| 筑後川の成り立ちと農業生産活動
(社) 北部九州河川利用協会会員 今村瑞穂 まえがき 筑後川は、阿蘇の外輪山にその源を発し、有明海に注ぐ九州第一の河川である。 流域の中下流部筑紫平野は、典型的な二毛作地帯であり、米の裏作には麦、大根、菜種、レンゲ草など多様な作付けがなされてきた。 春先に近くの耳納連山から俯瞰する中流域の水田の風景は、麦や緑色野菜の緑、大根の花の白、菜種の黄色、レンゲ草のピンクのモザイク模様がまるで切り絵の芸術を見るようであった。 近年、裏作の作付け形態が単調になり、菜種、レンゲなどの栽培面積が減少傾向にあり、色の多様さが無くなったことにより、このすばらしい大自然のパノラマも遠い思い出になってしまいつつある。 筑後川は、その流域面積は約2880平方キロメートル、幹川流路延長は約140キロメートルであり、全国的に見るといずれも20位程度にランクされ、決して規模の大きい川ではない。 それにもかかわらず、筑後川は、利根川の板東太郎、吉野川の四国三郎、と並び、筑紫次郎という有り難い次男坊としてのニックネームをいただき親しまれている。 この事は、吉野ヶ里に始まり、周辺地域に号令し、大陸との関係を支配してきた太宰府の権力を支えるなど、我が国の歴史文化の創世期をを支えるだけの肥沃さと豊かさを備えている事によるものであろう。 また、その見返りとして新しい大陸からの情報を受け入れ、それを消化し、我が国の文化として定着することにより、独自の繁栄を成し遂げてきたことにもよるのではなかろうか。 筑後川の中流部は、古くから稲.麦の生産性も高く、さらに、果樹、蔬菜類、植木など,全国的にも知れわたった品質の高い農産物が多く、その多様さにおいても特別な存在である。 「これらの多様性と流域の活力は川の成り立ちと関係があるのではないか。」といった、おぼろげな仮説を立てながら、実態を調べてみることとした。 専門の立場から見ればありふれたことであり、独りよがりのシナリオかもしれないが、その調査結果の一端を紹介する事としたい。
1.筑後川の成り立ち 筑後川は、その源を熊本県阿蘇郡小国村に発し、高峻な山岳地帯を北流して日田市にいたり、そこで右支川玖珠川をあわせ、そこで典型的な山間盆地を形づくっている。 1−1)上流域における火山活動。 筑後川上流山地は、新第三紀から洪積世にかけて激しい火山活動が繰り返されたところで、耶馬渓溶岩や万年山溶岩が噴出した。 1−2)中流域の堆積作用 筑後川中下流の平野は、深く入り込んだ有明海が上流部から供給されてくる砂礫の堆積作用により形成されてきたものである。
約1万年前筑紫平野の殆どの地域が、「古筑紫海」と呼ばれる有明海の一部であったことが図−2のT線で示されている。 1−3)下流部佐賀平野.柳川平野の形成 中流部平野が形成されるまでの間は、狭窄部から下流部平野の形成は、丘陵地帯を流れる小河川の堆積作用のみで、その速度は遅かった。 2.筑後川の成り立ちと生産活動について 以上,筑後平野の成り立ちの過程について概観したが、このような過程の上に立って、それぞれの地域の主に農業を主体とした生産活動との関係について整理してみた。 表ー1は、流域内市町村別の農地の作付け面積である。市町村名は、ほぼ上流から下流にかけて順番に記載している。
また、図ー3には、これらの市町村における農作物の作付け面積を混合棒グラフで示している。
ここで、上流から下流に向けてそれぞれの耕地を構成する土壌と作付けについて概説することとする。 3.まとめ 以上筑後平野の成り立ちと、農作物の作付けを通した土地の利用形態との関係について概観してきた。 参考文献 |