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2012年8月12日(日)執筆開始

小説名「鎖につながれた教師」

「ピンポーン」

今頃誰だろう。ドアのインターフォンに出る。

「鈴木です。お休みのところ、いきなり来てしまって申し訳ありません。」

鈴木?声に聞き覚えがある。同僚の鈴木さんではないか?

「鈴木先生ですか。」

「はい。」

弱弱しく、不安げな声だ。

「今開けます。」

「すみません。いきなりおじゃまして。」

「ああ、いいよ。どうしたの。まあ上がりなさい。よく家がわかったね。」

玄関横の六畳間の和室に上がらせる。いつもこんな服装をしていたのだろうか、この人は。黒っぽい上下のスーツを着て肩をこわばらせている。

 鈴木とは2年前の同僚だ。自分が学年主任、まあ単に年を食っているからだが、5クラスある5年生の担任の一人だ。まだ採用されて3年目ぐらいの子だろうか。学年全体が荒れている中でなんとか元気に奮闘し、クラスもいろいろ問題を抱えながらもうまく行っていた方だと記憶している。その鈴木がなぜ急に。

 自分は五十を過ぎてからは人付き合いはしなくなった。教師の職場の人間関係が嫌になったからだ。若いころは同僚と大酒を飲み、宴席でけんかまがいの事をしたこともあったが、飲み会自体に参加しなくなった。民間の会社では社長の金で一席設けるとか、上司のおごりという事になるのだろうが、教師の世界ではそうではない。親睦会費は校長も新採用の教師も同額なのである。月3千円程度。職員旅行をしている学校ではその倍額程度か。

同じ会費で飲んでいるのに、校長や教頭は幹事になることは無い。別格の扱いだ。それなのに宴席での挨拶はちゃんと用意されている。おまけにだ。自分の所に酌に来ないとは何事だと怒り出す輩もいる。職員旅行など大名旅行である。幹事役は持ち回りで各学年に配当される。校長、教頭は何もせず、会費も同額で職場の上下関係をそのまま旅行先やバスの中、旅館の宴席、果ては部屋の2次会にまで持ち込むのである。まったく自分の金で飲んでいるのになんでこうなのか。無礼講という言葉はないのか。校長によっては酔った上での若い女教師へのセクハラまがいのこともある。平教師の分際でなんだというようなパワハラもある。馬鹿馬鹿しくて親睦会は抜けた。10年親睦会にいると退会の時餞別ということで1万円出る。年千円という勘定だね。同一校には長くても10年ぐらいしかいないからそういう規定になっている。ところが校長が退職などというと10万円ぐらい餞別を親睦会費から捻出するのだ。校長なんて2、3年しかいないわけだから、多くても3千円でいいわけだよ。こんな理不尽なことがまかり通るのだから、教師という同僚との付き合いはやめたわけだ。みんな上ばかり見ていて本音で語る奴がいない。本音を言うと校長に筒抜けだったりすることもある。だから飲み会も食事会も一切の付き合いはやめた。職場での挨拶と、会議での真摯な自己主張をするだけだ。これだけだと何の根回しもしてないわけだから随分と角の立つ生き方となる。もうそれでいいのだ。一人孤塁を守る、孤高の人というわけだ。

職場でのおしゃべりも身の上話に及ぶことが多く、面倒なので独身という事で通している。女性の職場特有のものだろうか、子供のいなくなった放課後は学年会や校内研修会などの会議中にお菓子を食べながら、やれ亭主がどうだとか、娘がどうだとかの身の上話になることが多い。学年会計と言って各自が月3千円ぐらいの会費を払い、会計係りを決めお菓子などを購入しているのだ。こういう慣習にも嫌気が差し、学年主任でありながら学年親睦会と称するこのお菓子の購入には参加していない。従って自分が主任を勤める学年は会議中お菓子は禁止。お茶だけとして、会議が終わってから休憩時間にどうぞという形にしている。休憩時間と言っても有形無実なのだが、一応3時15分から4時までの45分間、一斉に付与する事にはなっている。でも管理職や総括教諭などの管理側からして3時半から職員会議やら校内研修会を開催するのが常で、守られたためしがない。守る気すらないのではないだろうか。各学年主任にしても放課後はすぐに学年会と称してお茶菓子を学年に割り当てられている、本来は教材や書類を入れるためのロッカーから山のように持ち出し、おしゃべりが延々と続くのだ。従って個人の休憩時間は無い。自分の学年では会議の時間を極力短縮して個人の休憩時間を保証するよう努めている。自分としては極めて良心的に行動しているつもりなのだが、古手の女教師からは和を乱す者として、嫌がられているのだろう。そういう視線なりなんなりを感じる事はある。でも若い先生や、幼い子の保育園の送り迎えのある人には結構ありがたられている。学年を離れてから、先生と一緒の時は大変助かりました、ありがとうございましたと礼を言われる事が多い。先生が何もかもやってくださって、助かりましたと言われることも多い。大体の雑用は自分が引き受けることが多いからだろうか。普通何でもかでも若い教師に押し付けたり、持ち回りにする学年主任が多い中で異色の存在なのだろう。まあ変わり者、変人、奇人扱いされているわけだが、どういう理由で鈴木は今夜訪ねてきたのだろう。同学年だったのは2年も前の事だ。同学年だった時も個人的な付き合いはもちろん、一緒に飲んだり食ったりした事はない。学年会で自分が忌憚の無い教育論を展開することはあったが、それだけの事だ。

「お茶をお持ちしました。」

妻のちひろが気を利かして茶を出してくれた。ちひろは10年前まで教師をやっていたが、父母が被介護世代になったこともあって退職した。義理の父母は車で10分ほどの所に住んでいて、毎日のようにちひろは身辺介護のために通っている。今はそれが仕事みたいになっている。

「先生、私教師を辞めようかと思っています。片岸という男の子の事なんですが、つくづく嫌になりました。片岸さん(今の小学校では男女ともさん付けだ。自分のように年下の者を呼ぶときは君付けだ、女子だけ区別のためさん付けだと言う教師はいなくなった。)が嫌なんじゃないんです。」

「何かあったんだね。」

「片岸さんは授業中大声を出したり、立ち歩いたり、それはもう私の言うことなど無視しているような子でそれは本当に困っているんですけど、でもけっこうやさしい所もあるし、かわいい所もあるんです。先日木村という男子とけんかをしました。休み時間教室での事でして、女子が職員室に大変だと走りこんできたのであわてて仲裁に行きました。行ったときにはもう事は済んだ後でお互いに、にらみあっていました。互いの言い分を聞き、お互いに悪い所もあったので互いに謝らせ、握手をさせてその場は済みました。それは業間休み(10時25分から10時45分までの休みの事をそう呼んでいる)の事でして、その後国語や算数、5時間目は体育でした。二人とも元気だったし、そのまま家に帰らせました。それが私の落ち度でした。夕方も過ぎて8時をまわったころと聞いてます。職員室に電話が来ました。片岸さんの父親からでして、息子がけがをさせられたと言うのです。教頭先生が電話を受けてくださったんですけど、すごい剣幕だったそうです。左の二の腕にあざができていて写真も撮ったというのです。今からその写真を持って学校へ行くから担任と校長をそろえて置けと言うのです。校長先生は出張でいらっしゃらないし、私は自宅へ帰ってました。教頭先生からその旨の電話が自宅にあり、すぐに職場に戻りました。片岸さんの父親だけ9時に来ました。校長室で教頭先生と私が対応しました。

「おめえか、担任は。おめえ、年はいくつだ。」

「はい、今年で27才になります。」

「まだ若いから子供の気持ち、親の気持ちていうものがわかんねえんだろう。馬鹿じゃねえのか、おめえ。子供が痛がっているのになんで保健室にもやらねえで帰すのか。」

「お言葉を返すようですみません。でも5時間目は体育で片岸さんも元気にドッジボールをやっていたんです。そんなけがをしているようには見えませんでした。」

「だから馬鹿じゃねえのかと言っているんだよ。いいか、子供ってえのは、先生が恐いんだよ。痛くたって痛いって言えないんだよ。おめえが子供と普段からちゃんと付き合ってないから、信頼関係を作れてないから、子供ががまんして本当の事を言えなかったんじゃないか。そんなこともわからねえで教師をやっているのか。だから馬鹿だと言っているんだ。やめちまえ、そんな事もわかんねえなら。」

背広をちゃんと着込んでいる教頭が助け舟を出す。

「お父様のお怒りももっともです。まだ鈴木も教員歴が5年目でひよこでございます。配慮が足りなかった分幾重にも謝ります。これからが大事です。充分私どもでも鈴木に指導をしていきますので、長い目で見てやってください。」

「何をすっとぼけた事を言っているんだ。おめえはいくつだ。」

「恥ずかしながら今年で50になりました。」

「50といやあ俺より長く飯を食ってきたんじゃねえか。どんな人生を送ってきたんだおめえ。息子はなあ、今日けがをさせられたんだ。何を長い目で見てくださいだ。馬鹿じゃ

ねえか、おめえも。おい、この写真を見ろ。」

それはデジカメの写真だった。二の腕が赤く腫れているように見えた。

「証拠はあるんだ。息子は被害者なんだ。被害者に対してどうするのかわからないのか、教頭ともある奴が。長い目じゃないだろうが。」

校長室のテーブルを右手で真上からドンと叩きつけ、足でテーブルの足を蹴飛ばした。

テーブルはそのあおりで鈴木と教頭側に激しく押し付けられ、鈴木は腰を打ったとの事。少しあざになっているらしい。

「申しわけありません。長い目と言うのは手前どもの鈴木と片岸さんとのこれからの事でして、決して事をうやむやにする気持ちではございません。」

「じゃどうするんだよ。」

「え!何とか言えよ。こっちは被害者なんだ。」

「一応相手のあることでもございますから、先方の言い分もちゃんと調べてから対処させていただきたいと思います。」

「だから寝ぼけているんじゃねえ!と言ってんだよ。」

「こっちは被害者なんだから先方のガキをここに連れてきて謝らせるのが筋じゃねえのか。」

「はい。おっしゃるとおりでございます。でももうこの時間でございますから、明日私どものほうで責任を持って聞き取り調査をした上、お答えさせて頂きます。」

「だから寝ぼけているて言ってんだよ。時間も何も関係ねえじゃねえか。警察が夜だからって泥棒を逃がすのかって言うんだよ。」

延々このようなやり取りがいつ終わるかもわからぬまま続いたそうだ。

次の夜は校長も同席し、夜の9時から11時まで行われた。けんか相手の木村の親も怒り出し、謝罪する必要は無い、出るところへ出ていいと言い出し事は収拾がつかなくなる。片岸の親は医師の診断書も持ち出し、被害者だから保険は使わない、先方の弁償だと言い出す。それが余計木村の親の怒りを増長させ、事はどうにもならなくなる上、連夜の片岸の父親の糾弾が校長室で行われ性も根も尽きたという事だ。

 何かトラブルが鈴木の所属する4年生であったらしいとは感じていたが、事の報告は全体には無く、知らなかった。

 結局医療費は校長がポケットマネーから出して、謝罪の意味も込めていく分か上乗せしたものを片岸の父親に渡したらしい。校長は片岸の父親が帰る際、いつもドアボーイのようにドアを開けて最敬礼をしていたそうだ。

 子供との信頼関係が無いという事で、片岸の父親は鈴木の身辺調査を探偵事務所にやらせているとまで言ったそうだ。

鈴木は焦燥しきっていた。無理も無いだろう。理不尽なことだ。二の腕のあざだって本当に子供の木村のパンチのなせるものなのかどうか確たる証拠は無いのである。その場で鈴木が目視したわけでもないし、片岸が腕の痛みを訴えたわけでもない。よしんばそうであったとしても子供どおしのけんかではないか、そのような打撲があっても当然と思える。

自分が子供のころは子供のけんかに親が出るなんて大人として恥ずかしい事だった。子どもどおしが折り合いをつけ、また元気に遊びまわるのが常だった。ところが昨今は必ず教師が仲裁に入らなければならない。今回の鈴木の落ち度は本人も言っているようにけんかの後、保健室に送らなかったことだ。目視の上だいじょうぶだろうと思っても一応殴りあったわけだから送るべきだったのだろう。でも自分でもそう配慮したかと問われるとそこまではやらなかったと思える。だとしたら鈴木の落ち度などどこにもないのではないだろうか。探偵事務所を使って担任の身辺調査をやらせているなどの脅迫めいた言動など教師を精神的に追い込む所業であって許されることではない。

 一通り話し終えると鈴木の頬に涙があふれていた。

「校長も校長だな。相手の言い分はやくざと同じではないか。自分を被害者と認めさせて、ならどうするんだと恫喝してきたんだろ。ただ謝ればいいというのでは、君も辛かっただろう。」

「いえ、私の力不足なんです。普段から片岸さんと信頼関係が作れていればこうはならなかったと思います。」

「そんなふうに自分を追い込むのはよせ。客観的に見てみろよ。君にどんな落ち度があると言うんだい。君はちゃんとけんかの仲裁もした。その後の二人の様子から言って君に落ち度はない。一方的に木村という子が悪いわけでもないだろう。そんなに教師が全面的に頭を下げる事とは違うよ。校長や教頭は事なかれで済まそうとしたのだろうが、そのために君が指導力不足だとか不適格教員のようになるのはぼくにはがまんができないな。」

「先生、ありがとうございます。先生にそう言っていただけるだけでうれしいです。」

また鈴木の目に涙があふれる。

 その後いくつかのやり取りがあったと思うが、鈴木は深く礼をして自宅を後にした。

鈴木が急に来宅したのは金曜の夜であり、その後鈴木は登校しなくなった。自宅に電話しても鈴木の両親が出るだけで本人は出ないそうだ。自分は今年3年の担任で4年の鈴木と接点は無い。どうしたものだろうか。一度訪れてみようか。

 自分のクラスだってうまく行っているわけではない。毎日のように小競り合いがあり、そのつど仲裁せねばならない。それをしないと父母からの信頼を失い、不適格教員の烙印を押される事となる。自分が子どもの頃は大人は生活に追われていた。飯はかまどで炊かねばならない。洗濯はたらいと洗濯板だ。家に冷蔵庫は無いので毎日が買い物だ。子どもの面倒など見る余裕が無い。子どもは群れをなして遊ぶ。テレビなど無い時代だ。あるのはたまに神社の境内に来る紙芝居だ。勢い自分たちで遊ぶしかない。大人の介在しない子どもだけの世界がそこにある。子供どおしのトラブルは子供どおしで解決するしかないのだ。ルールを守らないものは仲間はずれだ。他に遊びの道具を持たない当時の子どもにとってそれは一番辛い事だった。だからけんかはしたが、ルールは守った。仲直りもした。それが子どもの世界で生きる術だったのだ。

 今の子はひ弱である。そのような環境が無い。常に大人が介在している。それは子どもの自立を妨げている。子どもの自己中心性を肥大させ、巨大なモンスターを生み出している。そのモンスターがすでに親になっている時代なのだ。モンスターがモンスターを生み出している。そんな世界で生きる教師の道とは過酷な物になるしかないではないか。

 善良で素直な鈴木が蜘蛛の巣にからみとられるようにその中に落ちていって身動きが取れなくなっている。自分はそれを黙って見るしかないのか。

 鈴木は片岸がかわいい所もあると言ったが、そこが問題だとも思えた。確かにどんな子もかわいい。親ならなおさらであろう。担任なら受け持ちの子のいい所を知っているのが担任としての特権かも知れぬ。だが、授業中大声を出し、立ち歩きをし、担任の指示を無視している子をかわいいだけでいいのか。やはりそこには指導する者指導される者の関係性が無ければ教育とは言えない。担任にそのような規律を与える権限、権威、威厳が無ければ無理なのではないか。片岸の父親はそれはおめえが信頼関係を作れてないからだと罵倒したそうだが、そういう保護者の下に育っている子に規律を求める事自体が不可能なことではないのか。鈴木にもし欠けている所があったとすれば、そういう規律を生み出す教師としての権威だったと思える。でもそれは鈴木に限ったことだろうか。鈴木を守れなかった、あるいは守ろうとしなかった校長、教頭。あるいは今の日本の教育界全体がそういう規律を生み出す教師の権威というものを軽視、ないしは無視しているのではないか。ならば鈴木のような教師が出てくるのは致し方の無い事だ。いくら人間として善良であろうが、誠意の塊であろうがそれだけでは、教室に規律を生み出すことはできないのだ。教師には権威が必要だ。威厳が必要だ。そうでなければだれがその声に耳を傾けるか。友達ではないのだ。対等の立場では無い。先に生きてきた人生の先輩という権威があるから先生ではないのか。

 そう考えるとこれはシステムの問題だと思えて来た。ひたすら頭を下げ、事なかれに尽力してきた校長の姿と言うものはすでに教師のものではない。単なる役人根性である。理不尽な要求を押し通そうとする保護者とその子に対して、出席停止などの権限を出す事が求められているのだ。テーブルを叩き、蹴飛ばすような行為が認められるべきではない。それらは恐喝行為として指弾されるべきだ。ドアボーイのように最敬礼するなど校長の行うべき行為ではない。校長として失格である。それらが真逆の物としてまかり通っている所にこの国の不幸がある。

 自分は深い悲しみの底に沈められた。なんとしてでも鈴木を助けなければならない。でも鈴木は今生の別れに我が家に訪れたのだ。こちらから出向いても何の事があるだろうか。

 

 鈴木の家は、小高い丘の上にあるマンションの一室だった。ヒルトップマンションという本当に英語でそう言うのか疑わしい名前だが、もう外壁がかなり古さを感じさせるものだった。今時のマンションだと入り口でインターフォンの許可が無いと建物そのものに入る事ができないのだが、昔のものなのだろう、鈴木のドアの所まで自由に行く事ができた。309号室。なんとなくエレベーターは避けて階段で3階まで上がる。何のアポイントも取っていないのだが、断られるならそれはそれでいいやと土曜の朝、訪れることにしたのだ。

インターフォンに出たのは、男性の声だった。

「桜山小の同僚の早川といいます。鈴木先生はご在宅でしょうか。」

「あ、娘はおりますが。今ちょっと聞いてきますので、すみません。少し待ってください。」

ドアは開けられることなく、待たされることとなる。一応職場の同僚なので取り次いではくれるのだろう。鈴木が登校しなくなってもう3ヶ月が立った。校長や教頭が訪問しても会わなかったそうだ。4年の学年団が訪問しても会わなかったそうで、打ち合わせで鈴木宅への電話や訪問はしばらくの間自粛するようにという校長からの話があった。対応は管理職一任という事だそうだ。しばらくして鈴木の両親が精神科医の診断書を提出し、療養休暇となった。代替え教員は年配の女性だった。臨時任用の経験が長いらしく、片岸や木村らを抱えながらなんとかクラス経営をしているようだ。あの騒動があったのは12月の事だったから、後一月乗り越えて学級編成まで持ち込めればこの女史の責任は果たされるのだ。片岸と木村は別学級に編成され、鈴木の代替えはこの女教師のまま続行するか、あるいは鈴木が復職するか、休職のまま離職するのか、いずれにしろこのベテランの臨時任用教員の働きで管理職はほっとしただろう。無責任な奴らめと思う。管理職とは事なかれではなく、いかに部下を守り育てるかが責務だろう。鈴木がこうなった一端の責任は管理職の対応にある。そんなことが頭の中をぐるぐる回る。3階の通路から隣の樹木がよく見える。公園ではなく、大きな空き地のようだ。草が地面を埋め尽くし、大きな木が伸びやかに枝を突き出している。いずれここにもマンションが建つのだろう。そうすると日照権の問題などが発生するのだろう。だが、それよりこの景色、空の広がりが見えなくなる事が寂しいだろうなと想像した。

「お待たせしました。どうぞお入りください。」

再び父親の声だ。

リビングに通され、両親と鈴木に向かい合う形で絨毯というかカーペットなのか、自分にはわからなかったが、座敷に座る形となる。目の前はガラス製テーブルで、強化ガラスなのだろう、下が透けて見える。その上に茶菓子が盆に載せられ、自分の前に蓋付きの湯飲み茶碗が用意されていた。いざこうやって向かい合うと何を話せばいいのかわからなくなってしまった。

「先生、ご心配をおかけして申し訳ありません。その上ここまで来ていただいて本当にすみません。」

「いやいや、土曜の朝に勝手に押しかけてしまってこっちの方こそすまない。どうしても自分の気持ちが収まらなくってね。」

「娘が早川先生なら、会いたいと言いましてね。こんなことは初めてなんです。医者に行く以外はずっと家に引きこもりでして、来ていただいてありがたいことです。わたしももう2年前に退職しまして、ぶらぶらしております。娘がこういうことになるとは夢にも思わなかったのですが。先生のお話は娘からいろいろ聞いておりまして、お世話になりました。」

「ぼくの自宅に来てもらったときにも話したのだが、ぼくはやはり君には落ち度は無い。君は教壇に立つ人だと思う。君は明るいし、こどもにも慕われている。図工や音楽などぼくの苦手な教科も君は器用にすべてできるじゃないか。教師という仕事はぼく以上に君には向いていると思うよ。こんなことで棒に振るのは実にもったいないと思うんだ。今年の4月から新しい気持ちで復職してみてはどうか。クラスも違うし、新しい出発ができると思うよ。今年の4月が無理なら、来年の4月でもいいじゃないか。」

「ありがとうございます。でもわたし、もう子供相手の仕事は無理なんじゃないかと思います。やっぱし向いてないんだと思います。先生と同学年の時、先生が体当たりで荒れている子どもたちを押さえつけていましたね。ああいう強さがやっぱし必要なのかと。わたしにはできないし、あの時は先生が前面に出てやってくれたからなんとかなっていたんだと思います。今回の事で身に染みてわかりました。」

「そんなことはないよ。ぼくのやり方がいいわけが無いし、君も知ってのとおりぼくは問題教師だよ。君には君のやり方で、君の理想とする教師像でやっていけばいいんだよ。その信念さえ持っていればやり方は違っても君らしい教師でいられると思うよ。」

言葉が続かなかった。もどかしい沈黙が続いた。

「先生ありがとうございました。今日はここまでということで。娘も自分の気持ちをよく話せましたし、いずれにしろまだ通院している身分でして。」

父親が助け舟を出す。ああ、迷惑をかけているんだなと思った。いきなり訪問して、説教はないだろうなあ。カウンセラーのように気長に話を聞いてやらなくっちゃ。でもそういう芸当は自分にはできない。自分のせっぱつまった気持ちを言いたいためだけに訪問したようなものだ。身勝手な話だよな。鈴木、力になれなくてすまない。

 再びドアの外の緑深き空き地を見る事となる。今度はエレベーターに乗って一階に下りた。

 

 結局鈴木が4月から復職することは無かった。自分は学校のようすや自分の教育への思いを月に一度のペースで手紙を書いて出した。ほとんど自分の事ばかりを書いた手紙で鈴木の今の様子を聞くような文面は無いようにした。返事は出さなくていいとそのつど書いたのだが、鈴木からも時折返事というか手紙が届いた。元同僚とはいえ、若い娘からの手紙は心躍るものが正直言ってあった。文面は通院のようすや、そこで知り合えた人との交流などが中心で今後の事については何も書いてなかった。それが今の鈴木の様子という事なのだろう。いつまでこんな文通のようなことが続くのかわからなかったが、それしか今できない以上続けるつもりでいた。学校は荒れていて、自分のような昔の教員は暴力教師とか体罰だとか非難されることが続いた。朝の挨拶運動の時の事だった。

 持ち回りで勤務時間前に登校して正門に立つ。登校してくる児童の列に

「おはようございます。」

と大声で元気よく、できればにこやかに何度も何度も、おそらく何百回もそれを繰り返すのだ。内心では、こんなこと教師の仕事かという思いはある。

大体挨拶とは群れの中で力関係を確認する行為である。猿でも狼でも群れで行動する動物はみな挨拶行動がある。朝起きたら群れの仲で一番にやる仕事がこれなのだ。これをちゃんとやっておかないと群れとしての統一性が機能しない。だれがリーダーで、自分は何番目に位置するのか、それをひとつひとつ確認する行為なのである。人間とてそれは同じだ。挨拶はこだまするとか、挨拶すると気持ちいいなどのキャッチフレーズはうそごとである。お父さん、お母さんへの挨拶と妹弟への挨拶は当然違ってくる。会社に行けば社長への挨拶と同僚や部下への挨拶は当然違うのである。学校なら生徒は教師に対して敬意を持って挨拶をし、友達には親愛の情で挨拶することになるのが自明の理なのである。ところが昨今はそうではない。こどもたちが挨拶しないから教師が率先して挨拶をし子どもに学ばせるというのだね。まず教師が挨拶する事で子どもは挨拶をするというのだ。そんな事があるものか。

今の子は気に入らない教師は無視である。仲間を見つけるとオッスだとかよう!などと大声で挨拶する。気に入らない奴だと殴るそぶりや脅すそぶりをするのが、彼らの無分別、肥大した自己中心性の挨拶なのだ。彼らに欠けているのは社会性であり、社会的認識である。そのような子にはなぜ挨拶をしなければならないかを教えなければならない。それは本来わが子が公的な場に行くときに親が教える、躾ける事柄なのだ。わが子が他人様にかわいがられるよう、きちんとあいさつするんだよ、ありがとうと言うんだよと教えるのが親の務めなのである。本来、教師の仕事ではない。だから親や地域の教育力がしっかりあった時代は学校の先生が校門で挨拶するなどありえなかった。先生に出会ったのに挨拶しなかったらげんこつである。家に帰れと怒鳴られ、なぜ帰ってきたかと親に理由を話せば、またげんこつを食らう時代である。近所のおじさんの前を素通りするだけでなぜ挨拶をしないとげんこつをくらった。だからおじさん、おばさんには必ず挨拶をしたものだ。よしんば先生を無視するなんてありえない事だった。

今の子は、通学路で安全のため黄色い旗を持ち、交通指導しているおじさんやおばさんにも挨拶しない。その苦情が学校に来る。おはようと声をかけても返事もしてくれない。学校ではどういう躾をしているのかと。でも学校の先生に対しても彼らは挨拶しないのだ。

自分は挨拶するだけでなく、帽子をかぶってない子にもさりげなく帽子はかぶりましょうと声かけをしていた。帽子の色、形は自由なのだが、日射から守ったり、転倒から頭部を守るためかぶることが強制されている。低学年の子は比較的よくかぶっているのだが、高学年になるにつれ、かぶらない子が目立つ。格好悪いと感じているのだろうか。でも低学年の子に示しがつかないし、高学年だから学校のルールを無視していいということにはならない、むしろ模範としてしっかりかぶって欲しいのだ。強面で知られる自分なので、さりげなく言うだけで大体の子は帽子をかぶる。かぶらない子は忘れたとか言い訳をする。まあそれでもいいのだ。一応こっちの指導には従うそぶりは見せているわけだからね。面と向かって逆らっているわけではない。こっちも面子が立つというもんだ。

背の高い6年の女子が自分を見つけると慌てて帽子をかぶった。まあそれでいいわけだが、帽子をかぶってなかったのは事実なのでさりげなく帽子をかぶりましょうねと声かけをした。それで事は済んだはずなのに、自分の背後から

「かぶってんじゃん!」

と大声で、これ見よがしに叫ぶ声がした。これは自分への挑発だと思い、

「かぶってないから、かぶってないと言ったんだ。うそは言ってない。」

と怒鳴り返し、彼女を見つけ確保し

「君は先生の前で帽子をかぶった。それまではかぶってなかったじゃないか。だからかぶりましょうと言ったまでだ。先生はうそは言ってないでしょう。謝りなさい。」

「はい。すみませんでした。」

これで事は済んだはずなのだが、そうではなかった。例によって放課後の電話である。

娘が体罰を受けたと言うクレームが保護者からあったのである。翌日教頭と女子の担任に会議室で査問される。正門前でいわゆる事件があったわけで、その時の正確な時間、立っていた場所、自分とその女子のですね。それから発言内容などを細かに聞かれ、メモされ、図にされて行く。何を持って体罰というのかがわからなかったのだが、自分が彼女を確保するのに彼女の腕をつかんだのが体罰というらしいのだ。何百人と昇降口に吸い込まれて行く児童の集団から彼女を見つけ、捕まえたのが体罰になるというんだね。もう馬鹿馬鹿しくなって、処分するならしてくださいと途中で退席した。翌日また会議室に呼び出される。教頭から

「児童を呼んでいるので、謝ってください。先生が謝りにくいなら私が代わりに謝りますから。」

と言われる。なんで大の男が代わりに謝ってもらわないといけないのだ。謝る必要があれば自分で謝る。謝る必要が無いから謝らないと言っているのだ。

6年の女の子が二人ぽつんと座っている。

話を聞くとどうやら自分に

「かぶってんじゃん!」

とこれ見よがしに大声で叫んだのは本人ではなくその友達だったとの事。そんな事、担任でもない自分にわかるわけがない。声は自分の背後から聞こえ、自分はその子の声を知らないのだ。状況から察して本人が言ったと思うのは当然ではないか。自分でなければその場でそう言えばいいことだし、友達が私が言ったんですと釈明すれば済むことではないか。それをせずに先生がまちがえたんだと言うのは筋違いってもんだ。大体校則である帽子着用を無視したこと自体が問題の本質なのだから、謝るべきは君たちではないのかと逆に詰問した。それを受けて子どもたちはわりと素直に謝罪した。これで事は済んだはずだ。教頭は何か言いたかったようだが、こっちにはもう関係ない事。

「これからは低学年の見本になるよう自宅からしっかり帽子をかぶってきてください。」

「はい。そうします。」

という言葉を受けてさっさと退席した。

 

 体罰教師、暴力教師などは、すぐにこうしてでっち上げられて行く。勢い何も注意しない、指示しない事なかれ教師が増えて行く。学校は自己中心性の肥大したモンスターが教師の権威など無視して(もっともはなから権威が無いのだが)学校内を闊歩して行く事となる。その行き着く先は、いじめ、学級崩壊、そして学校崩壊である。

教師にしたって自分はあの場面で謝らなかったから自己の良心を守る事ができたが、教頭の口車に乗せられて謝ったら暴力教師の烙印を押され子どもに頭が上がらなくなる。あの女の子たちに廊下で会うたびに卑屈になり、それは児童の間で口コミで瞬く間に広がるだろう。クレームをつけた母親は勝ち誇ったように地域で吹聴するだろう。自分は教師としての自信を失い、うつ状態になり、学級の児童も言うことを聞かなくなり、学級崩壊。

自宅を出ることができなくなり、鈴木と同じ運命となるのだ。今の管理体制の下ではだれもが学級崩壊、精神疾患の可能性がある。馬鹿馬鹿しい限りだ。校長や教頭の自己保身のために学校はあるのか。部下は捨石か。何でも謝らせ事を済ませればいいってもんじゃないだろう。教育の条理を貫かなくて何が学校だ。何が教育機関だ。笑わせるな。

 

査問といえば何度かそれ以外にも受けたことがある。

5月に教室移動している高学年のクラスの列の横を通り過ぎたら、大声を左耳に叩きこまれ一瞬鼓膜が破れたかと思った。振り返った時には、列は進んでおり、やられっぱなしで終わる。先日また同じ事をされ、振り返った時にだれがやったのかはわからなかったのだが、止まれと怒鳴ったらひるんだ子がいたのでお前だろうと言ったら、友達に言ったので先生に言ったんじゃありませんとうそぶく。首根っこをつかんでこっちに来いと列から引きずり出したら、すいませんと謝ってその場を終わらせようとする。謝らなくていいからなんでそんな事をするのか理由を言えと問い詰める。ふざけただけだと言うだけでなぜ自分だけにそういう事をしたのかの理由を言わないものだから問い詰める結果となる。翌日体罰教師として校長に査問を受ける。まあ首根っこをつかんだのは体罰に当たるだろう。それは覚悟の上だ。でも何の理由も無く教師をからかいの対象にする行為、心理というのは処分の対象にならないのか。自分の鼓膜に大声を叩き込んだのは個人的行為だが、他の連中も知らないわけではないのだ。この子がやりましたぐらいの注進はあっていいだろう。無いということはぐるだというわけである。よってたかって教師をからかいの対象にする心理とは、いじめに通じるものである。指導者である教師をいじめているのである。弱い子をターゲットにするなど朝飯前ではないか。

別の事件。

廊下でボールをついている男の子がいた。2,3人でやっている。校舎内でボール遊びは禁止だ。ボールは抱えたまま歩き、校庭まで運ぶ事となっている。事なかれ教師なら自分の担任の子でもないしトラブルになるに決まっているのだから見過ごす所だろうが、こっちは馬鹿ときている。

「廊下でボールをつくな。」

と声かけする。6年の男子だ。ところが無視なんだね、これが。こっちも頭に来る。

「ボールをつくなと言っているだろ。」

といってその男子の腕をつかんで目を覗き込む。まあ観念したのでしょうねえ。すなおに胸にボールを抱えて立ち去った。これで事は済んだはずなのだがそうはならないのが、昨今の子なのですね。

 それから自分が階段を歩いていると後ろでボールをドンドンつく音がする。曲がり階段で一階ごとに踊り場があるので、後ろを見通す事はできない作りになっている。それをいい事にからかっているのだ。降りていって確認しようとするとボールを胸にしっかりと抱えている。

「今ボールをついていただろう。」

「ついてません。ぼくじゃありません。」

直接見ていないわけだから、何の証拠があるんだというような不満げな顔で言われるとこっちもそれ以上は突っ込めなくなる。馬鹿でも、直接見てないのに状況証拠だけでお前だろうと決め付けて叱ると、保護者からの苦情、教師の謝罪という図式が頭に浮かんでくるのでやめとこうとなる。これが階段を自分が通ると繰り返されるわけですね。集団で自分の後をつけてからかっているわけだ。教師に叱られたことを逆恨みして、からかってやろうという心理はどこから来るのか。それは教師が首輪をつけられ、鎖につながれている犬と同じだということを知っているからだ。いくら凶暴な牙を持っていても鎖につながれている犬など怖くはないのである。自分たちは安全圏にいて大声でからかったり、石を投げつけたりして犬が怒りで吠え立てるのをおもしろがっているのだ。よく中学生や高校生がホームレスの老人を集団で襲って殴ったり、けったりして、最悪は殺してしまう「ホームレス狩り」という事件が繰り返されたが、あの心理と同じである。ホームレスという社会のどこにも帰属していない、つまりやられても守る人がいない、代わりに報復する親族や仲間がいない、そういう孤独でしかも老人という明らかに自分たちより腕力の弱い相手を集団でからかい、いじめるのが楽しいのだ。その事が例え殺人につながっても何の罪の意識も感じないのですね。もはや人間ではない。14才や15才の子どもがなぜこんなモンスターになってしまうのか。教育の成果ですよ。そういう教育を日本の教育界がよってたかってしていることの証拠なんですよ。

 からかわれている事がわかってから、さてどうしたものかと考えた。考えたが状況証拠だけではやりようがない。向こうは集団でやっているのだ。勝ち目は無い。かといって6年の担任に言ったって、向こうも迷惑するだけだ。きっと学年でも持て余している奴らなんだろう。放っておくか。

 3ヶ月ぐらいたった頃だろうか、またボールをドンドン突いている音が聞こえた。今度は上の階だ。つまり後をつけてやっているわけではない。駆け上がりつかまえた。

「見たぞ。今ボールを突いていたな。」

3ヶ月前つかまえて叱った子だ。そしてぼくは突いてませんとからかいの集団にいた子だ。こいつが首謀者だろう。

「すみません。」

謝るしかないだろう。こっちも謝っている相手の首根っこを押さえたり、頭をはたくわけにもいかない。もうするなよと怒鳴りつけるしかない。それで事は済んだはずなのだが、そうならないのですね、これがまた。

 体罰を受けたというのですよ。で、査問だ。総括教諭2名に呼び出され事情を説明させられる。腕をつかんだのが体罰というんだね。笑ってしまうよ。謝罪なんかしないよ、と総括教諭に宣言する。どうもこの子は6年でも問題児らしく、総括教諭は自分に同情的だった。夏休みのプール開放で、それは学校は場所を提供しているだけで管理は教育委員会がやっている。実際は下請けの民間会社がアルバイトの高校生や大学生を雇ってやっているわけだ。そこでこいつが、まあこいつのことだからプールの監視員の兄ちゃんの言うことを無視して勝って放題の事をしたらしい。兄ちゃんも人間だから、鎖につながれた犬とはちがうから、もめたらしい。力関係はおのずからわかるでしょう。それで母親に体罰を受けたと泣きつき、母親は教育委員会に訴え、教育委員会は下請けの会社に苦情を言い、会社はバイトの子に謝罪させたということだ。そういう学習をこの子はしているわけだね。そういう学習の積み重ねがモンスターを作るのですよ。ここで自分が謝罪したら、さらに学習を積み重ねる事になる。事の顛末は、総括教諭が同席する中でその子を呼んで自分が問いただす形で決着した。

 体罰は無い。自分が校則違反をした。その事実を本人が認めた。集団のからかいの点については認めなかった。こっちも証拠が無いのでその点はあきらめた。でもこの話し合いというか問い詰めが脅しにもなったのだろう、それ以後自分へのからかいはなくなった。

 

 もう一つ。これも6年の男子だったが、自分がサッカークラブの顧問をしていた時の事。クラブといっても授業だから最初に点呼を取る。4年生からクラブに入れるので4年、5年、6年の3学年が所属するのだ。何年から点呼を取るという決まりは無いが、自分は4年生から順番にメモを見ながら点呼を取っていた。そうするとこいつは自分の番でも無いのにはい、はいと返事をするのだ。お前の番じゃないだろ、人が呼ばれているのに返事をするなと一喝したのだが繰り返すのだね、これが。どういう心理なのだろう。教師をからかっているのだ。いいかげん頭にきたので、なんだお前の態度は。返事もまともにできないならクラブはやらない。ちゃんと返事ができるまで何度でもやり直すからなと宣言する。それから、気をつけ、休め、前へならえの集合整列練習を繰り返す。一人でも従わない子がいたら、サッカーゲームはやらない決意だ。こっちの気迫に押された事もあるだろうし、サッカーゲームがやりたくて入ったクラブだ。全員が真剣に従っている。こいつも仲間にこれ以上迷惑をかけるわけには行かない。神妙にやっていた。反省が見られたのでゲームをやらせる。これで事が済んだはずなのだがそうはいかないのですね、これがまた。

 後日そいつの担任に母親からクラブの顧問から体罰を受けたという苦情の電話があり、担任が自分には何も言わずに直接校長に体罰があったそうですとご注進に至る。放課後校長室に呼ばれて教頭も同席の下査問される。何も手を出してない、怒鳴りつけただけだ。いくら注意しても教師へのからかいを繰り返すから怒鳴りつけた。それ以上の行為は一切していない。信用できないならサッカークラブの子に聞いてもらえばいい。自分の弁明としてはそれ以上言うことが無いのだが、こんな簡単な弁明では納得できないようで30分以上もぐちぐち話を蒸し返される。結局体罰の事実はどこにも無いのだからこれでこの件は落着した。出世を考えている教員ならこの時点で事なかれ教師に転向するって。馬鹿だから自分は転向しなかったが。思い出しても腹が立つ。その6年の男子にも腹が立つし、息子の話を鵜呑みにして、電話一本で蕎麦屋の注文みたいに片付けようとする母親にも腹が立つ。同僚の俺に一言も相談せずに体罰があったそうですと管理職にご注進した担任にも腹が立つ。部下の言葉を信用せず、ぐちぐち説教を垂れる管理職にも腹が立つ。いっそ辞めちまおうかとも思ったが、生活があるのでね、金が必要なのだ。

 こまごまと思い出すと切りが無いのでここらで打ち切るが、実際やり切れない思いに至る事が山ほどある。生活のためだと割り切って働いてはいるが、信念を曲げる事はできない。だから一生平教員だね。

 

小学校の仕事は秒刻みだ。気の休まるときがない。昔と違って教師がしゃべっているときに黙って聞くということはない。話しているのに関係ないおしゃべりを大声でする。それがあっちでもこっちでもとなると教室は騒然としてくる。話しているのに、

「先生!足がかゆい!」

なんてことはざらにある。なぜかゆいのか、昨日蚊に刺されたという。でもそれが授業中の今、教師が話している今大声で訴えることなのか。訴えたところでどうなるのか、それを想像する力に欠けている。こんなことで一々保健室に送るわけにもいかない。もうちょっと我慢しなさい、どうしてもというなら次の休み時間に保健室に行って相談しなさいとなる。休み時間に行ったためしがない。まあ、かわいいといえばかわいいのかもしれないが、やはり社会性の欠如、自己中心性の肥大だと思う。もう赤ん坊ではないのだ。言いたい事を言い、やりたいことをやるというのでは社会活動にはならない。我慢も必要なのだ。

丸付けをやる。算数の計算プリントの時もあれば、漢字の小テストの時もある。一人一人まちがいを訂正し、正解を朱書きする。きちんとやり直してくれば褒めて満点をやるのだが、これがなかなかやり直しをしない。面倒なのだろう。何も書き直しをしてないものを平気で突き出してくる。はやく丸をつけろと言わんばかりだ。

こちらが懸命にチェックしているのに、ポケットに手を突っ込み近くの子と雑談している。まず丸付けの前に、先生に出すときの礼の仕方を教えなくてはいけない。

先生に出すときは、

「お願いします。」

て言ってください。誤りを指摘してもらったときも教えてもらえたのだから感謝の気持ちで、

「ありがとうございます。」

て言ってください。先生に物を出すときは両手で、受け取るときも両手で受け取ってください。片手でひったくるように取るのは失礼です。待っているときは黙って気をつけです。おしゃべりしながら待ってはいけません。お願いします。

 これを日に何度も何度も繰り返すのだ。その内大半の子は礼儀正しくなるが、

「なんでだよう。」

「どうしてだよう。」

という自己中心性肥大の子はいつまでたってもあらたまない。ここでげんこつでもしようなら体罰教師として問題になり、保護者が怒鳴り込む事態となる。かといって放っておくと他の子も同調するようになり(人間易きに流れるのだ)学級崩壊となる。時には首根っこをつかまえて、教室の前とか後ろとか横とかに立たせることになる。まあ、首覚悟の行為である。

 業間休み、昼休みは打ち合わせがある。ない時は自由だが、たまには子どもたちの遊ぶ様子も見ておかなくてはならない。見なくても向こうから○○さんがボールを屋根にけりあげたとか、けんかしているとか職員室に駆け込んでくるから、行かざるを得ない事になる。

 やれやれ、給食だ。40人分のスープが入っている食缶を配膳台に載せるのは危険。かなりの仕事をこちらがやる。盛り付けもわかるはずがない。こちらが盛り付けの見本を作って教える。こっちだってわかるわけがないから、できるだけ少なめに盛り付けをする。余ればお代わりさせれば済むが足りないとやっかい。盛り付けた子の皿から少しずつ回収することになる。これは時間がかかるのでできるだけ足りなくなる事態は避けようと努力する。だから初回盛り付けを教えただけではだめで、何度も見本を守っているかチェックをする。なかにはえこひいきで盛り付けする悪童もいるのでそのチェックも必要だ。

 それだけではない。盛り付けしている間に、おしゃべりぐらいならいいが走り回ったりけんかが始まったりするとその仲裁もしないといけない。頭ごなしに叱れないのでこの忙しい時間に一々言い分を聞いて仲裁しないといけない。体が二つないし、三つは欲しいところだ。

「いただきます。」

食事が始まると大急ぎで自分の分はかきこむ。お代わり役をしないといけないからだ。子どもに自由にやらせる教師もいるが、それでは弱肉強食の世界となる。なんでも公平が必要なのだ。それだけで済めば楽だが、中にはスープをこぼしたり、食器を割ったり、果ては吐いたりすると食事中にほうきやちりとりで後片付け、ティッシュとゴミ箱で始末ととても自分の食事どころではなくなる。おまけにこんなときに限って、

「緊急放送。至急先生方は職員室にお集まりください。」

職員室に行くと

「下半身を露出した30台の男性が午後10時ごろ○○町方面に出ました。児童に確実にご指導ください。」

なんていう不審者情報だ。こんなの、管理職はちゃんと職員に伝えましたからねというアリバイ工作だよ。教室に戻ると大騒ぎだ。それを

「今騒いでる人は昼休み取り上げますよ。」

と一喝して今度は食器の片付けとなる。

 

 給食が終わったら昼休み。先に掃除をやる学校もあるが、食事後は休息を与えないといけないという理屈で昼休みの学校が多い。でも昼休みに走り回っているのが実情なので、健康のためには掃除の方がいいのかなとも思える。

 問題はこの掃除時間だ。校長には授業中校舎内をうろつくのはやめてぜひ掃除時間に校舎内を見てもらいたいと思っているのだが、大体校長室にいるのですね、どの校長も。校長が出てくるのは授業参観か、休み時間に子どもと遊ぶかどちらかで掃除指導をする校長はいない。見ることも無い。でも子どもの本性が一番表われるのがこの掃除時間なのです。おしゃべりするぐらいはかわいいもの、走り回るは、ほうきは振り回すは、ぞうきんは天井に投げつけるは、やりたい放題ですよ。自分は掃除指導は徹底してやっている。教員生命をこれに賭けている。まずおしゃべり禁止。授業と同じだという理屈です。だから私語は一切禁止。座るのもだめ。ぼくが巡視している時にぞうきんがけしているとか、ほうきがけしているとか、何かしてないとだめです。

「○○は働いてない!」

と必ず名前を出して叱ります。中には言っても無視する輩もいるのでその場合は首根っこをつかまえてもやらせます。ほんと首覚悟です。これで自分のクラスはまじめにやっているのですが、他のクラスはひどいものです。同学年ならつかまえて叱り飛ばしますが、他学年だと、親に泣きつく、親から体罰だと苦情の電話、校長室での査問という一連の流れが目に浮かぶので、情けない話だが放っておく事にしてます。それでもあまりにもひどい時は馬鹿なので口や手がでます。それでやれ体罰教師だ、暴力教師だという騒動に発展するわけですね。まあそんなこんなで一日がやっと終わる。放課後だ。こどもが帰ると何十年もやっているのだけど、やっぱしほっとしますね。でもこれからがまた大変。苦情の電話なのだ。ぼく自体はあまり苦情の電話は無いのだけど、若い先生など、苦情というか相談というか30分も40分も電話を握り締めてます。放せないんだね、途中で話を切れないんだね。かわいそうなもんだ。こんな毎日が繰り返されるわけだ。もちろん相手は小学生。見た目はどの子もかわいい。性格もかわいい子もいる。大体がかわいい。幸せな気持ちに浸れる事もある。だからやっていられるとも言えるがそうでもない事もあるのですよ。そこの所を教育現場は発してない。そこの所を教育ドラマは描いてない。だから鈴木のような教師が出ても世間は理解できないのだと思う。ぼくには痛感できるのだ。だれでもが鈴木になる。自分だって鈴木になる可能性はある。今まで幸運だっただけかもしれない。ぼくだけが信念の人、意思の強い人というわけじゃないのだ。だれが鈴木になってもおかしくない現場の実態なのだ。

 

 結局次の年の4月になっても鈴木は復職しなかった。久しぶりに手紙が届く。今は老人ホームのボランティアで働くことになって、いずれは介護士の国家資格を取り、介護士として正社員になりたいと綴られていた。まあ、それもいいかも知れない。教師だけが人生じゃないだろう。介護士、りっぱな職業じゃないか。自分だって人生回り道をして教師になった身分だ。人の事をああだこうだと言える立場じゃ無い。でもやっぱりもったいないと思った。鈴木は器用だった。図工も音楽も体育も何でもできた。校内研修の公開授業だってりっぱにこなしていた。教員としての適性にすぐれているのである。汚い話だが給料だって介護士と公立学校の教員では随分ちがう。正社員になれても介護士の給料とは生活保護のレベルとそう違わないのではないか。有能でやる気にあふれている若者が介護の現場から続々離職していると聞く。食えないのだ。安月給で結婚もできない。結婚はできても子どもを生み育てられない。だからせっかく取った国家資格を捨て他の業種に再就職するらしい。鈴木への返書に金のことを書くわけにもいかなかったが、もう一度考え直してはどうかと書いた。君には教師としての才能と適性があると。

 

 火の粉は自分の身にも降りかかった。3月の末である。来年の希望調書が配られる。

第4希望まで書くことになっている。小学校は6学年あるので第4希望までとなると半分以上の学年を希望する形になる。これでは希望を取るという体裁になっていないと思うのだが致し方ない。自分はもう30年以上も学級担任をやって来た。1年から6年まで一通りの事はやった。来年は何年生の担任になるのだろうか、今年と同じなら勝手もわかって都合いいやぐらいの事しか考えてなかった。ところがである。古手の同僚が

「早川先生は専科を希望したんですか。」

というのである。専科とは音楽とか図工とか家庭科とか特定の教科のみ教える事である。高学年ともなると全教科教えるのは正直しんどいし、低学年と比べると持ち時間も多い。で、専科教員なるものが理科とか音楽とかを持ってくれるわけである。その時間は担任は空き時間となる。自分は専科の経験が無い。希望したことも無い。なぜ第4希望にも無いものを自分に押し付けるのか。信じられない話だったが、その同僚は情報源を持っているのだろう。早い話校長となあなあの仲なのだろう。

 校長に問いただす。小学校の教員ならなんでも教えられるはずですという木で鼻をくくったような答弁だ。そんな事を聞いているのでは無い。なぜ希望もしない専科を押し付けるのか、それを聞いているのだ。口頭では埒が明かないと思い、文書で通告する事にした。以下、その文書。

 

3月16日金曜日放課後、校長室に呼ばれる。

「教科担任をやってもらう。理由は親睦会に入っていないこと。地区研究会に入ってないこと。これから考えを変えて入るというなら、学級担任に戻してもいいけど。そうでないなら教科担任をやってもらいます。」

という宣言だった。ある同僚から火曜の放課後、

「早川先生は教科担任を希望したの。」と言われ驚く。校長に来年の人事の打診はあるんですよねとその直後申し入れる。打診はするよとの返事。自宅に帰り悩む。

 自分は学級担任を第一希望から第四希望まで記入して希望調書を提出した。教科担任の希望などまったくしてないのである。希望調書に記載してない人事をするなら事前に説明なり説得があるべきだ。水曜の朝校長に「教科担任は希望してません。」と通告する。「先生には教科担任をしてもらいます。だれでもどの教科でもできるはずです。」と言われる。

 担任を外す理由はわからなかったし、それは人事権の無い自分にはどうしようもない事だ。教科担任を断ることはできないだろうと思う。でも専科として得意でもない図工や音楽、家庭科などを高学年の子に教えるのはいやだと思う。理科や社会ならまあ人並みの事はできるだろう。それなら受けよう。図工や音楽、家庭科などをどうしても教えろという事なら退職しようと決意する。そのつもりで校長室に入ったものだから、当初考えていた事、つまり理科や社会の専科なら受けます、それ以外なら退職しますという条件面の交渉になってしまった。でも自席に戻り考えると、担任外しの理由が上記の2点である事が気になってきた。これは思想差別ではないか。他人の思想信条を人事権で踏み絵のように押しつぶすものではないかと思えてきた。考えを変えるなら学級担任の希望を入れるけど、考えを変えないなら希望してない教科担任にしますというのはいやがらせではないか。

 本来人事とは教師の希望や適性を尊重して適材適所に配置する事だ。それが子どもの教育にもよい影響を与える。親睦会に入ってない、地区研究会に入ってないから希望してない教科担任にさせる、考えを変えるなら希望通りの学級担任にするよというのは、人事権を盾にしたいやがらせだ。親睦会に入ってないのは前任校からだし、地区研究会に入ってないのは20年近く前からの事だ。今までそれを理由に処分された事も、学級担任を外された事もない。赴任してきて1年目の校長が上記の2点で学級担任外しをするのは、自分に対する個人的報復だと思った。だったら、校長の言う通りに教科担任を受けるのは、人としてまちがいだと思ったのだ。闘う決意をする。

 1 教科担任を受ける上での条件闘争はしない。

 2 第四希望までの中のどれかにしてもらう。

以上の要望が通らなければ、民事裁判を起こす準備をする。

校長が人事を強行した場合、4月からの専科授業はやらない。自己都合退職の手続きを取る。校長に対し退職に至った精神的苦痛、経済的損害を求める民事訴訟を起こす。

文責 早川

 

 

 

校長は考え直したようだ。専科の話は無くなった。いったんは退職することを決意したのだ。体育の授業だった。子どもたちは鬼ごっこに夢中になって走り回っていた。自分は青い空を見上げ。そして白い校舎に目を移す。もうこの校舎に来ることも無い。こうやって子どもたちと授業をする事も無いのだと思った。ぶざまな終わり方だ。自己都合退職である。そして民事訴訟。勝ち目は無い。惨めな教員生活の終わり方だ。校長を敵に回す事は同僚をも全員敵に回す事になる。石を持って職場を追われるようなものだ。でもそれもいいだろう。それも自分の生き方だ。そこまで覚悟を決めたのに校長の身勝手な翻意で白紙に戻る。まったく、部下の事をなんだと思っているのだろう。自分を何様だと思い上がっているのだ。報復なんて事は考えてはいないが、決して許さないと思った。

 地区研究会なる組織は会費徴収を行っている研究団体だ。顧問に校長、教頭を据えているが会費を取っている以上は任意団体。それに対して市が補助金を出しているという形だ。でもだれもが仕事と思って参加している。PTAと同じだね。自分も若い頃は参加していたし、研究会の部長、理事を務めたこともある。公開授業も何度もやった。大体皆自主的に参加している体裁を取っているのだが、公開授業者にはなりたがらない。指導主事の指導助言が待っているからね。文部省、指導主事に褒められるようなりっぱな授業をやらなくてはならない。荷が重いのである。果てはジャンケンで決める始末だ。ジャンケンでやるぐらいなら自分がやりますと何度も引き受けてきたわけだ。でも会費を払う事は、好きでやっているわけじゃないのだからおかしいと思って途中でやめた。会費納入を拒否したのである。でも決定的な事件はそれではなかった。自分が公開授業者になった時、地区研究会事務所から会費を払わない者を授業者にするのはいかがなものかという横槍が入ったのである。まあ言い分としてはごもっともである。でもそれならそれで年度当初からそう言やぁいいのである。それを発表直前に言ってくるからもめた。公開授業者を降りる事に異存は無かったのだが、その代わりを同学年の新任の教師に押し付けて来たのだ。それはあんまり無体というものでしょう。校長、教頭、地区研究会事務所を相手にけんかする事となる。結局学年公開という形でその新任の先生の負担に極力ならない形で収めたが、こっちの腹の虫は収まらなかったので、以後公開授業はもちろん、地区研究会への出張も何も全て断る事となったのである。まあついでにPTAもやめれば首尾一貫するのだろうが、そこまでの度胸は無い。ただ休日のPTA行事には参加しない。学年主任なのに参加しないのは異端の徒という目で周囲には見られているらしい。24時間働けるか。

 

 自己都合退職という切れ方をせずに済んだ。妻のちひろは同情的で無理に仕事を続けろとは言わなかった。それでも夫が定年退職前にぶらぶらする事になるのは心底困ったのではないか。そういう妻の心を思いやる余裕も失っていた。蓄えは多少あるとは言え、民事訴訟を抱え、無職無収入の道を歩むのだ。年金が満額支給されるのは65才からである。破れかぶれと言ってもいい決意だったのだ。あれからまた秒刻みの生活を繰り返している。見た目はかわいい子どもたちである。傍から見ると楽な商売と見えるのだろう。でも決してそんなことはないのである。加齢による腰痛、膝の痛み、目の黄班変性の疑い、もう満身創痍である。毎朝、毎夕サプリメントを飲み、整体に通いなんとか仕事をしている。鈴木の帰りを待つのだ。一人でも昔の同僚が職場に残っている方が帰りやすいだろう。

 

 鈴木から手紙が届いたのは、寒い11月の夕方だった。

「早川先生、ごぶさたしております。いつも暖かい手紙をありがとうございます。学校の様子や先生のご活躍、ご苦労がよくわかり、また先生の文面がユーモアでおかしくもあり、楽しみに読んでおります。介護士になる事は再考します。もう一度教職に挑戦しようと考えました。だめでもともとですから。もう一度学校に戻り、せいいっぱい努力してそれでだめだったらまた考えればいい。そう前向きに考える事ができるようになりました。」

 

 鈴木が復職した。それは休職して丸2年が過ぎた春だった。担任していた子どもたちは卒業した。それも彼女の肩を押す事になったのだろう。復職した鈴木と特に話す事も無かったが自分はうれしかった。自分は今年退職する。もう3ヶ月で60になるのだ。公務員は60の誕生日を迎えた日が退職の日ではないので、正確には来年の3月となるのだが、気持ち的には今年退職である。最後の遠足、最後の夏休み、最後の運動会だ。鈴木は1年生で自分は6年の学年主任だ。

 さて今年はどうしたものか。鎖につながれた犬という境遇にちがいがあるわけではないが、最後の年だ。思いっ切りやってやろうじゃないか。

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございます。これはあくまでも小説であって、作り話です。従って特定の人物や事件とは何の関係も無く、事実ではありません。