平成18(2006)年度 卒業生紹介
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勝 村 紘 之 樫 原 拓 史 大 杉 真 義
米 田 有 佳 野 村 比呂子
勝 村 紘 之  主将  奈良県大和高田市立高田商業高等学校 経営学部  後衛
                就職先 JAバンク大阪信連(大阪府信用農業共同組合連合会)
◎ 「燃える闘志」を奥深いところに潜め、常に冷静・沈着。一回生の入部当時も、そして、チームの大黒柱としても、主将としてリーダーシップを発揮している時も、一貫してその姿勢は、変わらない。
◎ 関西学生リーグ戦優勝を3回、全日本王座決定戦2位、西日本大学対抗優勝等々、数多くの戦績を打ち立て、我部がこれまで築いてきた歴史を塗り替えてきたその中に、必ず「勝村選手」の名前がある。
◎ これは、勝村選手自らが、限りなく筋を通す姿勢を譲らず、一歩も引かない「攻め」を中軸とした大胆なゲーム展開が構築してきた実績と言っても過言ではない。この「頑固さ」は、監督としては心強い。安定した腰、パワフルなストローク。器用というイメージはないが、ただひたすら冷静に力強く攻める。「上手さ」も感じるようになった。
◎ チーム形成の目的を「人間形成」と掲げた勝村主将。厳しさに加え目配りのできる主将として、立命館の校風を生かしたチームを築いてくれた。就職も勝村選手らしい選択。心から4年間の努力を祝いたい。
<主な戦績>  学生王座決定戦…準優勝、全日本大学対抗…ベスト8、西日本大学対抗…3位、
関西学生リーグ戦…優勝3回、アジア広島国際…準優勝。インカレ・西日本学生…ベスト16
関西学生…ベスト8X2回等々
樫 原 拓 史  副将  香川県尽誠学園高等学校 理工学部  後衛
                就職先 穴吹興産株式会社
◎ 高校時代、文系を専攻しながら、ゴリ押しで理工学部スポーツ推薦で入学。今日では考えられない異例の入部だが、ソフトテニス部は、大きな財産を持つことができた。
◎ 天性を感じさせるようなボールへの柔らかいタッチ。「懐」も深く、ゲーム展開にも温もりを感じさせる樫原選手。その持ち味は、チームの「和」にも大きく貢献した。後輩にも常に温かく、明るく同じ目線で親身に接する。その存在の大きさは、計り知れないものがある。
◎ 選手としてもしっかりと存在感を発揮している。リーグ戦でも優勝時のレギュラー。シングルスもOK。2回生春の京都の大学対抗では、同志社Aに堂々と勝つ金星を挙げた時は凄いプレーだった。4年間で春・秋の京都学生で5回のベスト8は、その「安定感」を物語っている。
◎ ウエイトコントロールにさえ成功すれば息の長い選手になるのだが、むしろ、関西六大学ソフトテニス連盟理事長を務めた経験を生かし、社会での人間的魅力の発揮!必ず期待できる。
<主な戦績>  関西学生リーグ戦…優勝、関西学生…ベスト32、京都学生…ベスト8X5回
大 杉 真 義  主務  京都府立鳥羽高等学校 経営学部  前衛
                就職先 京都府警察 
◎ 我ソフトテニス部の90年近い歴史の中で、親子二代に渡り存在感を発揮したのは、大杉選手だけだろう。しかも、共に歴史に残る名主務。主務としての統率力やテニスの破壊力は、父親の辰男選手に及ばないが、技術面や人間味溢れる行動力は、父親を凌ぐものがある。
◎ 関西学生リーグ戦優勝時にも、レギュラーとしての名を残している。コートでは、ラインも気にせず豪快にプレーするが、チームのムードメーカーとして果たした役割も大きい。応援の足並みが揃わない時、軌道修正ができるのは、やはり大杉選手であった。
◎ その明るくポジティブな人柄は、単に立命館だけでなく、学連へと広がる。京都学連理事長、関西学連常任理事、西日本学連理事等の場でますますその真価を発揮した。
◎ 「頼れる主務」「頼れる理事長」のステージは、生まれ育った京都の街の治安に移る。面接した府警の幹部に「どうしても採用したい。」と言わせた大杉選手の活躍に期待するのは、265万人の京都府民だろう。
<主な戦績> 関西学生リーグ戦…優勝、アジア広島国際大会…準優勝、関西学生…ベスト16、
京都学生…ベスト8X3
米 田 有 佳  主将  大阪府 淀之水高等学校 経営学部 前衛
                就職先 三伸機材株式会社
◎ 立命館大学体育会ソフトテニス部女子部の創設から間もなく20周年を迎えるが、米田有佳選手は、前衛として群を抜く高いレベルの選手であり、その技術と度胸は、歴代最高の戦績を幾つも築き上げてきた。
◎ インターハイ準優勝の実績を持ち、姉(有美)のいる立命館を選択。街で米田選手を見かけても誰があのシャープなスマッシュを想定するだろう。いかにも楽しんでいるという涼しい顔で、難しいプレーをいとも簡単にやってのける。しかも、大事なポイントは、絶対逃さない。
◎ 主将として臨んだ春の関西学生リーグは、まさかの最下位。入替戦は、天理大。この土壇場、榊原・米田組は、1番に出て火を噴いた。相手を全く寄付けないC−0。主将としての責任感が全身に滲み出て、恐い程の積極的な攻撃。米田選手の「底力」をしっかり見た。
◎ 見事にチームをまとめた頼れる米田キャプテンのステージは、社会に移る。可憐な転身か?持ち味の度胸発揮か?女子部の飛躍に大きく貢献をした米田選手の4年間の大活躍に心から感謝したい。
<主な戦績> 学生王座決定戦…3位、全日本大学対抗…ベスト8、西日本大学対抗…準優勝・、
関西学生リーグ…準優勝、
個人では、インカレ…ベスト32、西日本学生…ベスト16、X2、京都学生…優勝3回
野 村 比呂子  主務  広島県 立志館広島高等学校  経営学部  後衛
                 就職先 出身地の東舞鶴で講師予定
◎ 2年間、完璧に主務の大役を果たした野村選手は、時には主力選手、時には、コーチ・トレーナー役と全てに安心して任せることのできる人材。インターハイ3位の実力を有し、高い打点や深い打球に安定感等の洗練された技術は、誰もが認め一回生から存在感を発揮していた。
◎ 野村選手本人も立命館の名で日本を制する意気込みがあったと思う。しかし、健康診断の結果、大学側から、練習継続・大会の出場は不可との指導が入った。まだAED(自動体外式除細動器)が認可される前だったが、当時の野村選手の心情は計り知れるものではない。
◎ 当時の母上は、「もし、命を無くしてもソフトテニスを続けることができるなら、その方が幸せ。比呂子に続けさせて!」と凄まじい迫力。結局、主務を兼ねながら、無理のない範囲で続けることができたが、今、元気であることが何よりも嬉しい。
◎ 明るさ、判断力、困難を乗り越える力等どの点も選手としても主務としても生かされていた。百点満点をつけたい。教職を目指すという。 「教育」という営みは、限りなく崇高なものであることを認識し、大学時代に培ったもの、また、やり残したことなどを今度は、子ども達を対象に「野村選手の魅力」が思いっきり発揮されるだろう。
<主な戦績> 全日本大学対抗…ベスト8、西日本大学対抗…準優勝、関西学生リーグ…準優勝、 
個人では、インカレ…ベスト64、西日本学生…ベスト16、京都学生…優勝2回、
関西学生シングルス…ベスト16