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もはや判読不能だが、その後に新調されたらしい。 |
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懿徳の「懿」は広いとかいう意味なので「徳が広い」とかいう意味になる。「懿」を使うのは、後は『三国志』に出てくる軍師・司馬懿ぐらいのもの。
懿徳天皇陵も、かなり異論ありありの御陵で、自然地形を後に前方後円墳っぽい形にしただけの模様。場所は、安寧天皇陵のすぐ近く。橿原市の案内表示に従えば、0.3㎞である。
が迷った。この頃は御陵巡りを始めてまだ間もない時期であったので、鼻が利かなかったのだろう。暫くの間うろうろしていると、近くの農家のおばちゃんを発見。「懿徳天皇陵はどこですか?」と聞いたら「ああ、御陵ですわなあ」と答えるおばちゃん。前にも書いた、ああそうだ「御陵」なのだ、と思い知らされたのはこの時である。結局、おばちゃんの答えはあまり参考にならなかったが、無事に御陵に辿り着くことは出来たのであった。
<懿徳天皇豆データ>
名前:大日本彦耜友尊
生没:紀元前553年~前477年9月8日(享年77歳)
在位:紀元前510年2月4日~前477年9月8日(在位34年)
<御陵豆データ>
名前:畝傍山南繊沙渓上陵
場所:奈良県橿原市西池尻町(最寄り駅:近鉄南大阪線橿原神宮西口駅)