんだけど、分かってくるとすごくよく練り込まれたシステムだということに気づく。
その部分が面白くて、本筋とは離れた部分でのめり込むようにプレイしている。
最近はやらされると感じるゲームが増えてしまった中、これは久々に自分でやってると思えるゲームだ。 みんなあれこれ文句を言ってたけど、私は買う。なんだかんだ言っても面白いし、よくできている。
「ファイナルファンタジー7」の時もそうだった。なんだかんだと不満を言いながらやったけど、最後は感動したのだった。
物語は残すところあと3分の1。キャラクターも最強が見えてきた。今週中には終わるだろう。
のめり込みすぎて他ごとが全部飛んでしまってるから、そろそろ終わらせないと。
けど、「10」もそろそろ発売だし、これが終わったら続けて「9」を買ってやってしまいそうだ。「9」はなかなか評判がいいみたいだし、これも楽しみ。
ゲーム熱はもう戻ることがないだろうと思ってたけど、いいゲームに当たれば戻るということだ。
小説熱もいつか戻るのだろうか。
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車の磁場が狂った、ということは前にも書いた。
あれは金沢へ向かう途中、岐阜県の山奥の峠道を走っていて、急にコンパスがきかなくなったのだ。
それで、新しいコンパスを買ったんだけど、それもまったく同じ症状なのでコンパスが壊れたわけではなく、車の中の磁場が狂ったということなんだろう、やっぱり。そんなことってあるんだろうか。
なにしろ、コンパスが北東と北西の間をわずかに揺れるだけなのだ。どの方向を向いて走っても。北東っていえば、いわゆる鬼門というやつではないのか? 不吉すぎる……。
で、イヤだなぁと思ってたら、今度は西固定になったのだ。西を向いたままピクリともしない。1つならともかく、2つともだから、間違いはないだろう。
一体私の車の中の磁場はどうなってしまったんだろう?
そのうち魔のバミューダ海峡に消える船のように、私もインテグちゃんごと消えてしまうのかもしれない。イ、イヤだ……。
どうしよう? こういう場合、誰に頼んで直してもらえばいいんだろう?
宜保愛子……じゃないよなぁ。
ミスター・マリックとか? ……それも違うだろう。 サイババ? ……。 うーん、なんにしても不安だ……。 なんとか自然に直ってくれないだろうか。
それか、ここはひとつ思い切って富士の樹海付近に行ってみようか。二日酔いを迎え酒でやっつけるように。うん、それがいいかもしれない。
よし、今度の富士山ドライブに期待しよう。
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ところでもう梅雨はこのまま明けるのかな?
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今日のための言葉 「進歩するのは、凡人だけだ。芸術家は傑作というサイクルを巡っている。最初の傑作は最後の傑作に劣らず完璧だ」
オスカー・ワイルド |
7月7日(土) 「平和がもたらすもの」 |
感じるしかない。手がかりは感じることだけだ。 今自分の置かれている状況、善悪の判断、物事の価値観、美意識、他人や作品の評価など。
野生動物のように感覚を研ぎ澄ませて感じれば、すべては分かるだろう。そうやって感じたものが答えだ。
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もっと確かなものを。
普遍でも永遠でもなくていいから、一瞬の確かさが欲しい。 リアルタイムの自分や世界を完全に肯定できる理由を……。
幻でも勘違いでもいいから、そういう確かさが今の私には必要だ。
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まだ夢の途中。夢から覚めてはいない。
目が覚めたら分かるだろう。ハッとするはずだから。
目覚めてないということは、まだ眠って夢を見ているということだ。
これは、決して悪夢などではない。後から思い出してみたら、ああ、いい夢だったな、と思うに違いない。
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体に悪いことも快感だし、体にいいことも快感だ。
体に悪くて美味しいものを飲み食いし、同時に体にいいことをして健康になった気がして喜ぶ。
人は自作自演の一人芝居を楽しんでいる。面白い存在だ。
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運命は乗っかるものじゃない。向こう側へ行くための踏み台にするものだ。
運命には従ってもいけないし、避けてもいけない。克服し、うち勝たなくては。
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ただ優秀なだけではどこにも辿り着けないし、何も残せない。
優秀なことはもちろん悪いことではない。でもそれだけじゃ駄目だ。意味がない。
金を持っているだけで使わなければ意味がないように。
そして、持ってるなら上手に使わなくては。できれば人のために。
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人生では失うことがとても多いように思えるけれど、考えてみれば人は皆、裸でこの世にやって来たのだ。手には何一つ持ってなかった。
だから、失うものなんて本当は何もないと言った方がいいのかもしれない。
すべては一瞬の幻。あんまり悲しんだり、腹を立てたりをしないように。
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我慢することや満足することは人生において幸福になる絶対条件だ。その能力が高い人ほど幸福になれる。
けど、満足することは危険なことでもある。満足してしまえばそこで進歩や成長は極端に鈍ってしまうから。人が頑張るのは現状に満足してない時だけだ。
幸福を取るか、成長を取るか。まあそれは人それぞれ趣味の問題なんだろうけど、私はできるだけ先へ進みたい。満足できても満足しないようにして。
その結果幸福になれないのだとしたら、それはそれで仕方ない。あきらめてもいい。
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今日も平和のうちに一日が終わった。
平和は心の安らぎをもたらす。
でももたらすのはそれだけだ。
世界が平和であるのはありがたいことだけど、人生が平和すぎるのはありがたくない。
この平和にも少々うんざりしてきた。
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今日のための言葉 「人生で最も苦しいのは、夢から覚めて、行くべき道がないことです。夢を見てる人は幸福です」 魯迅
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7月5日(木) 「いつの間にか街から消えたもの」 |
歳と共に感覚が鈍くなっていくことはそんなに恐れることではないのかもしれない。 たとえば映画にしても小説にしてもテレビにしても、歳を取るごとにだんだん詰まらなく感じられるようになっていくのだけど、それはきっと正常な感覚に違いない。少なくとも個人レベルではまっとうな変化だろう。
だから、面白く感じられないことを自分のせいだと思う必要はない。その時々で面白いと感じられるものを面白がり、楽しめばそれで充分だ。
それに、ある程度の歳になれば他人の評価なんてもう必要ないだろう。自分の経験と感覚で作品の出来不出来を判断すればいい。
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回転寿司は嫌いじゃないけど、回転寿司のような文章は書きたくない。
誰にでもそこそこの満足感を与えることもそれなりに偉大なことなのだとしても、私が探しているのはそんな言葉じゃない。街を適当に歩けば見つかるようなものじゃないんだ。
誰にも発見されていない言葉は、誰も足を踏み入れたことのない場所にしかない。
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毎日まいにち書き続けることで、いい言葉がポロリとこぼれ落ちることがある。熟した果物が自然に木から落ちるように。
そうやってしか手に入らない言葉というものが確かにある。
果物も言葉も、収穫を焦ってはいけない。 *
自分のために存在する幸せに触れたなら、実感としてそれが確かに分かるはずなのだ。あ、これは自分のための幸せだ、と。
目の前に自分のタイプの人が現れた時、あ、この人は自分のタイプだ、とはっきりと分かるように。 好みのタイプも幸せも理屈じゃない。 *
許すことと励ますことはセットでなくちゃいけない。
許しっぱなしでは決してその人のためにはならない。安心させすぎると怠け心に負けてしまうから。 まず許すこと。そして、慰めること。次に励まし、最後には覚醒させること。それが教育だ。
たとえるなら、まずモルヒネで痛みを取り、酒を与えて酔わせ、マリファナと大麻で気を大きく持たせ、仕上げに覚醒剤を与え、その上で、それら全部を自力で抜かせ、克服させる、といったところだ。
無茶苦茶だけど、これができたなら、それはもうものすごく強い人間になれるだろう。
ま、そこまでして強くなる必要は全然ないんだけど。
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街からいつの間にか消えてしまったものがいくつもある。昆虫や生き物だったり、空き地や銭湯や駄菓子屋だったり。
でもそういうものばかりではなく、昔は当たり前にあったものが気づいたらなくなっている、ということもある。 たとえば、当たりルーレット付き自動販売機はいつの間になくなってしまったんだろう? 気が付いたら街から姿を消していた。
いつくらいまであったのか。10年前はまだあったような気もするけど定かではない。
でも、私が中学、高校くらいまでは確かにあったし、あったどころかほとんどの自動販売機はルーレット付きだったような気がする。となると15年前か。
めったに当たるものでもなかったけど、10回やそこらは当たっただろう。たかが100円のことだけど、なんだかものすごく得をした気分になれて嬉しかったのもだ。
でもなんでなくなってしまったんだろう? そんなにメーカーにとって不利益になるとも思えないのだけど。あの当たり確率では。
私は思う、今こそ復活の時ではないだろうか、と。ここまで絶滅した今、もしあったらそれはとても新鮮に映るだろう。
自動販売機がいくつも並んでいて、その中のひとつだけルーレット付きだったとしたらどうだろう? あなたはそこでジュースを買わないだろうか?
私なら買うぞ。断然買うな。
ピコピコピコピコ……。
あの安っぽい電子音がなつかしい。
そういえば、しゃべる自動販売機はどうしたんだ?
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最近、自分の行動に迷う。いや、迷いを通り越してよく分からない。
少なくとも去年までは、自分がリアルタイムにやりたいことだけはいつも分かっていたし、そのことに関しての迷いはなかったはずだ。
けど、今年に入って流れが変わってしまった。自分でも気づいている部分だけではなく、目に見えない部分も含めて。
なんだか本当に何もかもがよく分からないのだ。そして、この分からなさはかつて味わったことのない初めての分からなさなので、その対処もよく分からない。もしかしたら、老いの戸惑いというのはこういうものなのかもしれない。違うだろうか。
やはり当面の目標を見失ってしまったのが大きいのだろう。だから、毎日がぼんやりしてしまう。
早いこと新しい目標を見つけなければ。
あるいは別の恋を。
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次のロングドライブがほぼ決まった。テーマは、「富士山を遠くから見よう」だ。
富士山は元々きちんと見たいと思っていた。けど、富士山の近辺までは遠い。高速を使わずに国道で日帰りするのはかなり苦しい。
ということで、富士山を遠くから見るドライブということになった。
とにかく富士山方面に向かって走って、富士山が見えた場所をゴール地点にしよう。あるいは6時間を。
さて、どこまで行ったら富士山は見えるのだろうか? 浜名湖あたりじゃ全然見えないのかなぁ。
素直に国道1号線を東に向かうか、それとも北上して長野の山へ向かって上って行った方がいいのか?
学生の頃、国道1号線で八王子まで行ったことがあるけど、あの時はどうだったか。ちゃんと富士山を見た記憶はないんだけど。それとも忘れているだけなのか。
下調べすると面白くないから、予備知識なしに行ってみよう。その方が見えた時嬉しいだろうから。
けど、もしまったく見えなかったら、往復12時間ドライブは虚しいだろうなぁ。その時は、帰りに浜名湖パルパルにひとりで行って、ひとりで観覧車にでも乗ってやるー。うなぎパイをかじりながら。
そろそろ梅雨明けしそうだし、7月中には行こう。
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一番変わってしまったのは、街でも世界でもなく、私自身なのかもしれない。
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今日のための言葉 「その時何をすればいいかなんて、後になってみないと分からない」 ゲーム「ファイナル・ファンタジー8」より
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7月4日(水) 「五感の記憶」 |
ずっと遠い昔、駄菓子屋で嗅いだ甘いお菓子の匂いの記憶がふいに蘇る。
でもそれは一瞬の出来事で、もっとよく思い出したいと思っても逃げていってしまって捕まえることができない。
匂いの記憶、そんなものが確かにある。 いや、五感の記憶それぞれがすべて甘く切なく懐かしい。
記憶は大人の宝箱だ。
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不幸は幸福の伏線で、幸福は不幸の伏線だったりする。
きちんと推理して読み切れば不幸は最小限に抑えられるし、幸福を全部捕まえることができるはず。
無駄に起こっている出来事は、たぶんない。鯛に捨てるところがないように。
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幸福の反対は不幸じゃない。幸福の反対は何もないことだ。
恋が叶うことの反対が振られることではなく何もないことのように。
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愛が金になればそれが一番だ。人を愛することで稼げればそんないい人生はない。
金というのは崇めるものではないし、軽蔑すべきものでもない。この世を形作る必要な要素の一つだ。人間の顔で言えば鼻のようなものだろう。
金とはつかず離れず、心を許しすぎず、喧嘩せず仲良くする、それでいこう。
金で愛は買えないとしても、愛は金になる。それは間違ったやり方じゃない。
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子供が大人より正しいなんてことは絶対にない。子供はあくまでも大人になる前の段階にすぎなくて、子供から大人になることは決して後退ではないからだ。
人間は大人になるために生まれてきた。人間が子供のまま成長をやめてしまったら世界は前進しなくなってしまう。
だから、断然、子供よりも大人の方が偉いのだ。
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自分を偉大だと思っている人間に偉大な人間はいない。
物事が見えるようになればなるほど人は自分の無力さを知って謙虚にならざるを得なくなるものだから。
偉く見える人間は、偉くなる途中の人間だ。
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ベランダのドアを開け、じっとりと暑く湿った夜気の中に出ていってみると、雲がかかった夜空に黄金の月が鈍く輝いていた。
いつか海で見た月に似ている。ふとそう思った。あれも夏の始めだっただろうか。
深夜のべとついた空気は、昔学生の頃吸った空気と同じ味がした。夜中、バイト帰りに窓を開けて運転しながら車のシートで嗅いだ香りだ。
街から多くの生き物が姿を消し、街並みは大きく変わってしまったけれど、夜の空気だけは変わってない。あの頃のままだ。
もうすぐ夏が来る。そしたら、真夏の早朝、カブトムシをとりに行った時嗅いだあの空気をまた嗅ぐことができるだろう。あれはとてもいい匂いなのだ。
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宇宙を見て気が狂わない人間の神経というのは相当鈍くできている。ありがたいことに。
田舎の星空を見たことがあるだろうか。本物の星空というのは、あれは人間のスケールからいくと明らかに狂っている。星の数が尋常ではないから。
1000億×2000億個あるといわれる星の数の前で、私たちは何を感じ、何を考え、何を思うべきなのだろう?
私は、知られざる犯罪の実体よりも、現実の星の数の方がずっと恐ろしい。
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期間限定の幸福。そんなものがあれば、身も心もそれに沈めてみたいと思う。
けど、幸福はリモコンでスイッチ・オン/オフするようにはいかない。幸福をやめたくなってもそう簡単にやめられるわけではない。
私は基本的に幸福な人間なんだと思うけど、心のどこかで幸福を恐れているところがある。必要以上の幸福が近づいてくるとふっと身を引いてしまうのだ。幸福になりたいと思いながら幸福を追いかけることができない。
精神的、もしくは人間的な欠陥なのか、それとも遠い過去の記憶が邪魔してるとでもいうのか。
だから私の場合、幸福になりたいではなく、幸福体験をしてみたいだけなのだ、きっと。ニューヨークに住みたいのではなく、ニューヨークへ行ってみたいだけのように。
何も恐れず幸福を求められる人がちょっとうらやましい気もする。
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優しい人間は人生の敗者だ。
人から傷つけられたり、つらい目にあったり、人生が思うようにいかなくて、その結果として優しさを手に入れる、それが優しい人間の仕組みだからだ。
人生が何もかも上手くいって他人との勝負に勝ち続けていたら、優しい人間になんかにはならない。そんな必要はないから。
優しさというのは敗者復活戦への条件だ。能力が足りない人間は、優しくなることでもう一度勝負をさせてもらえる。
間違ってはいけない。優しくなることが人生の目的ではないのだ。人生の目的は勝つこと。それ以外にない。他人にも、自分自身にも。
けれど私は思う。頂点に上り詰める人間は、連戦連勝のエリートなどではなく、敗者復活から勝ち上がった一番優しい人間に違いない、と。
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まだ作るべき思い出がたくさんある。
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今日のための言葉 「呼んでいる 胸のどこか奥で いつも心躍る夢を見たい 生きている不思議 死んでいく不思議 花も風も街も みんなおなじ」 木村弓「いつでも何度でも」(映画『千と千尋の神隠し』のテーマソング)より
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