よくある話。





「はあ? 風邪?」
 ダグラスがそう聞き返すと、妖精たちはこくりと頷いた。
「そうなんだよ。この前、アカデミーに行った時にね、貰ってきたらしくて」
「…………なんです」
 かすかに開いているドアから見える工房は、明りを落としているらしく薄暗かった。人気もない。エリーは多分、2階で寝ているのだろう。
「仕事の方は、大丈夫なのか?」
 そんなことを聞いてしまう自分が少し恨めしい。ほんの少し素直になれば、身体は大丈夫か、とか、栄養は足りているのか、とか直接的な心配ができるのに。今の自分には、仕事を介した2次的なもので精一杯だ。
「1番近い依頼はおにいさんのやつだし、2番目のもおにいさんのだから、大丈夫」
「………うん、大丈夫」
「何が大丈夫だ」
 思わず突っ込みを入れると、妖精に不服そうな顔をされた。
「だって、おにいさんの依頼って、メガフラムとメガクラフトだもん」
「………もうあります」
「……………じゃあ、渡してくれ」
 そろそろ会話に疲れてきて、ダグラスがそう言うと、妖精は難しい顔を見合わせた。
「どう思う?」
「………どうだろう」
「おねえさん、怒るかな?」
「………そうかも」
「でも、今年の風邪ってなかなか治らないみたいだし」
「…………もう、期限近いから」
「そうだよね。あと……何日だっけ?」
 エリーから詳しい日にちを聞いていないのか、それともただの意地悪なのか、妖精はダグラスの方を見る。
 つまり、ダグラスに答えろ、ということだ。
「6日と9日」
 言った途端、ため息をつかれた。
「依頼、つめすぎ」
「…………」
「悪かったな」
 エリーの風邪の一因のようなことを言外に言われているような気がしてダグラスは憮然と謝る。
「別に攻めてないよ〜♪ ただ、依頼のつめすぎって言ってるだけで」
「…………うん」
 ダグラスはため息をつく。
「じゃあ、早く依頼品をくれないか?」
 このままずっといてもただいじめられるような気がする。エリーのことは心配だが、ここは早々に退却した方がいい、とダグラスは思った。
 だが、その考えも次の一言で頭から消え去る。
「でもね。あれっておにいさんが依頼してきた時からあったやつだからね〜」
「……何言ってんだ」
「だから、今あるメガフラムとメガクラフトって、おにいさんが依頼した時からあったやつなんだって」
「…………うん、そうなんです」
「だって、あいつは、そんなこと一言も。今在庫がないから、少し待てって言ってたぞ」
 少し狼狽して、声が上擦った。
 そんなことにはお構いなしで、妖精はなおも続ける。
「だぁって、いつものことだし」
「…………です」
「いつものこと?」
 驚きが、新たな驚きを呼ぶ。最近のダグラスの依頼はメガクラフトかメガフラムばかりだったような気がする。だから、単純にストックがない、と考えていたのだが。
「うん。爆弾系は常時ストックがあるもんね〜♪」
「………あります」
 ストックがあるなら、また別の疑問が浮かぶ。
「……でも、最近、その場で渡されたことなんてないぜ」
 それどころか、期限の1、2日前、当日というのもよくある。それもすべて、アカデミーが忙しいんだろう、とか、酒場の依頼や他の奴の依頼の兼ね合いとかそんなことを考えていたのだが。
「おにいさんって、前から思ってたけど、やっぱり鈍い?」
「………鈍いですか?」
「……………う」
 図星をさされ、ダグラスは黙る。
「やっぱりねぇ〜。そうだとは思ってたけど、やっぱりそうなんだ」
「………そうなんですね」
「あー。うるせぇー。何が鈍いんだよ」
 仕方ないなぁというように、妖精は首を振った。
「あのね。おにいさんだけなんだ」
「………だけなんです」
「なにが?」
「依頼がギリギリになるの」
「だから、何なんだよ」
 ダグラスにはわけがわからない。依頼がギリギリになるのが自分だけだからと言って、だから何だろうか。
「もうぅ〜。女心だよ。お・ん・な・ご・こ・ろ」
「………です」
「はあ?」
 いまいち要領を得ないダグラスに、妖精は盛大にため息をついた。
「だーかーら、わかんない?」
「………わかりませんか?」
「わからねえ」
「だからね! おねえさんは、おにいさんにいつも良い物を渡したいんだってば!!」
「……は?」
「ほんとーに気付かないの?」
 イライラした様子の妖精を見つめながら、ダグラスは前回の依頼について思い出そうとした。
 そういえば。
 前回は、前々回よりも良い品だったような気がする。自信はないが。
 前々回も前々々回よりも良い品だったような……。さらに自信はないが。
 思い出す限り、エリーの品はいつも前よりも良い物だったような気がする。……なんとなく。
「………もしかして」
 ダグラスが、その事実を述べようとした瞬間、工房の奥から声がした。
「ポエポエ! ピコ!!」
『あ、おねえさん』
 妖精の声が揃って、後ろを恐る恐る振り返った。
「何やってるの!!」
 そこには、エリーが立っている。薄暗い中でも怒っているのがよくわかる。
「応対かな〜?」
「………ごめんなさい」
 とぼけたポエポエと素直に謝ったピコに、エリーは静かに告げる。
「ポエポエは近くの森、ピコはへーベル湖だと思ってるんだけど」
「あ、そうかも♪ いってきまーす」
「…………いってきます…」
 ダグラスの横を抜け、そのまま飛び出すように走り去っていく妖精を見送ると、工房の中に足を踏み入れた。エリーは、慌てたように声をかける。
「あ、待って!! 最近掃除もしてなくて! ……服も」
 その声を無視して、ダグラスはエリーの前までくると、額に手を当てる。
「熱はないみたいだな」
「………ないよ。もう大丈夫」
 下を向きながら、ぽつりと呟いた。
「無理するなよ」
「してない」
「俺の依頼なんかあるのでいいからさ」
「………私がいやだもん」
「無理したら俺の方が嫌だけどな」
 額に当てた手を外し、ダグラスは腕を組んだ。
「私のこと、心配なの?」
「ああ?」
 不思議そうに聞いてくるエリーに、ダグラスも聞き返す。
「ダグラスが、私のこと心配してくれるって何か不思議」
「……ひどい言われようだな、俺も」
 えへへ〜、と笑うエリーを軽くはたいて、ダグラスはため息をつく。
「俺だって、非道な人間じゃねえんだから。心配だってするさ」
「…………どうして?」
 無邪気に聞かれて、ダグラスは言葉に詰まる。
「どうしてってそりゃあ………」
 仕事があるから。
 雇用されている身だから。
 友だちだから。
 さまざまな理由が頭に浮かんで、そして消えていく。
 依頼がなくても、心配するだろう。
 たとえ、雇用契約が切れている時でも、不安になると思う。
 友だちだから、で終わる関係だったら、焦燥にかられることもなく。
 好きだから。
 ………そんなことは、言えるはずもなく。
「エリーだから、じゃねえか?」
 口に出した言葉は、しっくりと胸に落ちる。
 自分の言葉に納得するなんて、少し馬鹿らしいと思わないでもないが。
「ほえ?」
 エリーは気付かない。首を傾げて、こちらを見る。
「ま、とにかく寝ろ。な?」
「う、うん」
 と、そこへ、ドアのノックの音。
「はあい」
 条件反射で思わず返事をすると、ドアが開く。
 ダグラスが盛大にため息をついた。
「寝ろ、って言ったのに」
「………だあって」
「だってじゃなくて。お前は、治す気があるのか?」
 言われると弱いのか、エリーの声が小さくなって、下を向く。
「…………一応」
「だったら出るなよ。……俺の時は出なかったくせに」
「だって、あれはポエポエたちが!!」
「………なあ」
 扉のところでルーウェンが佇んでいた。
「あ、ごめんなさい」
「悪い」
 2人して謝ると、わずかな苦笑が返ってくる。
「調子が悪いんだったら帰るけど、依頼いいかい?」
「はい、どうぞ」
 けろりと返事をするエリーにダグラスは脱力せざるをえない。
「だーかーらー、お前は」
「メガフラム4つなんだけど」
「あ、はい。大丈夫です。在庫ありますからすぐ渡せます♪」
「…………オイ」
「さすがだな。ありがとう。それじゃ、また来るから」
「ありがとうございました♪」
 さわやかな笑顔を残し、ルーウェンは去っていく。そして、固まる空気。
「……エリー。俺の依頼は?」
「…………あはは」
 かなりキツイ目で睨まれ、エリーの背筋に冷や汗が流れ落ちた。この場から逃げ出したい気持ちになって、エリーは2、3歩後ろに後ずさる。
「じゃあ、もう寝るね」
「まて!」
「でも、ほら、ね。早く寝ないと。うん。ね?」
「……あと少しいても、もう変わらないだろ?」
「…………う……」
 逃げ道をふさがれて、エリーは抵抗のように下をむく。それを眺めながら、ダグラスはため息をついた。
 好意をもたれていることには、間違いはない。
 きちんと言葉にしたのは一度だけだが、気持ちも確かめ合ったことがある。
 しかし、不安はいつも拭えない。
「俺のこと、遠まわしに嫌がってるわけじゃないよな」
「うん」
 言葉にきちんとしない自分が駄目なのかもしれないけど。
「…………俺は、他より特別か?」
「………うん」
 それは、エリーだって同じだと思うのは卑怯だろうか。
 少しの沈黙。
 多分、お互いにズルイ、と思っているのだろうけど。
「あのね」
 エリーが、思い切って顔をあげて口を開く。一生懸命な声は、ダグラスの胸に素直に届いた。
「ダグラスには、いつも1番良い物を使って欲しいの。だから……」
「だから?」
 ダグラスの声音も、普段よりも優しい。
「だからね。いつも、ギリギリになってごめんなさい」
「別にかまわねえよ。……お前のとこ、何回も来れて、実は嬉しかったりするし」
 本音は、本音を引き出して、不器用な恋人たちの距離をほんの少し近づける。
「本当?」
「………かといって、依頼を遅らせたら怒るけどな」
「そんなことしないよ〜」
 ……いつも、今日みたいに本音が言えればいいのに。
 そんなことを思ったのは、どちらだったのか、それとも、2人ともだったのか。


 そして、依頼日ギリギリにエリーはダグラスに依頼品を渡して、またダグラスが依頼をして。
 いつも通りの日々が始まる。


END