2002.5.3-

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 6月29日(土) 「虚しさは降り止まぬ雪のように」

 久しぶりの日記だ。気がつけば約2週間ぶりか。怠けるのは楽しかったけど、そろそろ復活しなければいけないだろう。ワールドカップも明日で終わりだし。
 
 今、これまで積み上げてきたいろんなことが崩れてしまって、上手く考えられない。言葉も出てこない。独り言を重ねれば重ねるほど虚しさがつのる。その虚しさはかき出してもかき出しても次々と降ってくる。雪国の雪のように。
 毎日雪かきならぬ虚しさかきをしてるのだけど、きりがない。自分がつぶれないようにするのが精一杯だ。
 今はただ、虚しさの季節が終わるのをひたすら待っている。この降り積もった虚しさの下にある希望を空想しながら。

 今までは、一時的に混乱したり何もかも分からなくなっても、とりあえず前進してる感覚だけはあった。時間はかかっても少しずつ色々なことが分かるようになっていっているという実感もあったし。
 でも、今はその感覚がまるでない。前に進んでるのは止まってるのか後退してるのか、それさえも分からない。訓練も受けずに無重力空間に放り込まれて上下左右さえ分からなくなった新米宇宙飛行士みたいだ。地面はどこなんだ?
 否定と肯定を繰り返しながら積み重ねてきた自分の中の価値観や判断基準がほぼ完全に崩壊してしまった。とても静かに。ゆっくりと、いつの間にか。
 まさか、ここまですべてを見失ってしまうようになるとは思ってもみなかった。ちょっとずつでも賢くなってものが見えるようになるもんだと信じていたのに。

 たぶん一番大きいのは、自分の目標を見失ったことよりも目標とすべき他人や生き方を失ってしまったことの方だろう。尊敬すべき対象を失い、指針とすべき生き方が見えなくなってしまった。
 正しいとか間違ってるとかいう基準ではなく、自分の中の満足度の問題として。
 唯一の先生だったアインシュタイン先生の思考さえも、今は自分にとって正しいのかそうじゃないのかの判断がつかないし、坂本龍馬の生き方さえもはや手本には思えない。
 やれやれ、まいったな。

 まるで地図とコンパスを海に落としてしまった船乗りみたいだ。自分がどこにいるのかも、どっちに向かったらいいのかも分からない。
 ただ救いはある、まだ浮かんでいるのだから。
 今は日々を生き延びることだけを考えよう。生き延びて海の上を漂っていさえすれば、いつか遠くに島影も見えてくるだろう。
 あるいは誰かが救ってくれるかもしれない。
 もしくは、新大陸を発見する可能性もある。
 生きてさえいれば。
 
 賢さでも、正しさでも、偉大さでもない、別の答えはどこにあって、どんな形をしてるんだろう?
 恋でも、愛でも、幸福でもない、もっと確かで本当のことって何なのか?
 果たして正解はあるのかないのか。
 正解じゃなくても新しい何かを発見できるといいなと思う。

                   *
 
 人はみな、最悪の自分ともつき合っていかなければならない。
 一番つらい時期も自分から逃げ出すことはできない。
 人はいろんなことを言うけれど、一番の被害者は自分自身なんだし、最後は自分で責任を負うことになる。
 だから、他人の判断や意見に惑わされず、自分が納得する方向で自分とつき合い、自分を変えていけばいい。
 自分の身代わりに子分を刑務所に送ることはできても、自分の代わりに地獄へ行ってくれる人間はいないんだし。
 
 何にしてもツケは払わなければならない。人生で食い逃げはできない。
 ただし、いつ払うかを決める自由はある。最後にまとめて払うか、現金払いするか、先にまとめて払ってしまうか。
 人生の順番にあまりとらわれない方がいい。高校を卒業したら大学へ行き、大学を出たら働く、という一方通行で考えると選択肢が少なくなってしまうから。
 まず結婚して、その後大学へ行って、子供を育てた後、外国を放浪する、っていうのだって全然間違ってない。
 漢字の書き順が違っていても完成した字が正解ならそれでいい。
 そう考えれば30代、40代でも、まだまだやれることはたくさんある。順番に縛られてしまうから可能性を狭く感じてしまうのだ。
 ツケなんてものはあの世で払えばいいだし。
 
                   *
 
 変わりゆくのは必然。どうやっても逃れようがない。
 他人の思惑や自分の計算とは関係なく、人は日々変わってゆく。とどまることなく。
 昨日の自分を手本にする必要はない。昨日と同じ自分を生きなくてはならないなんてこともない。今日は新しい一日なんだから、新しい自分で生きればいい。習慣や生活に縛られることなく。
 生きることは変わること。
 逆に言えば、変化しなければ生きる意味がない。人は変わるために生きているのだから。
 たとえ悪い方に変わっていってる自分を発見したとしても怯えたり引き返そうとしたりすることはない。すべての変化は必然なのだから、抵抗せずに変わればいい。
 変化が正しかろうと間違っていようと、私たちは前へ進むしかない。
 人と人との関係性についても同じだ。恋愛もまた、常に変化し、関係性は形を変え、やがて終わることもある。
 変化を否定することは、前へ進むことを拒否することであり、それは自らの存在を否定することにもつながる。
 間違った変化はない。すべての変化は必然であり、正しい。
 変化という変化を全部受け入れればいいのだ。
 
                   *
 
 今は自分を信じられないけど、いつかまた、自分が信じられる日が来るだろう。
 だから絶望しないで、毎日に喜びを感じて今日を生き、明日に向かうしかない。
 本当は、今ほど人生に深い絶望感を感じている時はかつてないほどなのだけど、それでも今の私はかつての経験から学んで知っている。
 大きな絶望を乗り越えるたびに強く、優しく、より良い人間になれるということを。


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