2001.4.23-

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5月6日(日) 「頭から煙がぁ!?」

 一種類の楽しみでは生きることが難しい。
 人には二種類の楽しみが必要だ。
 日々の楽しみと、先々の楽しみが。
 将来に楽しみがあっても毎日がつらければ幸福じゃないし、毎日が楽しくても先々の楽しみがなければ虚しい。どちらが欠けても楽しく生きられない。
 
                   *
 
 歳を取ると人はどうなるか。それが少しずつ実感として分かるようになってきた。
 物忘れが激しくなったり体力が落ちたりするだけが老化現象ではない。もっといろんな部分で老化現象というのは人に襲いかかってくる。
 たとえば、集中力が持続しなくなる。ひとつのことを長時間できなくてすぐに他のことに気を取られてしまったりする。
 それから、中年太りのメカニズムはたぶんこうだ。あれは単に運動不足になるからではなくて、余分なものをたくさん食べるようになるからだ。何かちょっと食べたいなと思った時、我慢できなくてどうしても食べてしまう。こらえう力が弱くなるのだ。だから太る。
 これは私が思うに脳細胞の問題だ。つまり、満腹を脳に知らせる脳細胞か、もしくは我慢することを命令する脳細胞が死んでしまって、体の信号を脳が上手く捉えられなくなる。だから、必要以上に食べてしまって太る。
 案外いい線を突いてると思うんだけど、どうだろう。
 その他いろんな部分での老化現象も、筋肉の問題ではなく脳細胞の問題に違いない。
 一度死んだ脳細胞は二度と生まれ変わらないそうだけど、いつの日か、脳細胞を増やす薬が開発されるかもしれない。あるいは培養する方法が見つかるかも。
 でもそれまで私は生きていられるだろうか? 早く見つけてくれー。
 
                   *
 
 人間にはいろんな性格があって、どれが正解でどれが不正解というわけではないのだろうけど、なんだかんだいっても、やっぱり陽気なのが一番のような気がする。最近しみじみ思う。
 暗かったり、重かったり、気取っていたり、冷たかったりするのも私は嫌いじゃないけど、それでも陽気なのが何よりだ。
 陽気にいこう。
 
                   *
 
 昔自分より上だと思っていた人間がふと気づくと自分より下になってしまっていた、ということは誰にでもあるんじゃないだろうか。
 基準があるわけじゃないからあくまでも感覚の問題でしかないのだけど、それでもそう確信してしまうことがある。
 人によってはそれが親だったり、友達だったり、会社の上司であったりするのだろうけど、私の場合は多くの哲学者や思想家がそうだ。
 これはものすごく生意気で大いなる勘違いの可能性ももちろんあるのだけど、彼等の教えや書いていることのほとんどが、ある時期を堺に自分よりも下に思えるようになったのだ。
 それは、スポーツや格闘技で相対した時感じる”格下感”に近い。自分の方が上だな、と直感的に感じるあの感覚だ。
 格闘技なら、相手の攻撃は全部見切れるし、いつでも背後を取れる、と思える感じ。
 彼等の書いていることはすべて理解できるし、いつでも後ろに回れるし、頭を抑えることもできるような気がする。更に、彼等の到達点から再出発して、何が分かって何が分からないかが分かる。
 下というよりも自分の方が先に行ってると言った方が正しいかもしれない。
 そして、私の最大の強みは、自分を信じていないことだ。自分を疑うことができる。そこに決定的な違いがある。
 歴史上、最高の脳を持ちながら生涯自分を疑うことをやめなかったアインシュタインが私の先生だ。
 アインシュタインの出した結論は、「何一つ分からない」というものだった。そして私はそれに共感しつつ、更にその先を目指したい。
 きっと人は私を誇大妄想だと思うだろう。私もそう思う。
 
                   *
 
 哲学は感情論的でなければいけない。感情論ではいけないけど、感情論的であるべきだ。何故なら人は感情で生きるもので、哲学は人のためのものでなければいけないのだから。
 簡単に言えば、究極の理想を日常レベルまでいったん引き下げて、それをもう一度理想まで持っていかないといけない、ということだ。
 人は現実社会の日常の中で毎日を生きている。けど、同時に1000億×2000億個と言われる星が散らばる広大な宇宙が確かに人間の周りには存在している。この両方の事実を、同時に認識して、同じ重さの事実として捉える必要がある。無限大から無限小まで。永遠から一瞬まで。
 すべては同時であって、存在に重さの差はない。あらゆる要素を同時に認識して、その上で日常を生きることこそが、この先人間が進むべき道だと私は思う。まずは知らなくては。この世界の事実を。そして生きるのだ。人間は知るために生きているわけじゃない。生きるために知らなければならないだけだ。悟ることが人生の目的なんかじゃない。あくまでも生きることだ。
 哲学も、宗教も、学問も、芸術も、すべてはより良く生きるための道具にすぎない。大切なのは、立派な仕事を残すことではない。立派に生きることだ。だから、芸術家が正しいわけじゃないのだ。芸術家なんて平凡な母にさえ遠く及ばない。
 
                   *
 
 神なんか、はっきり言ってどうでもいいんだ。そんなことは大した問題じゃない。神なんてものは世界を構成するひとつの要素にすぎなくて、世界が神のものなわけがないのだから。
 これは傲慢な考えでもなんでもなくて、当たり前の認識だろう。
 究極的に神に収斂していこうとするような方向性は絶対におかしい。世界の在り方として正しくない。神への信仰というのは実はもう古い。完全に流行遅れだ。時代は進んでいるんだから。
 宇宙というのは、もっともっと広くて多様で、世界はもっともっと先の長い物語だ。
 私たちが認識していることはほんの一部で、まだ始まったばかりだ。だから、もっと急いで先に進まなくてはいけないのに、みんなのんびりしすぎてる。もう神がどうしたこうしたなんて言ってる場合じゃないのに。
 遅い! と時々世界に向かって叱りつけたくなる。先を急がなくちゃ。
 
                   *
 
 ……今日はちょっと真面目に考え事しすぎた。頭から煙が出そうだ。これくらいにしておこう。
 
 今日でようやくゴールデンウィークも終わった。やれやれという感じだ。今年のゴールデンウィークはなんだか長く感じられた。充実してなかったもんなぁ。葬式行って、少し友達と会って、あとはダラダラしてしまったからなぁ。
 まあでも終わってしまったものはしょうがない。明日からのことを考えよう。

 メンズデーで『トラフィック』を、と思っているけど、果たして行けるか。ちょっと気分が乗らない部分もあるから、明日になってみないと分からない。作品としては日本映画の『Love song』を観たいだけど、これは私にとっては早朝の10時始まりというのしかないからどうしようもない。
 あと、韓国映画のなんとかいう作品があってそれは絶対に観たいんだけど、まだ始まってない。
『ショコラ』もあるけど、これはビデオでいい。
 まあ明日になってから決めることにしよう。
 
 吉良ワイキキビーチの方は天気次第。週の後半を予定してるんだけど、どうも天気が悪そうだ。晴れの日を逃さないようにしたい。
 沖縄が今日梅雨入りしたらしいから、ぼやぼやしてられない。
 まずはこのふたつからだ。
 
 ビデオはこのゴールデンウィーク中にすっかり片づいた。よかった、よかった。
 またレンタル店で何か借りてこなくては。DVDも恋しくなってきたところだし。
 あと、CDも借りないと。小松未歩とユーミンの繰り返しにそろそろ飽きてきたところだから。
 
 オークションもそろそろ本格的に再開した。買いは今ひとつ乗れてないけど、売りの方の入札状況は悪くない。とりあえずゲーム関連から。
 今服が妙に欲しい。ここ数年、必要最低限の服しか買わなかった反動がきたのかもしれないけど、服がとっても買いたい。一番好きなアニエスを中心に買っていくことにしよう。アニエスの細いパンツがもっと欲しい。あれをはくと気持ちがシャキッとするから。
 
 さて、今日は早めに寝て、明日のメンズデーに備えよう。
 ゴールデンウィーク、お疲れさまでした(って、誰に言ってるんだ?)。
 
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 今日のための言葉
 
「教育とは学校で習ったことをすべて忘れたあとに残っているもののことである」
 
 アルベルト・アインシュタイン

5月5日(土) 「戻れない場所」

 どんなに懐かしくても戻れない場所がある。
 いや、懐かしいと思った時点で、それはもう戻るべきではない過去になっているのだろう。
 月日は流れ、街並みは姿を変え、習慣もいつの間にか移ろい、人は歳を取り、人と人の関係も変わっていく。
 もう、戻れない。それでいい。

                   *

 何もかもが本当で、何もかもが本当ではない。
 すべてが不確かなこの世界の中で、最後は信じられるかどうかだけだ。
 自分や、自分の生き方や、家族の暮らしや、過去や、愛する人を……。
 もし信じられなければ、この人生というゲームに負けてしまう。負けたくなければ信じられるようになるしかない。
 信じられるかどうかは能力の問題だ。
 
                   *
 
 もし私という人間が私が思うほど正しくなくて、私の発する言葉に自分が信じるほど力がなかったとしたら、私は誰にどうやってお詫びしていいのか分からなくなってしまう。
 私はただ、いいことがしたいだけなんだ。自分は人に対していいことをしてるんだという確信が欲しい。ただそれだけなのに……。
 
                   *
 
 砕けたいと思う。いつかどこかで。
 砕ける可能性のない人生はサビのない音楽のように味気ないから。
 
                   *
 
 死はゲームオーバーではない。タイムアップだ。
 人生は自分でゴールを決めて、自分でゲームオーバーかどうかの判断をするしかない。だから難しい。
 目的をクリアしたら、あとは隠居するか自殺するか、どちらか好きな方を選べばいい。
 
                   *
 
 非凡な人生を送りたければ方法は二つしかない。非凡な人間になるか、無茶をするか。
 非凡な人生を望むだけでは絶対に非凡な人生は送れない。道端で3億円でも拾えば別だけど。
 
                   *
 
 変化はいつも必然だけど、いざ意識的に変わろうとするとこれがなかなか難しい。曲がらない鉄パイプを曲げようとして曲がらないみたいに。
 人は誰でも日々の暮らしの中で、変わろうともがくものだろうけど、一方ではそれをさせまいとする力も働く。あれは一体何なんだろう? 私には単なる怠惰だけだとは思えないのだけど。
 一部の人間を除いて、誰でももっと理想的な世界に生きたいと願っているはずだ。でも世界は人が望むほど良いものではないし、理想へもいっこうに近づかない。
 人の弱さと言ってしまえばそれまでだけど、どうももうひとつ釈然としない。誰かが人が変わろうとするのを邪魔しているようにも思える。
 あるいはそれは、負の想念の集合体が世界を覆っているからかもしれない。一種の呪いのように。
 怠けたいと思う心と頑張ろうと思う気持ちを秤にかけたら、やっぱりマイナスの方が総体としてはずっと大きいだろう。結局、そのマイナスの気持ちが、人がより良くなろうとする思いを打ち消している。
 世界の指導者がまずしなければいけないことは、悪を裁き、正しい教えをたれることなんかではなく、人々の意識改革をすることだ。
 明確な理想を掲げて、大目標、中目標、小目標をきちんと決めること。
 個人単位で変化していかなければ世界は決して変わらない。全体を変えるのは部分なのだということを忘れないようにしなければ。
 
                   *
 
 善行は職業にならない。趣味でやるのが一番。
 いいことってのは気を付けてやらないと自分に跳ね返ってきて危険な部分がある。ちょっと毒と薬の関係に似ているかもしれない。分量を間違えると逆効果になったりするあたりが。
 
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 人間をその愚かさで判断するのはやめようと思う。判断する時はその人の一番いい部分で判断したい。
 マイナスよりもプラスが多ければそれでいい。どんなに悪いことをしても、それを上回るいいことをしたら、その人間は世界に対して役に立ったということだ。それで充分じゃないか。エラーした分は打って返せばいい。
 
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 ゴールデンウィークも段々邪魔くさくなってきた。身動きが取れないから。そろそろ終わりにして欲しい。
 などと言うと怒られてしまうかもしれない。世の中の大半は、ゴールデンウィークをもっと延ばしやがれー、って人だろうから。
 けど、この間に力が溜まっていっているから、開けたら一気に解放してあちこち行ったりいろんなことをしたい。イメージはたくさんある。
 
 金のない時にしかできないことがある、ということに最近ふと気づいた。金がないからこそあれこれ考えたり工夫したりする中でしか経験できないことというのもたぶん貴重なことなのだろう。
 将来ある程度の金を持つようになったらなったで、またその時は今と違う楽しみがあるに違いない。だから、今は今できることを楽しみたい。
 貧乏や不幸を楽しむことができれば人生恐いものはなくなる。悲劇の主人公だって演じてみればきっと面白いだろう。たとえオスカーはもらえなかったとしても。
 
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 今日のための言葉
 
「人生には、たとえ全てをなくしたとしても、生きるに値するような何かがあるんじゃないかな」
 
 映画『風とライオン』より
 
5月4日(金) 「昨日の正しさと今日の正しさ」

 キリストや釈迦や孔子は確かに偉かったし正しかった。そのことに文句をつけるつもりはない。
 けど、時代は進んだのだ。もはや彼等の時代ではない。彼等の教えは、当時は正しかった。けど、もう今では通用しない。昨日の正しさと今日の正しさは違うのだから。
 私たちは今の正しさを求めながら生きるしかないのだ。
 古びないものなんて何もない。
 もし、彼等が今の時代に来て、自分の正しさを主張するなら、私は彼等を否定する。今の地上の空気を吸ってない者に今のことは分からない。
 人間は、その本質さえも変化するものだ。

                   *
 
 法律で禁止されているいないは別にして、それをしてしまうと自分が一段下の人間になってしまう気がすることってある。たとえば、浮気とかドラッグとか。
 それは人それぞれだけど。
                   *
 
 私は自分の3割くらいは確かに好きだ。でも残りの7割はあんまり好きじゃないような気がする。嫌いというほどでもないのだけど、気に入らない。
 みんなはどうなんだろう。みんなもそれぞれ自分の嫌いな部分と折り合いをつけて生きていってるのかもしれないな。
 
                   *
 
 恋心の賞味期限は短い。長持ちさせようと思えば缶にしまって密封するしかない。空気に触れればすぐに傷む。
 恋は湿っぽいものだからしょうがない。それが宿命だ。
 
                   *
 
 変わり続ける自分を私はいつも捉えきれない。自分が本当は何がしたいのか、それが分かるようで分からない。もう少しで手が届きそうなんだけど、あとちょっとが届かない。とてももどかしい。
 一体いつまでこんな毎日が続くのだろう。やるべきことに追い立てられていた日々が今は少しなつかしい。
 自分がやりたいことと、人が自分に求めることが一致することはとても難しいものだ。
 
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 人は強くないから、頑張ったご褒美をもられないとなかなか頑張れないものだ。
 大人になって、仕事以外のことで頑張ることって難しい。なかなかできない。
 毎日頑張らないとズルズル落ちていってしまうというのは分かるけど、それでも日々努力するのは大変だ。朝晩歯を磨くようにはいかない。
 
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 今日はとびきりルーズな一日だった。1500メートル走を8分で走るような感じ。どうにも気合いが入らなかった。おかげでビデオは一気に片づいたのだけど。
 このゴールデンウィークは本当に動きが止まってしまった。行動も思考も。どうしようもない。
 
 明日はできることなら積極的に動きたい。その気になりさえすればやらなくていけないことがたくさんあるのだから。
 今日はここまで。これ以上は粘っても無駄だ。頑張っても釣れない時は釣れない。そういう一日だった。
 
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 今日のための言葉
 
「古き良き時代。全ての時代は古くなると良くなるもの」
 
 バイロン

5月3日(木) 「もういない」

 欲望と絶望が分かちがたく絡み合う心を抱きながら人は、際限なく堕ちていくか上昇を続けるかしかない。
 欲望と絶望は、重荷であると同時にエネルギー源でもある。上手く利用できるかどうかが分かれ道だ。
 
                   *
 
 ひとりでできることよりひとりではできないことの方がずっと多い。すごく当たり前なんだけど、当たり前のことに気づくのに何十年もかかることもある。
 そして、ひとりではできないことの方が断然楽しい。
 
                   *
 
 私は何かこう、いつも漠然としたものを探している。形のあるものではなく。
 いや、漠然の正体そのものを探しているのかもしれない。
 
                   *
 
 夫婦の愛情も、時々取り出して磨いてやらないと、食器棚の奥にしまわれた銀食器の様にいつの間にか雲ってしまう。
 あるいは、知らないうちに誰かに盗まれているかもしれない。
 
                   *
 
 何故才能と顔が一致しないのか、それは私にとって大いなる謎だ。才能に見合った顔を持つ人間は少ない。
 天の嫌がらせか、それとも私は才能というものを過大評価しすぎてるのだろうか?
 
                   *
 
 できることならすべてを許したいと思う。けど、向上心もなくルーズに許し合う馴れ合いの関係性だけは許し難い。
 たぶん、大切なのは、大きく許し、小さく許さないことなんじゃないか。時に人を裁くことも必要なのだと思う。
 
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 私は、自分の不幸を売り物にする人間がきゅうりと同じくらい嫌いだ。別に存在することはかまわないけど、私の視界の中に入ってこないで欲しい。
 どちらも生臭くて貧乏くさいから嫌だ。
 
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 人と名前は強く結びついている。人には名前があり、名前はその人だ。
 ほとんどの男の初恋の人はある日を堺に消えてしまうということを女の人は知っているだろうか? そう、結婚だ。
 初恋の相手の伊藤ゆかり(仮名)ちゃんが結婚して田中ゆかり(更に仮名)ちゃんになったら、もうこの世界に伊藤ゆかりちゃんは存在しないのだ。名前の相性占いだってもう通用しない。
 このことに気づいた時の喪失感っていうのは、けっこうズシンとくるものなのだ。
 
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 大阪行きは無事完了。通夜と告別式に参加して帰ってきた。
 昔の葬式はやたらダラダラと長かったものだけど、最近は葬儀社でやると段取り通りに滞りなく進むからけっこうあっけない。身内でも丸二日で終わってしまう。ま、合間あいまが間延びしてしまうのだけはどうしようもないのだけど。
 まあ葬式もだんだん簡略化していくのは悪いことではないだろう。時代の流れというか、人々の気分としてそうだから。

 葬儀や法事が去年からけっこう続いてる。しばらくは勘弁して欲しい。これなら結婚式の方がましだ。いや、自分の結婚式は葬式どころの騒ぎではなくとんでもなく面倒だろう。
 うん、しばらく結婚式もやめておこう。
 
 大阪の街はかなり久しぶりだったけど、豊中近辺しか行ってないからどの程度変わったのかは分からなかった。きっと中心部はかなり変わってるんだろう。
 一昨年から大阪に遊びに行きたいと思っていたのだけど、大阪行きがこんな形で実現してしまうとは思ってなかった。葬儀では他のところに遊びに行くわけにもいかず、往復しただけで終わってしまったのはなんとも残念だ。
 ただ、高速で行くと豊中インターまで2時間半で着くことが分かったんで、今度行く時の参考になる。金も片道4,900円ならそんなに高くないし。
 ユニバーサル・スタジオ・ジャパンへもなんとか10年以内には行けるだろう。
 それまで持つといいけど……。
 
 帰ってきてから気分の調子が良くなったような気がする。東尋坊で拾ってきた悪い霊を大阪に置いてきたからに違いない。
 ……ホントかなぁ。
 でもとにかく気分が上昇したことは悪いことではない。ゴールデンウィークが終われば一気に攻撃へと転じられそうだ。メンズデー、吉良ワイキキビーチ、内海の朝日、この3つは5月中に実現させよう。
 このゴールデンウィーク中は、とりあえず溜まりすぎたビデオをやっつけなくては。10本以上ある空きテープのほとんどが一杯になってて新たに録画するテープを毎日ギリギリ作っているような状況だから、まずはこれから逃れたい。レンタルも今日返却だけして借りるのはこらえた。月が変わったから新作ビデオから旧作になった作品をあれこれ借りたかったのだけど。
 
 さて、今日はこれくらいにしよう。生きてさえいればまた明日がある。ありがたいことに。
 
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 今日のための言葉
 
「今日という日は、残りの人生の最初の一日」

 映画『アメリカン・ビューティー』より


4月29日(日) 「黄金充電週間」

 自虐的になることでしか自分を守れない時期もある。20代の私がそうであったように。
 そして今、更に複雑な自虐が必要なようだ。
 
                   *
 
 才能は自己主張のための武器ではないし、自分を幸福にするための道具でさえない。人を幸福にするものだ。
 けど、いくら金の使い方を知っていたとしても金を持ってなければ使いようがないように、才能がなければ話にならない。
 
                   *
 
 私が世界とつながっているのは、どうしても自分を見捨てることができないからだ。それだけのこと。いや、正確に言えば私の言葉を救い出したいのだ。私という人間に対してはとっくの昔に深く絶望している。
 
                   *
 
 美人だからといっていい女とは限らないように、世界が美しいからといって必ずしも素敵なものだとは言い切れない。
 けれど、ものごとの良い面を見よう。それがいい。
 
                   *
 
 過去の自分を打ち消すことができるのは今日の自分だけ。
 取り戻すチャンスがあるうちに取り戻しておかないと。
 
                   *
 
 本当は毎日が勝負なんだということを知るのはきっと死の直前だけだろう。
 すべての命は時と闘っている。必ず負けることを知っているのに。いつか勝てる日が来ることを夢見ているのだろうか。
 
                   *
 
 下らないことを悩んでいるのはちゃんと生きてなくて退屈している証拠だ。
 けど、忙しい人の代わりに悩みをきちんと悩む人間もこの世には必要なのだと私は信じる。悩むこともまた、人間の本質的な部分のひとつだから。
 
                   *
 
 今日に固執しすぎないようにしよう。毎日大切な日々ではあるけれど、今日にこだわりすぎて明日を失ってしまうことのないように。
 スポーツに負けゲームがあるように、負け日といったようなものもある。駄目な日に見切りをつけることも必要だ。
 
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                   *
 
 今日も一日終わった。さりげなく。
 けど、今は充実させたくない気分もある。わざとマイナスに自分を追い込んで、それを飛び出すためのエネルギーに変えたい。
 ゴールデンウィークはなるべくおとなしく過ごして力を充電させよう。
 さて、寝る。
 
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 今日のための言葉
 
「僕はくだらない人間ですよ。でも僕の音楽はそうじゃない」
 
 映画『アマデウス』より

4月28日(土) 「ちょっとワイキキまで」

 人は誰かに求められて初めて自分の価値を知る。誰も自分ひとりで自分の価値を確信することはできない。鏡を見ないと自分の顔を見ることができないように、他人なしに自分を知ることはできない。
 孤独になることや孤独を知ることは必要なことだけど、孤独の中に決して答えはない。ひとりではどこへも辿り着けない。
 
                   *
 
 恋愛バランス感覚というのはとても面白い。
 人は自分とその人が釣り合うかどうかを本能的に知る。社会的な地位や年齢に関係なく。
 世の中のカップルはすべてーーそれがどんなに不釣り合いに見えてもーー必ずどこかでバランスが取れているものだ。一方的な関係のカップルというものはおそらく存在しない。
 ただ、この恋愛バランス感覚の微妙なズレが往々にして悲劇を生む。それは避けられないことだけど。
 
                   *
 
 恋は見えないパンチの繰り出し合いだ。お互いに相手をノックアウトしようと意識的、あるいは無意識の内にいくつものパンチを当てている。
 けど、ノックアウトしてしまったら駄目なのだ。両方とも立っていないと。K.O.パンチを当ててしまえば、ある意味その恋は終わる。終わらせたくなければパンチを加減しなくては。ボディーブローもだんだん効いてくるから気を付けないといけない。
 
                   *
 
 みんなの毎日の虚しさ加減というのはどんなもんなんだろう? たとえば私と比べて、多いのか少ないのか。
 日々が慌ただしく過ぎ去る中、みんなはどれくらいの虚しさを感じているのか、全然見当が付かない。忙しさでそんな感覚は麻痺してしまっているのか?
 私は毎日、虚しさを持て余している。まったく邪魔なやつめ。丸めて蹴っ飛ばしてやりたい。
 それとも、友達になった方がいいんだろうか?
 
                   *
 
 愚痴って、嘆いて、泣き言を並べて終わるような人生にだけはしたくない。たとえ失敗人生でも、陽気に楽しく生きることができたら、死んだ時、人の心に何かを残せるだろう。人に憐れまれる人生は最悪だ。あいつは駄目なやつだったけど少なくとも人生を楽しんでたなと思われたい。
 まだまだこれからだ。30やそこらで人生の楽しい季節が終わったなんてさらさら思ってない。これからもっと楽しくなるだろう。
 
                   *
 
 ゴールデンウィークが終わったらまたどこか出かけよう。福井行きからまだ間がないけど、どうも福井から帰ってきてから調子が上がらないから、もう一度流れを変えたい。北というのが私には方角的にいけなかったのかもしれない。だから今度は南に行こう。
 さて、南というとおなじみの内海がある知多半島ということになるんだけど、これではゲイがいない。いやいや、芸がない。ならば渥美半島再び、とも考えたんだけど、あそこはいかにも遠かった。往復でヘロヘロになってしまったから、もう少し近場がいい。どこかないだろうか……。
 と思って地図を見たら、吉良町というのが目に付いた。知多半島と渥美半島の中間の港町だ。けど、何かあるだろうか? なさそうだなぁ。海はどんなもんだろう? しょんぼりした港町と冴えない海があるだけだろうか?
 何か名所はないかとネットで調べてみた。すると、私をいざなうこんな宣伝文句がぁ。
 
「美しい青い海と潮風が奏でるメロディーが、素敵な砂浜を歩く人だけに”そっと教えてくれる”。
 人が人らしくあるように自然さにこだわった「恵比寿海水浴場」は、自然環境を守ることをコンセプトに、綿密な計画と11年もの歳月をかけて造られた新理想都(リゾート)地です。カラフルな歩道と海浜緑地に加え、400台収容の駐車場や照明設備があります。
 一方東側には、ハワイの海辺をほうふつとさせてくれる吉良ワイキキビーチとして「宮崎海水浴場」があります。休憩テラスや展望デッキなどを備えた「マリンハウス」など、設備も充実しており、快適なビーチスタイルが楽しめます。自然に優しく人に快適な吉良のビーチはそんな近未来型のリゾート地です」
 
 怪しい……。怪しすぎる……。
「吉良ワイキキビーチ」ときたかぁ。こうまで誘われては是が非でも行かねばなるまい。行ってこの目で確かめてこよう。本当に「ハワイの海辺をほうふつとさせてくれる吉良ワイキキビーチ」なるものが存在するかどうかを。
 出かける日、近所の人に、「お出かけですか?」と訊ねられたら、こう答えよう。
「ええ、ちょっとワイキキまで」
 
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 今日のための言葉
 
「恋は決闘だ。もし右を見たり左を見たりしていたら敗北するだろう」
 
 ロマン・ロラン

4月27日(金) 「VAIOに絶望した日」

 また、書いた日記が飛んだ。絶好調に書き切って、最後、「今日のための言葉」を選んでる途中で固まって、また勝手に再起動。書いた日記は二度と戻ってこない……。
 なんなんだろう? 調子よく書けた時に限ってこんなことが起こる。もちろん、書いた時に保存しておかなかった私も悪いんだけど、それにしても何者かの悪意を感じずにはいられない。偶然にしてはひどすぎる。
 私が自分が書いた言葉をどれだけ大切に思っているか、分かってるのだろうか? VAIOは分かってないんだろうな。Windowsも。
 編集者に原稿をなくされた作家になったような気分だ。

 なんかパソコンに対する信頼感みたいなものが崩れていくのを感じる。VAIOももう昔ほど好きじゃない。もっと安定したPCとシステムが欲しい。勝手に言葉をなくしたりしないやつが。

 というわけで、今日はもうこれでギブアップ。3時間もかけて書いたのに。最後もきれに決まって満足したのに。
 今回は絶望感が深くて怒る気にもなれない。なんか、疲れた。

 これからはPCを信じるのをやめる。ちゃんと書いたところまで保存する。自分の言葉は自分で守らなくては。

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 今日のための言葉

「信用というものは求められ過ぎると種切れになってしまうものですよ」

 B・ブレヒト

4月26日(木) 「経験は雪のように」

 今はもう、不幸がそれほど嫌いじゃない。昔は私も人並みに不幸が嫌いだった。自分だけの絶対的な幸福を探し求めて走り回ったり転げ回ったりしていた時期もあった。けれど、今はそういう気持ちはない。現実の中で、リアルタイムに揺れる幸福と不幸の両方を同じように受け止められるようになった。不幸は思うほど悪いものではない。クラスではぐれている不良みたいなものだ。話してみるとそんなに悪いやつじゃない。もちろん、好きだと言えるほど自虐的になっているわけではないけれど、嫌いでもない。そう思えるようになることができて嬉しい。
 
 私は間違いなく20代よりも30代の方が好きだし、30代の方が幸せだと感じている。
 それはたとえば、目を閉じた時に、頭に浮かぶ光景や風景をたくさん持てるようになったから。
 経験というの大切だというのは、外国へ行ったりいろんな仕事をしたりいろんなことをすることだけではなくて、時間を通過することによって蓄積されていく記憶なのだ。
 経験は、はらはらと音もなく降り積もる雪のようなものなのだろう。
 
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 それにしても最近の虚しさと退屈さは手に余る。味覚が狂ってしまって何を食べても美味しく感じられないのに似て、何をしても楽しめない。
 虚しさは今に始まったことじゃなくて昔からずっとあったことなのだけど、今の空虚さはいまだかつて経験したことのない種類のものなのだ。どうしたらいいのか分からない。外国でおかしな病気にかかってしまったような気分だ。
 虚しさは実体を伴わないからやっかいだ。振りほどいて逃げようにも姿が見えない。闘いたいのに闘えない。
 
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 尾崎豊の死から9年。もう私の中に彼の歌は流れていない。彼の存在が消えたわけではないけれど、今の私にとって彼の歌は必要なものではなくなった。
 人は変わってゆく。それが生きるということだ。彼は死んでいて私は生きている。それだけのこと。
 私は生きている彼に会いたい。今でもそう思っている。
 
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 今日は言葉が内にこもっている感じで上手く出てこない。成熟が足りないのだろう。もう少ししたら出てくるはずだから、それを待つことにしよう。
 
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 今日のための言葉
 
「人生の小さな不幸せは、私たちが大きな不幸を乗り越えていくのを助けてくれる」
 
 エッシェンバッハ

4月24日(火) 「頭の中の歌が止まった日」

 いつも頭の中で流れていた歌がピタリとやんでしまった。レコードが終わったあと、虚しく回るレコードプレイヤーのようだ。
 それは誰のどの曲ということではなく、その時々でその時の気分に合った曲が、店内で一日中有線がかかっているように、私の中にもいつもいろんな曲が流れていた。その音楽がふいに止まってしまったのだ。理由は自分でもよく分からないけど。
 車の中でも聴きたいアルバムが見つからない。何を聴いても心まで届いて来ず、耳から耳に抜けていってしまう。新しい曲も古い曲も。
 音楽そのものが嫌いになったとか不要になったとかそういうことではないと思うから、きっと今まで聴いてきた曲が合わなくなってしまったということなんだろう。一時的なものか決定的に変化してしまったのかは分からないけど、何かが終わってしまったことは確かだ。
 これもまた、一連の内面変化に関係あるのだろうか?
 だとしたら、今まで聴いたことのない音楽を聴いて、今の自分の気分に合うものを探さなくてはいけないのかもしれない。
 ここはひとつ、氷川きよしでも聴いてみっか。
 
 やだねったら〜 やだね〜♪
 
 って、私の方がやだぞ。
 うん、やっぱり氷川きよしはやめよう。氷川きよし以外から探さなくちゃ。
 けど考えたら、おじさんおばさんも若い頃から演歌大好き、演歌一筋って人は少ないはずで、みんなどこかを堺にして歌謡曲派から演歌派へと切り替わった瞬間があるはずなのだ。
 ということは、これも一種の老化現象なのだろうか? うかうかしてると老眼になりかねない。こうなったら意地でも氷川きよしは聴かないぞ、と。いや、別に氷川きよしに恨みがあるわけじゃないんだけど。
 
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 あきらめがその人から輝きを失わせる。そういう姿を見ると少し寂しくなる。もっと輝けるはずなのに、日常の中でくすんでしまっている人のなんと多いことか。
 大切なのはあきらめないこと。叶う願いは少ないけれど、あきらめなければ可能性は消えない。少なくとも、本来持っている輝きを失うことはないだろう。
 モテないからといって着飾ることをやめてしまったらますますモテなくなるよ、と道で見かけた女子高生に余計なお節介を言いたくなった。もちろんそんなことは言わないけれど。
 じゃあ責任取って、って言われると困るからね。
 
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 私の撮る写真の被写体が風景から人物に変わることがあったら、それは私という人間が大きく変化したということだ。なんとなくその兆候があるから、近い将来そんな日も来るかもしれない。
 写真に大切なのはドラマだってことに気づいて、ドラマのある風景をいつも探すようになったんだけど、ドラマチックな風景なんてめったにあるもんじゃなくて、やっぱりドラマといえばどうしても人間ということになる。
 これから少しずつ人間を撮っていこうと今思っている。
 ただし、勝手に盗み撮りしたのを見つかって派出所に連れて行かれて職務質問されて口ごもっていると身元照会されてこいつは怪しいってことになって逮捕されたりするといけないのでなるべく撮るならおとなしくて気の弱そうな人間を対象にしよう。うん、それがいい。逮捕されなくても怒らせてそのカメラよこしやがれ、こんなものっ、ええーい、ガシャンッ、こうしてやるー、などと地面に叩きつけられて壊されたりしたらたまったもんじゃないからな。
 ……やっぱり風景だけにしておこうかな。
 
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 人は皆、甘い。甘さの種類と量が違うだけだ。それだけは忘れないようにしないといけない。他人が甘ちゃんに見えたとしても、自分も違う部分で甘ちゃんなのだから、人のことは責められない。
 もし自分だけは甘い考えを持っていないと考えているなら、その考え自体が甘い。どこまでいっても甘さからは逃れられないのだ。
 
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 きみは世の中をなめている、などと言う人間に限って世界をなめている。
 世の中が世界のすべてだと勘違いしている悲しい人間だ。
 そういう人間は、自分の家の中だけきれいにして、外では平気でゴミを捨てたりする。何故なら、そういうことを言う人間は全体としての世界と部分としての世界を客観的に区別できていないからだ。自分が所属している世界にだけ興味があって、その以外の世界や外側の世界には興味がない。というか、思いが至らない。なめている云々などという発言はそういうことの表れだ。
 たとえば、私などは世の中をなめている。けどそれは私の認識のごく一部にすぎない。多重構造の観念の中の一断面であり、時間的な経過の中での一瞬の状態なのだ。本当は世の中をなめていない私がいて、なめていない時期があった。そこまで思いが至ればなめているとかいないとかそんな無神経なことを他人に対して面と向かって言えないはずだ。
 きみは世の中をなめている、と言われたらこう答えよう。
 なめないと何かいいことありますか?
 
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 風邪はどうやら完全に治ったようだ。一日で済んでよかった、よかった。これでまた非病院記録が伸びる。たぶんここ20年くらい、自分の病気を治す目的で病院に行ってないと思う。病院泣かせだなぁ、我ながら。ついでに言えば税金も払ってないぞ。はっはっ。
 
 近所のまともな本屋がこの2、3年で5、6軒消えてしまったので、ちょっと気の利いた本を買おうと思ってもまるで置いてないから困る。
 ちくま文庫から出た『映画ガイドブック2001』が欲しいんだけど、全然ない。近所の生き残った本屋5軒回ったけど全滅だった。なんてこった。だいたい、ちくま文庫を扱ってる店自体少ないから嫌になってしまう。
 うーん、どうしようか。名古屋駅の大きな本屋まで行けばもちろんあるけど、車で30分もかけて行くのはちょっと面倒だし、駐車場の問題もある。ネットで買うという手もあるけど、たかが1,000円くらいの本1冊買うのに送料と手数料で300円も余分に払うのは馬鹿らしい。こういう時、郊外は不便だ。
 近所の本屋で取り寄せるしかないかなぁ。ああ、それも面倒だぁ。
 ……なかったことにしようかな。
 
 PS2の「バウンサー」を終わらせた。これからこのソフトを買おうと思っている人、悪いこと言わないから1,000円以上では買わない方がいい。ゲームをやって腹を立てるのが趣味な人は別だけど。
 DCの「サクラ大戦3」は相変わらず好調。中盤に入ったけどまったくダレることがない。やっぱりこれはすごいゲームだ。ちょっと他のゲームとは格が違う。ドラマで言えば「北の国から」クラスだ。トータルで優れている。
 最初のやつをやった時の衝撃も大きかったけど、この「3」の完成度の方が感心度は高い。あらためてすごいゲームだということに気づかされる。
 
 さて、明日はどうするか。大きな予定はないからトロンとした一日になってしまいそうな予感がする。なんとかドロンまでいかないように抑えよう。
 そうだ、明日はホットケーキを作ろう。今思いついた。夜11時頃うちに来たらごちそうしてあげます。
 
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 今日のための言葉
 
「あきらめるな。一度あきらめたらそれが習慣になっちまう」
 
『がんばれ!ベアーズ』

4月23日(月) 「命が二つあったなら」

 今の時代に必要なのは、癒しなんかじゃなく高揚感みたいなものだと私は思う。
 現代人は疲れてるんじゃない、退屈してるだけだ。疲れるほど頑張ってないのだから癒される必要もない。もっと熱くなれる何かが必要だ。
 さて、誰も彼もが小賢しくなってしまった今、人に高揚感を与えられるものが果たしてあるだろうか? 闘って勝たねばならない対象が。
 現代人はライバルを失った悲しきシャドーボクサーみたいだ。倒すべき敵が見あたらないから頑張ることができない。燃えることができない。燃え尽きるなんてまったくの夢物語だ。
 貧しくもない、不幸でもない、倒すべき巨悪もいない、こんな時代の中で、私たちはどうやったら熱くなれるんだろう?
 宇宙人でも攻めてきてくれないと駄目なのかもしれないな。
 ま、それまでしばしの間、昼寝でもしてようか。
 
                   *
 
 最後は絶望してもいい。絶望するかもしれない。けど、絶望までにまだやれることはたくさんある。絶望するならやれることを全部やってからでも遅くない。自殺する前に悪いことは全部やってしまった方がいい。
 
                   *
 
 命が二つあったなら、人は今よりもずっと賢く正しくなれるに違いない。死ぬということがどういうことかを理解すれば、どう生きればいいかがある程度は分かるだろうから。
 一度死ねるとなるといろんなことができるだろう。なんか楽しそうだ。
 人生で一度、死んでもいい大冒険ができるとしたらどんなことをするだろう?
 ……うーん、これはなかなか難しいな。死なないようにという前提で生きているから、死んでもいいくらいの無茶というのはなかなか思いつかない。
 そうだなぁ、雲の上からパラシュートなしのスカイダイビングなんていいかもしれない。
 もしくは心中とか。
 
                   *
 
 悪いことをやったやつは片っ端から捕まえて罰を与えていけばいい。
 ただし、一番地位の高いやつから。
 たとえば国会議員なんていくらでも代わりはいるんだから、全部とっつかまえてもいいのだ。誰も困りゃしない。
 
                   *
 
 もう一度生まれ変わることができたら次はどんな生き方をしたいか、と考えてみた時の答えも歳と共にだんだん変わっていく。
 私の場合、以前はピアノを弾く風景画家として平和に暮らしてみたい、などと思っていたけど、今は若い時に結婚する人生というものをしてみたいと思うようになった。学校を出てすぐ結婚して、子供を作って、家族単位で生きる人生はどんなものなんだろう、と空想したりする。
 とはいえ、そうなったらなったで今度は30過ぎても独身で気楽に生きたいっ、と思うんだろうな。
 結局のところ人はないものねだりで、どんな生き方をしても半分の満足と半分の不満で成り立つものなのだろう。
 たぶん、どれだけ生き直してもきりがない。
 今の生き方でよしとしよう。
 
                   *
 
 成功の人生があり、失敗の人生がある。勝負に勝者と敗者があるように。
 でも、駄目なのは敗者の人生ではない、成功も失敗もしなかった人生、つまり勝負しなかった人生こそが一番駄目な人生なのだ。
 負けることはしょうがない。そういこともある。でも、負けたということは勝負したということだ。勝負して負けたならあきらめもつくだろうし、納得もできるはず。
 人生は勝負だ。全財産を自分に賭けなくちゃ。賭けなければ決して勝者にはなれないのだから。
 
                   *
 
 どんな高級な思想も、日常生活の幸福レベルまで持っていかなければ何の価値もない。そんなものは暇人の玩具だ。
 すべての認識や発見や発明は、人々が日々暮らしていく中で役に立ってこそ意味がある。
 山にこもってひとりで悟りを開いても、そんなものは無人島で大金を抱えているようなものだ。押し入れの布団の間に金の延べ棒を隠し持っていても、そんなものは無意味だ。
 遠い世界に行ったら帰ってこなくては。帰ってきてみんなに話を聞かせなければ誰も分からない。空に飛び立ったら地上に降りてこなくては。深い海の底にもぐったら陸に戻ってこなくては。宇宙に飛び立ったら地球に帰ってこなくては。
 この世界の謎を解くために、人はそれぞれ自分が見つけたジグソーパズルのピースを持ち寄らなくてならない。すべてを一人で見つけるのは絶対に不可能だ。みんなで協力しなければ。
 やがて、この世界のジグソーパズルが完成する日が来るだろう。私やあなたは、いくつのピースを見つけることができるだろう?
 
                   *
 
 誰もが皆、幸福を求めているけれど、みんなが幸福でヘラヘラしてるような社会というのは想像するとなんだか気味が悪い。もし突然そんな世界に放り込まれてしまったとしたら、絶対に狂った世界に迷い込んでしまったしまったと思うだろう。どう考えても不自然だ。
 やっぱり今くらいがちょうどいいだろう。幸福な人がいて、不幸な人がいて、その人に同情したり、笑ったり、立場が逆転したり、そういう世界が正常な気がする。
 
                   *
 
 思いが至らない場所はいくらでもある。至る場所の方が少ない。
 世界というのは、実に様々な要素で成り立っている。たとえば、生まれつき体が不自由な人や、今現在戦争してる国々や、飢え死にしてる人々や、両性具有の人間や、超能力者や、霊能者や、殺人鬼や、殺し屋や、その他諸々。
 中には想像を絶するほど不幸な人もいるだろうし、空想することさえできないほどの金を持っていて贅沢してる人間もいる。王族だっている。あるいは国籍や戸籍を持たない人間だっているだろう。
 人はそれぞれ、見えている場所が違う。スポットライトが当たる場所が違う、と言った方が分かりやすいかもしれない。その光の広がりや明るさもそれぞれだ。
 自分の見えているものが世界のすべてなどでは決してないことを忘れないようにしなければいけない。
 人の認識能力なんて、真っ暗な30畳の部屋を照らす1本のロウソク程度のものだ。真ん中に置いても全体を見ることはできず、あちらを照らせばこちらが見えない、といったように。
 見えない部分は想像で補うしかない。だから想像力が必要なのだ。
 
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 昨日8時間半たっぷり眠ったのが良かったのか、風邪は今日になってほぼ完治した。私もまだまだ若い。
 などと言ってると明日ぽっくりいってしまうかもしれないから油断は禁物だ。
 まだ少し熱っぽい気もするけど、まあ大丈夫だろう。昨日は私の苦手な吐き気に襲われて嫌な感じだった。風邪の諸症状で吐き気が一番苦手だ。
 
 また日々が少し停滞している。日本海から帰ってきてからずっと調子が悪かったからしょうがないといえばしょうがなかったんだけど、その不調もどうやら過ぎたようなので、ぼちぼち日常に動きを付けていこう。
 まずは、内海で朝日を見ようひとりツアーからだ。いろんな兼ね合いがあってタイミングが微妙なんだけど、一応毎日意識だけは持っていて、今だ、って思った日に行くことにしよう。
 まずはたまっている買い物と用事を済ませることからだ。一つずつ。
 
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 今日のための言葉
 
「退屈するのは、この世で最悪の罪だ」
 スタンリー・キューブリック
 


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