退職後の趣味
 表紙に戻ります

2011.5.14 土曜日晴れ
 定年まで後2年と10カ月。まあ首になるかもしれないし、自分からやめるはめになるかもしれない。それはわからないけど、疲れている事は確かだ。体力的にもうだめだとは感じているが、それ以上にだめだなあと思えるのは気力である。がんばろうという気がない。がんばりたくない。もうがんばるのはいやだ。無職になればがんばる事は無いのだから、今がんばらなくていつがんばるのだと自分に鞭打って働いているのだが、なんか馬鹿馬鹿しくてね。やる気が起きてこない。
 確かに小学生はかわいいと思える事はある。でも生意気な面もあるし、親だって馬鹿野郎と思える親もいるのだ。あんた何様のつもりだ、けんか売っているのかと思える事もある。でも仕事として付き合っている以上ある程度はがまんしなくてはいけないし、ストレスはたまるよ。少年サッカーのコーチをやっている時は子どもとは相思相愛の関係だし、親は感謝してくれるだけの関係だからやりがいというか生きがいがあったよね。公立学校の教師とは実にストレスのたまる仕事である。こんな事で自分の人生をすりつぶすのが馬鹿馬鹿しいのである。定年まで働いたら解放されるのが61才だよ。もうすれからっしのぼろぼろの老人だよ。馬鹿馬鹿しいではないか。人生がもったいないではないか。定年前に自由になりたい、早い話、やめたいのだよ。
 そうは言っても先立つ物が無い。金が貯まっていないのだ。東北の震災もある。簡単に無職の道を選ぶわけにはいかないでしょう。この年で教師以外でちゃんとした収入のある職があるとは思えない。これが現実なのでしょう。

 今日はCB400に乗る。東名高速を100キロ、瞬間的に120キロで飛ばす。快感。生きていると感じる。もう全速力なんてできないからねえ。孫悟空のきんと雲ですよ。お釈迦様の手のひらの中を飛び回っているだけかもしれないが。街中に降り、今度は峠道を走る。右に左にリーンインで走る。体をバイクの外側に前倒しになる感じで投げ出すのだ。スキーのターンに似ているね。ああいう感覚。自宅から思い立ったらすぐ体感できるバイク趣味は実にお気楽だと思う。死ぬ可能性はあるがね。
 自宅に戻り、今度はアドレス125に乗り換える。市街地を走る。これまたきんと雲である。こっちの方が自由自在だね。高速安定性はないし、60キロ走行の規制はあるが実に楽しい乗り物だ。
 無職になったら、毎日CB400で東名高速を爆走し、アドレス125で道志道を山中湖まで往復する事を日課としようか。雨の時はモビリオがあるしね。
 自宅でギターの弾き語りや読書という手もある。時には山の散策や町の散策もいいだろう。鉄棒をやりたい時は公園にでも行けばできるでしょうよ。問題はその自由を手にするときに生きているか、生きているにしても健康でいるかという事でしょう。アラジンの魔法のランプに囚われている魔人のようだね。誰か俺にかけられている魔法を解いてくれ!
そんな奴はいないよ。みんな自分の事でせいいっぱいだからね。
 明日は公民館のお手伝いだ。こういう事もせにゃならぬ。渡世の義理とはつまらないものだ。退職後ならまだしも、現役の時の日曜にこれはつらいね。朝7時半集合だよ。前は7時集合だったんだからね。まあぼあいてもしょうがないか。できる事、やらないといけない事、これを取りあえず一つ一つやっていきましょう。自分の良心に照らし合わせてね。納得できないときはやらないよ、俺は。