朝の景色





 エリーのアトリエの朝は、遅い。
 職人通りという働き者たちが住んでいるこの道沿いの中で、とびきりの遅さを誇る。
 それどころか、他の者たちが起きはじめる頃、眠りにつくことも多い。
「ううーん」
 妖精たちもそんな雇い主の習性に合わせているのか、起きるのが遅い。それは、雇えば雇うほど顕著になっていき、ツワモノになると夜になってから、もそもそし始める奴までいる。
「……ええと」
 そうなると、新入りは焦る。
 時刻は、早朝ではなく朝をかなり過ぎていた。
 しかし、誰も起きてくる気配は無い。
「うーんと」
 昨日、森から来たばっかりのピールは、何もすることがなかった。
 そういえば、昨晩の歓迎会で、仕事は昼過ぎからという話を聞いた気もする。
 そのことを思い出してみた。


「新入りくーん。飲んでるかい?」
 ポエポエが声がかけてきた。ほろ酔い状態らしく、陽気だ。
「うん、飲んでる〜」
 と言いつつ、ピールのコップは減っていなかった。酒に、ではなく、雰囲気に酔いそうで、控えているのだ。
「そうそう。キミに伝えておかないといけないことがあったんだよ」
「何〜?」
 妖精が5人。人間が2人。
 決して少なくはない人数なのだが、ここまでうるさくなるのはおかしいのではないだろうかと思いながらも、ポエポエの口元に耳を寄せる。
 そうしないと、声がちゃんと聞こえない。
「ここの工房は、依頼が入っちゃうと徹夜ばーーーっかだけど、普段は朝は仕事しないから、気をつけてね〜」
「え?」
 聞きなおそうと思った。
 森で教わったことは、日の出と共に起きて働くこと。
 そして、雇い主よりも後に眠ること。
 それは、何処に雇用されても変わらない妖精族の掟。
 それなのに?、と口に出そうとした瞬間、頭を押さえつけられた。
「おー。チビ。飲んでるか?」
 雇い主ではない人間の声がして、そのままその話はお流れになってしまったのだけれど。


 思い出したところで、事態は好転しない。
「……どうしよう」
 とりあえず、困ってみた。
 しかしながら、困ったところで、やはり事態は好転しない。
「ええと。仕事仕事」
 何かすることを考えてみるのだけれど。
「そういや、まだ何にも頼まれてないな〜」
 大した時間稼ぎにはならない。
「踊り……もおいらまだ1人で練習できるレベルじゃないし」
 ため息。
「こんなことになるのが分かってたら、踊りの勉強とか昼寝の勉強とかしておけばよかった」
 ゴロゴロ転がる練習は、ほんの少ししたけれども、今ここでやる気はしない。
「天気もいいし、ちょっと外……行こうかなぁ」
 カーテンの隙間から差し込んでいる光をほんの少しだけ眩しそうに見やってから、ピールは工房のドアを開けた。


 外は、ちゃんと生活が行われていた。
 ドアのところでぽつんと立っていただけだが、前を行き交う人々の足音や声が心地よい。
 ぽかぽかな陽気が気分を高揚させる。
「よう、ちっこいの。もう起きたのか?」
 その声に顔をあげると、昨日いた雇用主でない人間が立っていた。確か名前は……ダグラスと名乗っていたような気がする。
 でも、自信がない。仕方ないので、無難な呼びかけにしてみた。
「おにいさんも?」
「ああ。仕事だからな」
 意外にしっくりときたので、呼び方は続行することに決める。相手の方も別に気にしていないようだ。
「お仕事って何してるの?」
 その問いかけに相手が少し驚いた顔をするが、すぐに笑う。そして、きょとんとしたピールの頭を昨日と同じように押さえつけた。
「聖騎士サマだぜ。おぼえておけよ、ちっこいの」
「ちっこいのじゃないやい」
 少し口を尖らせると、相手がまた笑った。そして、何か薬のようなものを取り出して、ピールに渡す。
「これ、なに?」
 手渡されたものを胸に抱いて尋ねると、今まで合わせていた視線を相手が何故か外す。
「エリーの奴、じゃなくて、お前の雇い主の奴がな。たぶん、2日酔い……というか頭が痛いはずだから、水と一緒に渡してやってくれないか?」
 こくん、と頷いたピールの頭を今度はくしゃくしゃと撫でて、相手は「またな」と立ち去った。それを見送って、ピールは胸に抱いた薬を見やる。
「………よし」
 とりあえず、仕事はできた。雇い主のものではないけれど、仕事は仕事だ。
 水を持っていって飲ませれば、雇い主も起きてくれるだろう。そうしたら、今度はちゃんとした仕事を貰うのだ。
 さっきとは正反対の心境で、ピールは扉を開ける。ため息はもうでない。
 工房の朝まで、あと少し、である。