2001.6.19-
7月2日(月) 「謙虚に至る長い道の途中」 |
思い描いた未来に辿り着けている人は一体どれくらいいるんだろう? 誰もいない……と言ったら悲観しすぎだろうか。
でも、誰も皆、夢の場所にとどまり続けることができないことだけは確かで、そうなるとやっぱり誰の人生も思惑からずれ続けるものなのだろう。
夢が叶った後の日常を生きるのはどんな気分なんだろう?
*
真の謙虚さを手に入れるための長い準備期間を私は今生きている。
本当に謙虚になれるのは自分がトップに立ったと感じた時だけだろう。山の頂上に立った時のように。
*
言葉を吐き出すことに夢中になりすぎていた。好きという感情を相手に押しつけることに必死になってしまう恋愛初期段階のように。
もっと言葉を選ばなくては。そして、きちんと捨てるべき言葉は捨てよう。
*
学んだことを活かさなければそれは詐欺みたいなものだ。ただ飯食いの居候だ。
親に対しても友達に対しても作品の作者に対しても、その他の人たちにも何等かの形で恩返しをしなければいけない。いけないというよりまずい。大きな借金を背負ったまま死んでしまったら、天国へ続く三途の川の途中で足を滑らせてそのまま地獄まで流れ着いてしまいそうだから。
あっ、ボク違います、えっと、上流でちょっと足を滑らせちゃって、間違ってここに来てしまったんです、ホントです、信じてくださいっ、ボク、天国に行く予定だったんですぅー、などと訴えても、きっと地獄の門番は福井県警の警官のように冷たくて言うことを聞いてくれないに違いない。
死ぬ時は身軽で死なないと。
*
自分の歳を感じる瞬間がいくつかあって、男と女とでは多少違うだろうけど、けっこう共通してるだろう。自分自身の肉体的な面や外見だけでなく、たとえば、甲子園の球児が自分より年下になってしまった時や、自分と同じ年代のスポーツ選手がベテランと呼ばれるようになったりとか、公園で子供を遊ばせているお母さんが自分よりもみんな年下になってしまったことに気づいた時などに。
それと若い連中が1980年代生まれと聞くとちょっとびっくりしたりする。おいおい、80年代なんてついこの前だったじゃないか、って思って。
けど、そろそろ中学生が1990年生まれになるのだ。そうなったら自分も一気に歳を取ってしまったと感じることだろう。
ま、歳を取ることは若い頃思っていたほど悪いことじゃないんで、そんなに嫌な気分というわけではないのだけど。
*
山で修行することは悪いことではない。でもそれは単に自己満足にすぎなくて、逃亡だということは自覚しておいた方がいい。
立派な坊さんも人間としては大したことない。
人のなすべきことは、汚れながら生きて人を幸せにすることなのだから。
*
人は何故他人に完璧さを求めるのか?
大切なのは何ができないかではなく、何ができるかだろう。
自分の正当性を証明するために必死になって他人を批判してる人間がいるけど、すごく下品だ。
好き嫌いは誰にでもあるからそれを言うのはかまわない。でも善悪の議論は不毛だ。そんなことからは何も生まれない。
愛があるなら、その人を非難する前に手助けしてやればいい。
*
人間は悪を行う自由を与えられている。自由とはそういうことだ。
悪いことをすれば当然楽しいし得をする。それを知っていてしないことに意味があるのだ。悪いことをしたくてもできなかったとしたら、人間の善行なんて何の価値もない。
悪いことをすることは間違ってない。自分の責任においてする権利がある。
悪の存在しない世界は自由の存在しない世界だ。
*
恋が消えた心は、主人公が消えた物語のようだ。向けるべき視点が定まらない。
恋が消えた心は、飼い犬が死んでしまった後の犬小屋のようだ。決定的な不在。
恋が消えた心は、家具のなくなった部屋みたいだ。生活がきちんと機能しなくなる。
*
聡明なセンチメンタリストでありたい、というのが私の願いだ。
知性のないセンチメンタリズムは気の抜けた炭酸水みたいに甘ったるいだけだから。
センチメンタルであることは恥ずかしいことじゃない。
*
泣かないことは強さの証ではない。
泣かない人は泣かないんじゃなくて泣けないだけだ。
泣きすぎるのもちょっと考えものだけど、泣かなすぎるよりはずっといい。泣けないというのは人間として一種の欠陥だ。
でも、泣くと一緒に鼻水まで出るのが人間の情けないところというかコミカルなところだ。涙を流すことは美しいことだけど、人間はきれいなだけじゃないってことだろう。
*
言葉では言い繕えない状況が差し迫りつつある。
でも、悩んでみても始まらない。悩むんではなく、考えて突破口を見つけなくては。
答えはごくごく単純なものであるはず。難しく考えちゃいけない。
*
運命はあるといえばあるし、ないといえばない。
要するに怠け者のための救済措置のようなものだ。
自分の意志で生きられる人間にとってみたら運命なんてものは特別必要なものではない。
*
誰にでも納得のいく結末というのはあり得ない。
誰かにとっては都合が良くて、誰かにとっては都合が悪い。全員にとってのハッピーエンディングというのは理論上無理だろう。
誰もを納得させるための唯一の方法は、終わらせないことだ。続いてさえいれば全員にとってハッピーエンディングの可能性があるから。
*
総ガラス張りの家で暮らせる人間はいないだろう。どんなにきれいな人間にも秘密や汚い部分はあるから。
そう考えると、人間以外の動物の方が人間よりもずっときれいな生き物だ。彼等にはやましいところがないから。
*
恋が正しいのは、恋には感動があふれているからだ。生活にはそれがない。だから生活は正しくない。
でも、もし生活に感動があれば、その生活は恋と同じくらい正しい。
*
どんな闘いでもいいから闘いたいという思いがある。
もっとぎりぎりのところで闘っている毎日なら詰まらないことに思い悩まなくても済むだろうから。
闘うべき対象が見あたらない。それもまた小さな不幸だ。
*
身長が伸びるのが止まったら、せめて知性でも伸ばさなくては。
成長が止まった人間は、その存在価値を急激に失っていく。
私は毎日賢くなってるだろうか?
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今日のための言葉 「感動は心に止まって消えようとせず、しかもその実在を信ずる為には、書くという一種の労働がどうしても必要に思われてならない。書けない感動などと言うものは、皆嘘である」 小林秀雄
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7月1日(日) 「平凡探知機」 |
すべてのやる気がストップした。動かない。 風がやんだ森の中のように、すべての存在が息を潜めている。
精神が仮死状態だ。
*
長く孤独な闘いの果ての答えがこれなのか?
こんなんじゃ全然笑えない。
こんな場所に辿り着くためにみんなから離れてひとりで歩いてきたわけじゃない。
今の私は、たったひとりで、泣いていいのか泣いてはいけないのかさえも分からない。
*
書き散らかした言葉の残骸が、私の小さな部屋に散乱し、行き場を失っている。
それらは風に運ばれることもなく、私の中に再び戻り、私と共に消えてゆく。
*
今日結論が出ないことに絶望しないようにしよう。
答えへの手がかりはまだ完全に失われてはいない。
*
世界中の孤独な魂のために、孤独なままに闘うことが必要なのだ。
孤独を肯定し、そして否定するために。
*
神に祈るな。現実の中で闘うのだ。
不幸を恐れず、幸福になるために。
*
人間なんてちっぽけなものだと言うけれど、それは結論としては正しくないと思う。
人間はやっぱり偉大だ。愚かではあるけれど、偉大でもある。
確かに自然にしか作れないものもある。でも、人間にしか作れないものの方がずっと多いではないか。
人間は自分たちの無力さを克服し、もっと克服しようと前進、向上を続けている。
明らかに向上心を持っている生物はおそらく人間だけだろう。それを偉大と呼ばなくて何と呼べばいいのか?
*
私の中には、「平凡探知機」があって、非凡に見せかけた平凡に鋭く反応する。その感度はかなり鋭い。
たとえば今日始まったドラマ「恋いしたい恋したい恋したい」はあっさり引っかかった。
私は平凡な作品を憎む。
*
世界チャンピオンの畑山が負けた。
私は彼がとても好きだから、今回も勝って、また何回も彼の試合が観たかった。
おそらく、これで引退することになるだろう。
でも、どうせ負けるなら倒されて負けて欲しかった。私の記憶のスクリーンに鮮やかに焼き付くように。
世界チャンピオンが負ける時は倒されなければいけないと私は思う。勝つ時は格好悪くてもいいから、負ける時は格好良く、潔く。
今日の試合を観てあらためて気づいた。
危険を冒さなくては大事なものは手に入らないし、大事なものを失ってしまうのだ、ということに。
彼は少し聡明すぎたのかもしれない。
*
夢のような未来が欲しいわけじゃない。
自分が納得できる現実が欲しいだけなのだ。
けど、もしかしたらそれが一番難しいのかもしれない。
*
*
*
来週は非情にぼんやりした一週間になってしまう危険がある。遠出もないし、映画もない。大きな買い物もない。ADSLの接続があるかもしれないけど、それがなかったら何もない。
そういう時は少しでも積極的に動かないと。
明日は少し早起きして昼間の時間を長くしよう。
*
切れた糸を結び直すことができない。
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今日のための言葉 「孤独な魂は夢を見る」 「情熱大陸ーー諏訪内晶子特集」
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6月30日(土) 「奇跡は頭の中に」 |
生きている中で、大切なことにたくさん気づき、多くを見失った。 たぶん失ったことの方が多いけれど、失った後にしか気づけないことが確かにあって、それこそが本当に大切なことなんだということを今は知った。 生きることの基本は感動することだ。
どんなに時代が進んで、人の心が荒もうとも、人が人である限り、感動する心は消えないだろう。 誰もが感動したがっている。白けた若いやつらも、疲れた大人も。 人と人が触れ合う場所にそれはある。 * この世界に対して優しい気持ちになっていくことが嬉しい。 いろんなことが許せないよりも許せる方が幸せに違いないから。 でも世界が正しいだなんて思ってない。ただ許そうと思える魅力があるだけで。 世界は今も昔も変わりなく狂ってる。 * 自信を持つことは大切なことだけど、自信を持つことそのものが大切なわけではない。何かを成すために自信を持つことが大切なのだ。 自信だけ大きければいいってもんじゃない。
*
健康な体のために各種ビタミンが必要なように、私の精神を健康に保つためにいろんな種類の才能が必要だ。
愛がなければ生きていけない人、美味しい物に囲まれてないと幸せになれない人、仕事が生き甲斐の人、人それぞれ自分にとってどうしても必要なものがある。
私にとってはそれが才能だ。だから、才能に関してはとても厳しい。食べるユーカリの葉にやたらうるさいコアラのように。
もっともっと才能が必要だ。
*
意識を際限なく拡げてゆく、と同時に一点に集約することができるのが人間の脳の優秀なところだ。
たとえば今私は、テレビで音楽番組のビデオを観ながら、夜食に何を食べようか悩み、無限の宇宙と永遠の時間を同じ平面上に捉えるにはどうしたらいいか考えを巡らせている。
それら次元の違う思考を同時にしながら、まったく矛盾しない脳というのはやっぱりすごい。
思考、想像力、知識、知恵、情報、勘、無意識、感情、それらの要素が渾然一体となり、脳として一つに集約されている。
そして脳には無限に近い可能性がある。奇跡はすべての人間の頭の中にすでにあるのだ。
*
上手く生きたって何になる?
自分にしかできないことをやるのが人生の意味だ。みんなと同じことを同じようにやって同じように幸せになって、それが何だというのだ?
大切なのはオリジナルであること。オリジナルでなければ生き残れない。命のスクラップ置き場に捨てられるだろう。
*
この世界は遠浅の海のようなものだ。
浜辺の近くは安全で甘い。けど、ある所から急激に深くなって危険になる。
人生は滅茶苦茶甘い。でも、ある一線を超えると厳しくなる。
人生の甘さと厳しさはそういうことだ。
*
不幸な人を幸福にすること。曇った顔を笑顔に変えること。それもこの世における立派な仕事のひとつだ。
人は自分を幸福にするためだけに生きているわけではない。そんな目的のために命を与えられているわけではないだろう。
*
この世界で本当に正しいことをしたければ、権力を握ることだ。たとえ汚い手を使ってでも。
個人レベルでできる善行や立派な行いなんてたかが知れている。 出世したり政治家になったりすることは悪いことじゃない。実際問題として、上にいかなければ何もできやしないのだ。
他人や社会に文句を言う暇があったら出世するために勉強した方がいい。もしくは金を集めるとか。
*
観客の側に回ってはいけない。一度観客になってしまうと一生観客で終わってしまう。
舞台に立ちたければ、自分を観客の側に置いてはいけない。
観客は自分を幸せにすることしかできないから。
すべての人間は舞台に立つ権利と可能性を持っている。
もちろんそのことを望めば、だが。
*
半分の大事なことと、もう半分の大事なこと。
客観的満足と主観的満足、とても言ったらいいだろうか。
大人と子供を自分の都合で使い分けるずるいティーンエイジャーのように、私もまた身の置き場を変えて逃げている。
やはり完全なる満足を目指すべきなのだろう。言い訳しなくても済むように。
*
経験を書くことは簡単なことだ。
けれど、私はそういう料理を目指してるわけじゃない。食材をそのまま活かした料理ではなく、調理のためにいい食材を選ぶ、というのが私の方法論だ。
最高級の食材を集めれば誰でもある程度の料理はできる。世界一周すれば誰でも面白い旅行記が書けるように。
私が探してるのは最高の食材ではない。最高の料理だ。
レトリック、レトリック、レトリック……。
*
身に回りに自分よりも明らかに優秀で格上の人間がいないと、生きることが難しくなる。
人は常に他人との比較を通して自分を知るものだから。
追いつくべき目標がないとなかなか走り続けるのは難しい。
*
優秀さも、知識も、才能も、賢さも、それぞれ一要素であって、それ自体決定的なものではない。優劣の目安にはなるけど、ただそれだけだ。
本当に大切なことはもっと先にある。他人に対して何をどれだけできたか。それだけがこの世に生きる人間として大切なことだ。あとはみんな些事にすぎない。
*
*
*
今日の「明日があるさ」<最終回>で今回の連ドラはすべて終わった。なかなか掘り出し物や拾い物もあって、全体としては満足してる。
個人的な順位を付けるとこうなる。
1.「ムコ殿」
2.「私を旅館に連れてって」
3.「天国に一番近い男」
4.「ラブ・ストーリー」
5.「明日があるさ」
6.「新・お水の花道」
7.「ルーキー!」
以下のドラマを私は買わない。
「R-17」
「昔の男」
「新・星の金貨」
「Pure Soul」
「ラブ・レボリューション」
今回一番の拾い物はなんといっても「ムコ殿」だ。全然期待してなかったけど、これが一番面白かったし、脚本もキャラクターも良かった。
何よりもオリジナルだったことを買いたい。
「私を旅館に連れてって」も良かった。最初の3回くらいで挫けそうになったけど、その後観続けて正解だった。後半ぐっと面白くなって、最後もさわやかで気持ちよかった。
「ラブ・ストーリー」が期待はずれだったのが残念だったけど、でも相対的にみればやっぱり北川悦吏子脚本は一段上に位置している(ふと思ったけど、あの二人を渡部篤郎と常盤貴子でやったらどうだったろう? もっと面白いものになった気がする)。 今回一番駄目だったのは「ラブレボリューション」だ。好みの問題ではなく、あの脚本はまるでなってなかった。
それと、「新・星の金貨」の脚本に野島伸司は納得してるのだろうか? どういう経緯で人任せにしたのかは分かるはずもないけど、私が野島伸司なら怒る。それはないだろうと思う。
さて、次はどんなドラマをやってくれるだろう。楽しみだ。
最近は字幕の洋画を観ることがだんだん苦痛になってきているけど、日本映画と連ドラだけは無限に観ても飽きない気がする。
映画が好きかと問われると少し答えに詰まるけど、日本映画が好きかと訊かれれば自信を持って好きだと言えるし、ドラマが好きかと問われれば大好きと答えられる。
少しずつ歳を取る中でだんだん好みにうるさくなっていくけど、それは自分の好みがはっきり分かるようになってきたことでもある。
好きな日本映画とドラマを少しでもたくさん観るために、長生きでもしようかな。
==================== 今日のための言葉 「ねえ 君は 愛の続きを ねえ 誰としてる?」 桜庭裕一郎「ひとりぼっちのハブラシ」(ドラマ「ムコ殿」テーマ曲)より |
6月28日(木) 「消えない違和感」 |
もう、今の私は真実なんて探してないし、欲しくもない。 必要ないし、人に与えてもらおうとも思わない。
もっと表に表れている事実の方が大切だ。それを見極めたい。
若い頃は人間を超えたいと夢想した。
でも今は、もっと人間であることを追求したい。
これを私は堕落とは思わない。老化現象でもない。当たり前の流れだ。
*
うぬぼれと自信は、紙一重でもないし、裏表の関係でもない。
うぬぼれは自信の不完全な形だ。うぬぼれに他人の誉め言葉や評価を数滴たらせば、それはたちまち自信に変わる。 うぬぼれと自信の関係とはそういうことだ。 *
私はプライドが低すぎる人間が苦手だ。
そして、自分は頭が悪いから、というセリフは大嫌いだ。 頭が悪いって自覚してるなら頭が良くなるように努力すればいいじゃないか。誰だって一様に頭は悪いのだ。この世で本当に頭のいい人間なんて一人もいない。頭が悪いなんてのは当たり前の話で、わざわざ言うべきセリフではない。 大事なのは今現在どうなのかということではなく、この先どうありたいかということだ。
向上心がない人間は駄目。救いがない。たとえ天才であっても。
*
私の中にあるのは、夢でもなく、目標でさえなく、宿題だけだ。
やりたいんじゃない、やらなきゃいけないんだ。やり遂げるまで補習は続くんだから。 *
まずは何を考えればいいのか分からなくなる。
次に何を感じればいいのかが分からない。 最初から最後まで何をすればいいのかが分からない。 *
見知らぬ街で一瞬目にした光景がふと頭の中に浮かぶ。
目を閉じるといくつも。 それらもやっぱり大切な財産だ。生きることでしかたまっていかない。 思い出だけじゃなく、印象や風景の記憶も幸せのかけらなんだと思う。
*
人は一番大切にしていた想いさえ手放してしまう。
自分が不幸になってしまうことに気づいていても。
それにはいくつもの理由がある。
けど、その謎は誰にも解明できない。
*
誓うことはいいことだ。それは美しいことだから。
たとえ、永遠の誓いなど守れるはずもないということを最初から知っていたとしても。
結婚は美しくて愛すべき茶番だ。
誰でも否定できる。でも、同時に誰も否定しきれない。
*
人間の駄目な部分に目がくらんでしまわないように。
いい面を積極的に見ていくことが必要だ。努力しないといけない。
とにかく裁かないこと。裁くことは決して幸福にはつながらないから。
*
のどが渇いて水をどんどん飲むんだけど、いくら飲んでも渇きがおさまらないように、楽しいことをいくらしても心が楽しさで一杯にならない。
心に開いた穴が大きすぎるのかもしれない。
*
*
* 三重の海ドライブも終わって、観たい映画もなくなって、なんとなく一段落ついた感じがしている。気づけば目標がない。少し途方に暮れている。 やるべきことややらなければいいけないことはいくらでもある。主婦の家事のように。でもやる気が全然足りない。気持ちの問題だ。
なんとか気分を盛り上げて先へ進まないといけないのだけど、少し停滞しそうな予感がしている。何か新しいことが見つかるといいのだけど。
みんなは状況が自分に何も要求しない時、どうやって新しい何かを見つけているのだろう?
2001年もそろそろ半分終わろうとしているけど、2001年前半の私は間違いなく不幸だ。いろんなものが一気に崩れ去ってしまった。良い面も多少はあったけど、多くは悪い部分で。
思えば去年は幸せな年だった。いろんなことが新しく始まって、それらの多くが自分にとってプラスになったから。
さて、後半はどうなるのか。悪いなら悪いでもいいけど、印象的なものにしたい。
夏の終わりあたりで大きな分岐点があるから、このままでは済まないだろうけど。
次のドライブの目的地が決まらない。
7月になったら海開きで私にとっては逆に海はシーズンオフになる。夏の海と私は相性が悪い。
ということで9月まで海は駄目だ。
東西南北、主立ったところは行ってしまった。もちろん高速を使えばまだまだ半径は広がるけど、今のところ高速は考えてない。
そうだ、東はまだ行ってないところがあるかもしれない。大物の富士山が残っている。
でも富士山は遠い。遠すぎる。金沢より遠いだろう。となると、富士山が見える場所ということになるか。それはどこなんだろう? 山に登ればこのへんからでも見えるのかもしれない。長野あたりの山からなら見られるんじゃないか。山といっても山登りするわけではもちろんない。車で行けるところだ。
どこかいいところがないか、ちょっと調べておこう。
*
今車で聴くアルバムがしっくりこなくて困っている。
第2次ユーミン・ブームは終わり、小松未歩も聴き倒してさすがに飽き、新しく開拓した中谷美紀と鬼塚ちひろも悪くないんだけどもうひとつ心に響かない。
誰かいい女性ボーカルはいないだろうか。今男性ボーカルには拒絶反応を起こしてるから女性シンガーじゃないといけない。
自分で作詞をしていて、バラード系を歌う女性ボーカル……。
うーん、レンタル屋で適当に借りてみるか。勘で。
一応、川村結花だけは借りて聴いてみるつもりでいる。「夜空ノムコウ」を超えるオリジナル曲を持っているんだろうか?
*
私が知っていることは、まだ人生の3分の1だ。
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「なんで彼じゃないとイケナイんだろう・・・。などと、雨の経堂駅で思いを巡らしたこともあった」 川村結花
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6月23日(土) 「嫌な汗2リットル」 |
今日は久々にたっぷり汗をかいた。いい汗ではなく、嫌な汗を。 そう、LANボードの取り付けで。
本体カバーの取り外しは問題なかった。VAIOをラックに乗せたままでも後ろに手が回ったし、LANボードを取り付けるPCIスロットの場所もすぐ分かった。スロットカバーの取り外しは接着がけっこうきつくて多少苦労したもののなんとかなった。LANボードの差し込みも例によって固かったけどやや無理矢理押し込んだ。と、ここまでは何の問題もなかった。なんだ、簡単じゃないか、30分で終わってしまったぞ、とちょっと拍子抜けしつつ片づけの作業に入った。
だが、問題はここからだった。まず後ろのボードを固定するカバーがはまらないではないか。むむむ。なんで?
外す時よく見てなかったからどういうふうにはまっていたか分からなくなってしまったのだ。ああでもないこうでもないと色々試してみるんだけどよく分からない。もうこの時点でかなり大汗をかいていた。
結局カバーははめないでその外側のカバーだけでいいや、ということになりすべてを元に戻した。かなり不安に思いながらも。
そして、スイッチ・オン。
ピー! ピー! ピー! ピー! ピー! とVAIOが明らかに異常を告げる警告音を鳴らしたではないか。うわぁぁぁーー、と心の中で叫びながらもどうなるか見守っていたら、今度はウィィーーーンと不吉なうなり声を上げ始めたのだ。なんだ、なんだ!?
すると今度はモニターの電源が勝手に切れて真っ暗になってしまったのだった。おいおいおいおい、勘弁してくれよー、と思いつつスイッチを入れたら、またすぐにモニターは消えてしまう。電源が入らないのだ。
駄目かもしれない……。もうこの時点でかなり青ざめた。汗もだくだく。けど、トラブル本番はこれからだった。 その後とりあえずVAIOは静かになったので電源を切った。モニターに何も映らない以上、どうにもならない。
もう一度本体のカバーを外して中を見てみることにした。
すると、なんと、モニター用のボードがスロットルから外れているではないか。なんだそりゃ。やっぱりボード固定用のカバーを付けなかったから、作業中に緩んでいて取れてしまったのだろう。そのボードをもう一度取り付けた。これで大丈夫のはずだった。
それでも、やっぱり固定カバーは取り付けないとまずいようなのでなんとかはめようとしたのだけど、どうにも上手くはまらない。
ええーい、もう壊れても知らんっ、と最後はかなり無理矢理にはめ込んでネジで仮どめすることにしたのだった。不安だ……。
これで一応大丈夫のはず……と、VAIOのスイッチを入れてみた。すると……。
ピーーーーー! と、またもや異常音がするではないか。うっ。なんで!?
モニターも電源は入るものの、すぐにスタンバイの状態になってしまって真っ暗なまま何も映らない。
いかれてしまったか……。
しばし茫然自失。頭の中では、故障、修理、何万円、買い換え、借金、PCなし生活、ドリキャスに逆戻り、故障、修理、何万円……といった悪い予感がぐるぐる回り続けるのだった。血の気が引いた。
しばらく経ってやや冷静さを取り戻したところでもう一度確認することにした。スイッチをいったん切って、またつけ直す。……駄目。VAIOの方からの警告音はなくなって一応普通に動いている感じはあるんだけど、モニターが相変わらず動かない。
VAIOの故障なのか、モニター関係のボードがいかれてしまったのか、それともVAIOとモニターの接続に問題があるのか。何しろモニタに何も映らないものだからどういう状況なのかさっぱりつかめないのだ。
その後LANカードを取り外してみたり、モニターの接続をつなぎ直してみたり、あれこれ試してみたんだけど、いっこうに直らないし原因も分からない。いよいよ追いつめられた。故障、修理、何万円、買い換え、借金、PCなし生活……。
あとできることといえばモニターのボードをもう一度差し込み直してみることくらいだ。念のためやってみた。でも駄目。もう一度。駄目。最後にもう一度だけ。
おおっ! モニターにゆっくりSONYの文字が浮かび上がってきた。……直った!?
いつもの起動画面が出て、Windowsのデスクトップ画面までいった。助かった……。
嬉しかったというよりも安心して力が抜けた。ふうー。疲れた。
結局、モニターのボードが外れたまま起動してしまったことがおかしくなった原因だったようだ。ううーむ、それにしても焦った。
もう一度LANカードを差し込んで再起動する。おっ、大丈夫だ。ちゃんと起動したし、LANカードを新しいハードとして検出もして、ドライバディスクを要求してきた。
ドライバのインストールも成功。LANカードも正常に機能しているようだ。
やれやれ。
この3時間の間に真夏に3時間テニスをしたくらい汗をかいた。いや、本当に。2リットルくらい。
でもまあとりあえずLANカードも取り付けられたし、VAIOも元に戻ったし、よしとしよう。ここまで大変な目に合うとは思ってもみなかったけど……。
しかし、ここで終わったわけではもちろんない。この後NTTにフレッツADSLの申し込みをして、ADSLモデムの取り付けとPCの設定が待っている。不安だ……。まだまだ何かが起こりそうな予感が……。
ADSL常時接続への道のりはまだまだ遠いのであった……。
けどパソコンって、本当に何か新しいことをしようとすると必ずトラブルが起こる。まったく困ったものだ。 今日は嫌な汗をかいたなぁ。あ、でもパソコン改造はダイエットに最適かもしれない。特に夏場はいい。エアコンを止めてややこしい作業をすればたっぷりいろんな汗がかけること間違いなし。痩せる思いもできる。きっと1キロくらいはすぐに痩せられるだろう。
ダイエットに行き詰まったらぜひ試してください。 *
今日はあれこれ先々のことを考えてむやみに不安になった。
暗闇を必要以上に恐れると本当に恐くなってしまうように、将来を不安に思いすぎるとますます不安になってしまうものだ。だから、今日はこれ以上考えるのはやめよう。いつもいつも考えることが正しいわけじゃない。
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今日のための言葉 「おまえには時間がないんだ。明日がないって気持ちで生きろ。そしたら何かが見つかる」 ドラマ「天国に一番近い男」より
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6月22日(金) 「切り取られた写真の中の光景のよう」 |
惹かれ方は幾通りもある。 でも正しい惹かれ方は一種類しかないのだろう。
それを見極めるのはとても難しいけれど、間違った惹かれ方に身を委ねてしまうと人生を誤ることになる。。
*
幸福になる必要はないのかもしれない。
幸福であることを知る手掛かりさえ得られれば。 大切なことに気づくには何かのきっかけが必要だ。
だから常に意識を内と外の両方に向けて敏感でいなければ。微かな信号も逃さないように。
*
人は自然に変わっていくし、意識的にも変わる必要があるけれど、他人の意志や超自然の意志みたいなもので無理矢理変えられてしまうのはやっぱり嫌だ。
たとえば道で3億円を拾ってしまったり、飛び込み自殺を目撃してしまったり、ある日突然超能力が身に付いてしまったり、といった自分が望まない経験をすることで変わってしまうのはできれば避けたい。
今のところ私の人生ではそういった出来事は起こっていないけど、最後まで自分の意志でコントロールできる人生にしたいものだ。
霊能力いらないし、UFOに連れ去られて人体実験されるのも絶対嫌だぁー。
*
たぶん偏見だけど、私はこう思っている。犬好きに悪い人はいるけど、猫好きに悪い人はいない、と。
犬好きの人に叱られそうだ……。
けど、ヒットラーだって大の犬好きだったんだから、少なくとも犬好きに悪い人がいることだけは確かだ。 猫といえば石川ミーだ。やつは最近めっきりぐうたら猫になってしまって、一日の9割くらい寝て過ごすというていたらく。メシだけは相変わらず思う存分食べて小太りなんだけど、どうも年寄りくさくていけない。
そこで、人間と猫の年齢対応表というのを見てみたら納得した。やつはもうすぐ8歳で、それは人間でいうと54歳にあたるらしいのだ。はは。いつの間にか、やつってばそんなおっさんになってたのかぁ。そりゃあもう若さもなくなるってもんだ。昔でいえばもう定年の歳だもんなぁ。
でもあと何年生きられるか分からないけど、できるだけ長生きしてもらいたいと思ってる。ただ寝てるだけでもいいから。
なにしろあいつほど見ていて笑える猫は他にいないから。外に遊びに行く時は必ずエレベーターを使って、散歩中の犬の背中に飛び乗って犬を驚かせたり、右翼の宣伝カーが通るとどれだけ熟睡してても飛び起きて外に飛び出していく猫なんてそうはいない。
*
楽しいことに焦点を当てれば楽しくなるし、悲しみに焦点を当てればすべてが悲しい。
人生は切り取られた写真の中の光景のようなものだ。自分の目に何を写すかは自分が決められる。目の前の光景は変えられなくても。
何を写真の中心に置くか。何を写さないでおくか。
余分なものも一緒に写り込んでしまうことはあるけれど、自分が一番好きな部分を、好きな大きさで写せばいい。誰の人生にもそれくらいの自由はある。
*
今日は久々に雨が上がったので、あちこち買い物に行っていた。
一気に買い物をするのは快感でもあり、不安でもある。今日も不安が勝ってしまって買うべきものをいくつか買えなかった。また来週出直して買うことになるんだからついでに買っておけばいいのにとも思ったりもするんだけど、そういうものではない。
服を買い始めるとあれこれ欲しくなるってことがあるけど、これは外出にも同じことが言える。あんまり出掛けない日が続くとそれはそれでいいと思えるんだけど、あちこち行き出すともっといろんなところに行きたくなる。そういうものだ。
結局今週は三重の海ドライブへ行けなかった。一日くらい晴れて欲しかったんだけど。
まあしょうがない。また来週だ。
週間天気予想によるとあまり期待できそうもないけど、とにかく今はこれをやっつけないことには前へ進んでいかないから、なんとか来週こそ行きたいところだ。
オークションで買ったLANカード(510円)が届いた。LANケーブルは店で買った方が安上がりだったので新品を買った(570円)。
明日はこの取り付け作業だ。さて、果たして上手くいくか。
けっこうLAN絡みのトラブルは多いみたいだから最初からすんなりいくとは思ってない。
それから取り付け作業も相当大変そうだ。ちゃんとVAIOを取り出せさえすれば問題ないはずなんだけど、今の場所に置いたまま後ろまで手が回るだろうか。パソコンラックが邪魔で届かない感じもある。
どうにかできればいいけど。
電話の配線もやり直さないと。
*
今はメールの曲がり角。
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今日のための言葉 「人類というのは寂しいものではない。楽天的なものだ。生命は進化するのだから」 魯迅
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6月21日(木) 「雨降りにしかできないことは?」 |
生きることは別に楽しいことじゃない。 けど、楽しく生きることはできる。
あるいは、楽しく感じることは。
*
少し賢い人間にとってこの世界は退屈な場所だろう。
でも彼等は知っているだろうか、もっと先へ進めば生きることが俄然面白くなるということを。
充分賢い人間にはとってこの世界は天国よりも天国的な場所なのだ。 *
行ってから引き返してこなきゃ駄目だ。もうここでいいなんて言わないで。
悟る前に悟った気になってどうする。
悟ることが終わりじゃない。悟ることは折り返し地点なんだ。
行って帰ってこなきゃ。
賢さを捨てていいのは究極まで賢くなった人間だけだ。
*
味の好みが人それぞれなように映画に対する好みもそれぞれだ。正解はない。
私は甘口カレーが好きなように甘口の映画が好きだ。それは好みなんだからしょうがない。
*
なんというのか、自分を好きな人だけに囲まれている毎日はとても楽なんだけれど、そうやって自分を甘やかし続けていると自己修正がだんだんできなくなってきて、ついには歪んだ人間ーーとても自己満足的な人間ーーになってしまう気がする。
愛情というのも取り扱いに注意しないと毒にもなるということだ。
人間は、ある程度の悪意や敵意に囲まれてそれらと闘うことによってバランスを保っていくのが自然な在り方なのかもしれない。
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私は単純にもっともっと賢くなりたい。賢さが幸せにつながるとも思ってないし、賢いことが偉いなんて考えてもいないし、賢さがゴールだなんていう勘違いもしてない。けど、それでもなおもっと賢くなりたい。それはもう願いを超えた祈りみたいなもので、たとえば女の子がもっと足が細くなりたいというのに近い感情なのだと思う。
彼女は足がもっと細くなりさえすれば……と思い、私はもっと賢くなりさえすれば……と考える。その先のことなどよく分からないままに。 *
物語と物語はリンクする。
微妙に、あるいは濃密に。
人生という物語。 主役と敵役。脇役、道行くの人々。 ひとつの物語がエンディングをむかえても、リンクは終わらない。 回想シーンで使われる限り。 すべての物語がひとつになるその日まで、無数の物語が絡まりながら進行する。 *
小さな幸せだけじゃ駄目だし、大きな幸せだけでも駄目なのだ。両方求めないと。
小さな幸せと大きな幸せは相反するものではない。けど、大きさの違う同じものでもない。
たとえるなら、一軒家とプリンみたいなものだ。家だけでは幸せになれないし、プリンだけでも幸せにはなれない。一軒家も建て、プリンも食べないと。
大切なのは、向上心と日常を大切にする心だ。どちらが欠けても心は満たされない。
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幸せなやつが偉そうなこと言うなよ、という気分が私の中にある。それは確かにある。
幸せな人間は言ってはいけない言葉というものもあると私は思う。
病人が健常者よりも多少は優遇されるべきであるように、不幸な人間は幸福な人間も少しは優遇されるべきだろう。
地図を見ながら、まだ通ったことのない道を走って、まだ見たことのない場所へ行く。期待と不安と心浮き立つ感じが楽しい。 いつもと同じ時間にいつもと違う場所にいていつもと違う景色を眺める。それがなんだか嬉しい。
きれいな風景にも、観光名所にも、実はあんまり興味がない私なのだった。
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道行く人たちの服装を見ているとその人に合った服を選ぶのはとても簡単なことのように思えるのに、テレビの中の芸能人を見るとその人に合った服を選ぶことはとても難しいことのように思える。何故だろう?
ただ、言えることは、日本人には外国の高級ブランドは似合わないということだ。悲しいけれど。
ところで、ドラマ「ラブ・ストーリー」の中のトヨエツがしている恰好と普段私がしている恰好はけっこう似ている。黒ずくめやオープニングでの白ずくめや、細いパンツなどが。
私はトヨエツが私のマネをしたんだと思っているけど、トヨエツも世間もそうは思ってないだろう。街で私の恰好を見た人々は、私のことをトヨエツのマネをした間抜けと思うかもしれない。その可能性は大いにある。けど私は言いたい。 トヨエツが「ラブ・ストーリー」であの恰好をするずっと前から私はこういう恰好をしてるんだぁー、と。
……。
しばらく白黒はやめようかな……。
私にはまだ茶系統のグラデーションというバリエーションもあるから。
ドラマといえば、「ムコ殿」はやっぱりいい。今回の中で一番出来のいいドラマだと思う(一番良くないのは「ラブ・レボリューション」、悲しいほど才能のない脚本は泣けてくる)。
長瀬智也は魅力があるし、演技もなかなかだし、歌も上手い。このドラマで大いに見直した。これからが楽しみだ。
* ここ数ヶ月で思考の部分ではかなり前進しているけど、精神的な部分ではむしろ後退している気がする。
私の場合、強く他人を求められない時は悪い時期で、今その傾向にある。
原因と対策は分かっているんだけど、これがなかなか。そう簡単にはいかない。
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毎日雨や曇りばかりで三重の海ドライブも行けないし、あらゆることが前進していかない。日常も気持ちも滞り、淀む。
なんとかこの雨を有効利用できないものか。雨降りにしかできないことって何かあるかな?
うーん、思いつかない。この梅雨が終わるまでに答えを見つけないと。
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今日のための言葉 「時には身をゆだね、 時には目標に向かって舵もとり、 雨の日は雨に打たれ、 晴れの日はかわかし……」 銀色夏生『つれづれノート7』より
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6月19日(火) 「才能と幸福」 |
時々、ふっとすべてを愛せると思える瞬間がある。
誰にでもあるのかもしれない。世界中を抱きしめたくなるような時が。
それは、人が神と呼ばれるものに近づいた瞬間だ。
人はこういう感情を持つことがあるから、心のどこかで神の存在を感じるんじゃないだろうか。教典や教えの存在なんかとは関係なく。
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私は、人間はすべて横並びだと思ってるから、人間関係も横の関係でしか考えてない。
私は誰の下でもないし誰の上でもない。
最も尊敬するアインシュタインに対してさえ憧れはない。あの人のようになりたいとも思わないし、弟子入りしたいわけでもない。ただ友達になりたいだけだ。
なれるものなら神とだって友達になりたいくらいだ。
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この世界で一番強いのは笑いだ。不幸や暴力や悲劇や涙に勝てるのは笑いだけだから。
それに、芸術よりも笑いの方が上なんだということを知る必要がある。
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発する言葉には正しい時と場所というものがある。言葉単独で正しいだけでは駄目なのだ。
私の中にも言いたいんだけど言えない、あるいは言ってはいけない言葉がたくさんある。それらは、いつか解禁になるまで私の中で寝かせておくしかない。
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世の中にはいろんな才能が一般社会の中でひっそり埋もれているんだということにネットを始めてから知った。
たとえば、作家志望とかでは全然ないのに、とても上手い文章を書く人がいる。いや、上手いというんじゃなくて、その人の人柄が出ていて、読んでいてとても幸せな気分になる文章だ。
それは明らかに才能なんだけど、本人はそれを利用して世間に認められようなどとはまるで思っておらず、しかも自覚さえしていない。私が、それは才能なんだよ、作家を目指したらどうかな、などと言ってもきっと本気にはしないだろう。
才能ってのは一体なんだろう? その問いの答えは、まだ出ていない。この先ずっと私が追い求めるテーマのひとつであり続けるのだろう。
ただひとつ確かなことは、私は才能がとても好きだということだ。もしかしたらこの世界の中で一番。
才能はそれ自体、私を幸福にする。
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コンピューター・ゲーム、テレビ・ゲームに対する根深い偏見というのはまだまだ残っているけど、私は大量の時間をゲームに費やす中で多くのことを感じ、教えられ、学んだ。だから、ゲームは私にとって本や映画と同じかそれ以上に大切なものだ。本当にそう思う。
特に世界の全体像を外側から眺める視点というのは多くのゲームをやらなければおそらく手に入れられなかっただろう。
それからゲーム音楽だ。ゲームの中に使われているいい曲がたくさんあるのに、それらは一般的には知られることなくゲームと共に忘れ去られてしまう。それはとても惜しいことだ。声優のほとんどはそこらの歌手より数段歌唱力があるし。
いつかそれらの曲をみんなが当たり前に聴く日が来るといい。それが実現しなければ、私がマイベストカセット(ここはやはりカセットじゃないと)を作ってもいい。
……相手にされないかなぁ。でも本当にいい曲がたくさんあるんだけどなぁ。
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今日は久々に雨に濡れた。いや、大粒の雨にうたれた、と言った方が正確だろう。少し痛くて気持ちよかった。
いつか空から降る雨は強い酸性雨に変わり、私たちは雨に濡れることさえできなくなってしまうかもしれない。だから、今のうち思う存分雨に濡れておこう。
今週は梅雨らしい一週間になりそうで、三重の海ドライブの実現は難しそうだ。雨には勝てない。まあ気長に晴れ間を待とう。
ADSLはだんだんその気になってきた。駄目なら駄目でもいいから、とりあえず導入の方向で動こう。まずはLANボード買うこと。そこからだ。
ADSLを導入した後の一般接続とADSL接続の関係性とか、両立するのかしないのかとか、あれこれ分からない部分もあるんだけど、そのへんは追々分かるようになるんだろう。と思いたい。
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一通、書かなければならないメールが書けない。
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今日のための言葉 「僕らは天使じゃないから 生きることの痛みの中で 自分の弱さを見つめる時 初めて優しさの意味に気づくよ」 氷上恭子「君が君で生まれた理由」(サターン版「エヴァンゲリオン2」のエンディング)より
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