朝日の当たる場所
さる寂れた街角にて。
ふと路地の一つから血の匂いを感じ、男は足を止めた。
そしてそれに混じったドス黒い――それでいて奇妙に懐かしい感覚にも気付いていた。
男――キム・カッファンには、これに覚えがあった。
かつて出会った一人の男。
キムとは決して相容れない精神の持ち主。
「……山崎さん?」
キムは無駄だとも思いつつ、路地へと声をかけた。
話は数ヶ月前に遡る。
それはとある日の、こことは別のとある街での出来事。
その街での試合結果は、彼にとって満足のいくものだった。
会場出口で大きく伸びをしたキムは、これからの時間の使い方に思いを馳せていた。
待ってくれている家族に土産を買いに行こうか。それとも…。
まあ何にしても、とりあえずはホテルに戻るのが先決か。
その結論に達したキムは、心持ちわくわくしているとも思える歩調で歩みだした。
ふと薄暗い路地に差し掛かったキムは、妙な気配を感じ立ち止まった。
「血の匂いだ……!」
それに気が付くや否やキムは、駆け出していた。
陽の差さない路地の只中へと。
キムの目に飛び込んできたのは、正しく想像を絶する光景だった。
幾人もの男たちが、あるものは自らの血に塗れ、あるものは刃物のようなもので肉体を切り裂かれていた。
僅かに息のありそうな者も、絶命は時間の問題と思われた。
「凄惨」という言葉がこれほど相応しいと言う状況も無かったかもしれない。
「ひ、ひぃっ…助け…」
逃げようとした一人の男の頭蓋が、あっさり一人の屈強なもう一人の男の片手に掴まれ――。
嘔吐感を催す音とともに、男の頭が爆ぜた。
「妙な気を起こしゃしなけりゃ、もうちょっとは長生き出来たかも知れねえのになァ…ん?何だてめえ?確か…」
キムにはこの男の顔に見覚えがあった。
かつて出場した大会でちらと顔を合わせただけの男――山崎竜二。
彼の持つどす黒い気に畏怖する参加者は多かった。
しかしキムは――彼自身にも分からないのだが。
奇妙な事に「哀れみ」を感じていた。
そして今も。
「確かてめえは……思い出したぜ…うぜェ刑事野郎のツレだったな?」
言うが早いか山崎は、キムに向かって猛然と突っ込んでいった。
『……早い…!』
キムは完全に凌いだつもりだった。しかしキムが山崎に対して抱いた情は、今のキムを助けるには値しなかった。
嫌な音と共にキムは一瞬で壁に叩きつけられた――いや、吹き飛ばされたのだ。
彼の口内に血の味が広がり、同時に胸に鈍痛が広がる。
「……死ねッ!」
キムが意識を取り戻したのは、極めて無機質な印象を抱かせる部屋のベッド上だった。
壁には明り取りの窓すらない。
未だ定まらない意識の中、薄暗い部屋の中でキムは上体を起こそうとしたが、
「痛ぅっ…!」
胸に予期せざる激痛を感じ、再びベッドに突っ伏した。
「動くんじゃねえぞ、肋がイッちまってる筈だからな」
キムは薄闇に漸く慣れてきた眼で、声の主を探した。
その声は、この部屋の数少ない家具であるソファに背を預け、煙草を吹かしていた男から発せられた。
山崎竜二――先程キムに止めを刺そうとした男であった。
「――貴方は!」
キムは驚愕した。何故自分を殺そうとした男が、自分を助けたのか。
ここに来てからどれ程の時が経ったものか。
山崎に負わされていた傷は彼自身の回復力もあって時間を追うごとに癒えていったものの、
光も風も無い部屋の中、キムから既に日日というものの概念は消え去っていた。
いや、彼に「時間」という概念を与えている存在はあった。
不定期にキムの元を訪れる、山崎の存在がそれだった。
と言っても、山崎はキムに友好的になった訳ではない。
無言でキムの元を訪れ、キムの傍らに腰掛け、そのまま一頻り時を過ごす。一度もキムに声を掛けることなく。
キムから声を掛けることはあっても、頷く以上の返事は返さない。
それだけの時。
ただ山崎はキムの元を去る時、いつもキムの「瞳」を覗き込んでから出て行っていた。
それが妙にキムの心に引っかかっていた。
「ちっ……!」
キムを見舞った山崎の手から、匕首が無造作に投げ捨てられた。
「今日こそはブッ殺せると思っていたのによ……!!」
――奴は似ている。似すぎていやがる。
ツラなんかじゃねえ……眼だ!あの時の…『あの人』によく似て――
山崎には只一人だけ、心を許した男がいた。
その男の名は反町。山崎に喧嘩殺法を叩き込み、裏の世界での生き方を教え込んだ人物であると同時に
山崎に「家族の温もり」を与えた男だった。
彼が死ぬ一日前――山崎は反町に酒を付き合わされた。
反町は、普段は決して度を越した飲み方をする男ではなかったが、この日は珍しく痛飲した。
呆れ顔の山崎に反町は、今まで見せた事も無い表情でこう言った。
『お前に喧嘩なんてモンを教えなきゃならねえってのは……間違ってるよなぁ?』
反町のこの言葉はアルコールの悪戯だったのかそれとも彼の本音だったのか――
それは今になっては、確かめる術は無い。
しかしそう言って山崎を見上げた彼の瞳には――哀れみと悲しさがあった。
宛ら山崎に会ったときのキムのように。
翌日――反町は逝った。
山崎が去った後、キムのいる部屋は再び静寂に満たされた。
キムは気が付いていた。山崎が、この部屋に鍵をかけずに出て行ったという事を。
そしてキムの肋骨の怪我も、病状の方はともかく痛みはかなり引いていた。
外の見張りの気配も既に無い。
「出て行くこともできる…でも……」
キムは山崎が自分の瞳を覗き込んだ時、、一瞬だけ見せた眼が頭から離れなかった。
まるで心の拠り所を求める子供のような眼。
行かないでくれ、ここにいてくれ――そう訴えているかのような眼。
「私がここを出ていけば……山崎さんが…」
キムははっきりと確信した。あの人は――。
その想いは空しく、薄闇に消えた。
何度目の来訪になるだろうか――山崎は再び、キムの元を訪れた。
「山崎さん…!」
キムはやや弱弱しいながらも、歓迎の意を眼だけで表した。
暫く二人の間には静寂が満ちていた。
静寂に耐えかねたかのごとく先に口を開いたのはキムのほうだった。
「何故」
「………あン?」
「何故貴方は私を殺さなかったのですか?」
「てめえは俺を恐れやしねぇ。そんな奴を殺した所で面白かァねえからな。」
「――え?」
「………来いッ!!」
キムが返答する間もなく、山崎は乱暴な手つきでキムの右腕を掴み、ベッドから彼を引き摺り下ろした。
山崎から渡された缶ビールが床に転げ落ち、ビールが床に模様を作った。
山崎に押し倒される体勢になったキムの鳩尾に、山崎の鋭い拳が入った。
「――がっ……!」
何故、と思う間もなく。キムの意識は再び遠のいていった。
キムが再び意識を取り戻した時、彼は薄暗い路地に体を横たえていた。
山崎と出逢ったその地に。
傍らに山崎の姿はなかった。
月だけが白白と、キムの姿をコンクリの地面に映し出していた。
「……山崎さん?」
予想通り、返事は返ってこなかった。
――分かっていた事だ。私と彼との道はあの時、たまたま交差しただけに過ぎない。
キムは自分にそう言い聞かせると、再び足を向けた。
朝日の当たる道へ。
23ヒット記念という事で、タルミさんに捧げる山キムSSです…こんなので宜しかったのでしょうか。
初山キムということで気合を入れたら、長くなるわ全然カップリングじゃないわという惨事に…(^^;)
関係ありませんが「匕首」まで一発変換できるとは…やるなIME2000!