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真空の発見…ガリレオの予感

 ガリレオは、ポンプが水を10m以上吸い上げられないという事実に注目して、真空の存在を予感しました。もし、自然が真空を嫌うのなら、水は無限に吸い上げられるはずだと考えたからです。実験もいろいろと試みましたが一般的な原則を確立するには至りませんでした。


真空嫌悪説=自然は真空を嫌うという考え方

 アリストテレスは真空(空虚)は自然に存在しないと主張していました。そして、この考えが長くヨーロッパを支配してしまいました。これを、真空嫌悪説といいます。16世紀には「真空」を利用した吸い上げポンプが使用されていましたが、それでも「真空」はないと考えられていたのです。


かけ算・わり算・平方根計算ができる計算機の発明

 かけ算・わり算・平方根計算ができる計算機を発明したのは、ライプニッツ(1646〜1716)です。これが改良された手回し計算機が、電卓普及までの計算機の中心でした。「機械を使えば簡単にすんでしまう計算に、奴隷のように時間をとられることは、優れた人たちにとってはバカげたことだ」(ライプニッツ)


加減計算機の発明

 パスカル(1623〜1662)の父は徴税を仕事にしていました。それを見ていたパスカルは19才の時に、便利に加減計算ができる計算機を発明しました。以後、30才までに10種類以上の計算機を発明しました。


顕微鏡の発明

 顕微鏡は望遠鏡より少し早く、1590年頃にオランダのヤンセン父子によって発明されたといわれています。それまでも、凸レンズを使った拡大鏡(=虫眼鏡)はありましたが、発明は凸レンズを2つ重ねたものでした。しかし、実用化されたのは17世紀になってからのことでした。


李時珍『本草綱目』

 明の医者、李時珍(1518頃〜1593)は、1596年に52巻付図2巻からなる『本草綱目』という本草書を刊行しました。それまでの中国の医薬の知識を整理統一したのです。約1900種類の品目が記述されています。李時珍は生涯のほとんどを在野で過ごしました。


タバコのヨーロッパへの伝来

 1492年、コロンブス一行はサン・サルバドル島で喫煙の儀礼を受けました。そして、そのタバコの葉を持ち帰ったのです。


タバコの起源

 植物の葉をパイプでくゆらして煙を吸う風習は、紀元前800年頃にはすでにありました。起源はアメリカ大陸のマヤ族に求められます。


ジョン=ディー(1527〜1608)という男

 ジョン=ディーはイギリス王メアリ1世やエリザベス1世の政治顧問を務めた魔術師で、二人の戴冠式の日取りを占星術で決めたりました。1人で4000冊の蔵書を持ち、近代的な図書館システムを提案していました。


亀甲船(コクブせん)

 倭寇の切り込み戦術に対抗できるように蓋板で覆った形式の朝鮮の船。世宗(位1418〜1450)以後、倭寇が激減したのでこの船は使用されませんでしたが、秀吉の朝鮮侵入(壬辰・丁酉の倭乱)の際、李舜臣が亀甲船を用いて大活躍しました。


「インゲニアートル(軍事技術者)」の問題点

 中世の技術者「アーキテクト(棟梁)」は社会的地位が高い反面、社会的責任も負っていました。しかし「インゲニアートル(軍事技術者)」は諸侯に雇われており、技術開発の社会的責任は諸侯にありました。このことが、大量に人を殺傷する技術の開発を可能にしたのです。以後、技術者の社会的責任が問われない時代は、ごく最近まで続いてきたのです。


エンジニアの語源

 中世末の軍事技術者たちは、斬新な技術を開発し続けました。彼らはアイデアマンを意味するラテン語「インゲニアートル」と呼ばれました。これがフランス語の「アンジェニュール」、英語の「エンジニア」となりました。「インゲニアートル」はローマ時代から要塞を構築する技術者をさしており、軍事技術者と意味を持っていました。「エンジニア」は語源的に「エンジン」とは関係がありません。


自由な発想ができる軍事技術者

 中世の諸侯たちは、大砲などの新しい兵器を考案する軍事技術者を求めました。軍事技術者は、中世的なギルドに属していたなかったので自由に新しい画期的な技術開発に取り組めました。レオナルド・ダ・ヴィンチやガリレオも新たな軍事技術の開発に取り組んでいました。


ゴシック建築の崩壊

 ゴシック建築は構造上、きわめて無理をした高層建築でした。中世ヨーロッパでは、たびたび崩壊事故が起こっており、ミサの最中に崩壊して多くの死傷者が出たこともありました。責任は建築家に帰せられたので、崩壊事故が重なるにつれて(14世紀以後くらいから)建築技術は保守化していきました。


ゴシック建築と「アーキテクト(棟梁)」

 ゴシック建築の聖堂(カテドラル)には、床に「ラビリントス」という模様が描かれており、ひざまずいてこの道を辿っていくとエルサレムへ巡礼するのと同じだけの功徳があるとされました。ところが、中央に辿り着くとそこには「アーキテクト」の名前が書かれていました。


棟梁(アーキテクト)という技術者

 古代ギリシアで建設事業を統括する人は「アルキテクトーン」といいました。「アルキ」は頭(かしら)という意味です。棟梁と訳せます。ローマ時代は技術の中心が土木や建築でしたので、技術者にあたることばは「アルキテクトゥス」です。中世でも技術者の代表は「アーキテクト」でした。中世の「アーキテクト」の地位は高く、ゴシック建築の棟梁は権力や財産をもちました。


古代ギリシアの技術者(その2)

 古代ギリシアの技術者は、「デミウルゴス」と呼ばれていました。しかし、それ以外に設計にたずさわった技師は「テクニテース」、手工業職人は「ケイロテクニース」大工や石工は「テクトーン」とか「ナウペーギオン」と呼ばれました。技術者といってもいろいろあったのです。


古代ギリシアの技術者=デミウルゴス

 古代ギリシアの技術者は、「デミウルゴス」と呼ばれていました。これは、民衆のために働く人という意味です。宇宙を創造した神も「デミウルゴス」といいました。


病人の世話をするキリスト教

 キリスト教の信者の中には、病人の世話をすることを信条とする人が現れました。彼らは、どのような病気でも、患者に身近に接して看病したので「パラボラニ(命知らず)」とよばれました。ペストが流行しても活躍しました。


キリスト教精神にもとづく医療施設

 ミラノ勅令(313)でキリスト教がローマ帝国に公認されると、慈善事業としての病院が造られました。財源は信者の寄付によりましたが、教会が直接慈善事業として行うものもありました。


ローマ帝国の傷病兵収容病院

 ローマ帝国では、ハドリアヌス帝(76〜138)以降、領土拡大にともない駐屯地に傷病兵を収容する施設(ヴェラトゥディナリウム)がつくられました。個室の多数の病室が遺跡から出ています。


病院の起源

 多くの病人を預かって治す施設は、紀元前6世紀頃にギリシア各地に設けられたアスクレピオス神殿が最初です。この神は治療神として信仰を集め、最盛期には400ヶ所もありました。


解剖の先駆者たち

 アレクサンドリアのヘロフィロス(前350〜前280)は解剖の先駆者です。政府の許可のもと6000体の解剖を行ったと伝えられています。死体のほとんどが死刑囚でした。エラシストラトス(前310〜前250)も多くの解剖を行い、脊髄と脳、運動神経と感覚神経の区別をしたと伝えられています。


ケプラーの第一法則

 『宇宙の神秘』を読んだティコ・ブラーエはケプラーを呼んで助手にしました。やがて、ティコの死後、ケプラーは宮廷天文学者の地位を引き継ぎました。そして、ティコの膨大な観測データを手に入れたのです。そのデータをもとにケプラーの第1法則(楕円軌道)を確立したのです。ここに、人類は2000年来の「天体の円運動」というドグマから解放されたのです。これが、ニュートン物理学確率の基礎となりました。


ケプラーの『宇宙の神秘』=神の設計図

 ヨハネス・ケプラー(1571〜1630)は、神が宇宙を創造したときの設計図を解読しようとして『宇宙の神秘』を著しました。そこでは、惑星の数がなぜ6個(当時は水金地火木土の6個しか知られていなかった)なのかを説明しています。「6個の惑星には5つの間がある。正多面体は5種類(立方体・正六面体・正八面体・正一二面体・正二十面体)しかない。6個の惑星はこの5つの正多面体が隙間に入るようにつくられた。」というものでした。これを、神聖ローマ帝国の宮廷天文学者であったティコに送りました。


豆知識(その9)2002年3月
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