今年の夏休みに、どういうわけか校内の研修会の講師になってしまった。
で、レジュメを作ったわけです。
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教師として大切にしたい物
03/7/17
 僕は教師になってすぐに少年サッカーのコーチになってしまいました。ですから二足のわらじというか、放課後、土日はコーチの活動に没頭していました。
 自分の全力を学校の仕事にそそぐという事はなかったのですね。若い頃から。その上、でもしか教師だったわけですから、まあ自分で言うのもなんですが、とんでもない教師だったわけです。いや、現在進行形でそういう事なんです。
 ですから、校内研究などの緻密な教科指導というのは、どうも理解できないのですね。そこまでやる必要はないんじゃないかとか、そんなにやるとかえって勉強が嫌いになるんじゃないかと思ってしまうわけです。若い頃から指導主事の指導とか、そういう権威的な指導にとらわれないというか、自分の経験や信念の方を優先する面がありました。
 学校の責任という面においても、自分は学校外でサッカーに熱中している少年の姿を目の当たりにしていましたから、こどもは学校以外で育つ面が強いという実感を持ちました。ですから、学校が子どもの能力や意欲を引き出す唯一の所とも思いませんし、またそういう責任を負う必要もないと思ったのです。家庭が伸ばす面、責任を負う面、地域や社会教育が伸ばす面、責任を負う面もまたあると思うのです。それぞれが責任を負う姿こそ、責任ある社会だと思うのです。
 今でも僕が原則的に宿題を出さないのも、そういう理念から来ています。
 
 さてこんな無責任、無気力な教師である僕が大切にしている物ですが、それは、学校の中でできる事、自分ができる事は全力を注ごうという事です。ですから、僕は家庭教育には期待していません。自分が指導できる事に責任を負い、全力を注ぎます。
 まずは社会性を育てる事です。具体的には挨拶、敬語表現、掃除、当番活動など指導を徹底しています。掃除の具体的技術も教えますし、挨拶や敬語の必要性もわかるように教えます。力で押さえつける事もしています。
 それだけではなく、鬼遊びなどを通して遊びの中で社会性を育てる活動にも力を注いでいます。
 次に基礎学力をどの子にも身につけさせるという事です。ぼくが考える基礎学力とは、読み書き計算です。教育漢字を全部覚えて卒業しなくてもぼくは大丈夫だと思います。
大切なのは、文章がすらすらと音読できる能力と、本好きな子に育てる事です。まあ本好きにする指導は、その子の内面に関わる問題なので難しいですが、音読は繰り返し取り組ませればできる事です。
 そして四則演算が正確に速くできる事です。漢字は全部覚えてなくても、後で取り返しがつきますが、こっちは卒業までに身につけてないと、間違いなく中学で落ちこぼれ、怠学につながります。第一、6年も教育していて、四則演算ができないで卒業させるなんて小学校の怠慢です。運動会も卒業式もつぶしてしまっていいんです。ちゃんとできる子に育てて卒業させる責任があるはずです。
 1年生では、十の補数をカードなどを使って繰り返し覚えさせます。それから、繰り上がり、繰り下がりの指導です。これには、100ます計算、十回足し算、引き算の計算ゲームを繰り返しさせます。どの子ができないか、しっかり把握して個別指導します。休み時間なんか取り上げです。毎日宿題を出して翌朝、チェックします。宿題を出すのは家庭に期待しているわけではないのです。家で勉強しないから、休み時間に勉強しなさいという方便にするためです。
 2年生では、九九の徹底です。これもだれが覚えてないかチェックして個別指導を徹底します。よっぽど能力的か性格的に問題があれば別ですが、全員が覚えます。前記の計算ゲームも繰り返し行います。時間は暇さえあれば、何の時間でもいいんです。ゲリラ的にやってしまいます。
 3年生以上では、往復算です。100ます計算や10回足し算、引き算などの計算ゲームに比べての長所は、四則演算がすべて含まれているという事です。100ます計算だと、足し算、引き算、かけ算の三種類をやらなくては網羅できません。10回足し算だと、乗除のゲームはできません。
 しかも教師のチェックが簡単だという事です。100ます計算だと、一人100個、40人だと4000個丸付けをしないといけません。もう目はしょぼしょぼ、体はよれよれです。老体に酷というものです。
 往復算なら2,3カ所チェックポイントを決めておけばすぐ丸付けができます。間違えているのに、最後だけ帳尻を合わせてくるずるい子には、冷たく
「まちがっていますね〜。やりなおしてください。」
と一言言えばいいのです。
 これも何の時間でもいいのです。昨年、僕は総合の時間で合法的にやろうとしましたが、指導主事に一刀両断にされてしまいました。他県では計算ゲームで校長までなった人がいるのに、A市では討ち死にです。ですから、何の時間でもいいのです。ゲリラ的にやってます。革命児チェ、ゲバラ?ちがったか、そんな名じゃなかったですね。もう人の名前も覚えられません。

 算数のおもしろさは、合理的思考です。だから水道方式はいいと思います。今年の公開授業はこれでやります。合理的おもしろさで、こどもを引きつけたいと思っています。わかる喜びは、指導法の研究でもあります。ですが、指導法の研究だけでは、こどもはついてきません。どんなにわかる授業、楽しい授業を研究しても、ついてこない子はついてこないのです。がまんしない子、がまんできない子は何をやってもついて来ません。自分の好きな事しか関心を持ちません。だから指導法の研究だけではだめなんです。忍耐力をつけさせる事も追求しないとだめです。往復算は忍耐力、集中力をつけさせる修練の場ともなります。どちらがいい方法かという事ではなく、どちらも必要な指導なのです。
 
 繰り返しになりますが、僕の大切にしている物は、子どもに社会性を育てること、基礎学力をつけさせる事です。合理的指導法の研究も大切です。合理性の前には指導主事も権威も関係ありません。自己の良心こそ大切です。教師としてこどもに伝えたいと思うことを、勇気を持って行う倫理観、責任感こそ大切にしています。平和教育に力を入れているのもそのためです。首は怖くありません。自己の良心に背くことが一番怖い事です。