XJAPANフイルムギグ   1月13日  大宮ソニックシティ


  大宮には、5時に着きました。
新宿からの電車内で待ち合わせ3人に駅で数人・・・ソニック前で二人・・・皆、なんとか落ち合えるから不思議な
ものですね。
会場でも数人知り合いに巡りあい・・・熟女パワー炸裂で、皆様さぞかしうるさかったことでしょう・・・

お席は10列目・・・MIEさんMIZUHOさん3列目でチョウラッキー、TOMOKOさん&SON君は13列、姫様達も13列・・・
マアマア、皆良かったね〜の範疇です。
わたしはNORIKOさんと並んでしばらくボンボンを裂くのに嵌りました。
これって、どうして嵌るんだろう・・・もっと細かく、細かくと始まるまで無言の行でサキサキ・・・

ボンボン振って、弾けるぞ〜のつもりでしたが、すぐに想い出の世界に入ってしまいました。
皆さんはどうだったのかな〜
私は、この十数年が、今まで生きていた×十年の中でも、激動でしたので、
色々と場面や感動の記憶ばかりが
蘇り、半ば呆然とスクリーンを眺めていました。

カレンダーがX・・・って変ですが、激動ですので、落ち着いて居ない状況・・・それが、何年何月には何をした・・・と
覚えていられるのは、あの年がダリアツァーで・・・と言う風に入ってるからなのです。
体具合も悪く、ほとんど寝ていて、外には出られず、お医者が呉れる睡眠薬でフラフラの時に、TVでYOSHIKI
を見た・・・で、あれは誰だ・・・と聞きまくり、這うようにして二子玉の高島屋のレコード屋で買ったのが「BlueBlood」
そのころの記憶というものは、ほとんど無いのですが、これで「目が醒めた」ような感覚だけは鮮やかですね。

その時点で、「エッ?ライブですか?ロック?そりゃまずいでしょう」と周りには言われましたね。
「普通、中年のオバサンはROCKなんて好きな筈が無い・・・判らない筈だ」とか言う、頑固頭は多いんだね。
私&娘が悩んでいましたのは、「普通ってなんだろうか?」でした。
私は昔から「普通」とか「常識」とかには欠けた人間です・・・と最近悟りました。
娘PTA仲間なんかと話す時には「これは、常識的な言葉であろうか」と考えながら、大嘘のテンクラを喋っていました。

も〜う、結婚して以来、「普通」に見せかける努力、「常識的にふるまう」我慢・・・が続いていました。
その頃は、小説をコソコソ書いてましたね・・・とにかく、「オタク」なのです。
で、漫画を読みふける・・・萩尾望都、竹宮恵子・・・なんかは全部読んでる・・・で、「ジュネ」と言う雑誌も
溜め込んでいましたね〜アッ、今よりはズットソフトでしたけどね。
結構「風と樹の歌」なんかには入り込んでいたな〜変奏曲も良いな・・・無論持ってますよ〜今も。
誰も知らないところで、コソコソ・・・が、救いではありましたけどね・・・うん、その頃はクイーンに嵌ってたな。

YOSHIKIを見た時に感じたのは「夢が現実になった」でした。
少女時代から、夢見ていたものが、現実、目の前を走ってる・・・天使はこの世に居たんだ〜!みたいな
感動がありました・・・って大袈裟かな・・・


それで何故か人形を作り始め・・・ライブチケット代の為にアルバイトも始めて・・・
「人生は1度きり・・・もう、時間が無い」と、やりたいことはやるように・・・やれるように突っ走って来たのです。
何歳なのだから・・・諦める・・・って、もう2度と行かない、やらないってことでしょう?
私は、嫌だ・・・多分、生まれつき自我が強いんでしょう・・・自己中なのよね。
無理やり「大人らしい」言動を装うと言う事は、ストレスを溜め込むだけだと思うのです。


父は99年に亡くなりました。
97年に膵臓癌の手術で、98年の5月は一応治癒していて、仕事も細々続けていました。
父は、私が「X」に嵌ると、興味を覚えたのでしょう。
両親ともすぐに隠れフアンになりました。
元々、ビートルズ、ローリングストーンズなんかが好きで、演歌は死ぬほど嫌い・・・
私が小さい頃は、カントリーに嵌っていた叔父の影響もあり、私の子守唄は「ヨー・チーチング・ハ-」・・・そう
聴こえたの、私には・・・それと、クラシック・・・

父は、一応官僚と言うヤツで東大っゆうとこも出てます。
ですが、若い頃はお洒落で、変わった格好が好きでした。
母は、戦争中に絶対にもんぺを履かず、男物ズボンで通した人なので、憲兵に捕まり、大喧嘩をした人です。
今のツッパリとは違いますから、命がけで自分のスタイルを守ったのね。
ですから、新しい物を食わず嫌いなんかしない・・・私は幸せなんですが・・・

その父が、HIDEちゃんのお葬式の時には家でTVに釘付けで、私が携帯で聞くと「今、出棺するぞ」とか
教えて呉れた・・・帰りが遅くなり、私の家族は夕食にありつけないのですが、母が作り、
「そこまで待ったのだから、お花を供えて帰りなさい」と皆で言って呉れた時は、思わず泣きました。


人形も、父は手放しで面白がる・・・私の格好も、文句どころか面白がっていた・・・うん、好きだったんだな、
奇を衒うっちゅうのが、父にはこよなく面白かったらしいのです。
ですから、父の葬儀には、親類からはかなり抵抗ありましたが、私は赤毛で娘はパッ金でした。

なんじゃ・・・これはギグの感想じゃね〜よ〜思い出話ジャン・・・
しかし・・・こんなことが色々蘇ってきたのね・・・それに今日は私の誕生日だし・・・

それと・・・感じたのは「年月と言うヤツは、惨いな〜」でした。
TAIちゃんが綺麗だから・・・この頃は、辛さもあって、家ではあんまりXのビデオは見てない・・・
おととし、渋谷の本屋でのサイン会でTAIJIさんに会い、その変貌ぶりに思わす泣いてしまった・・・
YOSHIKIも、今も素敵だけれど、90年頃は本当に可愛い・・・皆、人間なんだから、年をとる・・・
時間は、当たり前だけど、留まることは無い・・・のは、怖い・・・
マア、人間として生まれた瞬間から、「時間との戦い」を死ぬまで続ける運命なんだけどさ・・・
あの時も、この時も、もう2度と無いんだよね・・・と思うと、ただただ悲しく、ただただ恐い・・・

それと、むやみにTOSHI君が憎らしくなった・・・前からだけど、イヨイヨ腹が立ってきて・・・
これは、又の機会に整理して(私の感情)書きましょう。

ギグを通して感じたこと・・・その2は、「これだけ夢中になれるものは、これっきり」
これだけ嵌ったものは今までには無くて、今後もあるのかな〜?
名古屋に走り、大阪に走り・・・X&DTRを追いかけていた95年、96年あたりが一番輝いていた時代かな・・・
と思います。

なんてさ〜今年4月にはBUCK−TICKの追っかけで京都に行くのは誰だ?
おかげさまで、Xにいただいたパワーはまだまだ大丈夫みたいね。
今年は、お人形グループ展も予定してるし、色々予定はいっぱい・・・まだまだ、行けるぞ〜!!