2001.6.2-
6月17日(日) 「雑感あれこれ」 |
もう少し自分の趣味嗜好や価値観に対して忠実になってもいいのかもしれない。言動においても。他人の思惑を気にせずに。 結局のところ、誰も完全には自分を満足させてはくれないのだから、自分で自分を満足させるしかないのだ。そのためにはまず、自分が何を欲しているのかを正確に知らなければならない。それさえ分かれば、後は少しでも理想に近いものを自分に与え続けていけばいい。そうやっていって、溢れたものを人に分ければいいのかもしれない。
*
今日になって気分がふっと軽くなった。相変わらずの不調続いているけど、もしかしたらこのまま抜けるのだろうか。だったらいいけど。
いずれにしても夏までには気分を変えて、自分も変わりたい。いろんなものが臨界点に近づいていることでもあるし。
*
ドラマ「ラブ・ストーリー」は、完全なる失敗作かもしれない、と先週あたりから感じ始めている。
中盤にかけて盛り上がってきて、いよいよこれからかと思ったら、先週、今週と急に失速した。
それもこれも中山美穂のキャラクター造形の失敗がすべてだ。あれはどう考えてもおかしい。性格が不自然すぎるし、言動もちょっと許容範囲を超えている。どう考えても大手出版社の編集者が売れっ子作家に対してあの口の聞き方と態度はないだろう。あれですっかり全体のリアリティを失ってしまっている。
中山美穂もとてもじゃないけど上手とは言えないから、ますます説得力がない。
トヨエツのキャラクターのおかしさはトヨエツの演技力でなんとかカバーしてるけど、それでもやっぱりあれはドラマとして破綻している気がする。
北川悦吏子ファンでかなり甘い私がそう感じるんだから、みんなもたぶん納得してないんじゃないか。
北川悦吏子とトヨエツの名前で視聴率はいいんだろうけど、北川悦吏子自身はあれで納得してるんだろうか?
それとも最後に一発逆転の切り札を用意してる?
*
私は三谷幸喜が書くもの以上に人間三谷喜幸のファンなんだけど、今日の「情熱大陸」も面白かった。
最近テレビに出まくってると思ったら、全部映画のための宣伝だったとは。
それにしてもつかみどころのない人だ。全部計算のようでいてそうじゃない。いや、そう思わせて実はすべて計算通りなのかもしれない。
それでも今回の特集でまた少し人間三谷幸喜に近づけたような気がした。会って話しがしたいと思う。
あ、そうだ、映画『みんなのいえ』に行かなくちゃいけない。これも三重の海ドライブとともに延期になっているんだった。
三重ドライブの方は明日も曇りがちってことでとりやめにした。今週は天気がずっと悪そうだ。
映画の方は明日行けたら行こう。明日の気分次第で。
*
ADSL導入を真剣に検討し始めた。
常時接続にした方が絶対に安くなるに決まってるんだけど、いろいろ手続きや設定が面倒で延びのびになっていたのだ。
最初ISDNにするつもりだったけど、ADSLの方が簡単そうなのでこっちにしよう。値段は高くなるけど、速さはISDNの10倍らしいから。
ただ、ADSLにするとLANボードを増設しなくてはいけなくて、これがなかなか面倒みたいだ。
PCが狭い場所にすっぽり入ってるもんだから、これを取り出してきて後ろのフタを開けて増設するってことを考えただけで嫌になる。とってもつらい作業になりそうだ。体勢的にも。
このLANボードさえ取り付けられれば後はそんなに複雑な作業はないはずなんだけど。
まずはオークションでLANボードとLANケーブルを買わなくては。その後NTTに申し込んで、プロバイダも変更手続きをしないといけない。あああ、面倒だぁ。気力が失せそうだ。
*
窓から差し込む日差しが強くなってきた。これは三重ドライブを決行すべきだったか。
いや、でも今更遅い。せめて映画だけは行きたいものだ、という思いを抱きつつ、今日はもう寝よう。
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今日のための言葉 「はっきりしているのは、敏感になることだよ。もっとも大事なのは、あらゆることに敏感になることだ」 ビリー・ワイルダー
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6月16日(土) 「それぞれの時に住むそれぞれの自分と他人」 |
世界は間違いなく単純なはずなのだ。複雑に見えているのは、私の実力が足りないだけのこと。情けない。 まだまだ何もかもが全然足りない。死ぬまでに今の100倍は賢くならないと。
いつか世界が単純に見えるようになったらいい。 *
感動能力というのも人間として大事な能力だ。
感動できればできるほど人間として優れていると言っていい。
感動するには多くのことを知らなければならない。そして、多くのことを想像できなくては。
*
体に悪いものほど美味しくて、頭に悪いことほど楽しい。
誘惑と克己は人間である以上永遠のテーマなのだろう。
楽な方を選べば選ぶほど人間として駄目になる。
*
長生きするほどに下らないと思えることが増えていく。それはある意味では悲しいことだけど、実際問題としてこの世界には下らないものが多いからしょうがない。
ただ、下らないことがよく見えるようになることで、下らなくないものもよく見えるようになるから、それは喜ぶべきことだ。
この世は純金でできてるわけじゃない。けど、金の鉱脈は確かにあるし、川には砂金が埋まっている。
*
孤独感というのは人から見放されることだけじゃない。過去や未来を失うことでも人は孤独になる。
孤独なんて大したもんじゃない。ちょっとした風邪みたいなものだ。
けど、風邪で死んだりもするから馬鹿にはできない。世の中には孤独病で死ぬ人間もいる。
*
誰もが小さく限定された時間の中で、その時の自分を生きている。
人生は最初から最後まで一直線につながってはいるのだけど、もっと近づいてよく見てみると、いくつもの季節によって区切られていることに気づく。
そして、それぞれの季節を生きる自分というのは、同一人物でありながら微妙に違った人間なのだ。
だから、今現在の自分を過信しすぎてはいけないし、逆に見捨てる必要もない。
他人に関しても、その時期だけでその人間を判断するのは危険だ。人はとどまることなく変わり続けるものだから。
どんなにお気に入りの自分や他人も、いつかは必ず変わる。それは誰にも止められない。悲しいことだけど。
*
やりたくないからやらないのは簡単な話だ。そんなことは誰にでもきる。
やりたくないことでもやるべきことならやっぱりやらないとしょうがない。
一流とその他を分けるのは、このへんのことができるかできないかだけなのだと思う。能力の問題じゃない。
*
等身大の幸福、か……。
それが一番なのかもしれない。
分不相応な幸福を求めるから人は不幸になるのだ。
私の等身大の幸福ってなんだろう?
*
反射的な怒りに身を委ねてはいけない。怒りの感情を信じすぎると必ず後で悔いることになるから。
怒りに対してはいつも冷静になることを自分に言い聞かせなくては。何度も、繰り返し。
*
忙しいということは本当は言い訳にはならない。忙しいという理由だけでできないことなんてたぶんほとんどないから。
忙しかったら電話できないとか、忙しくて会えないなんてのは嘘だ。そんなはずはない。する意志がなかっただけだ。
忙しすぎて結婚できないとかも、当然嘘に決まってる。
忙しくて遊ぶ暇がない、忙しいから休みもない、忙しいから……。
忙しさを言い訳にする人間は信じない方がいい。
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過去に救いを求めてはいけない。それはもう理屈抜きにいけないことなのだ。過去に救いはない。救いは今にしかない。未来にもない。今の自分を救えるのは今の自分だけだ。
今できることはまだまだたくさんある。
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今日のための言葉 「大人になるために 涙はしまったけど 挨拶の葉書が届く 右上がりの文字に 胸が詰まった」 「Memory」(ゲーム「同級生」エンディング)より
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6月15日(金) 「微妙なずれ」 |
何かが違う。いや、何もかもが違う。すべてが少しずつずれている。 歯の噛み合わせが悪い時のような不快感に似ている。
今は何をしても楽しくない。
人生で最悪の時期は20代で終わったと思っていたけど、最悪はまだまだ先にあるということが段々分かってきた。
人生には目に見えない進級や卒業と入学があって、その段階に馴染んでいろんなことが分かってきて、もう楽勝だと思うといつの間にか卒業させられていて、次の高い段階に放り込まれ、また新たにやり直しになる。せっかく最上級生になったと思ったらまた新入生の立場に逆戻りしてしまう中学1年や高校1年生みたいに。
今の私はちょうどそんな感じだ。
前はいろんなことが分からなくて何もかもが混乱して苦しかった。そして今はいろんなことが分かった上で、何もかもが虚しいから、前よりもずっとつらいものがある。
どうすればここから抜け出せるのか、今はまだ分からない。誤魔化しではなく、本当に虚しくない何かを見つけなければ抜け出せないだろうということは分かるのだけど。
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絶望から抜け出すために自分を高めれば高めるほど周りとの価値観がずれ、精神的なギャップが大きくなり、ますます絶望が深まる。皮肉な話だ。
現実問題として、思考が先走れば先走るほど孤独になる。孤独が嫌なら走る速度をわざと落とさなくてはいけない。
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恋愛は人生における本命だ。これはやっぱり動かないと思う。
そして、本命から対抗や穴に流すのがまっとうだし、その方が落ち着く。
本命も対抗も切って大穴一本勝負ってのは無謀だ。よっぽど切羽詰まっているなら別だけど。
やはり本命は外せない。
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誰だって輝きたいと思っているはず。
けど、自力で輝けるのは太陽系の中では太陽だけのように、この世界で自分の力だけで輝ける人間はごく一部だ。なかなかいるものではない。
でもだからこそ、輝ける人はなるべく多くの人を照らさなければならないのだ。輝ける人はそのことを忘れないでいて欲しい。
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今日のための言葉 「Where will you go? What will you do?」 ゲーム「アーマード・コア2」より
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6月14日(木) 「このままで」 |
最近ふと考える。この世界は今よりももっときれいになる必要があるのだろうか、と。 世界は間違っているからもっと良くしよう、とみんなそれなりに頑張っているけれど、本当は世界は全部このままでいいんじゃないだろうか、と段々思うようになってきた。 汚いこともきれいなことも、いいことも悪いことも、愚かなことも偉大なことも、不幸も幸福も、すべてが必要なんじゃないだろうか。何かひとつでも欠けてしまったらいけないような気がする。 人間は愚かで腐っているけど、でもそれだけじゃない。それだけじゃない何かがある。何かが……。 そして人は待っている。そのままでいいんだよ、という言葉を。 *
毎日の暮らしの中で見失ってしまうことがたくさんあって、いつもそのことを思い出そうとしているのだけど、思い出すためのヒントは当然ながら過去にある。忘れてしまっただけなんだから。
昔好きだったものにもう一度触れてみると思いもよらず大切なことを思い出したりするかもしれない。 過去を封印して振り返らないことが前向きな生き方なのではない。過去は誰にとっても大事なものだ。過去を大事にして、それを未来のために活かすことこそ前向きな生き方なんだ。
時々きちんと振り返った方がいい。
*
私をぎりぎりのところで絶望から救い、この世界につなぎ止めているものは、たぶん私の本質的なセンチメンタリズムなのだろう。
私の中にセンチメンタリズムがなければとっくの昔に心がカラカラに干涸らびて生きながら死んでいるに違いない。
センチメンタリズムは偉大だ。
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幸福は人生の調味料?
それとももっと本質的なものなのだろうか?
私は、どうもまっとうな幸せというものに胡散臭さを感じてしまって、素直に肯定する気になれない。愛想の良すぎるセールスマンを信じられないように。
*
人の価値というのは、どれだけ良い行いをしたかではなく、どれだけ人から愛されたで決まるのかもしれない。
行いの正しさというのは、実はそれほど決定的なことではないんじゃないか。
行為は人間から発して人間へと戻ってくるものだ。だから、結局は人間だ。
良い行いをたくさんした割には正しくない人間というのもけっこういる。
*
私はいつの日か、思考からも言葉からも遠い場所へと突き抜けていく予感がある。
最近、他人の名言というやつがひどく詰まらないものに思えて仕方がない。どんなに偉大な人間が言った言葉でも、言ってることが正しくても、何故だかとてもばかばかしく思えてしまう。それかかつてなかったことだし、同時に言葉と思考を突き抜ける予感なのだろう。
いつか一切の言葉を捨てて、私はただ生きるようになるかもしれない。絶望からではなく、到達によって。
*
過去からの手紙のように、ずっと長い間忘れていた記憶がふいに蘇ることがある。
なつかしさと照れくささで少し顔をそむけたくなったりもするけれど、それは大事な記憶だ。なくさないようにしまっておかなくては。
私の中にいるみんなは、今頃どこで何をしてるんだろう?
*
悪条件は誰にでもある。人によって種類が違うだけで。そういう意味ではこの世界はかなり平等だ。
結局のところ、不満ばかり並べている人間は幸せであろうと不幸であろうと同じように不満な人間ということだ。
人を分けるのは、悪条件と闘う意志があるかないかだ。
*
自分を磨くことは大事。それと同じくらい毎日を磨くことも大切だ。
日常生活は地味で鈍い光しか放てないけれど、毎日根気よく磨いていれば、やがて鈍いながらもきれいに光る。
人生の大半が日常の日々である以上、日常をおろそかにしていいはずがない。
*
虚しさをとことんまで知り尽くさないと虚しくない日々を手に入れることはできないのだろう。
絶叫するほどの虚しさを私は今、全身で感じながら過ごしている。
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今日のための言葉 「思い出が静かに 心を包むから 夜に身を委ねて 心偽らず安らかに 何も悲しまないと 暮らしを彩れば きっといつか 答えは育むものだと気付く」 尾崎豊「優しい陽射し」より
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6月13日(水) 「探しているものは見つかりましたか?」 |
誰もが何かを探している。何を探しているのか本当には分からないまま。 そして、もしかしたらもう見つかっているかもしれないまま。
*
昨日と今日の区別がつかない毎日は良くない。毎日を違う一日にしなければ。
それは簡単なことじゃない。だから、必死にならないとできない。
そんなことで必死になる必要があるのか?
ある、と私は思う。
日常に飲み込まれたくなければ。
*
顔を向けている先と、足を運ぼうとしている方と、身を運ぶ風の向きがそれぞれ別々で、あまりにもとりとめがない。自分でも向かっている方向が分からなくなる。
目標から目をそらさず、真っ直ぐ走り、風も背中を押してくれるような日がいつか来るのだろうか?
*
人間は多くのことを一瞬にして判断する一方、分かり切っていることをなかなか理解できないことがよくある。
終わっている恋にずっと気づかなかったり、自分の人生がすでに手遅れになっていることを認められなかったり、自分が親になるまで親の偉さが分からなかったりする。
まったく、賢いんだか賢くないんだか。
一体、今の私はどれくらいのことに気づいていないんだろう?
*
他人は自分の鏡だ。目の前にいる他人をよく見れば自分のことがなんでも分かる。
目をそらさなければ。
*
もし私が無限に言葉を吐き出すことができて、その中から選りすぐったものを人の前に差し出せたら、それはもう夢のように素敵なことだ。
けれど、それは無理な話だ。しゃべるように書くことはできない。
いや、逆に考えればいいのか。しゃべるように書くことができないのなら書くようにしゃべればいいんだ。そうすれば無限とはいわなくても、かなりの言葉を生み出せる。そうか、その手があるのか。対談という形式をもっと突き詰めて、書くことを前提に対談すればいいのだろう。
やはり言葉も一人より二人になることで3倍にも4倍にもなるから。
*
今日は太宰治が入水自殺をした日だ。雨が何日も降り続いて、遺体が見つかったのは6日後の6月19日だった(この日は太宰治の誕生日でもある)。
6日間も川の底を流れながら何をしていたのだ。いや、そもそも自殺なんて下らないことをなんで……。
あれから53年。生きていたら92歳か。じい様の太宰治が書くものも読んでみたかった。
太宰さん、元気ですか? こっちは太宰さんがいなくて寂しいです。
いつかどこかで会いましょう。
それじゃあ、また。
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今日のための言葉 「彼は人を喜ばせるのがなによりも好きであった」 太宰治
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6月12日(火) 「甘えることは信じること」 |
幸せは花の香りのように移ろいやすく、幸福の記憶をとどめておくのは誰にとっても難しい。 人がもっと幸せな記憶を持続させることができたなら、世界は今よりずっと平和になるだろう。
けれど、進歩の速度も緩くなるに違いない。
人は前へ進むために幸せの記憶を失うようにできている。計算なのか自然なのかは分からないけど。
このへんの絶妙なバランス感覚こそが、私に人間は傑作だと思わせる理由なのだ。人間というのはつくづく上手くできている。
*
甘えることは相手を信じること。
甘えて見せることと甘えることは違う。甘えることは決して間違いではない。
ふとある映画のワンシーンを思い出した。
深夜、雪が降り積もる街の中で恋人同士がじゃれ合いながら歩いている。そして女の人が立ち止まり、男に向かって「目を閉じてそこに立って」と言う。男は言われた通り目を閉じて歩道に立つ。女の人は男の後ろに回って、こう言うのだ。
「ねえ、そのまま目を閉じて後ろに倒れてみて」と。
男は少し微笑んで当たり前のように後ろに倒れ、女の人はしっかりと受け止める。ちょっとした恋人同士のゲームだ。
信じることというのはそういうことだろう。甘えることの本質もその近辺にある。
この恋人ゲーム、よかったらあなたもやってみてください。恋人同士、夫婦同士。あなたは、相手を信じて目を閉じたまま後ろに倒れることができるだろうか? そして、相手はあなたを信じて倒れてくれるだろうか?
ただし、下がやわらかい場所でやることをおすすめします。コンクリートのところでやって失敗したら洒落にならないから。
*
恋心は淡い水彩絵の具みたいなものだ。余計な濃い色がいったん混ざってしまったらもう元には戻らない。
だから、なるべく余分な色が入らないようにいつも注意しておかなくていけない。
恋はペンキのように塗り重ねられるものじゃないんだ。
*
主観的な孤独感というのは、心の中に誰もいないということだ。周りに誰かいるとかいないとかの問題ではなく。
孤独と孤独感は別のものだから区別して考えた方がいい。
けど、どちらも下らないものであることは確かだ。
*
21世紀、もう神は時代遅れなんだ。石炭みたいに。
時代が移り変わっていくことはしょうがない。時代を進めることはできても止めることはできない。前へ進むしかないのだ。
そのためには神は足手まといでさえある。
神の思惑がどこにあろうと、何を思おうと、人間はもう自分たちで自分たちのことをなんとかするしかないところにきている。それは傲慢とかそういうことではなく、精神的にもっと自立しなくてはいけないということだ。
祈ったり拝んだりしてる暇があったら木の一本でも植えた方がいい。みんなでこれから先どうするかを話し合ったり。
親から独立することは親を捨てることではない。そろそろ神からも独立してもいい頃だろう。
神というよりも神の概念と言い換えた方がいいかもしれない。
*
レトリックはサービス精神から生まれる。自分だけのための比喩というのはたぶん存在しない。あるいは意味がない。自分のための化粧に意味がないように。
レトリックのない文章はサービス精神のない文章だ。ジャージ姿のおばさんのようなものだ。 ニコリともしないウエートレスが運んできたコーヒーが美味しくないように、愛想のない文章はちっとも楽しくない。 すべての文章は他人のためのものである以上、飾るのは当然のことであり、義務であると言っても言い過ぎではない。 文章で大切なのはレトリックと笑いだ。化粧と笑顔だ。
*
私はかなりのテレビ好きで毎日たくさんのテレビ番組を観ているのだけど、今観ているすべての番組の中で「あいのり」が一番好きかもしれない。
恋、友情、出会いと別れ、外国、見知らぬ街、旅。私の心を惹きつけるたくさんの要素がそこには詰まっている。そしてそれらは作り物ではないリアルなものだ。
観るたびに毎回大切なことを思い出させてくれる。人と人とのつながりの重要さとか、恋する心とか、世界の多様さ広さとか。 それと、番組スタッフの才能も見逃せない。編集もいいし、選曲も抜群だし、タイトルの付け方も上手くて、番組全体として才能を感じさせる。
たぶん誰も言わないから私が言おう。「あいのり」は傑作だ、と。
*
鬼束ちひろのファーストアルバム『INSOMNIA(インソムニア)』を借りて聴いた。
「月光」は文句なしにいい曲だ。力強くて心の深い場所まで響いてくる。
けど、アルバムとしてはどうだろう。曲調がどれも似ていてメリハリが足りないんじゃないか。
最近のヒットメーカーはみんなどうしてしまったんだろう。みんなアルバム作りが下手になってしまった気がしてしょうがない。宇多田ヒカルも倉木麻衣もそうだ。一曲ずつはどれもいい曲なのにアルバムになると急に退屈になってしまう。
きっとそれはアルバムにドラマがないからだ。アルバムを作るために曲を作ってないから、アルバムとしてのテーマが伝わらない。それはすごく問題だと私は思う。
鬼束ちひろもどうやらその仲間入りか。一枚目のアルバムは単に最初のアルバムではない。そこには自分が持っているすべてが詰まっているのだ。今まで生きてきたことすべてが。そのファーストアルバムが大いなる可能性を秘めてないとしたなら、そのアーティストの未来はあまり明るくないだろう。
いったん売れればある程度人気は保つだろうし、固定ファンに売れるだろう。けど、それだけだ。何も変えられない。 ただ、鬼塚ちひろはまだマイナーポエットに帰っていくんじゃないだろうか。彼女はメジャーになるとむしろ駄目になっていくような気がする。
もう少しだけ後を追ってみよう。
*
三重県の海ドライブはまた延期になった。曇っていてはしょうがない。私は志摩に沈む夕陽が見たいんだから。
雨男は返上したけど、今度は曇り男になったか。そういえば超能力で雲を消す男というのがいたな。あの人にお願いすれば良かったか。いや。けど、ものすごく一所懸命やって、やっとひとつの小さな雲を消してたから、三重県中の雲を消せというのは酷だろう。途中で息絶えてしまうかもしれない。やっぱり自然に晴れるのを待とう。
今週はこの先どんどん天気が悪くなるみたいだからたぶん駄目だろう。また来週だ。そろそろ急がないと気の早い連中が海に繰り出してきて海岸を独り占めできなくなってしまう。なんとか来週中には行きたいところだ。やっぱり雲を消す男にお願いしようかな。
今週は代わりに『みんなのいえ』を観に行こう。きっと期待以上に面白いはずだ。
最近いろんな番組に三谷喜幸が出まくっているけど、私は大好きだ。とにかく笑える。存在自体が面白くて笑えるなんて人はめったにない。コメディアンでもないのに。
『みんなのいえ』の舞台挨拶や記者会見も爆笑だった。
「前回『ラヂオの時間』の時は『もののけ姫』にコールド負けでした。今回もなんの因果か、またジブリと正面対決になりました。向こうはボクのことをどう思ってるか分かりませんが、ボクはライバルだと思ってます。今回は打倒ジブリを合い言葉に頑張りたいと思います」
その後ろで「余計なこと言わねえ方がいいんじゃねえか」という唐沢寿明のツッコミも良かった。
キムタクと共演しているCMも最高。
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何もかも上手くいかない時は、すべてに対して投げやりな気持ちになってしまうけど、そうじゃない。上手くいかない時こそ何事も丁寧に、誠実にこなさなくちゃいけないのだ。
逆にすべてが上手くいっている時はいい加減でもいい。誠実さの貯金はできないものだから。調子のいい時こそ慎重になれっていう教えもあるけど、人間そういつも完璧ではいられない。気を抜く時がないとやってられないだろう。それが好調な時だ。
金メダルをとったオリンピック選手が「調子に乗りすぎだ」と叩かれた時、「今調子に乗らなかったらいつ乗ればいいんだ」、と言い返してたけど、本当にその通りだ。
だから、せめて調子が悪い時だけでも物事を丁寧にやらないと。上手くいってもいかなくても。
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今日のための言葉 「神様だって何か落ち込んでて、それで気を取り直そうと泥をこねて人間を作ったのかもしれませんよ」 ゲーム「シルバー事件」より
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6月10日(日) 「語られるべき言葉」 |
私を取り囲むすべての下らなさに私は勝ちたい。いつの日か、きっと勝てるだろう。 その日まで、あらゆるネガティブな要素を身にまとって、それらを振り払うことなく引きずりながら、私はさまよい続けることになる。
世界は下らない。けど、下らなさに負けてはいけない。* 個人的な理想と語るべきメッセージが出会う場所、そこに私の幸福がある。
*
私が求め、夢見ている光は、スポットライトの光でもなければ神の光でもない。そんなものじゃない。
もっと人間的で暖かい光だ。
*
白けていたり、すかしていればそりゃあ安全だ。誰も傷つけないし、自分も傷つかない。
けど、そんな人間が人に何を与えられるというのか。人生で何を得られるというのか。 安全な場所にいたら何一つ大切なものは手に入れられやしない。人生はそこまで甘くはない。
大事なのは、行いの正しさよりもむしろ熱意だ。熱くなるべき時に熱くなれない人間は何も与えられず何も得られない。
何も求めないのもひとつの生き方ではある。けど、せっかく遊園地に行ったら何かに乗った方がいいと思う。大人ぶったり、恥ずかしがったりしないで。見てるだけじゃ詰まらない。
*
この数ヶ月の不調は思っていたよりもずっと深刻で意味のあるものなのかもしれないと段々思うようになってきた。きっと一時的なものじゃない。闘って乗り越えなければならない冬の時代だ。
そして、変化の前触れでもある。ここを乗り切りさえすればきっと私は変わるだろう。もう元の私ではなくなる。今までにそういうことを何度か経験してきた。
この絶望的な虚しさに決して負けてしまわないように。人生は究極的に虚しくない方に賭けたのだから。
*
大事な言葉は省略してはいけない。
伝えるべき人に伝えるべき思いを正確に言葉にして伝えなくては。
思いが自分の中で消化されてしまわないうちに。
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今日のための言葉 「おまえはお天道様に当たる資格もない」 ヘルマン・ヘッセの小学校の先生
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6月9日(土) 「断片と全体」 |
自分では自覚できない病気があるように、自分では気づかない愚かさや不幸や不調がある。
人はマイナスのことはなるべく考えたり見ないようにしようとする。一種の自己防衛本能だろう。だから、自分の中のネガティブな部分には気づきにくいのかもしれない。
今日もそこはとない無気力感に飲み込まれた。
諏訪行きで一時的に急上昇したものの、根本的な部分での低調は続いている。これは何かの前触れなのか?
まあこういう時期もある。ないに越したことはないけど、でもやっぱり不調の時期はある。それはしょうがない。そこで無理してもどこかで反動が来るものだから、なるべく自然の流れには逆らわないようにしてる。
あるいは、それも自分に都合のいい言い訳にすぎないのか?
この週末はビデオとゲームをやっつけることにしよう。ちょっとここらで整理しておかなくては。
こういう楽な遊びなら気力不足でも問題なくできる。割り切ろう。
人生で起こるひとつひとつの出来事の意味は分からない。たぶん生きている間は分かることはないだろう。
でも、人生を終わった時点から眺めてみれば、それらの出来事ひとつひとつにはちゃんと意味があって、全体として見たらすべては必要不可欠なものなのだろうと思う。
大切なのは理想をきちんと持って、一番遠くの目標を見失わないことだ。あとは日常を誠実に生きるだけ。
全体の中の部分という視点を忘れないようにしなくては。
過去にこだわりすぎないようにしよう。昨日までやれていたことだから今日もできるという論理はたぶん違う。
この日記もそうだけど、昨日までのスタイルをそっくりそのままマネすることはない。今日の中で答えを探し、スタイルを見つけていけばいい。
過去は正しいお手本なんかではなく、今日を生きるヒントにすぎないのだから。
*
私はたぶん、人が思っているよりも自分を肯定する気持ちが弱い。あまり信じていないし、好きでさえない気がする。
私が自分の中で好きな部分があるとすればそれは、時々顔を見せる凶暴な部分だ。いつもは奥の方でじっと息を潜めていて、ごく稀に表面に表れてくる攻撃的な私がいる。
その凶暴な私が本当の私だとは思わないけど、その時の自信に溢れた自分は好きだ。
満月の時その傾向が強い。だとしたら、そのうち変身するかもしれない。変身してもみんな友達でいてくれるかな?
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今日のための言葉 「はっきりとした意図を持って、全ての選択をしたのであれば、断片はいつしか一つにまとまる」 E・R・スターン
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6月8日(金) 「思いと永遠」 |
いつか思いは届くだろう。 この地球に風が吹く限り。 いつか必ず。 その思いが本物ならば。 * 一番大切なのは志を高く持って他人本位に生きること。 二番目に大切なのは自分自身を納得させること。 その二つともできない人間に次はない。 * 人生は滅茶苦茶甘い。 厳しさというのはもっと別のところにある。 自然の掟や宇宙の法則あたりに。 気を付けた方がいい。 * やれることよりもやりたいことを優先させないと、結局損するのは自分だ。 やりたいことを最後までやりきってしまえば、その他のややこしいことは全部抑え込める。 *
許されないことを恐れないで、悪びれずに、自分の信じたようにすれはいい。
信念を曲げなければ、最後はきっと誰もが許してくれるだろう。
死んだ後になるかもしれないけれど。
*
変わっていくことに怯えたり、悲しんだりしないように。
何もかもが変わり、すべては終わっていく。
けど、それが未来だ。
人は変わることでしか未来を手に入れることができない。
*
今日は目一杯駄目な一日を過ごした。ここまで怠けるとすがすがしいくらいだ。
意味などありはしない。すべては意志と偶然だ。
今日が明日につながり、そして明後日へと連なる。
明日はせめて普通の一日にしたい。
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今日のための言葉 「春に見た淡い夢は 夏の空騒ぎに飲み込まれて 小さな傷に変わる 憂いを帯びた秋の風は その傷の意味をそっと語った 心の中の本当の自分に」 『BOYS BE…』より |
6月6日(水) 「天使のように悪魔のように」 |
幸福へと向かう風がある。 そこに言葉を乗せよう。
ありったけの願いを込めて。
*
もし私が神なら、世界中のすべての人間を幸福にするだろう。
ということは、たぶん神も実際そうしてるはずなのだ。私が気づくくらいだから。
あとは人が幸福であることに気づくだけだ。
世界にこうして存在しているということがどんなに幸福なことか、みんな知っているのだろうか。
*
きちんと正しい無名人であることが大切だ。スポットライトが当たってなくても自分にできる精一杯の演技をしなくては。
誰も見ていないと思っても、自分の影が見ている。 *
この不幸な時代を忘れない。心に刻もう。すべては未来のために。
今日を生きなければ明日はやって来ない。
*
恋愛に上手と下手があるとするならばそれは、相手に多くの夢を見させられたかどうかということだ。大勢から好かれることが恋愛上手というわけじゃない。
だから私は結婚詐欺師を責める気にはなれない。
*
どうしても答えが見つからなかったら、時に委ねてみるのもいい。
たとえば上手くいかない恋を慌てて捨ててしまうことはないだろう。
自殺もしない方がいい。
*
何処へも向かう場所がなかったら、それでも何処かに向かった方がいい。じっとしてるよりも。
失敗というのは恥ずかしいことじゃない。失敗というのは何かをした証拠だ。何もしなければ失敗すらできない。
道を間違えたと気づくのは前へ進んだからだ。
何もせず、何処へも向かわなければ何も起こらない。
一番恥ずかしいのは何もしないことだ。
*
幸せじゃない人間は幸せこそが人生において最高の満足感を与えてくれる絶対的なキーだと思い込む。そのキーさえあれば自分の思い描いていた未来への扉が開くと思う。
けれど、幸せを手に入れた人間なら誰でも知っている。人は幸福だけでは何処へも行けないということを。
いい会社に入って、できた女房がいて、かわいい子供がいて、一軒家も買って、金にも困ってなくて、病気でもないのに何か物足りなくて漠然とした不満や不満を抱えている人間はいくらでもいる。彼等もまた、何処へも向かえず、囚われの身になっている。
それを人は贅沢だと言う。けど、私はそうじゃないと思う。人はそういう穏やかな幸福だけでは満足できないようにできている。世間一般の価値観でいう幸せというものだけでは充実した人生にはならない。
幸せだけでは足りない。幸せとプラスアルファが必要だ。
*
世界が完全に良くなることはたぶんありえない。たとえネガティブな部分を完全に排除できたとしても、必ず平凡というものが残るから。
どれだけ時代が進んでも、全員が天才になることは絶対にないだろう。どこかにうち消せない平凡や善良が残ってしまうに違いない。
この世界の一番の問題点は、この平凡や善良といったものの存在のような気がしてならない。
それらの保守性や消極性が世界の進歩の足を引っ張っているから。
もし非情になってどこかを切り捨てなければならないとしたら、それは下ではなく中間だ。 *
人間はもっと悪魔的であるべきだと私は思う。
そして、それ以上に天使的でなければならない。
悪魔のように賢く、天使のように清らかに。
人間にはその素質がある。
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今日のための言葉 「誰だっていつか夢を叶えて 幸せな日々を手に入れたい だけど答えはまだ見つかんないよ とりあえず生きて探してみる 輝かしい未来つなぐこの時間を」 小松未歩「幸せのかたち」より
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6月5日(火) 「思いと言葉」 |
私は基本的に駄目人間だという自覚があるから、駄目な人間の気持ちが分かると思う。 だから、駄目な人間が浮かび上がるための言葉を見つけたい。
優秀な人間に言葉など必要ないのかもしれない。
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私は偉そうなことを書くのが得意だから書いているだけだ。自分が偉いと思ってるわけじゃない。
でも単純にもっと偉くなりたいと思う。地位とか名誉とかじゃなく、人として当たり前に。
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生きることと言葉のバランスが最近崩れてきているのかもしれない。
いつの間にか言葉が思いを追い越してしまっていた。
プライドに顔が付いていっていない人のように、私は言葉に思いが付いていけないでいる。
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思いがフロントガラスに流れ落ちる雨なら、言葉はワイパーのようなものだ。
思いを言葉にして散らさないと前が見えなくなってしまう。思いが多ければ多いほど。
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ドラマが足りないとしたらそれは対象への寄りが甘いからだ。写真も人生も。
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この世は絶望する要素には事欠かない。
絶望ときどき幸福。それがまっとうな人間の心模様なのかもしれない。
いや、けれど、一年中快晴の心を持つ異常な人間の方が正しい気もする。
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知らないということは恐ろしいことであり、残酷なことでもある。
人は多くを知れば知るほど、人に対して同情的になることができるようになる。 *
今年ももう半分近くが過ぎようとしている。今年前半の私はかなり調子が悪い。去年は新しいことを色々始められたり、嬉しいこともけっこうあって、かなり安定したいい年だった。その反動が来たというのか。
それにしても今年の不調はどうも納得がいかない。基本的には去年と何も変わっていないはずなのに。 まあしかし、思えば去年の年末から不調の兆しはあった。何か歯車が狂い始めたのを感じていた。そのズレは微妙なものなんだけど、でも決定的でもある。
去年の幸福は今年の幸福じゃない。そのことにもっと早く気づかなければいけなかった。
後半は今の調子では絶対に駄目だから新しいことを始めたるなり、古いものを捨てるなりして、行動や習慣や自分自身を変えていかないといけない。それはそんなに簡単なことではないけれど。
2001年という年を振り返った時、未来に私はこの年をどんな年だと思うのだろう? なんとなく想像できない。この不調の原因や行方がどうにも読み切れないから。
ただ、ひとつ大きな事件として、運命論を完全に捨てたというのがある。そうだ、これはけっこう重大な出来事だ。ああ、だから、今こうして迷っているのか。自分の中心にあって苦しい時自分を支えていた柱を失ってしまったことでどうにもこうにも不安定になってしまったのだ。今分かった。
となれば不安定なのも不調なのも納得がいく。そして、この先の方向性も見えてきた。つまりは自分の足でしっかり歩けるようにならないといけないということだ。
大変だけど頑張らなくては。
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けれど、どんな不幸な時間も大事にしたいと思う。それは他に取り替えようのない自分の時間なのだから。
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大勢の人間のために生きるよりも少人数のために生きる方が難しい。迷いの量の問題として。
誉められて頑張るのは簡単なことなのだ。誉められなくても頑張らなくては。
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走れる時ばかりじゃない。ゆっくり歩くことしかできない時もある。そんな時は周りの景色でも眺めてのんびりいこう。それも悪くない。
やがて全速力で走らなければならない時も来るだろう。
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人は対極に憧れるところがある。冬には暑い夏に憧れ、夏になると寒い冬に憧れる。
良いことをしたら悪いことがしたくなり、恋をしている時ひとりがなつかしくなったりする。
あるいは、過去に憧れると同時に未来にも憧れる。
人はいつになってもないものねだりのわがままだ。
幸福すぎると不幸に憧れたりもする。
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人間は欲望のままに生きたら絶対駄目になる。そうできている。
ただ、欲望は決して敵なんかではない。上手く味方に付けなくては。欲望を主にしてはいけない。子分にしないと。
欲望は進歩のエネルギー源でもあるし、生の理由でもある。欲があるから人間生きていけるのだから。
欲望と上手につき合えるかどうかで人生は大きく違ってくる。
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今はいろんな意味で難しい時期なんだと思う。上手くいかないことが多いけど、投げやりにならずになんとか毎日を生きていくしかない。
そのうち風向きも変わるだろう。
すべてが馬鹿げているように見えるのは錯覚なんだと自分に言い聞かせて。。
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今日のための言葉 「傷ついたのは、生きたからである」 高見順 |
6月3日(日) 「この道」 |
何処かに向かうということはいいことだ。比喩としてだけではなく、実際問題としても。 目標があれば退屈しないし、先に楽しみがあれば道のりも苦痛じゃなくなる。
何処かに向かおう。何処でもいいから。
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説得力のなさにはどこか秘密がある。
たぶんひとつには才能不足ということがあるんだと思うけど、それよりも人間性に問題があるような気がする。
要するに説得力がない人間は下品なのだ。私はそう思う。そして、それは自力ではどうすることもできないのかもしれない。
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過去へは戻れないし、過去よりも今や未来が大切だ。
けれど、人は誰も、決して過去の自分とさよならすることはできない。過去を忘れることはあっても消えることはない。
だから、今を大切に生きなくてはいけないんだ。今日を駄目な昨日にしないために。
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恋をすると人は他人に優しくなる。そして同時に残酷にもなる。
それは無邪気な子供の残酷さに似ている。
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信じる者は救われるという言葉が私は嫌いだ。救われるって誰が救ってくれるというんだ? 人を救えるのは自分しかいないではないか。
それに、大切なのは信じることであって救われることではない。見返りがなくては頑張れないというのはちょっと情けない。それじゃあ天国がなければ善行はしないってことではないか。それは違うだろう。
信じることと自分を救うことは分けて考えた方がいい。
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これまでやらずにいたことはたくさんあるけれど、過去に置き忘れてきたものは何もないはずだ。いつも納得して前へ進んだ。後悔もない。
じゃあ何をこんなに悲しんでいるのかといえば、それは忘れ物や後悔がないからかもしれない。皮肉な話だけど。
私のこれまでの人生はたぶん間違っていた。でもそれはあえて間違えたのだ。強がりではなく本当にそう思う。
私だって正解の人生くらい分かっていた。分岐点の前に立った時は、正しいであろう道は分かった。
けど、それは私の行きたい道ではなかった。そっちへ行ってしまったら自分が駄目になってしまう気がしたのだ。
だから、私の人生がたとえ失敗に終わってしまったとしても、私が選んだ道は間違いではないのだと思う。
この道でいい。このまま行こう。
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世界を知れば知るほど自分が間違っていることに気づく。
自分の中にある絶対なんて当てにならない。正義や常識も信用しない方がいい。
だから自分の考えを人に強要しちゃいけない。どれだけ絶対に正しいと思うことでも。
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この世で一番素敵なものは、人と人の会話かもしれない。
道ですれ違った若い夫婦の会話をちらっと聞いて、ふとそんなことを考えた。
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長く生きれば生きるほど、私は人間というものを信じられるようになってきた。
特に30を過ぎて、人間の素敵な部分や美しい面に気づくようになって、そのことがとても嬉しい。
早死にする予定だったけど、ここまで生きてきて本当に良かった。
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人は泣く。人間は涙を流す美しい生き物だ。
人間はとても多くの欠点を持っているけど、それでも間違いなく傑作と言っていいだろう。
もし本当に神が人間を作ったとするならば、神を許すべきなのかもしれない……。
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人は何度でも思い出さなくてはいけない。大切なことを。何度も何度も、死ぬまで。
人はすぐに大事なことを忘れてしまうから。
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何が美しくて何が美しくないかを決めるのは人ぞれぞれだけど、もし私にしか気づくことができない美しさというものがあるとするならば、私はそれを言葉で表現しなければならない。
たぶん、私はこの世界の美しさを知っている。何故なら、私は世界の外側から世界を見ているから。
この世界は間違いなく美しい。
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自分のスタイルさえ見つかればもう迷ったり恐れたりすることはない。あとは作品を作ったり生きたりするだけだ。
スタイルはホームみたいなもの。いつも帰っていく場所だから、大事にしてなくしたりしないように。
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来週はあまりこれといったイメージがない。また谷間の一週間になってしまうのだろうか。できることならそれは避けたいところなのだけど。
思い切って三重県の海ドライブに出掛けるという手もある。ちょっとインターバルが短すぎるけど、勢いのある内に行ってしまった方がいいような気もする。その時一番やりたいことをやる、というのが私のテーマでもあるんだし。
行くなら金曜日になる。それまでに気持ちを高めていこう。
再来週は映画『みんなのいえ』を観に行く。これはもう決定してる。すごく楽しみだ。
絶不調の一週間が終わった。また明日から新しい一週間が始まる。まあぼちぼちいこう。
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今日のための言葉 「時が経つにつれ、僕の人生は変わっていった。今でも変わっている。明日は、もっと良くなるだろう」 アイルトン・セナ
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6月2日(土) 「磁場がぁ?」 |
絶望という海にいったん飲み込まれてしまったら、いくらあがいてもなかなか浮かび上がれるものではない。 そういう時はむしろ身を委ねるといい。絶望の海の底まで沈み込んで、思い切り蹴飛ばせば浮上できるから。たぶんそれが一番早くて確実な絶望脱出方法だ。 * 信じる心と信じない心。 両方同じくらい大切なことだ。 何を信じて、何を信じないか。 それがその人の人間性であり、実力だろう。 一生の中で、信じるべきことをたくさん信じられた人間の勝ちだ。 * どんなに素敵な思い出も、正しかった過去も、それは今を生きる力にはならない。 いや、なると思ってはいけない。 人は思い出を食べて生きてるんじゃない、未来の希望を食べて命をつないでいるのだ。 人の首は、前を向いたままでは後ろを向けないようにできている。振り返る必要はないということだろう。 * 人は外見じゃない、と言う人がいるけれど私は人は外見だと思う。 外見がすべてではない、という言い方なら納得できるけど、外見がどうでもいいとは思わない。 それはもちろん顔だけじゃない。着ている服や、はいている靴や、髪型や、目つきや、表情など、人の外見はその人の人間性を表す多くの情報を発している。それをきちんと読み取れば、その人のことが分かるはずだ。 外見はやっぱり大事だと思う。 * 女の子は一体いくつから日傘をさすようになるんだろう? 日傘をさせない女の子と日傘をさせるおばちゃんの境目にはどんな心境の変化があるのか。 そんなことをちょっと考えた。 人は、年と共にそれまでできなかった多くのことができるようになっていく。良いことも悪いことも。 * 不倫を否定する気はないけど、個人的な趣味の問題として私は不倫が好きじゃない。 それは太りすぎの女の子を好きになれないのと似ているかもしれない。太りすぎの女の子が本心から痩せようとは思ってないように、不倫する人間は不倫をやめようとは思っていない、という部分が。 つまり行為の問題ではなく、意志の問題として私の中に許したくない気分といったものが確かにある。 * いつもの時間にいつもと違う場所にいて違うことをしている、というのはちょっとした快感だ。微熱で学校を休んだ日の昼下がりのように。 だから、出掛けるといい。日常から非日常へ。場所はどこでもいいんだから。 * 真面目に生きることは正しくない。真面目に生きていると思い出が持てないから。 毎日学校に行って、決められた制服を着て、授業をちゃんと聞いて、道草しないで家に帰る、そんなことをしてたら決していい思い出にはならないだろう。それは社会に出てからも同じだ。毎日会社へ行ってご飯食べて寝て、休みの日に出掛けてるだけではなかなかいい思い出は手に入らない 別に思い出を作るために生きているわけじゃないけど、特別なことをしなくちゃ心が震えないということだ。 * 人と人は必ずつながれる。何かを発すれば。言葉や態度や行為だけではなく、文章でも音楽でも写真でもいい。 意志を持って何かを発すれば、それは空気を震わせて伝わり、必ず誰かへと達するものなのだ。 大切なのはつながること。孤独の中に絶対に答えはないし、人はひとりでは存在する意味がないのだから。 * 人生がいいのは引き返さなくていいということだ。 もし行った道をまた引き返さなくてはいけないとしたらうんざりしてしまうだろう。 * 最近のロングドライブで学んだこと。それは、遠くの場所でもちまちま進んでいけばやがて辿り着くということだ。 できないと思うことでもやり続けていればやがてできるだろう。地球一周だってその気になればできなくはないはずだ。やらないけど。 * 今はもう訪れる人もない廃墟の前に佇み、 誰もが忘れてしまった詩の一節をつぶやいてみる。 そこでは風さえも吹かない。 けれど、悲しむことはない。すべてのことは地球が覚えていてくれるのだから。 * 世間では無邪気な人間が結局は勝ちなんだというような認識があるような気がするけど、私はそうは思わない。少なくとも天然の無邪気さが偉いとは思いたくない。 私はやっぱり子供よりも大人の方が偉いと思うのだ。どんなにくたびれていて、駄目に見えたとしても。 * 私にとって理想的な人生というのは、言い訳を考えなくていい人生だ。 そんなことは不可能なことなのかもしれないけど、でももしそういう人生が見つかったらとても素敵だろうなと思う。 * * * 今回の諏訪湖行きは平和のうちに終わった。 朝の8時に出て、1時前に諏訪湖到着。諏訪湖を勢い余って2周もしてしまったけど、それはそれ。 あまりこれといって見所のない湖ではあったけど、それは琵琶湖と比較してしまうからで、単独で見ればなかなか悪くない湖と言っていい。周囲も整備されていてきれいだったし。 ただし、水の汚れだけはちょっといただけなかった。もうちょっとどうにかならないもんだろうか。あれでは武田信玄も嘆くだろう。 それにしても今回の運転はのろかった。 何しろ最高速度80キロ、平均速度60キロだったのだ。おまけに、屈辱の登坂車線も経験した。 いつもは遅い車用の登坂車線なんて絶対に走らないし、そこを走っている車なんてごぼう抜きしている私がまさか登坂車線を走って何台もの車に抜かれる日が来ようとは。 非常に苛立った。 けど、おかげで行き帰り2度のネズミ取りを無事通過できたんだけど。 一度は明らかにやってて何人も捕まってたのにレーダーがまったく反応しなかったから、いつもの調子で走ってたらたぶん捕まっていただろう。福井県警に感謝すべきか? それからコンパスだ。 恐ろしいことが起こった。 前回のドライブで、今まで使っていたコンパスが突如北と北東と北西しか向かなくなってしまったので今回新しいのを買っていったのだけど、これがまたまったく同じ症状だったのだ。どっちに向かって走っていても北近辺しか向かない。 ということは、車の中の磁場が狂ったということなんだろうか、やっぱり。それは恐ろしすぎる……。 しかも、北やら北東やらは確か鬼門というやつではないのか? ううっ、私のインテグちゃんは日本全国何処へ向かって走っても鬼門へと突き進んでしまうというのか? あああ。それは嫌だぞ。けど、嫌と言ってもコンパスが北しか向かないんだからしょうがない。 でも本当かなぁ。なんか信じられない。嫌な感じだ。 磁場ってどうやったら直るんだろう? まいったなぁ。これって笑い話で済む問題なんだろうか……。 次のロングドライブは早くも決定している。今度は三重県の海ドライブだ。 四日市から鈴鹿、伊勢、鳥羽、志摩まで、海沿いの道を走って写真を撮りつつ、三重県の海をすべて制覇する計画だ。 三重県は生まれた県ということでちょっと油断してたけど、実はまだ行ったことのない海がたくさんある。 距離もそんなに遠くないからやってみよう。 梅雨時が近づいているけど6月中には実現させたい。 それにしてもインテグちゃんの磁場問題、どうしようかなぁ……。 =================
今日のための言葉 「絶望とは愚か者の選択である」 「逮捕しちゃうぞ」より
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