「卒塔婆小町」「弱法師」 近代能樂集(三島由紀夫) 8月2日 シアターコクーン
蜷川幸雄さんの演出で、藤原竜也君・・・と聞いてチケットを買いました。
藤原君のお芝居は、幾つか見ています。
「滝の白糸」「四谷怪談」ですね。
身毒丸は、武田君のは見ましたが、藤原君では見てません・・・みたいな〜
四谷怪談で、「この子は只者ではないゾ!」と思いました。
たかだか17,8歳なのに、なんで、こうも人間の業であるとか、大人の男の色気であるとかを演じられるのが不思議でした。
顔は可愛いですね・・・背は随分高いみたいです。
この近代能樂集は三島由紀夫の作品ということで、かなり難しいのでは・・・と思いながらでかけました。
卒塔婆小町は、男の方のみが演じられました。
俳優さんのお名前とかは、私にはわからないのですが、一応書いておきます。
卒塔婆小町が壌晴彦さん、詩人が横田栄司さんです。
で、後の方々・・・公園の恋人たち、鹿鳴館の人々・・・も男性ばかりです。
始めは、何故かな?と思いましたが、このお芝居は男性の方がサラリとできるな〜なんです。
99歳の老婆・・・昔小町と呼ばれた女・・・は実に怖い。
彼女が怖いのではなく、世の中のアル年齢の上の女性は、皆「昔小町」なんだと思うからです。
「私は綺麗?」って、綺麗なわけないじゃない・・・でもさ、それはその人の罪では無いでしょう。
醜いおいぼれた顔は、物笑いの対象で、人からはいじめられる・・・理由はお婆だから・・・は辛い。
普通、私たちの日常では、心の中はイザ知らず、若い青年に「私は綺麗?」なんてアホなことは言いませんが、
内心では、「あの連れの女の子よりも、私の方が良い女だったな」なんて、シラッと思ってたりします。
ここの小町は、昔の鹿鳴館に青年を連れて行くのね。
夢なのか、タイムトリップなのか・・・とにかく青年は美しい小町に遭ってしまいます。
「私を綺麗と言った男は、皆死んでしまった」・・・だから綺麗と言っては駄目だと言うのに
若い男は「綺麗だ!」と言って死んでしまいます。
だから・・・何?って、幻想の中につかの間の美を見出した幸せな若者なのか、馬鹿者なのかは
観た人が其々感じれば良いのでは・・・う〜ん、やはり難しいな〜でした。
弱法師は、藤原君が主役です。
家庭裁判所の調停員に高橋恵子さんでした。
お話は戦後10年くらいのお話で、戦争中に空襲で逃げてる途中に子供を見失った親二人と、上野で浮浪児だった
藤原君の俊徳を拾い、育てた親二人が、この子の親権を巡り、話し合いをする・・・というものです。
どちらも、いかに子供を愛しているか・・いたかを言い立てて争いっぽくなります。
で、本人の意思・・・・ということで、目暗になってる俊徳を呼び入れます。
この、目の見えない演技は凄いです・・・本当に何も見ていない視線になってるのね。
で、この俊徳君は、我がままの頂点みたいなヤツで、育ての親は完全に彼の言いなりになっています。
もう、むちゃくちゃなことを言い、それを親に強要する・・・生みの親は始めは、こんなにされた・・・と怒り、
愛情を込めて、息子に話かけるのですが、それは通じないのです。
で、高橋恵子の調停員が、俊徳と話して見る・・・と4人を追い出します。
話しているうちに、俊徳の心の中を占めているものは、最後に見た火なのです。
その火が、存在証明みたく、彼を守ってる・・・というか、その時点にしがみついている感じなのね。
それだけが、見えている・・・ので安心してられるのだ・・・みたいな。
高橋恵子さんは、にべもなく「夕焼けですよ」と言います。
彼の火を、ポンと消してしまったんです。
憑き物が落ちた感じの、俊徳のあどけない表情でお芝居は終わります。
終わりますが・・・この子はそれで、ホッとできるのか、それとも大切な自分の存在証明みたいなものを失って
抜け殻になってしまうのか・・・は判らない。
この能樂集は、本で読んでみたいです。
三島は、あんまり読んでないのです。仮面の告白くらいかな・・・
是非、原作を読まないと、判らないことが多すぎますので・・・
蛇足ですが、出演者の生みの親・・・父の役者は清水幹夫さん。
昔、ウルトラマンなんかの隊員で、TVにも出ていました。
この方は、大学の先輩なのです。
学生時代に、凄く印象が強くて、心に残ってる方です。アッ、挨拶以外、お話はした事無いのです。
この方、いつも一人でいらした・・・何か、いつも考え深い表情だったな〜とキャンパスの光景が浮かびます。
やはり先輩で、変わった方で、親切で、色々教えてくださった方に子門真人さん「泳げタイヤキ君」が居ます。
西岡徳馬さんも、そのころ同じキャンパスに居ましたね〜顔しかしらないのですが・・・
大学時代も、苦虫っぽかったな〜
な〜んて、思い出の芋ズルになってきましたので・・・