ダグラスは椅子に腰掛けると、グラスにワインを注いだ。 最近ではほとんどエリーの造ったワインを飲んでいたが、あの調子では次回いつ購入できるかわからないので、今日は近くの店で買った普通のワインだ。 グラスに口をつけ、少し傾ける。 「・・・やっぱ、味はあっちの方が上だな」 昔はさほど感じてなかった味の違いが、最近では敏感になってきた。味覚が磨かれたのか、それともエリーのワインの味が上がったのか。多分、後者であろう。 「・・・ふう」 一気に飲み干し、軽くため息をつく。グラスを机の上に置いた手が、そのまま瓶に移り傾けられた。とくとくと音を立てて注がれるワインをぼんやりと眺める。 その時、扉が叩かれる音がした。 「?」 ダグラスは、瓶を置いて立ち上がる。夜はもうとっくに更けて辺りは暗い。こんな夜中に訪ねてくる人物に心当たりはなかった。とりあえずの用心のために、抜き身のショートソードを右手に持つ。 もう一度、扉がノックされた。 「誰だ?」 扉の前に立ち、相手を誰何する。すると、外から声が聞こえた。 「俺だ。ハレッシュだ。開けてくれよ」 ダグラスの体から緊張感が消え、苦笑しながら扉を開ける。来るなら来ると、飛翔亭にいる時に一声かけてくれればよかったのに、などと思いながら見た光景は、想像とは少し違っていた。 確かにハレッシュはいた。 しかし、フレアもディオもクーゲルもそしてエリーもいたのである。 「なんだよ、この大所帯は」 少し呆れながら、ダグラスは言った。ハレッシュは困ったように笑い、フレアは苦笑し、ディオとクーゲルは視線を合わせて肩をすくめる。フレアのスカートをぎゅっと握っていたエリーはダグラスに駆け寄った。 そのエリーを抱き上げて、もう一度ダグラスは彼らを見る。 「それがね…」 フレアが口を開いた。 「エリーちゃんがぐずっちゃって。貴方のところへ行くって聞かないものだから、連れてきたんだけど」 「俺はそのボディーガードさ」 ハレッシュが笑いながら言う。それを聞いたディオが苦い顔をした。クーゲルはまた肩をすくめる。その様子を見ただけで何故か状況をすべてわかってしまった自分に少し嫌なものを感じながら、ダグラスはエリーの顔を見た。 泣いた跡が残っている顔を寂しそうに歪めながら、エリーはこちらを見ている。その顔を見てしまった以上、ダグラスに怒ることはできなくなった。苦笑しながら、その髪を撫でる。 「仕方ねえなあ」 改めて4人の方を向き、ダグラスは口を開いた。 「俺が預かります。フレアさんを困らせるのもなんだし。いいですか?」 「それは…構わないけど、本当に大丈夫?」 どうやら薬が切れたときの心配をしているらしいフレアに笑って答える。 「大丈夫ですよ。俺はソファーで寝るし。でもまあ、元に戻ったエリーに弁解するとき、助けてくださいね」 その言葉にフレアはくすり、と笑うと「わかったわ」と返した。ダグラスも笑みを返す。 「お願いします。…ほら、エリー、挨拶をして」 エリーはにっこり笑うと、手を振った。 「おやすみなさい。おねえさんたち〜」 「はい、おやすみなさい」 「また、明日な」 フレアたちが角を曲がって姿が見えなくなるまで、ダグラスとエリーは見送った。 「ダグぅ。あそぼ〜」 「こら、エリー。もうそんな時間じゃないだろ?」 先程注いだワインを一気にあおり、ダグラスがエリーを叱る。しかし、あまり効果はなかったらしく、エリーは不満げにダグラスのズボンを引っ張った。 「やだ〜。あそぶの〜」 惚れた弱みのような気持ちでついつい甘やかしてしまいそうになるのを無理矢理押さえ込み、エリーを抱え上げる。遊んでくれるの?と言う視線を無視して、そのまま寝室に入った。 「ダグ〜。あそぶの、あそぶの〜」 そのまま、エリーをベットの上に放り投げる。 「きゃあっ」 少しだがスプリングが入っているベットはエリーを受け止めると上下に振動した。 「きゃっきゃっ。おもしろ〜。だぐ、もう一回〜」 小さなことでも楽しさを見つける子どもの生命力に、ダグラスは呆れながらも布団をかぶせる。 「だめだっ。ねろっ」 「けぇち。じゃ、お話して〜。お話」 子ども特有のわがままに押されながら、ダグラスは傍らの椅子に座った。エリーは布団の中から顔の半分だけを出し、目を輝かせている。 「話? …昔むかしあるところにおじいさんとおばあさんがいましたってやつか?」 「その話じゃないのー。だって、いつもそれだもん〜」 ダグラスがなんとか思い出そうとした話を一蹴し、エリーは次の話をねだる。 「違う話か?……ないぞ」 どんなに考えても話は浮かんでこなかった。思い起こせば、話を聞き始めた途端寝てしまう子どもだったような気がする。 「え〜。けちー。じゃ、手、つないで」 そう言ってエリーはダグラスの前に小さな手を差し出した。ダグラスは苦笑しながらもその手を取る。 「お歌、歌って?」 ぎゅっと手に力が込められたのを感じて、ダグラスは微笑んだ。 「目、閉じろよ」 エリーの目が閉じたのを確認して、ダグラスは口を開いた。懐かしい旋律が部屋の中を満たしていく。 エリーは目を開けた。 窓から指す日差しが眩しい。布団をかぶりなおそうとして、その布団が自分のものではないとふと気づいた。そういえば、あたりの風景も、日の差し方も工房のものとは違っている。 「……ふにゃ?」 記憶は曖昧のまま、寝ぼけ眼で起き上がろうとすると左手が重い。ふと目をやると、そこにはよく知る青年が彼女の手を握りながら眠っていた。 「…え?」 その声が引き金になったのだろう、ダグラスの瞼が持ち上げられ、蒼い瞳が現れる。 エリーがぼんやりとそのまま見ているとダグラスは軽く欠伸をして、エリーを見つめ返した。 「起きたのか?」 少し寂しげな声でダグラスは問い掛ける。 「……」 逆にエリーはパニックになっていた。何かを言おうとして、しかし何も言葉が浮かばず、かわりに質問に答えることにする。 「…起きた」 そうか、とダグラスは頷いて椅子から立ち上がった。自然に手は離れてしまう。エリーが少し寂しくなった手を見つめていると、ダグラスに頭をぽんぽんと軽く叩かれた。 「よかったな。たいしたことにならなくて」 その言葉に、エリーは昨日のことを思い出す。思い出していけばいくほど、顔から血の気が引いた。 「あ、私、失敗しちゃったんだ。もしかして、なんかやってた?」 幼い時の記憶は残っていないらしく、エリーは昨日からの自分の行動を尋ねる。ダグラスにいたずら心が湧いた。 「俺は、たいしたことしてねえから別に構わねえがな。ま、ディオやフレアさんには謝っとけよ」 あえてどうなったかを語らず、不安を駆り立てることばかりエリーには告げた。 「ねえ、ダグラス。教えてよ。おねがいっ、ね?」 エリーの必死の懇願をあえて無視する。迷惑をかけられたとは思ってないが、これくらいの意地悪は許されるだろう。 「さ、朝飯でも飛翔亭で食いに行こうぜ。今日はフレアさんもいるし。な?」 ダグラスはにっこりとエリーに言った。 「教えてよ〜。おねがいだから〜。ねえ、ダグラスってば〜」 エリーの声をあくまでも無視し、ダグラスは出かける仕度をする。 「さ、行くぞ」 声をかけてダグラスは扉を開けた。後ろで「待ってよ〜」というエリーの声が聞こえるが気にしない。 扉を閉める瞬間、ダグラスはエリーを振り返った。エリーがあわてて扉の近くにやってくる。 ダグラスはエリーに顔を思いっきり近づけた。びっくりしているエリーの耳元に軽く囁く。 「今日はダグって呼ばないんだな」 顔を真っ赤にしたエリーをその場においてダグラスは入り口へと向かった。そのまま外へ出て、空を見上げる。扉の向こうでばたばたっという物音がかすかに聞こえた。 「今日はいい日だな…」 エリーがでてくるまでの間、ダグラスは歌を軽く口ずさむ。その声は昨日より少しだけだが弾んでいた。 END |