代償と代理


「お前は―――――だろう……?」
山崎竜二の微かな呟きが、闇に吸い込まれた。




妙な奴に懐かれている――そう山崎は思っている。
きっかけは、さる場所で行われたキム・カッファンとの試合だった。
勝敗はどうだったか…それは憶えていない。
只分かる事はひとつ。あれ以来キムがちょくちょく山崎を訪ねるようになったことである。
特に用があるという訳でもないらしい。ただ様子を聞き、2,3事言葉を交わす程度で充分のようだ。

「なあ、何でお前は俺に…その……」
一度山崎は、キムにその訳を問うた事がある。言葉を彼なりに選んで。
するとキムは一瞬妙に困った顔をした後、考え込むような顔つきに変わった。
「…何で…でしょうか?」
どうもこの男は真剣に考えているらしい。その様子が山崎には何とも可笑しかった。

ある日、山崎は初めてキムの元を訪れた。
キムは一瞬意外そうな顔をしたが、すぐ嬉しそうな表情に変わった。
この男は表情が隠せないタイプのようだ。

「あれからね、山崎さん」
「何だよ?」
「考えてみたんです。何故私が…貴方の所に行く理由というものをね。」

ああ、そんな事も言ったか――
こいつはまだあんな事を考えていたのか。あらゆる意味で――馬鹿野郎だ。
山崎は心の中で一人ごちたが、当然そんな事には気づかずにキムは続けた。
「多分私は…ほっとけないんだと思うんです。私は」


『お前は本当にほっとけねえよ、竜二』
かつて山崎に、常々そう言っていた男がいた。
反町――山崎の命の恩人であり、彼に世界の全てを教えた男。
彼を守るために落命した男。



何時の間にか日は暮れていた。
キムは山崎に、泊まっていくことを強く勧めた。
無論山崎は抵抗したのだが、キムの手際のよさと強引さの前にはなす術などなかった。
人の気も知らねえで強引な奴だ――山崎は再び一人ごちたが、不思議と不快ではなかった。

時折山崎は夢を見ることがある。内容はいつも決まっていた。
顔の見えない何かのナイフが山崎の胸を刺し貫く。――筈が。
山崎は生きていた。彼の身代わりとなって心臓を貫かれた者を代償にして。
ズルリ、という気味の悪い音とともに、身代わりが地面に崩れ落ち、それの顔が見えた。
自らの血に塗れた反町の顔だった。
夢は常にここで終わる。

目覚めた山崎は、キムが眠る隣の部屋へと自然に足を運んでいた。
この家の主は、安らかな寝息をたてている。
山崎は、キムの顔にかかっている前髪を右手で摘んだ。顔が露になる。
不意に山崎の脳裏に、先程の夢のイメージが蘇ってきた。
自分の身代わりになって崩れ落ちるキムの顔が、それに重なった。



その夜は新月だった。
この街を――キムと過したこの街を永久に去るには丁度良い。闇が全てを隠すだろうから。
表情も心も。そして想いも。――山崎はそう考えていた。



「お前は反町に……なれないだろう……?」

それは山崎の、キムと言う男への感想だったのかもしれない。
願望だったのかもしれない。


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