2002.1.9-

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 1月31日(木) 「熱唱日記」

 やあ元気ですか?
 私の方は良くもなく悪くもない日々が続いてます。血圧でいうと上が130下が80って感じです。
 毎日が予定通りでそれ以上でも以下でもなく。
 こんなふうだから一日の中で何度かふっと反省心が襲ってくるんだけど、反省し出すとキリがないんで適当なところで切り上げて、とりあえずやりたいこととやらなくちゃいけないことの折り合いをつけながらなんとなくお茶を濁しています。
 この停滞感は気に入らないけどまあ今のところしょうがないみたいです。
 そっちはどうですか?
 
                   *
 
 この時期のことを今リアルタイムでどんな時期か断定するのは難しい。この季節が過ぎてしばらく時間が経ってからしか本当の意味やつながりは分からないのだろう。
 でもいつかこの時期の意味が分かる時が来るはず。ああ、あの時はああいうことだったんだなと納得できる時が。
 それは自分が死ぬ時かもしれないけれど。
 でもこの時期って私にとって何なんだろう。よく分からないし不思議だ。

 絶望しているわけでも、虚しさから投げやりになってるわけでもないし、希望や願望もなくしてはいない。毎日を楽しんでいるし、自分の存在を間違いだとも思ってはいない。
 でももし、世界がこのまま変わらず私の人生もこれで終わってしまったとしたら、私は自分の一生を無意味なものだったと思わざるを得ないだろう。無駄だったとさえ言えるかもしれない。
 可能性と共に意味は見いだせるけど今ここで途切れてしまったらすべてが無駄になる。映画のフィルムが真ん中で急に切れてしまってその後が観られないとしたらそれまで観たものは無意味になってしまうように。
 物語には何等かの結末が必要だ。
 そして私の物語はまだ終わる時じゃない。たとえ中だるみだとしてもこんなところで終わらせるわけにはいかない。なんとしてでも生き延びて物語の終わりまで辿り着かなければ。
 映画も人生も一番大事なのはラスト。その出来不出来によって物語の良し悪しが大きく左右される。
 
                   *
 
 それにしてもしばらくは物語の動きはなさそうだから動き出すまではビデオでもいじくって遊んでよう。ドラマ「ギンザの恋」に出てくる資産家お気楽3人組を見習って。
 気楽でいられる時はなるべく気楽にしてるのがいい。
 
 さて、シャープのVC-BS50だけど、どうも分からない。ギブアップ寸前。あれからさんざんあちこち見回したりいじったり掃除したりしたのに、いっこうに直る様子がない。相変わらず再生中に気まぐれで止まってしまう。
 ただ一つはっきりしたのは、モードスイッチが原因ではないということだ。結局色々あって、今うちに3台のVC-BS50と、その弟分のVC-BS30とあわせて4台所有している状態なんだけど、あちこちのモードスイッチを入れ替えてみたところ、どのモードスイッチでも問題なく動くものは動くし動かないものは動かない。ということはつまり原因はこれじゃないということだ。
 じゃあ、なんだろう?
 うーむ、それがよく分からない。
 考えられるとしたらピンチローラーあたりなんだけど、掃除したり紙ヤスリで削ったりあれこれしたけどダメだった。軸自体がいかれてるのかなあ。
 その他掃除できそうなところはして、グリスアップするところはしたけどまるで進展なし。
 どこかにテープ走行に関するセンサーでもあるのかもしれないと思ったりもするけど、それは今のところ発見できない。
 やっぱりもっと分解するしかないのかなあ。けどなあ、確信のないまま分解して元に戻せなくなったらイヤだしなあ。
 パナソニックや三菱やビクターの有名機種ならジャンク修理のページがたくさんあって参考にもなるんだけどVC-BS50はちょっとマイナーすぎてそういうページがほとんどない。これが痛い。
 とりあえずこのへんが今の私の限界のようだ。これ以上は思いつかない。
 こうなったら最後の手段として、シャープの修理窓口とやらに電話で訊いてみるしかないか。案外あっけなく原因を教えてくれるかもしれない。
 もうそれでダメならあきらめて売り払おう。もう押し入れがいっぱいだし。
 
                   *
 
 ビデオで『クリクリのいた夏』を観た。
 私はお子ちゃま映画ってあんまり好きじゃない。子供嫌いってわけではないんだけど、どうも子供を主役にした作品というのは作り手の狙いが見え透いてしまうことが多くて気持ちが白けてしまうのだ(たとえば『チャンプ』のあざとさ、とか)。
 だからこの作品も敬遠してた。けっこう人から勧められていたけどお子ちゃま映画はいいやって思って。
 でもレンタル屋で借りたいビデオがなくて仕方なく借りて観てみたら、なんだ面白いではないか。というか、全然子供が主役の作品ではなった。私の勘違い。紛らわしいタイトルだ。
 確かにクリクリという小さい女の子は出てきてその子がおばあちゃんになって思い出を語るというスタイルなんだけど、女の子が主役ではなく、女の子の思い出の中の大人達の物語だった。
 その中のフランス人たちはとても善良でまっとうで愛すべき人たちで、観ていてとても気持ちのいい作品だ。フランス人も昔はこんな素朴だったんだと知ることができてちょっとホッとした。あんなフランス人なら友達になりたい。パリに住むすかした人たちは苦手だけど。
 内容は特にない。フランスの田舎に住む人々の触れ合いや小さなドラマがあるだけだ。でもほのぼのとしたいい作品であることは確か。観て損はない。
 アメリカ映画に疲れた時なんかにオススメです。
 
                   *
 
 そろそろ映画も行きたい。でも観たい作品がない。決定的にない。どうしようか。
『WASABI』なんか観てる場合じゃないし、『スパイ・ゲーム』はなんとなく乗れないし、『オーシャンズ11』は面白そうだけど相性が悪いソダーバーグ監督だし、『フロム・ヘル』は周りの評判がよくない。
 困ったなあ。こうなったら『千と千尋の神隠し』で観るか。
 ……。
 劇場で観るにはもう賞味期限切れだろう。日付のラベルを貼り替えれば大丈夫?

 しかしホント、この映画の悪い流れを変えなくてはいけない。でも一度観れば流れができて次々に観に行けるはず。今年の一本目さえ決まれば。
 こうなったら破れかぶれで、始まったとたんあまりの客の入りの悪さに早くも打ち切り寸前という日本産ホラー映画『仄暗い水の底から』でも観に行こうかな。慈善事業として。
 名古屋駅前の映画館では始まって一週目の一日観客平均が16人なんだとか。恐ろしすぎる……。内容よりもそっちの方が恐いくらいだ。
 
 来週の後半にとりあえず遠出の予定。今年に入って日常に動きがなさすぎる。もう2月だし、いいかげん動かさないと。
 色々条件が整わなかったり気分が乗らなくても、最低限近場の海へ行こう。真冬の海もいいもんだ。
 海に向かってハーモニカでも吹いてこようかな。「浜辺の歌」などを。
 
 あ〜し〜〜た〜浜〜辺〜〜を〜 さま〜〜〜よ〜え〜ば〜〜〜 む〜か〜〜し〜の〜 こ〜と〜〜〜ぞ〜〜 忍〜〜ば〜〜る〜る〜〜♪
 
 知らない?
 じゃあ、「灯台守」は?
 
 おーいら岬の〜〜 灯〜台守は〜〜〜♪
 
 ダメかなあ。
 ではこれはどうだ?
 
 赤い〜リン〜ゴ〜に くちび〜〜る寄〜せ〜て〜〜 だま〜〜って見て〜いる〜青〜い空〜〜♪
 
 ではこいつはどうかな。
 
 ああ〜あああ〜〜 高校〜三年生〜♪
 
 って、一体私はいくつだ!?
 
 にげた〜女房にゃ〜 未練はな〜い〜があ〜〜〜♪
 
                   *
 
 さて、懐メロも充分歌ったし、今日はこれくらいで帰ろう。
 また近い内に。
 
 また逢う〜日まで〜 逢える〜時〜まで〜 別れの〜そのわけは〜話し〜たくな〜い♪
 
 以下、熱唱続く……。

 1月29日(火) 「約束恐怖症」

 やあ元気ですか?
 今日の私の元気度は、大学3年の秋くらいです。けっこう元気です。
 でももうこの先二度と小学生時代のような元気さを取り戻すことはできなのかな。たまにはあの頃の元気さで公園を走り回ったりしてみたいような気もするけど。
 まあでも、30男が公園ではしゃいで走り回ってたら近所の主婦に通報されて捕まりかねないなんでやめておくとしましょう。アブナイ、アブナイ。

                   *

 歩きのスピード感ってすごくまどろっこしい、とここ数年感じるようになった。
 もう15年以上、移動のほとんどが車なんですっかり車のスピード感に体が馴染んでしまっている。だから、たまに長い距離を歩くとその遅さにイライラしてしまうのだ。歩くこと自体は昔から嫌いじゃないし、疲れるからイヤとかはまったく感じないんだけど。
 今日も車なら10分もかからないような距離を歩いたら30分以上かかった。遠いというか時間が長いのが気に入らない。病院の待合室で待たされているみたいで。
 歩きは当たり前だけど遅い。しまいには遅さに絶えきれなくなって駆け出したくなる。時間がもったいない。
 もちろん歩くことでしか見えない風景があったり、気づかないことがあったりする。あったりはするんだけど、それを考えても歩くことのプラスはあまりないように思う。少なくとも今の私にとって、車で行ける場所をわざわざ歩く必要性はあまり感じない。
 もし歩くならもっと別のところを歩きたい。山登りとか海岸線とか街の中心部とかを。
 
 しかしながら歩くことを軽んじてるわけではない。歩くこと自体はいいことだと思うし、それが時には偉大さにつながることもある。
 日曜に「知ってるつもり」で特集した伊能忠敬のように。
 前からあの地図作りはすごいと思ってたけど、あそこまで過酷で立派な仕事だとは思ってなかったんで驚いたし感動もした。伊能忠敬は機会があったらまた調べたいと思う。

 歩くスピードは確かに遅い。でも一歩いっぽ歩いていけばどこまでも行ける。歩き続けさえいれば必ず目的地に着くものだ。
 5年くらい前だったか、三重の田舎で、隣町にある一番近い本屋まで歩いて行ったことがある。
 往復に4時間かかった。いや、ホントに。あの時は途中で泣きそうになって、もう一生歩いてやるものかと思ったものだ。
 やっぱり車で行けるところは車で行った方がいい。実際の話。
 
                   *
 
 私は人との約束はあんまり破った記憶はないけど、自分との約束はいくつも破ってきた。果たされなかった自分との約束が一体これまでいくつあっただろう? その多くは約束したことさえ忘れてしまっている……。
 だから最近はもう、自分と約束するのが恐くなってしまってなるべく約束しないようにしている。自分との約束を破ることは、裏切られることでもあり裏切ることでもあって二重に疲れてしまうから。
 できない約束は最初からしない、これが結局は自分にとっても相手にとっても一番誠実なやり方なのかもしれない。
 小さなこだわりだけど、メールの最後に「では、また」と書く時と、「それでは」で止める時があって、それは自分では意識的に使い分けている。もうそれ以上書くつもりがない時に「では、また」と書くことはしない。
 電話するつもりのない相手に「また電話する」とも言わない。
 約束恐怖症、そんなものもあるのかもしれない。
 
                   *
 
 長年の小さな謎。
 何故いつまでたってもカップラーメンは美味しくならないのだろう?
 という素朴な疑問が私の中にある。いや、もちろん技術的な問題が色々あって店のラーメンを再現するのは難しいというのは分かる。けどそれにしてもカップラーメンの味って私が物心ついてからあまり進歩してないような気がする。
 いろんな味のものがこれまで出たし生麺タイプなんかで工夫したりもしてるけど、でもどれだけ美味しいと言われるカップラーメンでも美味しい店のラーメンには遠く及ばないだろう。
 いまだに私にとってのベストカップラーメンが「日清のカップヌードル」というのも納得できない。カップヌードルが発売されてもう30年にもなるというのに。
 それとも私が食べたことないだけで実際は夢のように美味しいカップラーメンがこの世には存在してるのだろうか?
 うーん、これでもけっこうカップラーメンはよく食べる方なんだけどな。
 とびきり美味しいカップラーメンを知ってたら教えてください。あんまり辛くないやつ。名古屋の台湾ラーメン、ありゃいけねえ。
 
                   *
 
 昨日洗車したらその途中で雨が降ってきたことは昨日のこの断想日記で書いたけど、今日は雪が降りやがりました。そんな。
 インテグちゃんは黒だから雪はサイアクなんですよねぇ。雪って雨以上に汚れるから。やれやれ。
 次の洗車予定は春です(おいおい、それでいいのか?)。
 
                   *
 
 今日はなんとなく思考にまとまりがなくてバラバラな感じで、この断想日記もまさに断想になってるけど、まあいいや。
 ついでにビデオの話をしてしまおう(どういうふうについでなんだ?)。
 
 シャープのVC-BS50に苦戦してしてる。
 再生してると気まぐれに停止してしまうのだ。40秒とか1分とか、時には10秒くらいで。この原因がどうも分からない。
 テープが巻き取られなかったり絡んだりするならメカ部分の故障なんだけど、そうじゃなく正常に再生するのにただ単に勝手に停止してしまうのだ。もちろん、石川ミーがリモコンの停止ボタンを踏んでいたとかそういうことではない。
 うーむ……。
 それで中身をじっくり眺め回したり、サイトを調べたりした結果、どうもモードスイッチというのが怪しいと気づいたでの、それを取りだして調べてみることにする。シャープのこの時期のモードスイッチはカムASSYごとパカリと外れるので調べやすい。
 で、取りだしてみたんだけど、うーん、多少劣化してるかなあという程度でそれほど悪くなってるような感じはない。でも一応アルコールで掃除して、田宮の接点グリスを塗って、また元に戻してもう一度再生してみる。
 すると、お、直ったか?
 と思ったら、5分くらいでまた止まった。その後もまた40秒だったり、7分以上止まらなかったり、すぐに止まったり、と安定しない。
 これはどうなんだろう。モードスイッチなのか、それ以外にも原因はあるのか。
 それでシャープのサービスセンターに電話で訊いてみた。この際思い切ってメンテナンスキット一式を買って交換しようと思って。
 しかーし、置いてないと言う。というか、そもそもVC-BS50のものがキットの一覧表に載ってないと言うのだ。やはり10年以上前のものはもうなのか?
 話をしてみると原因はたぶんモードスイッチだろうけど、アイドラあたりも怪しいとのこと。なるほど。けどこのへんはまだいじったことがない部分なのでちょっと恐い。元に戻せなくなるかもしれない。
 しょうがないんで、もう一台同じVC-BS50を入手してみた。
 がなんと、こいつのモードスイッチは前のより明らかに劣化しているではないか。なんてこった。これじゃあ使えない。
 試しにカムASSYごと交換してみたけど症状は似たりよったりでよくなることはなかった。
 悔しいのでもう1台VC-BS50を買ってしまった私。
 ……。
 大丈夫だろうか?
 明日届くのでこの続きはまた明日以降。
 そんなことなら最初から壊れてないビデオを買った方がいいんじゃないの、などと言ってはいけません。たとえ私が内心そう思っていたとしても。
 
                   *

 ところで今日のボクシングのタイトルマッチを観ましたか?
 星野vs.ガンボアのミニマム級タイトルマッチで、結果は星野が判定で勝って世界チャンピオンになったんだけど、笑ったのは二人のデータ比較紹介。
 身長、体重、リーチ、視力、年齢などという当たり前のデータの最後に「副業」という欄があって、星野が「トンカツ屋」で、ガンボアの方が「養豚業」だったのです! あはは。
「んなアホな!」と反射的にテレビ画面に向かってツッコミを入れてしまいましたよ。いくらなんでもこれはちょっと出来過ぎですよね。だいたいタイトルマッチに出てくるような選手で副業を持ってること自体珍しいのに、それがよりによってトンカツ屋と養豚業者の戦いになるなんて。
 いやあ、しかしあれは笑ったなあ。

                   *

 何もない一日だと思っても、一日の終わりに今日という日を振り返ってみるとけっこういろんなことがあったことに気づく。ホントに何もない平和な一日なんて、一年で数日なんじゃないかな。
 だから、毎日が同じようなことの繰り返しに思えてしまったとしてもあんまり悲観することはないんだと思う。
 明日もまた新しい別の一日。なるべくたくさんのことをして、なるべくたくさん楽しもう。
 楽しむことでしか人生は正当化できない。
 
 それじゃあ、またメールします。

 1月28日(月) 「近寄りたくない過去がある場所」

 やあ元気ですか?
 私は、第4コーナーを回って直線に入ったところでムチを入れまくってるんだけどさっぱり前へ出ることができない走らぬ駄馬のようです。これじゃあ立派な種馬になれそうにありません。悲しいです。
 それでもなんとか食肉にされないように走らなくちゃと思ってます。まだ引退を考える年じゃないですしね。
 
 今日洗車しました。
 9割方終わって仕上げに入ったところでにわかに雨が降ってきました。最初はポツポツと。やがて強く。
 暗くなった寒空の洗車場には私とインテグちゃんだけ。
 冬の雨は静かに私たちを濡らしたのでした。
 ……。
 なんてこった! またかい。まったくまいるなあ。
 しかし自分でも感心するくらい私が洗車中に雨が降ってくる確率は高いです。今まで10回近いはず。ということは、15回に1回くらいは洗車の途中に雨が降ったことになる。めったに洗車しないのにこの確率はちょっとしたものだ。これからは私のことを「洗車雨乞い男」と呼んでください。とうか、雨が降らなくて困っている人がいるところに出張していってそこで洗車してあげたいくらいです。15回に1回降ったら商売になるかもしれない。洗車後3日以内に雨が降る確率となると50パーセントは超えるからホントに試してみる価値はあるかも。
 いつか砂漠を緑のオアシスに生まれ変わらせる日が来るかもしれません(たぶん来ないと思うけど)。
 それにしても今日の降水確率は10パーセントか20パーセントくらいだったはずなんだけどなあ。すごいな、私。
 
                   *
 
 ビデオで『シーズンチケット』を観た。70点。
 悪くはない。面白いと言ってもいい。けど、『ブラス!』のように胸にぐぐっとくるものがなかった。そんなもんいらんわい、って人には充分楽しめるのかもしれないけど、私には不満だった。残念。
 最近、観る前の自分と観た後の自分が同じなままの作品では満足できなくなった。楽しかったり笑えたりするだけの作品はもういい。充分観た。別に映画に何かを教えてもらおうとか思ってるわけじゃないけど、自分の中の何かを変えて欲しいと思う。出来の良し悪しじゃなくて、力のある作品が観たい。
 最近私を変えてくれるような作品に当たってないなあ。
 
 衛星で放映した『フランダースの犬』実写版アメリカ映画を観る。
 これも面白くなかった。日本の傑作アニメには遠く及ばない。
 第一、パトラッシュが黒くて長い毛をしてるところからして気に入らない。実際はこの方が原作に忠実なのかもしれないけど、日本人にはあれは納得できない。
 おじいさんもイメージと違ってたし。
 それに何より、ラストの「パトラッシュ……、ボク、もう疲れちゃったよ……」という絶対に欠かせない決めゼリフをネロに言わせなかったのが致命的だ。日本のアニメをちゃんと観てればあのセリフを外すことはあり得なかったのに。
 ただこの作品の救いは、ネロ役の少年がすごくよかったことだ。彼だけは文句なし。
 
 ヘルマン・ヘッセ原作の『シッダールタ』という作品も観る。
 映画ということである程度は仕方がないにしてもヘッセの原作の表面を撫でただけで終わってしまってる。いい出来の作品とは言えない。
 ヘッセ作品は20代前半に熱狂的に読んだけど、今となっては二度と読めないだろう。あの頃感動した思想から今の私はずいぶん遠くに来てしまっているから。ただ、あの頃の自分がいたから今の自分がいるわけで、私がヘッセから受けた影響はかなり大きい。今でも時々『ガラス玉演戯』の冬の湖に老人が静かに入っていくというシーンを時々思い浮かべたりする。
 
                   *
 
 嫌なことがあったわけでもないのになんとなく避けたい思い出の場所ってないですか?
 過去に自分がいた場所とか、昔よく行った馴染みの店だとか、通った学校の前とか、昔の知り合いに会ってしまいそうなところとか。私にはそういう場所がいくつかあります。
 今日たまたま昔働いていた本屋の近くまで行ったんだけど、どうもその店の前を通るのが嫌な感じがしてわざわざその道を避けて遠回りしてしまったのでした。店を見ればなつかしいだろうし、店に行けば世話になった社長がいたかもしれないのに。
 そう思いながらもやっぱり近寄ることはできなかったのです。たぶん、過去が忌まわしいからではなく、今の自分が恥ずかしいから。合わす顔がないってやつですね。
 まあ私の場合、過去のことはあまり思い出さないし昔の知り合いを懐かしいとも思わないし同窓会とかも出たいとは思わないから過去と積極的に関わる必要もないんだけど。
 過去を辿ることがあるとすればそれは、自分が納得できるほど成功した時なんでしょうね、私だけじゃなく、誰にとってもそうなんじゃないかな。
 いつか私も過去と真正面から向き合えるんだろうか。あんまり自信ないな……。
 
                   *
 
 自分に対する不満感が高まってきていて、支持率は急降下で大変です。かつて80パーセントあったものが今や30パーセントとなり、内閣総辞職は時間の問題かもしれません。第二のバカヤロー解散もあり得ます。
 時々自分を総入れ替えしたい時ってあります。
 けど、ポーカーでもそうだけど総入れ替えってたいがい前と同じか前より悪くなったりするんですよね。だから、自分の手札にあるワンペアーを活かすか、フラッシュかストレート狙いの方が現実的なんだろうな。とりあえずエースがあればそれを残してみるとかね。
 さて、何を残して何を捨てるべきか。
 
 まあしかし、どんな理由かは知らないけど私がまだこの世界における人生ゲームに参加を許されてるってことはありがたいことです。どんなに手札がヘナチョコでも、参加してさえいれば勝つチャンスはあるんですからね。
 それをありがたいと思って、このゲームを楽しむ精神だけはいつも忘れないようにしなくちゃと思ってます。
 というか、お願いだからいい手札を配っておくれ〜。なんまいだー、なんまいだー。
 
 それじゃあ、またメールします。
 WITH LOVE.

 1月26日(土) 「やりたくないことでも始めれば何とかなったりする」

 やあ元気ですか?
 今日の私の元気度は、好きな子が風邪で学校を休んでしまった日の5時間目の授業中、といったところです。

                   *

  戻らないのは時間や年齢だけじゃなくて感情もそうだ。過去の感情を思い出すことはできても同じものを持つことはもうできない。
 子供の頃の曇りのない楽しさや、初恋の時のドキドキした気持ちや、夏休みに入ってすぐの浮き立つような心も、もう永遠に戻らないんだと思うと寂しいというか悲しいというかとっても残念だ。なくしたもので一番大きなものはそういうことなのかもしれないな。
 時々記憶の中をさまよってそういう懐かしい感情を掴もうとするんだけど、いつも触れようとしたとたん、ふっと消えてしまう。映写機から映し出された映像をスクリーンに届く前に捕まえようとしても絶対に捕まえられないように……。
 そう、過去の感情は実体を伴わない映像の様なもの。私たちは二度と手で触れることはできない。
 それでも私たちには未来があるではないか、とあなたは上手に割り切れるだろうか?
 私はもう少し時間がかかりそうだ。
 
                   *
 
 あー、今日はどうも書けない。書きたくない気分というより書くことがない。じゃあ書かなければいいじゃないかと思うかもしれないけど書かなければ書かないで気持ち悪いから書かないといけないのですよねえ、これがまたやっかいなことに。
 ものすごく疲れてバスの座席に座ってたらヨレヨレのばあちゃんが乗ってきて私の前でピタリと止まった時みたいだ。立ちたくないけど立って代わらないとそれはそれで嫌な気分だし、でも疲れてるから座っていたいし。今日はそんな感じだ。
 うー、書くべきか立つべきか寝たフリするべきか、それが問題だ。
 そうそう、それが問題だ、で思い出したけど、シェイクスピアの「それが問題だ(To be,or not to be,that is the question.)」は、「question」なんですよね。日本語で「問題」っていうと「question」よりも「troble」のニュアンスで受け止められやすいんだけど、あれは違うと思うなあ。シェイクスピアはそれを「問題」と思ったわけじゃなく、自分に向かって「問い」として投げかけたんですよね。
 なあ、自分よ、どうするんだ、生きるのか、生きるのをやめるのか、どっちにするんだ、ってね。
 えーと、何の話だったっけ?
  ……。
 おおっー、気づけばかなり字数を稼いでるではないか。よし、いいぞ、この調子で何か適当に書いていればなんとなく恰好つくかもしれない。枯れ木も山のにぎわい。ちりも積もれば山となる。石の上にも三年。犬も歩けば棒に当たる。一寸の虫にも五分の魂。ローマは一日にして成らず。うかうか三十きょろきょろ四十。起きて半畳寝て一畳。
 ……。
 知ってることわざ並べりゃいいってもんじゃないですよね。失礼しましたー。
 日光を見ずして結構と言うな。
 
                   *

 昨日今日で、年始大型時代劇「壬生義士伝」の2回目を通して観てしまったのだった。私としてはすごく珍しいことだけど。しかも、合計10時間くらいあったのに。
 2回目も充分面白かった。1回目は少しいいかげんに観てしまっていた部分もあっから、これでようやく観終わった気になった。めでたい。
 で、今回一番感じたことは、大切なのは、どこへ行ったとか何を見たかなんてことじゃなくてやっぱり人と人のつながりや交わりなんだよなあ、ということだった。
 それは当たり前のことなんだけど、普段けっこうないがしろにしてる面もあるからこれからはもっと大事にしなければと思った。
 ドラマっていうのは、人と人が出会い、触れ合い、時間や何かを共有し、別れ、思い出になった時に生まれるもので、それこそが生きることの意味であり、この世で生きることそのものなのだ、きっと。
 たとえばネット上の儚くて危うい関係性でもね。
 何にしても「壬生義士伝」はいい作品でありやんした。
 
                   *
 
 今年に入って変わりつつある自分を感じながらも、古い自分と新しい自分に片足ずつ乗ってる感じで今どっちつかずの半端な状態になっている。
 思考を思い切って捨てて行為に重点を置こうと決めたのにまだ思考を捨てきれずにいるし、行為も充実からはほど遠い。
 早く新しい自分に向かわなければと思ってるんだけど。
 ただ一つ、今年に入ってできたことがある。それは心の奥の方に冷凍保存しておいた恋をようやく捨てることができたことだ。これは一つ大きな前進と言っていいだろう。
 私には、死んだ子猿がミイラになってもまだ抱きかかえて離さない母猿のように終わった恋をいつまでも抱えてしまう悪いクセがあるから、これも直していかないと。
 古くなった恋は新鮮なものに。ラベルを貼り替えてごまかしたりしちゃいけない。
 
 新しければいいってもんじゃない、と人は言う。でも私は、新しければいいんだと思う。今までとは違う別のものでさえあれば、それが過去のものより劣っていたとしてもよしとしたい。
 この世界や存在や人間というのは可能性のカタマリで、その可能性を一つずつ試していくことが命や存在を次につないでいく意味だと思うから。
 たとえば完璧な人間が生まれて完璧な一生を送って完璧な死に方をしたとする。でもそれでは世界はまだ終われない。何故ならそれで世界の可能性のすべてを実現させたわけではないから。
 この世界が終わる必要があるとするならそれは、この世界に新たな可能性がなくなった時だ。人間にも同じことが言える。
 私にもあなたにもまだ生きる意味がある。死んではいけない。まだすべての可能性を試したわけじゃないのだから。
 常に新しいことをして、新しい自分にならなくちゃいけないってのはそういうことなのだあ。
 
                   *
 
 よしよし、ここまで書いてようやく気分が軽くなった。おばあちゃんが次の停留所で降りていってしまったみたいに。
 けど、人は人生の中で何度くらい人に席を譲るんだろう? 道を歩いていて人にものを尋ねられることが多い人と少ない人がいるように、席を譲る機会が多い人と少ない人と極端なんだろうか?
 私はほとんどバスや電車に乗らないってこともあるけど、今まで一回か二回しかなかった。もちろん私が譲ってもらったことはない。
 あ、いや、でも一度死ぬほど譲ってもらいたかったことがあったのを思い出した。就職の面接に行く朝のバスの中で慣れない早起きとラッシュでヨレヨレになってしまって、冬だというのに私一人立ちながら失神寸前だったのだ。あの時は心底席を譲ってもらいたかったぞ。
 でもそんな奇特な人がいるはずもなく、どうにか意識を保ってその会社のトイレまで辿り着いて鏡を見たら、そこには死にそうなほど青ざめてる私がいたのだった。もちろん面接で落ちましたとも。あの顔色じゃあ私だって採用しないです。
 しかし、いつか私も席を譲られる人になるのかなあ。あれって一番最初譲られた時ってショックでしょうね。うおおおー、自分もついに老人扱いされるようになってしまったのかあとか思って。
 年取ったらバスや電車に乗るのやめよ……。
 
 さてと、日記も書いたし、今日はもう寝よう。
 明日はちょっとややこしいことがあるから少し早起きしないといけないし。うーん、なんとか頑張って1時50分には起きたい。
 ……それは早起きって言わないですか?
 あ、今ふと昨日の夢を思い出した。昔からの友達とネットの友達とが一緒になって(一度も会ったことないのに確かにその人だと分かるのが不思議)みんなで飛行機を借り切って北海道へ行ったんだけど、何故かその中に稲垣のゴローちゃんがいて、しかも飛んでる途中UFOとぶつかってどこかに不時着したのに何故か何事もなかったようにみんなそれぞれ北海道観光に出掛けていって、私も雪の北海道をどこかに向かって歩いている、という実にヘンテコリンで意味不明の夢だった。
 なんだこりゃ? 私の頭はこの程度の夢しか見られないのかあー。もっと高尚な夢が見たい……。
 今日こそ理路整然とした夢を見てやろう。
 
 ではではよい夢を。

 1月24日(木) 「月並みな目標と新しい自分」

 やあ元気ですか?
 私の元気度は相変わらず回復を見せず、社会のテストで55点を取った時のような感じです。
 あー、80点とは言わないからせめて70点は取りたいところだなあ。明日こそは。
 
 今年の私の目標は「単純」でした。それに加えて34歳になったことでもう一つ目標を付け加えることにしました。
「365日全部の日を大事にする気持ちを持ち続けること」
 すごく月並みなんだけど、これにしてみました。なんというか、最近どうも楽な方に流れがちで、消極性の中で日々の可能性を自ら小さくしてる気がするんで、今年は少しでも積極的な方向でいこうかなと思ってるところです。
 スピード&チャージです。
 ……。
 ちと古いですか?
 いつでも次の塁を狙う姿勢です。盗塁王オオタと呼んでもらってもいいです。福本に追いつけ追い越せでガンバリます。
 とにかく、毎日を漠然と過ごさないようにしなくちゃ。
 メイク・ドラマですよ、メイク・ドラマ。

<注>
 盗塁といっても何かを盗むということでありませんし、メイク・ドラマといっても化粧とか関係ありません。

                   *

 34歳。この歳は私にとって特別な年齢です。それは、アイルトン・セナが死んだ歳だから。
 あの時以来、私の中で何かが死んで、別の人間になってしまったのでした。
 そして今、自分が34になり、とうとう彼の年齢に追いついてしまいました。嬉しいような悲しいような恥ずかしいような……。でも、しっかりしなくてはと思います。
 彼の墓碑銘「夢尽きることなく」という言葉を忘れないように。
 
 34歳という年は、ある意味では「死に時」なのかもしれません。若い頃から全力で駆けてふっと落ち着いたり、時代の風が変わったり、頂点に立ってしまったりした時、そこにぽっかりと空いた落とし穴にはまるように死に持っていかれてしまうことがあるみたいです。
 たとえば「忠臣蔵」の浅野内匠頭だったり、正岡子規だったり、『夫婦善哉』のオダサクこと織田作之助だったり、「地球は青かった」のガガーリンだったりがそうです。
 更に、新撰組の土方歳三や近藤勇が死んだのも34でした。
 みんな若かったんですね。
 けど、逆に考えれば「死に時」を得られた人間は幸福なのかもしれません。これらの人たちを思うとき多くの人がこう思うような気がします、もっと生きていて欲しかったけどでもあのへんが死に時だったかな、と。
 ま、私の場合はまだまだ死に時じゃないんで少なくとも今年一杯は生きる予定です。
 だってソルトレイク・オリンピックも観なくちゃいけないし、日韓のワールドカップを観ない内に死んでる場合じゃないですからね。
 それにそもそも私の人生の目標は23世紀を見ることなんで、こんなところでくたばってるわけにはいかないんですよ。
 私はゆっくりいきますんで、お先にどうぞ〜。
 
 さて、明日から新しい自分で新しい日を生きていくことにしましょうかね。実は昨日は私にとってちょっとした分岐点の一日だったりしたんだけど、一つの答えが出て一つの物語が完結したのでした。なんていうのか、連ドラの最終回が消化不良でモヤモヤしてたのがスペシャルでようやく完結してすっきりした感じとでもいうのかな。
 ……なんかたとえば違うような気がするけど、とにかく昨日で気持ちに区切りがついたんで、今日から新しい気持ちで前を向いていけそうな気がしています。
 後ろ向きで鬼のように速く走れる人が中国にはいるけど(テレビで見たけど激速でしたよ、ホント)、フツーの人は後ろ向きだと速くは走れませんもんね。やっぱり走るには前を向かないとスピード出ないし危ないから、フツーの人である私は前を向いて走りたいところです。
 前向きになったところでまたビデオでも買おうかな。
 ……。
 もうやめとけって?
 いやいや、この前買った10台目のシャープVC-BS50がまったく動かなくて手に負えなかったんで、また違うやつが買いたいんですよお。うーん、次は何がいいかなあ。いっぺんSONYでも買ってみようか。
 あ、その前におもちゃ屋行って田宮の接点グリスとやらを買ってこなくちゃ。ううっ、なんか34歳でおもちゃ屋入るのってちょっと恥ずかしいなあ。ゲーム屋は入り慣れてるからいいんだけど、おもちゃ屋ってまた別ものですからね。
 あ、そういえば「一人で入れない店シリーズ」って全然クリアできてないことを思い出しました。いかん。今年こそ「一人吉野家」を成し遂げたいとことです。でも自信ないなあ。
 あと、「金鯱号」も。これは一人では無理難題すぎるから有志を募らなくてはいけません。
 
 私と一緒に金鯱号に乗って「でらうま」を飲んで悪酔いしませんか?(あの船はデザインを最優先に造られており、船のサイズの割に背が高すぎるから波の影響をモロに受けてイヤな揺れ方をしてものすごく悪酔いするらしい)。
 
 また今日の日記もあちこち脱線してだんだんとりとめがなくなってきました。設計図を書かずに適当に建て増ししたヘンテコリンな家みたいです。だからそろころこのへんで終わりにします。

 それにしてもなんだか憑いていた霊がとれてしまったしまったかのようにエラソーなことが書けなくなってしまいました。まったく思いつかないんです。おかしいです、これは。なんてことってしょう。
 でも最後くらいビシっとキメましょう。任せてください。

 一日一善、人類皆兄弟!
 ……。
 笹川会長は元気かなあ?
 ……。 
 サンマ焼いても家焼くな!
 交通ルールを守りましょう。松崎まことでございます。
 いと〜に行くならハ〜ト〜ヤ〜 で〜ん〜わは〜よい〜フロ〜♪
 
 ダメだこりゃ。
 どうやら本当にエラソーなことを言う回路は焼き切れてしまったようです。私は悲しいです。
 
 ではでは、またあああー。

 1月22日(火) 「イメージなき日常」

 やあ元気ですか?
 私は相変わらずあんまり元気のない毎日なんだけど、でもまあなんとか元気出していこうと思ってます。
 
                   *
 
 私が失ったのは、時間でも希望でも夢でもなく、イメージみたいなものなのかもしれない。
 自分がそうありたいと願う自分像が見えなくなってしまった。幸せの形というのか、最終的な目標というのか。これはすごく大きな問題に思える。
 去年まではおぼろげながらもそういうもののイメージが確かに見えいた。錯覚かもしれないけど確かに見えると思えた。それと生来の楽天とがあったからなんとか自分を支えることができていたのだ。
 でも今はそれが見えなくなった。多くのことが。あるいはすべてが。
 真っ白なキャンバスの前で描くべき絵が見えなくなって立ち尽くす画家の様に。
 イメージがないというのは恐いことだ。完成図がない家を建ててるみたいなものだから。

 今選択の時が来ている。
 かつてのイメージを捨てて新しいイメージを探すのか、それとももう一度かつてのイメージが浮かび上がってくるのを待つのか、どちらかを私は選ばなくてはならない。
 どっちにしてもイメージがなくてはどこへも辿り着けない。
 
 でも答えはそう簡単には出ない。
 しばらくはイメージ抜きで時間をやる過ごすしかなさそうだ。イメージ抜きでも日常生活には支障ないのだから。
 
                   *
 
 今まで何度となく危機的状況に陥ったけど、でもそのたびに抜け出してきた。いつも自力で。だから今回だって大丈夫だ。過去にあった崩壊に比べたら今度のなんか小さなほころび程度なんだし。大丈夫、そのうちなんとかなる。
 今は完全に失ってしまっている自分に対する信頼感も、やがては取り戻せるだろう。
 まだこんなところが行き止まりってわけじゃない。
 四方から壁が迫ってきているけど、壁が近づいてきたということは壁を乗り越えるチャンスでもある。幼少の頃から木登りは得意だったし、遅刻の時は校門の手前のフェンスをよじ登って何度も難を逃れた私なのだから。
 
                   *
 
 ややこしい話はこれくらいにして、楽しい話をしよう。たとえばビデオの話などを。
 ……。
 ビデオ話が楽しいのは私だけ?
 まあまあそう言わずに。
 
 ここ半年くらいで10台以上買って使ってきた中で、色々なことが分かってきた。良いビデオデッキと悪いビデオデッキの違いや、メーカーの性格や、値段による性能差や、ビデオデッキというのは一台一台全然別物だということなどが。
 ということで、いったんここで今まで私が関わってきたビデオデッキについてまとめてみることにしましょう。

 私がここ最近買っているのは、90年から95年くらいにかけてのものです。
 バブルが崩壊し、ビデオもコストダウン競争に巻き込まれ、どんどん質が落ちていきました。
 もちろん技術は進歩していってはいるんだけど、コストダウンを余儀なくされて作られたビデオデッキは急速に重厚さや貫禄を失っていったのでした。
 高級デッキの定価は20万が15万になり12万になりやがて10万を切り、重量も10kgあったものが8kgになり6kgになりついには5kgを割るようになったのです。
 ということで96年以降のビデオデッキにはあまり興味が持てない私の狙いは、定価15万前後の高級と中堅の間くらいのものということになったのでした。

 もしあなたがネットオークションなどで画質などの性能がそこそこ良くて、なおかつ値段もそこそこの中古ビデオを買おうというのなら、私は迷わずビクターのHR-V2をオススメします。値段はちゃんと動くもので3,000円〜7,000円くらい。安いでしょ?
 もちろん上を見たらキリがなくて、もっともっと画質のいいものはたくさんあります。
 たとえばビクターならHR-X3やHR-X5とか、パナソニックならNV-SB88Wとか800Wとか、三菱ならHV-V700とかHV-V6000とか、東芝ならA-BS1やA-BS3とか、SONYならSLV-R7とか、あるいはもっと超高級なものまで。
 このクラスでも1万〜3万も出せば買えるんだけど、でもビデオが完全に消耗品であることを考えると、5年以上使ったものに2万も3万も出すのはちょっとキケンです。自分で修理できるならいいけど、買ってすぐにメーカー修理となると更に1万から2万払わなければならなくなるから。
 けど5,000円くらいならすぐに壊れてもまあしょうがないかなって言って済ますことができるというわけです。

 そんなわけで、HR-V2はいいビデオデッキなのです。
 まず画質がいい。これはかなりいいです。もちろん今時のデジタル三種の神器「デジタルY/C分離」、「デジタルNR」、「デジタルTBC」を搭載したビデオデッキに比べたら、パッと見では劣ります。がしかし、そういうデジタル化粧で固めた画質はやっぱりどこかヘンです。いわゆるデジタル臭いといやつですね。どこか不自然な感じです。
 それに比べて昔のビデオデッキは素顔がきれいでした。化粧しなくても勝負できるほど。
 今のビデオを都会の美形コギャルとするなら、昔のビデオは田舎のすっぴん美人高校生のようなものです。土台が違うのですよ、土台が。
 その昔のビデオの中でもHR-V2はかなりきれいな部類に入るんじゃないかと思います。
 更にこいつのいいところは画質だけではありません。なんといっても操作性がバツグンなのです。とにかくリモコンを押した時の反応がすごくよくて使っていて気持ちのいいったらありゃしません。
 時間にしたら1秒以下の違いでしかないんだけど、実際に使ってみるとこの微妙な反応速度の違いっていうのは決定的なのです。デジカメの操作性にも同じことが言えるんですけどね。
 HR-V2とほぼ同時期に同じくビクターから発売されたHR-V10は非常にトロいです。こっちの方が1万円高いくせにメカが違うようで。
 なので、HR-V10はオススメできません。
 あと、HR-V2は動作音が静かなのもいいです。
 ということで、HR-V2はトータルでとっても優秀なオススメの1台であります。
 
 今メインで使っているパナソニックのNV-SB50も私はなかなか気に入ってます。画質もそこそこいいし、録画性能もまずます、動作もまあまあ早いし、使っていて不満が少ないのがこいつのいいところです。ここが素晴らしいってところもないんだけど、安定感があって、何より丈夫なんで安心して酷使してます。
 丈夫というのはパナソニック全般に言える傾向で、三菱やビクターのもろさを知るとよけいその丈夫さに感謝したい気持ちになります。
 ビデオ界の衣笠幸雄と呼びたい。
 
 三菱のHV-V700はとにかくチューナーの性能が素晴らしいです。今時のビデオしか観たことない人がこのビデオデッキのチューナーを通してテレビを観たら、たぶんびっくりするに違いありません。画質も音も段違いなんで、全然ビデオに詳しくない人でも、おっ、これはすごい、と思うはず。地上波でもBS放送に近いものがあります。
 おかげでこのビデオデッキは録画性能がかなり高いです。こいつで録画したテープを今時のデジタル処理ビデオデッキで観たら、テレビ中継の元画質を超えるかもしれません(ちょっと大げさ)。
 残念ながら私が持っていたHV-V700は不完全なものでもう売ってしまって今手元にありません。いずれ完調のもをもう一度買いたいと思ってます。
 これもオススメの1台です。
 
 ちょっと寄り道ということでサンヨーのビデオデッキもいっちょ買ってみました。VZ-S500Bというやつを。
 しかし、予想通りそれなりでした。まあ定価12万の中堅だからあまり期待しすぎてはいけないんだけど、それにしても画質はよくないし、動作音もびっくりするくらい大きいし、なんとなく全体に安っぽい雰囲気が漂ってしまっていけません。反応と音はそこそこいいんだけど、チューナーの性能もそれほどよくないし、これでは満足できません。
 サンヨーにはVZ-S6000Bというすんごいやつがいるんで、それを見るまではサンヨーをダメだとは決めつけられないのだけど、でもまたサンヨーのビデオデッキを買ってみようとは思えないのでした。
 
 シャープと東芝と日立に関しては今までVHSデッキしか使ったことがないので今後の課題ということになります。
 SONYはこれまでまったく無縁です。ビデオに関してはSONYはあまりいい評判を聞かないですしね。
 きっとベータが負けたことを根に持っていて本気で優れたS-VHSデッキを作ろうという気概は持てなかったのでしょう。

 現在、押し入れには修理待ちの東芝A-BS76と、シャープのVC-BS50が2台控えます。
 これの修理が終わって使えるようになったらまた報告しますね。え? もういいって? まあまあそう言わずに。
 
                   *
 
 ところで電動歯ブラシって使ってますか?
 私は2年くらい前から使ってるんだけど、これって一度使うと二度と普通の歯ブラシには戻れないんですよね。やっぱり使いやすさや使った後の歯触りが全然違うから。
 合わない人は合わないのかもしれないけど、まだ使ったことがなければぜひ一度使ってみるといいですよ。安いものは980円くらいからあるから。
 私も今までずっと980円のオムロンを使ったたんだけど、とりあえずはこれで充分ですから。
 けど最近そいつが不調になってきたこともあって、今回新しくいいやつを買ってみたんです。オムロンのインタープラークというやつを。
 定価9,800円のものがオークションで新品を800円で買うことができて大喜びの私。
 で、早速使ってみたんだけど、こりゃええわ。さすが高いだけのことはあります。
 今までのは単純に前後に動くだけだったんだけど、これは歯ブラシが丸い形をしていてそれが複雑にグリングリン回わるのですよ。いかにも「うりゃー、かき出してるぞォー」って感じで。
 こりゃいい買い物した、これから長らく使っていこう。
 と思ったら大きな落とし穴がぁ。
 あろうことか、オムロン、これ、すでに製造中止してやがるではないですか。
 なんてこった。
 製造中止がなんでいけないかというと、替えのブラシがどこにも売ってなーーいのです。今日薬局からホームセンターから電気屋まで6軒くらい回ったけど影も形もなかったです。もちろん本体も。
 本体がなければ替えのブラシも置いてあるはずもなく、製造中止ってことはオムロンでさえ置いてないに違いありません。いや、もしかしたらオムロンならあるのかもしれないけど、この替えブラシ、なんということか、定価が1,850円もしやがるのです。うっ、本体を800円で買って替えブラシが1,850円なんて……。
 せっかくいい電動歯ブラシを手に入れたと思ったら、使い捨てになってしまいました。あああ。
 大事にそっと使お……。
 
 ということで電動歯ブラシはオススメだけど、買う時は替えのブラシが近所の店で売ってるやつにした方がいいですよー、って話でした。
 オムロンめ……。
 
                   *
 
 冬のやっかいイベントといえば、クリスマス、年末年始、バレンタインデーと相場が決まってますが(そうなのか?)、私の場合、これに加えて誕生日が真ん中に鎮座しており、冬という季節はほとんど嫌がらせに近いです。毎月心の安まる暇がありません。なんとかして欲しいものです。
 いや、でも逆に考えれば冬は一年でもっとも素敵なイベント目白押しの季節になる可能性もあるんですよね! うん、そうだ、物事はいい方に考えなくちゃいけないですよね。
 来年はガンバロウ……(←敗者の弁)。
 
 明日はネットも休んで、必要以上にのんびりする予定です。
 次は34歳の私がメールします。

 1月20日(日) 「スタイルと自由」

 やあ元気ですか?
 私の心は冬の日本海側の空の様に毎日どんより曇りっぱなしです。
 春になれば日差しと青空が戻って、心に積もったこの雪は解けるのかな? そうだといいけど。
 
 唐突だけど、雪割り草って知ってますか?
 春になって雪が解け始めると雪を割って顔を出すことからそう名付けられた白やピンクや赤の小さな花のことを。
 なんで私がそんな花のことを知ってるかといえば、プレイステーションで「雪割り草」ってタイトルのゲームをやったことがあったからです。
 あれはなかなか雰囲気のあるアドベンチャーゲームでした。冬の函館を舞台にしたモノクロームの悲しい物語。
 あ、そういえばこのゲーム、友達に貸したままだ。返してくれ〜。

 私の心にも今年は雪割り草が咲くでしょうか。
 春はまだ遠そうだけど、ちょっとだけ期待することにしましょう。
 
                   *
 
 この週末はかなりのんびり過ごしました。先週は毎日なんだか妙に慌ただしい日々だったからなんだか腹が立って、その腹いせに週末は意識的にゆっくりしてみたのでした。
 でもあんまり楽しくなかった……。なんか、無理矢理来たくもない温泉に連れてこられて、どうにもやることがなくて手持ち無沙汰になってしまってるような感じで。
 忙しいことが幸せだとは思わないけど、のんびりすることは決して幸せなことじゃないんですよね。あらためて思い知りました。
 人はやっぱり少し忙しいくらいでちょうどいいのかもしれません。良性の忙しさなら。
 悪性の多忙さは安物の酒の様に悪酔いしてしまいますからね。
 
 さて、来週からはちゃんと平常に戻さないといけません。成人式週間も終わって、もういくらなんでも正月気分ではいられないですもんね。
 あ、いかん、まだ一枚年賀状書いてなかった。がびーん。すっかり忘れてた……。なんとか来週中に書かなくては(明日書けよ、私)。
 
 まあホントは色々押し詰まってきてやらなければいけないこともあるんだけど、それはそれとして、とりあえず映画と遠出を考える私。ややこしいことを後回しにしてしまうクセは一生治らない不治の病なのかもしれません。
 でもまずはこの二つをクリアしておかないと今年が本格的に始まった気がしないですからね。こいつらからやっつけることにしましょう。
 とはいうものの、実は今どうしても観たい映画がないんです。タイミングの悪いことに。2月になれば『オーシャンズ11』なんかも始まるんだけど、今はホントにさっぱり。
 何か面白い日本映画やってくれたらすぐにでも行くんですけどね。

 遠出も目的地が見つからなくて少し困ってます。去年一度行ったところでまた行きたいところはあちこちあるんだけど(奈良とか京都とか琵琶湖とか)、でも今年の最初ということでまだ行ったことがないところがいいんですよ。どこかないかな。うーむ、やはり高速使うしかないか。
 それとも所さんのダーツの旅みたいに日本地図を壁に貼ってダーツでも投げてみようかな。
 うーん、でもそれをやるならまずはダーツを買ってこなくてはいけません。
 面倒だ……。
 高速はいつになったらタダになるんでしょうね?
 
                   *
 
 ところでこの日記のスタイルだけど、どうも書きづらいです。なんてこってしょう。半月で力尽きそうになるとは。
 最初はなかなか面白い試みだと思ったんだけど、この書き方だと対象が今ひとつあやふやなんで、何をどう書けばいいのかいつも迷ってしまうんですよ。相手に合わせて書くのは難しくないけど、架空の相手を相手に書くのはやっぱり難しいです。
 ラジオの新人DJはこんな感じなのかもしれません。
 なので、明日からはもっと自由にしてみます。その日の気分と書きたいことの内容でスタイルを変えることに。

 全然関係ないけど、水泳の自由形ってなんでみんな揃いもそろってクロールで泳ぐんでしょうね。自由形なんだからもっと別のスタイルで泳げばいいのに。「のし泳ぎ」とか。
 ……。
 のし、もしかして知りません? なんて説明したらいいのか……。横泳ぎというか斜め泳ぎというか、要するに古来の泳法です。
 しょうがない、今度私が見せてあげましょう。華麗なるのし泳ぎを。
 えーと、赤フン、どこやったかな。

 ということで、私も明日から自由なスタイルでいくことにしよう。
 それじゃあ、またメールします。そのうち。

 1月19日(土) 「ちょっと待ってて」

 やあ元気ですか?
 私の元気指数は30パーセントってところです。ところにより一時元気でしょう、ってな具合で。
 どうも去年の後半から引き続いて冴えない日々が続いてます。生け簀で泳ぐ魚のように。定年が近い平刑事のように。成績の悪いセールスマンのように。
 なんとかはりきっていきたいとは思ってるんですけどね。
 
 飽きるってことは恐ろしいことですね。最近特にそう感じるようになりました。
 飽きるから人はいろんなものを生み出したり前へ進めるわけでもあるから、飽きることイコール悪ではないのだろけど、でもやっぱり飽きるってことはやっかいなことです。
 人は恋に飽き、幸福に飽き、しまいには生きることにも飽きてしまう。そこにいろんな問題の種が生まれるんですもんね。
 そして私は恐ろしいことに最近自分自身に少し飽き始めているのを感じてます。生きることにではなく、自分という役どころに。
 役者が長年やってるシリーズものの役柄に飽きてしまうように。
 これはかなり深刻な状況なのかもしれません。自分に飽きてしまったら何をしても楽しめませんからね。

 更にもっと危険な兆候としては夢見ることにさえ飽きてきているということです。
 夢を見ることで自分を支えてきた人間が夢見る力をなくしたらどうなると思います? それはもう悲惨なものです。無ですからね。今更現実主義者になれるわけもないし。
 希望をなくしたおとぎ話の主人公は物語を去るしかありません。
 
 これからの自分がどうなっていくのか、ますます分からなくなっています。
 ただ一つ確かなことは、人は自分を脱ぐことはできないってことですよね。最後まで自分という着ぐるみを着て与えられた役を演じきるしかありません。たとえ気に入らない役でもね。
 せめて自分の気に入る役作りでもして気を紛らわすことにしましょうか。
 監督が何と言おうと、ストーリーがどうであろうと、実際に演じるのは自分自身なんですもんね。
 
                   *
 
 誰の人生も完全にはピントが合ってなくて目の前はぼやけているのかもしれません。
 あなたのピントはどうですか?
 私は遠くの背景にピントが合ってしまっていて、手前にある肝心の被写体がボケボケになっている感じです。
 毎日なんとか合わせそうと努力はしてるはずなんだけど、どうにもこうにも合いません。
 所詮、望遠鏡で1メートル先のテレビを観ようとするのが無謀な試みなのかな。
 望遠鏡は遠くの星や景色やノゾキに使うものですもんね。
 あ、いや、そういう趣味はありませんが。

                   *
 
 最も絶望的に途方に暮れてしまう瞬間はどんな時か?
 それはかけるべき相手に対してかけるべき言葉がどうしても見つからない時かもしれません。
 今の私は、自分にかけるべき言葉が見つかりません。
 頑張れも、しっかりも、大丈夫も、自信を持っても、夢と目標を見失うなも、動けも、楽しめも、元気出せも、どの言葉も違う気がしてしまって。
 そしてそんな私があなたに言える言葉はただひとつ。
 ちょっとだけ待ってて。
 
 またメールします。

 1月17日(木) 「せわしない夜行性の生き物みたいに」

 やあ元気ですか?
 今週の私は時間がありません。忙しいってんじゃないんだけど、やることが多くて、なんとなく気持ちが落ち着かずバタバタしてしまってます。落ち着きのないニワトリみたいに。
 あ、いや、でも早起きしてるわけじゃないし、しろって言われてもできないから、夜型のニワトリですね。
 ……。
 そんなニワトリいないですか?
 じゃあ、落ち着きのないフクロウでもいいです。
 ん? あんまりせわしないフクロウって見たことないですね。というか、フクロウ自体見たことないです。
 ではでは、私は一体何なんだあー? 何にたとえればいいんだあー?
 落ち着きがなくて夜行性の生き物といえば……。
 思い浮かばん……。
 宿題にさせてください。
 
 そんなことより今日もそろそろ時間切れです。自分を何にたとえればいいかなんて考えてる場合じゃないです。早くこの断想日記を書いてしまって、早く寝て、早く明日を始めなければいけません。明日も週末前にやっておかなくちゃいけないことが色々あるから。
 本当はまたそろそろインテグちゃんも洗車してワックス掛けしてあげないといけないんだけど、この寒空ってこともあってリストの上から15番目くらいだからなかなか順番は回ってきそうにありません。
 来週できるかどうか。
 
 そろそろホントにタイムオーバーです。今日はオーバータイムはなし。また明日出直します。
 
 あ、そうだ、昨日見た夢を今ふと思い出しました。
 夢の中で私は、突然床屋になってました。というか、美容院の経営者になってたんです。
 なんで?
 確かに自称カリスマ美容師の私ではあるけど、美容院を持ちたいとか持とうなんてことは生まれてこのかた一度たりとも考えたことはありません。ちらりとも。
 なのになんで美容院の経営者ったんでしょう。我ながら不思議でした。
 しかもその夢は妙にリアルで、雇ったやつらが揃いも揃ってぐうたらでちっとも働かず、しかも私のことを素人美容院経営者をバカにしてるのです。夢の中とはいえちょっと許せないです。全員まとめて鳳啓介カットにしてやりたいくらいです。
 それでも、初めてのお客を緊張しながら迎えました。がしかし、若いやつにシャンプーをさせたら、こいつがちっともマジメにやらないんですよ。なんてやつでしょうね。何してんだ、私がやる、と代わったりして。
 経営以前にまずはこいつらをなんとか教育しないとどうしようもないな、などと考えていたところで意識が切れてしまったのでした。
 しかし、なんというか、はっきり覚えてるわりにはまるで意味のない夢だなあ。いやはや。
 今日はもう少し楽しい夢を見たいところです。牛丼屋経営の夢とかもイヤですー。
 
 あ、そうだ、美容院で思い出しました。
 昔本屋でバイトしてた時、雑誌の配達先の美容院での光景を。
 私は配達する雑誌を手に持ち、「こんにちはー」と言いながらまだ準備中だった美容院のドアを開けました。すると、店の奥の方で経営者らしい30代くらいの男と若い女の子が椅子に座りながら半分抱き合っていちゃいちゃしてたのです。それだけならよくある風景なんですが(そうなのか?)、その少し離れたところでもう一人の若い女の子が床をモップで掃除してたんです、二人のことを見て見ぬフリをしながら。
 私は当然のことながらその光景を目にして一瞬固まりました。まさか朝っぱらからそんな光景が眼前で繰り広げられるとは想像だにしてませんから。
 しかも驚くことに、私が店に入って行ったにもかかわらず、何事もなかったようにその光景は続いたのです。三人とも私に気づきつつ、それでも二人は椅子に座っていちゃつき続け、もう一人の女の子は床を掃除し続けてるのです。なんてこってしょう。
 数秒の後、私はやや冷静を取り戻しつつ、でもまだかなりひるみつつ、伏し目がちに雑誌をレジの台の上にそおっと置いて、そのままザリガニのように後ずさって、小さな声で「ありがとうございました〜」と言ってドアから外に出たのでした。
 うーむ、今思い出してもあれはかなりシュールな光景でした。
 美容院の夢を見て思わぬ記憶が甦ったなあ。ずっと忘れてたのに。

 うっ、いかん、夢や思い出に浸ってたら時間延長になってしまってるじゃないですかー。
 もう寝なくちゃです。

 それじゃあ、またメールします。

 1月15日(火) 「有閑マダムの憂鬱のように」

 やあ元気ですか?
 私のやる気ダムにいまだやる気の雨は降らず、まだ当分回復しそうにありません。恵みの雨はいつ降るんでしょうか。こんな時、雨女って役に立たないんでしょうか。いや、雨男でもいいんだけど、どうせなら女の人の方がいいです。
 雨女が何かを運んできてくれることをひそかに期待してる私なのです。

 いずれにしても2002年は非常にスロー・ペースで始まりました。重馬場を走るポンコツ・サラブレッドみたいです。
 いつになったらペースは上がるのか。それとも上がらないまま終わってしまうのか、今のところまだ先は読めません。まあしばらくはのんびり後方に待機して様子をうかがうことにしましょうか。
 
 ふとテレビの電源を切り、AVアンプのスイッチもオフにし、電源がたえず入っている4台のビデオデッキの電源も落とし、PCの椅子から離れ、部屋に立ち尽くしてみる。すると、私は気づきます。
 やることがねえ……と。
 それはまるで退屈を持て余す主婦のようです。細々とした家事はいくらでもあるけど、生き甲斐というか情熱を傾ける対象みたいなものを見失って途方に暮れてしまっている主婦。今の私はちょうどそんな感じです。有閑マダムってやつですな。
(ちょっと違うかも)
 
 去年までなら、私は一体どうすればいいんだあああ〜〜、うおおおお〜、ってな感じで猛烈に考えたりそれを言葉にしたりしたのですが、今年はもうしません。今年のテーマは「単純」で、哲学もポイ捨てしてしまえ作戦を実行中の私なのですから。
 もう考えるのは飽きました。昔カップ焼きそばのUFOが大好きで毎日のように食べてたらある日突然UFOを見ただけで吐きそうになってそれから3年くらいUFOを一個どころか一本も食べられなくなってしまったことがあったんですが、あれに近いです。
 何かまとまった思考をしようとすると脳が拒絶反応を起こしてしまって、思わず両手で頭を抱えながら「兄さん! 頭が痛いよお〜」と一人芝居をしてしまいそうになります。
 
 というわけで、今日も私はやる気が出ません。
「ロ〜ボコン! 0点!」とガンツ先生に告げられたみじめなロボコンみたいです。
 スッポンでも食った方がいいですか?
 
 話は飛びますが、今日から灯油が安くなりましたね!
 話飛びすぎ?
 それと、これってうちの近所だけの話だったりします?
 よく分からないんですが、今まで1缶(18リットル)700円だったのが急に590円に値下がりしててちょっと驚いたのでした。むむ? なんでだろう? この円安の時に。灯油業界になんかあったんでしょうか。
 まあ私としては安くなればそれでいいんですけどね。
 しかし灯油18リットルって強敵ですね。重いです。ズシンズシンです。
 月極駐車場から家までの400メートルくらいを、両手に1缶ずつ持って歩いたんだけど、あの重さは腕や肩だけじゃなく足腰にきます。持っているうちになんだか足が縮んで短くなったような気さえしましたよ。昨日までは股下80センチだったんですが、今日から股下79センチくらいになってるかもしれません。腕はたぶん2センチくらい伸びてるはずです。
 いやはや、あんなもん持って歩くもんじゃないですね。
 いや、むしろ積極的に持つべきかも。そう、たとえば灯油4×400メートル・リレーなんてどうでしょう? バトンの代わりに灯油缶でリレーするんですよ。楽しそうでしょー。うんうん。考えただけで楽しそうですよね! ぜひどこかで採用して欲しいものです。ゆくゆくはオリンピックの正式種目を目標に、まずは町内運動大会での早期実現を目指したいところです。
 日頃運動不足のおとーさんなんかだと最高ですよね。途中で心臓発作なんか起こして盛り上がること請け合いです。
 なんなら箱根駅伝のタスキも灯油缶がいいでしょう。山登りなんて失神者続出でしょう。涙の繰り上げスタート校続出です。
 ……。
 ダメですか?
 灯油の重たさをぜひみなさんに知って欲しいところなのだけどなあ。

 ところでゴローちゃん復帰のスマスマは観ましたか? 視聴率36パーセントですってね。すごい。
 まあ色々な人がいろんなことを言ったり思ったりしたんだろうけど、なんだかんだいっても私はすごくよかったと思いました。なんていうか、よかった、よかった、と言って肩を叩きたいようなそんな気分です(馴れなれしいぞ、私)。
 ただ気になったのは、あの中途半端なぼさぼさヘアーです。うーむ、あれって演出なのかあ? わざとらしく頭を丸めたりしなかったのは良かったし、ビチッと決まりすぎてるのもおかしいとは思うけど、それにしてもあの無造作な髪型は大いに気になったのでした。思わずスタジオに駆けつけて自称カリスマ美容師の私が華麗なる鳳啓介カットに仕上げてあげようかと思ったくだいです。
 それはともかくとして、やっぱりSMAPは5人が一番ですね。
 って、オレの存在はああぁぁぁぁ!? と、どこか遠くから森クンの声が聞こえたような気がしたのは気のせいでしょうか?
 
 今回のドラマは案の定低調ですね。春までのつなぎだからこんなもんなんだろうけど。
 一応そこそこ面白いのは、「ギンザの恋」、「人にやさしく」(SOPHIAの松岡充がヒット。彼は今後に大期待)、「ロング・ラブレター 漂流教室」くらいでしょうか。あとはそこそこってところです。
 あと、NHK大河の「利家とまつ」はどうなんでしょうね。時代劇であんなに軽くていいのかなあと思うけど、メンバーは強烈に豪華ですよね。主役クラスが何人出てるでしょう。ギャラの安いNHKだからできることで、民放であのメンバーは絶対不可能ですね。映画でも無理です。
 だから、それだけでも一応観る価値はあるんでしょうね。
 
 映画は、『隣のヒットマン』が面白かったです。
 ブルース・ウィリスが脇に回ったコメディドラマだけど、ドタバタコメディじゃなく、笑えてストーリーも楽しめるって作品なんで、オススメですよ。
 舞台をカナダにして、主役にマシュー・ペリーをもってきたのも当たりでした。
 
 突然だけど、恋の思い出って好きですか?
 今ふと思いついた質問だけど、これ、なかなかいい質問だと思いません?(自画自賛)
 恋の思い出が好きか嫌いかっていう問いは今まで聞いたことない問いなんじゃないかなあ。
 あ、でも考えたら答えはだいたい決まっているだろうからあんまりいい質問じゃないですね(自己批判)。
 だってたいていの人はこう答えるはずだから。
「好きでもあり、嫌いでもある」と。
 どんな恋も楽しかった思いであり、思い出したくない苦いシーンがありますもんね。
 ただ不思議なのは、よく思い出す恋の思い出と、まったく思い出さないものがあるってことです。あれはなんなんでしょうね。忘れてしまう恋と忘れない恋はどこがどう違うんだろう?

 消えない恋、それはきっと誰にでもあることでしょう。私にもあります。
 それは亡霊のようにつきまとっていつまでも消えないでいます。
 はてさて、この恋の亡霊はいつになったら成仏することやら。
 お供え物には何がいいんでしょう? 恋が成仏するようなお供え物……。
 鯉の洗い?
 ……。
 く、下らなすぎる……。
 書いてしまった後、我ながらあまりの下らなさにビビったです。
 
 しょうがいない、今日のところはこれくらいで勘弁してあげましょう。
 またメールしますね。
 さよなら三角また来て四角。

 1月13日(日) 「やる気ダム貯水率30パーセントの危機」

 やあ元気ですか?
 私のやる気不足は真夏の水不足のように深刻化しつつあります。やる気ダムの貯水量はついに通常の30パーセントにまで水位を下げ、このままやる気の雨が降らなければあと一週間ほどで断水となってしまうであろうという予想がなされてます。
 ううー、やる気が足りねえ〜。やる気の雨よ降れ〜。おねげえでごぜえますだ〜。
 
 そんなわけでどうにもぼんやりしがちな昨日、今日の私なのです。
 テレビでラグビーを観たり、ビデオで映画を観たり、オークションで買った中古のS-VHSテープに入っていた「銀河英雄伝説外伝」を観たり、オークションを見回ったり、壁を見たり天井を見たり、そうやって観たり見たりしながら今日もまた日が暮れてしまったのでありました。
 
 一日の中で決定的な楽しみがないのがいけません。ピークもなく、メリハリもなく、トピックもなく、ナイナイナイ〜、恋じゃない〜、ナイナイナイ〜、愛じゃない〜、ナイナイナイ〜、で〜も止まらな〜い〜〜♪と、ついうっかりシブガキ隊の曲を歌ったりしてしまいそうです。
 いや、やりたいことや好きなことはたくさんあるんです。で、実際にそれをやってもいるんだけど、にもかかわらずどうにも楽しめません。そんなことってないですか? うーん、なんだろうなあ、これ。どうにも釈然としない感じです。一日に手応えがないというのか。
 そこはかとない退屈感がやりきれません。贅沢な悩みっていえばそうなんだけど、そうと分かっていても納得できないんですよねえ。
 やっぱり腹が減らないと何を食べても美味しくないってことなのかな。今の生活に一番足りないのは苦痛だから。
 
 まあしかし、愚痴をこぼしたり泣き言を言っていても何も解決しないし始まらないんで、なんとか元気出していこうと思います。
 調子が悪い時は、スピードを上げるに限ります。スピードをやる、じゃないですからね。生活や行動のスピードを上げるってことです。
 今日はこれでもうあきらめて、早く明日に向かうことにします。
 スピードが解決することもきっとありますからね。
 
 それじゃあ今日はこれで。
 やる気ダムが50パーセントまで回復したらまたメールします。

 1月11日(金) 「甦る死語たち」

 やあ元気ですか?
 毎日寒いですね。
 私はといえば、あまりの寒さに、ランニングの肌着、ハイネックシャツ、チョッキ、とっくりのセーター、ジャンパーと重ね着をし、首には襟巻きを巻き、下はステテコ、コールテンのズボンと重ねばきしつつ、それをズボンつりでつり、頭にはシャッポをかぶり、足元はおニューのズック、というナウでヤングな出で立ちで表に出掛けてます。
 ……。
 もしかして分からない単語が混じってました?
 えーと、大東亜戦争は終わったんじゃったかなあ……。
 
 寒さはともかくとして、ここ数日、またもや私のやる気は行方不明になっています。どうにもこうにもパッとしません。夏休みの宿題にまったく手をつけてない状態の8月25日の小学5年生の気分です。ううー、やる気が出ん〜。
 しょうがないからダラダラとビデオを観たりしてます。これだけはどんなにやる気がなくても苦痛じゃないんですから。
 ってことはそれだけビデオで映画を観るのは受け身な行為なんでしょうね。やる気が一定のレベルを下回ると本読みはもちろん、ゲームさえできないですもん。
 映画を観るのは私の中では一番消極的な行為なのかもしれません。私の場合、やる気が出ないから寝てしまおうっていうふうには考えないから。
 おかげでビデオだけははかどって、正月に録画したものも、レンタルしてきたものもほとんど片づいてしまったのでした。
 あ、そういえばWOWOWに加入するのを忘れてた。こうなったら近い内に契約してしまおう。
 
 今日はもう1月11日ですね。1月も3分の1が終わってしまったか。1年の36分の1は終わってしまったんですよね。そろそろホントに平常のスピードに戻さないとまずいです。まずは動こう。どんなことでもいいから。
 それと、カレンダーを買わないといけません。
 まだ買ってないのかと思ったことでしょう。そう、まだ買ってないんですよ、これが。
 でも部屋にカレンダーがないと不便ですね。今回あらためて思い知ったのでした。日にちの感覚もあやふやになります。
 えーと、日清は勝ったけど、日露はどうなりもうしたか?
 ……。
 それにしても今になってカレンダーを店で買うのってちょっと恥ずかしいんです。なんとなく間抜けな気がして。
 こいつ、今頃カレンダー買って何してんねん、とか店員(何故か大阪出身の恐いねーちゃん)に思われそうじゃないですか。
 実は今日、本屋へ行ったからカレンダーを買おうとしたんだけど、照れてしまってカレンダー・コーナーに30秒しか踏みとどまれませんでした。あーれー。
 結局そのまま買えず、すごすごと本屋を後にしたのでした。
 私ってば、1月中にカレンダーを買えるんでしょうか?
 
 そろそろまた映画館へ行きたい気持ちが高まってきました。けど、メンズデーの劇場ではいいものがやってないんですよ。今更『千と千尋』でもないし、『シュレック』もひとりじゃつらいし、『とっとこハム太郎』は厳しすぎるし、『千年の恋』もなあ。うーむ、困りました。『オーシャンズ11』はいつからだろう。
 いい日本映画やらないかな。
 
 遠出もそろそろ行きたいところです。でも候補地がイメージできないー。この時期だから日本海側は無理ですしね。
 あと行ってないところで遠すぎないところはどこだろう……。
 あ、それよりまた琵琶湖が見たいな。琵琶湖に沈む夕陽が見えるところはすごくいいんですよ。
 それと海だ。内海の海もまた近い内に行こう。よかったら、内海海岸で一緒に叫びさながら海岸の走りませんせんか? え? イヤですか? 乾布摩擦でもいいですよ。その気になったら声かけてくださいね。
 
 しかし、思考を緩めたら行動までつられてルーズになってしまったみたいです。こりゃよくねえ。自分を楽にさせてしまうことは何にしてもよくないことですもんね。
 さて、思考をどうしたものか。完全にコントロールするか、完全に捨て去ってしまうか、そのどっちかに徹底できればいいんだけど、なかなかそこまで徹底できないですもんね。今はまだ、針がどっちに振り切るかちょっと様子を見ているところです。

 私は変わり続け、あなたもまた変わる。ある一点で交わり、関わった私たちもやがては違うスピードで別の方向に進み、そして離れていくのでしょう。
 それはとても寂しいことだけど、でもお互いにとって喜ぶべきことなんでしょうね。変わることはいつも正しくて、前へ進むことは誰にとっても必要なことで、それが生きることだから。
 でもまだ今はもう少しここに。言葉が届く、この距離に。
 
 それじゃあ、またメールします。
 バイなら〜。

 1月9日(水) 「人間という夢」

 やあ元気ですか?
 私は普通です。可もなく不可もなし。オール3の自分の通知表みたいに。
 でもまあ、2がないだけましと思った方がいいのかな。
 
 ところで猫の脳には未来のことを考える部分がすっぽり欠落してるって知ってましたか?
 原田宗典がエッセイの中で書いているのを読んで最近知ったんだけど、なるほど猫の行動がそれで説明がつきますよね。
 未来に対する不安がないから、ああやっていつも眠っていられるんだね。なるほど納得です。
 未来がないってことは時間の観念もなくて、いつか自分が死んでしまうってことも想像してないんでしょうね。そうじゃなきゃあんなに一日中寝て過ごしてはいられないものな。
 不眠症の猫ってのも聞いたことないし。
 
 じゃあ犬はどうなんだろうって考えると、犬はけっこう未来を考えてるような気がしません? 忠犬ハチ公なんてのは、あれはいつか主人が帰ってくるだろうって思うからああしていつまでも待っていたんだろうし。
 それに犬って時々悲しげな目をするじゃないですか。あれは未来や不安や絶望を知ってる目ですよ。猫はあんまり悲しい目なんかしないですもん。
 
 よく猫のことをうらやましいって言う人がいるけど、どう思います? 猫は食べて寝てるだけでいいから、と。
 でも逆に言えば猫は食べて寝ることしかできないわけですよね。他にはせいぜい年に何回かオスやメスを追いかけたり追いかけられたり、子供を育てたり、他の猫とケンカしたりするくらいで。
 それってずいぶん退屈だと思いません? 一日のほんどを寝て過ごしてるのも、あれは他にやることがないからだと思うな。
 そう考えると猫の生き様って全然うらやましくないと思うけどどうだろう。少なくとも私は猫に生まれ変わりたくはないです。猫がどれだけ好きでもね。
 
 やっぱりなんだかんだいっても人がいいですよ。人間をやるのは楽しいですもん。そりゃあ時にはつらいことや悲しいこともあるし、未来に絶望して死にたいような気持ちになったりすることもあるけど、でもそれ以上に楽しいことや嬉しいことや生きててよかったなあってしみじみ思えるようなこともありますもんね。
 いや、ホント、人間って面白いです。
 生きてるうちは毎日を目一杯楽しまないとね。
 
 人間はすべての生き物の憧れの的なんじゃないかな。彼等の夢の具現と言ってもいいかもしれない。
 魚はどうしても水の中を泳ぎたくて泳いでるんじゃないだろうし、鳥は別に好きこのんで空を飛んでるんじゃないと思うな。仕方なくそうしてるだけで。猫だってきっと眠りたくて眠ってるわけじゃないですよ。
 人間は鳥や魚に憧れて泳いだり空を飛んだりしてるわけだけど、本当に憧れてるのはむしろ鳥や魚や他の生き物達なんですよ、きっと。
 人間は彼等にできないことをたくさんすることができるんですもん。
 それはとっても素敵なことだと、もし私が人間以外の生き物だったらそう思って人間に憧れたはずです。
 だから私たちは他の動物たちのためにもちゃんと人間をやらないといけないんだと思うな。彼等の夢を裏切らないためにもね。
 
 それにしても猫は長い眠りの中でどんな夢を見てるんでしょうね?
 未来がないというなら、昔食べた美味しい食べ物のことでも思い出してるのかな?
 もしかしたら、夢の中では憧れの人間になったりしてるのかもしれませんね。
 
 それじゃあ、またメールします。


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