随筆
自宅のリビングから望めるこぶしの花です。要するに自慢話ですね。 2003.3.26水曜日 晴れ 身体が変だ。夜中に目が覚めて、イラク戦争のニュースを見ながらウイスキーのオンザロックを飲んだのがいけなかったのだろう。イラクの国民が殺されている。アメリカの若者も殺されている。徴兵制のある国に生まれた若者の悲劇だ。徴兵制のない日本の若者にアメリカを支持する資格があるのか。 サダムの命などどうだっていい。即刻アメリカは本国に帰るべきだ。死ぬ必要のない命が毎日毎日奪われていく。アメリカの大企業の石油権益の犠牲にされてはかわいそうだ。 修了式の終わった後、教室で子供たちに戦争と平和の話をした。小学3年生にどれだけ伝わるのかわからないが、話すべきだと思ったのだ。戦争に行くのはいやだとどの子も答えていた。 教室の片づけ、学級事務の疲れだろうか。春休み初日の今日、せっかく年休を取っているのに昼まで寝てしまった。職場の同僚は湯河原で一泊だ。退職校長の会だ。平等、民主の親睦会であるはずなのに退職校長のみ特別に宴会を設け、プレゼントを出す事に自分は納得できなかった。ともあれ、自分も会員なので金銭的な奉仕はしたし、退職する校長に悪い感情を持っているわけではない。ただ、若者も年輩者も平等な会費支出でなりたっている親睦会において、校長、教頭のみ幹事役は免除されているのだ。その上こう特別扱いでは、私企業の社長さん扱いではないか。私企業の社長さんなら、飲み会の金は出してくれているのだからまだ話はわかるよ。 もっとも校長、教頭もその都度寸志を包んでいるのだから、配慮は感じている。退職校長もお返しを全職員にしていたし、その辺の配慮は感じているよ。でもそういう事ではなくて、システムの問題として納得できないものを感じているのだ。親睦会もやめちゃおうかな。完全に職場で孤立する事になるだろうが。 ふらふらする身体で公園を散歩していたら 「先生〜」 と母子に声をかけられる。 5年前受け持った1年生の女の子だ。今年6年生になるのだ。少し記憶が戻る。まあこういう風に声をかけられるのは幸せな事だ。 自分は職業として子どもと接しているのだから、仲良くなろうとか、友だちづきあいをしようなどとは思っていない。親子ではないのだからスキンシップはしないようにしているし、指導のじゃまにならないようむしろ子どもとは距離を置くようにしている。その結果疎まれようと嫌われようと構わないのだ。目的は教育なのだから。好かれる事が目的ではない。教育の成果が出せれば、自分はそれでいいのだ。だからよく6年生あたりに謝恩の行為をさせているのは、自分は反対だ。感謝の心を育てるのは大事だが、行為までさせるべきではない。父母の金まで使わせて、教師にプレゼント作りをさせるのは間違っていると思うのだ。多数の意見にいつもならず、押し切られているのだがね。 4月からは高学年の担任になるそうだ。またこの問題でもめるのかね。パソコン係は断ったのにさせられる。まあ仕事だから受けざるを得ない。でも教育にパソコンは必要ないし、弊害さえあるという意見は管理職にちゃんと言っておいたからね。保守係に徹するつもりだ。 くたびれた身体と頑固な頭で仕事に立ち向かっていくしかない。時代遅れの教員だ。いつ廃棄処分されるかわかんないしね。やれるだけやるだけだ。行けるだけ行くだけだ。 |