御陵巡り

欽明天皇陵


欽明天皇の治世と言って第一に思い浮かぶのは、仏教の公伝であろう。日本書紀によれば552年に百済の聖明王から仏教が伝えられた(538年説も有る)とされている。仏教が伝わってきて、欽明天皇は、どうしたものか群臣に意見を聞いたところ、蘇我稲目は仏教に賛成したが、物部尾輿は伝統的な神様の信仰を守るべしとして意見が割れてしまった。蘇我氏は代々外交を担当、一方の物部氏は代々神様を祀る仕事を担当していたので意見が割れるのはまあ当然のことだったわけだ。

そこで天皇はどうしたかと言うと、取りあえず蘇我稲目に仏教を崇拝させてみることにした。それで何か祟りでも起こったら止める気だったのだと思われるが、案の定と言うか疫病が大流行してしまい、お堂が焼き払われたという話が伝わっている。そういうこともあって、蘇我氏と物部氏は対立が深まるのだが、それが決定的になるのは、敏達天皇の頃からである。

さて欽明天皇陵は明日香村に在るが、この周辺はかなりの観光地となっており、画像の如く観光用プレートが設置されている(拡大できます)。周辺には高松塚壁画館とか石舞台古墳(蘇我馬子の墓)が在り、この御陵と天武・持統天皇陵も観光コースに組み入れられている場合が多いようである。逆に御陵に参拝したらそっちにも行ってみるのもお勧め。でも壁画は複製です。で御陵は国道169号線で桜井市から明日香村に入ってすぐで、近くに猿石(と吉備姫王墓)も在ります。電車なら近鉄吉野線の明日香駅下車。

<欽明元天皇豆データ>
名前:天国排開広庭尊
生没:509年〜571年4月15日(享年63歳)
在位:539年12月5日〜571年4月15日(在位32年)

<御陵豆データ>
名前:檜隈坂合陵
場所:奈良県高市郡明日香村大字平田字ウメヤマ


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