2007年8月1日、彼女と車で行く。片道220q。朝7時半に出て、11時半に着いた。中央高速の初狩で最初の休憩。長野自動車道に乗り換えて、みどり湖で2度目の休憩。道路マップがPAでは手に入らなかったので、梓川SAで三度目の休憩。案内嬢に親切にちひろ美術館への道を教えてもらう。当方理解力に多々衰えが来ているので、「直進てどういう事?」と案内嬢を手こずらせるハメとなる。 教わったとおり、豊科インターを降りて直進、柏矢町を右折、大門を左折すると、行き止まり右にちひろ美術館が広がっていた。公園の中を小川がちょろちょろ流れていたのだが、あれほど強い日差しの中にありながら、手を入れると冷蔵庫の冷水のように冷たいのには驚いた。しゃれた館内に入る。 出入り自由という事で、ちひろの絵のついたしおりを手首にはめる。ちょっと煩わしかったので、ポケットに入れる事にしたが。館内では、絵を見るだけでなく、海外の絵本を見る事もできた。なかなか楽しい体験となった。笑えたのがちひろとだんなとなる松本善明さんとの約束事。互いの誠意を土曜日に確認するというのがほほえましかった。泣けたのがちひろが生活のため赤ん坊を実家に預けた事。仕事場の東京から10時間もかけて電車と徒歩で会いに来るのである。会えば別れが待っている。帰りの車中で赤ん坊のかわいらしさに胸を締め付けられながら帰るのである。当方、年を取ったこともあるが涙ぐんでしまった。 戦争が終わり、あの侵略戦争の中、戦争に反対して獄中に捉えられた人がいたことを知り、ちひろは平和を守るため共産党員になる。ちひろのあのかわいらしい絵と共産党というイメージが、本当は一致するのですね。 先月、共産党の宮本賢治さんが亡くなった。若い頃「12年の手紙」を読んだ事がある。あの時代に東大に入学しながら世俗的な立身出世に背を向け、非合法の平和活動に身を投じた。拷問にも節を曲げず、12年の獄中生活にも節を屈する事がなかった。そのような人があの絶対的天皇制の時代にいた事に自分も驚き、感動した。結局自分はそのような人生を送ることもなく、無責任な生活をだらしなく送っているだけなのだが。 |
我が愛車 | 公園の池 | 池 | 池 | バリヤフリーの入り口 |
中庭 | 通路 | 革製の椅子より中庭を見る | カフェ | おやきとそば茶セット |
隣の別荘かと思った | 花畑 | このテーブルで食べた | 音の出せる通路 | 庭 |
お昼寝をしたベンチ | 廊下の飾り物 | 飾り物 | 売店 | 乳川 |
川沿いの散策路 | 庭 | ベンチ | 山荘をのぞく | 庭 |
黒姫山荘 |