ふたつの天気
妙な男だ、と思った。
物心ついた頃からの私は「浮いている」存在だった。
「感情的になる」という言葉に実感が持てない。
辛うじて理解できたのは「論理」だけだった。
何時の間にかそれは私の中で「正義のかたち」となっていた。
そしてそれを認識できた気がした時。私の周りには誰もいなくなっていた。
それを別段寂しいと感じた事は無かった。
「論理無き奴」に出会うまでは。
出会ったのは、あいつの父親が師範を務める道場だったか。
初めて何と言って話し掛けてきたのか…それはもう覚えていない。
ただやけに親しげだった事だけは憶えている。
確か――一緒に鍛錬しようとかどうとか言っていた。
第一印象は「こいつも今までの奴等と同じだろう」。
偽善面して近寄ってくる、ちょっと突っ掛かればすぐ逃げていくような奴等。
こんな時の対応は決まっていた。拒絶。例外は無い。
近寄ってくる犬を追い払うたびに心的痛痒感を抱く人間はいないだろう。そんなものだ。
しかしあいつは違っていた。
何度適当にあしらっても声を掛けるのを止めやしない。
それだけならまだいい。何時の間にか私は――奴のペースに巻き込まれていた。
何度となく話し掛けられているうちに、私はこいつの事を若干なりと知る事が出来た。
名はキム・カッファン。ここの道場主の息子らしい。
呆れた事に――「正義」とやらを信じている。そんな奴だということも分かった。
しかしこれを知ったのを契機に、私と彼とは議論を交わすことが増えた。
議論といっても大仰なものではない。お互いの正義のあり方、そんなところだ。
とは言え、大抵は私が奴を論破して終了、といった形だった気がする。
――今にして思えば、奴は私に言い負かされる事を愉しんでいた節もあるのだが…。
ただいくら考えても分からない事があった。
それなりに取り巻きも友人もいる筈の奴が、何故私に構いたがるのか。
ある日、私はそれを奴にそれとなく聞いてみた。
答えは意外なものだった。
「………嬉しかったんです。似た考えの人がいた事が。――貴方のような」
得心がいった。寂しかったのだ、この男は。
友達がいたのだろうが、彼の根幹をなしていた「正義」。
これを理解してくれる者は今までいなかったのだろう。
だから――私に希望を見たのか?この男――キム君は?
何故だか可笑しくて――笑い始めてしまった。
「あ、ジョンさんの笑った所…初めて見た気がします」
そう言ってキム君は笑った。男の私から見ても充分「愛らしい」と言える、そんな微笑だった。
その日が、私と彼との語り合った最後の日となった。
かねてから考えていた日本留学の出願が通ったからだ。それに韓国には愛着も未練も無い筈だから。
道場の誰にも、それは告げなかった。必要が無いと思ったからだ。
日本行きの飛行機が離陸したその時。ふと目尻を伝う熱いものを感じた。
――私は……泣いているのか?何故?
失ったからか?裏切ったからか?たった一人の――友人を――
その声は誰の耳にも届くことなく、私の心の中に押し込められた。
そして今私は、10年ぶりにあいつの顔を見に行っている。
風の噂では道場を継ぎ、師範として元気にやっているらしい。
それだけではなく二人の凶悪犯を引き取り、更正させる事に努めているとか。
「相変らず――妙な男だ。」
ふと、誰に言うでも無い言葉が口をついて出た。その時私は…微笑った気がする。
10年前のあの日のような、はにかんだような笑みで。
―了―
俺イズム満点なジョンさん話…(^^;)
この話をキリ番記念として、ハルカ ナオトさんに捧げます。