パソコン終息宣言

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 行きつけのリサイクルショップでジャンク品(要するにスクラップです)のカラープリンターを見つけた。4年前に買ったエプソンの510Cだ。テストプリントはできたと書いてあった。300円だ。マックを2階の書斎に持って上がったのでプリンターがないのだ。エプソンの
510Cはミレニアムに取られた状態になってしまっている。
 しばらくはマックとウインドウズでこのプリンターを共有していたのだが、MO、外付けCD−R、スキャナなどを買っていたら狭くなってしまった。なんせマックのデスクトップがもう1台並べて置いてあったのだからね。
 それでパワーマックの方を書斎に持って上がったわけです。クラシックのマックはプリンターを共有してもできる仕事が限られているので、このプリンターはウインドウズ専用になってしまったのですね。あーくどくどと説明してしまった。
 とにかく買った。使った。動いた。当たり前か。カラー印刷もできた。720dpsだから十分きれいだ。最新のプリンターに比べると落ちるけど十分きれいだ。
 このパワーマック自体が中古で4万だったのだから、中古アベックの誕生だ。祝、乾杯、後何か言葉がないかね。とにかくうれしかった。めっけもん、当選、果報者、いろんな言葉が該当するね。



 この回で何を言いたいかと言うと、パソコンは湯水のように金を使うという事です。
職場にパソコンが導入されてから紙が膨大に消費されるようになった。昔は元の原稿は大事にフアイルしておいて、訂正は消しゴムや修正液でやっていたものだ。印刷も元原稿を機械に読みとらせて(これが時間がかかる)できあがったやつを輪転機に押し当ててやるものだから時間はかかるし、手は汚れる。紙を大事にするというより紙を消費するのに時間がかかった。
 今はデジタル保存だから試し印刷をして気に入らなかったら気楽にポイ捨てできるわけですね。印刷機もコピーと操作が変わらないから気楽に大量消費できるわけです。時間はかからないし、手は汚れない。いつでもすいすいみんなで大量消費だ。このところの環境教育の影響で紙のリサイクルや裏面印刷などの運動も進んでいるけど、元の体制が紙の大量消費なのだから矛盾を感じるよね。おまけに拡大コピー機まであるものだから
模造紙大の紙印刷が簡単にできる。ぼくは年に1,2回ぐらいしか印刷しないけど、好きな人はばんばんやっている。一度手に入れた便利さを捨てるのはできない相談かもしれない。でも本当にこれを印刷する必要はあるのか、みんな考え始める必要はあるんじゃないかと思う。牛乳の紙パックもそうだ。リサイクルと称して回収運動しているんだけど、ビン牛乳にすればすむ問題だと思うんだ。何か変だね。
 パソコンのパージョンアップもそうだ。次から次に新発売だ。持っているソフトもハードもどんどん時代遅れになる。でも、新発売につき合う必要はもうないんじゃないか。マックもウインドウズもXなる新商品を出している。最終兵器みたいな感じだが、でもきっとこの先も新発売は続くよ。それが資本主義なのだから。それはいいとして消費者である私たちがいつまでもつき合う必要はないんじゃないかということです。自分が使いたいソフトが使えるハードがあればもういいと思うのです。バージョンアップて企業のためにあるのであって、消費者のためにあるわけではない。
 新しいソフトやハードが出るたびにその修得に時間をかけるのは無駄な事じゃないかと思うのです。まあそれが趣味だという人は別にして。



 マックのクラリスは写真の取り込みもできるし、表計算もデーター管理もできる。気に入っているのだが、職場には無い。一太郎を使わざるを得ないし、三四郎も扱わざるを得ない。でも使いたくないんだよね。好きじゃないんだ。一応一通り使えるようにはなったが、おもしろくないものを感じる。文章なんて何だっていいと思うんだよね。ワープロだってクラリスだって何だっていいじゃないか。パソコンが仕事なら別だけど、ぼくらは小学校の教
師なんだから。手書きだっていいと思うんだ。それが一太郎や三四郎を使わないといけない状況に追い込まれているのが理不尽な事だと思うのだ。
 職場の中にわけのわからないソフトが導入されて、それを使えない教師が肩身の狭い思いをしなくちゃいけないなんて馬鹿げた事だ。
 ぼくはデジカメがおもしろいし、ゲームもかつてははまった事があったし、ホームページも立ち上げてしまったけど、別にそんな事ができなくても、関心がなくても教師の資質とは何の関係もないじゃないかと思うのだ。世の中がパソコン一色になっても教育の世界には必要な事ではない。あってもいいゆとりぐらいの存在だと思うのだ。
 そのゆとりのために行政はいくら使っているのだろう。パソコンルームのパソコンもバージョンアップで入れ替えだ。昔のハードはゴミとして破壊される。ドスのソフトはフロッピーのままパソコンルームのロッカーに眠っている。使えないわけじゃない。子どもに不人気だったわけでもない。現場の教師がバージョンアップを要求したわけでもない。少なくてもぼくはそんな事を要求した事はない。
 現場の教師としては、トイレの掃除を時々業者にやってもらいたい、教室にせめて扇風機が欲しい。音楽室に連結のオルガンが欲しい。図書館にもっと本が欲しい。それらの要求はいつも予算がないのだ。それに比べパソコンは冷暖房完備だ。バージョンアップだ。
何か変じゃないかね。バージョンアップをしてもらいたいのは他の部分だ。
 300円のプリンターで喜んでいるのは確かに変人かもしれないが、ぼくは今ある物を大切にしたいと思うのです。機械の寿命をまっとうさせたい。昔の機械でもソフトでも十分働けるのだ。自分がだんだん昔の教師になっているからそう思うのかもしれないが。
 黒板とチョークと生の人間のしゃべりのプレゼンテーションが一番環境にやさしいし、子どもに伝えるものがあると思う。
時々、テレビを見せたり、ビデオを見せたり、デジカメでスライドショーを見せたりはするけどね。でも主役は黒板とチョークです。そして何より自分です。そう言える自信がなければこの商売はできないです。そのために教師は日々研修を積んでいるのです。
 デジカメと言えば、今使っているのはソニーのマビカだ。気に入ったのは過去の記憶媒体になりつつあるフロッピーが使える点だ。
 一枚のフロッピーになんと30枚も写真が入る。35万画素だが、ホームページに載せるにはこれで十分。世の中は今や300万画素はおろか500万画素まで超えているようだが、所詮バブルジェットプリンターでは出来映え、保存性共に銀塩写真には敵わないのだから意味の無い事だと思う。
 最近はカメラショップでデジカメの印刷もしてくれるそうだ。これだと銀塩写真並の出来映え、保存性も可能だそうだが、値段は当然かかるし、自分で印刷する楽しみはないよね。
でもいいかもしれない。やはりプロはプロの技術を持っているからね。でもそれって銀塩カメラを使っているのと変わらないんじゃないかとも思うんだけどどうなのだろう。
 またまた話がそれている気がするけど、要するにぼくはXには行かないという宣言です。マックでもウインドウズでもXには行かない。パソコン終息宣言です。