東京見学迷走記

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2004.12.27月曜日晴れ
 年休を取って、東京見学に行く。妻も同行したいと言うので、二人で行く。
どうもこの東京見学というのは、自分の懐古趣味なのだね。青春時代を追体験したいという事なのでしょう。

 今回は、水道橋だ。駅を出てぶらぶらと神田神保町方面に向けて歩く。
この道沿いにとんかつ屋があり、口コミで、どんぶりのごはんを一粒残さず食べてそっと出すと、おやじがただでお代わりしてくれるというのがあった。
自分もうわさ通りにやってみた。お代わりの勘定は取られなかった。カウンター越しに客にとんかつを出している店だったので、貧乏学生に限ってのサービスというか、店主の心意気だったのでしょうね。
 なんかなつかしい思い出だったのだ。アルバイトなどでふところが暖かい時は、この店でたまのぜいたくをした記憶がある。


 彼女とぶらぶら歩いてたら、その店とおぼしきものがあるではないか。
なんか水道橋からの距離的にそうだし、店構えというかのれんというか、そんな気がする。
彼女があんまりとんかつなど好きでない事は知っていたが、同意を得て店に入った。
 これがまちがいだった。
 店内は記憶と違ってえらい狭い。カウンターだけだ。
中にかっぽう着を来たおじさんが3人ぐらいいる。もう満席だ。
後ろにベンチのつながった席があり、そこへ座る。するともっと奥へ座れと言われるわけですね。
 まあ、この店なりのルールがあるのだろうと、彼女と一番奥の席というか、ベンチのはずれというかそこへ座って待つのです。
 あ、これじゃ彼女は嫌だなあと思ったが、今さら外へ出るのもどうか、いや、まだ何も注文してないのだから、今なら出られる、でもせっかく30年ぶりぐらいに来た店なのだから、それでは後悔するのではないか、いろいろ逡巡する。
 その内、偶然だろうか、前の座席の中年サラリーマンらしき人がごちそうさまと席を立つ。でも当たり前だけど、ひとつしか空いてないのですね。
 彼女に勧めるが、お先にと言われるので、取りあえず座る。メニューらしき物もないので、とんかつ定食と注文する。お茶を出されている間に偶然隣の中年サラリーマンらしき人も立ち上がった。
 よし、よし。彼女も隣に座ってめでたし、めでたしである。
 でもとにかく狭いのである。隣の人とぴったりという感じ。学生の頃ならともかく、久しくこういう所で食べた事がない。
 その内、ごはんとみそ汁が出される。自分でカウンターの一段高い所から自分の前へ降ろす方式なのですね。
 彼女は警戒しているのか、ごはんは少なめでと注文する。こちらのお客さん少なめでねと皿洗い担当にしては、威厳有りすぎなおばちゃんが言ってくれるが、出てきたごはんが少なくない。再度盛り直してもらって少なめになる。大盛りと注文するとどういう状態になるのだろうか。
 肝心のとんかつはなかなか出てこない。みんな黙々と食べてる。話し声がしない。彼女と思い出話をするのもデジカメで店内の記念撮影をするのもはばかれる雰囲気。
 ここは席が空くのを黙って待って、空いたら黙って座って、とんかつが出てきたら黙って食べてとひたすら黙ってが続く方式のようなのですよ。やっと出てきたとんかつを見て悶絶!
皿にキャベツの千切りが富士山のように盛り上がっている。その横腹というか、斜面というかそこになんととんかつの切り身が二段に並べられているのです。二段ですよ、普通の店なら一段で済むとこが二段ですよ。二人前注文したわけじゃないのにね。
 これはとても食べきれないと思う。彼女は絶対無理。かといって、食べ残すのも失礼だ。
彼女の分も食べなくてはいけないだろうと覚悟する。
 ところが食べれども食べれども減らないのでよ。キャベツはてんこ盛りの上、上から押さえつけたんじゃないのというぐらい密なのです。ごはんもそう。見た目はどんぶりに普通盛りだが、密度が濃い。はしでかきまぜると増えてくる感じなのだよ。
 なんとか自分のとんかつは片づけ彼女のレスキューに回る。暑い。フリースを脱いで、肩下げバッグにつめる。なんか目まいまでしてきた。
 彼女は、本当に食べてるのと言いたいぐらい減っていない。
 自分もキャベツとごはんは食べきれないのだ。周りを見ると、後ろは座る所が無くなって立っているおじさんがいっぱい。
 例のおばさんは、もっと席を詰めてとか、戸を開けるのが反対だよとかしきっている。
 その内黙々と食べているおじさんが一人二人と立ち上がって、後ろの客と交代している。ぼくら二人はもたもたしているだけでなく、とても終わりそうにない。その内、例のおばちゃんが、じれたのか、助け船なのか、
「もうお済みですか。」
と彼女に聞く。彼女も
「ごちそうさまでした。」
と応じる。
「700円いただきます。」
え、これで700円なの。信じられない値段である。どおりで客は中年サラリーマンかタクシーの運転手か、若者なのである。女性客はいない。彼女も立ち上がったが、店内にいる場所がない。外へ出たようだ。自分も後を追うように、食べ残したまま立ち上がる。


 外へ出て額の汗を拭く。外の冷気が気持ちいい。
まちがいであった。昔の再現のお代わりなど出来うるはずもない。
 こんな店だったのだろうか。確かにカウンターで食べた記憶はあるが、後ろにああいうベンチがあっただろうか。だれが店主かもわからない。
 あのおばさんじゃお代わりがただなんてありえないだろう。店はあの店なのだろうが、この30年の間に日本経済の効率化に合わせて、あの店も合理化が進化してきたのではないだろうか。
 確かにとんかつはうまかったし、若者ならあの大盛りはうれしいだろう。値段もあの大盛りから考えたら破格のものだ。良心的な店かもしれない。人気があるからこそ、12時前なのにあの行列ができるのだろう。
 でも30年前の、あのおじさん。一目で店主と分かるおじさんが、黙ってお代わりをただにしてくれたやさしさがなくなったように思えた。
 30年たったのだもの、諸行無常で当然だよね。


 ほうほうのていで、神田の古本屋街に着く。
歯に挟まったとんかつを取りたくて、角のドラッグストアで歯ブラシを購入。
本屋の店内にあるしゃれた喫茶店、上島珈琲て書いてあったかな、そこでほっとする。
さっそくトイレで歯みがきしようと包装を解くと、なんと歯ブラシの頭しかない。しかもその頭が二つもあるのである。何だ、これはと包装をよく見ると、電動ブラシの交換品なのですよ。しかたなく、頭だけを持ってみがく。当然だが、すこぶるみがきにくい。今日は厄日だったのだろうか。

 大体が電車の切符の買い方からつまづいていた。液晶の画面に料金表が出ないのだ。
うろうろする。後ろに客は並ぶし、困ったなと慌てる。その内、JRのボタンを押すと、料金表が出て来た。こういうシステムになっているのかと感心する。
 ところがですね、帰りの地下鉄では、それらしいボタンが液晶上に無いのです。もちろん料金表も出てない。まったくわからない。切符が買えないのです。ぼけ老人でもないのに、電車の切符が買えないのだ。彼女もいっしょにいろいろ考えてくれるがわからない。
 その内、隣に女の子が来て金を入れたら、料金表が出てきた。なんだ、先に金を入れないと表示されないシステムなのか。まあ、会社が違うのだから、販売機のシステムが違っても文句を言えないわけだが、わかりにくいよデジタル社会。


 でもまあ、いろいろあったけど北の丸公園も散策できたし、楽しい一日だった。