教室日記
2001年4月5日 今年は3年生の担任だ。新採用の頃に受け持ってからもう何回目だろう。ずいぶんたくさんやってきた気がする。 昔は3年生と言えば、新米教員の受け持つ最もやりやすい学年と思われていた。まだすなおだし、低学年ほど手はかからないし、やりやすい学年と思われていたのだ。でも、今やそんな事はどの学年でも言えなくなった。 どの学級にも自己ちゅーじとも言われる自己中心的超わがままな児童がいるからである。保護者にしても自分が新米の頃の教え子が親になってきている。保護者自身が超自己中心な人もいるのである。 不安な中、学級開きだ。 何度か、入学式と始業式を別にしてもらいたいと管理職に要求を出した事があるが、通らない。学校独自というのはだめで、足並みを揃えるためだろう。 4月6日 4月7日 遠足の下見だ。6人も乗せて自分のワンボックスカーで出かける。教員の駐車を認めない市教育委員会なのにどうしてこういう時はマイカーなのか。釈然としない。 4月13日 箸のテストをする。やはり2割ぐらいしか正しく持てない。毎年どの学年を持ってもそうだ。箸なんて3歳ぐらいで身につける生活力である。親としてしつける事である。なぜ小学校の給食で指導しなければいけないのか。親が子供と闘っていない。感情的に叱る事としつける事は違う。乱暴な親が増えている事としつけのできない親が増えている事はつながっているのだろうか。ひとりひとりていねいに教える。箸が持てれば鉛筆も正しく持てるのである。その基礎がないために鉛筆の持ち方もおかしい。雑巾の絞り方も教える。姿勢もだ。何もかも新しく教えて学級がその姿を見せ始めてきた。 4月23日 かけ算九九ができない。完全におぼえている子は10人ぐらいだ。98点ではだめなのである。ひとつでも不正確な所があるとずっとつまずく原因となる。繰り上がり、繰り下がりの10回足し算、引き算にも取り組まねばならず、1,2年の課題を持ち越して進級している子が多い。算数だけは徹底して取り組まないと次の学年の教師も苦労するし、何より子どもの勉強嫌いの原因となる。基礎基本の徹底とはこういう事だと思う。生きる力の育成などと大上段に構えるより、こういう地道な努力をもっと評価すれば 勉強嫌いの子は減ると思うが、教育界の意思統一のできない所なのだろう。 4月29日 連休に入る。金曜の夜は歓送迎会だったが、午後発熱する。早退の子や保健指導、生活指導など三つも同時に並行して行わないといけない事が突発し、一階と三階を何度も駆けめぐった事が風邪をひどくしたようだ。帰りに病院に寄り、薬をもらうが熱は39度もあり夜の会は欠席するはめになる。それでも午前中はこどもたちとキャベツについたモンシロチョウの卵を観察するなど楽しい授業ができた。自分の指導が通るようになり、それなりに集団としての規律と意識がついてきた気がする。自分のクラスらしくなる。これで1年間やるぞという見通しが出てきた。 |
10月10日水曜日 昨夜録画しておいた田村正一主演の「さよなら小津先生」を見る。底辺校の高校教師の生活だ。授業中に紙飛行機を飛ばしたり、携帯電話をかけたり、菓子を食ったりそんな無軌道、不遜な高校生の集団だ。何しに学校に来ているのだ。社会に出て働けと怒鳴りたい。大人に対して働きもしない身で対等な口をきく、この子らを見ると言いようのない怒りが湧いて来る。 思えば、自分の23年間の教師生活はこういうわがままで生意気な子たちとの軋轢の歴史だった気もする。それだからこそ、定年まで働ける気がしないのだ。どこかで自分が切れるか、首になるかそんな結末しか予想できない。とても無事定年まで働きおおせる自分の姿が浮かんで来ないのだ。そう言えば今日、教頭が平成13年度に君が代の指導を先生はしますかと一人一人聞いて回っていた。自分は今までした事もないし、今後もする予定は無いと答えておいたが、指導するという丸印がずらりと並んでいた。こういう所からも、自分の定年退職の道は無い気がするのだ。 |
10月12日金曜日 運動会でソーラン節を指導した。四股を踏む、背筋を伸ばし胸を張るというポイントを押さえる事ができたと思う。いい運動会ができたとうれしかった。 子どもたちの写真なり、ビデオなりを載せたい所だが、私的なホームページなのでやめておこう。 体がもうがたがたで、ソーラン節を見本で2回続けて踊るのが限界だった。なさけない限りだ。「気力を補う体力の限界を感じ,引退します。」とかっこよく宣言できたらいいのになと思うが、生活もありそうもいかないのだ。 後何回、運動会に参加できるのだろう。23回目の運動会は充実したものだった。 元来、機械おんちなのだが、どういうわけか視聴覚なり、パソコンなりの係をやらされている。A市はインターネットの街作りを目指し自治体ネットワークを情報プラザを核としてやっているのだが、どうもそれがしっくりいかない。 この所ニムダという新手のウイルスのため、学校のネット接続は禁止されたままだ。世の中全体がネット中止というならわかるが、学校だけというのは変な話だ。結局、民間のプロバイダーに比べウイルス対策が後手に回るという技術力の差なのだろう。それでも自治体ネットワークの利点があるのなら多少の不便はがまんすべきだと思うがそこの所がよくわからない。情報プラザの職員の人件費、建物の維持管理費を税金で賄う事と、民間のプロバイダーの契約料とどちらが税金の節約になるのだろうか。手元に具体的な数字を持っていないので断言はできないが、常識的には民間にまかせた方が安いのはでないか。自然教室の維持管理と同じで、政治的なものがあるように自分には思える。自然教室に児童を引率するメリットはあると思うが、利用を強制されている気はする。毎年参勤交代みたいに行かされるのはいかがなものか。 情報プラザの利用も強制されているように感じるのは、自分だけなのだろうか。 |
10月19日金曜日 体育で三色鬼なるものをやっている。じゃんけんと同じで、三すくみの鬼ごっこだ。足の遅い子でも、作戦の立て方では十分楽しめる。事実どの学年でやっても(低学年はちょっと無理だが)子どもは大喜びだ。楽しそうに遊んでいる子たちを見るのは幸せな気分だ。以前は自分も子どもたちのチームに入り、一緒に走り回ったものだが、年のせいか最近は審判専門だ。それでも見るだけでも楽しい。こういう姿を保護者にも見て貰いたいものだ。 |
12月19日水曜日 学校近くの川沿いに何もない公園がある。何もないのがうれしい。道はこの公園で行き止まりになっているため通り過ぎる車も人もいないのである。普通なら幼児を連れる若いお母さんなどがいそうなのだが、この公園の作りではそういう人も訪れない。 まことに私にとっては理想的な公園なのだ。クラスの子とまたここへ来る。安全指導をして自由に放す。小高い丘から学校や田園地帯、川の流れが見渡せる。歓声をあげて遊びに夢中になる子どもたちを見るのは、本当に幸せな気分だ。いつも計算練習やら集団生活のしつけなどで子どもに強制している事から比べると、こういう時間が持てる事がうれしい。 後何年教師でいられるのだろう。たとえ後何ヶ月でも何日でもこういう気持ちで教師でいられるように自分の教育の信念に忠実に生きていきたい。そして何よりこどもの幸せのために誠実に働きたい。その生き方がその時の国の政策に反する事になったとしても。その事でこの職を追われる事になったとしても。 2002.3.29金曜日 せっかくの春休みなのに冷たい雨が続く。まあ物を考えるにはいいことだ。来年もどういう事か3年の担任になると先日発表を受ける。自分にとって今年は40台最後の年だ。来年は50台に突入してしまう。恐ろしい事だ。人生設計などどうなることかわからないのだが、とりあえず今まではうまく行った。借金もないし、家族も健康だし、資産も多少だがある。幸せである。幸せの絶頂にいるのかもしれない。恐ろしい事である。 さて、今年の事だ。うれしいのは毎日8時半から授業が始まる事だ。今までは朝の打ち合わせがあって子どもは自習だったのだ。自習と言ったって小学生の事だ。下手をすると教室でけんかをしている事だってある。打ち合わせと言っても、自分には文章を回覧するか掲示すれば事足りるのではないかと常々思っていたので、余計な事が無くなってうれしい。学校に来たらすっと自分の教室に行って仕事を始めればいいのだ。 新採用の教師ならいざ知らず、20年以上もこの仕事をやっているのだ。毎朝の打ち合わせがなければ不安という事ではない。教師の仕事とは一人で40人の児童を相手にしている。個人的作業といっていいと思う。自分に自信がなければ児童の前に立てない。だから研修が必要なのである。段取りは常に考えて臨んでいる。常日頃の研修と事前の段取りがあれば、児童の前に立つのは恐い事ではない。楽しみである。若い頃は早く明日にならないかなと思ったものだ。 おまけに今年からは週二日の休みだ。持ち帰りの仕事が多い教師にとってこれはありがたい。テストの丸付け、指導計画などの学級事務は勤務時間の中ではできない。放課後は会議に忙殺される事が多いのだ。でも土日が休みになるので、どちらかを仕事に割り振れば仕事がつまってしまう事が避けられる。ありがたい事だ。 漠然とした不安は、問題児と問題の親との対応である。自分は体罰など必要でないと思っているが、言葉で指導できない子もいるのは事実だ。そうなると懲戒権のない担任には指導を放棄して学級が崩壊するのにまかせるか、指導を貫徹して体罰教師の汚名を受けるしかないのである。切れやすい子を押さえるには腕力しかない。後で言葉で説諭するにしても暴れている時は力で押さえるしかないのである。冷静になって指導を受け入れる子はいいが、たてつく子もいる。そうするとどうすればいいのか。自宅謹慎、出席停止しかないではないか。そうして本人と保護者が冷静に自己の行動について反省するのを待つしかないのである。しかし担任には自宅謹慎も出席停止の権限もない。自分は今まで個人責任で児童を恫喝していたわけで、本来自分にはそのような権限は与えられていないのである。たまたま今まで受け持っていた問題児と問題の親が引き下がっていたからこれまでうまくいっていたにすぎない。いや引き下がっていない保護者もいたわけで、教育委員会や校長に自分の苦情が持ち込まれ校長室で指導を受けた事もたびたびだ。しかし自分は首覚悟で自分の指導を貫徹して来た。自分の教室を崩壊させるより、自分の首を切った方がいいと思って来たからだ。自分の首がいまだにつながっているのは、だから偶然の産物なのである。漠然とした不安とはその事である。漠とした不安を抱えつつ、24年目の実践に入る。 3.31 週五日制の関係で1時間目が15分になった。それを朝読書に当てたいという校長案で年間35時間が総合科からカットされた。結局試行期間と同じく70時間が総合科に振り分けられるわけだ。前年と同じ3年担任という事もあって、何か目新しい物がなくなった気がする。まあそんな外的環境はどうであれ、自分の信念を押し通して行けばいいことなのだ。 国語 表現読み、漢字の書き取り、討論 社会、総合 地域巡り、川を中心に学区を縦断する。 算数 計算ゲーム、一あたり量*外延量=全体量の概念化 理科 生物の体験学習 音楽 リコーダー 図工 クロッキー、水彩絵の具の扱い 体育 ストレッチ、鉄棒、集団遊び 上記に重点を置く。 4.21 授業参観の後に学級懇談会がある。その場で学級経営の方針を伝えたのだが、納得できない保護者がいたのだろう。さっそく匿名で教育委員会に抗議の電話があったそうだ。校長室で校長の指導を受けて知る。 内容は三つ。給食に箸の指導をしているのだが、カレーライスの時はスプーンを使わせてくれと言うことだ。スプーンの使用を禁止した事はこれまでもないし、申し出れば済むことだ。昨年も子どもの申し出で使わせていた。匿名で抗議する事だろうか。 二つ目は、給食後の歯みがきだ。うがいの水を飲ませているという抗議だ。児童は自席でからみがきをしている。からみがきがすんだら、手洗い場で歯ブラシを洗い、口をすすがせている。どこにもうがい水などないし、それを飲ませる指導などしていない。 どうしてこんな根も葉もないことで指導を受けなければならないのか。 三つ目は、計算ゲームをやらせているのだが、一斉スタートして始めるので、早くできた子は黒板に順位と名前を書いて、できない子の指導をしている。順位を板書するのが差別につながり、できない子の心を傷つけているという抗議だ。これは教育観の相違だ。懇談会では論議もされなかった事だ。匿名で教育委員会に抗議する前になぜ担任に抗議しないのだろうか。一切の順位付けを教育的でないという理由でなくすなら、運動会の徒競走も持久走大会もできなくなる。競争は教育的である面もあるのだ。そこの所を論議したい。 いずれにしろ、懇談会で納得できないから教育委員会に抗議するという形は、出世を考えている教員には脅威かもしれない。でも自分のようないつ首になるかわからないと自認している教員にとっては、ただ不愉快なだけだ。 匿名で抗議する卑劣とも思える親の子を指導しなけらばならないのは、不愉快である。それは自分ががまんすればいい事だが、親のそういう姿勢を見ている子どもが学校で担任とつき合う事をこの親はどう考えているのだろうか。また、そういう事態を何の想像もせず、抗議が来たから学校に指導を下ろすという教育委員会も何に責任を持ち、何を考えているのだろうか。4月早々不愉快なスタートである。 4月27日土曜日晴れ クラスのホームページの許可が下りる。作ること自体は簡単なのだが、許可を得るのが大変。学級通信のホームページ版のつもりだが、毎回校長の許可を得なければならないので、若い頃毎日通信を出していたようにはできない。今回もたくさんの朱書きをもらう。もう49にもなろうというのに、子どもみたいに添削されるのは愉快ではない。 だがここで腹を立てては立ち上げる事ができない。無条件に添削事項に従う。どうも文章の流れが悪くなるし、第一自分の文章らしくなくなるので嫌なのだが、いたしかたない。校長名で出すわけではないし、担任の責任で出すのだから、こちらにまかせてもらいたいのだが、上下関係だからしょうがないのである。 でもまあ、基本的なスタンスは認めてもらっているわけだから、あんまり文句言う筋合いではないよね。とにかく、子どもの作品、自分の学級通信、写真集が載ったクラスのホームページができて今はうれしい気分だ。 7月3日水曜日曇 クラスのホームページがどういうわけか、ほとんど校長の検閲をフリーパスで通っている。自分の言いたい事が学校のホームページで表現できるわけだ。この私的なホームページで発言する必要が無くなった。だからしばらくは、この教室日記は休止である。 7月14日日曜日 台風の影響で風が強い。彼女と近くの宮ヶ瀬ダムに行く。初めてダムの放流を間近に見た。ダムサイトの上から身を乗り出して見ることができるのだ。茶褐色の濁流がすべてを飲み込んで下流の岩にたたきつけていた。見ていて恐くなる。自然の驚異を感じる。 さて、夏休みまで後一週間。嬉しいという気分より、教室の実践から一月以上も離れてしまうという寂しさの方を感じる。やっぱ年なのかなあ。 でも今年は良かった。年来の希望だった学級通信をホームページ上で発行する事ができたからだ。充分自分の意見も書く事ができたし、自分の宝である。教師をやめてもこの内容はcd−rに永久保存する事ができる。 広報委員会やパソコンクラブのホームページも作ったけど、こっちはこどもとの接点が少ないので愛着がない。自分の指導が徹底していないので、内容も満足できない。係としてやったお仕事という感じだ。やはりクラスがいいよ。うまく行っても行かなくても自分のクラスというのはいいものだ。 9月4日水曜日 今日も夏休みの作品整理に追われる。学期はじめの忙しい時期にどうしてこういう代行業務をさせられるのだろう。募集団体が募集事務をやれば、それで済む事なのだ。ところが、教育委員会なり何なりが 「ああいいですよ、学校で募集事務を代行しますよ。」 と安請け合いするので、現場の教師が代行業務に忙殺される事になる。昔と違って夏休みの宿題を強制しているわけではない。従って応募する子も応募しない子もいるのである。それなのに、応募する子のためだけに教師は時間もエネルギーも割く事になる。まあ、事務の代行ぐらいなら一応公務員だからがまんすべきかとも思うが、読書感想文や何々作品展などは、合格しそうな子の作品の書き直しの指導まで要請される事もあるのだ。授業で感想文なり作文を書かせたのなら、書き直しの指導をするのは当然である。しかし夏休み期間の自由応募の作品の、しかも合格しそうな子の作品だけなぜ指導する必要があるのか。全体の奉仕者である公教育の教師の仕事としておかしな事だと思う。学校の名誉のためにやっている仕事ではないだろうか。 どっから石が飛んで来ようが自分はそう思う。この事で袋だたきに会おうが、そう思うのだからしょうがない。やっぱ特定の子、しかも合格しそうな子の作品だけ指導するなんておかしいよ。 午後は校内研究だった。うちの学校は総合科の研究をしているのだが、どうも雲行きが怪しくなってきた。総合科の導入の時は、主要教科の時数を削ってまでやるのはおかしいという現場の教師の意見(少数派だったと思うが)を無視して強行されたのだ。でもその時は指導要領や年間計画、学年の系統性に縛られずに現場の教師の自由裁量にまかすという積極的な思想もあった。例示として環境、福祉、国際理解、情報などの四分野が上げられたが、それはあくまで何の例示も無いと現場が困るだろうと言う配慮からであって、それに縛り付けるものではなかったのである。移行期は70時間何に使おうと現場の自由ですよという自由裁量の権限を文部省が与えてくれたのである。そういう意味では画期的な思想だった。現場がそれを受けて独創的な実践を積み上げたかどうかは疑問であるが、いくつかは自由な実践もあったと思う。 先進校に学ぶ横並び、安全第一路線も主流ではあったと思うが、自由な実践を開く可能性は与えられたのである。 ところが、この所の総合科バッシングである。週休二日制による時数の削減、総合科の完全実施による教科の時数削減、指導項目の削除、これらが基礎学力の低下の原因だというバッシングである。マスコミを大いに賑わせた。この論拠には一理あると自分も思う。だが、問題は文部科学省の対応である。 このバッシングに追われて文部省は様々な言い訳めいた事を言いだした。 総合科の時間を基礎基本に使っていい。 宿題の薦め。 指導要領は最低の基準であるから、発展として削除した指導項目を教えてもいい。 評価評定は無いと言われていた総合科に評価欄が強制的に導入された。 などである。 この結果、先進校の取り組みやいわゆる御用学者の先生たちは、 「何もかも現場の先生が考えて行くのは大変でしょう。そういう独創的な取り組みはみなさんには期待していないので、教科の発展として総合科を捉えていいのですよ。教科の発展なら年間計画の作成や、学年の系統性、評価規準も作りやすいでしょう。」 などと言い出したのである。 これでは総合科の時間を各教科に戻したのと同じではないか。ならいっその事、指導要領を改訂して総合科を廃止した方がよっぽどすっきりする。第一、現場の教師をばかにした話である。総合科の導入の時は、教師は支援者になれ、お前たちは黒子で前面に立つな、学びの場を設定すればいいのだという教師をばかにした面はあったにせよ、一応は教師の独創性を期待し、それに委ねようという姿勢があったのである。 今回はまったくの馬鹿扱いである。 「教師には元々授業や単元を創造する力はないのだから、指導要領に基づく年間計画、学年の系統性の発展として総合科をやっていればいいのですよ。あんたらも毎年4月になって今年の総合科は何をやればいいかなんて考えるのは大変でしょう。教科の発展なら頭使わなくて楽でしょうが。」 と言っているのと同じなのだ。 意見の中身ではなく、だれの意見であるかで動くのが、残念ながら役所の世界である。 自分たちの実践を創造して行こうという視点が大きく後退して、教科の発展としての総合科の年間計画、学年の系統性、評価規準の作成に足並みを揃えて行こうという動きがどこの現場にも表れてきているのではないだろうか。 2002年 10月2日水曜日快晴 運動会は土曜の予定が雨で日曜に行われた。 代休は、月曜となる。 火曜は1日雨模様で疲れる。運動会疲れだろう。おまけに運動会の紅白リレーの時応援団の活動をさせなかったという事で紅組応援団長の母親が激怒したそうだ。係の○○先生に怒鳴りつけ、取り合ってもらえなかったので校長に怒鳴り込んだわけだ。本部テント前で校長を怒鳴りつけている所を自分は目撃した。その時、校長は対応はしていたが謝罪などしていなかった。その後の反省会でも、謝罪する事柄ではないと言っていたしね。でも、その後事態は変わっていく。 火曜は校長室で校長が謝罪したとの事。昼休み応援団の子と話し合って、次回の朝会で応援合戦をさせるそうだ。何が謝罪だ。どこがいけないのだ。紅白リレーの主役は選手の走る姿だ。選手より応援団が目立ってどうする。応援団のために運動会をやっているわけじゃないぞ。 係の○○先生の指導のどこに保護者に謝罪する落ち度があるのだ。職員会議でこう自分が言うと、麻生や福田さんが去年までは応援させていたという。でもそれは全体の合意でもないし、応援団の申し送りでもないだろう。係の判断にまかせられていたはずだ。それを怒鳴りこまれたからといって、同僚を非難するとはどういう神経だ。部下を守らない管理職、同僚を守らない職員に怒りと失望を深く感じる。 応援団の指導は係の先生に委ねられていたはずではないか。それを保護者に強烈に怒鳴り込まれたからといってなぜ謝罪しなければいけないのか。運動会は祭りだ。祭りの主催者は教師だ。その判断が気に入らないからといって、わが子かわいさにとち狂っている馬鹿親になぜひれ伏す必要があるのか。 夜になり台風が関東に上陸する。大型という事だったが、大した事はなかった。やはり夜という時間帯がよかったのだろう。今日は台風一過の青空で理科の太陽の観察をする。合間に「ちいちゃんのかげおくり」の平和教育をする。戦前天皇は神様であった事が戦争を引き起こした原因だったこと、戦後その反省の上に国民主権、民主主義の国になった事などを教えた。 10月4日金曜日曇り 広報委員会で6年生を怒鳴りつける。こっちが黙れと言っているのににやにや笑っていたからだ。なめているのである。謝らせて、「手間取らせるな、バカ」と怒鳴りつけた。後はシーンとなった。運動会のホームページの作り方の説明をする。担当学年の担当部門(徒競走か団体か表現か)を話し合いで決めさせ、一人一枚一太郎スマイルのお絵かきソフトで作らせる事とした。今月中にだ。一学期一度作っているから、なんとかやるだろう。できなかったら、できた子だけで立ち上げるつもりだ。なんせ11月には工事が始まるので待っていられないのだ。6年生を怒鳴ったのは、紅組応援団の団長、副団長がいるからかもしれない。要するに苛立っていたのである。二人とも小沢級だ。小沢さんよ、しっかり指導しておけよ。子も親もな。 10月7日月曜日 朝会は自分の 「応援団の子をほめるのはいいが、運動会が終わっているのに応援合戦をやらせるのは不自然、応援合戦をやらせるのは反対だ。」 という意見を校長が連休の間冷静になって受け入れたのだろう。その通りになる。よかったと思う。あいつも馬鹿じゃないなと思う。 (追記) その後、○○先生のクラスは崩壊状態となる。特定の男子が授業中立ち歩き、それを指導できなくなったようだ。その本当の原因は当事者でない自分にはわからないが、この時の謝罪がきっかけではないかと思う。自信を失ったのである。反対に馬鹿どもは勢いづいたのだろうね。で、一年後退職する選択をしてしまった。退職してよかったと思うよ。経済的にやっていけるのならね。自分も退職したいと思っている。経済的に不安だから、決意できないだけの話だ。 2002.11.13水曜日晴れ 地区研究会だ。自分の授業を公開する。計算ゲームである。四則演算の最も進化したゲームである往復算を見せる。どの子も集中していっしょうけんめい取り組んだ。2分台に入った子は3人だ。後は10分以内の子も多かったが、30分ぐらいかかる子もいた。やり方はほとんどの子がわかってきたが、本当に確かな力にはまだなっていない。確かな力になっていれば、10分以内にできるはずである。そんな中でもI君がまた記録を伸ばして6分に入って来た事は驚きだし、嬉しかった。一学期はかけ算九九は忘れているし、10の補数も言えなかった子である。大したものだ。 反省会では、率直に自分の意見を表明する。 「往復算自体は20年近く実践してきたが、教科書にもないし、年間計画にもないものだからおおっぴらにやる事はできなかった。でも総合の時間で基礎基本を確かなものにする時間として提起する事にした。みなさんにもやってほしいのです。」 「これは児童の興味関心意欲から出発したものではありません。あくまで担任の押しつけです。でもその中から意欲と目的を持って取り組んできている児童も出てきています。そうでない子もいますが、必要な事だし、できるはずだと見ているので強制しています。」 指導主事の指導は、 総合の趣旨に合致していないので、総合の時間にやるのは認められない。算数ではないかという事だった。でも算数として地区研究会でこれをやっても、これは算数の年間計画にないし合致してないと言われるだろう。 朝読書運動にしても、総合の趣旨に合致してないという事だった。自由読書、読むだけでよいという趣旨では不足だと言うのである。 予期していた通りだった。でも基礎基本とは総合も含めて学習指導要領そのものの事ですの発言に至っては、これでは研究協議の意味がないじゃないかと思った。 結局、学習指導要領の趣旨を生かす実践をあんたらはやっていればいいの、子どものために何が必要だとかいう事をあんたらは考える必要はないのと言っているのと同じではないか。研究会とは名ばかりで、最後は指導主事の指導助言の答が待っているのである。答は指導主事のカバンの中に最初から入っているのである。 馬鹿馬鹿しい。だから自分は会費を払ってないのである。こんなの研究会じゃないよ。教師は教育者として扱われてない。役所の方針を伝達する単なる役人だ。 2002.11.27水曜日晴れ 今日は忙しかった。パソコンルームの入れ替えだ。昨夜教育委員会にソフトや書類の類も一緒に廃棄してもいいかと打診して了解してもらったので、急遽一人で運び出す事にした。クラスの子どもにも手伝ってもらう。3年生とは言え、結構役立つ。 2004.10.4月曜日雨 教務に会議室に呼ばれる。地区研事務局が会員でもないと言っている自分が学校代表で授業をやることは、けしからんと言っているというのだ。だから会員になりなさいという事なのですね。冗談じゃない。こっちで願い下げだ。だれもやりたがらない公開授業じゃないか。じゃんけんで決めるぐらいなら自分がやるという事で、6年間で3回も地区研の学校代表を引き受けているんだ。ふざけんな! 処分が下りるなら、裁判で闘うし、向こうがけしからんというなら、授業はやらないと答えておいた。当たり前じゃないか。それ以外、どういう受け答えがあるんだ。申し訳ありません、会員にならさせてくださいとおれが謝るとでも思っているのだろうか。 2004.10.6水曜日晴れ 一日出張なので朝、学校の教務宛にメールを出して置いた。地区研の運営委員だからね、彼は。地区研事務局への文章を添付し、運営委員の彼が返答できないなら、そのまま転送しておいてくれと書いて置いた。 (以下 添付文書) 地区研究会事務局への公開質問状 2004.10.6 ○○市立○○小学校 ○○○○ 地区研究会の公開授業者に校内で決まっていたのに、会員で無いという理由で取り消されました。それで付随する事柄についての会の方針をお知らせ下さい。 1 これは私が会員で無いという正式な決定であるのか。 2 であるなら、地区研究会発表当日の私の参加は拒否したものと受け止めていいのか。 (校内、校外共に出席停止ということですね) 3 研究冊子への私の指導案の添付、研究同人としての記名は拒否されたものと受け止めていいのか。 4 今後の校内で行われる研究会への参加も拒否したものと受け止めていいのか。 単に地区研究会当日の公開授業者になる事を拒否するというのでは、事務局の方針として首尾一貫しないし、理解に苦しむので論理を整理して伝達して欲しい。 2004.10.7木曜日晴れ 朝、出勤印を押していたら、校長が 「公開質問状なんか出さないからな。」 といきなりだ。えらそうに、公開質問状とは公証人を立てる必要があるとかなんとか言っていた。おれは校長に一度も乱暴な口を利いた事はないのだ。なのに、この前と言い今度と言い、けんか言葉だ。お前けんかを売っているのかと心の中で唸る。目を思わず直視した。けんかをする前、あの相手の顔面にパンチを喰らわす時のあの一瞬である。殴ってやろうかと思った。 その内急にトーンダウンし、校内研究と地区研とは違うんだよ。昨日の出張はご苦労さんなどと言い出した。おれは校長と話し合う気はないんだ。メールは教務に出したのだ。でもそれならそれでいい。 「ここで話し合うんですか。ここは出勤印を押す所でしょう。放課後時間を取ってもらえませんか。」 ところがだ。この校長、約束を反故にして帰ってしまったのだ。教務と話し合う。学年の○○さんも○○さんも同席して校長室でだ。まあしょうがないという事になる。 2年目の○○さんが授業をやる事となる。 2004.10.9土曜日雨 2年目の○○さんに急に公開授業を押しつけるのもかわいそうだと思い、朝、校長に自分がだめなら、学年公開はどうなんですかと聞いたら、トーンダウンしていて構わないとの事。学年会で相談する。 2004.11.3曇り 月曜の放課後何事かと思ったら、また地区研の事だ。今度は教頭が学年発表なのに臨時採用の○○級が入ってない事にクレームだ。校長の指示だと言ったら聞いてないと言うのだ。この三人は暇な事をいいことに毎朝校長室で時間をかけて打ち合わせをしているというのに一体何を話し合って来たのだろう。推進委員会でも、文章でも出ている事なのに、教務まで何も聞いてないと言うのだ。聞いてないというのではなく、聞かなかったのだろうよ。校長までそんな意味で言ったのではないと逃げを打つのだからいいかげん嫌気が刺してきた。終いには、地区研に入ってない自分がいけないと言いだし、○○さんが一人でやればいいと言う。まったく最悪の校長である。学年団が2年目の○○さんに配慮し考えてきたというのに、馬鹿かお前は。 結局臨時採用○○さんは指導せず、こどもだけ参加という形に落ちつく。火曜の放課後PCルームのモニターを見ながら、三人合同の指導案を作成した。まったく上司が思いつきでいろいろ言い出すので疲れるよ。
2004.11.10水曜日晴れ 第一回目の地区研だ。校長、教頭、事務のみが残る中で自分も残る。地区研究会への出張を拒否したら、職務命令を出すからなと凄んだ校長は何も言わない。職務じゃないのだから、出せるわけないんだよ、この馬鹿が。と心の中で悪態をつく。4時間で短縮なので放課後は暇。ストーブの点火テストをやったり、丸付けをしたり、給食費をやったりして過ごす。
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2008年8月1日曇り 夏休みだ。夏期休暇は5日。帰省で消化してしまった。後は毎日子供のいない学校へ通うだけだ。朝の8時半から夕方の5時15分まで、教室の掃除やパソコンルームの掃除、校内研究会の指導案の作成、運動会の表現の練習などで過ごす事となる。それにしても40日は長い。年休を消化すればいいのだろうけど、何があるかわからないからねえ、この年となると。 人間、暇になると反省するわけです。思い出すにそれは特別支援教育の弊害だ。 各学校に支援教育のコーディネータ(英語はやめて欲しいなあ)を置いて、問題児の指導に悩む担任をサポートするわけです。個人ではなく、チームとして対処しましょう、個人のニーズ(英語はやめて欲しいなあ)に応じた教育を施しましょうという、まことに結構な大義名分なわけです。でも、絵にかいたモチだ。なんせ金も人も寄こさないのだから。 「くそばばあ!」 と悪態をついて指導に従わない問題児を抱えた担任は指導放棄するわけですよ。気持ちはわかります。で、問題児はどこに行くかというと廊下に出たり、保健室に行ったり、校長室、学習室に行くわけです。その間静かになった教室で授業が進むわけですね。行った切りならいいのだけど、この問題児が廊下に出たり、教室に入ったりを自由に繰り返すと、他の子も影響を受けて問題行動の輪を広げる結果となる。そうすると全校支援となる。つまり空き時間の教師が入れ替わり立ち替わり廊下に出ている問題児のクールダウン(英語はやめて欲しいなあ)に付き合わされるわけです。でも担任の言う事も聞かないこの手合いが素直に聞くわけないでしょう。 「お前は関係ないだろ」 とか、 「くそばばあ、あっちへ行け」 となるわけです。修羅場ですよ。 ぼくは担任がやはり問題児と格闘すべきだと思う。その間留守になった教室の自習体制を空き時間の教師が見るのならいいのですよ。問題児は担任と格闘する中で信頼関係が築ける。でも、そうはならないのですね。 もともと信頼関係が崩れているわけだから、担任も問題児の指導から逃げているし、問題児も担任から逃げているわけです。逃げている間教室で授業が進んでいるわけだから、ますます疎外感に苛まれる。他の子だって同じです。あいつは勝手気ままにやっているのになんでおれらだけ教室に縛られなきゃいけないんだってやつですね。 だから支援教育はだめなんです。 担任が問題児と格闘するためには、武器を与えなきゃいけないんです。懲戒権ですよ。出席停止とかね、権限を与えるのです。 「くそばばあ」 と悪態をついてはなから指導を拒否する手合いは出席停止です。そうすりゃ、親子共々反省して担任の指導に耳を傾けるようになりますって。物の道理じゃないですか。 2008年8月16日 土曜日晴れ 夏休みも後二週間だ。連日子供もいない学校へ通い、わけもなく疲れる。午前中は、植物の水やりや、運動会の表現の踊りの練習を体育館で一人やる。どっと汗が噴き出て汗だくとなる。これはこれで結構気持ちのいいものなのだが、なんせ脳梗塞世代なのでいつまでも一人で体育館で汗だくになっているのも危険だ。適当に切り上げて今度は職員室にこもってパソコンに取り組む。エクセルの活躍である。一学期に取っておいた走力のデーターや、身長のデーターで並び替えを行う。なんせ160名近くのデーターを各色の組別にしたり、走者のコース別に並べ替えるのだから手作業では大変だし、まちがう可能性も高くなる。エクセルって便利だなと思う瞬間である。でもこんな作業を日常的にやっている仕事じゃないわけだからそれなりに手間取るわけですよ。冷房は効いていて気が付くとすっかり体が冷えてしまっている。パソコンで作る書類はそれにとどまらず自然教室のしおりや申請書類、公開授業案など山のようにある。連日これを繰り返していたら、夏かぜをひいてしまった。これじゃなんのための夏休みなのかわからなくなってしまう。年休を行使しようと思い立つ。 夏休みといっても女房は自立している。自分の生活のスタイルという物をここ数年の専業主婦の中でしっかり作っているのだ。太極拳とか畑仕事とか、ボランティア活動とかね。そこに割り込むわけにもいかない。こどもはもう大きいし、父親とどっかに出かけるという対象ではないしね。一人遊びになるわけだ。 幸運な事に車で5分ぐらいの所に森林公園があるのだ。ここで汗を流したり、木漏れ日を楽しんだりしていると、あっという間に半日は過ぎてしまう。山の中では、ぼうーと過ごすというか瞑想というか妄想というかそういう過ごし方もいいし、携帯ラジオを聴くのもいい。文庫本を持って行って読むのもいいかなと思うが、これはやった事がない。木の葉の緑やそよ風、鳥や虫の鳴き声などの刺激が心地良いものだから、自分の場合、読書には向いてないと思う。 原付スクーターで川沿いに走るのもいいし、プールで泳ぐのもいい。ギターの弾き語りもいい。もちろん昼寝もね。一人で結構遊べるものだ。自分の場合、暇つぶしは一人の方がやりやすいね。 同僚と夜の街で飲む事もなくなったし、つきあいのゴルフもやらなくなった。(もっとも大してやっていたわけではないが)職場での遊び友達はいないしね。いつ退職してもその方面で寂しい思いをする可能性はないわけだ。来週は平日の昼間、都内の美術館巡りでもしようかと思っている。人が働いている時、優雅に過ごすのも悪くないね。 退職か首になったら、散歩か読書で日がな過ごす事になるのかなあ。もう宮仕えはいやだし。でも金がなかったら背に腹は代えられないわけだからなんとしてでも働く事になるのかなあ。ホームレスでもいいから、もう宮仕えはいやだね。ホームのあるホームレスのような貧しい暮らしをすればいいのかな。 ここからは妄想じみてくるが、例えば世間づきあいを一切こっちの方からやめてしまう。まあ今でも半分はそういう暮らしぶりなのだが、もっと徹底するのである。自治会も体育振興委員もやめよう、冠婚葬祭一切やらない。募金や寄付の類も一切やめる。車も手放し、原付ですべての買い物を済ます。服は買わない、外食はしない。もっとも今でもジャージに弁当が中心なのだからそう変わらないか。でも、徹底するのですよ。とにかく現金は払わない、これに意識を徹底するわけですね。 食いものはどうするか。食わないわけには生物学的に無理だからね。幸い畑はあるから、芋を植えて代用食とする。ホームレスの方々がコンビニの捨てられた弁当を漁る事を考えれば、自分の作った芋を食するのは大変な贅沢である。文句いう筋合いではない。これでなんとかなるか。でも無理だなあ。家族がいるからなあ。家族の手前、ここまで徹底はできないでしょう。やっぱ妄想だね。 2008年9月11日 木曜日晴れ 研究授業をやる。「一つの花」だ。自分としてはごく普通の国語の授業だったのだが、学年の同僚が 「物語の読解をやるなら一読法でやるとおもしろいよ」 という自分の提案に同意したので、物議になったようだ。 でもそんなに大したことだろうか。 今の教員は権力に従順である。もともと反共的だった日教組が文部省と和解してからまったく御用組合となった感がある。だから全体的に権力に対して従順なのですよ。 フィンランドの教育がどうのこうのと人気を博しているようだが、日本の教員が一番気にしているのは文部省の意向です。研究授業と言ったって答えはすでに決まっているのです。指導主事の言う事が答えだし、指導要領が解答書と決まっているのですよ。だから自分に言わせれば、研究という言葉に値しないわけです。国語の授業の流し方にしたって、通読、精読、味読という三読法が国是となっていて、これに異議を申し立てる者はいないわけですよ。自分も子供のころからこの三読法に慣れていたし、だから国語の授業はおもしろくなかったと思うのだが、教員になった当初はこの方法で授業を流していたのです。それが民間教育サークルの自主的活動の中で一読法というごく自然な読書法を知ってから、三読法に別れを告げたわけですね。 学校教育の中で読書の教育的意義が強調されているのは、脳の活性化につながるからですね。テレビや映画は受動的に見るしかないのですよ。それに対して読書は、読み手の感性に従って立ち止まり、感動し、想像し、物語の展開を予想する所に主体的に関われる優位性があるわけですよ。だとしたら、物語をいくつかの場面に分けてそのつど立ち止まり、子供たちの読み取りを書き込んだり、討議したりして授業を展開する一読法はごく自然な読書法なのです。別に目新しい方法でもないし、しちめんどうくさい理論を要するわけでもないのです。 それに対して三読法はテレビや映画でもないのに、物語を最初から最後まで一気に読み切る事を児童に強制するのです。途中で立ち止まったり、想像したり、感動したりする暇を与えず、教師の朗読などの形で一気に読み終えてしまうのですよ。その後、学習課題を考えさせ、その課題を解決する形で授業が展開していくのです。実に理屈っぽい読書形態と言えます。読書の楽しさを最初から奪い取ってしまって、物語をお勉強の道具にしてしまうのですね。だからつまらない読書法なのです。こんな読書をしている人はいないって。学校の中だけの事。国語の授業だけの話なんですよ、こんな読書法は。だのにこんな特殊な読書法がいつまでも、全国どこでも共通の国語の授業スタイルになっていて、それに異議を唱える教員が出てこないのは、日本の教育がどれだけ文部省の意向の下、指導要領の下で行われているかってことなんですね。 権力の意向を気にせずに、自分の感性や子供の反応だけを考えて授業を展開していけば全部とは言わないが多くの教員が一読法のスタイルを採用すると思います。少なくても半々にはなるでしょう。それが自分のような教員しかやらないという所に、この国の教育の悲劇というか異常性を感じます。教育が権力志向の犠牲になっている証拠でしょう。 2008年9月20日 土曜日曇り 早いところでは、今日運動会の学校もあるそうだ。台風が日本列島を縦断して大変な時期にやる事になって同情を禁じ得ない。もともとは体育の日の前後に運動会が行われていたので秋空高く澄み渡っていたのだが、どこもここも9月にやるようになってから台風に遭遇される悲劇が繰り返されている。 運動会の練習で学年全体を指導することが多くなり、いわゆる問題児を叱り飛ばす機会もおのずと多くなってしまった。馬鹿教師の信念岩をも通すで、実に静かに話を聞く学年に姿を変えてしまった。これは表面上の変化だと思うが、表面だろうがなんだろうが静かにできた事は指導の結果、成果なのですよ。別に自慢で言っているわけではない、プロとして働いたというだけのことです。 これができない教師が多いのです。原因は、教師に叱る権限を与えていないことだ。 今の叱り方の一般的技術とは、みんなの前で叱らない、個別に、別室で本人に恥をかかせないよう説諭することなんですね。これがおかしい。まちがっているとぼくは思う。まあ、暴れていて抑えが効かないなどの理由で、保健室や、校長室に隔離することになるのだが、これがおかしい、まちがっているとぼくは思うわけだ。 暴れようが何しようが、クラスの受け持ちの子なのです。ぼくなら自分の教室の中で固まらせます。泣きたきゃ泣けばいいのです。自席で好きなだけ泣かせます。好きなだけ固まらせます。ただし、友達や教師に対する暴力や暴言は力で抑えつけます。そうすれば相手は小学生です。よっぽどの事情がなければ抑えは効きますよ。できなきゃ、保護者に家に連れて帰ってもらえばいいのです。 で、問題はそれを見ている他の子なんですね。先生に叱られてかわいそう、かもしれないし、先生に叱られて当然だと感じるかもしれない。どっちだっていいんです。要は叱られていることを集団として共有すればいいのです。同じ空間の中で叱られたり、ほめられたりしている間は疎外されていないのです。仲間でいられるのです。ここが大事な所なのです。それを隔離するからいけないのですよ。集団から引き離すから疎外感が生まれ、後の指導がこじれる事になる。 この辺の指導観の問題、指導技術、教師の懲戒の権限、これらがおかしくなっていると思いますね。教育界の体制の問題でしょう。現場の教師だけの責任では無いとは思う。でも現場の教師に勇気が無いとも感じるこの頃ですね。 ベテランとか、若手だとかの問題ではない。だって、ぼくは若いころからこういう指導をしていたからね。やはり、教育観の問題ではないだろうか。後は首になる事を恐れないこと。体を張って事に当たることだね。覚悟のある指導がどうかだろうよ。それは子供にも保護者にも伝わる。伝わらなきゃ、やめればいいのですよ。金のためだけに働くのなら、教師にこだわる必要はないわけだ。別の人生を歩む方が自分にも子供にもいいんじゃないのかな。それをことなかれ主義で仕事をしているから、学級崩壊やいじめ、不登校があるとも思うよ。教師だけの責任ではないけどね。教師個人にも責任の一端はある、当然じゃないでしょうか。 自分のクラスじゃないから、無視している所もあるのだけど、教師に悪態をついたり、授業をエスケープしている子を見ると、どうしてこういう子を出席停止する権限を現場に与えないのか歯ぎしりする思いです。自分の受け持ちの子になったら、自分が首になるか、この子が不登校になるかどっちになるかぐらいの覚悟で指導に当たります。こういう子は十中八九、すなおになります。自分の経験からいって。そうならなかったら、自分が首になるだけのことですよ。それぐらいの覚悟が同僚にも欲しいのです。 2009年1月5日 月曜日晴れ 年早々年休を取り、山歩きを楽しむ。子供のいない学校に行ったって待っているのは、新しい指導要領に沿った年間計画や校内研究の作文だ。こんなもの、どう書いたって結局指導主事の言うように書かなきゃ書き直しになるんだよ。早回りして書くのにエネルギー注ぐより山を見る方がずっと教員の精神衛生にいいからね。 膝が痛い、首が悪い、腰が変だ、どこかが治ってもまた別のところが痛む。今は口内炎だね。満身創痍で残りの人生を闘うしかないのだ。 今年の抱負だ。定年まであと5年。先の無い教員人生だ。失うものは何もない。全力でがんばるだけだ。今の公立小学校の最大の欠点は、事なかれ主義だ。生きる力を養うなんてえらそうなことを言っているが、どれだけ本気でやっているか、口先だけだと思うね。子供の自主性を尊重するなんていう総合科的視点なんて捨てるべきだ。大人として教えないといけない知識、倫理観を断固として教え抜くという視点がないんだ。こどものわがままや保護者の無理難題に迎合し教えるべき事を徹底していない。あいさつ、礼儀、基礎的学力これらは、こどもの自主性や個性を尊重することとは別の事柄である。教え抜くことなのだ。これをごまかす方便として自主性や個性という言葉が使われている。目の前のこどもたちをなんとか一年無事送り出せば安泰というサラリーマン意識がだめだ。首になろうが、体罰教師と呼ばれようが悪い事は悪い、叱る事は叱るという断固とした姿勢が無い。これは教育委員会の指導が原因である。こんな役に立たない役所は廃止して直接行政が教育に当たった方が地方分権という観点からいっても直接民主主義に合致する。文科省の天下り機関にすぎない教育委員会など税金の無駄である。教育委員や指導主事に回す給料を現場に回すべきだ。パソコンなんていらない。教室の子供たちの机、椅子を見てみろ。ボロボロである。どんな貧しい家庭でもこんな机や椅子が家にある子はいないと思うよ。写真に撮ってこのホームページで告発してやろうか。給食費を払えない子が毎年いる。そりゃあ、親の問題もあるかもしれない。でも子供には関係ないだろう。その子どもに集金を促さなきゃいけないのが教育的じゃないて言っているんだ。戦後64年目になるのにどうしていまだに給食費や教材費や遠足費を集金しないといけないんだ。米軍に思いやり予算を組む前に自国の子供に思いやれっていうんだよ。 2009年2月11日 水曜日曇り ぼくのクラスでは週一回図書室で読書をさせている。これは図書室の配当が週一回あるためだが、以前校長から一時間読書指導をするような年間計画は国語にあるはずがないという叱責というか指導を受けた事がある。まあ、聞き流すというか無視しているわけだが、国語でなくて総合と週案(一週間の時間ごとの指導内容を書いて管理職に提出する文書)に書いても、そんな子供の自主性から出発しない時間はあり得ないと叱責というか指導があるだろうねえ。いずれにしろ、公的には認められないわけだ。でも子供は楽しみにしているし、教師によっては引率もしないで子供だけ配当時間でもないのに寄こしている場合もある。そんときは、担任でもない自分が静かにしろなんて余計な指導をしなくちゃならないはめとなる。教室で何をやっているのかねえ。こういう手合いが時々教師にいるのだよ。教室で学級事務を取っていて子供たちだけ校庭に放してしまうとかね。当然、体育の指導をしている教師は大いに迷惑するわけだ。話が横にそれてしまった。そういう手合いの話ではなくて、ぼくのクラスが実に静かに読書をしている話なのだ。 「このお話おもしろいよねえ。」 「ほんと、そうだね。」 なんていう子供同士のつぶやきぐらい認めてあげてもいいかなとも思うのだが、認めません。なんせ40人もいるのだから、認めると収拾がつかなくなる。 「おしゃべり禁止!」 「一人一冊本を読むこと!」(友達と一つの本をワイワイ楽しく読む事は禁止という意味です) などと指導するわけです。でも子供のことだから言っても聞かない事が当たり前。 そんときは、教室内に立たせます。そうすると静かになります。それこそ、一言もきかず読書します。じゃ、なんでその子たちは黙ってぼくの指導を受け入れるかと言うと、その次に控えているのがげんこつだという事を知っているからですね。 これが他の担任と違うところだと思うのです。いくら騒いでもげんこつなんてないとわかっていると、子供は言う事は聞かないです。 だから、体罰は必要だとぼくは思います。大人相手にいくら相手が犯罪者だからといって、罰としてげんこつをくらわすのは、法治国家として認められないでしょう。でも、相手は大人じゃないんです。理屈のわからない、まだ人格の完成されてない、しつける対象の子どもなんです。口で言ってきかないならげんこつで当然じゃないかと思うのですよ。ところが、これが公的には一切認められないのです。体罰厳禁、子供にけがをさせなくても教師は懲戒処分ですよ。だからぼくは、読書指導ひとつとっても首をかけて指導しているわけなんです。 定年まであと5年。ぼくの体力もそうだが、首が持ちそうにもないのですよ。 2009年2月27日 金曜日雨 いやー驚いたというか、あきれちゃったというか。 夕方の打ち合わせで、親睦会の幹事長から今後は職場のお茶の葉代を支払いたいという提案がある。なんでそんな事を言うのかと質問したら、教頭の方から学校の茶葉は、来賓用のもので職員用ではないと言うのだね。つまり、福利厚生費ではないというのだ。でも、自分は30年間用務員さんが入れてくれたお茶を朝いただいて来たので、 「じゃ、勤務時間内に用務員がお茶を入れているのは、あれは勤務じゃなくボランティア行為なのですか?」 と聞いてみた。はっきりした返答は無かったがそういう事になるらしい。だったら、明日から校長も教頭も朝、自分でお茶を入れろよな。 「ぼくは親睦会に入っていないので、明日からお茶はいりません。」 と宣言しておいた。来週からは、用務員さんにまず 「あなたのやっている事は勤務じゃなく、ボランティアなのでぼくの分はいりません。 第一お茶葉代を支払っていないぼくには飲む権利がないので入れないでください。」 と断る。用務員に預けている湯呑は引き上げて、物理的にお茶を入れられないようにしておく。その方が用務員さんも気が楽になるだろうからね。 この土日に自分用の急須と茶の葉を購入して学校に持ち込むか、朝、水筒にお茶を入れて持ち込むか、いずれかにするようだ。 まあ、その方がさっぱりしていいってもんだ。 2009年3月6日 金曜日雨 学校に寄贈された木を植樹するために、腰を痛める。もともと腰痛持ちなのに、つるはしとスコップの穴掘り作業は疲れたね。 お茶の件は、水筒を購入して持って行く事にした。象印1980円、0.8リットル入りの魔法瓶だ。今は魔法瓶なんていうのかねえ。昔はガラスだったので、瓶だったのだが、今はステンレスだからね、瓶とは言えないだろう。考えて見ると湯を沸かすのにもガス代がいるし、茶葉を捨てるにもコストがかかるだろうからねえ。水筒持参なら水も光熱費もすべて自前だ。文句を言われる筋合いはどこにもないからね。職員用にはお茶は無いのだと言い張るなら、お湯を沸かすのも茶葉をゴミとして捨てるのも公私混同だろう。 2009年5月6日 水曜日雨 新しい職場に移動してやっと4月が終わった。4月を超えるまでが一騒動だと思っていたのでなんとかなったという感じだ。連休も今日で終わり。明日から通常勤務だ。 何といっても新しい職場というのは苦労が多い。学校によってやり方が違うし、物がどこにあるのかもわからないし、一々聞かないといけない。人脈もないから人の名前も覚えないといけない。まあ、この年まで働いてきたから、けっこう顔見知りの教員も多かったので、まったくの新人のような不安感はなかったが、新しい環境に慣れるのは大変である。ベテランとはいえ、こちらは孤高の人である。結局離任式には出ず、親睦会にも参加せず、とんだ変人、奇人が来たと思われているのだろう。でも致し方ない。自分の人生である。嫌なものは嫌だし、自分の生き方を貫くだけだ。それにしても新しい環境に適応するだけではおもしろくない。学校に行くのが楽しくないのだ。なんとなく、毎日不安感がある。 ギターの弾き語り、鬼ごっこ、図書室での読書、パソコンルームでの学習など、変化のある生活と往復算に音読、漢字練習など規律ある生活もないまぜにして、楽しくかつ有意義な生活が子どもも自分も送れるよう工夫してきた。 どこの学校、どこの学年、どこの教室にも大人を大人とも思わない傍若無人な子がいるものだが、ご多分にもれずそういう子がいた。言葉の指導では逆らうだけで従わないのだ。しかたないので、力で押さえつける。でもぶったり、けったりはしてないが、首根っこを押さえつけたので体罰と言われれば体罰である。功を奏したのか、今では素直な面も見せてきたし、叱っても対決構図にはならず、指導を受け入れてくれるようになった。このひと月の成果と言うより、最初の瞬間のバトルの成果である。 まあ、こんなことをしたくはないねえ。もっと教師として尊敬してもらいたいものだ。社会的地位が低すぎる。大人に生意気な言動をする子は出席停止する権限を担任に与えてくれれば、親子ともども反省させられるし、家庭教育の啓蒙にもなる。首根っこをつかむなんて乱暴な事をしなくてすむわけだ。私立だと退学できるしね。 「先生の指示に従えないなら明日からお休みください。」 と言えば済むわけだ。 生活指導も大変だが、教科指導も横並びというか指導要領通りにしないといけないというか、息が詰まるような閉塞感がある。 教師になった時に感じたのは、子どもと直接に向き合い、自己の良心に従って全力でがんばろうという意欲だった。でもこの自己の良心というのが認められないのだね、そういうのいらないって言われている、毎日ね。 隣の教室と違う実践をやっていたっていいじゃないか、それが教授の自由だと思うのだが、そういう権限がまったく与えられていない。さすがにこの年になると面と向かって意見される事は少なくなってきたが、息の詰まる感じはあるね。 自分のように経済学部卒の教員なんて今はいない。みんな教育大学卒だ。おまけに免許更新制。みんな日の丸に気をつけ、君が代斉唱である。異議を唱えるどころか、何の問題意識もないのだろう、そんな中で生きているのである。窒息してしまいそうだ。だが、たとえ袋叩きにあおうが、自己の良心に従って生きるのが自分の道だ。 2009年7月12日 日曜日晴れ なんとか一学期を終えた。あゆみをつけ終えたのだが、無用の長物だなあ、やっぱり。日本の公立小学校には落第制度は無いのである。担任をくそばばあとののしり、テストを丸めて投げつけようが進級できるのである。自動車教習所とは違う。だったら手書きの励ましのような賞状でも作ってそれを送れば済む話ではないか。大体テストは毎回丸付けをして保護者に返しているし、教育相談で生活面での様子も伝えている。それで十分だと思うのですね。 人間の能力とは本来総合的なものだ。それを国語だ、算数だ、社会だと分類する事自体あまり意味あることとは思えない。それをだね、さらに関心意欲態度、知識理解、表現技能、思考判断の四つに分類してさらに3段階に評価するという事が理解できない。大体だね、関心意欲態度などの内面に関わるものを評価の観点に入れる事自体がまちがっている。なんでも文科省の言いなりになっているテスト業者すら、点数化する事を拒否しているのですよ。現場ではさらに評価基準表なるものを作成して、その四つの観点のABC分類の根拠の作文化までしている。学校によっては、単元ごとに評価項目表まで作成している所すらある。あゆみをつけるのに、膨大なエネルギーと時間をそそいでいる。でも落第制度は無いのだ。クラスの子の成績を上げたからと言って勤務評価につながるわけでもない。第一隣のクラスとAの数をそろえるよう連絡調整を要求されているのだ。 九九の習得率を調べ、誰が繰り上がり、繰り下がりでつまづいているか個人名を特定して休み時間に個人指導をし、全体が四則演算の習熟に向上するよう努力し、かつ成果を上げている自分の勤務評価は無視されているのである。 そんなの教員の評価とは関係ないよと毎日言われているのである。でもぼくは自己の良心に基づいて直接に子供に責任を負って教師人生を歩んで行くのだ。 そんなぼくだが、ボーナスが減額される。昨年の評価はAとB。 「特に優秀」、「優秀」、「不良教員」(そういう表現はしてないけどね)の3段階に我々教師も人事評価され、それがボーナス査定につながっているのだが、ぼくは特Aの「特に優秀」な教員ではないが、「不良教員」でもない、ごく普通の「優秀な教員」という評価だったのだ。それが不況のためボーナス減額。腹が立つのはそれだけではない。その減額率だ。昨年の不良教員とボーナスの支給率が同率に減額されたのですよ。これって詐欺じゃないですか。 2009年8月16日 日曜日晴れ 先週から10日間年休を申請した。教師になって初めての事だ。今までほとんど年休を行使してこなかった。万一の事を考えていたのかねえ。後4回しか体験できない夏休みである。しっかり年休を行使しようと思う。とはいえ、休み中にも教室に行って踊りの練習をしたり、掃除したり、壁に貼っている子供の顔写真を見て健康観察しているのだから自分でも何やっているのと思ってしまう。教室が好きなのかなあ。別荘じゃないんだからね。 今日はさすがに学校に行くわけにはいかないので、宮が瀬ダムの「ふれあいの館」にスズキアドレス125で行く。初めて。ここはバイク乗りの集会所みたいな所なのかなあ。たくさんのバイク乗りが終結していた。どう見てもおじいさんが巨大なハーレーを磨いている。好きなんでしょうねえ。750ccと思える大型バイクがひしめている。むしろ250や400は少数派である。と思いきや、モンキーやゴリラなどの原付や黄色ナンバーのグループもいた。これはこれで楽しい趣味の世界なのでしょう。自分も小型二輪の免許を習得したので、60キロで公道を走れる。スクーターだけど、走りに遜色はないからねえ。おまけにスクーターは両足がシフト操作やブレーキ操作から解放されていて自由である。両足を前に投げ出そうが、後ろにそろえようが、片足前、片足後ろなど自由に足を置き換えれるので楽である。アクセルは右手で、左手は後輪ブレーキだが、主ブレーキは右手の前輪なので、気持ち的には片手運転である。極めてイージーな乗り物なのだ。服装もフルフェイスのヘルメットと上下の皮つなぎのライダーと比べると恥ずかしいような軽装である。ヘルメット以外はママチャリにまたがっている服装だからね。風防を付けていると、Tシャツでも十分なのですよ。 若い頃、ピーターフォンダの「イージーライダー」という映画を見たが、あのアメリカンバイクは乗り方がイージーなだけで、両足はちゃんとシフトペダルとブレーキペダルに拘束されていてイージーではないのである。本当にイージーなのは、今自分が乗っているスクーターだと思うね。まあ、お役所勤めの自分は生き方はイージーとは言えないけどね。あの映画では主人公たちが麻薬を楽しみ、売春婦を買い、最後は田舎の馬鹿者に偏見だけでショットガンで撃ち殺されるという印象だった。見る人によって感じ方は違うとは思うが。そんな生き方と、定年退職後の自由な生活を夢見ている自分とは五十歩百歩ではないだろうか。働かないで食っていこうとしているわけだから。やはり働けるうちは働いて少しでも日銭を稼ぐのがまっとうな生き方だろう。定年退職後はハーレーで日本一周なんて甘い夢を見るな! 「遊びたいとか、休みたいとかいっぺんでも思ってみろ。 そんときは死ね、鉄矢。」 今も聞こえる、あのおふくろの声。ぼくに人生を教えてくれた〜やさしいおふくろ。 なんて歌があったなあー。今なら人権侵害だね。死ねなんて禁句だからね。でも働く事が美徳でもあり、生きていく唯一の手段でもあったのだから。 ごちゃごちゃ言ってないで、まず日銭を稼げ、自分の食いぶちを稼いでからえらそうな事は言えという事なんでしょう。ごもっともです。 2009年10月5日 月曜日曇り 昨年同様今年も四年生だったので、運動会の表現はわらび座のソーラン節を指導する結果となった。何度も体育館のステージ上で踊って見せるはめとなり、股関節を痛める。個人差もあるだろうが、ぼくは50代後半の高齢化現象をかなり被っている事を深く自覚する事となる。ともあれ、こうやって踊りの指導を職業としてできる事は幸せなことと思うよ。最後かもしれないしね。 朝早く登校して正門前に立ちあいさつ運動をして思ったのだが、こどもたちはあいさつをしないねえ。友達同士ではあいさつをするのだが、正門前に立ちおはようございますと声かけをする教師には無視だ。これはおかしい。教師にあいさつもしないで登校できる学校って異常だ。登校を禁止して、あいさつできないなら帰れ!と言ってもいいのでは。もっともそんな事は言わないし、笑顔でおはようございますを、無視しているこどもにも繰り返しているのだが。 あいさつとは、群れや社会生活をしているオオカミやサル、人間などが行う社会的行為である。群れにはリーダーが必要であり、各個体の力の差異を認めそれらを組織して集団として狩りや収穫などの生きる営みを行うのである。だから、あいさつとは集団の中での力の差異を確認し、自分の集団の中での位置を確認する行為である。つまりあいさつとは集団の中で自分を守る行為なのだ。 だからあいさつをしない事は自殺行為にも等しい。具体的に言えば、、会社に行って上司にあいさつもしないような人間は首である。客にあいさつもできない店員は首だ。学校だけが、異常な社会となっている。 あいさつをして気持ちいい朝とか、あいさつはこだまするとか、心情に訴えるだけであいさつの社会的意味を教えてないからではないか。自分が子供のころは、近所のおじさんにあいさつもしないで素通りしようものなら、頭を小突かれたものだ。そういう教育が無くなってしまった事に起因していると思う。悪しき個人主義、まちがった戦後民主主義の行き着いた姿が朝の正門に見られるのだ。 まあこんなことを思い、時には説教したり、子どもに強制したりしている自分はますます孤立していくのでしょうねえ。 2009年11月21日 土曜日晴れ 2年連続宿泊学習に行く。まあ、好きで行っているわけではない。市が作ったものだから稼働率を高める必要があるのでしょうねえ、大体こういう施設は市内の小中学校に割り当てがあって、参勤交代のように行かざるを得ないのです。 雨でも困らないようにうどん作りをするのだが、これが自由が利かない。うどんにはゆで卵や鶏肉、ほうれん草などがセットとしてついているのでうどんだけというわけにはいかないというのだ。で、しかたなくその通りやってみるが、やはり食べ残しが多い。で、強引に申し込もうとすると、業者と相談してくれとなる。業者といったって相手は選定済みの業者だ。気に入らないからと別の業者にするわけにはいかない。必要なのは小麦粉と食塩だけなので、こちらで持ち込めば業者と交渉する必要はない。でも持ち込みは禁止なのだね。理由は食中毒だ。小麦粉と食塩の持ち込みでどうして食中毒になるのか。自分には納得が行かないのだが、相手は役人。 持ち込みさえ許可してもらえれば、国産の小麦粉にこだわったりもできるのだが、業者委託だと中国産のものかどこのものかはあずかり知らぬ事となる。請求された金額もどうしてこういう値段になるのと納得がいかなかった。持ち込みならもっと安くなると思った。仮に同等の値段になってもどこの産地のどこのメーカーで買ったものだからと納得も行くしね。 疲れた体で、反省会。なぜ勤務時間の中での会議にお菓子が並ぶのか。いくら自前のお菓子とはいえ、勤務時間内の会議中に食べるのはおかしいと思うよ。しかもいくらか早く学校に帰れたので、他の学年は授業中である。授業中に先生方が会議と称して菓子を食べるのもおかしいと思うのだ。お茶か水を飲みながら必要な反省だけ済ませばそれでいいのでは。後は休憩時間に自前の菓子を各自でも同僚どうしでも心行くまで堪能すればいいことではないでしょうかねえ。自分は菓子を食べない変人と思われているようだが、そうではないのです。 2010年1月1日 金曜日晴れ 冬休みの初っ端に日直になる。朝行って、まず飼育小屋の掃除だ。転がっている糞を塵取りとほうきで集めてごみ箱に捨てる。うさぎが外に出ようとするので、片足でドアを押さえながらの難行となる。広い校庭に出られては日直どころの騒ぎではない。一日中追いかけまわすはめとなるからねえ。真剣だよ。今度は水替え。餌やりと続く。 職員室で電話番をこなしながら雑務をする。弁当も職員室で済ませ、だれもいない校舎を見回り、修繕に来た業者の世話をし、一日がやっと終わる。ところが、校庭で遊んでいる中学生が帰らないのだね。仕方ないので、直接出向いて説得する。頭ごなしに早く出ろなんて事は言いません。あくまで物腰柔らかくお願いするのです。この中学校は挨拶を良くすると評判の学校らしい。小中交流会で当の中学校の先生が自慢していたのでらしいと書いたのだが、目の前の子たちは挨拶もしないし、タラタラと歩いて急ぐそぶりも見せない。極めて不遜、態度が悪いのである。所詮挨拶をする良い子と言ったってそれは利害関係のある人に対しての行動でしょう。関係の無い大人に対してはこの態度なのですよ。 後4年公立学校の教員でいなくてはいけないのは、正直つらいものがあるねえ。ぼやくぐらいは許されるでしょう。少しでもまっとうな青少年の育成に今年も務める事としましょう。新年の抱負です。 2010年6月24日 木曜日晴れ 南アフリカでワールドカップである。日本が一次リーグを突破できるかは明日の未明のデンマーク戦で決まる。なんせ夜中の3時である。見れないよなあ。 ところで教師の仕事とは、サッカーの審判のようなものだと思う。児童のできるだけ近くで活動の様子を見て、思いつきで無くしっかりとした判断基準、ルールに基づいてイエス、ノーを審判してあげればいいのである。そのジャッジが適正なものであれば子どもたちの活動は次第に落ち着いたしっかりしたものになる。反対に放任であったり、思いつきで不適切なものであれば子どもたちの世界は荒れたものになってくる。 適切なジャッジ、そして最後はイエローカード、レッドカードの切り札である。審判の判定に従わないものは退場である。そして親子ともども反省し、学校に登校願いを出せば通学がかなう可能性があるというのがいいと思うのだ。ところが日本の公教育にはこのレッドカードが無い。担任には何のカードも与えられていないのだ。これでは子どもたちの活動が無秩序になり、荒れてくるのは当然である。自分は、カードの代わりに首根っこを押さえつけて子どもに反省を強いている。だから自分の教室はうまくいっている。でも自分の首はいつとぶかはわからない状態だ。こんな事、他の先生には勧められない。だから学級崩壊、児童や教師の不登校が発生してくるのだ。ワールドカップを見ながらこんなことを思うのは、やはり自分も24時間教師と言う枠に苦しめられているのだろう。退職まで、後3年と半年余り。宮仕えと不合理に向き合って苦しんでいかなくてはいけないのだ。下請け業者の入れ替えとシステムの変更により、自分が10年もの間こつこつと作り続けた学校のホームページがすべて削除された。子どもの動画、写真、文章、作品、教育実践の記録などすべてである。暴挙である。何の相談も無く、上司の思いつきでこのような事がまかり通るのが役所の世界なのだ。 2010年10月3日 日曜日曇り 「座りまーす!」「座りまーす!」の大声の叱責が聞こえる。この座りますという言葉が変だ。座るなら黙って座れば済む事。子どもに言っているのである。だったら、座りなさいではないか。 授業が始まっても座席に座らない。教師が前に立っているのにおしゃべりをやめようとしない。学級崩壊の兆候である。でも命令言葉は使えないのである。体罰は禁止である。だから「座って下さい」というお願いの言葉になる。でもそんな弱弱しい言葉では通用しない、で、「座りまーす」の大声の叱責になるのでしょうねえ。 叱責と言ったってその後にげんこつが待っているわけではない。言葉の羅列だ。だから悪童どもは無視しているのだろう。 どうして、「座れ!」と言ってはいけないのか。教師の指示を無視するなら、首根っこを捕まえて席に押し付けてはいけないのか。日本の教育は狂っていると思う。 2010年10月27日 水曜日晴れ カウンセリングマインドと担任の立場は相入れない。つくづくそう思う。子ども同士、子どもと担任がトラブルになった時、いちいちこどもの気持ちを聞きとり、その心に沿う指導をするのがカウンセリングマインドなのだがね。でもそういう事をやっていられないのだよ。40人の子どもを抱えている立場では、子どもの問題行動に対しては秒単位で判定し、指導する事が求められる。それができなければ、クラスは荒れてくる。 大体しつけとは押し付けである。説諭したり、納得を求める行為ではないのですよ。小学校の現場ではこのしつけという指導が多い。だのにそれをカウンセリングマインドでやれと教育委員会が指導してくることが現場に混乱を持ち込み、担任の心身症を増やしている原因だと思うね。心を指導する必要はないのです。行為や言動を規制する事が指導なのです。 内面の指導をしようとするから困難になる。楽しい学校、やさしい子なんてのをことばで指導しようとするからわけわかんなくなるのです。そんな抽象的なお題目は適当に作文しておいて、要は外面的な指導を徹底すればいいのです。黙って人の話を聞くとか、呼ばれたら返事をする、挨拶をする、チャイムが鳴ったら席に着くなどの行為、言動を規制すればいいのです。そこを徹底すればおのずと内面の指導ができるようになります。そういう規制というのは説諭でもないし、児童に納得を求めるものでもないのです。いわば大人の押し付けです。それができない教師が心の指導をしようとしてもできるはずが無い。できない事を追い求めたら心身症になるのは明らかじゃないですか。規制をするということは、力の行使です。殴るけるではないですが、力で押さえつける事が前提になります。それを体罰だ、子どもの意見を聞かない、人権侵害だなんて騒ぎたてたら、何もできない。赤ん坊に箸を持たせるのに、説諭したり、納得を求める親がいますか。ほめたり、叱ったり、時には力で押しつけたりして教えるのです。それが教えるという行為の基本なのです。 よく武田鉄矢ふんする金八先生が説教する場面がありますが、あれは外面の規制ができるようになった教師だけができる行為なのですよ。それがそれまではクラスが私語のるつぼになっているのに、急に武田鉄矢の説教に子どもたちが耳を傾けるようになるからぼくはあれはうそだと思うのです。違和感ですね。あんな事は現場ではありえないですね。どんなにりっぱな事を言っても、外面を規制できない教師の話を静かに聞く教室はありません。そんなに楽な商売じゃないですよ。話がうまいだけじゃだれも聞いてくれないです。まず、人の話を黙って聞く外面的規制を作らないとだめなのです。それが現実、真実です。現場の教師だから言える事です。 2011年1月15日 土曜日晴れ 3学期が始まって一週間が過ぎた。先日は避難訓練だ。6年の男子が他の学年の子たちが遊びを中断して避難しているのにいつまでもバスケをやめない。確信犯だね。登校でも帽子をかぶらないのは6年生だ。下の子たちがまじめにやっているのに大きな子がずるをしている。それを何年もずっと見ているわけだから、大きくなったら同じ事の繰り返しなのかねえ。他学年の子、しかも悪いとわかってやっている子をしかるのは危険な行為だ。反発されるし、親からも苦情が来る。暴言を吐かれたとか体罰を受けたとかだ。そうすると管理職から呼び出されて聞き取りを受けるはめとなる。体罰なんてやってないのだ。事実無根。それでも一々聞き取りを受けるのは馬鹿馬鹿しくてやってられるかという気になる。だからよっぽど腹にすえかねる場合以外はほっとく事にしている。 教師として不誠実だと思うが、自分自身が教師として扱われてないわけだから当然でしょう。どうしてもっと教師に敬意が払われないのでしょうねえ。子どもの言い分、親の言い分が第一なわけだ。子どもに挨拶指導する前に、まず教師が保護者が来校した時に笑顔で元気よく挨拶しているのかそれが問われる時代だ。 管理職としては部下の教師としての働きより、保護者からの評判の方が大事なのでしょう。そっちの方がわかりやすいからねえ。でもまじめに人としてこどもをしつけよう、育てようと指導に当たっている教師には、やる気をそぐ時代である。 大人の社会でも同じでしょう。電車で携帯をやっている男性を注意したら、殴られて殺されるとかね。女性だと痴漢にでっち上げられて警察送りだ。だから誰も見て見ぬふりですよ。それが今の狂った時代を生き抜く知恵。情けない、住みにくい国である。 先日レンタルビデオで「告白」を見た。中1のクラスだ。担任の女教師の4つの女児が受け持ちの子に殺されるのだ。それもショッキングだが、このクラスの授業がひどい。教師の話中なのに私語が飛び交い、物が飛び交い、携帯のメールが飛び交う。これを見た外国の人はどう思うだろうねえ。日本の公立学校とはこういうものと思うでしょうか。フィクションと思うでしょうか。ぼくは事実ああいう学校が存在すると思う。 体罰が否定され、退学も停学も懲戒権もありはしない今の日本の学校だったらああいうふうになって当然でしょう。ぼくも告白したい。いや告発だな。 2011年3月5日 土曜日晴れ 成績付けだ。文科省の指導により絶対評価になって久しい。80%以上がA 40%以下がCだ。ところが市販テストを使用しているのでまじめに指導しているとクラスの大半の子が80点以上取ってしまう。絶対評価なのだからそれならそれでいいはずなのだがダメと管理職が言うのだね。クラス編成は平等にしてあるのだから特定のクラスのみが好成績なのはおかしいと言うのだよ。だとすると教師がどんなにがんばってもどのクラスの成績も同じと言う事になる。それじゃ教員の勤務評定は何で測るのかねえ。いくら指導成果を上げても隣のクラスと同じAの数にしろと言うのでしょう。だったら教師の勤務評定は指導と関係無い所、はっきり言ってごますりで決まるのでしょうねえ。 馬鹿馬鹿しい話である。私の市では、Aは90%以上、Cは60%以下となってしまった。それでも指導にがんばるとAの子の数は増える。で、昔やっていた相対評価の縛り、Aは30%のクラス内人数となってくるのだ。まあ、自分も役人の端くれなので仕方なくAの子は30%になるよう調整しているよ。ところが、まだあるのである。 各教科の評価項目は大体 関心意欲態度、思考判断、表現処理、知識技能の4項目に分かれている。 関心意欲態度なんてテストで評価できないから、市販テスト業者も作って無いのだよ。 だからこれは点数処理できない。点数処理できるのは後の3項目だ。達成率は90%以上ならAだね。3つの項目の内、菅さんは一つは99%の達成率だったが、後の二つは89%だった。従って総合すると277割る3だから92%となる。これに対し小沢さんは二つ90%で一つは60%だった。だから総合は240。平均は80%である。菅さんの方が総合評価は遥かに高いのである。でも菅さんはABBになり、小沢さんはAABである。当市の評価では菅さんは3段階の2となり、小沢さんは3という事になる。これって変。 90%以上はAという達成率を導入しながら、最後は項目数の手作業的な操作で3段階評価するから変なのである。最後まで達成率で押し通せば整合性があるのに、どうして別の評価方式を導入するのだろう。おまけにだ。学年末は1,2,3学期のAの数で決めるから余計達成率と矛盾する評価となる。まったくこれを考えた人は頭が悪いと思う。 せっかくexcelで点数評価しても最後がこの手作業的なカウント方式なので馬鹿馬鹿しいのだ。テストの点だけで評価するのがいけないのなら、発言数やノートやレポートなどの評価を点数化して入れればいいのだから、excelで総合評価できない事はないのである。でも最後に待っているのがこの手作業的カウント方式なので達成率とどうしても矛盾する結果となるのである。 整理すると、 絶対評価なのに人数の縛りをやっている。 達成率と言いながら、最後は項目の評価数をカウントする別の評価方式を入れている。 そのため、膨大な時間と労力を使っても非合理な成績評価となっている。 まあぶつぶつ文句を言いながらそれでも役人の端くれなので仕方なく成績づけする今日この頃である。 |
2011年3月12日 土曜日晴れ 5時間目ごんぎつねの音読発表会が一通り終わって5分休みに入ったところだった。子どもたちはトイレや水飲み、おしゃべりで教室がにぎわっていた。突然ゆらゆらと揺れ出した。地震だ。それもかなり大きい。すぐ机の下にもぐり、足をつかむよう指示した。黙る事も。あまりのゆれの大きさに自分も覚悟を決め教師用机のそばにあるヘルメットをかぶる。避難放送が入る。出席簿と鉛筆を持って校庭に避難。人数確認、報告。大きな余震が想像されたが、組織として動かなくてはいけない。管理職の指示に従う。全校の人数確認が終了したので、一旦教室に入らせ帰りの用意、その後集団下校班に編成し直して下校させる方針が決まる。ところが、入らせようとしたら校庭自体がまたゆらゆらと揺れ出した。これでは校舎に入らせるわけにはいかない。カギっ子が何人かいるので取りあえずカギは取りださないと。担任のみ校舎に入りカギを持ち出す事になる。うちのクラスも聞くと8人ぐらいいた。みなランドセルの中にあると言うので、教室に戻る。校舎に入るとまたゆれだした。命がけだなと思う。なんとか8人分のカギを探し出し、持ち出す。校庭に戻り、子どもたちに渡す。だが遅いクラスもあり、全体の足並みはそろわない。また全校の人数確認だ。これに時間がかかる。その内トイレががまんできない子が出てくる。この寒空だし、気分的な事もあるのだろう。体育館と外トイレを開放する。今度はトイレに行く子の長蛇の列だ。全体がそろわない。だから次の集団下校に移行できないのだ。もう4時に近づいて来た。避難して1時間も立つ。保護者も迎えに続々と来る。でも引き渡しを始めるとまた待機時間が長くなる。集団下校にこだわらず一斉下校と進言したのだが、だめだった。一斉下校ならトイレの子はトイレに行かせればいいし、帰れる子はそのまま帰らせる。迎えに来た親は門の所でこどもといっしょに下校すればいいのだ。すぐにこどもを解放できる。 とうとう 「いつまで待たせるんだ。自分の子を迎えに来たのにどうして帰らせない。ほかにも家族がいるんだぞ。」 と喧嘩腰で怒鳴りつける父親も現れる。 なんとか集団下校班に編成し直して下校させる事ができた。 今回の反省。ケースバイケースで今回のようにゆれが治まり下校させる事ができるのなら集団で帰ろうが一斉で帰ろうが安全面でちがいがあるわけではない。一斉下校で早く下校させた方が混乱が少ない。校庭に避難した段階で人数確認はできているのだからそこで解散させればよかったと思う。教師は児童の下校の列に付き添うとかすればいいのだし、それぐらいしかできる事は無い。それをいつまでも人数確認をしたり、全員がそろうまで下校させないというやり方をするから1時間以上も下校を開始する事ができなかったのだ。引き渡しとか集団下校とか実際とはそぐわないと痛感した。 |
2011年3月14日 月曜日晴れ テレビであの地震が未曾有の災害だと知った。驚愕する。観測史上最大のマグニチュード9。津波で町も村も飲み込まれていた。我々は不自由を忍べばいいだけなのだ。被災地の方々に比べれば。 ガソリンスタンドも閉店し、スーパーもコンビニの棚も空が目立つ。計画停電も始まった。学校の給食もストップだ。でも我々は不自由を忍べばいいだけなのだ。被災地に近い地方のスーパーの方が陳列棚に商品があると報道されていた。皆に商品が行きわたるよう配慮して買い物をしているようなのだ。それに比べこの地では買い溜め、買占めに走っているようで恥ずかしい。被災地の方々にできることはないだろうか。 2011年3月19日 土曜日晴れ 疲れた一週間だった。連日のように7時半に横断歩道に立つ。安全指導だ。停電の時は信号機がつかない状態で児童の安全を確保しないといけない。命がけだったね。来週もこれが続くのだ。幸いその後は春休みに入るのでほっと一息だが。4月も続くのだろうか。新入生の集団下校もあるし、現場は大混乱になるだろうね。通勤のガソリンも手に入らず、へたすると自転車通勤にならざるを得ないかもしれない。そうなると7時半に横断歩道に立つのは容易な事ではなくなる。ガソリンの供給は大丈夫だという話だが、風評による買い溜めが横行しているため手に入らないのだ。自分さえという考えを捨てて、冷静になってほしいと思う。 2011年3月26日 土曜日晴れ 春休みに入る。計画停電は新年度になっても続くようだ。困るのがトイレの水が出ない事。自分なりに調べたら屋上から各階へ流れるような配管のシステムなのだ。従って電気の力が無いと屋上に水が行かないため一階でも水が出ない仕組みなのだね。学校は避難場所にもなっているのに、停電だと水が出ないのだ。各家庭では水が出ていてもね。これって変。耐震工事をした時に、せめて一階部分だけは普通の家庭同様通常の水道圧で水が出るよう配管工事をすれば良かったのに。役人の怠慢だと思ったね。 2011年5月2日 月曜日晴れ やっと一月が終わった。大変な一か月だった。震災で校舎の修理が必要になり教室の移動もままならなかった中でようやく引っ越しが済んだと思ったら、今度はだれがどのクラスを持つかでもめて、再度引っ越しをせざるを得ないはめにもなる。結果的にはがまんしてくれる人がいて名簿の入れ替えだけで済んだのだが。 遠足の下見も震災による計画停電や放射能汚染などでどうなるかわからず、一人で休日に行くはめとなる。学年自体は3年生だし、自分は今年も学級担任でいられたのでそういう意味では問題は無かったのだが、それ以外の事柄でえらくストレスに感じられたこの一ヶ月間だった。連日夜の7時、8時まで職員室で事務に縛られる日が続いた。教材研究はできず、いわばどうでもいいような雑務に追いまくられていたわけだ。安上がり教育行政というか正規職員が減り、臨時任用職員が増えて来た事も一因かもしれない。学年主任という役回りで雑務に追われた事もあろう。 ともあれ、子どもの顔も覚え、仕事も回り始めたので一安心である。退職まで後2年と11ヶ月。自己の信念を貫き通すだけである。結果首になろうともそれはそれでいいではないか。無理に定年を迎える必要はないだろう。 今日は体育館で三色鬼を行う。ようやく子どもたちが自分たちで遊びを仕切り、楽しめるようになってきた。こうなると教師は安全面を配慮し、子どもを見るだけが仕事となる。 指導するのも楽しいが楽しく遊ぶ子供らを見るのも楽しいものである。教師冥利に尽きる。計算ゲームはまだまだ軌道に乗らないが学習に向かう姿勢は作れてきた。いずれ学習集団として機能してくるという確信が持てて来た。こうなると明日の実践が楽しみになってくるものだ。明日は教室で何をやろうという意気込みが出てくるのですね。こうなると教室日記は楽しいものとなります。 2011年6月17日 金曜日小雨 水泳指導が始まる。以前は9月の中ほどまでやっていたので、暑い日に入る事ができた。運動会も10月にやっていたので秋晴れの下でできた。だのに最近は梅雨時の6月で規定時間が終わってしまう場合が多い。運動会も台風が来るとわかっている9月下旬にやるのだ。道理が無い。 地区研が10月のため、運動会が9月下旬になり、水泳指導は一学期中に済ませる事となるのだ。地区研の準備が大変だからねえ。9月は運動会の準備が大変だからねえ。だから水泳指導は寒いとわかっている梅雨時に済ませる結果となる。馬鹿だ。地区研なんてやめちまえばいいのだ。俺は会員じゃないしね。 そうは言っても多勢に無勢。平教員の自分に変える力があるわけでもない。昨年まで寄る年波とやせ衰える体力のため、プールサイドで倒れるのではないかと思う事が度々あった。要するに皮下脂肪が無いのですよ。痩せすぎなのです。で人工的に皮下脂肪を着ける事とした。ウエットスーツを着込む。ラッシュガードでは却って冷たいのです。あれは日焼け防止の役しか立たない。 ウエットスーツは着脱がものすごく大変だし、体の自由がきかなくてストレッチ指導が困難です。でも水に入っても冷たくない。泳ぐと背中のファスナーから水が入り冷たいが、体温で温められるので、ラッシュガードのように濡れねずみ状態でガタガタ震えるという事がない。比較的耐えられるのです。もちろん限界はあります。ドライスーツではないのでね。障害は一つ克服できたのだが、プールが汚い。原因は鴨の糞だ。塩素をいくらまいてもプールの底に溜まっている糞は取り除けない。ネットでいろいろ対応を調べる。鴨は駆除できるとわかったが、住宅街の真ん中のプールで散弾銃をぶっ放すわけにもいかないでしょう。駆除は無理。 次はプールにカバーをかけてしまう。これはいいね。値段は20万ぐらい。市内で買っている学校は無いので、買ってもらえないだろうなあ。要求するぐらいはいいか。やってみよう。 2011年7月2日 土曜日曇り 一時間目から32度だ。漢字スキルなどの丸つけを始めると子どもの行列となる。こどもの熱気でさらに暑くなる。汗が止まらない。教室はサウナとなる。こどももかわいそうだが、58になろうという初老の身には酷でもあり、危険でもある。まあ金をもらっているのだから文句言う筋合いではないか。自分は馬鹿信念の持ち主だからいいが、善良な教員は暑さだけでなく精神的にも追いつめられている。自分が一番正しい、まわりの人間はみんな馬鹿なのだと思えばいいのだが、そうは思えないのでしょうねえ。自分の努力が足りない、自分がいけないと思わされ苦しんでいる同僚がたくさんいる。そんなことはないのだけどね。そう思い込ますまわりの馬鹿どもがいるのですよ。 先日のプールは気持ち良かった。ウエットスーツは浮力が高く、仰向けに寝転ぶ事が可能。指導の合間に時々ストレッチして青空を見る。自分の指導に従って懸命にがんばる子どもたちを見るのは実に至福な瞬間である。 2011年7月6日 水曜日曇り 成績付だ。絶対評価と言いながら学年でABCの人数を揃えてくださいと言われる。その揃える基準表が県から配られる。結局、昔の相対評価の配分と同じである。点数でランク付けできるexcelソフトを一生懸命作っても、点数で評価するのは最も安易な方法ですと馬鹿にされる。点数でCランクでもBランクにしてもいいと言う事だ。客観性は求められないというのですね。まあ小学校の成績なんて担任の主観に負う事がほとんどだからそれでいいとは思うけど。だとするとなんでもありの無法地帯だね。まあ自分の良心を痛めない程度に周囲に配慮しつつ成績付する事とする。筋の通らない話だとは思うけどね。 毎日汗だくになり、疲れ果てる。大した仕事はしてないとは思うのだけど、もう年老いているのだね、身体が悲鳴を上げている。それでも放課後だれもいない校庭で懸垂から逆上がり、空中前回り連続5回をやる。これが密やかな今の自分の自信、プライドである。 2011年7月18日 月曜日晴れ 金曜日の放課後。来週は台風直下も予想されるので道具箱やなんやかやも防災頭巾以外すべて持ち帰させる。そうは言っても例によって指示に従わない子もいるのだが、大半の子は持ち帰り教室はがらんとする。家庭によっては来週から夏休みに入る子もいてあゆみなど早目に渡す事もある。今日は給食も掃除もなく帰らせたので、一人で弁当の後私物の掃除機をかける。きれいになった床の上でストレッチなどする。33度もあるのだが連日の成績付の疲れからかごろっと仰向けになる。暑苦しいはずだが疲れの方が強いのだろう、眠くなる。へたしたら熱中症か脳卒中で教室で一人あの世行きだ。ピータイルが後頭部に痛い。さすがに枕は無いのでね。このままでは本当に危ない。だれも来ない教室で野垂れ死にするわけにはいかないからね。起き上がると少し体が楽になった。引退した方がいいのではないだろうか。夏を超えると運動会だ。汗だくになって踊りの指導をしなくてはならない。命の心配はないのだろうか。目は眼底出血による失明の危険があると医者は言っていたが無視したままだ。夏休み思い切って医者通いしてみるか。教育を語るこのサイトが管理者の高齢化により病気サイトに変わりつつあるのは笑えない笑い話であるなあ。 2011年7月28日 木曜日曇り いわゆる官制研修というやつだ。勤務として講演会を聞きに行くのである。だからあまり期待はしていなかったのだが、これが小気味良かった。野口芳宏先生の授業を受けるという形の講演会であった。先生の発問、答えを書かせられる、強制的に全員だ。名前を呼ばれたら返事をするから手の上げ方まで指導される。発言の声量まで指導を受ける。今名前を呼ばれても返事もしない大人が一般的だから教師だって同様なのである。机間巡視の上発表させられ先生の解説となる。発問、挙手の授業では挙手する児童がいなければ成立しないので、先生は挙手を求めず全員に自分なりの考えを書かせ机間巡視して発表させているそうだ。このあたりは一読総合法の書き込み指導と重なるね。 第一問がおもしろかった。授業の主役はだれかというのだ。圧倒的多数が児童と答えている。これは当然だろう。そういう風に我々は指導主事に指導させられているのだから。画一的指導は過去の遺物であり、これからは児童の主体性を尊重した授業を展開していかなければいけませんよと指導されているのです。だから指導と言う言葉は否定され支援しなさいとなる。教師は指導者ではなく、学びの主体性を持っている児童の司会者、黒子に徹しろと指導されているわけです。 授業と言う言葉は業を授けるというのだから主体が教師であるのは自明の理である。それをわからない大人はいないだろう。でも教師とは小役人である。学習の主体は児童だから授業の主役は児童ですよと上から言われると納得しなくてもそう考えなくてはいけないのである。自分はそう思わないから職場で孤立している。 野口先生の解答は教師が授業の主役でなければ授業など成立しないというものだった。自分は同感だったが教師は支援者です、司会者ですという反論も出ていた。指導主事に教わったように答えているのですよ。 で、実際の授業が展開される。 「母の日の花に囲まれゐて」の次の言葉を考えよというのです。自分は以前聞いた事のある俳句だなあと思ったが思い出せなかった。大多数の参加者が聞いた事がなかったのでしょうねえ、とんでもない解答がどんどん出てくる。それを野口先生がばったばったと切り倒しながら解説に進むのである。この授業展開を体験すると授業の主役は先生と言う事が実感されたのでしょうねえ、先ほどの授業の主役は児童だと反論した教師が自己の見解を訂正したのです。このあたりはうまい!と感じましたね。でもそれは指導主事から国語教育の第一人者と紹介された講師だから安心して自己の見解を訂正できたのだと思うね。同じ事を平教員の自分が言ってもだれも同意しないと断言できるよ。 いずれにしろ緊張した授業の中で野口先生が一斉授業こそ効率的なのです、グループ学習など息抜きの場にすぎないのです、グループ学習で読みが深まる事は無いのですという言葉はその通りと思った。グループ学習が今流行っているのです。グループ学習が無いと画一的で教師主体の授業だと非難されるのです。個を生かす、児童の主体性を尊重するものとしてグループ学習がもてはやされているのです。グループ学習など息抜きの場に過ぎないという言葉には溜飲が下がる思いがしたね。あってもいいゆとり程度の物なんですよ。授業の中心は教師の解説、一斉指導なのです。子どもを引きこむ手立てとして、書かせたり、音読させたり、発言させたりがあるだけなのです。 先生の略歴から年齢を計算するとなんと75才である。これが最も驚いた事かもしれない。75でもこれだけ自己の信念を叩きつけるような講演が展開できるのですね。若い者と協調していくことを期待されている身にはうらやましいと思いましたね。 ただうらやむだけでなく、自分も自己の信念を貫き通す実践を重ねて行くべきだ。多少弱気になっていた自分を叱咤激励する。とは言え体が持つかどうか。 2011年9月9日 金曜日晴れ 体育館でソーラン節を指導している。全員はだしだ。まず、靴の揃え方が良くない。壁際に整列させないといけないのに、乱雑だ。そこから説教が始まる。さっそくやり直せる。踊りを知らない君たちは踊れる先生を尊敬する所から学習が始まるのだ。尊敬の気持ちが素直さを生み、それが学習を成立させる。知らないから一生懸命話を聞き、動きを見、形をまねる。それが学習なのだ。君たちは踊りを通して学習とは何かを今学んでいるのだ。教わったから感謝の気持ちが生まれるのは人として当たり前の事。だから学習の終わりにはありがとうございましたと言うのです。 200人近い児童を前に説教だ。微動さえ許さない緊張感。これが学習だと思う。それから踊ると格段に動きがよくなるし、第一顔つきが全然違う。美しいのだ。美しさを引き出さないといけない。美しさは子どもが背伸びをして届かない物に懸命に手を伸ばす所作から生まれる。子どもが手の届かない物を提示しそこに向かって努力する気持ちを作らせる事が肝要だ。それが子どもの心に誠実さを生む。教師とは夢を語る事、未来を指し示す事。助言者でも支援者でもサポートする人でも無い。指導者なのである。 体育館は君たちが掃除しているのか。体育館を作ったのは君たちの親か。君たちがはだしで汚した体育館は、6年生のお兄さん、お姉さんが掃除している。体育館は君たちが会った事も見た事も無い、全国のおじさん、おばさんが働いて納めている税金から作られている。その上でこうやって踊る事、学習する事ができているのだ。だからお願いしますから始まり、ありがとうございましたで終わるのは当たり前の事なのだ。 そう説教しているうちに奇妙な事に気付いた。今の授業はどこのクラスも 「始めます。」 の唱和で始まり、 「終わります。」 の唱和で終わるのだ。だれの発案かは知らぬがどこもやっている事を考えると、著名な教育評論家か文科省の指導官かが考え流布した事だろう。 授業の始めにもし子供が言う言葉があるとしたら、それはお願いしますだろう。終わりに言うべき言葉があるとしたらありがとうございましたでしょう。自分は一々授業の始め終わりにそのような事は言わせてはいないが、始めます、終わりますの唱和には違和感を感じていた。これでは教師に対する尊敬の気持ちも教わったことに対する感謝の気持ちも生まれない。いや授業の主体者は児童であるという思想からこれから学習を始めます、終わりますという唱和になるのだろうか。だとしたら、教師とは学習を側面から支援するスタッフにすぎないわけだ。端から尊敬や感謝の対象ではないのである。ひたっと腑に落ちた。 回りを見ると確かに従順でまじめな教師ばかりである。でも自分の頭で考えなくてどうする。自己の良心に基づいて行動するのが憲法の精神ではないか。一人ひとりが自己の良心に照らし合わせて物ごとを判断する事に寄って権力の暴走を防ぐ事になるのだ。それがわからんのか。 2011年9月29日(木)晴れ 秋晴れの良い天気だった。午前中は理科テストの直しの後、ローマ字ノートと算数プリントをひたすらやらせる。これで次の単元に進めるだろう。5,6時間目は外で運動会のリハーサル。鈴割り、団体競技、80m走、ソーラン節を一通りやる。こどもは随分疲れたようだ。自分も腰が痛く、校庭を走って移動する事ができず、歩くしかなかった。ともあれ、これで自分の運動会は終わった。運動会当日の子どもの動きに興味関心は無いのである。子どもは親の前で一生懸命がんばる。それは教師の指導とは離れた物だ。運動会とは親子の物である。そこまで仕上げる所に指導のおもしろさはあったが、もうそれは終わってしまった。だから自分に取って今年の運動会はもう終わったのである。後はやっつけ仕事が待っているだけである。 2011年10月7日(金)晴れ 公開授業をする。ちいちゃんのかげおくりだ。父親は出征し、母親と兄は焼夷弾にまかれて行方不明。近所のおばさんに連れてもらってやっと家に着いたら焼けて無くなっていた。食べる物は背中にしょっているざつのう中にあるほしいいだけだ。きっとおかあちゃんとおにいちゃんは帰って来る。ひたすら待つちいちゃん。親切にしてくれたおじさんもおばさんもそれぞれ立ち去ってしまった。一人ぼっちのちいちゃん。少しだけ食べて寝る。次の日の朝が来て昼が来て夜が来て、少しだけかじる。朝が来た。かげおくりのできそうな青空だ。お父ちゃんの声が青い空から降ってきた。お母ちゃんの声もふってきた。お兄ちゃんの声も。かげおくりを始めるちいちゃん。でもそこにあるのは一つだけのかげぼうしなのだ。子どもたちと読みの交換をしているうちに、天国にいるお父ちゃんやお母ちゃんお兄ちゃんはちいちゃんを見て励ましてくれているんだね。でもちいちゃんに届ける声はあっても体がないんだ。だからかげぼうしは一つしかできない。親の心を思ったら思わず嗚咽しそうになった。作品の世界に自分が深く入り込んでしまった。入り込んでしまった原因は子どもたちの瞳だ。 戦争に行っていないはずのお父ちゃんの声が青い空から降って来たのはなぜ。何人かの子が天国に行ったからと書き込んでいた。全体の話し合いの中から自分の考えを訂正してお父ちゃんは亡くなったという子が全員になった。お母ちゃんの声も、の「も」に着目させて話し合い、お母ちゃんも天国に行った。お兄ちゃんも天国に行った。つまり戦争で殺されたり、しょういだんで焼き殺されたりしたんだ。ちいちゃんは?空に四つのかげぼうしができましたの書き込みでちいちゃんも天国に行ったという意見が大半を占めた。でもちいちゃんは死んでいない、死なないという意見も出た。そういう考えも尊重しながら、でも文に沿って読み取っていくとちいちゃんも天国に召されるのだねと授業を進める。何度も嗚咽しそうになる自分を抑えるのに必死となった。自分の授業がどういう評価なのかはわからない。他人の評価なんてどうでもいい。ぼく自身が今日のこの授業の中で体験できた事、それは幸せだった。教師だからこそできた体験だと思えた。 2時間目の授業だったので業間休みは職員室に戻る。同僚がちいちゃんの立場からお父ちゃんの声、お母ちゃんの声が聞こえるという読みをしていたのだが、親の立場からちいちゃんを励まそうとして声かけをしているんだという先生の読みを聞いて、また声は届くけど体がないからかげぼうしができないんだという読み取りを聞いて涙が出てきましたと涙ぐんでいた。一人でもそう言ってくれる同僚がいて幸せだった。 思うに教師が黒子に徹するいわゆる児童が主人公の授業だとこうはならない。教師が単なる司会者に徹して子どもの発言をひたすら板書し、紹介していく授業ではこうはならないのです。やはり教師の読みを提示し、子どもの読みを引き上げていく作業をしないと子どもの読みは深まらないのだ。深まると言うのは自分の読みを訂正する事です。子ども同士の読みの交換だけでは自分の読みを訂正する所まで行かない。教師の読みが提示されてそれが子どもに取ってそういう読みがあるのかという驚き、尊敬が無いとできないのです。 教師には大人としての読みの深さが求められるのです。だからこそ教師なのです。子どもより高い次元の読みを提示できなければ、平板な授業になるのは当然だし、子どもたちはその授業の中で学び、自己を高める事がないのですよ。それは授業とは言わない。単なるおしゃべり、サロンですね。 2012年1月26日 木曜日晴れ口内炎と膝痛、おまけに腰痛までぶり返してきて三重苦である。しゃべくりがつらい。体育の見本がつらい。まともにできるのは、丸つけぐらいである。で、せっせとこどもの作文や、漢字、計算に丸つけしている。まあ当面できる事でがんばるしかない。一向に治らないのでもうあきらめた。このまま行ける所まで行くしかない。でも子どもと鬼ごっこぐらい楽しめる教師でいたいなあ。当面叶わない願望である。 2012年2月18日(土)晴れ 膝が回復せず、かかりつけの医者に相談したらMRIの写真を撮ってきてほしいと言われる。3億円もする機械なので当医院には無いと言われる。そんな高価な機械を使用するとなると使用料も法外なのではないかと心配になる。ネットで調べると2万5千円もするらしい。健康保険が効くのでその3割らしいが。 紹介状を手に予約してもらった日時にその宝くじを思わせる機械のある病院に伺う。 11時半に撮影だが、受け付けは30分前に済ませる事になっている。5分前ではいけないんだね、これが。約束の時間を5,6分過ぎてから兄ちゃんに案内される。膝の撮影なのに手術服のようなものに上下着替えさせられる。これは意外だった。パンツ一丁になった後この寝巻ともパジャマとも言えないような服を着る。緊張するね。 大きな機械だ。硬いベッドに寝かせられる。右ひざをベルトで動かないよう固定される。さらに動かないよう念入りに注意される。工事現場のような大きな音がしますからとヘッドホンをあてがわれる。そういえばさっきから部屋中に響いていた生き物係の歌が両耳から大音量で流れてくる。何かありましたらこのボタンを押してくださいと有線式のボタンを渡される。これが緊急呼び出しになるのか。兄ちゃんは部屋から出て行った。20分も撮影に時間がかかるとのこと。驚く。レントゲン写真とはえらい違いである。 ギーギー、ガーガー、ガガガガという大音量だ。見る物は液晶のパネルによくわからない表示がしてあるのと、天井の強い光を発するライト二つだけ。これなら天井に液晶テレビのモニターでもくっつけておいてくれればいいのにと思う。 最初は20分寝ておけば楽勝かと高をくくっていたが、腰痛のため腰が痛くなる。寝返りが打てないのでどんどん痛みが増してくる。ガーガーという工事現場のような大音量と生き物係のジョイフル、ジョイフルの大音量、腰の痛み。二重苦、三重苦となる。もはやこれまでと緊急呼び出しのボタンを押しそうになるが、大の大人がこれしきでどうする、しっかりしろと思いなおす。四の字固めを決められたプロレスラーのような心境。タップを打ちそうになるが、必死にネバーギブアップと自分を叱咤激励する。もうだめ、もう恥も外聞も無い、押そうと思ったら、 「はい、終わりました。」 と兄ちゃんの声。 よろよろ、へろへろになりながらMRIの部屋を出る。受付で7180円を払う。痛い、苦しい、怖い思いをして7千円も払うのか。暴力バーのようである。渡された写真がまたでかい。アドレスで来たものだから当惑する。ジャンパーの胸に入れる。かかりつけの医院に行き、先生にお見せする。半月板に亀裂あり、手術を勧められる。最悪の結果。退職まで後2年と1カ月。手術を受ける暇はない。どうしてもなら、辞めてからやろうか。当面様子を見る事とする。加齢による網膜変性で手術を勧められ、今度は膝の手術か。腰は伸ばして寝れないほど悪くなってしまったし、満身創痍である。人間やめますか、教師やめますか。別に教師を続けたいわけではない。金が無いだけである。 2012年3月16日金曜日 放課後、校長室に呼ばれる。 「教科担任をやってもらう。理由は親睦会に入っていないこと。地区研究会に入ってないこと。これから考えを変えて入るというなら、学級担任に戻してもいいけど。そうでないなら教科担任をやってもらいます。」 という宣言だった。ある同僚から火曜の放課後、 「○○先生は教科担任を希望したの。」 と言われ驚く。校長に来年の人事の打診はあるんですよねとその直後申し入れる。打診はするよとの返事。自宅に帰り悩む。 自分は学級担任を第一希望から第四希望まで記入して希望調書を提出した。教科担任の希望などまったくしてないのである。希望調書に記載してない人事をするなら事前に説明なり説得があるべきだ。水曜の朝校長に 「教科担任は希望してません。」 と通告する。 「先生には教科担任をしてもらいます。だれでもどの教科でもできるはずです。」 と言われる。 担任を外す理由はわからなかったし、それは人事権の無い自分にはどうしようもない事だ。教科担任を断ることはできないだろうと思う。でも専科として得意でもない図工や音楽、家庭科などを高学年の子に教えるのはいやだと思う。理科や社会ならまあ人並みの事はできるだろう。それなら受けよう。図工や音楽、家庭科などをどうしても教えろという事なら退職しようと決意する。そのつもりで校長室に入ったものだから、当初考えていた事、つまり理科や社会の専科なら受けます、それ以外なら退職しますという条件面の交渉になってしまった。でも自席に戻り考えると、担任外しの理由が上記の2点である事が気になってきた。これは思想差別ではないか。他人の思想信条を人事権で踏み絵のように押しつぶすものではないかと思えてきた。考えを変えるなら学級担任の希望を入れるけど、考えを変えないなら希望してない教科担任にしますというのはいやがらせではないか。 本来人事とは教師の希望や適性を尊重して適材適所に配置する事だ。それが子どもの教育にもよい影響を与える。親睦会に入ってない、地区研究会に入ってないから希望してない教科担任にさせる、考えを変えるなら希望通りの学級担任にするよというのは、人事権を盾にしたいやがらせだ。親睦会に入ってないのは前任校からだし、地区研究会に入ってないのは20年近く前からの事だ。今までそれを理由に処分された事も、学級担任を外された事もない。赴任してきて1年目の校長が上記の2点で学級担任外しをするのは、自分に対する個人的報復だと思った。だったら、校長の言う通りに教科担任を受けるのは、人としてまちがいだと思ったのだ。闘う決意をする。 1 教科担任を受ける上での条件闘争はしない。 2 第四希望までの中のどれかにしてもらう。 以上の要望が通らなければ、民事裁判を起こす準備をする。 追伸 校長が人事を強行した場合、4月からの専科授業はやらない。自己都合退職の手続きを取る。校長に対し退職に至った精神的苦痛、経済的損害を求める民事訴訟を起こす。 文責 ○○○○ 2012年4月14日 土曜日晴れ学年度末に来年の校内人事の希望を取る。今年は5年生の担任だったから、来年も5年生がいいとか、持ち上がりたいので6年が希望だとか、自分の子がまだ小さくて保育園の送り迎えがあるから低学年の担任がいいとかまあ、人によっていろいろだ。で、希望は第一希望から第四希望まで記入して校長に提出する事になっている。小学校は6学年しかないから第四希望まで書くとすると、1年、2、3、4年希望などとまあ書くわけですね。 自分は音楽が苦手だから、まあ上のような書き方で第四希望まで書いて提出しておいた。 ところが、今年も当然学級担任だろうと思っていたら、だめだと言われる。理由は、親睦会に入っていない事と地区研究会に所属していない事。考えを変えるなら学級担任に戻してもいいよと校長は言っていたけど、どちらも任意団体だし、それに所属していない事と学級担任の資質とは何の関係もないことだと自分は思う。 それに30年以上も学級担任をしている自分を敢えて専科にする事に何の教育的目的があるのだろう。特別指導学級の担任にする事も校長は視野に入れていたらしいが、なんか左遷のつもりなのだろうか。自分の言う事に従わない部下の希望は認めないよというパワーハラスメントに過ぎないと自分は感じた。公務員を私的な理由では解雇できないので、代わりに校内人事で嫌がらせをしようとしているようにしか自分には感じられなかった。 音楽大学出身とか理系出身というわけでも無いのだ。中、高の社会科免許しか当初持って無く、中学で採用され、そこから小学校の免許を取り、30年以上も学級担任のみやってきた。どちらかというと音楽や理科、図工は苦手な教員である。それを敢えて理科や図工、音楽などの専科にするというのは、子どもにとっても迷惑な話ではないだろうか。 なんかもう馬鹿馬鹿しくなって自己都合退職というのも考えたのだが、黙って言いなりになってやめるのも癪だ。民事訴訟を起こすと校長に通告したら、学級担任になってしまった。民事訴訟を起こすと言ったって校内人事は校長の専決事項だし、それに平の自分が異論を唱える事はできない。せいぜい任意団体に所属しないという思想信条の自由をパワハラで侵害されたという訴えが認められるかどうかだ。勝ち目があるとも思えないし、専科にされた以上学級担任に戻れる方策も無いだろう。でも闘う事に意義がある。やるつもりでいた。肩すかしを食った感じだ。 思うにこんな形で専科や特別指導学級の担任に、本人の希望や適性と関係なくされている教員がいるのだろうね。今まで想像した事も無かったが、自分の身に降りかかって初めて、ああこんなパワーハラスメントがあるんだとわかったよ。 2012年8月29日(水)晴れ
先日の研修会だが、講師の女性指導主事。手短に説明しますと電話応対していたのを上司に叱られたとの事。手短というのは障害者差別だというのだね。馬鹿馬鹿しい。それを言うなら手落ちも差別用語となる。手抜かり、手広く、手間取るなど労働、働きを手という表現をしているのであって、身体の事を指しているわけではない。家に受験生がいれば、すべる、落ちるは禁句となるが、それを自宅に訪れるすべての人に強要するようなものである。本来忌み言葉でも差別用語でもないすべる、落ちるが受験生の心を傷つける言葉となるわけですね。過剰反応である。こんなことをやっていれば、何もしゃべれなくなるし、本来の日本語の意味を破壊する行為である。知ったかぶりになって部下を差別者として糾弾するこの上司こそ差別を再生産する人である。 2012年9月14日(金)晴れ プール指導が終わる。ドル平の指導を徹底した。子どもも素直についてきたし、楽しかった。まずはプールサイドで伏し浮きから両手で水を押さえあごを上げて息を吐く事を指導。吸わないで吐く事に集中させるのがポイント。吐けば空気は自然に肺に入る。吸うと水を飲む危険が高い。あごを上げるとしりが落ちるのですぐに伏し浮きの体勢に戻る。そして沈んだしりを浮かせるためにトーントーンと両足キック。いわゆるドルフィンキックである。推進する事が目的ではなく落ち込んだしりを上げ、伏し浮きの体勢に戻るのが目的である。 だから次の指導は水に入りプールの壁を両手で押して息継ぎとドルフィンキックを繰り返す練習をさせる。まず見本を見せる。これが大事。見てまねるのが学習である。一度も足を着かず何度でも息継ぎができることを見せる。つまり息継ぎさえできればいつまでも長く泳げる事を理解させるのである。 次にプール中央まで往復させる。これも見本で泳いでみせる。肝心なのは伏し浮きの体勢を維持する事。バタバタしてバランスを崩すと足を着く事になる。つまり泳げないという事だ。できるだけ足を着かないで浮き続ける事を目的とする。速く泳ぐ事は目的ではない。むしろゆっくりと泳ぐ事を目的とする。 さらに泳ぎのコツを言葉で指導し、もう一度見本で泳いでみせる。 最後は2往復させる。時間がある限り、泳がせる。とは言ってもグループ別指導の時間は50分程度しかないし、30人を超える子が集まるので3グループに分けてのローテーションで泳がせるしかないのでやはり泳ぎ足りない。プール自体の回数も少なすぎる。一学期2回、2学期3回で終了だ。これで息継ぎを指導するのは至難の技である。でも子どもは素直によく学んでくれた。子どものゴール地点まで背泳ぎで先に行くのだが、白い入道雲が青い空に美しい。教師冥利に尽きる。 ぼくは自由時間は一切認めないので最後まで指導だ。第一自由時間は危険である。あれだけの人数が一斉に入水した時の安全配慮はできない。最初の水慣れは自由時間では無い。同一方向に歩かせているのだ。それに比べ指導終了後の自由時間というのは子どもがめいめい勝手に騒いだり、泳ぎまわっているのだから危険極まりない。どうしてああいうものをどの学年でも許可しているのだろう。こどもが喜ぶからというのは理由にならない。 2012年11月 九九の指導を始める。暗唱させて100ます計算をさせるのだが、チェックが大変。自作のエクセルプログラムだとパソコンが自動的にチェックしてくれるのだが、全員がパソコンを自宅に持っているわけでもないし、教室には一台も無い。週一回パソコンルームに連れて行くだけでは足りない。チェックの簡単な計算ゲームまで早く持って行きたい、そうすると飛躍的に計算力がアップする。経験上立証済みである。子どもたちはそういうこっちの思いとは関係なく 「三色鬼はやるの、やるんでしょう。」 とそっちの方に関心がある。三色鬼で楽しそうに走り回っている子どもたちを見るのも教師冥利に尽きるが、それだけではねえ。 若い頃は体力も有り余っていたから、こんな楽な仕事、もっと男らしい仕事がしたいなんて思っていた。保護者の評判なんて全然気にもしなかった。出世なんて考えてなかった。今は階段を上がるだけで全力である。教室中に届く声を出すのも全力である。全力で仕事をしている。せいいっぱいである。出世を考えてないのは若い頃と変わらないが、保護者の評判なりなんなりは多少気にするようになった。別に誉められようと思っているわけではない。一々保護者ともめるのが面倒になって来たのである。陰湿ないじめは別として、けんかなど子どもの世界には付き物、子どもどおしで解決できるようしばらく放っておいたほうがいい、子どものけんかに大人が口出しするのがそもそもおかしいというのが自論なのだが、今は一々取り上げて仲裁している。放っておくとその後が面倒。無能教師と罵倒されるだけだ。管理職は頭を下げろと言うだけ。馬鹿馬鹿しいので自論は棚に上げて一々仲裁する事にしている。これはストレスがたまる。馬鹿馬鹿しいと思っている事を嫌々やるのがストレスなんだね。正しいと思う事を全力でやるのが生きがいなのだろう。そう言う意味で言うと今の職場は楽しくないねえ。楽しくは無いが、ある程度折り合いをつけて働かないと公務員としては生きていけない。
ぼくが子どもの頃は大人は生活に追われていて子どもに構っている暇など無かった。だから子どもだけで群れをなして遊んでいた。けんかは自分たちで仲裁した。わがままは集団遊びの中で矯正され、自立心というかトラブル解決能力を育てる事につながった。19才でたった一人東京で自活する事になった時その力が役に立った。今の子はひ弱で、わがままである。生きる力がか細い上に暴君である。それをこれまた自己中な親が取り囲んでいる。これではなんの生きる力も育たない。幼稚でわがままなまま体ばかり大きくなれば社会そのものが殺伐としてくる。ホームレスいじめをする中学生、校内暴力、シルバーシートにふんぞり返る若者、みんな共通な根っこを持っているのだ。そんな事を主張しても聞く耳を持つ者はいない。三色鬼は自分が子どもだった頃の追体験を自分がガキ大将となってやらせている行為。担任にこだわっているのは、教科担任ではこういう実践ができないからだ。誰に誉められることも無く、自己の信念だけを信じて毎日全力で働いている。 全力と言っても他人から見ると何それって感じだと思うけどね。亀の全力走みたいなもんだよ。とりあえず今日がんばろうと。あんまり先の事は考えないと。もっともあんまり先も無いのだが。 2013年2月8日金曜日 先日三読法の大家の講演会に研修で参加する。もともと三読法は好きでないので気乗りしなかったのだが、勤務時間内なのでしかたない。勤務時間内といっても休憩時間は丸々カットの上、勤務時間外一時間延長だからひどい話だ。 まあ何を話しても日本は自由の国なのでいいわけだ。ただ気に入らなかったのは、子どもに対してそうじゃん、なになにじゃんというじゃん言葉というか末尾がじゃんになる話しかけだった。子どもをしかりつける時ならわかるが、授業で使う言葉としては国語教師としてふさわしくないと思ったし、聞いてて嫌な感じがした。 後、これはよくないまちがいだなと思ったのは、物語文と説明文の違いを際立たせる意味合いではあると思ったが、説明文は事実を述べていると解説した事だ。 説明文は筆者の考え、主張を実験結果や例示によって説明している文章であって、必ずしも事実や真理が書かれているわけではない。だから批判的に読む姿勢が良識ある国民としては望まれるし、そういう国民を育てる国語教育になっていなくてはいけないわけだ。 説明文を無批判に読む国語教育では、従順な国民、危険な国民を育てるだけだ。 例えば原子力発電を必要、安全と考える筆者の説明文と、原子力発電を危険、不要と考える筆者の説明文では物の描き方が違ってくるのは当然である。 物語文では、作者の作品世界に共感しながら読むことが求められる。共感できなければ読者にとってその作品はつまらないものだし、つまらなくていいのである。世評の高い作品を全ての読者がおもしろいと思う必要は無い。日本は自由の国なのだからね。 笠地蔵という作品が教材として提示されていたが、信仰心が無い人には理解できない話である。イスラム教やキリスト教など他信仰の人にとってもそうであろう。偶像崇拝をしない人にとって地蔵は意味の無いものである。 地蔵さんを大切にするのは日本人の一部の人と考えていい。すべての日本人が雪にさらされている地蔵を見てかわいそう、正月を迎えるための売り物だった笠をかぶせてあげましょう、自分のほおかぶりをつけてあげましょうと感じる必要はないわけだ。そう共感できる人にとっては味わい深い作品であるが、作者の作品世界を強要できることではない。これを読解教材として授業で提示することにそもそも無理があるのかもしれない。 またこの先生ご自身がおっしゃられていたが、子どもが学習に飽きる、疲れるというのだ。そりゃそうだろう。同じ本を3回も続けて読むのだから。全文通読して初発の感想を書き、その上で学習課題、学習計画を子どもが立てる。10時間なり12時間のね。それを計画通り学習を進めるわけです。それが三読法なのです。ぼくに言わせれば国語嫌いを作り出す学習法なわけですよ。だれが本を読んだ後、感想文を書き、学習課題を持ち、学習計画を立てますか。あなた好きな本を読んだ時そうしてますか。しないでしょう。まさに学校の中だけで通用する方法なのです。お勉強なのですよ。だから本嫌いを作り出す。それに比べると一読総合法は実際の読書スタイルに似ている学習法なのです。題名から本の内容を想像する。それから立ち止まり(本来なら一人一人立ち止まる所は違うはずだが、授業なのでそうもできないので教師が立ち止まる所を指定する)毎に行間に書き込みをし、それを元に話し合う。心を動かされたことをね。その先の展開の予想なんかも話し合う。だからおもしろい。全文通読なんかしないからね。最後まで読み終えたらおもしろかったね、楽しかったねで終わりです。感想文を強要する事はありません。書いてもいいけどね。だからぼくは一読法が好きです。三読法は異常な読書法だと思います。 まあこんな事を聴衆の先生方が皆りっぱな講演会だと感嘆している中で感じている自分というのも、困ったもんである。こんな異端児が百足競争みたいに足並みそろえて走っている職場で生きていくというのもどうなのかねえ。戦力外通告をつきつけられるのもわかる気はする。でも省みて直かれば千万人といえど我行かんだ。孤立するよりつらい事は自分にうそをつくことだ。これでいいのだ。バカボンのパパなのだ! 2013年2月18日月曜日 体罰は禁止されているのだ。懲戒免職である。それなのに体罰が起きている。暴力的な人間が教師に多いというわけではないだろう。なぜ体罰が起きるのかその原因を考えないと問題解決にはならない。教師に挨拶もしない、悪態をついて授業妨害をする、こんな子らを言語だけで指導しろというのが無理。無理なら出席停止にして親子で反省する機会を持たせればいいのにそれはできない。大手をふって学校に来るわけである。教師がノイローゼになるのは当然。ノイローゼにならなければ自分のような体罰教師になるしかない。 体罰と言っても殴る、蹴るではない。肩を抑えたり、首根っこをつかんだり、要するに力の差を見せ付けているだけだ。けがにつながるようなことはしていない。これがないと教室の後に立ちなさいと言っても立たなくなる。黙りなさいと言ってもしゃべり続けるのである。これがあるから子どもは言うことを聞くようになる。実力行使は必要。羊だって犬がただ吼えまわっているだけでは言うことは聞かない。時々後ろ足をかじられるから小屋の中に入るようになるのだ。 2月19日火曜日 霙が降る寒い一日となったが、授業参観である。スーホの白馬の暗唱大会をやる。朗読でなく暗唱としたのだが、子どもの能力とはすばらしい。リハーサルではうまく行かなかった班もほとんどまちがいがなくすばらしい出来だった。練習ではリーダー的存在だった子が発表途中で泣き出すハプニングもあった。後で聞いたらまちがえたらしい。こちらが気づかない程度の事だったのに、まじめだから深刻に受け止めたのだろう。なぐさめておいたが実にかわいいなあと感嘆した。こんな純粋な子と付き合える教師としての喜びは大きい。 考えて見ると大半の子は実にまじめである。掃除も学習もよくやっている。ごく一部の子が神経を逆なでしているわけで、いらいらしてもしょうがないのだ。大半の子はいい子だ。悪い子だっていい所はある。後一月か。 2013年3月25日月曜日晴れ 何の打診も無く、担任発表の日を迎える。同僚も打診が無かったと言っていた。昨年のような嫌がらせ(親睦会に入ってない事、地区研究会に入ってない事を理由とした担任はずし)はしないだろうとは思ったが、万一そのようなことがあれば、闘わなくては筋が通らない。それもしんどいなあと思ったが、闘う覚悟は決めておいた。 1 発表されたその場で全員注目の中で抗議する。 2 法的措置を検討する。 結果は学級担任だった。校長なりに反省したのだろう。あるいは面倒を回避しただけかもしれないが。学級担任として最後の年を迎える事となる。事前に相談されれば、学級担任でなくても受け入れる気持ちはあったのだが。何の相談も無く全体発表なら抗議せざるを得ないでしょう。 「考えを変えるなら学級担任に戻すけど、そうでないなら教科担任をやってもらいます。」という校長の校内人事方針というもの自体が学校の私物化である。各人の希望や適性を考慮して、事前の相談と納得を得て発表というのが筋でしょう。校内人事委員会なりを設けて集団で検討する方が校長の独断専行、学校の私物化を防ぐ手立てともなる。現場の教師の意見を聞かず、上意下達だけでやってしまおうという意向がある。こんな事をしていたら、教育委員会自体が存在意義を失ってしまう。行政が直接学校を指揮している事となんら変わらない、いやそれ以上の保守化、弊害につながっている。 2013年5月11日土曜日雨
朝5時半に起きてCB400に乗り道志道を走る。道の駅道志に着いたら小雨が降り始める。山伏峠を越えるのは無理と判断し、帰りの道を走る。無心でバイクを走らせるのが今一番の楽しみだ。
昨日は体育館でわらび座の花笠音頭を指導する。まず股割りのストレッチから始める。両足をできるだけ開く。股の付け根に両手を当て、腹を床に着ける。頭を着けるというより、腹を着けるつもりで股関節を回転させる。これができると、しこ立ちがきれいになる。子どもにもしこ立ちの美しさを求める。これが決まると踊りもきれいになる。家で股割りとしこ立ちの練習をするよう呼びかけた。
盆踊りが基本の踊りなのだが、一部ソーラン節のようなしこふみが入る。ここがきつい。ピンマイクを胸に着けて繰り返し踊って見せる。もう膝の限界を超えているなと思ったが、やめるわけにもいかない。夜体重計に乗ってみたら2キロも減っていた。幸い膝に水が溜まるなどの症状は出なかった。一度水が溜まりだすとどうしようもなくなるので自重しながら指導を続けるようだ。
まだ59才だが、7月には60になる。もう踊りを指導するのは無理なのかなと思う。個人差はあるだろうが、自分としてはすでに限界を超えている気がする。悲しいがこれが現実だ。再任用の制度はあるが、全員採用する義務は教育委員会には無い。評判の悪い自分が採用される事はまずないだろう。今年が最後と考えるべきだ。体育館のステージに上がり、子どもに踊りを教えるなんてことは、今まで仕事と考えていたのでしんどいという思いが先にたったが、これで最後だと思うと幸せなことだと思えてくる。今年は鏡でも踊れるよう踊りを覚えたので、こどもと向き合って指導できる。後数回しかないが、大事に大切にやっていこう。 2013年8月19日月曜日薄曇り 2013年11月1日
校長に呼ばれる。11月5日の再任用の説明会に出ないと申請はできませんよと言われる。18時からだからねえ。勝手に行事黒板に名前が書いてあったので、勤務時間外なので出ないよと教務に断ったのを聞いたらしい。
先日再任用の申請書を校長に提出したのだが、どうも校長は気に入らないらしい。給料は半額になるし、いい事はないですよ、臨時採用教員に登録しておいて、おいしい仕事の話だけ受けたらどうかと勧めるのだ。
学級担任希望、今の学校で勤務したいと希望欄に書いておいたのだが、それがお気に召さないらしい。どういう仕事になるかは配属された勤務校の校長が決める事だから、学級担任とは限らないよ、それに今の学校に残れるかもわからないよ、何でも受けますという覚悟でないと申請は受け付けられないと言うのだ。任用が決まってから断られても困るからねえともっともらしい事を言っていたが。まあその通りかとも思ったが、希望欄があるのに希望を書かないのもおかしいし、第一いろんな希望を調整するのが委員会の仕事だろう。校長の言うことを鵜呑みにして申請自体を取りやめるのも癪だと思った。
取り合えず、説明会に参加しないと申請を受けてくれない雰囲気だったので参加する事にした。
説明会そのものは話を聞かなくてもプリントを読めばわかる内容で、まあやりましたというアリバイ工作みたいなものだった。プリントも校長から渡されたものと同じ物で目当たらし情報はなかったので、やはり時間の無駄だなと思った。再任用は年金支給が61才からになるので、無年金になる公務員の救済措置だ。従って希望者は再任用するという閣議決定がなされているので、面接もやる予定はないとの話だった。質問はありますかと言うので、面接がないとするとどうやって希望を言うのかと聞くと、申請書に書いてくださいという返事だった。
次の日、校長にまた呼ばれる。なんでも受けるという事でないと申請を受ける事はできないよと言う。教科担任なら受けない気持ちだったので、確かに再任用されてから話を断るのは迷惑をかけるだろう。条件付きでも申請できるものかどうか自分の方で委員会に確認してもいいかと聞くと、それは構わないと言うので、直接確認する事にした。
さっそく電話で面談の約束を取り付ける。教科担任なら断る。それ以外ならどんな条件でも飲む気持ちだと率直に申し出る。担任を任せられない人が多いのが実情なので、担任を希望する人はむしろ調整しやすい、申請してもらって結構ですという返答だった。
次の日、条件付でも申請できるという返答だったので、受理してもらいたいと校長に申し出る。わかりましたとの返答。裏にどんな推薦文を書くのだろうか。以前推薦しませんという推薦状を書いた校長がいて対応に困ったという話を説明会の折に聞いた。自分はその口だな。推薦しないというならその校長に引き受けてもらおうという対応になったらしい。それも手だな。自分もその口で今の勤務校に残れるならおいしい話だと思った。
まあこれで再任用は十中八九決まりだと思うが、良かったのかどうか。声もかすれてきたし、身体はがたがただ。本当に働けるのか。職場で死ぬんじゃないのか。
希望者は全員採用という話を聞いて、申し込まないと後悔すると思ったのだが。来年の4月から無収入でも自由でのんびりとした生活を選んだ方が良かったかもしれない。心は揺れるなあ。
2013年11月13日水曜日晴れ 1年の○○さんと6年の○○さんの授業だ。確か○○さんの授業を希望した記憶だったのだが、○○さんの方に配当されていた。特に関心は無かったのだが見てるうちにこれはおかしいと確信する。教材は広島の原爆資料館が世界遺産になぜ登録されたかという説明文。それを読んで小学生なりに平和について考え、資料を集め自分なりの意見文を書くというもの。例示されていた作文は民族浄化により虐殺された事例などを調べて、自分なりの考えを書いたものだった。だったら、戦争についてしっかり勉強し、自分なりの考えが持てればいいと思うのだが、授業はちがっていた。ユネスコの平和は心の中に砦を築かなくてはいけないというフレーズに着目させ、身近な暴力を防ぐというものだった。具体的には班で友だちどうしのけんかや兄弟けんか、町のクレームによるトラブルを列記し、イライラする時に心の平和の砦をきづくのか、やりかえそうとする時に心の砦を気づくのかを討論するものだった。廊下に掲示されていた班討論のメモを見ると、ムカつくとか、うざい、などの言葉が氾濫している。授業は背伸びをして大人の言葉を使い、大人の世界を想像する所だ。見えない物を見、知らない事を想像する所だ。そんなの知っている、おれはわかっていると知ったかぶりをする所ではない。私的な言葉と公的な言葉を使い分けて、授業では敬語を使う場なのにこの短絡的な言葉の氾濫を許している事自体すでに授業になっていないと思った。またこれを批判する同僚や管理職が存在しないのも信じられない。校長や教頭は暇さえあれば人の授業を見に来ているが、こういう掲示物をおかしいと思わないのか。それが信じられなかった。 自分は教材研究のため広島に手弁当で行き、原爆資料館を見学した。その際親子で見学している家族を多数見た。その子どもらがもし作文を書いたとしたら、このような内容にはならないはずだと思った。けんかと戦争とは規模の違いではなくその原因、内容、性質がまったく違う。卑近なけんかという事例に戦争を矮小化してしまった事自体が説明文を読み取っていない、60数年前300万人の日本人が殺され、全世界では2千万の人が殺された戦争の悲惨さを軽視、ないし無視した授業だとさえ思った。 指導要領のねらいを先取りした授業だとか、子どもがよく発言できているとかよく書けているとか概ね好評であったが、自分は違和感を禁じえなかった。 指導主事に誉められようとするとこんな授業になってしまうのか、今の若い人には歴史に学ぼうと言う真摯な心が無いのか、失われた人命に対する謙虚さが無いのか愕然とした。 指導主事の指導講評がまたひどいものだった。落語の枕のように今日私的に起こった事を話し始めたが、100円を拾ってコンビニで肉まんを食い幸せだったとは、身内の会だと思っている思い上がりである。100円だとねこばばしていい、1万円だと届けないといけないというルールは無い。
2013年11月20日
月曜は終日フェスティバルの準備。火曜は本番。一年生が多数来る。どうもいつまでも客がいるなと思ったら、回転が極端に悪いのだね。一昨年から景品を出す場合、客と一緒に作ったものというルールが加わったためだ。モグラ叩きをやると景品としてミサンガを作る。割り箸鉄砲を撃ったら景品として折り紙を折る。レストランでは景品は無いのだが、注文した料理を自ら紙粘土で作らないといけない。いずれにしろこの作る作業に時間がかかるのだ。高学年の子はさっと気づいていなくなるのだが、初めての一年生がこのえじきとなる。教室中一年生であふれかえる。まあかわいらしい。マジックだけが景品が無いので回転が速い。ここはマジックを見るだけなので楽である。
2014年2月3日晴れ まったく話にならない。放課後児童指導全体会で、雨の日は校庭で遊ばないよう教頭が放送を入れるという部の提案に対して校長がナンセンス、そんな事は児童の判断に任せればいい、そうしないと指示待ち人間を作るというのだ。部下が校務分掌で丁寧に話し合って出してきた提案をナンセンスの一言で片付ける神経が信じられない。お前は全共闘か。 しょせん小学生ではないか。ずぶぬれになっても遊びたい子はいる。それを指導するのが教師の役目。温度差があって指導が統一できないから、教頭が音頭を取って放送を入れてくれと言う提案に子どもの判断に任せればいいと校長が言うのだ。念押しに雨が降っていても体育の授業をやるとか、雨が降っていても外で遊ばせるとかの事について管理職はどう考えるのかと聞いたら、それは程度問題だ、担任の判断に任せると言うのだ。じゃその責任はだれが取るのかと聞いたら、担任が取ればいいと言う。だったら管理職なんていらないじゃないか。馬鹿馬鹿しい。馬鹿が殿様になっているからしょうがない。今度雨の中ずぶぬれになって遊んでいる子がいたら、本人の判断に本校は任せているのです、それが校長の指導ですと答えるようにしよう。 まあこれではいけないね。公務員は全体の奉仕者であって、一校長に仕えるのが仕事ではないですからな。必要な指導は校長を無視してもやる事にしよう。
2014年3月1日土曜日小雨 朝から雨でバイクも山もあきらめる。傘を差して山を歩く元気は今日はないからね。雪かきの疲れがまだ残っているのかも。 いよいよ退職の月を迎える。35年働いてきて辛いから辞めようとか、苦しいから辞めようと思ったことは一度もない。第一そんな辛いとか苦しいとかそんなことはなかった気がする。単に忘れただけかもしれないが。 ただ馬鹿馬鹿しいと腹を立てる事はよくあったし、今でもある。 「馬鹿馬鹿しくてやってられるか!」 というやつだ。こっちがまじめに考え、まじめに働こうとしているのに馬鹿馬鹿しい事が大手を振ってまかり通る。逆らえば、首を覚悟する事になる。 こんな馬鹿な事は馬鹿な人にやってもらって、自分はもっと真っ当な生き方をするんだと力んだところで相手になってくれる人はいない。再就職の当ても無いのに、粋がって退職届けを出したところでそれこそ馬鹿を見るだけだ。家族を路頭に迷わす事になる。 馬鹿馬鹿しいから社会党一党支持の日教組はやめた。 馬鹿馬鹿しいから地区研究会はやめた。 馬鹿馬鹿しいから厚生会はやめた。 馬鹿馬鹿しいから親睦会はやめた。 でも教員だけはね、これは生活がかかっているから。金がからんでいるからねえ。おいそれとは辞められなかった。気がついたら退職の月を迎える。 教員以外に生きる道もあったとは思うが、辞める勇気は無かった。それが正直なところ。みっともないやなあ。 教師という職業に未練は無い。授業をやるのは楽しいし、子どもを躾けたりお世話することは有意義なことだと思う。でもどうしても自分がという必要はないし、第一だれにだって終わりはあるのだ。何の能力も適性も無い、不適格教員の見本のような自分だったが、誠実に働いてきたし、未練は無いよ。どうも自分が信じる教師像と文部省の掲げる教師像とが違うってことに若い頃から気づいては来た。もちろん自分の方が正しいんだ。長年の経験からそう言える。でも言ったところで平教員の意見に誰が耳を傾けるかってんだ。 まあしかたないやなあ。 4月から再任用の口があるのだが、勤務の延長という気はしない。やはり首になったんだよ。それで再任用。なんせ給料は半額以下になるんだから。新採用レベルか、それ以下だよ。ベテランとかそんな意識では働けない。金目当ての仕事先の一つだ。今度は辞めやすいよなあ。もういったん首になっている身だからね。 まあそんな先の事は考えず、とりあえず最後の授業。最後の成績付け。最後のクラス編成。それをやり通すこと。一日先だって、人生は見えないんだからやるべきこと、自分の信念を貫いて終わりを迎えよう。 2014年3月7日金曜日 3月の一週が過ぎた。いよいよ後数週間。授業があるのは実質後一週間だ。後は短縮日課が続くからね。 退職に当たって心残りな事は、不登校になった同僚に何もしてあげられなかった事だ。 この学校の事ではないが、今まで何人も見てきた。なぜ守れないのか。なぜ不登校になるのか。 子供が言う事を聞かない、保護者の中にクレイマーがいる。そんなことで職員が不登校になるわけではない。 きっかけは管理職というか上司が作っている。本当に自分が悪いと思っているなら上司が言わなくても本人が自分から進んで頭を下げる。悪いと思っていないのに、理不尽だと思っているのに上司が頭を下げさせるからだめになっていくのだ。根が純粋でまじめだから、方便として頭を下げることができない。頭を下げたことで自己を否定してしまう。その事が尾を引いて自信を失い、子どもたちの前に立てなくなってしまうのだ。 上司なんて自分の事じゃないのだから、頭を下げるなんて気楽なもんだよ。こいつが申し訳ないことを致しましてと一緒に頭を下げてるだけだろ。痛くも何ともないじゃないか。当の本人が一番辛い思いをして頭を下げてる。自分が分裂してしまう。頭を下げたくない自分と下げないと職場で生きて行けないと思っている自分と。 だから同僚は守る事も助ける事もできないのだ。だって、潰れるきっかけは上司が作っていて、同僚じゃないのだから。きっかけを作ってない同僚がいくら励ましたって問題解決にならない。要は上司の指導にある。原因は上司が無理やり頭を下げさせた事にあるんだって。 子どもや保護者とのトラブルで、職員なりに解決策というか言い分があるのだ。それを謝罪させることで上司が丸く、自分に取って丸くだね、納めようとするから職員を潰す事になるんだって。 残される後輩に言えることは、方便として頭を下げろって事かねえ。 あるいは嫌なら頭を下げるな、自分の良心を守れるのは、自分しかいないってことかねえ。心が潰れたら元気なんか出るわけないだろ。自信というのは、自分を信じるということ。自分を裏切っておいて自信なんか出るわけないだろって。 2014年3月13日木曜日雨
退職にあたって心残りな事は、不登校になった今までの同僚の事だ。過去の同僚の不幸な出来事をああだこうだと言うのは失礼にあたる。だから自分の事を言います。
子どもが言う事を聞かないとか、保護者の中にクレーマーがいるとかで教員がつぶれるわけではありません。つぶれるんじゃなくて潰されるのです。ぼくもいろいろ子どもや保護者とトラブルがありました。そのたんびに上の者は事を丸く収めるためにぼくに謝れと言うのですね。自分が悪いと思っているなら人に言われなくても頭を下げます。それぐらいの素直さはあります。頭を下げないのは悪くないと思っているからですよ。
そういう時の選択肢は二つしかないです。悪くないと思っているけど、しょうがないから頭を下げる、これが一つです。世の中の謝罪会見なんてみんなこれですよ。演技としてすまなかったという顔をしているだけです。だから心は何も傷つかないです。
もうひとつは謝らないです。首になったって謝るもんかというやつです。ぼくは大体これでした。でも一度も処分されたことはないです。随分脅されたけど処分できなかったですね。ぼくは出る所に出るつもりでいましたから。上の者は負けるけんかはしないです。
潰された人は演技で謝ることができない誠実な人です。頭を下げたことで自信を喪失するのです。自信とは自分の生き方ややり方を信じる事です。それを否定したら、自分を信じられなくなったら、子どもの前には立てないですよ。日がたつにつれ不安が増大し、息苦しくなって終いには学校に来れなくなります。
うそも方便ということわざがあるじゃないですか。先人の知恵ですよ。
方便として頭を下げればいいんです。それができないなら、決して頭を下げない事です。押し切ればいいのです。組織を守るより自分を守る事の方が人生においてずっと大切なことです。
2014年3月23日日曜日晴れ
後二日で授業は終わる。月曜3時間掃除あり。火曜2時間掃除無し。これで終わりだ。子どもとは終わり。春休みに雑用はあるかもしれないが、教師としての仕事は後二日だ。これで35年の教員生活を終え定年退職となる。
人としての命が後どれぐらいかは、もう終わり近くだとは思うが、それは誰にもわからない。でも教員生命ははっきりしている。後二日で終わりなのだ。こういう日が来るとは思わなかった。必ず訪れるわけだが、35年も働き続けるなんて想像もしてなかったし。25才の時採用されて60才まで教師を続けるなんて思わなかったなあ。定年の年が2014年というのは50才になって感じたが、遠い先の話だった。今そこに来ているのだ。
不思議な感覚である。親睦会は辞めてしまっているので送別会は無い。そういう形ばかりのものはいらないし、親睦会は校長のファンクラブだと思っているので、そこのお世話になる気はない。感謝状授与式に出席するよう文章が机上に先日あった。出張扱いで。平教員と管理職では同じ退職者でも渡す日が別と記載されている。同じ年に退職するのに、そこまで差別する必要があるのかねえ。一緒に渡せばいいじゃないか。差別されてまで感謝状をもらってもうれしくはないよ。感謝の気持ちはないでしょう、形式でしょう。
市役所に呼びつけ、教育長から手渡されるのだろう。職場で同僚が代理で渡せば済む問題だと思うが。簡略でいいと思うがね。妻が早期退職の時は旅行券があったが、自分の時は宿泊所の簡易カタログが渡されただけだ。廃止されたのだろうねえ。感謝状には金がかからないのでそれは廃止されないわけだ。よっぽど年休を取ろうかと思ったが、それも大人げないのでやめておいた。せっかくの春休みの平日を背広を着て出かけなくてはならない。まあ話のネタにはなるかもしれないから、体験しておくか。
4月から再任用の予定だし、応募した以上受けなくてはいけないのだが、自分という人間が読めない所がある。事によると行かないかもしれないなあ。身体は応募を決めた11月の頃より思った以上に老化が進みガタガタだ。喉はすぐ疲れて夕方には別人の声になる。6月からの水泳なんてできるのだろうか。はなから体調不良ということで断った方が迷惑がかからないのでは。まあ、辞めるのはいつでもできるからもう少し様子見とするか。
2回続けて教員の不登校問題について私見を述べたが、本当に悪いことをしたならいくら頭を下げても首になる。逆に言えば、悪いことをしてなければ頭を下げなくても首にはならないわけだ。
自分を信じて頭を下げないのも一つの手だし、面倒くさいから頭を下げちゃおうと方便として頭を下げるのも一つの手だと思う。いずれにしろ、悪い事もしてないのに上から言われて頭を下げて自信を喪失、学校に行けなくなるという結末だけは避けて欲しい。それが言いたい事の全て。まじめに働いているのに、一生懸命にやっているのにかわいそう。同情を超えて怒りすら感じる。もう腕力も体重も無いのでけんかには勝てないが、身体を張る度胸はまだある。機会があれば今度こそ同僚の前に身体を張りたい。
2014年3月28日金曜日晴れ 公園で幼児たちが群れをなして遊んでいる。保育園の子達が引率されているのかと思ったが、親らしい人や祖父母らしき人がそばにいるので平日のこの時間帯に幼児と保護者は遊んでいるのだろうと思い直す。まったくかわいいものだ。あんまり見つめていると変質者と思われるからやめておいたが。 30分前から受付なのだが、少し公園で時間を潰して10分前に会場に入る。椅子が並べられていて顔見知りの同僚も何人か見かける。教育長が入ってきて全員起立。そのまま賞状授与式が始まる。全員授与されてから教育長の訓示、いや感謝の言葉を頂く。でも起立したままだから、やはり訓示を聞くような感じだ。起立したまま、解散。ものの10分ぐらいの事だった。お茶も出なかった。別にそのようなサービスを期待しているわけではないが。殺風景な会場で華やかなものは何もなかった。やはり、職場で同僚に代理で渡された方がいいなと思う。まあもらう方に言う筋合いはないが。 厚生会の初代代議員になったのだが、正直に感想を書いたら記事はぼつにされる。それでやめたわけではないが。職場の同僚に懇願されてしょうがなく組合の執行委員に立候補して本部に通うようになったが、なぜ社会党に入党しない、みんな社会党の選挙運動をやっているのにどうしてやらない、お前はおかしいとつるし上げられる。組合は社会党の後援会か、あんたらの方がおかしいだろうがと思うが一年間村八分となる。でも影で助けてくれる執行委員もいてそんなに悪い一年でもなかったが。 地区研究会はやめる、地区研究会の出張には行かないと宣言したら、職務命令を出すぞと校長に脅かされる。任意団体なのに教室を自習にしてまで出かける必要があるか、そんなことで職務命令なんか出せるものかと思っていたが、案の上そんなものは出なかった。 親睦会をやめると言ったら、途中でやめることはできない、一年分の会費を払えと言われる。お前らはやくざかと思った。結局やめると言った時にやめ、一年分の会費など払わなかったが。 地区研究会に入らない、親睦会に参加しない、そういう考えを改めないなら、教科担任にする、考えを変えるなら学級担任に戻すと人事権を盾に校長に脅される。教科担任とは島流しか。そんな思想差別みたいなことをするなら弁護士を雇って民事裁判を起こすと宣言したら学級担任の希望が通る。 子どもに謝れ、保護者に謝れ、謝らないなら懲戒処分にするぞと校長に脅されるが、謝る理由は無い、処分したけりゃしろと放っておいたが何の処分もされぬ。本当に悪いと思っているなら自分の首をかけて処分しろ。口からでまかせを言うな。 菓子をくれるのをいらない、食べないと言うものだから、あんたはおかしい、変と言われる。犬じゃないんだから尻尾を振ってなんでも食べるわけないだろ。 向こうから言わせればけんかを売っているのだろう。奇人、変人のまま退職する事となる。でもぼくから言わせてもらうなら変なのはあんたらの方、ぼくはまっとうな事を言ってまっとうな事をしてきただけだ。 確かに親睦会にも参加しない、地区研究会にも参加しないというのはけんかを売っているようなものかも知れないが、それでも親切にしてくれる同僚はいたし、感謝してくれる同僚もいた。それで満足だ。 2014年6月25日水曜曇り 再任用されて4月、5月、6月となる。運動会は持ちネタのわらび座のソーラン節を指導する。同僚の協力があったのでね。鉢巻とかたすきとかそんな飾りは無しで臨みたいという希望も同僚の承諾があったのですんなりと通った。練習は順調に進み、子どもも素直に学習し、本番もなかなかよいできあがりだった。昨年は児童席で子どもの面倒を見ていただけなのに、カメラの邪魔になったのでしょうか、「先生、じゃま」なんて怒鳴られてムッとすることがあったのだが、今年はそんなこともなく、順調であった。 小学生の学級担任というのは、疲れることもあるが、なんせ見た目はかわいい子たちに囲まれているわけだから幸せな職業ではあると思う。 再任用なので給料は実質半額。やる事は同じ。本来なら腹の立つ所だろうが、気分的にはもう退職した身分なのでやはり楽だ。退職金も4月下旬に受け取ったしね。いつやめてもいい、本当はいけないのだが、でもそんな気分なので精神的には楽だ。でも正直体はついていってないと思う。ソーラン節の指導で無理があったのだろう、右ひざが痛い。股関節にしびれる感じがある。のどはすぐがらがらになるし、大声を出す指導はできない。それでも鉄棒の回転技はできるし、ブリッジはできるし、普通の人と比べるとましなのかもしれない。毎日、ギターとリコーダーと往復算、ソーラン節はやるようにしている。子どもも喜んでくれるのでねえ。 2014年7月4日金曜日小ぬか雨 自分が落語好きということもあるのだろうか、自分の語り口が知らぬ間に落語みたいになっているのか、子どもが爆笑に継ぐ爆笑になるのだね。そんなおもしろいことを言っている意識はないのだが。 今日は国語の「海をかっとばせ」を一読総合法でやり、その書き込みと発表をやったのだが、どういうわけか爆笑に継ぐ爆笑なのだ。それはともかく、子どもと教材を元に話し合うというのはおもしろい。教師ってこんなに楽しい仕事なのかと思う。これでお金をもらっていいのかとさえ思うね。 来週からプールが始まるので、そのガイダンスをしたのだが、これがまた爆笑に継ぐ爆笑なのだ。何がそんなにおかしいのかねえ。単なるガイダンスなのだが。あんまり子どもが笑う物だからこっちも笑い出してしまった。幸せな一時だ。 毎日ギターで「だれよりも遠くへ」を歌ってその後、リコーダーの演奏をしているのだが、これも楽しい。毎日やっていると自分の声域も、老人特有のしゃがれ声なのだが、出ている気がする。ギターの腕前も上がって来ている気がする。勤務としてこういう事ができるのだからありがたいことだ。この幸せも今年限りだ。何か全てを失ってしまう気さえする。そんな風に考えず、第二の人生が始まると考えるべきだとは思うが、小学生と付き合うことはもうあり得ない話なのだから、やっぱり喪失感はあるだろうねえ。うつになるかもしれない。だれでも精神に病を持つことはあるだろう。あれだけかわいい、光り輝く子どもらとの日常を一気に遮断されて変調を来たさなかったら、それはそれで異常かもしれない。自分の弱さを認識しておくことも生きる術だ。 夏休みなので子どもは学校に来ない。で、無理して登校しても意味無い。 年休のまとめ取りをしている。退職したら、もう定年退職はしているのだが、再任用で同じ仕事をしているので。 でもこういう生活が来年の4月からはずっと続くのでしょうねえ。 毎日年休だ。まあ年金なんて微々たるものだから年休とは言えないでしょうけど、暇なのは同じだ。 暑くて家にいるのはあれだし、せっかくの年休だから出かけないのももったいないし、毎日出かけていたのだが、ちょっと疲れたね。 車、バイク、スクーター日替わりで出かける。電車にも乗った。船にも乗った。 山歩きもした。でもこう毎日だとねえ。飽きるねえ。 仕事も飽きるがお金がもらえるからねえ、充足感は違うでしょう。 無職だ。無職になると毎朝の健康観察がないわけだ。毎日毎日、何十人もの子どもの健康を気遣い、けがしたり、熱出したり、吐いたりした子の面倒を見て来た。 何十年もね。それが無くなる。これからは自分の健康だけ気をつけてねということだろうけど、自分の健康なんて関心ない。他人の健康を気遣い、努力することが生きがいだったんだと思う。 給食もなくなる。毎日自分の食事はさっさとかたづけ、子どものお代りをしていた。 何十人ものこどもが小さい手を出して、それにお代りをよそっていくのだ。給食を味わう余裕なんてない。秒刻みで働いていた。食事ぐらいゆっくりさせろよと思っていたが、自分で自分のお代りして何がおもしろい。たくさんの子の食事のお世話をしていることが生きがいだったんだろうねえ。一人でゆっくり食事をして何がしあわせだろうか。 しあわせとは、だれかをしあわせにするためにがんばったり、がまんしたり、下げたくない頭を下げることだったんだろうねえ。それが生きがいだったんだ。これからは自分のしあわせだけ考えて生きて行って下さいと言われてもねえ。自分の幸せのために何をどうがんばれがいいのか。他人につくすことがしあわせなのじゃないのか。自分で自分につくすって何をどうやればいいのよ。 教室もなくなるが、職員室もなくなる。同僚もなくなる。今でさえ人づきあいが少ないのに、どうなっちまうのだろう。自治会だけか。何かのサークルに入ってお友達を作るて生き方もあるだろうけど、いまさら組織に入っていくというのもねえ。 来年の4月になってみないと、どうなるかわからんなあ。 一応このホームページに随筆やら小説を記載する事を目指しているが。 自称物書き、小説家になるのが夢だ。excelのプログラムの公開では、いくつかの出版社から掲載依頼があったが、小説は物になるだろうか。まあ、ならなくてもいいわけだけど。 でもまあ、まだ現役だから8月の下旬からはフルタイムで仕事が入って来る。フルタイムといったって、実際はサービス残業もついてくる。ブラック企業だよ。来年の3月まで他人のために尽くそう。それが幸せなんだ。 2014年12月30日火曜日晴れ 定年退職後、再雇用という形になる。仕事としては昨年と同じ学級担任なのでなんら変わらないのだが、待遇が全然違う。まあ冷遇はされてないけどね、もらうものが半額なのだ。ボーナスにはわかってはいたが、がっかり。同じ仕事をしたのにこうももらうものが違うとがっかりはするよ。年休もほとんど消化できず。自習は増やしたくないので、そうすると年休消化は困難となる。まあしかたないか。 夏休みに泳ぎすぎたのか、加齢が加速したのか、原因不明だが、手首が痛くなる。 不便この上無し。なんとか体育の授業はこなせたが、マット運動、跳び箱、縄跳びと手首が痛いと何をやっても痛い。まあそれでも子どもたちは楽しそうに授業できたので幸せではあったが。二桁の往復算はほとんどの子ができるようになったし、9桁の往復算もできる子も出て来た。継続は力なり。 教え子という感じにはなってきた。後、余命三カ月の命(教師としてのね)だ。 1月は書き初め、昔の暮らし展示会、人形浄瑠璃鑑賞、クラブ見学など行事が立て込んでいる。あっという間に過ぎて行きそうだ。1月行っちゃう、2月逃げちゃう、3月去っちゃうと昔から言われているが、あっという間に終わっちゃうんだろうねえ、余命三カ月。 去年みたいに周りに退職だ何だと祝われるのもいやだから、黙っていなくなろうと思っている。春休みは年休を全部つぎ込んで、職場の荷物を車に積み込んだら別れの挨拶など無しで風のように去ろうと思っている。その方が悲しくなくていいよなあ。 冬休みだ。ドライブ、山歩き、ギター、映画鑑賞、読書、オートバイ、スクーターと日替わりでやりたい事をやっているが、手首、膝、足首と関節が痛いのには悩まされている。 首と腰はそうでもないので助かっているが。退職後の事も考えてどう毎日を楽しんでいくかシュミレーションしていかないとね。この体調ではアルバイトも無理。遊び人になるしかないかと思っている。 2015.2.28土曜日晴れ 昨日で体育館体育が終わった。最後はソーラン節、股割り、ブリッジ。最後だからとブリッジもやってみたが、左手首が炎症で痛くて持ち上がらない。情けない。その後、縄跳びをやらせ、最後にボールキープゲーム。子どもは先生がいると、先生にまとわりつくというか、じゃれつくというか、サッカーに興味の無い子も群がって来るのだね。それらをかわしながらキープする。両膝も炎症を抱えているので、無理はできないし、やらない方がいいのだが、それではおもしろくない。子どもに囲まれてのボールキープ。楽しいね。この学校には自分の希望でサロンフットボール用のサンドボールが購入してあるので、本格的にできるので、ほんと楽しい。 同日隣のクラスの体育館体育も同様にやる。担任の先生が妊娠しているので、教科交換しているわけだ。本来なら体育の代替え教員が来るべきなのだが、これが3人でできる権利なんだね。管内に3人妊娠している教員がいるとできる制度ということで、一人ではだめなんだと。本来権利とは一人に備わっている物だと思うが、3人で権利発生と言う事は人間扱いしてないんだね。教員は。 ぼやいてもしかたないが。隣のクラスの子もかわいい。かわいいよなあ。一緒に遊んでいると。 まあかわいい子どもたちとも今宵限りだ。国定忠治だね。忠治ははりつけで殺されたそうだが、まあ殺されるわけじゃないから幸せな老後か。 明日からは3月。もうほんとカウントダウンに入る。引っ越しの準備をしないとなあ。親睦会には入ってないし、離任式というやり方自体に反対なので、風のように去るしかない。だれとも口を聞かずいなくなろう。年休がまだ28日もあるので、明日から全休というのもありなのだが、まあそうも行かないだろう。 2015年3月3日火曜日晴れ 6年をおくる会だ。先生の出し物は踊るぽんぽこりんのダンス。歌の前奏で一年団から6年生の前に出て送る言葉を言う。 次は2年団。2年団が送る言葉を言って後ろにまわるために走り去ると自分の3年団が最前線となる。 ここから1コーラス、フルで踊りが始まるのだ。最前線で踊りをフルコーラス踊りゃにゃならぬ。3年団は4クラスだから担任は4人。一人は最近肉離れしたので、無理はできない。一人は妊娠中で踊ってはいけない。 自分は膝が腫れていて、ヨイヨイである。まともなのは残る一人だけ。これで最前線!無理じゃないの。 第一踊りを覚えてない。今まで前の人を真似て、ヨイヨイしていただけなのに。 前夜一夜漬けでなんとか頭に入れる。膝が痛い。 ついに本番。なんとかなった。けっこう楽しかった。 肝心の3年生の出し物はパフの演奏。とてもきれい。ソーラン節。元気いい。考えてみると今の6年も4年もそして3年もソーラン節を自分が指導したので、この学校の半分の子はこの踊りが踊れるのだ。 すごい事かもしれない。単に自分がわがままを通しただけのことかも。 まあいいや。どっちみちこれで退職なんだから。 ぽんぽこりんを踊る事はもうないだろうが、ソーラン節はラジオ体操代わりに一日一回は踊ろうかなあ。 ボケ防止にはなるかも。 2015年3月4日水曜日晴れ 今日は最後の日直。パソコンルーム、プール、図書室、音楽室と見て回る。膝が腫れて痛いので、右足を引きづって歩く。情けない。おまけにプールを開けたはいいが、今度閉める時鍵が回らない。右手も腫れて痛いのに力をこめる。動かない。手に力がないせいか。もう一度力を込める。おかしい。あ、カギが二つあった。別のカギを差し込んでいたのだ。よかった、壊さなくて。ただでさえ痛いのに、さらに右手首を痛める。音楽室に腰かける。図書室に腰かける。これじゃ時間がかかるよなあ。でもまあ最後なんだからそれぐらい懐かしんだっていいでしょうよ。もうこの教室で授業をすることはないのだ。授業自体無いし。教室に入る事も無くなる。すべて関係の無い世界となる。36年間毎日のように過ごした教室とおさらばだ。考えてみると学校とは金がかかっているよなあ。これだけの建造物。敷地。教材、教具。これらとも無縁の存在となるのだ。 生きている子ども、生きている同僚とも無縁の存在となる。自分が今後関係する物とは何か。生きている物とは何か。待っているのは孤独だろうなあ。 2015年3月5日木曜日晴れ クラス替えの時期だ。今までは手作業で個票を作っていたのだが、パソコンで作るようになった。 順位を付けるのに関数を使う。それをそのままコピー、ペーストすると数値ではないのでエラー表示になる。で、値の形式で貼り付けるわけだが、普通の教員にそこまでの知識は無い。そこで、総合点をコピー、ペーストするだけで、順位、平均値ができあがり、マクロボタンを押すと自動的に貼り付けもするexcel表を自作した。同僚に喜ばれる。それでもこの表を使って同僚が作業をするのは、やはり困難だろう。いっそのことこっちが全部代行してあげた方が効率的ではないか。 まあそうしてあげようと思っている。できる人ができることをやればいいのだ。 excel表を自作するのは、久しぶりだったので、ちょっとまごついたが。退職したらexcel表を自作する機会もないと思う。自治会の会計ぐらいかなあ。 まあ最後の御奉公だ。それより膝が痛い。懸垂は軽くできたが。 来週からは他人の成績物の相互点検が始まる。これがやっかいというか面倒と言うか余計な作業というか大変。自分の成績処理だけでも大変なのに。まあぼやいてもしょうがない。最後の御奉公だ。 年休は後25日もあるのだが、使えるわけないでしょう。 今日の給食もよくこどもたちがお代りをする。自分の教室は全部ぼくがよそおう。子どもが勝手におかわりすることは禁止している。「お願いします。」「ありがとうございます。」と言わせている。これも教育だ。 欠席者の分もなにもかも全部食べてしまった。本当によく食べるなあ。感心する。ちっちゃい手でおわんを差し出す。 それによそおうわけだが、かわいいなあ。もうこんなこともなくなる。よそおう相手なんてこれからいるのだろうか。 自分でよそって自分で食べるだけだろう。まあそれも清々していいけどね。 2016年5月1日日曜日晴れ 再々任用になってようやく一ヶ月が過ぎた。60才で再任用を希望し一年間働く。年金が61才から出るので退職。一年間年金生活を送るが、膝の調子もよくなってきたので働けるだけ働くかと思い直し、再任用を希望する。採用されて一月立っての感想。 やはり体力が無い。膝が痛い。65才どころか今年一年働けるのかどうかさえ心配である。4月1日から朝7時に登校し夜7時、8時まで働く毎日が続く。体調は一気に悪化。舌が腫れてしゃべるのも苦痛になる。喉は枯れて大声は出せないし、難儀する。ようやく身体も慣れ、舌の腫れも治まり、普通に生活できるようになったが、一日12時間以上も職場に拘束される生活は、自分の寿命を縮めている感はあるなあ。 頭は大丈夫なのだが、身体がついて行かない。同僚は親切だし、これ以上は無い職場だとは思うが、職業として子どもの指導に当たるというのは、やはり理不尽に感じる事は多い。挨拶もしない、返事もしない、指導に従わずわがままを押し通す、これらをひとつひとつ忍耐強く指導していかなくてはならない。先生の言う事が聞けないなら学校に来る資格は無いと言いたくなるがそんな事は言えないのが宮仕えの辛さである。私塾ならそういう方針で経営しようがどうしようが自由でしょう。潰れて構わないのなら。こっちも一旦退職した身なのでついそう思ってしまうが、組織の一員としてそういう言動は取れないわけである。 とはいえ、相手は小学生。見た目は実にかわいい。大半の子は素直でかわいい。何をやっても「先生、すごい」と驚いてくれるし、「先生、見て見て」と催促する姿もかわいい。まあ幸せだと思う瞬間が多々あるので、理不尽なことも棒引きして考えないとなあ。 2016年8月8日月曜日晴れ 朝CB400でツーリング。朝日が眩しい。空を群れ飛ぶ鳥たちが朝日を浴びて光り輝いている。珍しいほどの輝く朝だ。 小学校の学級担任として、久しぶりの夏休み。この間、運動会も指導したし、水泳もやった、成績もつけた。フルタイムでの勤務はやはり老体には堪えた。気持ちは全然若いのだが、体は確実に老人の物だと思う。脳細胞に比べ、筋肉細胞は年相応に老化するのだね。正直と言えば正直。脳細胞が異常なのかもしれない。 若々しい頭脳と破壊された体を抱えて生活していかなくてはならない。これはなかなか辛いものである。でも多くの老人は自分と同じ感情を持っているのではないだろうか。 今一番の悩みは来年どうするかと言う事だ。常識的に考えれば64才の学級担任なんて子どもがかわいそう。でも自分的に考えるとやりたいのだ。やりたいからやるのではどうかと思うのだが。体はがたがただが、今年こうしてできているのだから、来年やれない事はない。授業は楽しいし、やりたいなあ。周囲がどう評価しているのか。そういう事も冷静に考えなくてはいけないと思う。今年の4月倒れはしなかったが、体を壊した事も考慮しないと。無理をせず年金生活に戻るのが周囲にも迷惑をかけず、自分的にも楽な生き方だとは思うのだが。 東京都議選は女性知事の誕生となる。どうも顔が嫌いなのだ。意地の悪さを感じる。長年人を見て来たので、この感覚は当たっていると思うよ。自民党中枢、アベノミクスの継承者でもある。目新しさはないではないか。オリンピックは結構だが、金をかけ過ぎ。大手ゼネコンの利権になっていると思う。 相模原市のやまゆり園で19人が元職員にナイフ等で刺し殺されるという惨劇が起きた。その対応として不審者対応の訓練の様子が報じられていたが、これがモップなんだよねえ。いまだにバインダーで身を守り、モップで不審者を押さえつけろと言うのか。馬鹿馬鹿しい限りというか、金は出さないという事か。せめて催涙スプレーぐらい配布できないのか。 話は飛ぶが、もう脈絡も何も無いが、口で言っても聞かない子の扱いにはほんとまいった。授業のやり方どうのより、チャイムが鳴っても着席しない、教科書を出さない、おしゃべりをするだけで、教師の指導はまったく無視。こんなの言葉でどう指導しろと言うのだ。いくら説得しても聞く耳を持たない。何の改善も無い。少年サッカーなら、やる気がないなら来るなでお終いだし、大体そういう子自体が存在しない。公立学校だとこういう子が日常的にいるんだよねえ。自分の教室だけで授業しているなら、ほっといてもいいのだが、教室移動もこれではできない。校外学習も無理。指導に従わないし、説得に応じない、なぜ応じないのかその理由もわからない。結局力ずくで着席させる、教科書等を出さなかったら平手で頭を叩く、泣かせる、体罰だと訴えられたら首だなあと覚悟して強制した。そしたらすなおに指導に従うようになった。今では何の問題も無い。あのまま言葉の説得だけに指導を限定していたら、クラスは崩壊していたと思う。 もう退職した身だし、首になる事自体は構わないのだが、クラスが崩壊するのを黙って見るのは嫌だ。それなら体罰教師として首になるほうがいい。そう開き直ったらこの結果。釈然としないなあ。来年もこんなことを繰り返すのだろうか。結局男の先生という事で来年も超問題児を担当する事になるだろうしねえ。そんな事を思うと、すっぱり辞めた方が精神衛生上いいかとも思う。体罰だ、人権侵害だと言うが、相手はまだ子どもなのだよ、お尻ペンペンが必要な子もいるのだ。言葉だけで指導できるというなら、現場で実際にやって見せてもらいたい。精神疾患で毎年たくさんの教師が退職に追い込まれているのだが、追い込んでいるのはこういう教育論者なのだよ。 2016年8月28日日曜日曇り後雨 結局いじめというのは無くならないのではないか。集団として生活している以上、人間も集団生活をする動物である以上、序列化しようと互いに突付き合うものだと思うのだ。クラスの中もそうだし、職員室だってそうだ。地域だってそうだと思う。子どもから大人まで毎日序列化する突付き合いが日常化していると思う。それは直接的な暴力でなくても言葉のやり取りなど。互いに力関係を試し合っているのだと思う。上司と部下、先輩と後輩。皆社会生活を営んでいる以上突付き合いはしかたないのではないか。下から這い上がっていく者、それを押さえつけようとする者。せめぎあいというのは日常的にあると思う。 むしろ軍隊みたいな所は安定しているのではないか。軍隊経験は無いが、運動部の経験はある。運動部も監督、先輩、後輩と序列化が安定していて日常的に突付き合う事は無い。逆にストレスが無いのだ。クラスが荒れるとは、序列化が安定していない事ではないか。担任の権威が無い、従って日常的に突付き合いが激しさを増す。仲裁、裁定する者がいなければ無法化して暴力化するのではないか。 担任の権威があるクラス、担任に敬語表現を使っているクラスというのは序列化が安定し、むしろストレスの少ない集団ではないかと思うのだ。 いじめを無くすという視点に立てば、担任の権威を確立するという事が近道だと思う。 来週から2学期が始まる。 2016年8月29日月曜日 官製研修会に動員だ。仕事だから断るわけにもいかん。 物語の分析なのだが、普通に起承転結と解説するのではオリジナリティがないと思うのだろうねえ、前話とか後話とか言うのだ。ドラマの部分、つまり転回の所はクライマックス場面と言うのだ。まあそのへんはどうでもいいし、好きなようにやってと思う。物語を読む事を、型に分類する事と講師は勘違いしている。型などどうでもいいのだよ。おまけにクライマックス場面では心の変容がないといけないと型にはめて考えているようで、思い込みによる強引さを感じた。教材は「一つの花」。転回の部分、講師によればクライマックス場面だね。ここで心の変容が一番見られたのはゆみ子でもなく、お父さんでもなく、母親だと言う。まあそれはそれでこの人の読みだからとやかく言う事ではない。ただ納得できなかったのは、結の部分、講師によると後話だが、ここの記述から紐解いて行くというか根拠付けるわけですね。これはおかしい。読書とは、読み終えた部分から想起して読み解いていくわけだから、結論部分の記述がこうだから、こうだという読み取りはあり得ないのだよ。まあ、読書感想文ならそう言う事もありかなとは思うが。 物語を読む力とは、物語を型分けしたり、分類する事ではないとぼくは思う。文章に即して場面や背景、登場人物の心情などを想像し、共感したり、反発したりする力だと思う。そういう力が付けば、本を読む楽しさがわかるようになる、その事が養いたい力だと思うのだ。この場面で言えば、空腹の余り「おじぎり、ひとつだけちょいだい」と泣き出すゆみ子に対して、「いいわねえ。お父ちゃん、兵隊ちゃんになるんだって、ばんざあいって。」 と伴侶が戦場に持っていかれ、恐らく殺されてしまうだろうに、そういうあやし方しかできない母親。空腹を訴える娘に対し、食べる物を与える事ができず、必死に探して見つけたのが「ごみすて場のような所に、わすれられたようにさいていたコスモスの花」一輪だった父親。それを喜んでキャッキャッと喜ぶ我が子を見てにっこり笑い、何も言わずに戦場に行く父親。その情景の悲しさ、辛さを想像する事が読み取る事だと思うのだ。 やはり三読法の弊害だね。教師の読み聞かせだろうが、朗読だろうが、全文を通読してしまうのがまちがいだと思う。読書とは、立ち止まりながら、場面や登場人物の心情を想起し、物語の展開を予想し、共感したり、反発したりする事なのだから、立ち止まり無く一気に読んでしまうというのは、読書ではないのだよ。読書ではない事を子どもに強制してから、学習課題を与え、あるいは今流行りのアクティブラーニングよろしく学習課題を自ら設定し、読み進めていくというのは、単なるお勉強であって、読書の楽しみとは無縁な行為、読書嫌いを作り出す行為なのだよ。一読総合法の自然な読みの良さを再認識した講習会だった。 2016年11月26日土曜日晴れ 両膝が腫れてしゃがむことができない。毎晩入浴する時浴槽内で正座するようにしているのだが、昨晩はそれもできず。朝湿布を貼る。なおるかどうかわからんが、それよりも原因がわからん。そんなに運動したわけでもないしなあ。日常生活で腫れるなんて。タマゴサミンなるサプリメント(栄養剤)を飲んでいるのだが効果無しか。 鉄棒は昔同様にできる。懸垂も回転技も昔同様だ。マット運動は三点倒立もブリッジもできる。上半身自体は遜色無いと思うのだが、膝がだめだ。従って全力走、跳躍などが不可能。これから縄跳びの季節だが、だいじょうぶか。まあ指導はできるだろうが。 11月初旬に再任用の申請はしたのだが、こんな膝で4月から担任をやっていいのか。断るべきではないか。3月に断るのもなあ。社会的に言うと無責任だよなあ。 教室は宝箱だ。開くと33個の宝がある。毎朝教室で「おはようございます」と入ってくる子どもたちを迎えるのは幸せだと思う。でもこの身体ではなあ。4月からまた年金生活に戻るべきではないかとも思うのである。 2018年3月14日朝会講話安全部(朝会は行われず話せなかった) 集団登校は随分昔から行われていたようです。橋の無い河という小説の中で町や村や部落の子供たちがそれぞれ班長が旗を持って学校に行進していた様子が書かれています。当時は小学校の数が少なかったので山や谷を超え、河を渡り一時間も2時間もかけて歩いて来たようです。道草を食うという諺がありますが、途中でお腹が減った子供たちはポケットにあらかじめ塩を入れていて道に咲いている草をむしって、塩で味付けをして食べていたそうです。都会から来た若い先生がこの事を知らず、寄り道をせずまっすぐ家に帰りなさいという意味で 「これからは道草を食ってはいかん。」 と教室で話したところ、子供たちは非常に驚き、悲しんだという文章を読んだ事があります。そういう平和な時代から日本は不幸な事に戦争の時代に入ります。15年もの長い間戦争が続き、300万人以上の日本人が死にました。みなさんはまだ生まれてから15年たった人はいませんので、生まれてからずっと戦争が続いていたという長さですね。日本は戦争に負け、全面降伏して貧しいが平和な時代を迎えます。軍隊は廃止され、これからは軍隊を作ってはいけない、軍隊は持たないという平和憲法が作られました。軍隊的なものは廃止されました。集団登校は隊列を作る、行進するという所から軍隊的なものとして全国的に廃止されました。従って戦争が終わってから生まれたぼくは集団登校を体験していません。兄弟はいましたが、一人で登校していました。それからしばらくたってから、交通安全のためという目的で集団登校が始まるようになりましたが、いろいろな事情で全ての小学校が集団登校をやっているわけではありません。市内でも集団登校をしてない学校も実は多いのです。 6年生は、6年間雨の日もかぜの日もこの集団登校を体験してきました。君たちが親になった時この集団登校の意味を考えてもらいたいと思います。ですが、君たちが毎朝努力してきたことは尊敬に値することです。低学年の子たちはそのことに感謝しなくてはいけません。そこで、みなさんに四つの拍手を提案します。賛成してくれる人は大きな拍手をしてください。 一つ目。6年間集団登校にまじめに取り組み、小さい子を守ってくれた6年生に感謝の気持ちをこめて大きな拍手をしましょう。 2つ目。6年間以上、ずっと君たちの集団登校を見守ってくださっている黄色いチョッキを着て、黄色い旗を持って安全指導をしてくださっている地域のおじさん、おばさんに感謝の気持ちを込めて大きな拍手をしましょう。 3つ目。君たちの安全のため、地域の人とともに努力している先生方に感謝の気持ちを込めて大きな拍手をしましょう。 四つ目。毎朝列を守り、大きい子は小さい子を守り、小さい子は大きい子の言う事をしっかり守り、安全に登校している君たち全員の努力に大きな拍手をしましょう。 これで先生の話はお終いです。静かに聴いてくれてありがとうございました。
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