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三読法の弊害

2016年10月15日

 三回読もうと10回読もうと自由なわけで、問題なのは強制的に通読してしまう事である。読書の楽しみとは立ち止まりながら場面や登場人物の気持ちを想像して、喜怒哀楽することなのである。ところが、この通読という作業はそれを台無しにしてしまう。これがいけない。その後学習課題なんたらかんたらを子供に押し付けるものだから読書の楽しみではなく、完全にお勉強になってしまう。

 本来物語教材を扱う目的は、場面や登場人物の心情を想像する力を養うことである。だったら初読の段階をもっとていねいに扱うべきだ。既読の文章をもとに想像していく力を養うことが目的。それこそ基礎的学習力だと思う。その力を養うためには、通読という作業を削除して、初読の段階でひとつひとつ文章から読み取っていく作業をやる方が効果的である。

 自分の場合、まず題名読みから始める。題名から場面や登場人物を想像する。物語の展開を想像する。これは根拠が題名しかないわけだからとんちんかんな結果になることもあるが、大事な事は想像する事である。次に本文に入る。初読を大切にするために、勝手に読み進めない事を約束させる。教科書の見開きで進んでいくわけだが、それでもその見開きを一気に通読させることはせずに、一文一文を読み解いていく。教師との話し合いでやってもいいわけだが、子供の力を養うためにはまず自力で読み取らせた方がいい。そのために書き込み作業をさせる。本来どこの文章で立ち止まるかは個人の自由なのだが、それでは授業としては進めづらいので教師が指定した文章に傍線を引かせ、その右横の行間に指定した課題で書き込ませていく。思ったこと、想像したこと、この先の物語の展開などその都度課題を提示して書き込みさせる。自由に書き込ませるとその後の話し合いが散漫になるので書き込みの課題を与えた方が効果的である。語句の解説などもこの時一緒にやった方が読み取りが進む。こうして一文一文を読み取っていって終わりまで行けばおしまいである。その後音読練習をしたり、さらに話し合いを進めてもいいわけで、決して一読にこだわる必要はない。こだわっているのは、初読を大切にするという事である。