「何かのお祝いか?」
ダグラスが疑問を口にしてもおかしくない状況だった。
机の上には、今までみたこともないようなご馳走。それも、すべて手作りのように見える。ご丁寧にチーズケーキまで用意されていた。
「え〜。ダグラス。わからないの?」
声がした方に視線をやれば、エリーがワインを手にやってくるところだった。
少し、責めている。
長年の付き合いで、そのくらいは理解できるようになっていたが、理由がわからない。ダグラスの脳が、フル回転し始める。
(なんの記念日だ? 誕生日? 誰のだ? 俺は違う……。エリーも違ったよな。じゃあなんだ? 何かのお祝い? エリーの卒業はまだだし。なんだ!?)
しかしながら、答えを見つけることはできない。
諦めて、エリーに頭を下げた。こんなところで意地を張っても仕方ない。
「…すまん。わからねえ」
「そっかぁ」
意外に明るい声を聞いて顔をあげると、エリーがにっこり笑っていた。
わけがわからない。
いつもなら、怒られて拗ねられて当たり前なのに、そんな態度が返ってくるとは思わなくてただ困惑する。
「………なんだよ」
だが、機嫌を損ねていないようだったので、胸を撫で下ろした。
ほっとため息がでそうで、慌てて飲み込む。そして、その行為にひどく自分で驚いた。
いつの間に、こんなに気を使うようになったのだろうか。
(1ヶ月、工房立ち入り禁止になった後くらいからか)
苦い思い出が蘇りそうになって、少し眩暈がした。……あれは、2年ほど前だろうか。
エリーと口喧嘩になって、売り言葉に買い言葉。
どんなことを言ったか覚えていない。
気がついたら、夜風が身にしみる屋外に立たされていた。
その後、雇用契約も解消され、1ヶ月居留守を使われて、散々だったのだ。
そういえば、あれはちょうどこの時期だったような気がする。
「なんでもないよ〜」
「で、なんだよ」
「なにが?」
「この料理」
「作りたかったから作ったの………て言ったら信じる?」
「信じねえ」
「やっぱり」
ほう、と息を吐き出して、エリーは憂い顔を見せた。最近、こういう微妙な表情が多い。
こいつも大人になったのかな、などとエリーが知ったら激怒しそうなことを思う。
「で、なんなんだ?」
「記念日」
「何の?」
「うーん。言わなきゃ駄目?」
そう言って、エリーは上目遣いをしてくる。どこで習ったのか、少し知りたい。
視線を合わせないようにして、ダグラスが口を開いた。
「言いたくねえのか?」
「そういうわけじゃないけど」
ぽつり、とエリーが言い付け足す。
「ダグラスが怒りそうで」
「……怒らねえよ」
「本当?」
ことん、とワインを机に置く音がした。
戦いの最中でもないのに、ダグラスの本能がいきなり「逃げろ」と叫んだ。チカチカ、と危険信号。警報まで聞こえてくる。
エリーに目をやると、瞳が潤んでいた。
泣いているはずはない。こんなことで泣くようなエリーではない。しかし、瞳は潤んでいる。いきなりの混乱。
危険信号は、さっきよりも激しく灯っている。警報は、鳴りっぱなしだ。
慌てて口を開く。
「……どうしたんだよ」
できるだけ普段通りに声を出したつもりだが、少し声が上擦っていた。
「だって……だって………」
エリーの声がさらにか細くなる。泣きそうになる手前の、声だ。
「じゃあ聞かねえよ」
しかたなく、断念する。
とたんに、エリーがにっこり笑顔を向けてきた。
「あーよかったっ」
「オイ」
思わず突っ込む。
「聞かないんでしょ?」
「泣きそうだったじゃねえか」
「あ。あれ?」
極上の笑み。
「嘘」
にっこりと。
「………うそ?」
「うんっ。嘘。ああやって言えば、ダグラスが折れてくれるかな〜って」
大成功〜、と笑う顔が、心底憎たらしい。
「………ひでえ女」
「うふふ。魔性の女だもんっ」
がくり、と肩を落としダグラスはそのままテーブルについた。
こうなったら仕方ない。
料理に罪はないのだ。食べて食べて食べまくるしかダグラスの行動は残っていない。
「食うぞ」
「うん。どうぞ、どうぞ〜♪」
「お前は? 食わねえのか?」
「あと、ちょっとでパイが焼けるから」
エリーは台所の方を指さし、そう言った。
「でも、ダグラスに食べてもらいたかったから一生懸命つくったんだよ。ぜぇぇぇったいに、残さず食べてね」
絶対に異様なほどの力が入っていたが、さほど気にならずダグラスは頷いた。
「おう、まかせとけ」
エリーの笑顔が一段と深いものになる。思わず、かわいいなぁなどと思ってしまった。口や態度にでるのが嫌で、照れ隠しに料理を口に運ぶ。
刻が止まった。
まず、目の前の風景がすべてモノクロになる。
音が消えた。
自分がそこにいるのに、実はいないのではないか、などと自分でもよくわからない状況に陥った。
不思議なほどのマジック……いや、料理の不味さだった。
「エリー、これ」
「うん。全部、食べてくれるんだよね♪」
その笑みからわかることは、ただひとつ。この不味さが偶然ではなく、必然だったということだけだ。
「いや、でも」
「美味しいよね?」
「………ええと」
「それとも、不味い?」
にっこりと笑うエリーに既視感をおぼえる。先ほども何故か思い出した2年前の出来事。
鮮やかに蘇るその記憶。
そう、あれはダグラスが嘘をついたことが原因だった。
不味かった料理を美味しいと言って、「嘘つき」「最低人間」と散々罵られた。
これは、何かの試練だろうか。
不味いと言わなくてはいけないのはわかるのだが、食べさせてもらっている身分でそんなことを言っていいのかわからない。軽いジレンマに陥りながら、それでも風の冷たさに身を晒すことは避けたかった。
覚悟を決める。
「………美味くない」
「やっぱり♪」
エリーは笑顔のままだ。やはり、これは2年前の復讐だったらしい。
そろそろかな、と台所の方へエリーが歩いて行った。その後姿をみながら、ダグラスは二口目を運ぶ。やはり、不味い。
エリーには不味い料理をつくる才能があるのだろうか。あんまり嬉しくない才能だが、攻撃力としてはかなりの威力をもつ。嫌な感心をした。
パイを持ってきたエリーに視線を動かして、ダグラスは尋ねる。
「で、これは喧嘩記念日か?」
「あ、憶えてたんだ。そうだよ。だから、これは戒め」
にっこり笑ってパイを机の上に置いた。これで、全部らしい。
「お前も食べるのか?」
「だって、喧嘩両成敗でしょ?」
きょとん、とした顔で返されて思わずダグラスは苦笑した。
「まぁな」
「ワインはちゃんとしてるやつだから、最後の口直しね」
エリーが笑う。
「………俺は、お前でもいいけどな」
ダグラスの呟きは、エリーには届かなかったらしい。パイを切り分けている動きには揺らぎはなかった。少しだけ残念に思いながら、とりあえず目の前の強敵たちを睨みつける。
「さてと、どこから倒すかな」
少しだけいつもの戦闘が懐かしくなり、そしてダグラスは、プスリとトマトに先制攻撃を仕掛けた。
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