そこで天皇はどうしたかと言うと、取りあえず蘇我稲目に仏教を崇拝させてみることにした。それで何か祟りでも起こったら止める気だったのだと思われるが、案の定と言うか疫病が大流行してしまい、お堂が焼き払われたという話が伝わっている。そういうこともあって、蘇我氏と物部氏は対立が深まるのだが、それが決定的になるのは、敏達天皇の頃からである。
さて欽明天皇陵は明日香村に在るが、この周辺はかなりの観光地となっており、画像の如く観光用プレートが設置されている(拡大できます)。周辺には高松塚壁画館とか石舞台古墳(蘇我馬子の墓)が在り、この御陵と天武・持統天皇陵も観光コースに組み入れられている場合が多いようである。逆に御陵に参拝したらそっちにも行ってみるのもお勧め。でも壁画は複製です。で御陵は国道169号線で桜井市から明日香村に入ってすぐで、近くに猿石(と吉備姫王墓)も在ります。電車なら近鉄吉野線の明日香駅下車。
<欽明元天皇豆データ>
名前:天国排開広庭尊
生没:509年~571年4月15日(享年63歳)
在位:539年12月5日~571年4月15日(在位32年)
<御陵豆データ>
名前:檜隈坂合陵
場所:奈良県高市郡明日香村大字平田字ウメヤマ