教室日記

2001年4月5日
 今年は3年生の担任だ。新採用の頃に受け持ってからもう何回目だろう。ずいぶんたくさんやってきた気がする。
昔は3年生と言えば、新米教員の受け持つ最もやりやすい学年と思われていた。まだすなおだし、低学年ほど手はかからないし、やりやすい学年と思われていたのだ。でも、今やそんな事はどの学年でも言えなくなった。
どの学級にも自己ちゅーじとも言われる自己中心的超わがままな児童がいるからである。保護者にしても自分が新米の頃の教え子が親になってきている。保護者自身が超自己中心な人もいるのである。
 不安な中、学級開きだ。

 何度か、入学式と始業式を別にしてもらいたいと管理職に要求を出した事があるが、通らない。学校独自というのはだめで、足並みを揃えるためだろう。
そのため、1時間だけの初対面だ。デジカメで3人ずつ写真を撮る。今夜自宅で顔を覚えるためである。

4月6日
 離任式だ。これも何度か廃止を要求した事があるが、管理職が認めない。単なる人事移動ではないか。離任した教員は新しい学級を自習にしてやってくる。我々にしても学級開きの忙しい時間を式にさかねばならない。教育的な事とは思えない。

 4月7日 遠足の下見だ。6人も乗せて自分のワンボックスカーで出かける。教員の駐車を認めない市教育委員会なのにどうしてこういう時はマイカーなのか。釈然としない。

 4月13日 箸のテストをする。やはり2割ぐらいしか正しく持てない。毎年どの学年を持ってもそうだ。箸なんて3歳ぐらいで身につける生活力である。親としてしつける事である。なぜ小学校の給食で指導しなければいけないのか。親が子供と闘っていない。感情的に叱る事としつける事は違う。乱暴な親が増えている事としつけのできない親が増えている事はつながっているのだろうか。ひとりひとりていねいに教える。箸が持てれば鉛筆も正しく持てるのである。その基礎がないために鉛筆の持ち方もおかしい。雑巾の絞り方も教える。姿勢もだ。何もかも新しく教えて学級がその姿を見せ始めてきた。

 4月23日 かけ算九九ができない。完全におぼえている子は10人ぐらいだ。98点ではだめなのである。ひとつでも不正確な所があるとずっとつまずく原因となる。繰り上がり、繰り下がりの10回足し算、引き算にも取り組まねばならず、1,2年の課題を持ち越して進級している子が多い。算数だけは徹底して取り組まないと次の学年の教師も苦労するし、何より子どもの勉強嫌いの原因となる。基礎基本の徹底とはこういう事だと思う。生きる力の育成などと大上段に構えるより、こういう地道な努力をもっと評価すれば

勉強嫌いの子は減ると思うが、教育界の意思統一のできない所なのだろう。

 4月29日 連休に入る。金曜の夜は歓送迎会だったが、午後発熱する。早退の子や保健指導、生活指導など三つも同時に並行して行わないといけない事が突発し、一階と三階を何度も駆けめぐった事が風邪をひどくしたようだ。帰りに病院に寄り、薬をもらうが熱は39度もあり夜の会は欠席するはめになる。それでも午前中はこどもたちとキャベツについたモンシロチョウの卵を観察するなど楽しい授業ができた。自分の指導が通るようになり、それなりに集団としての規律と意識がついてきた気がする。自分のクラスらしくなる。これで1年間やるぞという見通しが出てきた。
 
 5月31日 A市の情報教育研究部会に出張する。いろいろ説明を受けるがなんとなく釈然としない。パソコンにかける思いが違う気がするのである。
 以前は大企業や役所でなければ買えなかったコンピューターが個人の金で買える時代になった。
以前はパソコンの専門知識を持った人でなければ扱う事ができなかった。今は極端に言えば小学生でも自分のホームページを作り、情報を発信できる時代なのである。一人一人が情報を検索、受信し、かつ個人的な情報を発信できる時代なのである。そんな時代にあって学校が情報を管理しようという事に無理があると思った。
 昔、自分がガリ切りと輪転機で毎日学級通信を出していた事が、今はパソコンを使えばホームページで毎日情報を発信できるのである。保護者は担任のホームページを覗けば教室の様子がわかるし、聞きたい事があればメールを担任に出せばいいのである。担任もメールで返信できる。同じ文章を一斉にメールで流す事も可能なのだ。今はクラスの3分の1ぐらいの家庭がネットで繋がっているが、将来はほとんどの家庭がネットで繋がるだろう。今の緊急連絡網が電話で繋がっているように、パソコンで繋がる時代がすぐに来ると思う。
 その事を思えば、教育委員会が教師を信頼して担任のホームページで学級通信を、あるいは教室日記を発信する事を認めてくれれば飛躍的に情報社会に進めるのだ。英断を下して欲しいものだ。

10月10日水曜日
 昨夜録画しておいた田村正一主演の「さよなら小津先生」を見る。底辺校の高校教師の生活だ。授業中に紙飛行機を飛ばしたり、携帯電話をかけたり、菓子を食ったりそんな無軌道、不遜な高校生の集団だ。何しに学校に来ているのだ。社会に出て働けと怒鳴りたい。大人に対して働きもしない身で対等な口をきく、この子らを見ると言いようのない怒りが湧いて来る。
思えば、自分の23年間の教師生活はこういうわがままで生意気な子たちとの軋轢の歴史だった気もする。それだからこそ、定年まで働ける気がしないのだ。どこかで自分が切れるか、首になるかそんな結末しか予想できない。とても無事定年まで働きおおせる自分の姿が浮かんで来ないのだ。そう言えば今日、教頭が平成13年度に君が代の指導を先生はしますかと一人一人聞いて回っていた。自分は今までした事もないし、今後もする予定は無いと答えておいたが、指導するという丸印がずらりと並んでいた。こういう所からも、自分の定年退職の道は無い気がするのだ。
10月12日金曜日
 運動会でソーラン節を指導した。四股を踏む、背筋を伸ばし胸を張るというポイントを押さえる事ができたと思う。いい運動会ができたとうれしかった。
 子どもたちの写真なり、ビデオなりを載せたい所だが、私的なホームページなのでやめておこう。
 体がもうがたがたで、ソーラン節を見本で2回続けて踊るのが限界だった。なさけない限りだ。「気力を補う体力の限界を感じ,引退します。」とかっこよく宣言できたらいいのになと思うが、生活もありそうもいかないのだ。
 後何回、運動会に参加できるのだろう。23回目の運動会は充実したものだった。

 元来、機械おんちなのだが、どういうわけか視聴覚なり、パソコンなりの係をやらされている。A市はインターネットの街作りを目指し自治体ネットワークを情報プラザを核としてやっているのだが、どうもそれがしっくりいかない。
 この所ニムダという新手のウイルスのため、学校のネット接続は禁止されたままだ。世の中全体がネット中止というならわかるが、学校だけというのは変な話だ。結局、民間のプロバイダーに比べウイルス対策が後手に回るという技術力の差なのだろう。それでも自治体ネットワークの利点があるのなら多少の不便はがまんすべきだと思うがそこの所がよくわからない。情報プラザの職員の人件費、建物の維持管理費を税金で賄う事と、民間のプロバイダーの契約料とどちらが税金の節約になるのだろうか。手元に具体的な数字を持っていないので断言はできないが、常識的には民間にまかせた方が安いのはでないか。自然教室の維持管理と同じで、政治的なものがあるように自分には思える。自然教室に児童を引率するメリットはあると思うが、利用を強制されている気はする。毎年参勤交代みたいに行かされるのはいかがなものか。
情報プラザの利用も強制されているように感じるのは、自分だけなのだろうか。
10月19日金曜日
 体育で三色鬼なるものをやっている。じゃんけんと同じで、三すくみの鬼ごっこだ。足の遅い子でも、作戦の立て方では十分楽しめる。事実どの学年でやっても(低学年はちょっと無理だが)子どもは大喜びだ。楽しそうに遊んでいる子たちを見るのは幸せな気分だ。以前は自分も子どもたちのチームに入り、一緒に走り回ったものだが、年のせいか最近は審判専門だ。それでも見るだけでも楽しい。こういう姿を保護者にも見て貰いたいものだ。
12月19日水曜日
 学校近くの川沿いに何もない公園がある。何もないのがうれしい。道はこの公園で行き止まりになっているため通り過ぎる車も人もいないのである。普通なら幼児を連れる若いお母さんなどがいそうなのだが、この公園の作りではそういう人も訪れない。
 まことに私にとっては理想的な公園なのだ。クラスの子とまたここへ来る。安全指導をして自由に放す。小高い丘から学校や田園地帯、川の流れが見渡せる。歓声をあげて遊びに夢中になる子どもたちを見るのは、本当に幸せな気分だ。いつも計算練習やら集団生活のしつけなどで子どもに強制している事から比べると、こういう時間が持てる事がうれしい。
 後何年教師でいられるのだろう。たとえ後何ヶ月でも何日でもこういう気持ちで教師でいられるように自分の教育の信念に忠実に生きていきたい。そして何よりこどもの幸せのために誠実に働きたい。その生き方がその時の国の政策に反する事になったとしても。その事でこの職を追われる事になったとしても。

2002.3.29金曜日
 せっかくの春休みなのに冷たい雨が続く。まあ物を考えるにはいいことだ。来年もどういう事か3年の担任になると先日発表を受ける。自分にとって今年は40台最後の年だ。来年は50台に突入してしまう。恐ろしい事だ。人生設計などどうなることかわからないのだが、とりあえず今まではうまく行った。借金もないし、家族も健康だし、資産も多少だがある。幸せである。幸せの絶頂にいるのかもしれない。恐ろしい事である。

 さて、今年の事だ。うれしいのは毎日8時半から授業が始まる事だ。今までは朝の打ち合わせがあって子どもは自習だったのだ。自習と言ったって小学生の事だ。下手をすると教室でけんかをしている事だってある。打ち合わせと言っても、自分には文章を回覧するか掲示すれば事足りるのではないかと常々思っていたので、余計な事が無くなってうれしい。学校に来たらすっと自分の教室に行って仕事を始めればいいのだ。
 
 新採用の教師ならいざ知らず、20年以上もこの仕事をやっているのだ。毎朝の打ち合わせがなければ不安という事ではない。教師の仕事とは一人で40人の児童を相手にしている。個人的作業といっていいと思う。自分に自信がなければ児童の前に立てない。だから研修が必要なのである。段取りは常に考えて臨んでいる。常日頃の研修と事前の段取りがあれば、児童の前に立つのは恐い事ではない。楽しみである。若い頃は早く明日にならないかなと思ったものだ。

 おまけに今年からは週二日の休みだ。持ち帰りの仕事が多い教師にとってこれはありがたい。テストの丸付け、指導計画などの学級事務は勤務時間の中ではできない。放課後は会議に忙殺される事が多いのだ。でも土日が休みになるので、どちらかを仕事に割り振れば仕事がつまってしまう事が避けられる。ありがたい事だ。

 漠然とした不安は、問題児と問題の親との対応である。自分は体罰など必要でないと思っているが、言葉で指導できない子もいるのは事実だ。そうなると懲戒権のない担任には指導を放棄して学級が崩壊するのにまかせるか、指導を貫徹して体罰教師の汚名を受けるしかないのである。切れやすい子を押さえるには腕力しかない。後で言葉で説諭するにしても暴れている時は力で押さえるしかないのである。冷静になって指導を受け入れる子はいいが、たてつく子もいる。そうするとどうすればいいのか。自宅謹慎、出席停止しかないではないか。そうして本人と保護者が冷静に自己の行動について反省するのを待つしかないのである。しかし担任には自宅謹慎も出席停止の権限もない。自分は今まで個人責任で児童を恫喝していたわけで、本来自分にはそのような権限は与えられていないのである。たまたま今まで受け持っていた問題児と問題の親が引き下がっていたからこれまでうまくいっていたにすぎない。いや引き下がっていない保護者もいたわけで、教育委員会や校長に自分の苦情が持ち込まれ校長室で指導を受けた事もたびたびだ。しかし自分は首覚悟で自分の指導を貫徹して来た。自分の教室を崩壊させるより、自分の首を切った方がいいと思って来たからだ。自分の首がいまだにつながっているのは、だから偶然の産物なのである。漠然とした不安とはその事である。漠とした不安を抱えつつ、24年目の実践に入る。

3.31
 週五日制の関係で1時間目が15分になった。それを朝読書に当てたいという校長案で年間35時間が総合科からカットされた。結局試行期間と同じく70時間が総合科に振り分けられるわけだ。前年と同じ3年担任という事もあって、何か目新しい物がなくなった気がする。まあそんな外的環境はどうであれ、自分の信念を押し通して行けばいいことなのだ。
 国語 表現読み、漢字の書き取り、討論
 社会、総合 地域巡り、川を中心に学区を縦断する。
 算数 計算ゲーム、一あたり量*外延量=全体量の概念化
 理科 生物の体験学習
 音楽 リコーダー
 図工 クロッキー、水彩絵の具の扱い
 体育 ストレッチ、鉄棒、集団遊び 上記に重点を置く。

4.21
 授業参観の後に学級懇談会がある。その場で学級経営の方針を伝えたのだが、納得できない保護者がいたのだろう。さっそく匿名で教育委員会に抗議の電話があったそうだ。校長室で校長の指導を受けて知る。
 内容は三つ。給食に箸の指導をしているのだが、カレーライスの時はスプーンを使わせてくれと言うことだ。スプーンの使用を禁止した事はこれまでもないし、申し出れば済むことだ。昨年も子どもの申し出で使わせていた。匿名で抗議する事だろうか。
 二つ目は、給食後の歯みがきだ。うがいの水を飲ませているという抗議だ。児童は自席でからみがきをしている。からみがきがすんだら、手洗い場で歯ブラシを洗い、口をすすがせている。どこにもうがい水などないし、それを飲ませる指導などしていない。
どうしてこんな根も葉もないことで指導を受けなければならないのか。
 三つ目は、計算ゲームをやらせているのだが、一斉スタートして始めるので、早くできた子は黒板に順位と名前を書いて、できない子の指導をしている。順位を板書するのが差別につながり、できない子の心を傷つけているという抗議だ。これは教育観の相違だ。懇談会では論議もされなかった事だ。匿名で教育委員会に抗議する前になぜ担任に抗議しないのだろうか。一切の順位付けを教育的でないという理由でなくすなら、運動会の徒競走も持久走大会もできなくなる。競争は教育的である面もあるのだ。そこの所を論議したい。
 いずれにしろ、懇談会で納得できないから教育委員会に抗議するという形は、出世を考えている教員には脅威かもしれない。でも自分のようないつ首になるかわからないと自認している教員にとっては、ただ不愉快なだけだ。
 匿名で抗議する卑劣とも思える親の子を指導しなけらばならないのは、不愉快である。それは自分ががまんすればいい事だが、親のそういう姿勢を見ている子どもが学校で担任とつき合う事をこの親はどう考えているのだろうか。また、そういう事態を何の想像もせず、抗議が来たから学校に指導を下ろすという教育委員会も何に責任を持ち、何を考えているのだろうか。4月早々不愉快なスタートである。

4月27日土曜日晴れ
 クラスのホームページの許可が下りる。作ること自体は簡単なのだが、許可を得るのが大変。学級通信のホームページ版のつもりだが、毎回校長の許可を得なければならないので、若い頃毎日通信を出していたようにはできない。今回もたくさんの朱書きをもらう。もう49にもなろうというのに、子どもみたいに添削されるのは愉快ではない。
だがここで腹を立てては立ち上げる事ができない。無条件に添削事項に従う。どうも文章の流れが悪くなるし、第一自分の文章らしくなくなるので嫌なのだが、いたしかたない。校長名で出すわけではないし、担任の責任で出すのだから、こちらにまかせてもらいたいのだが、上下関係だからしょうがないのである。
 でもまあ、基本的なスタンスは認めてもらっているわけだから、あんまり文句言う筋合いではないよね。とにかく、子どもの作品、自分の学級通信、写真集が載ったクラスのホームページができて今はうれしい気分だ。

7月3日水曜日曇
 クラスのホームページがどういうわけか、ほとんど校長の検閲をフリーパスで通っている。自分の言いたい事が学校のホームページで表現できるわけだ。この私的なホームページで発言する必要が無くなった。だからしばらくは、この教室日記は休止である。

7月14日日曜日
 台風の影響で風が強い。彼女と近くの宮ヶ瀬ダムに行く。初めてダムの放流を間近に見た。ダムサイトの上から身を乗り出して見ることができるのだ。茶褐色の濁流がすべてを飲み込んで下流の岩にたたきつけていた。見ていて恐くなる。自然の驚異を感じる。
 さて、夏休みまで後一週間。嬉しいという気分より、教室の実践から一月以上も離れてしまうという寂しさの方を感じる。やっぱ年なのかなあ。
 でも今年は良かった。年来の希望だった学級通信をホームページ上で発行する事ができたからだ。充分自分の意見も書く事ができたし、自分の宝である。教師をやめてもこの内容はcd−rに永久保存する事ができる。
 広報委員会やパソコンクラブのホームページも作ったけど、こっちはこどもとの接点が少ないので愛着がない。自分の指導が徹底していないので、内容も満足できない。係としてやったお仕事という感じだ。やはりクラスがいいよ。うまく行っても行かなくても自分のクラスというのはいいものだ。

9月4日水曜日
 今日も夏休みの作品整理に追われる。学期はじめの忙しい時期にどうしてこういう代行業務をさせられるのだろう。募集団体が募集事務をやれば、それで済む事なのだ。ところが、教育委員会なり何なりが
「ああいいですよ、学校で募集事務を代行しますよ。」
と安請け合いするので、現場の教師が代行業務に忙殺される事になる。昔と違って夏休みの宿題を強制しているわけではない。従って応募する子も応募しない子もいるのである。それなのに、応募する子のためだけに教師は時間もエネルギーも割く事になる。まあ、事務の代行ぐらいなら一応公務員だからがまんすべきかとも思うが、読書感想文や何々作品展などは、合格しそうな子の作品の書き直しの指導まで要請される事もあるのだ。授業で感想文なり作文を書かせたのなら、書き直しの指導をするのは当然である。しかし夏休み期間の自由応募の作品の、しかも合格しそうな子の作品だけなぜ指導する必要があるのか。全体の奉仕者である公教育の教師の仕事としておかしな事だと思う。学校の名誉のためにやっている仕事ではないだろうか。
 どっから石が飛んで来ようが自分はそう思う。この事で袋だたきに会おうが、そう思うのだからしょうがない。やっぱ特定の子、しかも合格しそうな子の作品だけ指導するなんておかしいよ。

 午後は校内研究だった。うちの学校は総合科の研究をしているのだが、どうも雲行きが怪しくなってきた。総合科の導入の時は、主要教科の時数を削ってまでやるのはおかしいという現場の教師の意見(少数派だったと思うが)を無視して強行されたのだ。でもその時は指導要領や年間計画、学年の系統性に縛られずに現場の教師の自由裁量にまかすという積極的な思想もあった。例示として環境、福祉、国際理解、情報などの四分野が上げられたが、それはあくまで何の例示も無いと現場が困るだろうと言う配慮からであって、それに縛り付けるものではなかったのである。移行期は70時間何に使おうと現場の自由ですよという自由裁量の権限を文部省が与えてくれたのである。そういう意味では画期的な思想だった。現場がそれを受けて独創的な実践を積み上げたかどうかは疑問であるが、いくつかは自由な実践もあったと思う。
 先進校に学ぶ横並び、安全第一路線も主流ではあったと思うが、自由な実践を開く可能性は与えられたのである。
 ところが、この所の総合科バッシングである。週休二日制による時数の削減、総合科の完全実施による教科の時数削減、指導項目の削除、これらが基礎学力の低下の原因だというバッシングである。マスコミを大いに賑わせた。この論拠には一理あると自分も思う。だが、問題は文部科学省の対応である。
 このバッシングに追われて文部省は様々な言い訳めいた事を言いだした。
 総合科の時間を基礎基本に使っていい。
 宿題の薦め。
 指導要領は最低の基準であるから、発展として削除した指導項目を教えてもいい。
 評価評定は無いと言われていた総合科に評価欄が強制的に導入された。
などである。
この結果、先進校の取り組みやいわゆる御用学者の先生たちは、
「何もかも現場の先生が考えて行くのは大変でしょう。そういう独創的な取り組みはみなさんには期待していないので、教科の発展として総合科を捉えていいのですよ。教科の発展なら年間計画の作成や、学年の系統性、評価規準も作りやすいでしょう。」
などと言い出したのである。
 これでは総合科の時間を各教科に戻したのと同じではないか。ならいっその事、指導要領を改訂して総合科を廃止した方がよっぽどすっきりする。第一、現場の教師をばかにした話である。総合科の導入の時は、教師は支援者になれ、お前たちは黒子で前面に立つな、学びの場を設定すればいいのだという教師をばかにした面はあったにせよ、一応は教師の独創性を期待し、それに委ねようという姿勢があったのである。
今回はまったくの馬鹿扱いである。
「教師には元々授業や単元を創造する力はないのだから、指導要領に基づく年間計画、学年の系統性の発展として総合科をやっていればいいのですよ。あんたらも毎年4月になって今年の総合科は何をやればいいかなんて考えるのは大変でしょう。教科の発展なら頭使わなくて楽でしょうが。」
と言っているのと同じなのだ。
 意見の中身ではなく、だれの意見であるかで動くのが、残念ながら役所の世界である。
 自分たちの実践を創造して行こうという視点が大きく後退して、教科の発展としての総合科の年間計画、学年の系統性、評価規準の作成に足並みを揃えて行こうという動きがどこの現場にも表れてきているのではないだろうか。

2002年
10月2日水曜日快晴
運動会は土曜の予定が雨で日曜に行われた。
代休は、月曜となる。
 火曜は1日雨模様で疲れる。運動会疲れだろう。おまけに運動会の紅白リレーの時応援団の活動をさせなかったという事で紅組応援団長の母親が激怒したそうだ。係の○○先生に怒鳴りつけ、取り合ってもらえなかったので校長に怒鳴り込んだわけだ。本部テント前で校長を怒鳴りつけている所を自分は目撃した。その時、校長は対応はしていたが謝罪などしていなかった。その後の反省会でも、謝罪する事柄ではないと言っていたしね。でも、その後事態は変わっていく。
 火曜は校長室で校長が謝罪したとの事。昼休み応援団の子と話し合って、次回の朝会で応援合戦をさせるそうだ。何が謝罪だ。どこがいけないのだ。紅白リレーの主役は選手の走る姿だ。選手より応援団が目立ってどうする。応援団のために運動会をやっているわけじゃないぞ。
 係の○○先生の指導のどこに保護者に謝罪する落ち度があるのだ。職員会議でこう自分が言うと、麻生や福田さんが去年までは応援させていたという。でもそれは全体の合意でもないし、応援団の申し送りでもないだろう。係の判断にまかせられていたはずだ。それを怒鳴りこまれたからといって、同僚を非難するとはどういう神経だ。部下を守らない管理職、同僚を守らない職員に怒りと失望を深く感じる。
 応援団の指導は係の先生に委ねられていたはずではないか。それを保護者に強烈に怒鳴り込まれたからといってなぜ謝罪しなければいけないのか。運動会は祭りだ。祭りの主催者は教師だ。その判断が気に入らないからといって、わが子かわいさにとち狂っている馬鹿親になぜひれ伏す必要があるのか。
 夜になり台風が関東に上陸する。大型という事だったが、大した事はなかった。やはり夜という時間帯がよかったのだろう。今日は台風一過の青空で理科の太陽の観察をする。合間に「ちいちゃんのかげおくり」の平和教育をする。戦前天皇は神様であった事が戦争を引き起こした原因だったこと、戦後その反省の上に国民主権、民主主義の国になった事などを教えた。
10月4日金曜日曇り
 広報委員会で6年生を怒鳴りつける。こっちが黙れと言っているのににやにや笑っていたからだ。なめているのである。謝らせて、「手間取らせるな、バカ」と怒鳴りつけた。後はシーンとなった。運動会のホームページの作り方の説明をする。担当学年の担当部門(徒競走か団体か表現か)を話し合いで決めさせ、一人一枚一太郎スマイルのお絵かきソフトで作らせる事とした。今月中にだ。一学期一度作っているから、なんとかやるだろう。できなかったら、できた子だけで立ち上げるつもりだ。なんせ11月には工事が始まるので待っていられないのだ。6年生を怒鳴ったのは、紅組応援団の団長、副団長がいるからかもしれない。要するに苛立っていたのである。二人とも小沢級だ。小沢さんよ、しっかり指導しておけよ。子も親もな。
10月7日月曜日
朝会は自分の
「応援団の子をほめるのはいいが、運動会が終わっているのに応援合戦をやらせるのは不自然、応援合戦をやらせるのは反対だ。」
という意見を校長が連休の間冷静になって受け入れたのだろう。その通りになる。よかったと思う。あいつも馬鹿じゃないなと思う。
(追記)
その後、○○先生のクラスは崩壊状態となる。特定の男子が授業中立ち歩き、それを指導できなくなったようだ。その本当の原因は当事者でない自分にはわからないが、この時の謝罪がきっかけではないかと思う。自信を失ったのである。反対に馬鹿どもは勢いづいたのだろうね。で、一年後退職する選択をしてしまった。退職してよかったと思うよ。経済的にやっていけるのならね。自分も退職したいと思っている。経済的に不安だから、決意できないだけの話だ。


2002.11.13水曜日晴れ
 地区研究会だ。自分の授業を公開する。計算ゲームである。四則演算の最も進化したゲームである往復算を見せる。どの子も集中していっしょうけんめい取り組んだ。2分台に入った子は3人だ。後は10分以内の子も多かったが、30分ぐらいかかる子もいた。やり方はほとんどの子がわかってきたが、本当に確かな力にはまだなっていない。確かな力になっていれば、10分以内にできるはずである。そんな中でもI君がまた記録を伸ばして6分に入って来た事は驚きだし、嬉しかった。一学期はかけ算九九は忘れているし、10の補数も言えなかった子である。大したものだ。
 反省会では、率直に自分の意見を表明する。
「往復算自体は20年近く実践してきたが、教科書にもないし、年間計画にもないものだからおおっぴらにやる事はできなかった。でも総合の時間で基礎基本を確かなものにする時間として提起する事にした。みなさんにもやってほしいのです。」
「これは児童の興味関心意欲から出発したものではありません。あくまで担任の押しつけです。でもその中から意欲と目的を持って取り組んできている児童も出てきています。そうでない子もいますが、必要な事だし、できるはずだと見ているので強制しています。」
 指導主事の指導は、
総合の趣旨に合致していないので、総合の時間にやるのは認められない。算数ではないかという事だった。でも算数として地区研究会でこれをやっても、これは算数の年間計画にないし合致してないと言われるだろう。
朝読書運動にしても、総合の趣旨に合致してないという事だった。自由読書、読むだけでよいという趣旨では不足だと言うのである。
 予期していた通りだった。でも基礎基本とは総合も含めて学習指導要領そのものの事ですの発言に至っては、これでは研究協議の意味がないじゃないかと思った。
 結局、学習指導要領の趣旨を生かす実践をあんたらはやっていればいいの、子どものために何が必要だとかいう事をあんたらは考える必要はないのと言っているのと同じではないか。研究会とは名ばかりで、最後は指導主事の指導助言の答が待っているのである。答は指導主事のカバンの中に最初から入っているのである。
 馬鹿馬鹿しい。だから自分は会費を払ってないのである。こんなの研究会じゃないよ。教師は教育者として扱われてない。役所の方針を伝達する単なる役人だ。

2002.11.27水曜日晴れ

 今日は忙しかった。パソコンルームの入れ替えだ。昨夜教育委員会にソフトや書類の類も一緒に廃棄してもいいかと打診して了解してもらったので、急遽一人で運び出す事にした。クラスの子どもにも手伝ってもらう。3年生とは言え、結構役立つ。
 だいぶ助かったが、大半は自分一人で運び出した。年だし、足腰を痛める。まだ使えるソフトに解説本の山である。業者はパソコン、プリンター、スキャナ、ビデオデッキ、実物投影機を運び出す。リースとは言え、行き着く先は産業廃棄物になるのだから、環境にやさしいとは言えないだろう。
 大半は運び出したので、ロッカー、机の中は空になる。でも備品は捨てられないので、もはや使い物にはならないだろうスキャナ2台、フイルムスキャナ一台、パソコン用大型音楽キーボード一台、後よくわからない部品一台を残す。
 まあすっきりとはした。係としてがんばったとは思う。でもぼくの希望だった、キッドピックスや算数伝説は外されてしまった。クラスの子の一番の人気ソフトがなくなるのだ。残るのは一太郎、キューブ、マルチブックだ。要するにお勉強しなさいというわけですね。
 ドスの頃のソフトも十分人気はあったし、もったいない気はする。教員の使うソフトと言えば、一太郎と竹千代ぐらいではないだろうか。ドスの頃では困るという事もないと思う。そんな凝った文章を作るわけではないしね。
 来年2月に立ち上がるサーバーにはクラスのホームページという考えは無さそうだ。自分の想いと委員会の指向する所に違いがあるのだから、係としてとどまる必要は無いと思う。
 
 新パソコンルームで心配なのは二台のネットワークプリンターだ。子どもが何回も印刷命令を出すので、パンクしたなんていう他校の話も聞いた。
 確かにハードも進化したし、OSも2000になったので使いやすいだろう。でもこんなに税金を投入する必要があるのだろうか。そこの所が疑問だ。1台に一つcd−rがついている。サーバーもハードもでっかくなったので、わざわざcdに焼く必要もないだろう。第一小学生にcd−rを操作させる必要がどこにあるのだろうか。納得できない事ばかりだ。

2003年
1月11日土曜日晴れ
 すっかり寝込む。風邪気味なのだ。まったく息の詰まる思いだ。閉息感のただ中にいる。
 8日水曜日の始業式の後は親睦会で会議室で寿司を食べる。校長が3月で退職する挨拶を聞く。親睦会の引継で3、4年がやる事となる。自分が推されるがもうすでに一回やっているし、どうせ会には出ないのだからまだやってない人にやってもらう。小泉さんが引き受ける。校長のお別れ会とは別個に考えるべきだと言って置いたが、どうなることやら。
 各部会(推進委員会など)の後4時から学年会をやると学年主任の阿部さんが言う物だから反対する。志位さんが間に入り3時半からやる事になる。現場の者が休憩時間を守る努力をしないでどうするのか。話し合った事もあゆみに評価観点表を差し込む案作りだ。こんなもの子どもはわからないし、親だってわからない。いらないと何度も主張しているのだが、多数派という実態の無い物に押し切られている。
 
 
 放課後はいきなり
「親睦会の先生は校長室に集合!」
の放送がかかる。校長が留守なのでお別れ会の相談だ。幹事が世話役をやりたいと言うのだ。
 親睦会とは20代の教員も校長、教頭も同じ3千円の会費を払っている平等、対等な会である。転任、退職等で脱会する時は、規約に基づいて寸志を払う事になっている。校長、教頭だから特別に会を設けるとか、慰労金を出すとかの規定はないのだ。他の会員には規定道理の寸志しか出さないのに、校長、教頭の退職にあたっては、記念品として10万出すという。慰労会の経費も会持ちにするというのである。これではまったくの特別扱いだし、他の会員に対し著しく特権的である。
 ここまでの事は言わなかったが、
「前任校で3学期幹事長をやったとき、たまたま校長の退職と重なったが、自分は校長のお別れ会は引き受けなかったよ」
と発言した。
「じゃ校長のお別れ会はだれがやったの」
と教頭が聞いて来たから、
「それは教頭が音頭取りをしたんじゃなかったかな」
と答えた。一同シーンとする。
見かねた教務が親睦会に反対の意見があるなら、自分が音頭取りをすると発言しその場を納めようとした。小泉さんは幹事長の自分が音頭取りをしたいらしくその方向で話を再開しはじめた。まあ、自分が親睦会を脱会するつもりで原則論を貫けばお別れ会は有志で組織する別組織になったとは思う。でもなんらかお別れ会をしたいというのが、職場の総意であるように感じたし、原則論を貫いても出てくる結果は同じだと思えたので、それ以上は発言しなかった。4時50分からの打ち合わせで泊まりにするか、箱根か湯本かという話し合いになる。勤務時間に話し合う事かと思い、無視した。その後また校長室で話し合いになるが、自分に仕事を振ってこなかった。まあ出ない事はわかっているからね。一応デジカメで撮って置いてねという依頼というか何かはあったがね。
 一から万事まで筋の通らない事ばかりだ。馬鹿馬鹿しい事ばかりだ。それになんとか折り合って生きて行かないといけない。それが腹立たしいのだ。実質上、親睦会もやめているのだが、今年は正式に脱会しようかとも思う。始業式、運動会、卒業式後の昼食会は一人で職員室の電話番をすればいいのだ。


2003.2.14金曜日晴れ
 パソコンルームの入れ替えは終わった。光学式マウスが不具合、アドバンテージという統括ソフトがマニュアルどおりに動かない、DVDが再生できないなどの様々な不具合があるにも関わらず引き渡しが終わる。一つ一つこちらが不具合を発見し、業者に直させるという作業が続く。驚いた事は係の自分にはなんらかの説明があるだろうと思っていたのに何の説明もなかった。パスワードが教えられただけだ。ハードやソフトのマニュアルを一通り読んで操作して、不具合を発見していった。未だに改善されていない箇所もあるのだ。税金の使い方として不条理なものを感じる。

 2月に立ち上がったホームページには過去の物をリンクという形で残してもらった。これには一騒動あったのだが、それは今回は触れない事とする。いずれにしろ、残ったのはよかった。ただ、来年はクラスのホームページは作らないと思う。そういう体制ではないし、いろいろあってやる気も失ってしまった。

 今日は最後の授業参観と懇談会だ。2位数どうしのかけ算の筆算をタイル図に図解して理解するという授業だ。A市が採択している教科書は東京書籍のものだ。これは暗算方式を重視していて、図解はしているのだが、単位量から全体量を見るという視点から図解されているわけではないので、すこぶる理解がしにくい。いわゆる水道方式という若い頃民間研究サークルで勉強した方法で授業を展開したわけだ。保護者もこういう説明を受けた事はなかったようで、好評だった。

 その後の懇談会では、往復算による基礎学力定着の取り組みについて話し合った。保護者からは先生個人の取り組みではなく、学校全体の取り組みに広げて欲しいという要望を受けた。その通りなので、努力する事を約束する。だが、地区研究会の公開授業で指導主事に総合にふさわしくないと断言されたので、一般の先生は実行するのに躊躇せざるを得ないだろう。障害は深い物があるのだ。
 だが保護者から支持されたことは大きい。個人的取り組みに終わらず全体に広げようという元気が出た。往復算は四則演算に習熟するだけでなく、忍耐力、集中力、向上心などを養う上でも効果的だ。慣れればおもしろいのだが、それまでは強制する必要がある。教師に強制力があるかどうかも問われる。
 今の子どもは少子化、社会性の希薄さから家庭内で暴君のように振る舞っている。年長者からがまんすることを強制されたり、半端物扱いを受ける機会が少ない。家事が電化された事もあって、労働の大変さを体験できないでもいる。労働の貴さを知らず消費欲だけが肥大して育っている。そんな子が40人集まってくるのだ。わがままのぶつかり合い、弱肉強食の世界にならざるを得ない。加えて他人の子を叱る事がむつかしい時代だ。社会の規範意識が希薄になっているから、どうしつけるかは個人的範ちゅうの問題になってしまっている。
「うちはこういう方針で育てているんです。余計な口出しはしないでください。」
と言われると手も口も出せない。教師にしても同じだ。
「どうしてそんな事で叱るのか、うちはこういう方針で育てているんです。」
と家庭の教育方針を理解する事を強要してくるのである。
茶髪、金髪にしてもそうだ。大人が自己の責任でどういう格好をしようが自由だ。でも半端物にすぎない子どもが茶髪、金髪で登校する事を保護者としてどう考えているのかという問題である。学校は繁華街ではないのだ。学習をする場だ。そこに来るのにふさわしい礼節さがあると思うのだ。
 教師にあいさつをする。呼ばれたら返事をする。黙って話を聞く。すべて社会的規範の中での礼節の問題だ。それらを無視する服装で登校する自由は無いはずだ。
 ただ自分は服装と頭髪の事で叱ったことはない。そこでもめると教育の中身に入れないからだ。教師の指導に従わない、友だちに暴力をふるうなどの事実について叱ってきた。その立場でないと、今の保護者と立ち向かえないと思っているからだね。
 それでも軋轢はある。今後もあるだろう。一つしかない首をかけて、今後も教育に全力をかたむけるだけだ。いつまでつながっているのか自信はないけどね。
2003.2.21金曜日
 朝読書運動が授業として認められない。文部省の方針に合致しないという理由だ。
指導計画なり年間計画なりに基づいた実践でなければ教科としての授業とは言えないというわけだ。総合の時間にするにしても、ただ好きな本を静かに読みふけるという読書の楽しみでは、児童が自主的、主体的に問題に取り組むという総合の趣旨に合致しないというわけだね。朝読書運動そのものでは無理そうなので、読書の発表の時間を特設したり、一言感想を書かせてフアイルに蓄積するなどの取り組みも加味してきたのだが、それでもだめだそうだ。
 とは言っても一年実践して教員にも児童にも好評だったこの取り組みを、文部省の方針に合致しないというだけの理由でカットするのは、児童にも保護者にも唐突になる。そこで折衷案が提案された。
 折衷案は朝自習として朝読書を継続する事だ。教室に教師もいるのに自習扱いというのは納得いかないが致し方ない。この結果、児童の下校時間はその分遅くなる。そのしわ寄せは、教員には会議の始まりの遅れだし、詰まる所休憩時間のカットになるだろう。でも子どものためだ。飲もうと思う。
 基礎学力の定着のための時間、つまり往復算の時間はどうなるのだろう。算数や総合という授業時間でやる事が可能なのだろうか。だめならだめで昔同様ゲリラ的にやるだけだが、それでは学校全体の取り組みに広がっていかない。なんとしても授業として認めさせないと、全体の取り組みにならないのだ。でも朝読書が授業として認められないのだから、往復算が授業として認められる可能性はないだろう。
 まあ今後の職員会議でがんばれるだけがんばってはみようと思ってはいるけどね。
またドンキホーテになりそうだよ。
2003.4.13
 管理職の反対で朝読書運動は教育課程外となった。校長が替わった事も原因の一つだろう。でも運動自体は存続できたから、子どもにとっては変化はない。6時間目が増えたり、授業時間に余裕がなくなったりしたしわ寄せはあるかもしれないが。
 自分は5年生の担任となる。反対したのだが、教科交換する事になる。多勢に無勢だね。二人の交換だけでなく、3人の交換なので三つどもえとなり、週案の作成、変更が面倒になる。自分が反対した理由は、週案の変更が面倒になり、クラス独自で校外学習に出かけるなどの取り組みが担任の自由でできなくなるからだ。隣のクラスとの交換だけなら二人の話し合いでできるが、教科担任の授業までからんでいるので、事は全員の授業の駒を動かす事となる。おいそれと変更はできないのだ。不自由である。
 まあ教科交換したいという理由は、学年の教師が他のクラスの面倒を部分的にせよ見るという事で連帯感が持てるからだろう。
 ともあれ新しい学年が出発する。靴箱、ロッカーに名札貼りをする。最近はもっぱらパソコンのラベル印刷ですませている。なんども判子を押すより楽だからね。机、椅子は子どもの身長を考えて決める。さっそく返事のしかた、あいさつ、掃除の方法などを指導する。教科書配布や副教材の選定(これがやっかい。多勢に無勢で自分の意見が通るとは限らないし、親から集金するわけだから理不尽な物を毎年感じる)、尿検査の袋詰めなどのこまごました学級事務の合間に授業をしているようなものだ。それでも短時間に一桁の往復算から二桁の往復算に進めた。3年生の時に一度指導した子たちなので理解が早いのだ。ミニ先生役の子もすぐに出てきたし、いい感触を得た。
 この所更年期によるうつ状態というのだろうか。無気力というか、無力感に支配されがちだ。自分ごときががんばったって、発言したってどうにもならないという無力感にすぐとらわれるのだ。でも社会の片隅ではあるが、小学校教師として子供たちと接するチャンスを与えられているのだから、自己の良心、誠実さを捧げていかなくてはいけない。生の子供たちの美しい顔を見たり、いたずらを叱ったりする中で少し気力が出てきた。教室でギターの弾き語りもしたし、桜の舞う校庭でスケッチも共にした。子どもと一緒にいると何か力が出てくるなあ。
 新聞で米軍の攻撃により両手を切断されたイラクの男の子の写真を見た。むごたらしい事だ。同じ地球に住んでいる子供たちがこのような目に遭わされているのだ。自分のできる方法で子供たちの幸せに努力していかなくてはと痛感させられる。

4月16日水曜日晴れ
 授業が始まる。国語の音読、漢字練習、体育、社会と何をやっても楽しい。特に社会は「牛乳と米の経済学」的な話をしてもある程度ついてこれるので、低学年にはないおもしろさがある。子どもとつき合っている分には教師としての幸せを感じられるのだが、校内研究だとか職員会議とかでは理不尽な事を感じるし、自分の意見も通らないし、もうこの仕事をやめたいと思うのだ。ストレスを感じるのはこういう面だね。
 「生きるという事は苦しみに耐える事だ」という台詞を二流映画で記憶したが、そういう事なのだろうか。でもくだらん事を納得させられるのは実にバカバカしい。バカバカしい事を列記するとおもしろい文面になるとは思うのだが、まあ世間にはばかられる話も出てくるし、今回はやめておこう。

5月29日木曜日晴れ
 田んぼに子どもを連れて行く。化成肥料を一袋(20s)一輪車に乗せて運ぶ。結構疲れたね。肥料をまくのは子供たちがやってくれた。給食の牛乳パックですくってまいたのだ。苗の方は、塩水選、育苗箱に種植えと準備がすすんでいる。うまく田植えまで行けるといいのだが、どうだろう。
 クラスのホームページは作らないつもりだったのだが、子どもの作品や活動写真のネットギャラリーの形で公開する事にした。ホームページビルダーで作る。MOに入れて担当者に渡す。いつネット上に乗るかは委員会次第なのでその点は理不尽な物を感じる。
 でも多彩な技法が入れられるし、自宅で作業もできるのでこのソフトで作る方が楽だ。

 校内研究は、総合から離れ全領域なので個人実践の発表でいいのではないかと提案する。がやはりみんなで一緒にやりたいと言うので従う。算数の研究になったので、いわゆる水道方式で学年研究をやろうと提案する。提案が通ったので、また今年度も自分が公開授業者になる。
 まあ腹の立つ事も多いが、自分が必要とされる場面もあるし、役に立てる場面もある。体力、気力の続く限り今しばらくこの仕事を続けようと思う。
 子供たちは体育館での三色鬼に夢中のようだ。自分の仕事は厳しくルールを守らせる事だ。ルールを守る事でゲームは楽しくなるのだ。

6月17日火曜日曇り
 掃除時間に水ぶき雑巾を天井に投げ上げ激しくぶつけている子を見かける。6年生の男の子だ。確信犯かどうか様子を見る。またもや激しく放り上げ、天井にぶつける。呼び止め、自分の教室に連れて指導する。
「なんだよー。」
という態度。しらばっくれている。
つきつめられると
「ごめんなさい。」で済ませようとしている。
何がいけないのか、だれに対し何を謝っているのか、これからどうすればいいのか、しっかり考えさせる。一通りの事が言えるようになったら、それを文章化させる。
 まあおもしろくない事だ。自分の受け持ちの子でもないし、へたしたら親からねじ込められる恐れもある。でも教師としてこの学校にいる以上、見過ごす事はできない。見過ごすぐらいならさっさとこの仕事をやめた方がいい。
 以前の事だが、給食の片づけで食カンを投げつけ、蹴飛ばす子がいた。見逃す事ができず、叱るがこれまた
「なんだよー。」
という態度だ。これも自分のクラスの子ではない。叱られ方がなってないというか、大人に対し恐いとか一目置くとかそういう所が何も無いのである。
 自分は「ダーテイハリー」だ。かっこつけて言っているわけではない。おっかない先生役を自ら背負い込み、へたしたら首である。 現場の教師には何の懲戒権も与えられていないのだ。懲戒権さえあれば、指導に従わない子は出席停止など親子共々反省させる機会を与える事ができるのである。懲戒権もない自分が叱りとばすのは、首をかけた行為である。
 カウンセラーによるとADHDなど配慮の要する児童が普通級にも多数存在すると言われている。でも自分に言わせると、だから何がどうなのかという事だ。悪い事をすれば叱るしかないじゃないか。それを担任じゃないから、その子の実態を知らないから叱れないでは、もやは学校ではなくなってしまう。仮にADHDだとしても、叱る事でその子を育てる事につながるのではないか。人の子は叱れないでは、無責任な社会だと思うよ。

 2003.8.15金曜日
 終戦記念日だ。でも祝日じゃないんだなあ。どうしてだろう。敗戦だろうがなんだろうが、戦争が終わって、天皇が神様の時代が終わって平和になったんだから祝っていいんじゃないだろうか。もう天皇陛下万歳て言って死ななくていいんだろう。めでたい事じゃないか。でもそれがやっぱりまずいのかね。祝日にならないのはね。

 昨日も今日も冷たい雨だ。夏のど真ん中で焼酎のお湯わりがうまいなんて初めてだね。本当に寒いんだから。異常気象だね。
 今年から自宅研修が実質認められなくなったので、ぼくは毎日出勤だ。この間、遠足の下見で3回も自腹を切って大山の下見に行ったのに、それは研修と認められないのだ。大山の直登から直下山で一回。直登から見晴らし台への下山で2回目。この時はすっころんで出血大サービスまでしたんだ。3回目は直登からヤビツ峠の下山。この時はヤビツ峠からの足がないので、また大山に登り直下山したのだ。もうくたくただったよ。この3回とも土日に行ったんだからね。ひどい話だよ。

 学校に行くとまず職員室のパソコンを立ち上げる。しばらくはネット三昧だ。光フアイバーだから快適だよ。でもどういう規準なのだろう。別に変なサイトにアクセスしたわけじゃないのに、委員会のストップの表示が出るのだ。これはおもしろくないけど、まあただでやらせてもらっているのだから文句言う筋合いではないかもね。マックのサイトにおもしろいホームページが多い。やっぱり文章だね。文章がおもしろいよ。
 それに飽きたら、教室に行く。だれもいないけど、教室の子供たちの顔写真と氏名のついた一覧表がはってあるので、それで氏名の確認をする。もう脳の萎縮が始まっているので、物忘れが激しいのだ。二学期になって、
「あれ、君だれだっけ?」
では子供がかわいそうだからね。我が子の寝顔と同じで、顔だけ見ると子供は実にかわいいね。どの子もだ。でもつき合うとなると大変だ。二学期も苦労するだろうよ。

 机は両サイドに押しやられている。真ん中がぽっかり開いているのだ。運動会の踊りのビデオを見るためだ。 ビデオを何回も見て踊りの確認をするのだ。汗だくになる。もうビデオを見なくても踊れるようになったので、最近は体育館にラジカセを持ち込んで踊っている。昨日今日は寒いので、少し汗ばむ程度で済んでいる。
 ついでにストレッチや腕立て伏せ、スクワット、懸垂、逆上がりと自分が思いついた体力作りのメニューをこなしている。自分で自分を追い込むのは、50代に入ったおじさんにはむごい面があるね。苦痛にゆがんだ悲鳴とも叫びともつかない声を出してがんばっているよ。床には老人の汗がぽたぽたと落ち始める。悲惨な現場だね。だれも見る人がいないからいいが。いたら可哀想と同情されるだろうね。
「同情するより、金をくれ。」
という台詞があったが、その心境だね。

 手洗い場で顔をジャブジャブ洗って教室に戻る。今度はギターの弾き語りだ。やらないと指が忘れるからね。この前は弦の張り替えもした。もうさび付いて指が痛いのなんの。切れそうだったからね。新しい弦は指にやさしいよ。

 後は何だろう。校内研究の作文、学級事務、そうそう先日はミシンの実習もした。下糸の取り出し方なんて忘れていたからね。あれはいい練習になった。でもそうそう毎日やる事があるわけじゃないからね。やっぱ毎日子供もいない学校に出勤させるなんて教員いじめじゃないだろうか。ぼくはそう思うよ。8時半から5時までなんだが、昼食は意地でも外に出るようにしている。職員室で店屋物で済ませるのは腹が立つのだ。意地だね。外で昼食を取る事にしている。5時前に退勤する時は、田んぼに寄る事にしている。水の入り口の様子を見て、いつも車に積んである長靴とスコップで掃除をするのだ。あ〜あ、バカンスが欲しいよ〜。夏期休暇は今年二日も減らされたんだぞー。

 8月20日水曜日曇り
 まあおじさんなのに無理して身体を鍛えたものだから、しっかりと反動が出てきてしまった。
首が痛いのである。4年前、整形外科に行ったら加齢による頸椎のくっつきと診断された。湿布やら温熱療法、牽引といずれも効果なく、同僚の紹介で民間療法にすがりつく。整体師のおじさんだ。マッサージというような気持ちのいいものではなく、痛い。首や腰の骨をぼきぼき鳴らされるので、恐い。
 痛い、恐いで15分間、ひたすら耐え、保険も利かず4千円ぽっきりである。でも効果あった。半年で日常生活には支障のない所まで治った。そこの所がまた痛いのですね。自己流の運動は控え、踊りも控え、先生の確信に満ちた痛いと恐いの15分間におつきあいする。
 うーん、軽くなった感じ。名医である。この場を借りて紹介したいぐらいだが、趣旨が違うのでやめておこう。

 従ってしばらくはお大事にしておこうと思う。研修の方向を読書、パソコンの方に持っていくわけですね。ところで困ったのが田んぼである。
 
水の管理ができないのだ。
 水をひこうと思って入り口を閉ざし、出口を開けても水がひかない。台風も来たものだからあきらめて、出口を閉ざし、入り口を開けて水が流れるようにしておいたのだ。ところが今日見たら、田んぼに泥が大量に入り込んでいて、陸地が高くなっている。水は高い所から低い所に流れるわけですね。ですから入り込んでこないわけです。出口から水は出ていないのだが、雨が上がってきたものだから水気が無くなって来ている。このまま晴天が続くと乾いてしまうのではないだろうか。一人でスコップでぐりぐりこねまわしても大勢に影響なしなのだ。当然だね。どうしたもんだろう。
 10年も休耕していた田んぼを借りただけなので、農家の方の管理がないのだ。普段の手入れがないのだから、水回りのシステムが壊れているわけですね。それを素人の教員が片手間でやろうという所にまあ無理があるわけです。でもいいわけはともかくなんとかしなくては。

8月21日木曜日曇り
 今日は教職員集団検診だ。40代に入って検便、検尿、採血に加えて胃バリウム検査が加わった。あれを飲むと実に気分が悪い。もっとも好きだと言う人もいないだろうが。それでやめてしまった。
結核検査だけは子供に迷惑をかけるといけないので、胸部エックス線撮影だけは受けているよ。今朝も車を大手の民間病院に走らせてエックス線撮影だけは受けた。最近は指定された病院に行かないと撮影してもらえないのだ。以前は学校にレントゲン撮影車が来ていたのでそういう面倒がなかったのにね。ぼくのような人間には余計な半日だ。集団検診なんて効果あるのかね。希望者だけが受ければいい事だと思うよ。税金と時間の無駄だ。

 午後は年休を取る。山歩きだ。近くに森林公園があるので幸運だ。
ひぐらしのカナカナという声を聞く。蒸し暑いが、汗をかき風に吹かれるのは生きているという実感を得られる。
 元同僚から退職の挨拶のはがきが届く。さっそく返事を出す。
羨ましい限りですと書いておいた。

8月26日火曜日曇り
 学年の先生方7人と大山の下見に行く。自分には4回目の下見だがね。みなさんは初めてだ。中には数年ぶりという同僚もいた。自分と同年齢の女性にとって、確かに大山登山は酷だろうと思う。苦しそうだった。おまけに頂上に近づくにつれ、冷たい小雨が降り始めた。
夏かね、本当に。まったく異常気象である。頂上の昼食と休憩もそこそこに下山する。自分は二本杖のおかげで筋肉痛にもならなかった。登りも下りもこの杖があるおかげで随分楽だ。今まで膝が受け持っていた衝撃を全身に分散してくれるわけだから、道具とはありがたいものである。二本足ていうのはもともと無理があるんだね。杖のおかげで4本足の動物に変身できているわけだ。


 子供は毎年新しいわけだ。当たり前だね。それに比べ、教員は高齢化している。少子化で学級定数もいじらない今の日本の学校では、おじいさん、おばあさん先生が増加しているのである。来年大山登山は継続できるのだろうか。自分はまだ大丈夫だが、同僚を見るとむつかしいかなと感じた日だった。いや自分も杖のおかげでなんとかなっているわけで若い頃とは全然違う。老いとは避けられないものだ。今の内行きたい所に行っておくべきだろう。でも自分の行きたい所とはどこなのだろう。


 20年前彼女と行った沖縄、小浜島に行きたいと思った。二人でさび付いたバイクに乗って島を一周した。小高い丘というか、小さな山というかそこに登った。暖かい風にあおられるように南国のあざやかな蝶がたくさん舞い上がってきた。二人きりでその蝶を見た。
 ヤマハのリゾート「はいむるぶし」のコテージに泊まった。夜空は星が二重、三重に重なりまばゆいばかりだった。あの星空をもう一度見たい。
20年たった今でもぼくは彼女を
「愛してる」
と言えると思う。もうぼくはおじいさんだ。彼女もかつての美しさはない。でも見つめ合っているものは昔も今も同じだ。きっと永遠にだ。

8月30日土曜日曇り
 PTAの除草作業だが、我が学年団はぼくより5つも年上のK氏の指導の下田んぼと畑の草刈りをする事になった。まず稲と雑草の見分け方を教わる。雑草は節がある事が大きな違いだ。後は同じイネ科の植物なので見分けづらい。腰をかがめ、根っこをいちいち確認しながら、ノコギリ鎌で刈って行く。腰が痛い。顔にイネの葉がくすぐったい。なんとか要領が飲み込め、作業が進んでいった。穂が出てきたイネを見て嬉しかった。ところが、気がついた時はすでに遅し。両腕がかゆいのだ。イネと雑草の葉で切れてかぶれている。長袖で作業すべきだった。無知!
 がまんできなくなって、一人田んぼから上がり、あぜ道の草刈り作業に移った。この草刈り機がまたくせ者なのだ。ビニールのひもが円盤の両サイドに2本ついていて、それが高回転で草を絡め取って行くのだが、刈られた草やらはじき飛ばされた土やらが周囲に飛び散るのだ。おまけに田んぼなので、水しぶきまで飛んで来る。サングラスをしたが、顔面も体中も青のりをまぶしたみたいになる。人間たこ焼き機だ。
 おまけに重くて振動も激しい。身体がどうにかなっちゃうよ。

 女性の同僚を学校に帰した後、K氏と畑に車で移動。今度は二人で畑の草刈りだ。
K氏のは鋼が回転するもので、飛び散ってくるというほどでもないし、軽いし、振動も許せる範囲内だ。K氏が三分の二、ぼくが三分の一という仕事量だった。年季もあるが、機械の性能も大きいよ。
 昼食後、また田んぼに戻ってやったから、今日は終日肉体労働者でありました。

 ああ水回りは雨の関係だろうか、水がよく流れるようになっていた。あの時は用水の流れが悪かったのかもしれない。一安心だ。

2003/09/02 (火)曇り
 七月エイサーを全体指導する。2時間目だ。体育館でだ。去年キッズソーランを指導したので、沖縄の盆踊りであるこの踊りは楽勝だろうとたかをくくっていたのだが、
大まちがい!踊るのと教えるのとでは、大まちがいだ。いちいち踊りのポイントを教え、時にはスロモーションで何度も踊らなくてはならない。汗だくになるのは当然だとしても、足がふらついてきたのには愕然とした。明らかに昨年より体力が落ちている。老人化が進んでいるのだ。
 それでも今は仕事だ。気力を振り絞って踊る。指導する。右膝が痛い。水が膝にたまるのだろうか。不安にかられる。やっとの事で一時間が終了した。子供たちは自分の話によく耳を傾け、真剣に踊りをまねてくれた。子供たちの純粋さに救われた気がした。よい一瞬だったと思う。幸せな一瞬だ。
 後何年この仕事を続けられるのだろうか、本当に疑問に思った。でも今日は幸せだった。全力を尽くせた事。子供がこちらの気持ちに答えてくれた事。幸せであった。

2003/09/03 (水)晴れ
 夏日だ。夏休みが終わってから暑くなるという皮肉な結果である。往復算のテストをする。夏休み中も一日一題やっていた子は、少数だった。ほとんどの子がやっておらず、結果は惨憺たるものだった。また強制していくようだ。教師とは強制力を持つ存在でないと、教育は行えないという事だろう。
 エイサーの回転部分が一番理解がむつかしい所だ。全体練習は今日はなかったので、クラスの子に指導する。指導方法はだいぶわかってきたのだが、右膝が筋肉痛である。痛いのはがまんすればいいのだが、心配なのは膝に水がたまる事だ。しばらく関節炎とはおさらばしていたので、この復活は恐い。
 国語は詩の指導だ。一通り内容の話し合い、技法の説明をした後、朗読の個人練習、班練習に取り組ませ、それぞれ発表させる。個人発表は時間的に無理なので全員というわけにはいかないが、班発表はすべて行わせた。一人読み、全員読みと工夫の感じられる実践も見られ、休み明けの実践にしては満足できるものだった。

 集団下校指導に参加する。久しぶりに1年生や2年生の子の指導に当たる。こんなに小さかったかな〜と感じ入る。まあ、かわいいけどね。
 この年になると、本当に子供とは美しいなあと思う。こんな美しい子供らと接する事ができるのは、いわゆる役得だね。

2003/9/11(木)晴れ
 応援団の指導だ。結団式の時は、団長の押し付け合いで、だれもなろうとせず、困ったもんだと思う。話し合いの結果、男の子がなったのだが、応援団は初めてとの事でやり方がわからないと言う。一通りマニュアルを教えて帰す。
 でも練習が始まると6年生はあの消極的な言葉とは裏腹に一生懸命やるし、5年生、4年生は素直に6年のまねをし、一致団結だ。瞬く間に昨年のコピーができ、形ができあがった。独創的な物はないが、懸命さを感じる。教師として指導がこのように染み入っていくのは幸せな瞬間である。一生懸命さが前面に立った応援団に少し物足りなさを感じ、今日は「ゲッツー拍子」を追加させた。いわゆるおち、笑いを取る場面である。
恥ずかしがっていたが、それでも素直についてきた。
 応援団の指導も楽しいもんだと感じ入る。

2003/9/24(水)曇りのち小雨
 社会科での授業。
 50まで生きて来て、一番感じる事。それは人間とは人間の中で生きているという事だ。人間とのつき合い方を知る事が一番大事。仲良くするとは他人と調和をはかる事であるが、調和しようとするだけでは、自分を押しつぶしてしまう。だから、時には自己主張をし、自分を押し出さなくてはいけない。具体的には、ケンカをする勇気を持つ事だ。ノーと言える勇気を持つ事だ。そして、
個々の利益だけから全体を見るのではなく、全体の利益から物事を判断する賢さを持たなくてはならない。川の上流に産業廃棄物処理場を作っている今の日本の姿とは、個々の利益しか考えてない証拠である。
 地主は自己の利益のために、土地を売る。処理業者は自己の利益のために、山の中に処理場を作る。自分は儲かるだろう。でもその結果はどうだ。全体の利益はどうなるのだ。飲み水の元となる山だ。その水源地に産業廃棄物処理場を建設する自由はだれにも認めてはいけない事なのだ。なのに今の日本は金儲けの自由の国なのだ。何をやっても許される。なんでもありの国なのだ。情けない!
 
 馬鹿の集団だからこういう結果になるのだ。賢くならなくてはいけない。馬鹿は罪である。では賢くなるためにはどうしたらいいのか。
 賢くなる最短コースは、本を読むことである。本を書いている人はエリートである。悪人もいるが、賢い人が本を書いている。だから、たくさんの本を読んで、たくさんの賢い人と対話する事が賢くなる最短コースなのだ。もちろん悪人の書いた本もあるので、批判的に読む姿勢も必要だ。

 次に思春期を迎える君たちに必要な事は、何だろう。
思春期とは何か。植物は花が咲き、動物は子作りをするのが、春である。だから人生を四季に例えると思春期とは、男の子は精子を作り、女の子は卵子を作る能力が備わった時期である。
「ちなみに先生はどの季節にいると思う?」
と聞いてみた。秋という答を想定していたら、冬だった。がっくり。

 それはともかく、個人差はあるが、12才から14才の間にどの子も思春期を迎えるのだ。身体は大人に近づいてくる。腕力では大人に負けない気持ちになる。この時期につけないといけない力は自制心である。がまんする力である。自己の欲望のまま生きては、そのエネルギーは大人を攻撃する結果となる。幼い子がだだをこねる事をしてはいけないのだ。同じ事をすると、それは家庭内暴力や、校内暴力になる。自己の力をコントロールする自制心、がまんする力を身につけないといけないのだ。
 「ふざけんじゃねえ、むかつくんだよー。やってられねえよー。うざいんだよー。」
こういう生き方では、周囲の大人に嫌われ、受け入れられなくなる。その結果はどうなると思う?いくらつっぱっても、働く能力もない子供はまともに生きていく事はできないのだ。周囲に悪態をつき、暴力をふるっても、働く能力のない者は、金を得る事はできない。結局親に養ってもらうしかないのだ。親をばかにし、教師をばかにし、でもそういう大人に養ってもらう事しかない事にイライラするしかないのだ。

 そういうすさんだ君をまともな大人は相手にしてくれない。その結果、暴走族ややくざなど夜の世界に生きていくしかなくなるのだ。夜の町ではこういうすさんだ目をした、十代の少年少女がたくさんたむろしているのだよ。

 君たちは昼間の世界で生きていくのがいいのか、夜の世界に生きていくのがいいのか、どっちなんだい!

 だから小学校の5年、6年生の間に大人とのつき合い方を身につけて置かなくてはいけないんだよ。中学校では、教科担任制と言って教科毎に先生は入れ替わる。小学校のように同じ先生が授業も掃除も給食も一日中つき合ってくれるわけじゃないんだ。だから、叱る場面があっても君たちのかわいい所、いい所をわかってくれるというわけには行かないんだ。
「中学校の先生は、俺の事をわかってくれない!」
「わたしの事を理解してくれない!」
て言う事の方がまちがっているのだ。
お父さんでも、お母さんでもないのだ。他人が自分の事をわかってくれないなんて当たり前じゃないか、他人にそんな事を要求する事の方がまちがっているのだよ。
 そうではなくて、君たちがまわりの大人に自分を理解してくれるよう働きかけるすべを身につける事の方が大切な事なのだ。その術をこの1,2年の間に君たちは身につけなくてはいけないんだよ。

 具体的に言うとそれは、大人に敬語を使う事、挨拶をする事だ。その事によって、まわりの大人に自分を良く理解してもらう事なのだ。
 その結果、まわりの大人にかわいがられ、教えてもらう事になるのだ。その事によって、君たちは大人の社会にスムーズに入れる事になる。
 それが社会性を養うという事なのだ。君たちは社会の中で生きていく。ロビンソンクルーソーのように無人島で生きていくのではないのだ。だから社会性を養って行かなくてはいけないのだ。
 敬語を使う、挨拶をするというのは、大人のためにやる事ではなくて君たち自身を大人からの無用な敵意から守り、スムーズに大人の社会に入っていく手段につながるのだ。そこのところを理解して欲しい。そして毎日実践する事だ。ぼくに対してだけでなく、自分の周囲の大人、例えば近所のおばさん、野球の監督、サッカーのコーチ、ピアノの先生それらの人に対して実践していくのだ。練習していくのだよ。


 まあ、そんな事を今日は話してみました。授業の最後は挨拶の練習です。子供たちは真剣にやっていましたよ。

2003.9.27(土)晴れ
 昨日の最終リハーサルでは、小雨がぱらついてくる天気だったのに、今日はからりと晴れた秋空だった。日差しは強いが、吹く風は秋のものだ。
 今年は応援団担当という事で終日応援団員の面倒を見る。出番の指示をしたり、ほどけかけたたすきを結びなおしてあげたり、太鼓を運んであげたりと、まあ細々と面倒を見たよ。団員は晴れの舞台でせいいっぱい踊り、大声を張り上げる事に徐々に喜びを見いだして来た。代わりばんこに団長役や太鼓役をつとめていて、なかよくかつ楽しそうであった。
 かわいらしい子供たちの面倒を見て、お金をもらえるのだから、幸せな仕事である。

2003.11.6(木)
 校内研究会の全体公開で授業を行う。
分数の導入で、互除法を紙テープを操作する作業で体験しようという授業をやった。
指導の善し悪しは別として、この互除法自体が先生方に知られてなくて、不評であった。教科書に基づかない授業というのは、なかなか認められないのですね。

2003.11.8(土)
 土曜授業参観だ。道徳で、障害を持つ人々に声かけをしようという授業だ。子供たちは緊張していて、なかなか発言が引き出せなかった。その内、こちらまで緊張してきた。前任校で、授業参観に参加するのに、車いすのため、階段が障害になってしまったという母親の話をした。
「どうしたらいいと思う?」
という呼びかけをした。
出てきた意見は、
「手伝ってもらえばいい。」
「そうだね。手伝ってもらえばいいんだ。」
「でも、だれに手伝ってもらえばいいんだろう。」
「先生」
「先生。なるほどね。ほかには無いだろうか。」
「近くにいる人がいい。待たなくて済むから。」
実際の様子を話した。
最初は担任の自分と教頭が車いすを運んだが、その内回りのお父さん、お母さんが手伝ってくれた事を伝えた。
その後、障害を持っている人と、それに声かけする人に二人一組でロールプレイする作業に移る。恥ずかしがってすんなりとは行かなかったが、まあ一応全員にやってもらう事ができた。

2003.11.9(日)
 教師として行き詰まりを感じている。若い頃は教科書を使わない教師として、評判になった事があったのだが、今は使わないのでなく、使えない教師になってしまっている。国語も社会科も読んでも勉強にならないのだ。プレゼンテーションのやり方や、見本ばかり載っていて、それ自体が読み物や資料にはなっていない。昔は教科書を読むだけでためになっていたのだが、今はそうではない。
 ためにならない教科書だ。そうは言っても自分が教科書を作っているわけでも採択しているわけでもないので、文句を言ってもしょうがない事だ。
 大体ディベートにしても話し合い活動にしても、働きもしていない子どもがしたり顔でえらそうな事を言うのは、ぼくは好きになれない。
それより、子どもは生産活動に参加して、苦労してその体験の上で発言すべきだと思うのだ。小学生がプレゼンをやる必要は無いというのが、自分の本音だ。
 でもまあ、ただでさえ問題教師なのだから、まったくプレゼンをやらないわけにはいかないだろうと思い、もっとも時間をかけないでプレゼンをやれないだろうかと考えた。
 それで信念には反するのだが、パソコンを活用してみた。
総合のレポートは活動のたびに書かせているので、資料はあるのだ。それをそのまま使えば新たなことはしないで済む。
1 マビカでレポートの絵だけを撮影する。
 マビカはそのままフロッピーに取り込めるので便利だ。
2 
パワーポイントに取り込んで、タイトルを加える。
3 写真やタイトルに効果を加える。
4 プロジェクターで映しだして、スピーチする。
5 新たにスピーチ原稿を作れない子はレポートを読み上げるだけでよい事とする。
 これでできるだろう。班毎に作業させると疎外される子が出てくるので、基本は一人ずつ、どうしても不安な場合は二人組でさせる事とし、三人以上のグループ作業は認めなかった。2時間で、デジカメ撮影、パワーポイントに取り込み、タイトル付けまで進めた。後は効果付けである。予想以上に簡単な作業であった。

2003年11月29日土曜日雨
 職員会議で家庭訪問が夏休みに行われる事となった。反対意見は自分一人が述べただけだ。多数決を取ったわけでもない。校長ががんとして主張するものだから、だれも何も言わないのだろう。一学期の冒頭に子どもの家を知り、保護者と顔合わせをする方が、夏休みまで待つよりずっといい事は当たり前ではないか。
 第一これまで何十年と行ってきた事を、こんな通り一遍の提案で押し通される事に納得できないのだ。とは言え、多勢に無勢、提案通りに来年から夏休みに家庭訪問だ。
 まったく、管理職は横暴だし、同僚は当てにならない。職場での閉塞感は強まるばかりだ。
 6時間授業は増えるし、大体日本の学校は子どもを拘束しすぎると自分は思う。教育機関と言うより、これでは子守だね。だから、総合なんて遊びだか、勉強だか、わけのわからない物が出てくるのだ。もっと基礎基本に絞って、思い切って午前中に学業を終えるていうのはどうだろうか。放課後はたっぷりだ。サッカー少年は、地域のクラブチームに行く。ピアノ少女は音楽教室に行く。野山をかけめぐりたい子はそれでいいのだ。こういう風になってこそ、地域の教育力とか社会教育などの出番があるのではないのか。
 何でもかんでも、学校が抱き込んでいる現状では、地域の教育力も社会教育も育たないのは当たり前ではないか。

2003年12月1日
 イラクで日本の外交官二人が射殺される。
このまま自衛隊をイラクに派遣してよいのか、国論が二分される。
我が教室でも子供たちを前に、話してみた。時間は道徳である。

 1945年の敗戦を受けて、日本は平和の誓いを立てた。それは二度と戦争をしない決意である。憲法9条は、国家間の紛争は話し合いで行い、武力の行使はしない、そのための戦力は持たないと宣言しているのだ。
 だから日本に軍隊はない。自衛隊は軍隊ではないのである。いくら、機関銃、ミサイル、戦車、空母を備えてもね。理解しがたい話だし、外国人にはわかってもらえない事だと思うが。
 その自衛隊をイラクに派遣する事になったのだ。いくら人道支援と言っても、それはこちらの言い分に過ぎない。イラクのゲリラには攻撃対象だろうよ。
 相手は機関銃もミサイルも自爆攻撃もできる戦意と戦力を持っているのだ。
実際に派遣されれば、たぶん殺される隊員が出るだろう。
そうなれば、現在職業選択の一つとしての自衛隊はどうなるだろう。
だれだって、自衛隊に入らないよね。仮に本人が入ると言ったって、親が親族が許さないだろうよ。そうなると、どうなるだろう。入隊する者がいないからって、自衛隊が自然消滅するだろうか。それで「国際貢献」が果たされるだろうか。
 
 行き着くところは、徴兵制の復活だ。男子は20才になると、強制的に自衛隊に入隊する事が強制されるのだ。拒否すれば、法律違反だから刑務所行きだ。

 君たちはこの未来の道筋に対して、どう思うと問いかけてみた。
子供たちにレポートを書いてもらった。
 アメリカのいいなりになる必要はない、自衛隊が行くと、ぼくらの未来が恐い事になるとかの意見が多かった。まあ、ぼくの話がそういう方向に引っ張ったからかもしれないが、でもぼくは自分の意見を強制はしていない。子どもなりに考えた意見を否定する事はしていない。ただ、事実に反したレポートに対しては訂正を求めたがね。

 もしぼくの予想が当たったとして、その時はどうなるのだろう。ぼくはもうおじいさんだ。徴兵制の対象ではないだろう。でもぼくの教え子は、ちょうど対象年齢なのだ。許せない事だ。今の自民党、公明党の政権は打倒しなければいけないと思う。
 少なくても戦争につながる政策を掲げる政権は打倒しなければいけない。一市民に過ぎない自分にできる事は、一票を投じる事だけだが、このホームページを読んだ人にもその事を真剣に考えてもらいたいと切に念じる。

2003年12月19日 (金)晴れ
 授業があらかた終わったので、往復算や、音読、全文書写などの基礎学習を行っている。5時間目、「わらぐつの神様」の朗読練習をしていた時に、ふいに小学校時代の記憶がまざまざと蘇ってきた。
 「わらぐつの神様」は若い女と男が好き合い、結婚する話だ。男と女はすなおに好き合えばいいのだけど、思春期を迎えるとそういう自分の内面の変化に反発し、男女がぎくしゃくしたものになる。わざと好きな女の子をいじめたり、反発したり、とかく男女の仲が悪くなるものだ。

 自分の教室に背の高い女の子がいた。どういうわけか、男子からばい菌扱いされ、机をさわられるとそこがくさるだとか、その子がさわった物をさわらないとか忌み嫌われていたのだ。自分は特にその子が嫌いだったわけではないが、まわりの連中がそうだったので、やはりばい菌扱いしていた。
 でもその子はかわいそうな子だった。修学旅行の時、その子が行かないと言う。教室で担任のM先生(とてもまじめで、恐い先生だった)がどうしても行かないのかと聞く。そうするとその子は、
「お母さんが新しい服を買ってくれるからいいの。」
と少しうれしそうに答えたのだ。
 その時のその教室の一場面が鮮やかに蘇った。
今思うと、親として娘を修学旅行に行かせられないというのは、実に不憫な事である。その代わりに新しい服を買ってやるという約束をしたのだろう。
 その親心と、それを少しうれしそうに言っていたその子の情景を思い浮かべると、
実に自分は罪深い事をしていたという懺悔の思いにかられたのだ。
 謝りたいと思っても、もうそれは叶わない事だ。40年も過ぎている。ぼくはもうひげ面のおじいさんだし、彼女もおばさんだろう。道ですれ違ってもわかるはずない。名前も忘れてしまっている。でも、あの時の場面は実に鮮やかに蘇ったのだ。

 君たちも思春期に入り、男女を意識しすぎて、そういうばい菌扱いなどのいじめをこれからするかもしれない。いや、先生が気づいてないだけで、今しているのかもしれない。でもそれはまちがった事だ。まちがった事をすると、いじめた方も傷つくのだ。いじめられた方はもっとだろう。そしてそれは、謝りたいと思っても、先生みたいにこんなに時間が経ってしまうと、もう取り返しのつかない事なのだ。
 だから、どうか、そういう行いはしないでほしい。
そう説教だか、お願いだかわけのわからない話をしていたら、声がつまり、震えて来た。子どもの前で、こうも感情的になってしまった事は初めてだ。年のせいかも知れない。情けは人のためならずと言うが、いじめも同じだ。自分に返ってくるのだ。40年立った今、自分を苦しめている。その事をクラスの子にわかって欲しかった。

 自分の思いが十分の一、いや百分の一伝わっているだろうか。いやそうではなく、
十分の一、いや百分の一伝わっていれば、教師として幸せなのではないだろうか。
 この仕事をしていると、本当に自分の子どもの頃をよく思い出すのだ。目の前の子どもと重なるのですね。中学校の教師は中学時代を、高校の教師は高校時代を思い出すのだろうよ。

2004年2月12日 20:15:54
 体育の授業でサッカーゲームをしていたら、女の子が男の子になぐられたと泣いてきた。事実を確認すると、そうだと言う。わざとけられたから、なぐり返したというのだ。まあ男の子にも言い分はあるだろうが、サッカーゲームでけられるという事はよくある事だし、故意かどうかは審判でもむつかしい所だ。だが、なぐるとなるとこれは全く故意である。取りあえず謝れ!と謝らせる。
 この子はそんなに悪い子ではないが、我を張り続けて謝らなかったら、張り倒す覚悟ではいた。
 自分は子供の頃どんなに女の子とけんかをしても手を出す事はしなかった。いや、できなかったと言った方が正しいだろう。成長していろんな女とトラブルを起こす事はあったが、手を出した事はない。結婚して20年になるが、女房とどんなにけんかしても手を出した事はない。それは理性というより、本能的な物ではないかと思う。相手が女性だと手が上げられないのだ。相手が男なら子供の頃からずいぶん殴り合って来た。この年になっても、今だに殴ってやろうかと思う事がある。
 そんな凶暴な自分だが、相手が女性だと手が出せないのだ。これは種の保存という本能ではないだろうか。子を産む存在であり、男性より体力的に弱い女性を守ろうという種としての本能がそうさせるのではないだろうか。

 そう考えると、この男の子は本能が正常ではないと言う事だろう。この子の場合は一応殴る理由はあったのだが、近頃では自分がむかついたというだけで何の関係もない弱い相手を殴ったり、蹴ったりする子が多数現れてきた。自分は最初そういう現実が信じられなくて何か理由があるだろうとさんざん問いただしたのだが、自分がむかついたという理由しかないのだ。相手には殴られる何の原因も無い。全くの通り魔的犯行である。種としての本能が壊れているとしか思えないのだ。

 その上今の学校では大人の、教師の権威というものがない。説諭するだけだ。それでは、そんな子は指導できないだけでなく、
「うるさい、くそばばあ!死んじまえ!」
と悪態をつかれるのがとどのつまりである。

 自分が小学生だとしたら、こういう教室は恐怖そのものだろう。常識も理性も理屈も通じない、わけのわからない凶暴で気まぐれな級友に囲まれ、教師は同情してくれても自分を守ってくれる力を持っていない。頼りにならないのだ。こういう教室で生きていくとしたら、自分の事は自分で守る腕力を持つか、それが無いなら、お愛想笑いを浮かべ級友のご機嫌を伺うか、教室に行くのをやめるしかないではないか。今の小学校とは、子供にとって実に不気味で恐ろしい空間になったと言わざるを得ない。

2004年2月16日 21:38:26
 学級活動の時間に性教育を行う。ぼくは子どもたちが性の当事者になる前に一通りの事を教えた方がいいと思っている。当事者になると、かなりつらい物があるのだ。今なら、人ごととして客観的に教師の話を受け止める事ができるのだ。
 だから、初潮、精通、性交などの事柄を率直に話す方がいいと思っている。
まだ当事者じゃないからね。そんなに恥ずかしくないのだよ。

 本来性欲とは本能に属するものだから、教える必要は無いのだと思うのだけど、社会的、文化的抑圧、環境ホルモンなどなど、人間本来の本能が弱められたり、屈折されている現実がある。成熟した男性が小学生の女の子に性的感心を持って誘拐したり、乱暴する事自体が本能の歪みだと思う。異性ではなく、同姓に性的魅力を感じる事も本能の歪みだと思う。あるいは、セックスができない事も本能の衰退だ。
 目の前の子どもたちがすくすくと育って欲しいと思う。それはまず動物としての本能が正常に育つ事だ。食欲、排泄欲、性欲はすべて健全に育たなくてはいけない。それらが弱まる事は老化の証拠である。未来を背負う子どもたちがそれではいけない。自分の中で生まれてくる性欲を汚らわしいこと、抑圧しなくてはいけない事と受け止める事はまちがっている。もちろん社会的動物として、本能はコントロールしなくてはいけない。食べてはいけない時間、排泄してはいけない場所、愛情のある性欲、それらは必要なコントロールであり、がまんする力だ。理性だと言ってもいいだろう。それを教える事も教育だ。性欲をコントロールし、結婚という社会的に認知された形で赤ちゃんを作る事が理想だと自分は思う。それはいわゆる純潔教育というものではなく、人間と性欲との折り合いを考えると、そういう結論になると思うのだ。

 北沢杏子のビデオも見る。18分ぐらいだったかな。赤ちゃん誕生という題名だっただろうか。もうぼけているので、今日の事なのに正確には思い出せない。イラストではあったが、ちゃんと性交の場面も紹介されていた。これでいいと思う。子どもたちが一番知りたい事を隠してはいけない。これでいいのだ。

2004年3月21日 日曜晴れ
 パソコンルームにデジタルビデオを買って貰ったので、それを取り込めないかと模索したのだが、できない。もともと、それようのソフトが入れてないのだ。でもデジカメ動画用のおまけのソフトが入れてあったので、それで試してみる。でも管理者権限が無いのでUSBドライバーが入れられない。そこでIEEEケーブルをパソコンの下に潜りこんで繋ぐ。認識はするのだが、録画できない。しょうがなく、委員会に交渉して業者に手伝ってもらう。結果、USBドライバーとデジタルビデオのおまけの動画ソフトをインストールしてもらって、簡単な編集はできるようになった。
 でも、ビデオテープに送り返す機能は無い。結局自宅でやる以外に方法は無いという結論に変わりはない。委員会は動画編集してテープに送り返し、学校放送に使うという事は考えてないようだ。

 学年の合奏の発表会を同僚がビデオで撮り、それを自分が編集した物をMPEGにして、cd−rに焼いて学年の先生に配った。好評だった。まあこういう使い道もあるのだなと思った。
 子供たちにはVHSにダビングして各教室で見て貰った。ピアノ伴奏した子と、指揮の先生には動画から静止画を切り取って印刷した物を、ラッピングしてプレゼントした。これも好評だった。

 話は変わって卒業式だ。5年は奉仕作業という事で会場作りや、掃除などをするしきたりのようだ。お辞儀の仕方などを社会常識を学ぶという観点で指導する。
 問題は、時間も金もかけすぎだと言うことだ。6年生は連日のように卒業式練習だし、それだけだと可哀想という親心なのだろう。合間は校庭で体育(サッカーや野球だ)をやっているようだ。胸につけるリボンは95円、会場に飾る植木鉢は350円、卒業準備金より支出されるとの事だ。まあ、安いと言えば安いだろうし、自分の物になるのだから個人負担が当然と言えばそうなのだろう。
 でももっと簡素でいいと思う。証書のもらい方も一通り学べばそれでいいと思うのだ。練習しすぎだ。自分が子どもだった頃もどうしてこう何度も練習させられるのだろうかと疑問に感じた。今でも思い出すのだから、強烈な疑問だったと思うよ。
 簡素、簡便にやり、本来の学習に時間を注ぐべきだ。義務教育のまとめとして、必要な学力を点検し、補習する時間に当てるべきだと自分は思う。卒業の感激は親子で味わえばいい事だ。学校が感激の主体になる必要はないのだよ。
 もっと簡素、簡便な卒業式でいいと思うのは、変わり者の自分だけなのだろうか。

2004年3月22日月曜日雨
 今にも雪になりそうな冷たい雨だった。卒業式は無事に終わる。放送係だったのだが、MDが本番で音飛びをする。君が代がリフレインだ。まあ意図的なものではないので、処分にはならないだろう。この所、君が代を歌わないとか、起立しないとかが処分の対象になっていて、新聞を賑わせている。非国民という事なのでしょうかねえ。
 
 自分の父親は兵隊で生きるか死ぬかの体験をしたものだから、天皇制には生理的反発を持っている。父の思いがわかるだけに、自分も君が代を歌う気もないし、教える気もない。いずれ処分される事になるのだろうなあ。でも内面の良心の問題で処分するのは、憲法違反だろう。国旗を引き破ったとか、国歌斉唱を妨害したとかの行為で処分するならわかるが、歌わない、起立しないというその人の内心の自由まで処罰の対象にするのは、ファシズムだね。

 同じく新聞をこの時期賑わせるのが、成績物をマイカーに入れておいて盗まれる事件だ。先日はスーパーで買い物をしている間に盗まれた。教育委員会、管理職は成績物を学校外に持ち出す事は禁止しているという立場なのだ。教員が勝手に持ち出したための問題という言い訳なのですね。
 でも聞いて貰いたいよ。だれが好きこのんで、テストや成績物を自宅に持ち帰るかって。学校でやっている時間が無いからでしょう。教員に残業手当はない。でもテストや成績処理はやらざるを得ない。でもって、自宅で夜遅くまでやるわけですね。
 ただいけないと言うだけじゃなくって、学校内でできる時間を保証してもらいたいもんだ。自分も正直言って、テストは自宅で採点している。あゆみも自宅で作っている。要録記入も自宅でやっている。パソコンの処理も自宅でやっている。学校でやっている時間がないのだよ。まあ、寄り道はしないとか、できるだけ学校で済ませるとかの努力や注意は払っているけどね。

2004年4月1日 木曜日 19:54:12晴れ
 新6年生が登校して入学式や教室移動の手伝いをしてくれる。前任校は私の提案で児童の手伝いはやめて職員の作業でこれをやっていた。授業日ではないし、作業員のように子どもを使う事に反対だったのだ。同様の意見はこの学校でも提案したが、受け入れられずにいる。5年前、この学校に赴任したとき、体育館の椅子出しの作業の真っ最中だった。先生が汗だくで椅子出しをしているのに、こどもたちは遊びほうけていた。先生がやるんじゃなくて、子どもにやらせるのじゃないと、教育活動にはならないだろうにと感じた。結局教師の指導が入らなかったのだね。
 5年後、自分が指導する立場になった。今の子たちは、よく働く。素直である。自分の教育実践はまちがってなかったと思う。

 午後は職員会議だ。膨大な文章の前に呆然とする。こどもの顔を見ると元気が出たが、どうも大人どおしの話し合いの中で生気を失う。早く学級活動が始まる事を願う。
 子どもとのふれあいが救いである。

2004年4月22日 木曜日 6:23:25晴れ
 またまた、3年生担当となる。でも、受け持ち3年目になるからと、6年への持ち上がりはやめて欲しいという希望は通ったので幸いである。
 全く新しい子供たちとの出会いである。とは言え、もうこの学校は6年目だから、子供たちには新顔の教師ではない。すぐにうち解ける。ギターを弾いたり、鉄棒やフォークダンスを教えたり、楽しい。さっそく、九九、繰り上がり、繰り下がりの復習から、往復算へと進んでいる。もう、「5」まで進んだ。掃除の指導も厳しくやっている。
 どの子もしっかり、まじめに掃除をし始めた。担任の強制力の影響とは恐いぐらいである。信念を持って、今年も誠実に努力を積み重ねていきたい。
 負担だったのは、Dウエブの担当になった事。HPは作ってきたが、HP部に所属した事はないのだ。おまけにDウエブの導入にあたっては、感情的なしこりが自分にはあって、この間まったくさわった事が無い。それなのに、いきなり担当だ。しかも前年の担当者は移動で引継も無い。マニュアル片手に暗中模索する。
 このDウエブの最大の欠点は、オンライン上の操作だ。従って、職場でしか触れないのだ。しかたなく、時間外勤務を強いられる。でも、なんとかこの2週間で習熟して自信が着いて来た。いくつか、学年、学校のHPも作って立ち上げてみた。この年でも、なんとかなるものですね。まだ、適応力は残っているのですね。

2004年5月27日 7:47:57晴れ
 授業参観で往復算をやる。四分の一の子が自力でできた。後は、この子らがミニ先生となって教え合い学習である。懇談会はマビカでプレゼンテーションをする。

 体育館での三色鬼が楽しくなってきた。教師に指定された椅子ではなく、白線の後ろ側を安全地帯にするなど、自ら遊びを工夫してきた。良いことだ。歓声を上げて走り回る子を見るのは、教師冥利に尽きる。

 ホームページは、他学年の物も自分が作るなどして、全学年そろい踏みとなり、何とか学校としての体裁が整った。校舎図などは、画像として保存し、一太郎スマイルのペイントで文字の書き換えをした。花子で作ったと思われるが、元ファイルが無いし、花子では読みとれないのだ。まあ校舎が変わる事は無いので、この方式でいいだろう。
 各学年の表紙は、味気ない物だったので、ネット上でかわいらしいアニメGIFを見つけて転載した。アニメアイコンを貼るだけで、驚くほどかわいらしい表紙となった。
 トップのGIFアニメも作り替える。以前のが懲りすぎていて、もっとすっきりとした写真にさしかえたかったのだ。でもGIFアニメソフトがない。マビカでGIFアニメは作れるのだが、終わらないのだ。ネット上でフリーソフトを探し、入手する。これで作った。うまくいった。

 エクセルで電話連絡網を作る。斜め罫線が無いので困ったのだが、セルに斜線を入れてそれを拡大する事で解決した。マクロボタンをつける事に初挑戦し、見事できた。ボタン一発という奴である。まあ、必要ないと言えばそうだが、三四郎の電話連絡網作りで苦労している職員もいたので、作ってみたのである。ソフトが固まったり、データーが吹っ飛んでしまうなどのトラブルがたびたびあったようだ。
 自分は一太郎の差込印刷で作っていたので関係ないのだが、エクセルなら一般的なソフトだし、できないかとやってみたのである。マニュアル片手にやってみたら、案外簡単な事だった。

2004年6月6日 日曜日 13:38:10雨
 自治会のあじさい下草刈りのボランティアでずぶぬれになる。でもまあ、雨がそぼ降る川沿いの土手の風景も悪い物ではなかった。雨の中、外で働く機会は無いので、よかったかも。
 先日の情報部会でチャットを子供たちに指導しているという教師がいて、自慢げだったが、その数日後にネット上のいざこざで小学6年の女児が同級生の首をかき切って殺すという事件が起きた。(互いにホームページを持ち、それへの悪口の書き込みが一つの原因と報道されている)風向きは、いつもの事ではあるが、学校の指導体制、教師の指導力、ネットの扱いはどうなっているのかと流れてきた。あの教師は今後も授業でチャットの疑似体験を子供たちにさせるのだろうか。(ネチケットの指導のために行っているとの事だったが)

 ともあれ、良くないことはまだ分別もつかない、常識もない小学生が自由にネット上で意見表明する事だ。ホームページも、メールも、チャットも携帯電話もすべてそうだ。こどものおもちゃにするのはおかしい。一人前の大人の道具と考えるべきだ。
 企業の儲け主義で家庭内ランなどと宣伝しているが、ネットはリビングで親の管理下でやるべきだ。子ども部屋で何をやっているのか、親が関知しないと言うのは保護責任放棄と見なしていいのではないだろうか。
 ネチケットなる造語を流行らせるより、エチケットの不十分な子どもに大人の道具を持たせるべきではないと思うのだ。「パソコンで授業を」なんて言っている場合か!
 ネットの弊害から子どもを、教育を守る事を考えるべき。

2004年6月10日 木曜日 21:32:25
 子どものイタズラだ。PCルームで子機からログインして、作品箱を荒らしたのだ。フオルダの並び方は復旧したが、内容まではわからない。教材箱と資料箱は子機からは操作できない仕組みだが、それは子機としてログインした場合だ。親機としてログインしたら、荒らしは可能。しかもパスワードは、勘のいい子なら連想できる文字だ。
 困ったもんである。荒らしを覚悟の上で、サーバーのバックをMOに取る。まあ、これしか手は無いだろう。

 いろいろセキュリティが心配になって、カバンの中のUSBメモリーやフロッピーも暗号化する事にした。これで万一カバンが盗難にあっても、子どもの個人情報は守秘できるだろう。(本当かな?)

2004年6月15日 火曜日 19:32:04晴れ
 プール開きだ。梅雨の中日だ。快晴である。1,2時間目の空き時間に畑に行き、一人雑草取りとポップコーンの植え直しをする。うまくいかないのだ。
 その後、プールに行き水抜き、塩素投入、温度計測などなどを一人行う。子供たちがじきに来て、ガイダンスだ。
 今年もBグループ。伏し浮きのできる子のグループだ。ドル平を指導する。もう指導のこつをつかんだというか、名人ですよ。笑わせながら、ガイダンスをし、実際に泳いで見せる。その後、泳がせ、次はプールサイドにつかまらせて息継ぎとドルフィンキックの練習である。最後に卒業テスト。何人か一発で15メートル泳いで合格したよ。

 先日は善行の教育センターに行く。出張だ。テレビ神奈川の教育放送の企画委員になってしまったのだ。と言っても、別にえらくともなんともない。県教委の作って欲しいテーマのビデオを企画すればいいのだ。他市の教員ともふれあえるし、番組の裏側を知る事もできて得難い体験だ。それはいいのだが、小学校の教員にとって、一日出張というのは厳しいね。自習体制を作って出てくるのが、無理があるのですね。
 おまけに文章を作成するのに、ペンと紙だけなのだ。この時代、しかも県の施設なのにパソコンの貸与がないのだ。持ってきて欲しいと言われてもね。車で来る事は禁止されている。雨の中傘をさしてノートパソコンを持ってくるりっぱな人もいたけどね。
 ぼくはとてもそこまでつき合う気になれなかった。

 おもしろい事を聞いた。相模原市はホームページビルダーでHPを作ってFTPでサーバーに転送していると言うのだ。ぼくのいるA市では、セキュリティの面でそれはだめだという事になってDウエブに替わってしまったのだ。ぼくの学校では、ホームページビルダーで作り、サーバーにFTPで送って、HPを立ち上げていたという運用実績があったのにもかかわらず切り替えられてしまったのだ。あの時も納得できなかったけど、今度の話を聞いてもっと納得できない気持ちになったよ。なんだんだったんだろうね、あの切り替え騒動は。どんな必然性があったのだろう。

2004年6月16日 水曜日 20:05:26晴れ
 怒濤の一日だった。腰痛がひどくなって、行きつけの整体師に行く。やはり腰骨がずれているとの事。この先生には、首が悪くなって整形外科の治療ではどうしようもなかった時に助けて貰ったのだ。首は日常生活に支障がないほど良くなったのだが、今回は腰だ。右のおしりの上あたりが痛くなり、ひどいときは右足全体にしびれを感じる。
 困ったときの神頼みである。
「ボキ、ボキ!」と骨を鳴らされるのが恐い!
ごりごり、指かこぶしかで押されるのが痛い!
恐い、痛いで10分ぐらいがまんして、やっと放免。
4千円だ。
先生には、ブリッジはだめ、水泳のバタフライはだめ、赤ん坊をだっこするのはだめと釘を刺される。
この年では、赤ん坊をだっこする事は無いが、首が良くなったので、体育でブリッジや、水泳指導でバタフライなどをやっていたのだ。反省と共にがっくりする。
でも治してくださるのだから感謝しなければ。毎週通う事となる。その名も長生館というありがたい名前だ。

 痛い思いをして帰ってきたら、校内研究会が重い雰囲気。地区研究会の公開授業者を決める話し合いの真っ最中なのだ。だれも黙して語らず。その内、例によってジャンケンかあみだくじで決めようと言う話し合いになる。
 これが嫌だ。研究会とは本来、自分の実践をみんなに見て貰って批評してもらうのが目的なのである。ところが、地区研究会はだれも自分の授業を公開しようとしない。それは指導主事の指導講評が絶対であって、それに迎合しないといけないから、面倒であり、苦痛であり、難しい作業だからだ。だからだれもやろうとしないのだ。だったら、自分のように会費を払わず脱退宣言をすればいいのに。
 今は自分一人だけだから、何の動きにもならないが、100人、200人の教員が会費不払い、脱退宣言したら地区研究会は任意団体としては崩壊せざるを得ない。

いつものように、
「ジャンケンやあみだくじで決めるぐらいになら、ぼくがやります!」
と宣言してしまった。
地区研究会を否定している自分が地区研究会の公開授業者になる皮肉がまた繰り返されるようだ。

 6月30日水曜日
 スーパーに見学に行く。あいにくの小雨だ。かといってせっかく約束を取り付けた相手だから、出かける事にした。雨だと傘を差さないといけない、前が見えない、片手が使えないと悪条件が重なり、事故の誘発原因になるので校外学習には出かけないのだが、どしゃぶりの雨と言うことでもないので、出かける決断をした。
 自分は傘を差さない事とした。何かの記事で添乗員は傘を差さないのが原則だというのを読んでなるほどプロとはそういうものかと感心したのを思い出したのだ。それでゴアテックスの上下に、帽子をかぶって引率する事とする。横断歩道を何度か渡らないといけない。自分が傘を差しては、子どもの様子がよく見えないのだ。
 ずぶぬれになりながらも、子どもの安全を守る事ができてよかった。
スーパー見学は、店長さんの好意的な案内で、順調に進める事ができた。

7月8日木曜日
 水泳学習の最終日だ。今年は異常気象だろうか。プール学習が一度もつぶれなかった。一日だけ、水温が低くて水慣れだけで終わらせたが、後は全部できた。つごう7回できたわけだ。4回やればいいと言うことになっているので、学年の同僚の中にはもうやらなくてもいいという意見もあったのだが、押し通した。
 A,B,Cの能力別学習で、例によって自分はBグループの伏し浮きはできるけど、泳げないという子供らを指導する。この子らに最適な泳法はドル平だ。伏し浮きの状態からあごを上げて息を吐かせる。吸うと水を飲むので、吐かせるのだ。吐けば空気は自然に入る。あごを上げると尻が沈むので、また伏し浮きの体勢に戻って、今度は両足キック、いわゆるドルフィンキックである。2回蹴れば尻は上がってくるし、前進もする。
 これがドル平泳法である。毎回子供たちにレクチャーし、その後プールサイドにつかまらせて3分間息継ぎの練習をさせる。その後5分間の泳ぎを2回繰り返す。3グループできるので、時間的にこれで限界なのだ。最後に卒業試験。15メートル泳げたら合格だ。毎回合格者が出た。最終日の今日は、子供たちも気合いが入っていたのだろう。24名のBグループの内、なんと13名合格した。
 すごいことです、これは。泳げない子が泳げるようになったのだから。ドル平泳法のすごさにあらためて感服する。そして自分の指導力にも自信を持った。

7月9日金曜日
 夏日だ。先日の雨も困るが、こう暑いと熱中症の心配も出てくる。前日に帽子と水筒を持ってくるようしつこく言ったのだが、3人が持ってこない。途中の休憩で自分のお茶を与える。コンビニで買った冷たいお茶をポットに入れたものだ。おいしかったらしい。
 今回は養豚場をまず見る。子豚を生産していて、豚舎にはかわいい子豚が多数いた。子豚はかわいいが、帰り道は雄豚の豚舎を通る。これは大人の自分も恐い。狭い通路の両サイドに巨大な豚がうなり声を上げているのだから、これは恐いですよ。
 得難い体験をした後、今度は鮎の稚魚を育てている漁業センターに行く。大きな水槽がいくつもある。こちらは水を見て歩くので幾分涼しかったのだろう、子供たちの表情も元気が見えた。
 帰りに例によって中津川の河原に出る。美しい郷土である。

2004年8月5日 木曜日
 小雨がけむる中、畑で雑草取りをする。スクーターに草刈り器をくくりつけ、走るのだ。これも工夫ですね。汗と雨とでぐしゃぐしゃになりながら、オクラとポップコーンの間の草を取る。前回もやったのに、また振り出しである。まことに雑草の生命力はすばらしい。でもなんとかオクラもポップコーンもそれらしく成長してきたよ。
 教師ばかりがこんなに苦労して、生産の喜びを体験していてもしょうがないと思うのだが、いたしかたない所だろう。
 午後は教室でソーラン節だ。何度か指導した経験があるので、すぐ思い出したが、いかんせん体力が昔と違う。すこぶる疲れるのだ。今年は倒れるかも知れない。冗談でなくそういう恐怖感を持つ。

 文部省からコンテンツ購入の希望を聞かれる。もちろん実際には市教委からの伝達だが、元は国の政策だ。どうして現場の声からではなく、上意下達なのだろうねえ。ただではないのだよ。税金を使うのだよ。現場が要求していない事にどうしてこうも安易に税金を投入するのか。まあ安易ではないかもしれないが、現場の人間としてはこっちの意見も聞かずにどうしてなのという気はする。
 年度途中の要望だしという事で、次年度回しにしてもらう事で管理職の了解を取った。本当は断りたいのだが、断る項目がないのだ。恐ろしい希望調査票である。今年希望するか、次年度希望するか、二者択一なのだ。まっこと、恐ろしいというか非常識というか、そういう世界に住んでいるのですね。
 パソコンを授業に活用するという事が公教育の至上命令なのだろうが、現場の人間としてはパソコンはいらないのだよ。確かに、平和教育をやる上で、広島の平和記念館のホームページは役に立った。でもこれって文部省の希望する所じゃないよね。
 ビデオで十分。当面はこれで十分だよ。なんだかんだとエラーが出てくるネットより、VHSのビデオで十分だって!必要なのは、教師の熱意と工夫だ。そこの所、現場の熱意と工夫をもっと大切にしてもらいたいよね。それでこそ、上に立つ者の責務っていうものじゃないの。ねえ!

2004年9月6日 月曜日 21:31:11
 学校が始まる。ソーラン節、身体測定、給食の盛りつけ、配膳指導。掃除のチェック。連続量の単位がフランス語で統一されている事を説明してから、校庭に出て巻き尺で長さの体験学習。なんだかだと、階段を駆け上り、駆け下り、汗だくになる。でもこっちの方がいいね。大人同士でなんだかだとやっているより、子供たちと終日汗を流している方が自分はいい。子どもが好きというより、大人が嫌いなのかも。小学校教師の仕事は大変な事も多いが、自分で仕事を仕切り、企画運営できる所があって、自分には向いていると思う。25年もこの仕事を続けられたのも、こういう面があるからだろう。個人的作業が多いのだよ。それが不安な人もいるだろうが、自分は楽しいね。子どもが好きだから教師をやっていると言う人が多いのだが、自分は違う。こういう仕事のあり方が気に入っているのだ。第一子どもが好きだから教師をやってるなんて気持ち悪いじゃないか。病人が好きだから医者をやるのか?老人が好きだから、介護士をやるのか?そうじゃないでしょう。仕事の内容がおもしろい、やりがいがある、だから天職と思うのじゃないの。子どもが好きだから教師が天職て言うのはどうもねえ。変だよ。ひょっとしてロリコンじゃないの。あっ、これは言い過ぎだね。すみません。謝ります。
 職員用のパソコンのハードがクラッシュ、パソコンルームの子機のモニターが不良。保守業者が来てくれて対応してくれる。こういう業者は腰が低くて学ばされる事が多い。昨日は自治会の防災訓練。役員をやっているので、忙しかった。ただ今、禁酒中なので酒盛りには参加しなかった。酒は切りないからねえ。ちょっと酒がない生活をしようかと思っているのだ。もっともイスラムに改宗したわけじゃないから、今後一生飲まないと決めたわけじゃないけどね。

2004年9月10日 金曜日
 体育館でソーラン節の指導をする。最初の1,2回はビデオプロジェクターを持ち込んで、機械に任せていた。体力に自身が無かったのですね。でも、ある程度はこれでできても細かい所が子どもたちに浸透していかない。ビデオのおじさんではだめなのだ。生身のおじさんの熱意、声、汗が必要だと思った。全力で踊った。叱りもした。とにかく時間が無い。言葉で踊りをイメージし、頭の中で整理させる指導にも力を入れた。これが良かったと思う。たちまち、多くの子が踊りを覚えだしたのだ。
 教師の仕事のおもしろさ、幸せを感じた。指導には技術がいる。熱意がいる。誠意が必要だ。たとえ小学3年生でも心を込めて話せばこちらの誠意は伝わる。ただしごくだけでなく、子どもたちに目標と夢を語る事が大事だと思った。子どもたちは運動会の大きな舞台で踊る自分の姿をイメージし始めた。その事が、教育なのだろう。

2004年10月1日 金曜日
 土曜の予定が雨で流れた後、日曜に運動会は実施できた。連日5時台に学校に行き、ライン引きやらぬかるみの整地やらで疲れる。特に土曜の朝は問い合わせの電話や苦情の電話などで困惑する。電話で問い合わせはしないというお願いはしてあるのだが、世の中そうそう協力的な人ばかりではないのだよ。
 ソーラン節は練習よりりっぱなできあがりで教師冥利に尽きた一日となる。有り難いことだ。かたづけは、お父さん達がてきぱきとやってくださり、この学校のすぐれた特質だと毎年思う。
 翌日の代休は、子どもたちが撮影したデジカメ写真の整理や、動画の編集、そしてビデオの編集をする。特にビデオの編集は、10分物ですぐに2GBを超えてしまうので、この非力なノートパソコンでは何度もエラーを起こし、苦労する。機械も疲れるのですね。休み休み、作業させる。
 デジカメ動画は学校のホームページ用に、ビデオは給食時に放送するためだ。デジカメ写真は、子どもたちがどうしても顔の正面写真を撮るものだから、そのままではホームページには使えない。素材として活用するのですね。
 来年はもっと簡素化しようかと思う。ビデオを圧縮して、ホームページ用に編集すればデジカメ動画はいらないからね。三つもやるのは、正直疲れました。

2004.10.4月曜日雨

教務に会議室に呼ばれる。地区研事務局が会員でもないと言っている自分が学校代表で授業をやることは、けしからんと言っているというのだ。だから会員になりなさいという事なのですね。冗談じゃない。こっちで願い下げだ。だれもやりたがらない公開授業じゃないか。じゃんけんで決めるぐらいなら自分がやるという事で、6年間で3回も地区研の学校代表を引き受けているんだ。ふざけんな!

 処分が下りるなら、裁判で闘うし、向こうがけしからんというなら、授業はやらないと答えておいた。当たり前じゃないか。それ以外、どういう受け答えがあるんだ。申し訳ありません、会員にならさせてくださいとおれが謝るとでも思っているのだろうか。

2004.10.6水曜日晴れ

一日出張なので朝、学校の教務宛にメールを出して置いた。地区研の運営委員だからね、彼は。地区研事務局への文章を添付し、運営委員の彼が返答できないなら、そのまま転送しておいてくれと書いて置いた。

(以下 添付文書)

地区研究会事務局への公開質問状

2004.10.6

○○市立○○小学校 ○○○○

地区研究会の公開授業者に校内で決まっていたのに、会員で無いという理由で取り消されました。それで付随する事柄についての会の方針をお知らせ下さい。

 1 これは私が会員で無いという正式な決定であるのか。

  2 であるなら、地区研究会発表当日の私の参加は拒否したものと受け止めていいのか。

      (校内、校外共に出席停止ということですね)

 3 研究冊子への私の指導案の添付、研究同人としての記名は拒否されたものと受け止めていいのか。

 4 今後の校内で行われる研究会への参加も拒否したものと受け止めていいのか。

 

 単に地区研究会当日の公開授業者になる事を拒否するというのでは、事務局の方針として首尾一貫しないし、理解に苦しむので論理を整理して伝達して欲しい。

 

 

2004.10.7木曜日晴れ

 朝、出勤印を押していたら、校長が

「公開質問状なんか出さないからな。」

といきなりだ。えらそうに、公開質問状とは公証人を立てる必要があるとかなんとか言っていた。おれは校長に一度も乱暴な口を利いた事はないのだ。なのに、この前と言い今度と言い、けんか言葉だ。お前けんかを売っているのかと心の中で唸る。目を思わず直視した。けんかをする前、あの相手の顔面にパンチを喰らわす時のあの一瞬である。殴ってやろうかと思った。

 その内急にトーンダウンし、校内研究と地区研とは違うんだよ。昨日の出張はご苦労さんなどと言い出した。おれは校長と話し合う気はないんだ。メールは教務に出したのだ。でもそれならそれでいい。

「ここで話し合うんですか。ここは出勤印を押す所でしょう。放課後時間を取ってもらえませんか。」

 

 ところがだ。この校長、約束を反故にして帰ってしまったのだ。教務と話し合う。学年の○○さんも○○さんも同席して校長室でだ。まあしょうがないという事になる。

2年目の○○さんが授業をやる事となる。

 

 2004.10.9土曜日雨

2年目の○○さんに急に公開授業を押しつけるのもかわいそうだと思い、朝、校長に自分がだめなら、学年公開はどうなんですかと聞いたら、トーンダウンしていて構わないとの事。学年会で相談する。

 

2004.11.3曇り

 月曜の放課後何事かと思ったら、また地区研の事だ。今度は教頭が学年発表なのに臨時採用の○○級が入ってない事にクレームだ。校長の指示だと言ったら聞いてないと言うのだ。この三人は暇な事をいいことに毎朝校長室で時間をかけて打ち合わせをしているというのに一体何を話し合って来たのだろう。推進委員会でも、文章でも出ている事なのに、教務まで何も聞いてないと言うのだ。聞いてないというのではなく、聞かなかったのだろうよ。校長までそんな意味で言ったのではないと逃げを打つのだからいいかげん嫌気が刺してきた。終いには、地区研に入ってない自分がいけないと言いだし、○○さんが一人でやればいいと言う。まったく最悪の校長である。学年団が2年目の○○さんに配慮し考えてきたというのに、馬鹿かお前は。

 結局臨時採用○○さんは指導せず、こどもだけ参加という形に落ちつく。火曜の放課後PCルームのモニターを見ながら、三人合同の指導案を作成した。まったく上司が思いつきでいろいろ言い出すので疲れるよ。


2004.11.9火曜日
 今日は就学時健康診断の補助だ。かわいらしい就学予定児を目の当たりにする。
一息ついて教室の整理をしていたら、
「先生」
と呼ぶ声が聞こえる。
就学予定児の母親だ。教え子だと言うのだ。入院していた時、、毎日見舞いに来てくれたと言うのである。極悪非道な教師である自分がそのような事をするだろうか。まったく思い出せない。うそでも相づちを打ってあげたほうが親切だとは思うが、思い出せないのはしょうがない。
家に帰って学級通信の冊子を調べたら、なんとその子の名前と入院していたとの記述が出てきた。見舞いにも行ったんだろうねえ。その頃の自分は、確かに純粋に教師という仕事に向き合っていたとは思うが、熱情のあまりというか、性格的な問題というか
暴力教師と言われてもしょうがない面があったと思う。それでも、年を超えて、こう教え子が声をかけてくれた事は、少しは良い教師であったのかもしれない。
単になつかしかっただけかもしれないけどね。

 この所、いやなことが氷山の塊のように自分の上に覆い被さって、もうダメかなと思う事もたびたびなのだが、教師という仕事は案外いい仕事なのかもしれない。自己の良心、子供への誠実さを大切に日々を重ねる事、それしか自分の道は無いとも思う。

2004.11.10水曜日晴れ

 第一回目の地区研だ。校長、教頭、事務のみが残る中で自分も残る。地区研究会への出張を拒否したら、職務命令を出すからなと凄んだ校長は何も言わない。職務じゃないのだから、出せるわけないんだよ、この馬鹿が。と心の中で悪態をつく。4時間で短縮なので放課後は暇。ストーブの点火テストをやったり、丸付けをしたり、給食費をやったりして過ごす。


 地区研の準備が終わる。リハーサルもうまく行ったし、なんとかなるだろう。デジカメのスライドショーでプレゼンテーションをやらせるという自分の試みはなんとか実を結びそうだ。


2004.11.11木曜日晴れ
 地区研の公開授業でデジカメのスライドショーをやるのだが、子どもたちがとてもやる気があるのだ。スライドの解説文を自分たちで工夫して書き、ナレーションも聞きやすいよう何度も練習を重ねている。もちろん自分の指導もあるが、とても意欲的、自主的なのである。ちょっと驚きだね。やっぱり子供も観客がいると思うと張り合いがあるんだね。
 機械の操作も子供に任せようかとも思ったが、ちょっとむつかしいし、それより話す事に集中させた方がいいと思った。従って自分はずっとテレビの側、子どもたちの側に寄り添っているのだが、これが意外と楽しい。真剣な面差しで一生懸命やっている子供の素顔を間近で見られるのは実に幸せな事だと思った。楽しいね。こんな楽しい事をやっていてお金をもらっていいのだろうか。

2004.12.8水曜日晴れ
 太平洋戦争の開始日だ。それで教室で話す。3年生という事もあるが、だれも知らないのだ。広島の原爆の話は以前したので、それを下地に話を紡いでいった。
 1945年12月8日に、太平洋を越えた所にある巨大な国アメリカと戦争を始めた事。
アメリカは国土は日本の24倍、人口は2倍以上ある大きな国だよ。
それ以前に1930年からこれまた巨大な国、中国と戦争を続けていた事。中国の国土は日本の25倍、人口は10倍以上もある大きな国だよ。
 日本は朝鮮を征服して中国にも攻め込んだが、中国は大きくて戦争に勝てなかった事。その内、アメリカともぶつかるようになり、戦争が広がった事を話す。そして、アメリカとの開戦により、今までは軍隊が中国で戦っていた戦争から、日本国土がアメリカのB29に爆撃される戦争に変わってきた事。先生のお父さんも軍隊に入って戦争に行った事。生きて帰れた事。
 
 この戦争で日本はたくさんの外国人を殺し、自分たちも、女も子どもも爆撃で焼き殺された事。
 そしてアメリカが日本を降伏させるために、広島、長崎に原爆を落とした事を話す。

 今日は2004年12月8日。戦争が終わり、59年たった。この間、日本はずっと平和でいられた事。その幸せを話す。じゃ、なぜ、日本はこの59年間平和でいられたのだろうと問う。
 「王様の国じゃなくなったからだ。」

そうだね。王様の国じゃなくなったからだね。
天皇主権の国、戦争をする国から、
国民主権、平和主義の国、徴兵制の無い国になったからだ。

 まったくもってその通りだと思う。今の北朝鮮を見ていると独裁国家の恐ろしさをつくづく感じるね。個人崇拝だ。一握りの権力者の下、軍隊が力を握り、多くの国民は飢えと恐怖にさらされている。戦前の日本も個人崇拝、軍隊が支配する国だった。
戦後その仕組みが解体され、国民主権、平和主義の憲法を持つ民主国家となったのだ。日本の今の平和を語るには、天皇制の問題に突き当たらざるを得ない。

じゃあ、国民ってだれの事?
「ぼくたちの事。」
君たちは国民の子どもだよ。まだ、国民じゃない。いつになったら国民になるの?
『はたちになったら。」
そうだね。君たちが国民になったらどうするの。
今の国民主権、平和主義の国の仕組みを続けるの、それとも昔の日本の天皇主権、戦争の国を復活させるの。
「いやだー、そんなの。今の方がいい。」

 これは偏向教育だろうか。今の平和を語ろうとすれば、こうならざるを得ないのじゃないの。それ以外の平和教育てあるのかい。戦争は人の心の中で起きる、だから心の中を平和にしようなんてユネスコみたいな事を百万遍言ったって、戦争の原因も、平和を守る知恵も何もわからないんじゃないの。

2004.12.13月曜日晴れ
 パソコンルームで、自分が以前買って持っている「はだしのゲン」のビデオを子どもと見る。部屋はブラインドを降ろして暗くする。プロジェクターでスクリーンに映し出すと、テレビとは比較にならない迫力になる。ボスのスピーカーも、音量が無限に大きくできるのではないかと思われるほど大音響になるのだ。
 この中で、元気いっぱい、天真爛漫のゲンの生活と、悲惨な日本の戦争を見る。原爆投下のシーンでは息が止まるほどだった。これほどかわいらしい子どもたちが、戦争で傷ついている。涙が止まらなくなる。小学3年生のこの子らにはどれほど理解できたか。でも、夏の平和教育で見せた、広島の被爆の写真、国語の教材「ちいちゃんのかげおくり」、ネットで閲覧した広島平和記念館、さだ子のアニメなど、これまでの積み重ねがあるから、きっと唐突な感じではないと思う。

2004.12.14火曜日晴れ
 快晴だが、昨日と打って変わって肌寒い。日だまりは暖かいが、風がすこぶる寒いのだ。そんな中、校外学習に出かける。総合科が始まる前はこういう風に単クラスで出かけると校長に文句を言われたものだが、今は自由である。その点においては総合科はありがたい。
 今日は音楽の笠地蔵に出てくる六地蔵が、私の学区内にもあるので、それを実際に見学に行くのである。ついでに少し足を伸ばして、河原にも散策に行く。広大な河原だ。ススキの原野となっている。川の流れは鮮烈で、雄大である。子どもたちは、河原の石や砂をさわって、歓喜の声を上げている。こういう子どもを見るのは楽しい。まあ、こんな事で喜んでいる教師というのも少ないのでしょうねえ。
 河原や橋は、どこに行ってもホームレスに行き会う。女の先生では、ちょっと引率にちゅうちょする所はあるでしょうね。まあ、ほとんどは常識的な人だが、中にはおかしい人も確かにいるしね。何かあったら、腕っ節に頼らざるを得ない。なんせ小学生を引率しているのだから、体を張って守る義務がある。
 ともあれ、デジカメでパチパチ撮ったり、子どもたちを見守ったりと幸せな一時を過ごす。交通安全など厳しくしつける所はやらざるを得ないので、そういう意味では教師と子どもとの関係作りの場でもある。
2005年1月28日金曜日曇り
 校庭がこの寒さでぬかるんでいる。朝の霜柱が朝日で溶け出すのですね。
恒例の縄跳び大会は、昼休み体育館で行われる。がんばって跳び続ける子どもたちを見ながら、ぼくは腕立て伏せやスクワットを続けたよ。
 放課後は、小中交流会。中学校の先生が、「うざい、死ね、てめえ」などの言葉の乱れに困っているとこぼしていた。でも小学校でも同じなのだよ。隣の1年担任のうら若き先生も、「くそばばあ」と呼ばれるとの事。どうしてこんな日本になっちゃったのかね。

 思うに、こどもの世界から公私の区別が無くなった事じゃないのかなあ。
ぼくが子どもの頃は、放課後は子どもだけの世界があった。そこでは、ビー玉やパッチンなどのばくち遊びが幅を利かし、それが元で、やくざの出入りに似た果たし合いもよくあったものだ。子どもの世界での掟がそこには存在し、切った張ったの世界があったのだ。それでもぼくたち子どもは、学校では従順な存在だった。
 なんせ教師は絶対の存在だったからね。逆らうことなど想像もできなかった。教師は大人としてぼくたちの前に立っていた。今の教師のように子ども言葉を使う教師なんていなかったね。だから、ぼくらも友達に使う言葉と教師に使う言葉はちゃんと使い分けていた。敬語もよくわからなかったが、とにかくていねいな言葉を使おうと懸命に背伸びしていたものだ。
 翻って今の子どもたちはどうだろう。教師は「だって、そうじゃん!」と子どもに迎合する子ども言葉を使う。子どもの目線に立って、カウンセリングマインドで接する事を指導されているから、子どもに強制するのではなく、あくまで理解と承諾を求めるのだ。だから、子どもは傲慢になる。
「ぼくは、嫌だ!」
と叫んでればいいのだ。
 子どもはひとつの世界しか持ってない。大人が大人として自分の前に立っていない。だから背伸びする事もなく、敬語も覚えないし、自己中にならざるを得ないのだ。
 ぼくが子どもの頃は、理解と承諾を求めるのは、子どもの方だった。だから、子どもは敬語を覚え、謙虚になり、大人と接する技術を学んだのだ。それが社会性を育てる事につながった。
 今はどうだ。大人が大人として子どもの前に立たず、子どもに理解と承諾を求めてくる。子どもが世界の中心になり、暴君にならざるを得ないではないか。

 ぼくたち現場の教師は、自分ができる事をやるしかない。世の中を憂いてもしかたない。目の前の子どもに、自分ができる事をやるしかないのだ。
 ぼくは嫌われようと、大人として子どもの前に立ち、子どもに社会性を育てる教師を演じようと決意を新たにした。

 中学校の先生から、女子のミニスカートの話も出たが、あれはなんなのだろうね。
ぼくにはあのミニスカートと金髪で着飾った中、高校生は売春婦にしか見えないのだけど、世間のみんなはどう思っているのだろう。あれも個性の発揮、自由という事なのかね。これだけ性犯罪が多発している社会において、親が子どもを守るために素肌を見せないような指導ができないのかね。別にイスラム教徒じゃないから、顔をスカーフで隠す必要はないが、素肌の露出はできるだけ避けるよう親として指導すべきじゃないのかね。みんながみんな、芸能人のような化粧をし、売春婦のような姿で歩き回る社会っておかしくないか。なぜ、大人として、親として、教師として、学校として、規制できないのだろう。どうして強制できないのだろう。
 今の子どもは、自己中にならざるを得ない生育環境の中で生きているとしか自分には思えないのだ。

2005.4.16日土曜日晴れ
 今年は2年生の担任だ。例によって、始業式、入学式、離任式と式に苦しめられる。学級開きの時間がこの式によってしわ寄せを食うのですね。もっと簡素化していいのでは?離任式に至ってはいらないと思う。同じ一年間を教師と過ごしても臨時任用の教員はこの式には呼ばれない。こどもにとっては同じ先生なのにね。
 まあ単なる人事異動を教育的価値うんぬんと言って仰々しくやりすぎなのですよ。

 ともあれ、学級開きだ。靴箱、ロッカーに名前ラベルを貼り、個人写真を撮る。氏名順に並ぶことを教え、待つことを教え、聞くことを教え、返事をすることを教える。まあ、教える事だらけだ。指導することが山ほどあるのである。だから、余計な時間が惜しいのだ。
 毎日、一つずつ積み上げていき、ようやく掃除や給食、歯みがき、計算ゲームなどが軌道に乗って来た。いろいろハプニングもあるし、いらいらさせられる事、笑わされる事、心配させられること様々である。でもこれが生きている事、生きちょるなのでしょうね。

2005.5.17火曜日晴れ
 プール裏の花壇で、子どもたちにチューリップの球根取りをさせる。葉や茎は雑草の所に捨てさせ、土は花壇に、小石はフェンス際の石捨て場にと分類して捨てさせる。
 なかなか大変な作業らしくて、時間がかかる。早めにできた子はミニ先生として友達のコーチだ。なかよくやっている。
 ここは、銀杏やら、楓、クヌギ、シュロの木など小学校には珍しく大きな木がたくさんある。校舎の裏という事もあって、隠れ家的雰囲気もある。クラスの子と独り占めの空間だ。風が吹き抜けて、心地よい。教師として至福の時である。
 その内鬼ごっこや、石渡りなど自然物を利用して遊びが始まってきた。遊ぶ子は美しい。こういう時の子どもはかわいいなと思う。

 さあ、教室に戻ってドリル学習が始まると様相が一変する。今日は漢字スキルだ。できた子からひとり一人点検するのだが、これが横柄なのだ。
 手本を見てその通りにまちがいなく書いてくる子もいるのだが、本当に見てるのと言いたくなる子もいる。まちがいを指摘し、その横にお手本を書いてやり直しを指示する。ところが、どこをどうやり直したのか、まったくやり直したと思えない物を再度尽きだしてくるのだ。早く丸をくれろと言わんばかりだ。
 三度、四度と繰り返されると、こちらも腹が立ってくる。この次、やり直してない物を持ってきたらげんこつだからなと凄む事になる。まあ、教師の理性の範囲を超えて、不適切な発言になるわけですね。でも正直な物で、前と見違えるていねいな字で持ってくるから、口ではやればできるじゃないかと誉めるのだが、内心腹が立つね。
 自分が子どもの頃は教師に対して、こう横柄な態度を取る子はいなかったね。先生に見せる物だからせいいっぱいていねいに書いたし、叱られればすなおに反省したものだ。もちろん今でもそういう子の方が多いわけだが、教師の目の前にノートを投げ出したり、ポケットに手を突っ込んで、こちらが添削している間に大声で仲間と話し出すのだ。もちろん無礼な態度だから叱るわけだが、一向に改善されない。
 なにか大人をなめきっているとしか思えない子がいるのだ。

 これでは学習が成立しない。まず教師の指示に従う事、その社会性を育てる指導もしていかないとクラスが崩壊してしまう。教師の権威を認め、指導者として認識しはじめると、謙虚さが出てくる。乱雑な字がていねいになり、学習を貫徹しようとする忍耐力、向上心が見えてくる。そこの所を作らないと、めんどうくせ〜、わかんない、わかんないの大合唱に教室が包まれて、学習の場が崩壊してしまうのだ。
 かなりこちらの指導が通っては来たが、以前として緊張関係にある事には変わりない。不断の努力が指導者に求められる。50を過ぎて体力、気力共に萎えてきた自分に取って過酷な課題ではある。でもこれが仕事だし、自分がこの場にいる存在価値がそれなのだから全力でがんばるしかない。

 2005年5月25日水曜日晴れ
 今日は持ちネタオンパレードだった。体育では、ソーラン節だ。連休前はフォークダンスをやったので、今回は民舞だ。体育館で繰り返し指導する。疲れたが、子どもも楽しんでくれたのでよかった。
 算数では10回足し算がようやく全員合格できるようになってきた。困ったちゃんも何人かいたのだが、見違えるほど進歩してきた。やはり繰り返し学習は効果あると思った。大半の子は、三桁に進んでいる。明日は十桁の問題を試しに出してみようかと思う。
 学級活動では、クラスレクレーションということで、「なんだなんだ班会議」をやる。大受けだった。これは、20数年前全国生活指導研究会に参加していた頃教えてもらったゲームだが、簡単なゲームなのである。三色のちびたチョークの色を班会議で相談して当てるだけの他愛ないゲームなのだが、子どもを盛り上げるというか、引きつける技があるのですね。これは名人芸に属すると自分は思う。チョークを空中に投げあげる前に、
「緊張の一瞬ですね。胸がドッキン、ドッキンします。」
とか言って、Tシャツの胸を両手でつまみ上げるなどのくすぐり芸がいくつかあるのです。これで子どもは大喜びだ。教師冥利に尽きる一瞬です。疲れたけど楽しい一日だった。

 2005年6月10日金曜日曇り
 「限りなくやさしい花々」星野富弘さんのブックトークをする。対象は高学年の子たちで、どういうわけか全員女の子だった。これは児童の希望と若干の調整でこうなるので、どういう理由でこういうふうに女の子ばかり集まったのかは自分にはわからない。
 教室のテレビでスライドショーをして、この花の絵を描いた人とつたないカタカナを書いた人は同じ人だよと説明する。こどもから、この人は絵の才能はとてもあるけれど、勉強はあまりできないのではないかという想像が出た。なるほど、いい想像だと思った。
 そこから話を始め、実はこの方は事故で首から下が動かなくなったのだよと説明する。君たちが同じ状態になったらどうする?と投げかけた。
 ぼくならどうするのだろう。おそらく絶望するだろう。でも、星野さんは動く口で字を書き始め、絵を描き始めた。つたないカタカナの字は、書き始めの頃であり、すばらしい絵は口で絵を描けるようになってからの作品だと解説した。
 そこから本の朗読をする。ぼくのそれこそつたない朗読を咳払い一つ無く子どもたちは時間切れになるまで聞いてくれた。
 この授業の感想は聞いてないし、書かせてもいないので本当の所はどうだったかはわからない。子どもたちにとって退屈で、窮屈な時間だったかも知れない。あるいは星野さんの本を自分で読みたいと思わせるきっかけになる授業だったかも知れない。
 でもぼくには、いい時間だった。せいいっぱい誠実を尽くせたし、静聴してくれたのだから子どもたちに感謝するしかないだろう。

2005.6.23木曜日曇り
 児童集会が終わり、かたづけだ。例年山のようにダンボールとゴミが出る。今年はゴミ減量の意識づけとして、自分たちが学校に持ってきたダンボールや新聞紙などの紙、ビニールの類は持ち帰らせる事とした。2年生にどうかなと思われたが、全員で山分けすると、一人分はたいした量ではなく、一日で持ち帰れる事となった。でも公平を期すため、ダンボールを小分けするのは教師の作業となり、多少大変でもあった。ダンボールカッターで小分けし、スズランテープでしっかり梱包してやるのである。
 自分たちが楽しんだ祭りの後かたづけは最後までやるという事で、良い取り組みではなかったかと思う。本校でこういう取り組みをしたのは、恐らく自分一人だろうし、保護者からどうしてゴミを家に持ち帰させるのかという苦情が来るかも知れないがね。
 こういう取り組みが全校に広がれば、子どもたちもゴミを少なくする工夫や意識が芽生えてくるのではないだろうか。現状のやり方では、祭りの創造や、運営は楽しいが、後かたづけは大人任せとなってしまう。

2005年6月24日金曜日晴れ
 プール開きだ。例によって今年もふし浮きグループだ。ドル平泳法で指導する。この指導法でやると、学校の指導時間でも泳げるようになるのだ。熱心に指導する。他のグループの先生方に最後に自由時間を作りませんかと言われるが、そんな時間はもったいないのである。最後までドル平泳法を指導する。どれだけ多くの子が泳げるようになるのか、楽しみである。

2005年6月23日木曜日雨

梅雨だ。休み時間は校内をぐるぐる回ったり、鬼ごっこをしたりと子どもはエネルギーを持てあましている。もちろん、走ったり、鬼ごっこをしたりは禁止されているのだが、言うことは聞かないよ。おまけに今の校舎は鉄筋コンクリートだ。昔の木造と違ってえらい丈夫にできているのだ。生身の子どもの体がぶつかったら折れたり、出血するのは当然だ。
 廊下や壁だけでも木造にならないかとも思うね。そうすると随分違うだろう。
とは言え、今の学校には面白い物もあるね。自分が子どもの頃の小学校て言うのは、なんか教室の記憶ぐらいしかないのだが、今の学校はいろんな特別教室があっておもしろいね。
 子どもの退屈をまぎらすために、空き教室でソーラン節を指導する。
休み時間に体育館に連れて行き、ソフトバレーボール2個でドッチボールをやらせる。
だいぶすっきりしたみたいだ。
 他にも図書室に連れて行ったり、パソコンルームや音楽室、図工室、理科室、家庭科室と場所を変える事により、気分が変わるようだ。校舎の裏庭もおもしろいし、そうそう今の学校にはプールもあるのだ。ぼくなんか、結局学校でプールに入る事はかなわなかった。高校まで無かったし、大学ではそういう授業もなかったしね。
 ぼく自身、図工室で絵を描いたり、図書室で本を読んだり、家庭科室で調理したりといろんな体験ができる事を幸せに思う。今の学校には無いのだが、陶芸の焼き物体験も前の学校ではできた。炎の中で白く輝く陶器を見るのは得難い体験だった。
 校庭で鉄棒したり、教室でギターを弾いて歌ったりと、まあこんな事をしている50代のおじさんていうのも世間的には珍しいでしょう。
 学校はワンダーランド!そう思えば、結構楽しい。今は学校に行くだけで精一杯の感じだから、何かおもしろみ、楽しみを見いださないとね。
2005年9月29日木曜日晴れ
 水曜日に畑に行く。さつまいもの試し堀だ。教師の自分がやる。大きな芋に成長していて驚かされる。追肥は一回しかやっていないのにだ。さすが飢餓対策用の作物だ。葉から下の柔らかいつるを各自持参のハサミで切り取る。その後畑での虫探しだ。みんな興奮してやっていた。中にはカエルまで見つける子もいた。
 教室に戻ってさっそくサツマイモのつるの調理をする。教室に携帯コンロ、フライパンを持ち込む。油炒めだ。最後に醤油をからめるとすこぶるうまい。食べれないと言っていた子も含めてみんなおいしいと言っていた。
 今日は試し堀りをした芋をふかす。教室にふかし器を持ち込んで、昨夜から暖めていた電気コンロのお湯を浸す。後は携帯コンロで追い炊きである。15分で蒸すかなと思っていたが、蒸し器が大きすぎるのだろう、20分かかった。とてもおいしい出来映えでした。
2005年11月4日金曜日晴れ
 パソコンルームで、かけ算九九のコンテンツをやらせる。九九を教えるのは、算数的指導というより、暗記ゲーム、歌唱指導みたいなもんだね。おもしろがって覚える子が大半で、さっさと覚える子の方が多いのだが、しぶとく覚えない子も例によって居残ってしまうのである。昼休み、放課後と居残り指導が続く。こっちも嫌になってくるが、仕方ない。これが仕事である。
 で、このかけ算九九のコンテンツは、九九を覚えている子にとってはおもしろいゲームだが、覚えてない子にとっては当然ながらつまらないのである。当てずっぽうに数字を入れたって、十中八、九当たるはずはないから、そのうち遊びだしてしまう。
 それで思い切って、覚えてない子には九九の暗唱テストに合格するまではやらせない事にした。従ってその子らは、パソコンルームの片隅でひたすら暗唱するわけだ。馬にとってのニンジンみたいなものだね。早く友達と同じようにゲームの輪に入りたい一心でよくがんばっているよ。このおかげもあり、居残り組は後3人までに減った。
 でも安心は禁物。やりたくはなかったのだが、テストのため、かけ算100マスをやってみた。案の定、合格組にも不確かな子がいるのだよ。まあ、やった成果はあったのだし、それで再び不合格組に落とし、指導できる結果になったのだから、よかったのだが、なんせ目が疲れる。一人100,丸をつけるのである。いい加減な数字を入れている子もいるので、気は抜けない。40人なら4000個も丸付けをしないといけないのだ。老体には酷な作業である。
 パソコンなら楽な作業だが、こっちは生身のしかも50を過ぎたおじさんだ。仕事とは言え、これはきつい。例の100マス計算で校長まで出世した人がテレビで丸付けをしているのを見たが、あれは全部チェックしてないね。断言してもいい。あの速さでチェックできるわけがない。子どもの自己申告でよしとしているよ。九九を覚えている子が速さを追求するだけならその指導でもいいが、入門期の2年生には許されないチェック体制だ。それで、往復計算の片道、かけ算の部分だけをゲームにしてやらせる事にした。エクセルの自動計算シートも作って、答案作りを容易にした。これは学校のホームページにも貼り付けたので、ネットをやっている家庭の手助けにもなるだろう。パソコンソフトは、そのもの自身では子どもを教育してくれないが、きっかけ作りにはなりうるという例だろうね。
2005年12月15日木曜日
 ふと思いついて、レーザーディスクを子どもたちに見せる事にした。久しく使ったことがなかったのでちょっと手間取ったのだが、アニメやクラッシック交響曲などを見せてあげる事ができた。特に交響曲はCDより、実写の方がわかりやすいよね。
 このLDというもの、結局過渡期の異物だったのですね。もっともDVDも過渡期の異物に今やなりそうであるが。
 久しぶりに見たLDの巨大な光る円盤。昔のLPレコードを思い出したね。きっとソフトは高かっただろうね。ぼくは係ではなかったので、買った事はないがね。ぼくが視聴覚の係の時は、ハードを買ったよ。昔のLD機が壊れたのでね。7年前、確か10万はしたと思う。今や、DVDの再生機が5千円で売られているのに、ずいぶんと高い買い物をしたもんだ。

2006年1月10日火曜日曇り
 始業式だ。やはり学校は子どもがいなくちゃおもしろくないねえ。教師も子どもがいてこそ教師だ。子どもの顔を見て、指導をして元気になった。大人同士顔をつきあわせていてもねえ。そういう仕事じゃないんだから、子どもがいない学校は学校じゃないね。体育館の朝礼。並び方の指導から、黙って話を聞く指導。教室に入ってからは班替えの話し合い。今回もカードによる抽選方式になる。高学年なら話し合いによる班替えで押し切ってもいいのだが、なんせ2年生。まあ、これでもいいかと折れる。
 班単位での係活動の決定。勉強は鉛筆による書き初めだ。みんな真剣に書いていたよ。最後は掃除指導。家じゃろくにやってないと思うけど、学校ではこの冷たいさなか水ぶきもよくやっていた。えらい、えらい。たいしたもんだ。

2006年2月23日木曜日晴れ
 文集を数年ぶりに作る。紙折り機が不調で、計算ゲームが速くできた子に折らせる。なんせ2年生なものだから、手間取る。やっとできたと思ったら、今度は製本に混乱が起きる。まあ、小さい子だから仕方ないだろう。楽しみながらやる事にしよう。
 成長アルバムもできあがった。後は、図工の作品集作りだな。
 授業参観も無事終わる。一人1分間の音読発表会をしたのだが、普段小さい声しか出せない子が大きなはっきりとした声で朗読したものだから、とても幸せな気持ちにさせられた。教師って、こういう時幸せだと思う。
 でもやっぱり、サッカーのコーチをやっていた時の充足感は無いね。だってあれは相思相愛の関係だもの。異質な子たちは来ないし、やめていってしまう。つまり、コーチの言う事を聞く子だけが指導の場に残るわけだ。それに比べ、公立小学校の教室は、異質な子の集団だ。ほとんどの子が担任の指導に従うけど、なかにはどうしてこの子には人の情というか、心が伝わらないのだろうと思える子がいるのだ。
 その子の立場に立って考えてあげれば、そう悪意のある事とは言えない面もあるのだが、どうして周りの空気というか雰囲気を読めないのか、感じられないのかとがっかりするというか、不思議に思う事もある。
 これって、絶対に保護者には理解できない事だろう。教壇に立ってみないとわからない事だね。例えば、人の内面に訴える感動的な物語を語っている時にげらげら笑ってしまう子がいるわけですね。長年人間をやり、教師をやっている身にとっても、理解できないわけですよ。そういう子が。
 でも理解できないで済む仕事ではないわけですね。指導し、管理しなくてはいけない職業なのです。具体的には、叱らないといけないわけですよ。叱る事によって、クラスの規律が保てるわけです。規律を保つという事はとても大切なのです。これがなくては、学級は崩壊にまかせるしかなくなるのです。
 自分は悪役を担い、嫌われるのを承知でダーティハリーになるわけですね。この覚悟が無ければ、教師は勤まらないと思っています。
 授業参観後の懇談会で保護者と雑談していて、やっぱ溝があるなあと思ったしだいです。まあ当然と言えば当然の話ですよね、立場が違うのですから。

2006年3月9日木曜日晴れ
 往算のテストを行う。今日は10人合格した。1分台に入れば合格なのだ。随分成長したなと思う。体育では、紅白に分かれて、ボールをキープして逃げ回るチーム、ボールを奪ってゴールにシュートするチームとの対戦だ。最初は、ボールがキープする子全員にあるので、どの子も楽しめる。最後の一個になった時は、試合形式に似た物になる。自分が考案したゲームだが、なかなか楽しい物である。
 国語では、スーホの白い馬の音読だ。練習が高じて暗唱する者も出てきた。あの長い話をそらんじる者まで出てきたのだ。継続とは力なりとはけだし名言である。
 今日は楽しい日だった。

2006年3月11日 土曜日晴れ
 昨日は厄日だった。15分休みに印刷室で印刷が終わり、職員室で配布しようとしたら、女性教師に子どもが暴れているので来て欲しいと頼まれる。印刷物を持ったまま行ってみる。男の先生が男児を後ろから羽交い締めして廊下にころがっている。担任の先生は手の甲が血だらけだ。聞くと爪で何度も引っかかれたとの事だ。
 いくら暴れているといっても相手は小学生ではないか。校長室にでも連れていけばいいんですかと聞くと、下の教育相談室に連れて行って一人にすれば落ち着くと思うとの事。首根っこをつかまえて、引き立てる。自分の手にも爪を立てようとしたので、力を入れる。痛いよーと騒ぎ立てるが爪を立てる事は観念したようだ。相談室で馬乗りになり、文句があるなら顔を見て言えと迫る。目は合わせない。このままがいいのか、椅子に座る方がいいのか、好きな方を選べと迫る。椅子にすわると言うのですね。で、解放する。まったく、いやになる。
 相手は子どもではないか。言うことを聞かないならひっぱたけばいいと思うのだ。
体罰禁止、処分という連想があるのでしょうね。だったら、自分はどうなのだ。担任でもないし、その子の学年団に所属しているわけでもない。知らない男の先生に首根っこをつかまえられた、体罰されたと親に訴えられ、親が教育委員会にねじこんだら、処分されるのは自分ではないか。とんだダーティハリーですよ。汚れ仕事を押しつけられて、痛い目に合うのは自分と言うわけだ。でもそれもしょうがない。見て見ぬふりをするぐらいなら、この職をやめてガードマンでも新聞配達でもやるよ。
2006年3月26日 日曜日晴れ
 エクセルの自動シートを作る。名簿を冒頭のシートに貼り付けるだけで、各シートに自動挿入されるエクセルブックを作ったのですね。作っている内にどんどん熱くなってしまってえらいことになってしまった。連夜遅くまで起きて取り組むようになってしまった。で、完成したわけですが、なかなか便利な物ができたと自画自賛している所です。元教員の妻も驚いていたので、まんざらでもないかなと思ってます。
 今までエクセルの解説本を読んでも、結局事務処理ソフトなので、学校現場にどう生かすか、その応用が思いつかなかったわけだ。一番役に立ったのは、シート参照関数だ。これでシートが連動する仕組みがわかり、一気に創作意欲が沸いた。これまで一太郎の差込ファイルで作っていた物を全部エクセルでできるようにした。次はVLOOLUAP関数。これ自体は今までも使っていたのだけれど、今回電話連絡網、家庭訪問、教育相談枠などに応用できた。一つの引数に一つのセルしか返さないので、児童名と電話番号の二つのセルを返すにはどうしたらいいか、始めは二つのセルのデータを結合させて返す方法を取ったのだが、これではやはり手間が一つ多いよね。それで、出席番号を一つ打つだけで、二つのセルが返る方法を思いついた。コロンブスの卵と同じで、わかってみれば、なんて事はないのだけど、思いついたときはうれしかったね。
 エクセルはパソコンの醍醐味を味わせてくれた。プログラムに詳しい人が見たら、実にシンプルな物だと思うけど、学校現場に必要なのはこんなシンプルな物なのですよ。次は成績処理ソフトだ。一応作ってはあるのだけど、もっと実用的な物にして実際に4月から使ってみようかとも思っているわけです。

 一年生のクラス編制の処理を頼まれて、代行したわけだが、市教委から来ている名簿がカタカナ呼びなのだ。で、ひらがなに変換する方法を考えたのだが、わからない。ネットで調べたら、PHONETIC関数を使った簡単な方法があったので、試行する。で、だめ。一度貼り直したデーターは、認識しないようなのだ。そこで今度は、フリーソフトを見つけてそれでやる。だめ!なんたらかんたらをインストールしてないとだめと言うのだ。でも、カタカナをカタカナに変換?しただけなのに、これをPHONETIC関数が認識してくれた。で、前記の方法で一括変換できた。めでたし、めでたし。
 まったくパソコンとは、おじさんにとっては宇宙空間のようではあるが、しかし少しでもわかると随分と便利な世界ではある。昨日は、動かなくなって電源を抜いたままにしておいたパフォーマ575をいじる。電源を抜いておいてほったらかしにしておいた効果があったようだ。起動cdを認識するのですね。でもハードデスクを認識しない。やっぱりハードデスクは壊れたようだ。で、中古のマック用MOを外部ハードデスクとして認識するかどうかやってみた。スカジー接続したMOの電源を先に入れてマックを起動してみると、なんと認識してくれるではないか。漢字トーク7をインストールして無事復活。160MBだったハードデスクが640MBに巨大化する。今のMOは640MBでも小さい方だからね。昔のハードデスクが160MBでそれで充分動いていたのだから驚きだ。でも復活したからって、今さらこれで仕事に使えるわけでもないし、対応しているソフトは中古市場でも探すのは困難だろうよ。でも、うれしい。スカジー接続なので外部ハードデスクと言っても、結構速いしね。定年退職用に取っておくよ。

2006年5月10日水曜日曇り
 エクセルに取り組み始めたきっかけは、計算ゲームの答案を作るのに加齢と共に苦労しはじめたからですね。で、エクセルで自動計算できないかなと思ったわけです。うまくできたので、少しエクセルがおもしろいと思いました。後は、自治会の会計係になった時に相対参照と絶対参照、サムイフ関数などを勉強し、少し世界が広がった感じがしましたね。で、それでもう満足していたわけです。所が、今年の3月にいきなり担任事務処理ソフトなるものを無謀にも作り始め、一気にフリーソフト作者になってしまいました。と言っても実力は何も無い作者ですが、このエクセルシートはよくできたと我ながら感心しています。
 今勤務している小学校は集団登校をしているのですが、これをエクセルで管理しようとも思い始めて、抽出機能を使って簡単に処理できるようシステムを変え始めました。個人的には集団登校を学校が強制する事に反対なのですが、組織人としてはそうばかりも言ってられません。取りあえずベターな改善策を考えたのです。今まではアクセスでやっていたので、その自己研修もしました。で、アクセスが難しいという事もありますが、常に担当者が情報の更新を一人でやっているシステムに問題ありと考え、学級担任がエクセルで児童情報管理しているのを利用するシステムに変えようと模索したわけです。組織としてこの方向で進む事になりました。

 ところで、年来の要望が通ってパソコン係から外れる事になりました。気楽でいいわけですが、気がつくと何の主任でもなくなったわけです。この年で、学年リーダーでもなく、校務分掌のチーフでもないわけです。日頃の管理職との軋轢で干されたのかなとも思いますが、それはそれでいい事にしましょう。別に給料が減るわけでもないですからね。
 エクセルに夢中になって連日夜遅くまで取り組んでいたら、知恵熱というか体調を壊す。いまだに治らない。で、アルコール中毒をやめました。自宅に帰って缶ビールを一杯やるとほっとできるのですが、それをやめました。
 長年の飲酒と加齢により、肝機能が低下したのでしょうね。どうも翌朝酔いがぶり返す気がするのです。で、やめました。
 貧しい育ちですから、辛抱する力だけはいまだにりっぱなものですね。すっぱりとやめられました。
 まあ、翌日学校が無い金曜と土曜の夜だけはいいだろうと、自分に許可していますが、日曜から木曜まではイスラムの教えに従っています。

2006年5月23日 火曜日曇り
 小雨も心配されたので、今日の自転車教室はどうなる事やらと朝から同僚と電話で相談するなど、超勤実態が始まる。
 7時には学校の畑に立ち、風で巻き上がったマルチをスコップで埋め直すなどの作業をする。学校に一番に着いて、放送機器のチェックやライン引きである。
 その後クラスの子を連れて畑に行く。今日は追肥だ。牛乳パックを先日洗っておいたのだ。それに化成肥料を入れて持参する。
 ポップコーンやオクラなどにまいてあげました。
 自転車教室はなんとかできた。今日は6時間。男子トイレにうんこがころがっているという気持ちの悪い事件?もあり、その掃除などでまたくたびれる。
 放課後は、デジカメで撮った自転車教室の写真や動画を学校のホームページにアップする。ソニーのサイバーショットで35万画素で撮った動画だ。そのままでは、40メガバイト以上もある。これをアークソフトビデオインプレッションなるソフトで編集する。保存形式をWMVにすると、何と10分の1以下の3.2メガバイトにまで圧縮できた。
 画質もそこそこだし、これなら結構いいんじゃないのと自己満足する。
 今までMPEG形式で保存した物をアップした事もあったのだが、今回のやり方が一番サイズも小さいし、画質もいい。
 今後はこの方式で行こう。VGAサイズで撮った動画を、WMV形式に圧縮すると写りはいいし、サイズは小さい。しかも一つのソフトだけでできるので手間も大した物ではない。これがいいねえ。デジタルビデオでも同様にできるのだろうか。
 もっともデジカメ動画の手軽さを知ると、わざわざデジタルビデオを持ち出す気がしなくなるが。

2006年5月26日 金曜日曇り
 デジカメの動画を学校のホームページにアップする。メールサイズの物とベガサイズの物だ。撮ったデジカメの性能によるものだが、両方ともおもしろいと思った。写真では伝えられない臨場感というものが動画だとよく表現できる。今後はこれだなと確信した。教室でのモンシロチョウの旅立ちの瞬間やら、養蚕農家の見学での様子などだ。子どもの生き生きとした様子がよく出ていて、自分で見てもおもしろい。やっぱり、小学生はかわいいなあ。かわいくない場面も多々あるけど、やっぱりかわいいねえ。教師でいられる事の幸せを感じる一瞬である。

2006年5月29日 月曜日曇り
 家庭訪問である。先日スクーターがオイル漏れし、修理に出す。2万もした。でも、それでまた走れるようになったらいいか。家庭訪問では、家を探しながら走るので自転車が入れるような路地裏にでも自由に入れる原付スクーターは便利だ。
 ゴアテックスに身を包めば風も気にせず走れる。水のはった田んぼを見ながら走るのは実に爽快だった。機械という馬にまたがって自由に坂も平地も走る回れるのだから、雲に乗った孫悟空だね。
 訪問と言っても、家には上がらず玄関で挨拶するだけなので、気楽である。まあ、多少は憂鬱だがね。

2006年9月6日 水曜日雨
 給食時間に子どもを叱る。食器のお椀を突然トレイに叩きつけたからだ。理由はわからない。周囲の子に聞くがわからない。取りあえず後ろに立たせて懲戒したわけですね。興奮して泣いていたので、昼休み落ち着いてから反省文を書かせる。
 みんなが笑ったからだと言うのです。そのみんなに聞くが要領を得ない。
 まあ、大した理由は無いのでしょう。問題は、食事中の悪ふざけだ。

 ぼくが子どもの頃は、食事中にしゃべるな、黙って食べろとしつけられたものだ。
今思うに、食事に対してまじめにやれと言うことだったのでしょうな。
 貧しいから、出された物に真剣に向き合って一粒残さず食べなさい、粗末にするな、感謝の心を持てと言うことだったのでしょうよ。
 今、大声で笑い、叫び、時には突き飛ばしあって、いわば遊びながら食べている子を見ていると隔世の感がありますね。毎日、毎日残飯の山だ。遊びと食事が一緒になっている。子どもも大人も同じじゃないですか。

 給食の最後の5分は黙食をさせているのが、ぼくのささやかな抵抗です。

 5時間目は道徳の師範授業だった。大学付属のえらい先生の授業ですね。えらいと言ってもはるか年下であろう。その若い先生の授業を見て、正直不愉快だった。他の参観者の感想はわからないが、ぼくは不愉快だった。
 道徳だからか、価値項目の理屈っぽい授業だった。思いやりとは何か、親切とは何か、その違いはどこにあるのかと言うのですね。彼なりに考えのある所は指導案を読んでわかったが、それが普遍的に正当な考えとは思えなかった。一つの私見に過ぎない。それを後出しジャンケンのように、子どもなりに一生懸命に考えた意見に対して混ぜっ返すような切り返しで、そこが不愉快に感じた。
 子どもがグーを出すと、後からパーを出す。こんどは、考えてチョッキを出すと、後からグーを出すわけです。これでは、常に優位に立っているわけですよ。大人だから子どもに優位に立つのは当然の事のように思われるかも知れないが、ぼくらが子どもの代わりに授業を受けても、彼の優位性を崩すことはできないと思った。
 だって、後出しジャンケンなのだから。

 そんな理屈のこね回しより、大事に育てられた子どもは、他人を大切にしようと言う心情が働くのが自然なのです。愛を持って育てられた子は、他人に愛を注ごうとするのです。それは理屈ではない、理念から出発する行為ではない、人としての真実です。他人が幸せそうに微笑んだら、それを見て笑顔になるのが愛を持って育てられた人の心情なのですよ。自分を大切にする人が、他人を大切にできる、大切に育てられた人が、他人を大切に育てる事ができるのです。教材の逸話には、そういう人間の心情が描かれていた。それを読みほぐすだけで良かったのではないかと思った次第です。もっとも、この年で平教員の自分が何を言っても、世間的には通る所ではないのでしょう。世間的には彼の方が優秀な評価を得ているわけですからね。でも、王様が裸に見えるのだから裸と言って何が悪い。それで馬鹿呼ばわりされようが、ぼくは構わない。もう人生で恐い物は無いからね。

 このホームページでメールアドレスを公開しているのだが、それがこのご時世で仇となり、迷惑メールが山ほど来るようになった。で、ホットメールなる無料のメールにアドレスを変えてみた。吉と出るか凶と出るかわからないが、致し方のないところである。

2006年9月14日 木曜日雨
 体育館でわらび座のソーラン節を指導する。名人の子が何人も出てきて、ステージに上がらせて踊らせる。前回までは、4人とか二人で上がらせて踊らせていたのだが、今日は一人で踊らせる。これが実にうまいのだ。
「免許皆伝!」
思わず叫んでしまった。
全体的に見ても、よくしこが踏めるようになってきて、見ていて実に幸せな気持ちになれた。教師冥利に尽きる、至福の時であった。

 この所、朝、応援団員が教室に来る。応援指導をするわけですね。三三七拍子や、応援歌などの指導をするわけです。男の子が笛を吹いたり、大声を出してクラスの子をリードしてくれます。女の子はいっしょうけんめいポンポンをふって踊ってくれます。二人とも真剣です。でも気疲れするのでしょうね。合間合間にため息をついたりします。そのたびに二人で小声で何か声を掛け合っています。
 見ていて本当にほほえましい。この二人の子が大好きになってしまいました。
かわいいなあと思います。小学生って本当にかわいいです。かわいくない子もいますが、一皮むけばどの子もかわいいもんですよ。でもこの二人は別格。一皮むかなくても見るからにかわいいのですから。

2006年10月3日 火曜日曇
 運動会のビデオ編集をする。本校では伝統的に児童が撮影するのです。他校では結構教師が撮っていると思うのですけどね。でも、三脚を使うとそんなに遜色は無いです。ただ、子供なのでその子によって出来不出来はありますね。一応指導はするのですが、聞いてないというか、理解してないというか配慮のない撮影になってしまう結果になる事はあります。
 で、子供の撮影したビデオを自宅で編集しました。なんせ、もう古いパソコンなのでハードの残りは4ギガちょっとしかない。処理能力も低い。時々熱を持ってくたばるわけです。だから時間がかかるのですよ。半日ぐらいかかったかな。
 タイトルを入れ、特殊効果を入れて、不要な所はカットしてどの学年も6,7分程度に収めた。これを給食時間に放送するわけですね。子供は自分の踊る姿をテレビで見られるわけですから、結構喜びますね。
 これをムービメーカーにも取り込みます。ホームページ用ですね。標準だと毎秒15コマなので、高度タイプ毎秒30コマに圧縮します。これだとまあまあ見られるし、9メガ程度に収まります。自宅の1メガのADSLでも結構すいすい開きますので、まあ合格点かなと思います。いろいろ試行錯誤したのですが、結局この方法が一番良いと思いました。まわりに教えてくれる人もいないので、よく一人でここまでできるようになったなとは思います。
 今年は全学年この方法でアップしたので、ここ数年のアップの中では一番完成度の高い仕上がりになったと思います。

 今職場では教育相談の作成、印刷に忙しいのだが、自分の作った担任事務処理ソフトで作っている人が多い。結構これもうれしい物ですね。人の役に立っているというか、自己満足かも知れないが。

2007年1月31日 水曜日晴れ
 職員会議で私見を提案し、通る。
 今までサーバーが無かったので、各学年で作る文章はMOやFDで保管し、次の学年団に引き継いでいたのだが、それを廃止したのだ。理由は、サーバー上に保管した方が文章を共有化できる事と、後は個人情報保護のためですね。各学年が保管している個人情報とは、児童名簿ぐらいしかないのだが、これをエクセルで、しかも保存形式を統一し、「全学年名簿」の一つのファイルにするのだ。これをMOなり、FDに保存してなおかつ耐火金庫に入れる。転出入などの修正は各担任が行うが、保管、管理は情報係が行う。印刷が必要な場合も、係が一括して行う。これで、情報の一元化がなされるわけですね。
 後は保健関係の文書は、氏名印を各担任がそのつど押して作っていたのだが、自分の作った「担任事務処理ソフト」を養護教諭に活用してもらって、一括して印刷してもらうのだ。この方がエクセルがよくわからない各担任にそのつどやってもらうより負担が少ないと考えたわけですね。
 元来機械音痴の自分がこういう提案をするようになるとは、自分でも思いも寄らない事だ。でも、この方法がいいと思ったのでとりまとめてみたのです。

 自動車通勤をしているので、駐車場も私的に借りています。でもこの所原付スクーターで行くことが多い。理由は、学校に入る道が狭いのですよ。対向車が来るとすり抜けができない。まあ、雨の日は車で通っていますが、そうでない時は原付が楽です。この冬の寒さも風防を取り付けたら、結構楽になった。1万弱かかりましたが、胸元に来る寒風を考えれば安い買い物だったと思います。
 便利なだけじゃなく、原付はストレス解消にもなりますね。別に暴走しているわけじゃないが、夜の闇を切って川沿いに走るのは、生きている事を実感できます。自由を手に入れたというか、解放感でいっぱいになります。

2007130 火曜日晴れ

 自分が指導しているサッカークラブの6年生の男児が、出席を取るときに自分の番でもないのに「はい」「はい」と言うのである。教師へのからかいですね。何度か注意をするが、そっぽを向いたり、反抗的な態度で改まらない。月に2回ぐらいしかクラブの指導時間はないのですね。担任でもない自分が強い指導に出るのはためらいもあった。でも、大の大人が、しかも教師である自分がこうもからかわれていいのだろうか。それはこの子のためにも良くないのではないだろうかと意を決して強い指導に出る。強い指導と言っても、怒鳴っただけである。返事の仕方が悪いと言って、何回か返事を繰り返させた。それは押しつけである。でも、ひっぱたくとか、こづくとか、正座させるとかの実力行使はしなかったのだ。

 ところが保護者から体罰が行われたという抗議の電話がこの男児の担任にあったと言うのですね。それを担任が管理職に相談して、自分は勤務時間終了後、校長室にて30分以上尋問される。管理職としては、体罰があったという保護者からの電話があった以上尋問する必要はあるというのです。まあ、そりゃそうかもしれないが、電話一本でいきなり校長室で尋問というのは、普通の教師にとってはかなりのストレスになるのではないでしょうか。

 自分は憮然とした。こんな事で保護者に謝罪するなんて教育にならないと思ったし、仮にこれで首になる結果になったとしても、謝罪なんかするもんかと思った。裁判を自ら起こし争おうと思った。

 もっとも体罰という事実自体がないわけだから、そんな事態にはならなかったのだが、釈然としないわけですよ。

 毅然とした指導とか、いじめっ子には出席停止なんて言ったって、現場の体制はこんなものですよ。事なかれ主義にならざるを得ないでしょう。自分のような馬鹿教師はいずれ消え去るだけでしょう。


2007/2/9()

サッカークラブ。お灸を据えたのが随分効いたようだ。態度が悪くて叱られた6年が仕切ろうとするのが笑えるのだが、勝手に仕切るなと叱る。とにかく、気を付け、休めがちゃんとできるようになった。にやにや笑う奴はいなくなった。これが基本なんですね。 で、今日は指導に従うかどうかの試金石にしていた足乗せドリブルをやらせるのを、あまりに態度がいいので忘れてしまった。でも、ちゃんとゲームはやっているし、片づけもちゃんとやっているので良しとしよう。

 

 職員会議。また、終了後に校長室で叱責を受ける。

「おかしいんじゃないですか、こういうのは。職員会議で私が何か発言するたびに勤務時間が終了しているのにこうして呼び出して、あなたが意見を言うのはおかしいじゃないですか。会議の席で発言すれば済む事じゃないですか。」

 「他の者も、わたしが校長室に呼ばれている事を気にしていると思いますよ。」

と今回は抗議しておいた。

 事の発端は職員会議での採決にある。

 来年度から月曜に学年朝会を学期に一回以上行いましょうという提案である。そうすると、月曜の朝読書が削られる事になる。10分程度の学年朝会にどれほどの意義があるか、かつてそのような実践をやった経験もある自分には疑問もある提案だった。でもやる事に意義があるか、従来通りの実践が正しいかは、どちらが真理かはわからない事である。要は各自の教育観なり、教育の経験に基づいて集団で論議し、判断すれば良いことだ。

 提案事項について意見が分かれ、司会が

「では、決を採ってよろしいでしょうか。」

と全体の了承を得たのである。で、採決。原案に賛成の者、挙手で何人か手が上がり、驚いたことに校長も手を挙げたのである。管理職が一教員と同様に挙手に参加する事自体おかしいと思った。職員の意向を知りたいなら自分は黙って見るべきである。で、多数決の結果に同意できないなら、校長として責任を取る事を前提に自分の意見を押し通せばいいと思うのである。校長が原案賛成で挙手すれば、普通反対に挙手できないじゃないか。でも、反対に挙手する人が多かったのですね。そうしたら校長が原案の良さを長々とかつ強力に意見したのである。司会者はそれに押され、

「では、校長先生のおっしゃられる方向で決めてよろしいでしょうか。」

となったのですね。無理もない事である。

で、自分が

「それはおかしいじゃないですか。校長も同等に採決に参加しながら、自分の意見が通らなかったから、校長権限で押し通すというのはどういうことですか。私だって挙手するのは恐いのですよ。でも、意見を言えと言われるから正直に挙手したのじゃないですか。それを後でひっくり返すなら、これから先職員会議で職員は何も言えなくなる。みんな校長の顔色しか見なくなる。そんな会議でいいんですか。」

 その後、会議中校長は発言しなくなったのだ。苦虫を噛みつぶしたような表情で。

で、会議終了後、校長室に呼ばれたという次第である。

 

 校長の発言。

 私達は組織として動いているのですよ。(職員会議で校長の意見と異なる事を述べるのは組織を破壊するというのか。そんな硬直した組織なら雪印や不二家と同じではないか。)あなたの意見は影響力があるのです。あなたもわたしも消え去る(校長は今年定年を迎える)のですよ、若い人があなたに影響されているんです。2年団がわたしが話している時におしゃべりしていたが、そういうのがあなたが影響しているのですよ。(なんで2年団のおしゃべりまで自分の責任になるのだ。そんなに俺はえらいのか。それとも職員がだらけているとか、反抗的?なのは自分のせいだと言うのか。職員は十分すぎるくらい校長に従順だと自分は思っているがね。)

 

 地区研に参加しないとか、親睦会の宴会に参加しないとかそういうもの全部、あなたのやっている事が職場に影響をもたらしているのですよ。(そんな影響力は自分には無いよ。影響力があるのは、校長、あなたですよ。平の自分に何を言っているんですか。)

2007/3/4()

ずれ勤務だ。組合の了承も得てこの悪法がまかり通っている。7時半に勤務を開始したら、一時間その日か翌日か、あるいは適当な日に回復措置を取ればいいという制度だ。でも、労働者にとって、本来の勤務時間である8時半に勤務場所に着く事と、7時半に勤務を開始するのではまったく負担が違う。我が子の朝食はどうするのだ。保育所に預けている場合は、7時半以前に預かってくれるはずはないから、子どもはどうすればいいのだ。年に一回の運動会の時なら、それはしょうがない、なんとかやりくりせざるを得ないだろう。ところが、このずれ勤務が恒常化しようとしているのだ。

 集団登校のPTAの立ち番に教師も同行する事や、8時に日直が正門に立って挨拶する事までこのずれ勤務で行われようとしている。大体、回復措置を取るといったって、教師の多忙を極める勤務の中で実際には取れないのが実情なのである。

 これらの勤務が本来の教員の勤務なのか、そこが疑問である。教員は教育を司るのが仕事である。PTAの仕事は教員の勤務なのか、朝のあいさつ運動、正門の立ち番が勤務なのか、はなはだ疑問である。本来ボランティアに属する事だと思うがね。仮に勤務だとしたら、早朝手当などの対象となるべきではないか。それをずれ勤務は、ごまかしてしまうのである。まことに使用者にとって都合のいい制度である。労働者にとっては、納得できない制度だ。

 この事で校長と話し合う。制度として認められているので、当然の勤務だと校長は言うのだ。組織として勤めなくてはならない責務なのだとね。

 溝は大きいと思った。校長がそのような体験(保育所に通うなど)がなくても想像する事は可能だし、必要な事だと思うのだがね。

 校長にも腹が立ったが、何も発言しない同僚にも腹が立った。今の自分には保育所の問題はないし、ずれ勤務が困難な問題ではない。でも、最も弱い同僚の立場に立って職場を考えていくことが、お互いを思いやる事だと思うのだ。そういう努力や闘いをしないで、仲間だと言っても空々しい事だよ。

追記

 学校の安全のため、登校時に保安要員が必要なら、警備会社と契約して早朝立ち番してもらうなどの行政措置を取ればいいのではないか。ずれ勤務を利用して、教員に保安要員の仕事をさせるのはまちがいだと思う。殺されたのは、児童だけでなく、教員もである。教師は教えるプロであって、そっちの方面では素人なのですよ。なんでもかでも教員にさせるのは、貧困な発想だと思うね。

2007/3/5()強風、大荒れ

 担任は3年生だ。昨年5分しか勉強しないで、後の40分は教室の後ろで遊んでいいと担任から約束されているという男児を受け持つ事になった。そんな約束自体がおかしいだろうと思ってた。そんな約束を男児と取りながら、自分の学級経営はうまくいっている、その子の問題行動から他の子の学習権を守るために必要な措置だと強弁する同僚に不快感を持っていた。で、今年は自分の受け持ちの子だ。確かに問題行動はある子だが、とんでもない子ではなかった。今は普通に45分椅子に座って授業を受けてるし、掃除もまじめにやっている。笑顔はかわいいし、女の子にもやさしい面を見せるよい子だ。             

 問題なのは子どもではなく、事なかれ主義の大人の方にあるのだ。子どもに社会性を付けさせるためには、強制力も必要だ。今は何かと言うと体罰だ、暴力だ、人権侵害だと言われる。その結果、教室が荒れ、担任が無能扱いされる結果になっている。

「くそばばあ!」           

と悪態をつく子には、

「どの口がそういう事を言うのかな?」

とほっぺたをつねりあげればいいんです。それで処分されるなら、教師をやめればいいのです。もちろん黙って処分に応じるつもりはありませんが、首になるならなるで、しょうがないではありませんか。金のために頭を下げるなら、他の仕事でもいいじゃないですか。教師にこだわる必要はないですね。


2007年3月4日 日曜日晴れ
 パソコンルームの時間が週一時間配当されているのだが、有料コンテンツの英語と算数が結構人気があるのですね。子どもたちはパソコンルームに行くのを楽しみにしているようだ。それで、英語コンテンツは無理だが、算数コンテンツなら似たような物が作れるのではないかと思ってエクセルで作ってみた。IF関数を使うと計算結果に○×を返してくれるのですね。それを学校のホームページに掲載する。子どもたちが自分の作った計算ゲームで遊んでくれるのは、楽しいものですね。
 そのうち欲が出てきて、乱数関数を利用して自動で出題できるようにできないかとやってみたのだが、IF関数と両立しないのですね。マクロを組んだらうまくできたのだが、マクロファイルを学校のホームページに載せるのは迷いがあった。セキュリティが初期設定ではマクロを受け付けないし、警告を発するファイルを載せるのはどうもなあと思ったのである。なんとかマクロを使わないで関数だけでやる方法はないかとネット上を検索していたら、あったのですね。「インストラクターのネタ帳」です。条件付き書式設定を利用して、かつ計算を手動に変えるとできるのですね。おまけに乱数が重複しないようにするには、乱数関数にランク関数を加味すればいい事もわかった。
 100ます足し算の見本もあったので、ちょっと応用して引き算とかけ算の100ますゲームも作ってみた。本屋を探すよりネットを検索する方が便利だなあと思ったしだいです。今月の学研の教育雑誌に自分の「担任事務処理ソフト」も載るようだし、なんかパソコンづいているなあ。本当はパソコンの事はよくわかってないし、否定的なんですけどね。
 成績一覧表を大体作り終えたのだが、これも自作の「成績処理ソフト」を使ってできた。竹千代より便利だなと感じました。

2007年4月6日 金曜日晴れ
 昨日は入学式だった。緊張するというより楽しかったね。こんなおじさんが小学校の最前線で働けるという喜びの方が大きかった気がする。でも、ここまで来るには連日の超過勤務だった。入学式の準備よりも集団登校の班名簿作りの方に忙殺された。
 昨年までは、係が全校名簿を常に更新しそれを元に班名簿をプリントアウトしていたわけですね。学級担任の持っているエクセル名簿は直接には使われていなかったわけだ。理由は、班名や班番号が学級担任にまかせていると更新されなかったりして不正確だったからだろう。いわゆる二重帳簿のような状態だったわけだ。でもそうすると係の負担が大きく、なり手がいないという困った問題も出てきた。で、ぼくの方でいわゆる二重帳簿状態はやめて、各担任がしっかりエクセル名簿を更新して、みんなで名簿作りをしていこうという提案をしたのだ。で、まとめ役が当然のように自分に回ってきた。900人近い児童数、100以上もある班数、それらを一つの班名簿にまとめて、抽出、プリントアウトするという作業に取り組む。
 単に担任がデータを更新してないという問題だけでなく、データベースの根幹であるデータの不揃いという現実にぶつかる。まあ、班名が雑多なためしょうがないかなあとは思ったのだが。○○第一という地区名はあるのだが、その地区の班には第一という呼称は付かないのだ。これなんか今までのやり方に問題があるね。余計な地区名など付けない方が混乱しないのだ。○○第二とつける所を第2とつけただけで抽出できない。○○7aとつける所を07aとかa7とかつけているため、抽出できないとかね。こっちで対応できる所はしたが、各担任自体がそのところを認識しないと結局二重帳簿を係が作る結果になってしまう。全員にデータベースのルールを周知させる事は多忙を極め、かつエクセルの職場研修などほとんどなされていない学校現場において無理なことなのかなとも思えた。でも取りあえずできることはやって印刷にとりかかる。抽出してそのまま印刷では、体裁が悪いので、書式を作ってそれにコピー、ペーストする方法を作る。個人情報の関係で、地域に配る班名簿には電話は載せるが住所は載せないなどの配慮をしているからだ。そうすると抽出した名簿を地域配布用と学校保存用に二つに振り分けて印刷しないといけない。抽出、コピーペーストを二回、そして印刷ボタンを押す事になる。でもこれをずっとやっていくと時間はかかるし目はしょぼしょぼしてくる。マクロを組んで、マクロボタンを押せば一発で印刷できるように簡略化した。
 でなんとか一人で作業を終える事ができたが。初めての事でこっちにも混乱があり、作業に時間がかかりすぎた。まあ、来年はすんなりとできるとは思うが。でもぼくが移動したらだれがこの作業を受け継ぐのだろうね。データベースを整えたり、抽出したり、マクロを組んだりなんてどの教員もできる事ではないでしょう。難しい時代になったなあと思うわけです。
 同僚の先生に助けられながら入学式の準備も終え、新一年生を迎える。入学式の御祝いの言葉の連続で、担任に残された学級指導の時間はトイレ休憩を含めて20分しかなかった。この時間の中でおもらしをさせないようトイレをすませ、かつひとり一人の写真撮影をする。初めての出席を取り、保護者への挨拶、細々とした説明、お願いをする。綱渡りの20分だった。
 集団登校をやっていない学校もあるわけだから、やっている学校の職員の負担は実に大きいと思った。学校に来るまでは保護者の責任、学校で預かってからは学校の責任とどうしてこうすっきり責任分担ができないものかねえ。
 これから集団登校についての様々な事務作業や苦情、問題処理に係として対応する事になるのだろうなあと思った。でも名簿なんかなくても、班がなくてもこどもは歩いて登校してきているわけですよ。そう割り切らないと、ぼく自身がストレスで倒れる結果になるだろうと思います。がんばるんじゃなくて、筋を通して生きて、筋が通らない事は割り切るしかないでしょう。全知全能でもないし、八方美人になれるわけでもないからねえ。

 朝教室に行ったら、みんな行儀良く机にこじんまりと座っているのですね。まあ、考えてみると親から離れ、まわりの子は知らない、校舎は大きすぎてわからない、昇降口と教室とトイレしか動けないわけですね。頼りになるのは、きのう紹介された先生だけなわけだ。助けを求めるような目でこちらを見ている。かわいそうである。
 はやくはっちゃけて叱られるぐらいにならないと、かわいそうだと思ったしだいである。挨拶の仕方を教え、配布物を配り、もう下校の時間だ。集団下校のためのグループ作りに混乱する。点呼が取れない(呼んでも返事をしない子が多い)し、こっちも顔を覚えていない。列に並べないなどなどである。でもまあ、なんとか引率して下校させる。自分がこどもの頃は一人で帰っていたのだから、教室でさようならでもいいのではないかと思うのだが、世間が許さないのですね。

2007年4月30日 月曜日晴れ
 やっと一月がたった。子どもとのつき合いには、そう疲れたという事はないし、むしろ楽しい思い出となった。疲れたのは、校務分掌と学級事務である。
 朝7時から夕方7時まで連日12時間学校で働き、とうとう発熱してしまった。過労である。原因は児童名簿だ。集団登校の班名簿を作るために、各学年の名簿を合成し、全学年名簿を作る。でも、元データはまちがっていて正しくプリントアウトできないのですね。全学年名簿を訂正しても片手落ちだから、元データも訂正しないといけない。マクロを組んでいるので、印刷用のデータと3種類ぐらい同時に訂正しないといけないわけだ。神経を使ったよ。それでも元データは担任の責任によるものだからこっちが勝手に訂正できない。同意を求めながら作業するのだから時間も手間もかかるわけだ。自分も同じ学級担任なのに、自分が二三日でやるクラス名簿の訂正がいつまでたってもやってもらえないのにいらだったりして、ストレスがたまった。結局二回目の全学年名簿の作成、プリントアウトをしたのにもかかわらず、元データがまちがっていたため、結局正しい班名簿を印刷する事ができなかった。これにはがっかりしたよ。まあ、愚痴ってもしかたないので、その後もこまごまとした訂正を担任の要望により繰り返す。
 職員が多いと意思統一が難しいし、また上司でもない自分が指示する事の限界を感じたね。それで全学年名簿をサーバー上の金庫フォルダに入れて、そこで訂正するシステムになかば強引に持っていった。これなら更新の責任は担任になるし、パソコンの操作に不安な人は係の自分にお願いすればいいわけだ。いずれにしても元データは一つなので訂正、更新は楽だ。訂正されてない場合は担任の責任になるので、名簿の更新はしっかりとされていくのではないかと思うのだが、どうだろう。
 まあ、どうなるかはわからないことだが、これで今後はやっていく事にした。来年3月のクラス編制の時もサーバー内でやる事にした。こっちの方が楽だと思ったのですね。結局作業は自分が大半代行する事になるだろうからね。
 でもこう自分一人が取り仕切っていて、自分が移動する事になると困るだろうと思って2年目の教員を補佐に付けるよう要求した。要求が通ったので少しずつ仕事を移行している。若い人の方が学習能力が高いのだからすぐできるようになると思うよ。本来機械音痴の自分が、エクセルで学校の仕事を進めている事がおかしいね。

2007年8月12日 日曜日
 夏休みに入ってこのところ反戦、平和を訴えるドラマが続いている。
「かわいそうな象」のアニメや実写版、そう言えば「はだしのゲン」のテレビドラマ化が
初めてなされた。映画でも「夕凪の街」が大手の劇場で上映されている。NHKでも「鬼太郎が見た玉砕」や東京裁判のドキュメンタリー物が予定されている。
 これだけ、映画やテレビが反戦、平和をこの時期に合わせて企画、実行しているのに対して、実際に子どもの教育に携わっている学校はどうだろう。平和教育はひっそりと忘れさられたようだ。
 原因は政府自民党の平和教育敵視にある。安部総理の「美しい日本」は、平和教育を自虐史観として攻撃している。日本の子どもたちが自国の歴史に誇りを持てない教育だと攻撃しているのだ。
 考えてみると、公立学校の教師ほど日の丸、君が代に従順な職種の人はいないのではないだろうか。単に自分が従順なだけでなく、子どもたちに指導する責務を負わされているのだ。日の丸に直立し、君が代に大きく口をあけて、大声で歌うのである。こういう人たちが平和教育の担い手に成りうるわけがない。もちろん、権力による規制、弾圧はある。でもそれ以上に自主規制していると思える。指導要領にない平和教育、時の政府に敵視されている平和教育に無関心をよそおっているわけですね。もちろん、全国の同僚の中には弾圧を恐れず平和教育をやっている人もいるでしょう。でも自分の周りには日教組の組合員も含めてそのような雰囲気は無いのである。免許も10年で失効する事になり、昇給も管理職の評価で左右される時代となった。ますます、物言わぬ従順な職員の集団になる事と思える。この閉塞状況を打破する手立ては無いのだろうか。公務員の仕事とは、時の政府の意向に従うだけではない、やはり自己の良心に問うてみて行動する事ではないだろうか。

2007年11月1日 木曜日曇
 100マス計算の引き算がないのだ。有料コンテンツにね。足し算とかけ算はあるのだけど。で、自分が作って学校のホームページにアップしている100マス引き算を教室の児童にやらせる。一度にたくさんの子がアクセスして大丈夫かなと思ったが、杞憂だった。自分の作ったプログラムで子どもたちが学習する光景を想像する事も無かったが現実の物となる。100マスできた子は記念に合格場面をプリントアウトしてあげた。どの子もそれなりに喜んで学習してくれたので、教師冥利に尽きた時間だった。

 広報委員会の運動会ファイルをアップする。今年はパワーポイントで作らせているのだが、手書きの紙面を挿入したり、デジカメ写真を挿入したりして作成させている。一太郎スマイルでお絵かき中心で作らせるのと比較すると、こちらの方が指導が簡単である。お絵かき指導は習熟するのに結構な時間がかかるのだ。委員会の子なので、様々なクラスの子が集まる。正直な話、パソコンルームに連れて行ってもらってない子が多いのである。あってもネットで検索が中心なので、パソコンでお絵かきの経験が乏しい。これからは、パワーポイントで作らせるのがベストかなと思った次第だ。
 それでも、ファイルが未完な子も結構いたので、かなり手を加えてアップする結果にはなった。それは致し方ないことだろう。

 トライアングルナンバーに影響されて、自作の計算ゲームプログラムにそれを加味する。くり上がり、くり下がりの問題が無かったので、それは自作した。トライアングルナンバーの考え方が、問題作成でなく、視覚的に覚える事にあるため、そのような問題がないのかもしれない。たぶんそうなのでしょう。でも、教室で「見るだけ」で学習を組織するのは難しい。自分のやった手立ては実際的だと思うよ。
 やって良かったなと思った点は、丸付けが簡単にできる事だ。とにかく100マスの丸付けは無理である。無理を承知で今までやってきたが、もう目も老化しているし、100マスとはお別れだな。お別れと言えば、後二月で年を越える。55になるのだ。もう引退してもいいのではないだろうか。

 放課後、教室で「あのすばらしい愛をもう一度」をギターで弾き語りしていたら、隣の先生が来て、感激したと拍手してくれた。自分のために歌っているのだが、人を感激させる力なんて自分の歌にあるのだろうか。気恥ずかしく、不思議な思いをした一時だった。

2008年2月2日 土曜日晴れ
 「完食」という言葉は、変換では出て来ないねえ。まあ、辞書には無いという事でしょう。ところがこの言葉が今はやりだ。大食い選手権というテレビ番組の影響なのでしょう。学校給食でも、「完食」運動というのか、表彰されるわけですね。「完食」という言葉を教育現場で使う事には反対したのだが、食べ残しをしないとかいう表現でいいのではないかと思うのだがね。まあ、食べ残しが多いので
「完食」できたね、えらかったねえ
というような誉め言葉なのでしょう。確かに食べ残しは多い。食べ残しと言うより、まったく口にしない。以前食べておいしくないと思った物は、一口もつけずに食べ残す。
 がまんして一口だけでも食べなさいと指導しても、無視される。がんこというか、大人の指導を無視する、あるいは聞き流すところが今の子は多い。せっかく時間をかけて配膳したサラダが
そのまま食べ残しとして戻って来る。これには怒りを感じた。
 赤ちゃんは甘いものしか口にしない。にがいもの、辛いものを口にすると泣き出す。それが大人の働きかけで少しずつ、にがいもの、辛いものを受け付けてくる。人間はそうやって自然の中のいろんな物を食物として受け入れてきたんだよ。それが学習するという事なんだ。君たちも学習しないといけない、だから嫌いでも一口だけは口に入れないとまったく学習してない事なんだよと説教した。そうやっていろんな物をバランス良く食べる事で健康になれるし、将来自分の家を出ていろんな世界で生活する事になった時好き嫌い無く食べられる事が自分を救う事になるのだ。

 先生が子どもの頃は、戦争が終わって日本は貧しかった。給食には脱脂粉乳という物が出た。コッペパンだった。食べ残しなどする子はいなかった。食べ残しをする子を見た事がない。みんな貧しかったからだ。家に帰ってもおやつは、おこげのついた冷たいおにぎりか、煮干しの魚をそのままかじったものだった。冷蔵庫なんか家にないんだ。コンビニも無い。出された食事をすべてきれいに食べ尽くすのは、当たり前の事だった。
 それが今はどうだ。食べ残すのが当たり前の事となっている。毎日が食べ残しの山だ。毎日食べ物を捨てている。こんな国はおかしい、こんな子どもたちはおかしい。君たちはおかしいんだよ、こんな事当たり前の事じゃないんだ。

 説教していて、悲しくなってきた。どこまで通じたのかはわからないが、翌日の給食は、まったく口にしないで捨てられる物ははっきりと少なくなっていた。もちろん、がんこに口にしないで捨てる子もいたがね。

2008年4月20日 日曜日晴れ
 今年は4年生担任だ。年内に55になる。いつ引退してもおかしくない年となる。だから、教師という職業を楽しみたいと思っている。自分に出来ること、出来ないこともわかってきた。できる事をせいいっぱい、誠意を尽くしてがんばればいいと思う。それが子どものためになると思うし、自分の最後の生き様になると思う。
 鉄は熱いうちに打て。けだし名言である。学級開きの子どもの緊張感のあるときにルールをしっかり入れる事が肝要だ。順番を守ること、挨拶、返事、黙って人の話を聞くこと、それらをしっかり教え込む。鉛筆、箸の持ち方、歯みがきの仕方、雑巾の絞りかたまで細々と指導する。これが自分の仕事なのだろう。往復算もしっかり指導した。体育館での三色鬼も楽しんだ。この2週間で自分のクラスらしくなってきた。

2008年5月30日 金曜日小雨
 「座ってください。」「座りなさい。」「静かにしなさい。」「静かにしてください。」
次第に声は大きくなってくるし、同じ注意の言葉が繰り返されている。でも、教室の中の喧噪は相変わらずだし、むしろいっそう激しくなっているようだ。廊下を歩くと、嫌でも聞こえてくるのだ。今の子は大人への恐怖心が無い。聞き流している。あるいはわざと教師の神経を逆撫でるような事をする。へっちゃらなのである。でも、教師は授業を進めなくてはならない。喧噪の中で自分の指導を通そうとすると勢い声は大きくならざるを得ない。子どもたちは喧噪の中で教師の声を聞き、授業は進行していくのだ。
 でも、教師を無視し、立ち歩き、大声でしゃべる子に教師が耐えきれなくなると、
「校長先生に叱ってもらいます。」
とその子を教室外に引きずり出すはめとなる。でも、子どもは素直については行かないし、女の先生に引きずり出す腕力も気力もないとすると、男の先生が呼ばれるはめとなる。自分におはちが回ってくるのだね。
 でも体罰は禁止されているのですよ。力の指導は忌み嫌われているのです。大声で叱責するのは、無策だと言われているのです。小さな声でその子の背後からささやくように指導するのが技術だと言われているのです。だのになぜ、最後は男の先生になるのか。実に不条理な世界である。
 先日は知らない子どもに
「先生けんかです。」
と呼ばれる。昇降口で大暴れしている。自分が行くと静かになったので、担任を呼びまかせる。ところが自分が離れてからまた大暴れである。昇降口にある靴を片っ端から壁に叩きつけている。自分はああいう荒れは、させない方がいいと思うのだ。自分が荒れて、だれもそれを押さえられないという行為を体験させない方がいい。そういう学習をさせない方がいいのだ。でも、担任は忍耐強くそれを見ているのだね。
荒れが治まるのを待つのが指導だと考えているのだろう。子どもに寄り添っていると考えているのだろうね。指導観の相違である。自分なら、首根っこを押さえつけてやめさせる。でもそういう行為は体罰として禁止されているのだよ。
 実に不条理な世界である。

2008年6月12日 木曜日雨
 10年で免許が失効するという教員免許特別法について説明が管理職からあった。
来年から先取りの研修が始まるそうだ。でも、昭和30年4月1日より前の年寄りには関係の無い制度だそうだ。研修の対象外なんだね、ぼくは。お気楽だけど、寂しい。対象外という言葉は、あんたらに研修を施しても意味無いからねと言われているに等しい。後期高齢者医療制度に通じる物があると思ったね。

 さてお払い箱の身分の教員にとって、この頃痛感するのは、子どもの荒れである。
学校の荒れと言っていいと思う。今の子どもは、大人に対する恐怖感が無い。悪く言うとなめている。だから、叱られても怒られても全然恐くないし、平気なのである。教師の指導が気に入らなかったら、
「くそばばあ!」
と怒鳴るわけである。こどもの感覚としてそれは自然な事のようだ。
 挨拶にしたってそうだ。挨拶なんて面倒。だから教師や大人に「おはようございます」と言われたって無視して平気なんだね。それで叱られるわけでもないしね。
 ぼくが子どもの頃は大人は恐かった。教師は別格である。だから使えない敬語も使ったし、挨拶なんて当然。廊下ですれちがう時は、お辞儀するのは当たり前の事だった。今の子は
「先生ちょっと、、ちょっと。」
と平気で手招きするが、そんな事は考えられなかった。だから先生にちょっと注意されただけで、深く反省したものだ。教師は楽だっただろうね。
 今の先生は大変。今の学校は指導が通らない。掃除時間がその典型だね。授業参観じゃなくて掃除時間に学校に来るとよくわかると思うよ。

 どうしてこんな世の中になったんだろう。今の子は箸が持てない子が多い。親の強制力、しつけ力が無い証拠である。親子がなあなあの関係にある。その延長が学校生活となる。体罰なんてもっての他。子どもが大人を教師をなめきっている。そしてそういう子が大人になり、親になっていくのだ。社会がゆっくりと崩壊していくのを感じる。今日も、
「あ、○○先生だ。」「こわい先生だよ。」
と自分を指さして通り過ぎていった。
いいんだ。これで。後期高齢者教師である。研修の対象外である。自己の信念に殉じるだけだ。後何年、いや後何ヶ月かはわからないが。

2008年6月17日火曜曇
 昨日は初めての水泳。水泳の約束、安全指導の話を聞かないと水泳学習は行えませんと宣言する。このまま友だちとおしゃべりするか、説明を聞いて水泳学習に参加するか好きな方を選びなさいと言ったら、ぴたっと静かになった。別に脅しで言っているわけではないのである。本当にそう思っているのだ、自分の場合。しゃべる子が不特定多数なら全体を入らせなかったかもしれないし、一部の子だけならその子に責任を取らせる事になったかもしれない。その事で教師としての指導力不足が問われるのなら、その責任は取る覚悟でやっている事なのだ。教育技術ではない、自己の信念である。
 水温24度、気温28度で寒かった。3千円で買った水泳の上着のせいだろうか、すっかり身体が冷える。がたがた震えが止まらなくなる。めまいまでしてきた。プールサイドで倒れるかと思った。でもなんとか持ちこたえた。急いで着替えて教室に向かう。案の定教師がいないので、無法地帯だ。自分のクラスの給食の世話をしながら、他のクラスの様子を見る。端のクラスの男の子が教室の前のロッカーに乗って上の天窓から覗こうとしている。女子が着替えている教室なのだ。でも、覗いているかどうかは証拠が無い。だがロッカーに仁王立ちになったのは間違いない事なので、なぜ乗ったと詰問する。自分のクラスも見なくてはいけないし、他のクラスでも男子がドアを開けるとかなんとかトラブルが起きている。ここでこの子ともめているわけにはいかない。取りあえず首根っこを押さえて、自分のクラスまで連れてきて黒板の前で正座させる。説諭は後で暇になってからだ。給食の準備が子どもたちだけで回るようになってきたので、説諭する。すなおにあやまったので解放した。まったく好き放題の事をする。
 給食後の昼休み。今日はスポーツテストのライン引きをしてあるので、校庭での遊びは禁止という放送がある。で、教室や図書室で静かに遊ぶように指示する。ところが、上履きのまま鬼ごっこを始める。廊下から昇降口を出て、中庭を突っ切っている。ちゅうちょなくやっている所を見ると、常習者だろう。これまた、首根っこを押さえて取り押さえるはめとなる。5人もいたので、手に余る。まったく、学校のルールとか教師の指導とかそんなもの眼中にないというかなめきっている。恐い物知らずである。見つからなきゃいい、見つかったってどうってことないという事なのだろう。こんな事していいのかなという不安感とか、こんなことしたら、罰が当たるとかそういう恐怖感が無いのだ。学校は今や遊園地と同じである。おもしろい事はルール無視でやる、つまらない事はてこでもやらない、ごねる、荒れる、それで自分のわがままを押し通して生活してきているのだ。だから自分のような教師が出てくるとびっくりするわけである。
2008年8月1日曇り
 夏休みだ。夏期休暇は5日。帰省で消化してしまった。後は毎日子供のいない学校へ通うだけだ。朝の8時半から夕方の5時15分まで、教室の掃除やパソコンルームの掃除、校内研究会の指導案の作成、運動会の表現の練習などで過ごす事となる。それにしても40日は長い。年休を消化すればいいのだろうけど、何があるかわからないからねえ、この年となると。
 人間、暇になると反省するわけです。思い出すにそれは特別支援教育の弊害だ。
各学校に支援教育のコーディネータ(英語はやめて欲しいなあ)を置いて、問題児の指導に悩む担任をサポートするわけです。個人ではなく、チームとして対処しましょう、個人のニーズ(英語はやめて欲しいなあ)に応じた教育を施しましょうという、まことに結構な大義名分なわけです。でも、絵にかいたモチだ。なんせ金も人も寄こさないのだから。
「くそばばあ!」
と悪態をついて指導に従わない問題児を抱えた担任は指導放棄するわけですよ。気持ちはわかります。で、問題児はどこに行くかというと廊下に出たり、保健室に行ったり、校長室、学習室に行くわけです。その間静かになった教室で授業が進むわけですね。行った切りならいいのだけど、この問題児が廊下に出たり、教室に入ったりを自由に繰り返すと、他の子も影響を受けて問題行動の輪を広げる結果となる。そうすると全校支援となる。つまり空き時間の教師が入れ替わり立ち替わり廊下に出ている問題児のクールダウン(英語はやめて欲しいなあ)に付き合わされるわけです。でも担任の言う事も聞かないこの手合いが素直に聞くわけないでしょう。
「お前は関係ないだろ」
とか、
「くそばばあ、あっちへ行け」
となるわけです。修羅場ですよ。
 ぼくは担任がやはり問題児と格闘すべきだと思う。その間留守になった教室の自習体制を空き時間の教師が見るのならいいのですよ。問題児は担任と格闘する中で信頼関係が築ける。でも、そうはならないのですね。
もともと信頼関係が崩れているわけだから、担任も問題児の指導から逃げているし、問題児も担任から逃げているわけです。逃げている間教室で授業が進んでいるわけだから、ますます疎外感に苛まれる。他の子だって同じです。あいつは勝手気ままにやっているのになんでおれらだけ教室に縛られなきゃいけないんだってやつですね。
 だから支援教育はだめなんです。
 担任が問題児と格闘するためには、武器を与えなきゃいけないんです。懲戒権ですよ。出席停止とかね、権限を与えるのです。
「くそばばあ」
と悪態をついてはなから指導を拒否する手合いは出席停止です。そうすりゃ、親子共々反省して担任の指導に耳を傾けるようになりますって。物の道理じゃないですか。

2008年8月16日 土曜日晴れ
 夏休みも後二週間だ。連日子供もいない学校へ通い、わけもなく疲れる。午前中は、植物の水やりや、運動会の表現の踊りの練習を体育館で一人やる。どっと汗が噴き出て汗だくとなる。これはこれで結構気持ちのいいものなのだが、なんせ脳梗塞世代なのでいつまでも一人で体育館で汗だくになっているのも危険だ。適当に切り上げて今度は職員室にこもってパソコンに取り組む。エクセルの活躍である。一学期に取っておいた走力のデーターや、身長のデーターで並び替えを行う。なんせ160名近くのデーターを各色の組別にしたり、走者のコース別に並べ替えるのだから手作業では大変だし、まちがう可能性も高くなる。エクセルって便利だなと思う瞬間である。でもこんな作業を日常的にやっている仕事じゃないわけだからそれなりに手間取るわけですよ。冷房は効いていて気が付くとすっかり体が冷えてしまっている。パソコンで作る書類はそれにとどまらず自然教室のしおりや申請書類、公開授業案など山のようにある。連日これを繰り返していたら、夏かぜをひいてしまった。これじゃなんのための夏休みなのかわからなくなってしまう。年休を行使しようと思い立つ。
 夏休みといっても女房は自立している。自分の生活のスタイルという物をここ数年の専業主婦の中でしっかり作っているのだ。太極拳とか畑仕事とか、ボランティア活動とかね。そこに割り込むわけにもいかない。こどもはもう大きいし、父親とどっかに出かけるという対象ではないしね。一人遊びになるわけだ。
 幸運な事に車で5分ぐらいの所に森林公園があるのだ。ここで汗を流したり、木漏れ日を楽しんだりしていると、あっという間に半日は過ぎてしまう。山の中では、ぼうーと過ごすというか瞑想というか妄想というかそういう過ごし方もいいし、携帯ラジオを聴くのもいい。文庫本を持って行って読むのもいいかなと思うが、これはやった事がない。木の葉の緑やそよ風、鳥や虫の鳴き声などの刺激が心地良いものだから、自分の場合、読書には向いてないと思う。
 原付スクーターで川沿いに走るのもいいし、プールで泳ぐのもいい。ギターの弾き語りもいい。もちろん昼寝もね。一人で結構遊べるものだ。自分の場合、暇つぶしは一人の方がやりやすいね。
 同僚と夜の街で飲む事もなくなったし、つきあいのゴルフもやらなくなった。(もっとも大してやっていたわけではないが)職場での遊び友達はいないしね。いつ退職してもその方面で寂しい思いをする可能性はないわけだ。来週は平日の昼間、都内の美術館巡りでもしようかと思っている。人が働いている時、優雅に過ごすのも悪くないね。
 退職か首になったら、散歩か読書で日がな過ごす事になるのかなあ。もう宮仕えはいやだし。でも金がなかったら背に腹は代えられないわけだからなんとしてでも働く事になるのかなあ。ホームレスでもいいから、もう宮仕えはいやだね。ホームのあるホームレスのような貧しい暮らしをすればいいのかな。
 ここからは妄想じみてくるが、例えば世間づきあいを一切こっちの方からやめてしまう。まあ今でも半分はそういう暮らしぶりなのだが、もっと徹底するのである。自治会も体育振興委員もやめよう、冠婚葬祭一切やらない。募金や寄付の類も一切やめる。車も手放し、原付ですべての買い物を済ます。服は買わない、外食はしない。もっとも今でもジャージに弁当が中心なのだからそう変わらないか。でも、徹底するのですよ。とにかく現金は払わない、これに意識を徹底するわけですね。
 食いものはどうするか。食わないわけには生物学的に無理だからね。幸い畑はあるから、芋を植えて代用食とする。ホームレスの方々がコンビニの捨てられた弁当を漁る事を考えれば、自分の作った芋を食するのは大変な贅沢である。文句いう筋合いではない。これでなんとかなるか。でも無理だなあ。家族がいるからなあ。家族の手前、ここまで徹底はできないでしょう。やっぱ妄想だね。

2008年9月11日 木曜日晴れ
 研究授業をやる。「一つの花」だ。自分としてはごく普通の国語の授業だったのだが、学年の同僚が
「物語の読解をやるなら一読法でやるとおもしろいよ」
という自分の提案に同意したので、物議になったようだ。
でもそんなに大したことだろうか。
今の教員は権力に従順である。もともと反共的だった日教組が文部省と和解してからまったく御用組合となった感がある。だから全体的に権力に対して従順なのですよ。
フィンランドの教育がどうのこうのと人気を博しているようだが、日本の教員が一番気にしているのは文部省の意向です。研究授業と言ったって答えはすでに決まっているのです。指導主事の言う事が答えだし、指導要領が解答書と決まっているのですよ。だから自分に言わせれば、研究という言葉に値しないわけです。国語の授業の流し方にしたって、通読、精読、味読という三読法が国是となっていて、これに異議を申し立てる者はいないわけですよ。自分も子供のころからこの三読法に慣れていたし、だから国語の授業はおもしろくなかったと思うのだが、教員になった当初はこの方法で授業を流していたのです。それが民間教育サークルの自主的活動の中で一読法というごく自然な読書法を知ってから、三読法に別れを告げたわけですね。

 学校教育の中で読書の教育的意義が強調されているのは、脳の活性化につながるからですね。テレビや映画は受動的に見るしかないのですよ。それに対して読書は、読み手の感性に従って立ち止まり、感動し、想像し、物語の展開を予想する所に主体的に関われる優位性があるわけですよ。だとしたら、物語をいくつかの場面に分けてそのつど立ち止まり、子供たちの読み取りを書き込んだり、討議したりして授業を展開する一読法はごく自然な読書法なのです。別に目新しい方法でもないし、しちめんどうくさい理論を要するわけでもないのです。
それに対して三読法はテレビや映画でもないのに、物語を最初から最後まで一気に読み切る事を児童に強制するのです。途中で立ち止まったり、想像したり、感動したりする暇を与えず、教師の朗読などの形で一気に読み終えてしまうのですよ。その後、学習課題を考えさせ、その課題を解決する形で授業が展開していくのです。実に理屈っぽい読書形態と言えます。読書の楽しさを最初から奪い取ってしまって、物語をお勉強の道具にしてしまうのですね。だからつまらない読書法なのです。こんな読書をしている人はいないって。学校の中だけの事。国語の授業だけの話なんですよ、こんな読書法は。だのにこんな特殊な読書法がいつまでも、全国どこでも共通の国語の授業スタイルになっていて、それに異議を唱える教員が出てこないのは、日本の教育がどれだけ文部省の意向の下、指導要領の下で行われているかってことなんですね。
 権力の意向を気にせずに、自分の感性や子供の反応だけを考えて授業を展開していけば全部とは言わないが多くの教員が一読法のスタイルを採用すると思います。少なくても半々にはなるでしょう。それが自分のような教員しかやらないという所に、この国の教育の悲劇というか異常性を感じます。教育が権力志向の犠牲になっている証拠でしょう。

2008年9月20日 土曜日曇り
 早いところでは、今日運動会の学校もあるそうだ。台風が日本列島を縦断して大変な時期にやる事になって同情を禁じ得ない。もともとは体育の日の前後に運動会が行われていたので秋空高く澄み渡っていたのだが、どこもここも9月にやるようになってから台風に遭遇される悲劇が繰り返されている。
 運動会の練習で学年全体を指導することが多くなり、いわゆる問題児を叱り飛ばす機会もおのずと多くなってしまった。馬鹿教師の信念岩をも通すで、実に静かに話を聞く学年に姿を変えてしまった。これは表面上の変化だと思うが、表面だろうがなんだろうが静かにできた事は指導の結果、成果なのですよ。別に自慢で言っているわけではない、プロとして働いたというだけのことです。
 これができない教師が多いのです。原因は、教師に叱る権限を与えていないことだ。
 今の叱り方の一般的技術とは、みんなの前で叱らない、個別に、別室で本人に恥をかかせないよう説諭することなんですね。これがおかしい。まちがっているとぼくは思う。まあ、暴れていて抑えが効かないなどの理由で、保健室や、校長室に隔離することになるのだが、これがおかしい、まちがっているとぼくは思うわけだ。
 暴れようが何しようが、クラスの受け持ちの子なのです。ぼくなら自分の教室の中で固まらせます。泣きたきゃ泣けばいいのです。自席で好きなだけ泣かせます。好きなだけ固まらせます。ただし、友達や教師に対する暴力や暴言は力で抑えつけます。そうすれば相手は小学生です。よっぽどの事情がなければ抑えは効きますよ。できなきゃ、保護者に家に連れて帰ってもらえばいいのです。
 で、問題はそれを見ている他の子なんですね。先生に叱られてかわいそう、かもしれないし、先生に叱られて当然だと感じるかもしれない。どっちだっていいんです。要は叱られていることを集団として共有すればいいのです。同じ空間の中で叱られたり、ほめられたりしている間は疎外されていないのです。仲間でいられるのです。ここが大事な所なのです。それを隔離するからいけないのですよ。集団から引き離すから疎外感が生まれ、後の指導がこじれる事になる。
 この辺の指導観の問題、指導技術、教師の懲戒の権限、これらがおかしくなっていると思いますね。教育界の体制の問題でしょう。現場の教師だけの責任では無いとは思う。でも現場の教師に勇気が無いとも感じるこの頃ですね。
 ベテランとか、若手だとかの問題ではない。だって、ぼくは若いころからこういう指導をしていたからね。やはり、教育観の問題ではないだろうか。後は首になる事を恐れないこと。体を張って事に当たることだね。覚悟のある指導がどうかだろうよ。それは子供にも保護者にも伝わる。伝わらなきゃ、やめればいいのですよ。金のためだけに働くのなら、教師にこだわる必要はないわけだ。別の人生を歩む方が自分にも子供にもいいんじゃないのかな。それをことなかれ主義で仕事をしているから、学級崩壊やいじめ、不登校があるとも思うよ。教師だけの責任ではないけどね。教師個人にも責任の一端はある、当然じゃないでしょうか。

 自分のクラスじゃないから、無視している所もあるのだけど、教師に悪態をついたり、授業をエスケープしている子を見ると、どうしてこういう子を出席停止する権限を現場に与えないのか歯ぎしりする思いです。自分の受け持ちの子になったら、自分が首になるか、この子が不登校になるかどっちになるかぐらいの覚悟で指導に当たります。こういう子は十中八九、すなおになります。自分の経験からいって。そうならなかったら、自分が首になるだけのことですよ。それぐらいの覚悟が同僚にも欲しいのです。

2009年1月5日 月曜日晴れ
 年早々年休を取り、山歩きを楽しむ。子供のいない学校に行ったって待っているのは、新しい指導要領に沿った年間計画や校内研究の作文だ。こんなもの、どう書いたって結局指導主事の言うように書かなきゃ書き直しになるんだよ。早回りして書くのにエネルギー注ぐより山を見る方がずっと教員の精神衛生にいいからね。
 膝が痛い、首が悪い、腰が変だ、どこかが治ってもまた別のところが痛む。今は口内炎だね。満身創痍で残りの人生を闘うしかないのだ。
 今年の抱負だ。定年まであと5年。先の無い教員人生だ。失うものは何もない。全力でがんばるだけだ。今の公立小学校の最大の欠点は、事なかれ主義だ。生きる力を養うなんてえらそうなことを言っているが、どれだけ本気でやっているか、口先だけだと思うね。子供の自主性を尊重するなんていう総合科的視点なんて捨てるべきだ。大人として教えないといけない知識、倫理観を断固として教え抜くという視点がないんだ。こどものわがままや保護者の無理難題に迎合し教えるべき事を徹底していない。あいさつ、礼儀、基礎的学力これらは、こどもの自主性や個性を尊重することとは別の事柄である。教え抜くことなのだ。これをごまかす方便として自主性や個性という言葉が使われている。目の前のこどもたちをなんとか一年無事送り出せば安泰というサラリーマン意識がだめだ。首になろうが、体罰教師と呼ばれようが悪い事は悪い、叱る事は叱るという断固とした姿勢が無い。これは教育委員会の指導が原因である。こんな役に立たない役所は廃止して直接行政が教育に当たった方が地方分権という観点からいっても直接民主主義に合致する。文科省の天下り機関にすぎない教育委員会など税金の無駄である。教育委員や指導主事に回す給料を現場に回すべきだ。パソコンなんていらない。教室の子供たちの机、椅子を見てみろ。ボロボロである。どんな貧しい家庭でもこんな机や椅子が家にある子はいないと思うよ。写真に撮ってこのホームページで告発してやろうか。給食費を払えない子が毎年いる。そりゃあ、親の問題もあるかもしれない。でも子供には関係ないだろう。その子どもに集金を促さなきゃいけないのが教育的じゃないて言っているんだ。戦後64年目になるのにどうしていまだに給食費や教材費や遠足費を集金しないといけないんだ。米軍に思いやり予算を組む前に自国の子供に思いやれっていうんだよ。


2009年2月11日 水曜日曇り
 ぼくのクラスでは週一回図書室で読書をさせている。これは図書室の配当が週一回あるためだが、以前校長から一時間読書指導をするような年間計画は国語にあるはずがないという叱責というか指導を受けた事がある。まあ、聞き流すというか無視しているわけだが、国語でなくて総合と週案(一週間の時間ごとの指導内容を書いて管理職に提出する文書)に書いても、そんな子供の自主性から出発しない時間はあり得ないと叱責というか指導があるだろうねえ。いずれにしろ、公的には認められないわけだ。でも子供は楽しみにしているし、教師によっては引率もしないで子供だけ配当時間でもないのに寄こしている場合もある。そんときは、担任でもない自分が静かにしろなんて余計な指導をしなくちゃならないはめとなる。教室で何をやっているのかねえ。こういう手合いが時々教師にいるのだよ。教室で学級事務を取っていて子供たちだけ校庭に放してしまうとかね。当然、体育の指導をしている教師は大いに迷惑するわけだ。話が横にそれてしまった。そういう手合いの話ではなくて、ぼくのクラスが実に静かに読書をしている話なのだ。
「このお話おもしろいよねえ。」
「ほんと、そうだね。」
なんていう子供同士のつぶやきぐらい認めてあげてもいいかなとも思うのだが、認めません。なんせ40人もいるのだから、認めると収拾がつかなくなる。
「おしゃべり禁止!」
「一人一冊本を読むこと!」(友達と一つの本をワイワイ楽しく読む事は禁止という意味です)
などと指導するわけです。でも子供のことだから言っても聞かない事が当たり前。
そんときは、教室内に立たせます。そうすると静かになります。それこそ、一言もきかず読書します。じゃ、なんでその子たちは黙ってぼくの指導を受け入れるかと言うと、その次に控えているのがげんこつだという事を知っているからですね。
これが他の担任と違うところだと思うのです。いくら騒いでもげんこつなんてないとわかっていると、子供は言う事は聞かないです。
だから、体罰は必要だとぼくは思います。大人相手にいくら相手が犯罪者だからといって、罰としてげんこつをくらわすのは、法治国家として認められないでしょう。でも、相手は大人じゃないんです。理屈のわからない、まだ人格の完成されてない、しつける対象の子どもなんです。口で言ってきかないならげんこつで当然じゃないかと思うのですよ。ところが、これが公的には一切認められないのです。体罰厳禁、子供にけがをさせなくても教師は懲戒処分ですよ。だからぼくは、読書指導ひとつとっても首をかけて指導しているわけなんです。
定年まであと5年。ぼくの体力もそうだが、首が持ちそうにもないのですよ。

2009年2月27日 金曜日雨
 いやー驚いたというか、あきれちゃったというか。
 夕方の打ち合わせで、親睦会の幹事長から今後は職場のお茶の葉代を支払いたいという提案がある。なんでそんな事を言うのかと質問したら、教頭の方から学校の茶葉は、来賓用のもので職員用ではないと言うのだね。つまり、福利厚生費ではないというのだ。でも、自分は30年間用務員さんが入れてくれたお茶を朝いただいて来たので、
「じゃ、勤務時間内に用務員がお茶を入れているのは、あれは勤務じゃなくボランティア行為なのですか?」
と聞いてみた。はっきりした返答は無かったがそういう事になるらしい。だったら、明日から校長も教頭も朝、自分でお茶を入れろよな。
「ぼくは親睦会に入っていないので、明日からお茶はいりません。」
と宣言しておいた。来週からは、用務員さんにまず
「あなたのやっている事は勤務じゃなく、ボランティアなのでぼくの分はいりません。
第一お茶葉代を支払っていないぼくには飲む権利がないので入れないでください。」
と断る。用務員に預けている湯呑は引き上げて、物理的にお茶を入れられないようにしておく。その方が用務員さんも気が楽になるだろうからね。
 この土日に自分用の急須と茶の葉を購入して学校に持ち込むか、朝、水筒にお茶を入れて持ち込むか、いずれかにするようだ。
 まあ、その方がさっぱりしていいってもんだ。

2009年3月6日 金曜日雨
 学校に寄贈された木を植樹するために、腰を痛める。もともと腰痛持ちなのに、つるはしとスコップの穴掘り作業は疲れたね。
 お茶の件は、水筒を購入して持って行く事にした。象印1980円、0.8リットル入りの魔法瓶だ。今は魔法瓶なんていうのかねえ。昔はガラスだったので、瓶だったのだが、今はステンレスだからね、瓶とは言えないだろう。考えて見ると湯を沸かすのにもガス代がいるし、茶葉を捨てるにもコストがかかるだろうからねえ。水筒持参なら水も光熱費もすべて自前だ。文句を言われる筋合いはどこにもないからね。職員用にはお茶は無いのだと言い張るなら、お湯を沸かすのも茶葉をゴミとして捨てるのも公私混同だろう。

2009年5月6日 水曜日雨
 新しい職場に移動してやっと4月が終わった。4月を超えるまでが一騒動だと思っていたのでなんとかなったという感じだ。連休も今日で終わり。明日から通常勤務だ。
 何といっても新しい職場というのは苦労が多い。学校によってやり方が違うし、物がどこにあるのかもわからないし、一々聞かないといけない。人脈もないから人の名前も覚えないといけない。まあ、この年まで働いてきたから、けっこう顔見知りの教員も多かったので、まったくの新人のような不安感はなかったが、新しい環境に慣れるのは大変である。ベテランとはいえ、こちらは孤高の人である。結局離任式には出ず、親睦会にも参加せず、とんだ変人、奇人が来たと思われているのだろう。でも致し方ない。自分の人生である。嫌なものは嫌だし、自分の生き方を貫くだけだ。それにしても新しい環境に適応するだけではおもしろくない。学校に行くのが楽しくないのだ。なんとなく、毎日不安感がある。
 ギターの弾き語り、鬼ごっこ、図書室での読書、パソコンルームでの学習など、変化のある生活と往復算に音読、漢字練習など規律ある生活もないまぜにして、楽しくかつ有意義な生活が子どもも自分も送れるよう工夫してきた。
 どこの学校、どこの学年、どこの教室にも大人を大人とも思わない傍若無人な子がいるものだが、ご多分にもれずそういう子がいた。言葉の指導では逆らうだけで従わないのだ。しかたないので、力で押さえつける。でもぶったり、けったりはしてないが、首根っこを押さえつけたので体罰と言われれば体罰である。功を奏したのか、今では素直な面も見せてきたし、叱っても対決構図にはならず、指導を受け入れてくれるようになった。このひと月の成果と言うより、最初の瞬間のバトルの成果である。
 まあ、こんなことをしたくはないねえ。もっと教師として尊敬してもらいたいものだ。社会的地位が低すぎる。大人に生意気な言動をする子は出席停止する権限を担任に与えてくれれば、親子ともども反省させられるし、家庭教育の啓蒙にもなる。首根っこをつかむなんて乱暴な事をしなくてすむわけだ。私立だと退学できるしね。
「先生の指示に従えないなら明日からお休みください。」
と言えば済むわけだ。
 生活指導も大変だが、教科指導も横並びというか指導要領通りにしないといけないというか、息が詰まるような閉塞感がある。
 教師になった時に感じたのは、子どもと直接に向き合い、自己の良心に従って全力でがんばろうという意欲だった。でもこの自己の良心というのが認められないのだね、そういうのいらないって言われている、毎日ね。
 隣の教室と違う実践をやっていたっていいじゃないか、それが教授の自由だと思うのだが、そういう権限がまったく与えられていない。さすがにこの年になると面と向かって意見される事は少なくなってきたが、息の詰まる感じはあるね。
 自分のように経済学部卒の教員なんて今はいない。みんな教育大学卒だ。おまけに免許更新制。みんな日の丸に気をつけ、君が代斉唱である。異議を唱えるどころか、何の問題意識もないのだろう、そんな中で生きているのである。窒息してしまいそうだ。だが、たとえ袋叩きにあおうが、自己の良心に従って生きるのが自分の道だ。

2009年7月12日 日曜日晴れ
 なんとか一学期を終えた。あゆみをつけ終えたのだが、無用の長物だなあ、やっぱり。日本の公立小学校には落第制度は無いのである。担任をくそばばあとののしり、テストを丸めて投げつけようが進級できるのである。自動車教習所とは違う。だったら手書きの励ましのような賞状でも作ってそれを送れば済む話ではないか。大体テストは毎回丸付けをして保護者に返しているし、教育相談で生活面での様子も伝えている。それで十分だと思うのですね。
 人間の能力とは本来総合的なものだ。それを国語だ、算数だ、社会だと分類する事自体あまり意味あることとは思えない。それをだね、さらに関心意欲態度、知識理解、表現技能、思考判断の四つに分類してさらに3段階に評価するという事が理解できない。大体だね、関心意欲態度などの内面に関わるものを評価の観点に入れる事自体がまちがっている。なんでも文科省の言いなりになっているテスト業者すら、点数化する事を拒否しているのですよ。現場ではさらに評価基準表なるものを作成して、その四つの観点のABC分類の根拠の作文化までしている。学校によっては、単元ごとに評価項目表まで作成している所すらある。あゆみをつけるのに、膨大なエネルギーと時間をそそいでいる。でも落第制度は無いのだ。クラスの子の成績を上げたからと言って勤務評価につながるわけでもない。第一隣のクラスとAの数をそろえるよう連絡調整を要求されているのだ。
 九九の習得率を調べ、誰が繰り上がり、繰り下がりでつまづいているか個人名を特定して休み時間に個人指導をし、全体が四則演算の習熟に向上するよう努力し、かつ成果を上げている自分の勤務評価は無視されているのである。
 そんなの教員の評価とは関係ないよと毎日言われているのである。でもぼくは自己の良心に基づいて直接に子供に責任を負って教師人生を歩んで行くのだ。
 そんなぼくだが、ボーナスが減額される。昨年の評価はAとB。
「特に優秀」、「優秀」、「不良教員」(そういう表現はしてないけどね)の3段階に我々教師も人事評価され、それがボーナス査定につながっているのだが、ぼくは特Aの「特に優秀」な教員ではないが、「不良教員」でもない、ごく普通の「優秀な教員」という評価だったのだ。それが不況のためボーナス減額。腹が立つのはそれだけではない。その減額率だ。昨年の不良教員とボーナスの支給率が同率に減額されたのですよ。これって詐欺じゃないですか。
2009年8月16日 日曜日晴れ
 先週から10日間年休を申請した。教師になって初めての事だ。今までほとんど年休を行使してこなかった。万一の事を考えていたのかねえ。後4回しか体験できない夏休みである。しっかり年休を行使しようと思う。とはいえ、休み中にも教室に行って踊りの練習をしたり、掃除したり、壁に貼っている子供の顔写真を見て健康観察しているのだから自分でも何やっているのと思ってしまう。教室が好きなのかなあ。別荘じゃないんだからね。
 今日はさすがに学校に行くわけにはいかないので、宮が瀬ダムの「ふれあいの館」にスズキアドレス125で行く。初めて。ここはバイク乗りの集会所みたいな所なのかなあ。たくさんのバイク乗りが終結していた。どう見てもおじいさんが巨大なハーレーを磨いている。好きなんでしょうねえ。750ccと思える大型バイクがひしめている。むしろ250や400は少数派である。と思いきや、モンキーやゴリラなどの原付や黄色ナンバーのグループもいた。これはこれで楽しい趣味の世界なのでしょう。自分も小型二輪の免許を習得したので、60キロで公道を走れる。スクーターだけど、走りに遜色はないからねえ。おまけにスクーターは両足がシフト操作やブレーキ操作から解放されていて自由である。両足を前に投げ出そうが、後ろにそろえようが、片足前、片足後ろなど自由に足を置き換えれるので楽である。アクセルは右手で、左手は後輪ブレーキだが、主ブレーキは右手の前輪なので、気持ち的には片手運転である。極めてイージーな乗り物なのだ。服装もフルフェイスのヘルメットと上下の皮つなぎのライダーと比べると恥ずかしいような軽装である。ヘルメット以外はママチャリにまたがっている服装だからね。風防を付けていると、Tシャツでも十分なのですよ。
 若い頃、ピーターフォンダの「イージーライダー」という映画を見たが、あのアメリカンバイクは乗り方がイージーなだけで、両足はちゃんとシフトペダルとブレーキペダルに拘束されていてイージーではないのである。本当にイージーなのは、今自分が乗っているスクーターだと思うね。まあ、お役所勤めの自分は生き方はイージーとは言えないけどね。あの映画では主人公たちが麻薬を楽しみ、売春婦を買い、最後は田舎の馬鹿者に偏見だけでショットガンで撃ち殺されるという印象だった。見る人によって感じ方は違うとは思うが。そんな生き方と、定年退職後の自由な生活を夢見ている自分とは五十歩百歩ではないだろうか。働かないで食っていこうとしているわけだから。やはり働けるうちは働いて少しでも日銭を稼ぐのがまっとうな生き方だろう。定年退職後はハーレーで日本一周なんて甘い夢を見るな!
「遊びたいとか、休みたいとかいっぺんでも思ってみろ。
 そんときは死ね、鉄矢。」
今も聞こえる、あのおふくろの声。ぼくに人生を教えてくれた〜やさしいおふくろ。
なんて歌があったなあー。今なら人権侵害だね。死ねなんて禁句だからね。でも働く事が美徳でもあり、生きていく唯一の手段でもあったのだから。
ごちゃごちゃ言ってないで、まず日銭を稼げ、自分の食いぶちを稼いでからえらそうな事は言えという事なんでしょう。ごもっともです。

2009年10月5日 月曜日曇り
 昨年同様今年も四年生だったので、運動会の表現はわらび座のソーラン節を指導する結果となった。何度も体育館のステージ上で踊って見せるはめとなり、股関節を痛める。個人差もあるだろうが、ぼくは50代後半の高齢化現象をかなり被っている事を深く自覚する事となる。ともあれ、こうやって踊りの指導を職業としてできる事は幸せなことと思うよ。最後かもしれないしね。
 朝早く登校して正門前に立ちあいさつ運動をして思ったのだが、こどもたちはあいさつをしないねえ。友達同士ではあいさつをするのだが、正門前に立ちおはようございますと声かけをする教師には無視だ。これはおかしい。教師にあいさつもしないで登校できる学校って異常だ。登校を禁止して、あいさつできないなら帰れ!と言ってもいいのでは。もっともそんな事は言わないし、笑顔でおはようございますを、無視しているこどもにも繰り返しているのだが。
 あいさつとは、群れや社会生活をしているオオカミやサル、人間などが行う社会的行為である。群れにはリーダーが必要であり、各個体の力の差異を認めそれらを組織して集団として狩りや収穫などの生きる営みを行うのである。だから、あいさつとは集団の中での力の差異を確認し、自分の集団の中での位置を確認する行為である。つまりあいさつとは集団の中で自分を守る行為なのだ。
 だからあいさつをしない事は自殺行為にも等しい。具体的に言えば、、会社に行って上司にあいさつもしないような人間は首である。客にあいさつもできない店員は首だ。学校だけが、異常な社会となっている。
 あいさつをして気持ちいい朝とか、あいさつはこだまするとか、心情に訴えるだけであいさつの社会的意味を教えてないからではないか。自分が子供のころは、近所のおじさんにあいさつもしないで素通りしようものなら、頭を小突かれたものだ。そういう教育が無くなってしまった事に起因していると思う。悪しき個人主義、まちがった戦後民主主義の行き着いた姿が朝の正門に見られるのだ。
 まあこんなことを思い、時には説教したり、子どもに強制したりしている自分はますます孤立していくのでしょうねえ。

2009年11月21日 土曜日晴れ
 2年連続宿泊学習に行く。まあ、好きで行っているわけではない。市が作ったものだから稼働率を高める必要があるのでしょうねえ、大体こういう施設は市内の小中学校に割り当てがあって、参勤交代のように行かざるを得ないのです。
 雨でも困らないようにうどん作りをするのだが、これが自由が利かない。うどんにはゆで卵や鶏肉、ほうれん草などがセットとしてついているのでうどんだけというわけにはいかないというのだ。で、しかたなくその通りやってみるが、やはり食べ残しが多い。で、強引に申し込もうとすると、業者と相談してくれとなる。業者といったって相手は選定済みの業者だ。気に入らないからと別の業者にするわけにはいかない。必要なのは小麦粉と食塩だけなので、こちらで持ち込めば業者と交渉する必要はない。でも持ち込みは禁止なのだね。理由は食中毒だ。小麦粉と食塩の持ち込みでどうして食中毒になるのか。自分には納得が行かないのだが、相手は役人。
 持ち込みさえ許可してもらえれば、国産の小麦粉にこだわったりもできるのだが、業者委託だと中国産のものかどこのものかはあずかり知らぬ事となる。請求された金額もどうしてこういう値段になるのと納得がいかなかった。持ち込みならもっと安くなると思った。仮に同等の値段になってもどこの産地のどこのメーカーで買ったものだからと納得も行くしね。
 疲れた体で、反省会。なぜ勤務時間の中での会議にお菓子が並ぶのか。いくら自前のお菓子とはいえ、勤務時間内の会議中に食べるのはおかしいと思うよ。しかもいくらか早く学校に帰れたので、他の学年は授業中である。授業中に先生方が会議と称して菓子を食べるのもおかしいと思うのだ。お茶か水を飲みながら必要な反省だけ済ませばそれでいいのでは。後は休憩時間に自前の菓子を各自でも同僚どうしでも心行くまで堪能すればいいことではないでしょうかねえ。自分は菓子を食べない変人と思われているようだが、そうではないのです。

2010年1月1日 金曜日晴れ
 冬休みの初っ端に日直になる。朝行って、まず飼育小屋の掃除だ。転がっている糞を塵取りとほうきで集めてごみ箱に捨てる。うさぎが外に出ようとするので、片足でドアを押さえながらの難行となる。広い校庭に出られては日直どころの騒ぎではない。一日中追いかけまわすはめとなるからねえ。真剣だよ。今度は水替え。餌やりと続く。
 職員室で電話番をこなしながら雑務をする。弁当も職員室で済ませ、だれもいない校舎を見回り、修繕に来た業者の世話をし、一日がやっと終わる。ところが、校庭で遊んでいる中学生が帰らないのだね。仕方ないので、直接出向いて説得する。頭ごなしに早く出ろなんて事は言いません。あくまで物腰柔らかくお願いするのです。この中学校は挨拶を良くすると評判の学校らしい。小中交流会で当の中学校の先生が自慢していたのでらしいと書いたのだが、目の前の子たちは挨拶もしないし、タラタラと歩いて急ぐそぶりも見せない。極めて不遜、態度が悪いのである。所詮挨拶をする良い子と言ったってそれは利害関係のある人に対しての行動でしょう。関係の無い大人に対してはこの態度なのですよ。
 後4年公立学校の教員でいなくてはいけないのは、正直つらいものがあるねえ。ぼやくぐらいは許されるでしょう。少しでもまっとうな青少年の育成に今年も務める事としましょう。新年の抱負です。

2010年6月24日 木曜日晴れ
 南アフリカでワールドカップである。日本が一次リーグを突破できるかは明日の未明のデンマーク戦で決まる。なんせ夜中の3時である。見れないよなあ。
 ところで教師の仕事とは、サッカーの審判のようなものだと思う。児童のできるだけ近くで活動の様子を見て、思いつきで無くしっかりとした判断基準、ルールに基づいてイエス、ノーを審判してあげればいいのである。そのジャッジが適正なものであれば子どもたちの活動は次第に落ち着いたしっかりしたものになる。反対に放任であったり、思いつきで不適切なものであれば子どもたちの世界は荒れたものになってくる。
 適切なジャッジ、そして最後はイエローカード、レッドカードの切り札である。審判の判定に従わないものは退場である。そして親子ともども反省し、学校に登校願いを出せば通学がかなう可能性があるというのがいいと思うのだ。ところが日本の公教育にはこのレッドカードが無い。担任には何のカードも与えられていないのだ。これでは子どもたちの活動が無秩序になり、荒れてくるのは当然である。自分は、カードの代わりに首根っこを押さえつけて子どもに反省を強いている。だから自分の教室はうまくいっている。でも自分の首はいつとぶかはわからない状態だ。こんな事、他の先生には勧められない。だから学級崩壊、児童や教師の不登校が発生してくるのだ。ワールドカップを見ながらこんなことを思うのは、やはり自分も24時間教師と言う枠に苦しめられているのだろう。退職まで、後3年と半年余り。宮仕えと不合理に向き合って苦しんでいかなくてはいけないのだ。下請け業者の入れ替えとシステムの変更により、自分が10年もの間こつこつと作り続けた学校のホームページがすべて削除された。子どもの動画、写真、文章、作品、教育実践の記録などすべてである。暴挙である。何の相談も無く、上司の思いつきでこのような事がまかり通るのが役所の世界なのだ。

2010年10月3日 日曜日曇り
 「座りまーす!」「座りまーす!」の大声の叱責が聞こえる。この座りますという言葉が変だ。座るなら黙って座れば済む事。子どもに言っているのである。だったら、座りなさいではないか。
 授業が始まっても座席に座らない。教師が前に立っているのにおしゃべりをやめようとしない。学級崩壊の兆候である。でも命令言葉は使えないのである。体罰は禁止である。だから「座って下さい」というお願いの言葉になる。でもそんな弱弱しい言葉では通用しない、で、「座りまーす」の大声の叱責になるのでしょうねえ。
 叱責と言ったってその後にげんこつが待っているわけではない。言葉の羅列だ。だから悪童どもは無視しているのだろう。
 どうして、「座れ!」と言ってはいけないのか。教師の指示を無視するなら、首根っこを捕まえて席に押し付けてはいけないのか。日本の教育は狂っていると思う。

2010年10月27日 水曜日晴れ
 カウンセリングマインドと担任の立場は相入れない。つくづくそう思う。子ども同士、子どもと担任がトラブルになった時、いちいちこどもの気持ちを聞きとり、その心に沿う指導をするのがカウンセリングマインドなのだがね。でもそういう事をやっていられないのだよ。40人の子どもを抱えている立場では、子どもの問題行動に対しては秒単位で判定し、指導する事が求められる。それができなければ、クラスは荒れてくる。
 大体しつけとは押し付けである。説諭したり、納得を求める行為ではないのですよ。小学校の現場ではこのしつけという指導が多い。だのにそれをカウンセリングマインドでやれと教育委員会が指導してくることが現場に混乱を持ち込み、担任の心身症を増やしている原因だと思うね。心を指導する必要はないのです。行為や言動を規制する事が指導なのです。
 内面の指導をしようとするから困難になる。楽しい学校、やさしい子なんてのをことばで指導しようとするからわけわかんなくなるのです。そんな抽象的なお題目は適当に作文しておいて、要は外面的な指導を徹底すればいいのです。黙って人の話を聞くとか、呼ばれたら返事をする、挨拶をする、チャイムが鳴ったら席に着くなどの行為、言動を規制すればいいのです。そこを徹底すればおのずと内面の指導ができるようになります。そういう規制というのは説諭でもないし、児童に納得を求めるものでもないのです。いわば大人の押し付けです。それができない教師が心の指導をしようとしてもできるはずが無い。できない事を追い求めたら心身症になるのは明らかじゃないですか。規制をするということは、力の行使です。殴るけるではないですが、力で押さえつける事が前提になります。それを体罰だ、子どもの意見を聞かない、人権侵害だなんて騒ぎたてたら、何もできない。赤ん坊に箸を持たせるのに、説諭したり、納得を求める親がいますか。ほめたり、叱ったり、時には力で押しつけたりして教えるのです。それが教えるという行為の基本なのです。

 よく武田鉄矢ふんする金八先生が説教する場面がありますが、あれは外面の規制ができるようになった教師だけができる行為なのですよ。それがそれまではクラスが私語のるつぼになっているのに、急に武田鉄矢の説教に子どもたちが耳を傾けるようになるからぼくはあれはうそだと思うのです。違和感ですね。あんな事は現場ではありえないですね。どんなにりっぱな事を言っても、外面を規制できない教師の話を静かに聞く教室はありません。そんなに楽な商売じゃないですよ。話がうまいだけじゃだれも聞いてくれないです。まず、人の話を黙って聞く外面的規制を作らないとだめなのです。それが現実、真実です。現場の教師だから言える事です。

2011年1月15日 土曜日晴れ
 3学期が始まって一週間が過ぎた。先日は避難訓練だ。6年の男子が他の学年の子たちが遊びを中断して避難しているのにいつまでもバスケをやめない。確信犯だね。登校でも帽子をかぶらないのは6年生だ。下の子たちがまじめにやっているのに大きな子がずるをしている。それを何年もずっと見ているわけだから、大きくなったら同じ事の繰り返しなのかねえ。他学年の子、しかも悪いとわかってやっている子をしかるのは危険な行為だ。反発されるし、親からも苦情が来る。暴言を吐かれたとか体罰を受けたとかだ。そうすると管理職から呼び出されて聞き取りを受けるはめとなる。体罰なんてやってないのだ。事実無根。それでも一々聞き取りを受けるのは馬鹿馬鹿しくてやってられるかという気になる。だからよっぽど腹にすえかねる場合以外はほっとく事にしている。
 教師として不誠実だと思うが、自分自身が教師として扱われてないわけだから当然でしょう。どうしてもっと教師に敬意が払われないのでしょうねえ。子どもの言い分、親の言い分が第一なわけだ。子どもに挨拶指導する前に、まず教師が保護者が来校した時に笑顔で元気よく挨拶しているのかそれが問われる時代だ。
 管理職としては部下の教師としての働きより、保護者からの評判の方が大事なのでしょう。そっちの方がわかりやすいからねえ。でもまじめに人としてこどもをしつけよう、育てようと指導に当たっている教師には、やる気をそぐ時代である。
 大人の社会でも同じでしょう。電車で携帯をやっている男性を注意したら、殴られて殺されるとかね。女性だと痴漢にでっち上げられて警察送りだ。だから誰も見て見ぬふりですよ。それが今の狂った時代を生き抜く知恵。情けない、住みにくい国である。
 先日レンタルビデオで「告白」を見た。中1のクラスだ。担任の女教師の4つの女児が受け持ちの子に殺されるのだ。それもショッキングだが、このクラスの授業がひどい。教師の話中なのに私語が飛び交い、物が飛び交い、携帯のメールが飛び交う。これを見た外国の人はどう思うだろうねえ。日本の公立学校とはこういうものと思うでしょうか。フィクションと思うでしょうか。ぼくは事実ああいう学校が存在すると思う。
 体罰が否定され、退学も停学も懲戒権もありはしない今の日本の学校だったらああいうふうになって当然でしょう。ぼくも告白したい。いや告発だな。

2011年3月5日 土曜日晴れ
 成績付けだ。文科省の指導により絶対評価になって久しい。80%以上がA 40%以下がCだ。ところが市販テストを使用しているのでまじめに指導しているとクラスの大半の子が80点以上取ってしまう。絶対評価なのだからそれならそれでいいはずなのだがダメと管理職が言うのだね。クラス編成は平等にしてあるのだから特定のクラスのみが好成績なのはおかしいと言うのだよ。だとすると教師がどんなにがんばってもどのクラスの成績も同じと言う事になる。それじゃ教員の勤務評定は何で測るのかねえ。いくら指導成果を上げても隣のクラスと同じAの数にしろと言うのでしょう。だったら教師の勤務評定は指導と関係無い所、はっきり言ってごますりで決まるのでしょうねえ。
 馬鹿馬鹿しい話である。私の市では、Aは90%以上、Cは60%以下となってしまった。それでも指導にがんばるとAの子の数は増える。で、昔やっていた相対評価の縛り、Aは30%のクラス内人数となってくるのだ。まあ、自分も役人の端くれなので仕方なくAの子は30%になるよう調整しているよ。ところが、まだあるのである。
各教科の評価項目は大体

関心意欲態度、思考判断、表現処理、知識技能の4項目に分かれている。

関心意欲態度なんてテストで評価できないから、市販テスト業者も作って無いのだよ。

だからこれは点数処理できない。点数処理できるのは後の3項目だ。達成率は90%以上ならAだね。3つの項目の内、菅さんは一つは99%の達成率だったが、後の二つは89%だった。従って総合すると277割る3だから92%となる。これに対し小沢さんは二つ90%で一つは60%だった。だから総合は240。平均は80%である。菅さんの方が総合評価は遥かに高いのである。でも菅さんはABBになり、小沢さんはAABである。当市の評価では菅さんは3段階の2となり、小沢さんは3という事になる。これって変。

90%以上はAという達成率を導入しながら、最後は項目数の手作業的な操作で3段階評価するから変なのである。最後まで達成率で押し通せば整合性があるのに、どうして別の評価方式を導入するのだろう。おまけにだ。学年末は1,2,3学期のAの数で決めるから余計達成率と矛盾する評価となる。まったくこれを考えた人は頭が悪いと思う。

 せっかくexcelで点数評価しても最後がこの手作業的なカウント方式なので馬鹿馬鹿しいのだ。テストの点だけで評価するのがいけないのなら、発言数やノートやレポートなどの評価を点数化して入れればいいのだから、excelで総合評価できない事はないのである。でも最後に待っているのがこの手作業的カウント方式なので達成率とどうしても矛盾する結果となるのである。

整理すると、

絶対評価なのに人数の縛りをやっている。

達成率と言いながら、最後は項目の評価数をカウントする別の評価方式を入れている。

そのため、膨大な時間と労力を使っても非合理な成績評価となっている。

まあぶつぶつ文句を言いながらそれでも役人の端くれなので仕方なく成績づけする今日この頃である。


2011年3月12日 土曜日晴れ
 5時間目ごんぎつねの音読発表会が一通り終わって5分休みに入ったところだった。子どもたちはトイレや水飲み、おしゃべりで教室がにぎわっていた。突然ゆらゆらと揺れ出した。地震だ。それもかなり大きい。すぐ机の下にもぐり、足をつかむよう指示した。黙る事も。あまりのゆれの大きさに自分も覚悟を決め教師用机のそばにあるヘルメットをかぶる。避難放送が入る。出席簿と鉛筆を持って校庭に避難。人数確認、報告。大きな余震が想像されたが、組織として動かなくてはいけない。管理職の指示に従う。全校の人数確認が終了したので、一旦教室に入らせ帰りの用意、その後集団下校班に編成し直して下校させる方針が決まる。ところが、入らせようとしたら校庭自体がまたゆらゆらと揺れ出した。これでは校舎に入らせるわけにはいかない。カギっ子が何人かいるので取りあえずカギは取りださないと。担任のみ校舎に入りカギを持ち出す事になる。うちのクラスも聞くと8人ぐらいいた。みなランドセルの中にあると言うので、教室に戻る。校舎に入るとまたゆれだした。命がけだなと思う。なんとか8人分のカギを探し出し、持ち出す。校庭に戻り、子どもたちに渡す。だが遅いクラスもあり、全体の足並みはそろわない。また全校の人数確認だ。これに時間がかかる。その内トイレががまんできない子が出てくる。この寒空だし、気分的な事もあるのだろう。体育館と外トイレを開放する。今度はトイレに行く子の長蛇の列だ。全体がそろわない。だから次の集団下校に移行できないのだ。もう4時に近づいて来た。避難して1時間も立つ。保護者も迎えに続々と来る。でも引き渡しを始めるとまた待機時間が長くなる。集団下校にこだわらず一斉下校と進言したのだが、だめだった。一斉下校ならトイレの子はトイレに行かせればいいし、帰れる子はそのまま帰らせる。迎えに来た親は門の所でこどもといっしょに下校すればいいのだ。すぐにこどもを解放できる。
 とうとう
「いつまで待たせるんだ。自分の子を迎えに来たのにどうして帰らせない。ほかにも家族がいるんだぞ。」
と喧嘩腰で怒鳴りつける父親も現れる。
 なんとか集団下校班に編成し直して下校させる事ができた。
今回の反省。ケースバイケースで今回のようにゆれが治まり下校させる事ができるのなら集団で帰ろうが一斉で帰ろうが安全面でちがいがあるわけではない。一斉下校で早く下校させた方が混乱が少ない。校庭に避難した段階で人数確認はできているのだからそこで解散させればよかったと思う。教師は児童の下校の列に付き添うとかすればいいのだし、それぐらいしかできる事は無い。それをいつまでも人数確認をしたり、全員がそろうまで下校させないというやり方をするから1時間以上も下校を開始する事ができなかったのだ。引き渡しとか集団下校とか実際とはそぐわないと痛感した。

2011年3月14日 月曜日晴れ
 テレビであの地震が未曾有の災害だと知った。驚愕する。観測史上最大のマグニチュード9。津波で町も村も飲み込まれていた。我々は不自由を忍べばいいだけなのだ。被災地の方々に比べれば。
 ガソリンスタンドも閉店し、スーパーもコンビニの棚も空が目立つ。計画停電も始まった。学校の給食もストップだ。でも我々は不自由を忍べばいいだけなのだ。被災地に近い地方のスーパーの方が陳列棚に商品があると報道されていた。皆に商品が行きわたるよう配慮して買い物をしているようなのだ。それに比べこの地では買い溜め、買占めに走っているようで恥ずかしい。被災地の方々にできることはないだろうか。

2011年3月19日 土曜日晴れ
 疲れた一週間だった。連日のように7時半に横断歩道に立つ。安全指導だ。停電の時は信号機がつかない状態で児童の安全を確保しないといけない。命がけだったね。来週もこれが続くのだ。幸いその後は春休みに入るのでほっと一息だが。4月も続くのだろうか。新入生の集団下校もあるし、現場は大混乱になるだろうね。通勤のガソリンも手に入らず、へたすると自転車通勤にならざるを得ないかもしれない。そうなると7時半に横断歩道に立つのは容易な事ではなくなる。ガソリンの供給は大丈夫だという話だが、風評による買い溜めが横行しているため手に入らないのだ。自分さえという考えを捨てて、冷静になってほしいと思う。

2011年3月26日 土曜日晴れ
 春休みに入る。計画停電は新年度になっても続くようだ。困るのがトイレの水が出ない事。自分なりに調べたら屋上から各階へ流れるような配管のシステムなのだ。従って電気の力が無いと屋上に水が行かないため一階でも水が出ない仕組みなのだね。学校は避難場所にもなっているのに、停電だと水が出ないのだ。各家庭では水が出ていてもね。これって変。耐震工事をした時に、せめて一階部分だけは普通の家庭同様通常の水道圧で水が出るよう配管工事をすれば良かったのに。役人の怠慢だと思ったね。

2011年5月2日 月曜日晴れ
 やっと一月が終わった。大変な一か月だった。震災で校舎の修理が必要になり教室の移動もままならなかった中でようやく引っ越しが済んだと思ったら、今度はだれがどのクラスを持つかでもめて、再度引っ越しをせざるを得ないはめにもなる。結果的にはがまんしてくれる人がいて名簿の入れ替えだけで済んだのだが。
 遠足の下見も震災による計画停電や放射能汚染などでどうなるかわからず、一人で休日に行くはめとなる。学年自体は3年生だし、自分は今年も学級担任でいられたのでそういう意味では問題は無かったのだが、それ以外の事柄でえらくストレスに感じられたこの一ヶ月間だった。連日夜の7時、8時まで職員室で事務に縛られる日が続いた。教材研究はできず、いわばどうでもいいような雑務に追いまくられていたわけだ。安上がり教育行政というか正規職員が減り、臨時任用職員が増えて来た事も一因かもしれない。学年主任という役回りで雑務に追われた事もあろう。
 ともあれ、子どもの顔も覚え、仕事も回り始めたので一安心である。退職まで後2年と11ヶ月。自己の信念を貫き通すだけである。結果首になろうともそれはそれでいいではないか。無理に定年を迎える必要はないだろう。
 今日は体育館で三色鬼を行う。ようやく子どもたちが自分たちで遊びを仕切り、楽しめるようになってきた。こうなると教師は安全面を配慮し、子どもを見るだけが仕事となる。
指導するのも楽しいが楽しく遊ぶ子供らを見るのも楽しいものである。教師冥利に尽きる。計算ゲームはまだまだ軌道に乗らないが学習に向かう姿勢は作れてきた。いずれ学習集団として機能してくるという確信が持てて来た。こうなると明日の実践が楽しみになってくるものだ。明日は教室で何をやろうという意気込みが出てくるのですね。こうなると教室日記は楽しいものとなります。

2011年6月17日 金曜日小雨
 水泳指導が始まる。以前は9月の中ほどまでやっていたので、暑い日に入る事ができた。運動会も10月にやっていたので秋晴れの下でできた。だのに最近は梅雨時の6月で規定時間が終わってしまう場合が多い。運動会も台風が来るとわかっている9月下旬にやるのだ。道理が無い。
 地区研が10月のため、運動会が9月下旬になり、水泳指導は一学期中に済ませる事となるのだ。地区研の準備が大変だからねえ。9月は運動会の準備が大変だからねえ。だから水泳指導は寒いとわかっている梅雨時に済ませる結果となる。馬鹿だ。地区研なんてやめちまえばいいのだ。俺は会員じゃないしね。
 そうは言っても多勢に無勢。平教員の自分に変える力があるわけでもない。昨年まで寄る年波とやせ衰える体力のため、プールサイドで倒れるのではないかと思う事が度々あった。要するに皮下脂肪が無いのですよ。痩せすぎなのです。で人工的に皮下脂肪を着ける事とした。ウエットスーツを着込む。ラッシュガードでは却って冷たいのです。あれは日焼け防止の役しか立たない。
 ウエットスーツは着脱がものすごく大変だし、体の自由がきかなくてストレッチ指導が困難です。でも水に入っても冷たくない。泳ぐと背中のファスナーから水が入り冷たいが、体温で温められるので、ラッシュガードのように濡れねずみ状態でガタガタ震えるという事がない。比較的耐えられるのです。もちろん限界はあります。ドライスーツではないのでね。障害は一つ克服できたのだが、プールが汚い。原因は鴨の糞だ。塩素をいくらまいてもプールの底に溜まっている糞は取り除けない。ネットでいろいろ対応を調べる。鴨は駆除できるとわかったが、住宅街の真ん中のプールで散弾銃をぶっ放すわけにもいかないでしょう。駆除は無理。
 次はプールにカバーをかけてしまう。これはいいね。値段は20万ぐらい。市内で買っている学校は無いので、買ってもらえないだろうなあ。要求するぐらいはいいか。やってみよう。

2011年7月2日 土曜日曇り
 一時間目から32度だ。漢字スキルなどの丸つけを始めると子どもの行列となる。こどもの熱気でさらに暑くなる。汗が止まらない。教室はサウナとなる。こどももかわいそうだが、58になろうという初老の身には酷でもあり、危険でもある。まあ金をもらっているのだから文句言う筋合いではないか。自分は馬鹿信念の持ち主だからいいが、善良な教員は暑さだけでなく精神的にも追いつめられている。自分が一番正しい、まわりの人間はみんな馬鹿なのだと思えばいいのだが、そうは思えないのでしょうねえ。自分の努力が足りない、自分がいけないと思わされ苦しんでいる同僚がたくさんいる。そんなことはないのだけどね。そう思い込ますまわりの馬鹿どもがいるのですよ。
 先日のプールは気持ち良かった。ウエットスーツは浮力が高く、仰向けに寝転ぶ事が可能。指導の合間に時々ストレッチして青空を見る。自分の指導に従って懸命にがんばる子どもたちを見るのは実に至福な瞬間である。

2011年7月6日 水曜日曇り
 成績付だ。絶対評価と言いながら学年でABCの人数を揃えてくださいと言われる。その揃える基準表が県から配られる。結局、昔の相対評価の配分と同じである。点数でランク付けできるexcelソフトを一生懸命作っても、点数で評価するのは最も安易な方法ですと馬鹿にされる。点数でCランクでもBランクにしてもいいと言う事だ。客観性は求められないというのですね。まあ小学校の成績なんて担任の主観に負う事がほとんどだからそれでいいとは思うけど。だとするとなんでもありの無法地帯だね。まあ自分の良心を痛めない程度に周囲に配慮しつつ成績付する事とする。筋の通らない話だとは思うけどね。
 毎日汗だくになり、疲れ果てる。大した仕事はしてないとは思うのだけど、もう年老いているのだね、身体が悲鳴を上げている。それでも放課後だれもいない校庭で懸垂から逆上がり、空中前回り連続5回をやる。これが密やかな今の自分の自信、プライドである。

2011年7月18日 月曜日晴れ
 金曜日の放課後。来週は台風直下も予想されるので道具箱やなんやかやも防災頭巾以外すべて持ち帰させる。そうは言っても例によって指示に従わない子もいるのだが、大半の子は持ち帰り教室はがらんとする。家庭によっては来週から夏休みに入る子もいてあゆみなど早目に渡す事もある。今日は給食も掃除もなく帰らせたので、一人で弁当の後私物の掃除機をかける。きれいになった床の上でストレッチなどする。33度もあるのだが連日の成績付の疲れからかごろっと仰向けになる。暑苦しいはずだが疲れの方が強いのだろう、眠くなる。へたしたら熱中症か脳卒中で教室で一人あの世行きだ。ピータイルが後頭部に痛い。さすがに枕は無いのでね。このままでは本当に危ない。だれも来ない教室で野垂れ死にするわけにはいかないからね。起き上がると少し体が楽になった。引退した方がいいのではないだろうか。夏を超えると運動会だ。汗だくになって踊りの指導をしなくてはならない。命の心配はないのだろうか。目は眼底出血による失明の危険があると医者は言っていたが無視したままだ。夏休み思い切って医者通いしてみるか。教育を語るこのサイトが管理者の高齢化により病気サイトに変わりつつあるのは笑えない笑い話であるなあ。

2011年7月28日 木曜日曇り
 いわゆる官制研修というやつだ。勤務として講演会を聞きに行くのである。だからあまり期待はしていなかったのだが、これが小気味良かった。野口芳宏先生の授業を受けるという形の講演会であった。先生の発問、答えを書かせられる、強制的に全員だ。名前を呼ばれたら返事をするから手の上げ方まで指導される。発言の声量まで指導を受ける。今名前を呼ばれても返事もしない大人が一般的だから教師だって同様なのである。机間巡視の上発表させられ先生の解説となる。発問、挙手の授業では挙手する児童がいなければ成立しないので、先生は挙手を求めず全員に自分なりの考えを書かせ机間巡視して発表させているそうだ。このあたりは一読総合法の書き込み指導と重なるね。
 第一問がおもしろかった。授業の主役はだれかというのだ。圧倒的多数が児童と答えている。これは当然だろう。そういう風に我々は指導主事に指導させられているのだから。画一的指導は過去の遺物であり、これからは児童の主体性を尊重した授業を展開していかなければいけませんよと指導されているのです。だから指導と言う言葉は否定され支援しなさいとなる。教師は指導者ではなく、学びの主体性を持っている児童の司会者、黒子に徹しろと指導されているわけです。
 授業と言う言葉は業を授けるというのだから主体が教師であるのは自明の理である。それをわからない大人はいないだろう。でも教師とは小役人である。学習の主体は児童だから授業の主役は児童ですよと上から言われると納得しなくてもそう考えなくてはいけないのである。自分はそう思わないから職場で孤立している。
 野口先生の解答は教師が授業の主役でなければ授業など成立しないというものだった。自分は同感だったが教師は支援者です、司会者ですという反論も出ていた。指導主事に教わったように答えているのですよ。
 で、実際の授業が展開される。
「母の日の花に囲まれゐて」の次の言葉を考えよというのです。自分は以前聞いた事のある俳句だなあと思ったが思い出せなかった。大多数の参加者が聞いた事がなかったのでしょうねえ、とんでもない解答がどんどん出てくる。それを野口先生がばったばったと切り倒しながら解説に進むのである。この授業展開を体験すると授業の主役は先生と言う事が実感されたのでしょうねえ、先ほどの授業の主役は児童だと反論した教師が自己の見解を訂正したのです。このあたりはうまい!と感じましたね。でもそれは指導主事から国語教育の第一人者と紹介された講師だから安心して自己の見解を訂正できたのだと思うね。同じ事を平教員の自分が言ってもだれも同意しないと断言できるよ。
 いずれにしろ緊張した授業の中で野口先生が一斉授業こそ効率的なのです、グループ学習など息抜きの場にすぎないのです、グループ学習で読みが深まる事は無いのですという言葉はその通りと思った。グループ学習が今流行っているのです。グループ学習が無いと画一的で教師主体の授業だと非難されるのです。個を生かす、児童の主体性を尊重するものとしてグループ学習がもてはやされているのです。グループ学習など息抜きの場に過ぎないという言葉には溜飲が下がる思いがしたね。あってもいいゆとり程度の物なんですよ。授業の中心は教師の解説、一斉指導なのです。子どもを引きこむ手立てとして、書かせたり、音読させたり、発言させたりがあるだけなのです。
 先生の略歴から年齢を計算するとなんと75才である。これが最も驚いた事かもしれない。75でもこれだけ自己の信念を叩きつけるような講演が展開できるのですね。若い者と協調していくことを期待されている身にはうらやましいと思いましたね。
 ただうらやむだけでなく、自分も自己の信念を貫き通す実践を重ねて行くべきだ。多少弱気になっていた自分を叱咤激励する。とは言え体が持つかどうか。

2011年9月9日 金曜日晴れ
 

体育館でソーラン節を指導している。全員はだしだ。まず、靴の揃え方が良くない。壁際に整列させないといけないのに、乱雑だ。そこから説教が始まる。さっそくやり直せる。踊りを知らない君たちは踊れる先生を尊敬する所から学習が始まるのだ。尊敬の気持ちが素直さを生み、それが学習を成立させる。知らないから一生懸命話を聞き、動きを見、形をまねる。それが学習なのだ。君たちは踊りを通して学習とは何かを今学んでいるのだ。教わったから感謝の気持ちが生まれるのは人として当たり前の事。だから学習の終わりにはありがとうございましたと言うのです。

 200人近い児童を前に説教だ。微動さえ許さない緊張感。これが学習だと思う。それから踊ると格段に動きがよくなるし、第一顔つきが全然違う。美しいのだ。美しさを引き出さないといけない。美しさは子どもが背伸びをして届かない物に懸命に手を伸ばす所作から生まれる。子どもが手の届かない物を提示しそこに向かって努力する気持ちを作らせる事が肝要だ。それが子どもの心に誠実さを生む。教師とは夢を語る事、未来を指し示す事。助言者でも支援者でもサポートする人でも無い。指導者なのである。

体育館は君たちが掃除しているのか。体育館を作ったのは君たちの親か。君たちがはだしで汚した体育館は、6年生のお兄さん、お姉さんが掃除している。体育館は君たちが会った事も見た事も無い、全国のおじさん、おばさんが働いて納めている税金から作られている。その上でこうやって踊る事、学習する事ができているのだ。だからお願いしますから始まり、ありがとうございましたで終わるのは当たり前の事なのだ。

そう説教しているうちに奇妙な事に気付いた。今の授業はどこのクラスも

「始めます。」

の唱和で始まり、

「終わります。」

の唱和で終わるのだ。だれの発案かは知らぬがどこもやっている事を考えると、著名な教育評論家か文科省の指導官かが考え流布した事だろう。

授業の始めにもし子供が言う言葉があるとしたら、それはお願いしますだろう。終わりに言うべき言葉があるとしたらありがとうございましたでしょう。自分は一々授業の始め終わりにそのような事は言わせてはいないが、始めます、終わりますの唱和には違和感を感じていた。これでは教師に対する尊敬の気持ちも教わったことに対する感謝の気持ちも生まれない。いや授業の主体者は児童であるという思想からこれから学習を始めます、終わりますという唱和になるのだろうか。だとしたら、教師とは学習を側面から支援するスタッフにすぎないわけだ。端から尊敬や感謝の対象ではないのである。ひたっと腑に落ちた。
 学校の中でだけ通用する常識が多すぎる。それは世間の非常識である。男も女も性差を無視してさんづけで大人扱いで呼ぶ事。教師に対してお願いしますでなく、始めますと言わせる事。ありがとうございましたでなく、終わりますと言わせる事。すべて児童中心、児童が主人公、先生は脇役、黒子の考えである。では誰が授業を企画するのか。それは文科省の局長クラスなのでしょうねえ。あんたらは一平卒、言われた事を黙ってやればいいの、自分の頭で何か考えようとするんじゃないの。と言う事なのでしょうねえ。どう考えてもそう見えるね。

 回りを見ると確かに従順でまじめな教師ばかりである。でも自分の頭で考えなくてどうする。自己の良心に基づいて行動するのが憲法の精神ではないか。一人ひとりが自己の良心に照らし合わせて物ごとを判断する事に寄って権力の暴走を防ぐ事になるのだ。それがわからんのか。

2011929()晴れ

 秋晴れの良い天気だった。午前中は理科テストの直しの後、ローマ字ノートと算数プリントをひたすらやらせる。これで次の単元に進めるだろう。5,6時間目は外で運動会のリハーサル。鈴割り、団体競技、80m走、ソーラン節を一通りやる。こどもは随分疲れたようだ。自分も腰が痛く、校庭を走って移動する事ができず、歩くしかなかった。ともあれ、これで自分の運動会は終わった。運動会当日の子どもの動きに興味関心は無いのである。子どもは親の前で一生懸命がんばる。それは教師の指導とは離れた物だ。運動会とは親子の物である。そこまで仕上げる所に指導のおもしろさはあったが、もうそれは終わってしまった。だから自分に取って今年の運動会はもう終わったのである。後はやっつけ仕事が待っているだけである。
 踊りの指導を通して感じた事は、それはまさに授業だったと言う事だ。こどもはまったく踊りを知らない0から出発する。だから教師の踊りを見る。これが第一の学習。第二は聞く。教師の解説、踊りのポイントをしっかり聞くのである。それを頭の中で整理して自分の踊りを作っていく。つまり学習の基本は、教師を見、教師の話を聞く事である。そのためには教師に対してすなお、誠実、まじめなどの心の問題が問われる。運動神経の問題ではないのである。事実一人ひとりの踊りをテストしたが、まじめな子ほど踊りが正確だった。学ぶとはまねる事。それには見る事、聞く事。誠実な心が必要なのだ。学校に来ながら、教師の教えに不遜な子はやはり学習が成立しない。当たり前の事だが、改めてそう強く思った次第である。
 ではどうやってそういう誠実な心を育てるのか。言葉で指導できない子は、懲戒するしかないと自分は思う。それはぶったり、けったりの体罰ではなく、教師の指示に従えないなら登校を禁止し、学校に行くのか、家で過ごすのかどちらが親子に取って良い事なのか自省を求める事である。親としての責任をきちんと取らせる事。これが肝要だ。教師に挨拶もしない、感謝の言葉も言わない、指導には逆らう、それでも登校できる今の日本の公立学校は狂っている。30年以上勤めてきた自分の正直な感想である。

2011107()晴れ

 公開授業をする。ちいちゃんのかげおくりだ。父親は出征し、母親と兄は焼夷弾にまかれて行方不明。近所のおばさんに連れてもらってやっと家に着いたら焼けて無くなっていた。食べる物は背中にしょっているざつのう中にあるほしいいだけだ。きっとおかあちゃんとおにいちゃんは帰って来る。ひたすら待つちいちゃん。親切にしてくれたおじさんもおばさんもそれぞれ立ち去ってしまった。一人ぼっちのちいちゃん。少しだけ食べて寝る。次の日の朝が来て昼が来て夜が来て、少しだけかじる。朝が来た。かげおくりのできそうな青空だ。お父ちゃんの声が青い空から降ってきた。お母ちゃんの声もふってきた。お兄ちゃんの声も。かげおくりを始めるちいちゃん。でもそこにあるのは一つだけのかげぼうしなのだ。子どもたちと読みの交換をしているうちに、天国にいるお父ちゃんやお母ちゃんお兄ちゃんはちいちゃんを見て励ましてくれているんだね。でもちいちゃんに届ける声はあっても体がないんだ。だからかげぼうしは一つしかできない。親の心を思ったら思わず嗚咽しそうになった。作品の世界に自分が深く入り込んでしまった。入り込んでしまった原因は子どもたちの瞳だ。

戦争に行っていないはずのお父ちゃんの声が青い空から降って来たのはなぜ。何人かの子が天国に行ったからと書き込んでいた。全体の話し合いの中から自分の考えを訂正してお父ちゃんは亡くなったという子が全員になった。お母ちゃんの声も、の「も」に着目させて話し合い、お母ちゃんも天国に行った。お兄ちゃんも天国に行った。つまり戦争で殺されたり、しょういだんで焼き殺されたりしたんだ。ちいちゃんは?空に四つのかげぼうしができましたの書き込みでちいちゃんも天国に行ったという意見が大半を占めた。でもちいちゃんは死んでいない、死なないという意見も出た。そういう考えも尊重しながら、でも文に沿って読み取っていくとちいちゃんも天国に召されるのだねと授業を進める。何度も嗚咽しそうになる自分を抑えるのに必死となった。自分の授業がどういう評価なのかはわからない。他人の評価なんてどうでもいい。ぼく自身が今日のこの授業の中で体験できた事、それは幸せだった。教師だからこそできた体験だと思えた。

 

 2時間目の授業だったので業間休みは職員室に戻る。同僚がちいちゃんの立場からお父ちゃんの声、お母ちゃんの声が聞こえるという読みをしていたのだが、親の立場からちいちゃんを励まそうとして声かけをしているんだという先生の読みを聞いて、また声は届くけど体がないからかげぼうしができないんだという読み取りを聞いて涙が出てきましたと涙ぐんでいた。一人でもそう言ってくれる同僚がいて幸せだった。

 思うに教師が黒子に徹するいわゆる児童が主人公の授業だとこうはならない。教師が単なる司会者に徹して子どもの発言をひたすら板書し、紹介していく授業ではこうはならないのです。やはり教師の読みを提示し、子どもの読みを引き上げていく作業をしないと子どもの読みは深まらないのだ。深まると言うのは自分の読みを訂正する事です。子ども同士の読みの交換だけでは自分の読みを訂正する所まで行かない。教師の読みが提示されてそれが子どもに取ってそういう読みがあるのかという驚き、尊敬が無いとできないのです。

教師には大人としての読みの深さが求められるのです。だからこそ教師なのです。子どもより高い次元の読みを提示できなければ、平板な授業になるのは当然だし、子どもたちはその授業の中で学び、自己を高める事がないのですよ。それは授業とは言わない。単なるおしゃべり、サロンですね。

2012年1月26日 木曜日晴れ
 口内炎と膝痛、おまけに腰痛までぶり返してきて三重苦である。しゃべくりがつらい。体育の見本がつらい。まともにできるのは、丸つけぐらいである。で、せっせとこどもの作文や、漢字、計算に丸つけしている。まあ当面できる事でがんばるしかない。一向に治らないのでもうあきらめた。このまま行ける所まで行くしかない。でも子どもと鬼ごっこぐらい楽しめる教師でいたいなあ。当面叶わない願望である。

2012218()晴れ

 膝が回復せず、かかりつけの医者に相談したらMRIの写真を撮ってきてほしいと言われる。3億円もする機械なので当医院には無いと言われる。そんな高価な機械を使用するとなると使用料も法外なのではないかと心配になる。ネットで調べると2万5千円もするらしい。健康保険が効くのでその3割らしいが。

 紹介状を手に予約してもらった日時にその宝くじを思わせる機械のある病院に伺う。

11時半に撮影だが、受け付けは30分前に済ませる事になっている。5分前ではいけないんだね、これが。約束の時間を5,6分過ぎてから兄ちゃんに案内される。膝の撮影なのに手術服のようなものに上下着替えさせられる。これは意外だった。パンツ一丁になった後この寝巻ともパジャマとも言えないような服を着る。緊張するね。

 大きな機械だ。硬いベッドに寝かせられる。右ひざをベルトで動かないよう固定される。さらに動かないよう念入りに注意される。工事現場のような大きな音がしますからとヘッドホンをあてがわれる。そういえばさっきから部屋中に響いていた生き物係の歌が両耳から大音量で流れてくる。何かありましたらこのボタンを押してくださいと有線式のボタンを渡される。これが緊急呼び出しになるのか。兄ちゃんは部屋から出て行った。20分も撮影に時間がかかるとのこと。驚く。レントゲン写真とはえらい違いである。

 ギーギー、ガーガー、ガガガガという大音量だ。見る物は液晶のパネルによくわからない表示がしてあるのと、天井の強い光を発するライト二つだけ。これなら天井に液晶テレビのモニターでもくっつけておいてくれればいいのにと思う。

 最初は20分寝ておけば楽勝かと高をくくっていたが、腰痛のため腰が痛くなる。寝返りが打てないのでどんどん痛みが増してくる。ガーガーという工事現場のような大音量と生き物係のジョイフル、ジョイフルの大音量、腰の痛み。二重苦、三重苦となる。もはやこれまでと緊急呼び出しのボタンを押しそうになるが、大の大人がこれしきでどうする、しっかりしろと思いなおす。四の字固めを決められたプロレスラーのような心境。タップを打ちそうになるが、必死にネバーギブアップと自分を叱咤激励する。もうだめ、もう恥も外聞も無い、押そうと思ったら、

「はい、終わりました。」

と兄ちゃんの声。

 よろよろ、へろへろになりながらMRIの部屋を出る。受付で7180円を払う。痛い、苦しい、怖い思いをして7千円も払うのか。暴力バーのようである。渡された写真がまたでかい。アドレスで来たものだから当惑する。ジャンパーの胸に入れる。かかりつけの医院に行き、先生にお見せする。半月板に亀裂あり、手術を勧められる。最悪の結果。退職まで後2年と1カ月。手術を受ける暇はない。どうしてもなら、辞めてからやろうか。当面様子を見る事とする。加齢による網膜変性で手術を勧められ、今度は膝の手術か。腰は伸ばして寝れないほど悪くなってしまったし、満身創痍である。人間やめますか、教師やめますか。別に教師を続けたいわけではない。金が無いだけである。


2012年3月16日金曜日

放課後、校長室に呼ばれる。

「教科担任をやってもらう。理由は親睦会に入っていないこと。地区研究会に入ってないこと。これから考えを変えて入るというなら、学級担任に戻してもいいけど。そうでないなら教科担任をやってもらいます。」

という宣言だった。ある同僚から火曜の放課後、

「○○先生は教科担任を希望したの。」

と言われ驚く。校長に来年の人事の打診はあるんですよねとその直後申し入れる。打診はするよとの返事。自宅に帰り悩む。

 自分は学級担任を第一希望から第四希望まで記入して希望調書を提出した。教科担任の希望などまったくしてないのである。希望調書に記載してない人事をするなら事前に説明なり説得があるべきだ。水曜の朝校長に

「教科担任は希望してません。」

と通告する。

「先生には教科担任をしてもらいます。だれでもどの教科でもできるはずです。」

と言われる。

 担任を外す理由はわからなかったし、それは人事権の無い自分にはどうしようもない事だ。教科担任を断ることはできないだろうと思う。でも専科として得意でもない図工や音楽、家庭科などを高学年の子に教えるのはいやだと思う。理科や社会ならまあ人並みの事はできるだろう。それなら受けよう。図工や音楽、家庭科などをどうしても教えろという事なら退職しようと決意する。そのつもりで校長室に入ったものだから、当初考えていた事、つまり理科や社会の専科なら受けます、それ以外なら退職しますという条件面の交渉になってしまった。でも自席に戻り考えると、担任外しの理由が上記の2点である事が気になってきた。これは思想差別ではないか。他人の思想信条を人事権で踏み絵のように押しつぶすものではないかと思えてきた。考えを変えるなら学級担任の希望を入れるけど、考えを変えないなら希望してない教科担任にしますというのはいやがらせではないか。

 本来人事とは教師の希望や適性を尊重して適材適所に配置する事だ。それが子どもの教育にもよい影響を与える。親睦会に入ってない、地区研究会に入ってないから希望してない教科担任にさせる、考えを変えるなら希望通りの学級担任にするよというのは、人事権を盾にしたいやがらせだ。親睦会に入ってないのは前任校からだし、地区研究会に入ってないのは20年近く前からの事だ。今までそれを理由に処分された事も、学級担任を外された事もない。赴任してきて1年目の校長が上記の2点で学級担任外しをするのは、自分に対する個人的報復だと思った。だったら、校長の言う通りに教科担任を受けるのは、人としてまちがいだと思ったのだ。闘う決意をする。

 1 教科担任を受ける上での条件闘争はしない。

 2 第四希望までの中のどれかにしてもらう。

以上の要望が通らなければ、民事裁判を起こす準備をする。

追伸

校長が人事を強行した場合、4月からの専科授業はやらない。自己都合退職の手続きを取る。校長に対し退職に至った精神的苦痛、経済的損害を求める民事訴訟を起こす。

文責 ○○○○

2012年4月14日 土曜日晴れ

学年度末に来年の校内人事の希望を取る。今年は5年生の担任だったから、来年も5年生がいいとか、持ち上がりたいので6年が希望だとか、自分の子がまだ小さくて保育園の送り迎えがあるから低学年の担任がいいとかまあ、人によっていろいろだ。で、希望は第一希望から第四希望まで記入して校長に提出する事になっている。小学校は6学年しかないから第四希望まで書くとすると、1年、2、3、4年希望などとまあ書くわけですね。

自分は音楽が苦手だから、まあ上のような書き方で第四希望まで書いて提出しておいた。

ところが、今年も当然学級担任だろうと思っていたら、だめだと言われる。理由は、親睦会に入っていない事と地区研究会に所属していない事。考えを変えるなら学級担任に戻してもいいよと校長は言っていたけど、どちらも任意団体だし、それに所属していない事と学級担任の資質とは何の関係もないことだと自分は思う。

それに30年以上も学級担任をしている自分を敢えて専科にする事に何の教育的目的があるのだろう。特別指導学級の担任にする事も校長は視野に入れていたらしいが、なんか左遷のつもりなのだろうか。自分の言う事に従わない部下の希望は認めないよというパワーハラスメントに過ぎないと自分は感じた。公務員を私的な理由では解雇できないので、代わりに校内人事で嫌がらせをしようとしているようにしか自分には感じられなかった。

 音楽大学出身とか理系出身というわけでも無いのだ。中、高の社会科免許しか当初持って無く、中学で採用され、そこから小学校の免許を取り、30年以上も学級担任のみやってきた。どちらかというと音楽や理科、図工は苦手な教員である。それを敢えて理科や図工、音楽などの専科にするというのは、子どもにとっても迷惑な話ではないだろうか。

 なんかもう馬鹿馬鹿しくなって自己都合退職というのも考えたのだが、黙って言いなりになってやめるのも癪だ。民事訴訟を起こすと校長に通告したら、学級担任になってしまった。民事訴訟を起こすと言ったって校内人事は校長の専決事項だし、それに平の自分が異論を唱える事はできない。せいぜい任意団体に所属しないという思想信条の自由をパワハラで侵害されたという訴えが認められるかどうかだ。勝ち目があるとも思えないし、専科にされた以上学級担任に戻れる方策も無いだろう。でも闘う事に意義がある。やるつもりでいた。肩すかしを食った感じだ。

 思うにこんな形で専科や特別指導学級の担任に、本人の希望や適性と関係なくされている教員がいるのだろうね。今まで想像した事も無かったが、自分の身に降りかかって初めて、ああこんなパワーハラスメントがあるんだとわかったよ。

2012年6月3日 日曜日曇り時々雨
 運動会が終わった。今年もわらび座のソーラン節を指導する。他に持ちネタがないわけではないのだが、これが一番好きなのだ。理由は小道具が無い事、衣装に束縛されないこと、一人踊りなので集団行動ではない事だ。ひとりひとりのがんばりがそのまま反映される。がんばった人はそれなりに美しい踊りとなる。だから好きだ。
 でも疲れたね。老いたとはいえ、昨年は股割りであごが床についたし、しこも十分に踏めた。今年は腰痛に加え、右ひざの軟骨がすり減り完全に曲げる事ができない。おまけに五十肩まで発症し満身創痍である。よくまあこんな体で指導できたと思う。
 でも子どもたちがうれしそうに踊ってくれたので、教師冥利に尽きた。いやな事も山ほどあるが、幸せな一時を体験させてもらった。ありがたいことだ。

2012年7月21日 土曜日
 本当に梅雨は明けたのだろうか。冷たい小雨が降り続いている。さて、今日から夏休みだ。子どものかわいい顔を見る事も無い。ちょっと拍子抜けする気分でもある。毎日秒刻みのような生活からは解放されるのだが、まあうれしいようなそうでもないような気分である。大津中二男子の自殺を受けて、マスコミは教師がもっと子どもたちを見るようにという論調だ。でも現場の教師から言うと、教師はせいいっぱい子どもを見ている。足りないのは教師の指導性だ。懲戒権の無い教師、支援者としての教師でいる限り学校に規律をもたらすことは不可能である。いじめをしている子どもは学校現場から一時的にせよ排除していじめられている子どもの人権を保護しなくてはいけない。排除する事ができないのだ。そういう強制力が無い。人権を破壊している子が自由に登校している中で説諭で指導するしかないのだ。これでは無理ではないか。問題はシステムなのだ。個々の教師のがんばりに期待している評論家や教育論者の無知か意図的な世論操作である。

2012829()晴れ

 先日の研修会だが、講師の女性指導主事。手短に説明しますと電話応対していたのを上司に叱られたとの事。手短というのは障害者差別だというのだね。馬鹿馬鹿しい。それを言うなら手落ちも差別用語となる。手抜かり、手広く、手間取るなど労働、働きを手という表現をしているのであって、身体の事を指しているわけではない。家に受験生がいれば、すべる、落ちるは禁句となるが、それを自宅に訪れるすべての人に強要するようなものである。本来忌み言葉でも差別用語でもないすべる、落ちるが受験生の心を傷つける言葉となるわけですね。過剰反応である。こんなことをやっていれば、何もしゃべれなくなるし、本来の日本語の意味を破壊する行為である。知ったかぶりになって部下を差別者として糾弾するこの上司こそ差別を再生産する人である。

2012914()晴れ

 プール指導が終わる。ドル平の指導を徹底した。子どもも素直についてきたし、楽しかった。まずはプールサイドで伏し浮きから両手で水を押さえあごを上げて息を吐く事を指導。吸わないで吐く事に集中させるのがポイント。吐けば空気は自然に肺に入る。吸うと水を飲む危険が高い。あごを上げるとしりが落ちるのですぐに伏し浮きの体勢に戻る。そして沈んだしりを浮かせるためにトーントーンと両足キック。いわゆるドルフィンキックである。推進する事が目的ではなく落ち込んだしりを上げ、伏し浮きの体勢に戻るのが目的である。

 だから次の指導は水に入りプールの壁を両手で押して息継ぎとドルフィンキックを繰り返す練習をさせる。まず見本を見せる。これが大事。見てまねるのが学習である。一度も足を着かず何度でも息継ぎができることを見せる。つまり息継ぎさえできればいつまでも長く泳げる事を理解させるのである。

 次にプール中央まで往復させる。これも見本で泳いでみせる。肝心なのは伏し浮きの体勢を維持する事。バタバタしてバランスを崩すと足を着く事になる。つまり泳げないという事だ。できるだけ足を着かないで浮き続ける事を目的とする。速く泳ぐ事は目的ではない。むしろゆっくりと泳ぐ事を目的とする。

 さらに泳ぎのコツを言葉で指導し、もう一度見本で泳いでみせる。

 最後は2往復させる。時間がある限り、泳がせる。とは言ってもグループ別指導の時間は50分程度しかないし、30人を超える子が集まるので3グループに分けてのローテーションで泳がせるしかないのでやはり泳ぎ足りない。プール自体の回数も少なすぎる。一学期2回、2学期3回で終了だ。これで息継ぎを指導するのは至難の技である。でも子どもは素直によく学んでくれた。子どものゴール地点まで背泳ぎで先に行くのだが、白い入道雲が青い空に美しい。教師冥利に尽きる。

ぼくは自由時間は一切認めないので最後まで指導だ。第一自由時間は危険である。あれだけの人数が一斉に入水した時の安全配慮はできない。最初の水慣れは自由時間では無い。同一方向に歩かせているのだ。それに比べ指導終了後の自由時間というのは子どもがめいめい勝手に騒いだり、泳ぎまわっているのだから危険極まりない。どうしてああいうものをどの学年でも許可しているのだろう。こどもが喜ぶからというのは理由にならない。

201211

九九の指導を始める。暗唱させて100ます計算をさせるのだが、チェックが大変。自作のエクセルプログラムだとパソコンが自動的にチェックしてくれるのだが、全員がパソコンを自宅に持っているわけでもないし、教室には一台も無い。週一回パソコンルームに連れて行くだけでは足りない。チェックの簡単な計算ゲームまで早く持って行きたい、そうすると飛躍的に計算力がアップする。経験上立証済みである。子どもたちはそういうこっちの思いとは関係なく

「三色鬼はやるの、やるんでしょう。」

とそっちの方に関心がある。三色鬼で楽しそうに走り回っている子どもたちを見るのも教師冥利に尽きるが、それだけではねえ。

 

 若い頃は体力も有り余っていたから、こんな楽な仕事、もっと男らしい仕事がしたいなんて思っていた。保護者の評判なんて全然気にもしなかった。出世なんて考えてなかった。今は階段を上がるだけで全力である。教室中に届く声を出すのも全力である。全力で仕事をしている。せいいっぱいである。出世を考えてないのは若い頃と変わらないが、保護者の評判なりなんなりは多少気にするようになった。別に誉められようと思っているわけではない。一々保護者ともめるのが面倒になって来たのである。陰湿ないじめは別として、けんかなど子どもの世界には付き物、子どもどおしで解決できるようしばらく放っておいたほうがいい、子どものけんかに大人が口出しするのがそもそもおかしいというのが自論なのだが、今は一々取り上げて仲裁している。放っておくとその後が面倒。無能教師と罵倒されるだけだ。管理職は頭を下げろと言うだけ。馬鹿馬鹿しいので自論は棚に上げて一々仲裁する事にしている。これはストレスがたまる。馬鹿馬鹿しいと思っている事を嫌々やるのがストレスなんだね。正しいと思う事を全力でやるのが生きがいなのだろう。そう言う意味で言うと今の職場は楽しくないねえ。楽しくは無いが、ある程度折り合いをつけて働かないと公務員としては生きていけない。

 

ぼくが子どもの頃は大人は生活に追われていて子どもに構っている暇など無かった。だから子どもだけで群れをなして遊んでいた。けんかは自分たちで仲裁した。わがままは集団遊びの中で矯正され、自立心というかトラブル解決能力を育てる事につながった。19才でたった一人東京で自活する事になった時その力が役に立った。今の子はひ弱で、わがままである。生きる力がか細い上に暴君である。それをこれまた自己中な親が取り囲んでいる。これではなんの生きる力も育たない。幼稚でわがままなまま体ばかり大きくなれば社会そのものが殺伐としてくる。ホームレスいじめをする中学生、校内暴力、シルバーシートにふんぞり返る若者、みんな共通な根っこを持っているのだ。そんな事を主張しても聞く耳を持つ者はいない。三色鬼は自分が子どもだった頃の追体験を自分がガキ大将となってやらせている行為。担任にこだわっているのは、教科担任ではこういう実践ができないからだ。誰に誉められることも無く、自己の信念だけを信じて毎日全力で働いている。

 全力と言っても他人から見ると何それって感じだと思うけどね。亀の全力走みたいなもんだよ。とりあえず今日がんばろうと。あんまり先の事は考えないと。もっともあんまり先も無いのだが。

2013年2月8日金曜日

 先日三読法の大家の講演会に研修で参加する。もともと三読法は好きでないので気乗りしなかったのだが、勤務時間内なのでしかたない。勤務時間内といっても休憩時間は丸々カットの上、勤務時間外一時間延長だからひどい話だ。

 まあ何を話しても日本は自由の国なのでいいわけだ。ただ気に入らなかったのは、子どもに対してそうじゃん、なになにじゃんというじゃん言葉というか末尾がじゃんになる話しかけだった。子どもをしかりつける時ならわかるが、授業で使う言葉としては国語教師としてふさわしくないと思ったし、聞いてて嫌な感じがした。

 後、これはよくないまちがいだなと思ったのは、物語文と説明文の違いを際立たせる意味合いではあると思ったが、説明文は事実を述べていると解説した事だ。

説明文は筆者の考え、主張を実験結果や例示によって説明している文章であって、必ずしも事実や真理が書かれているわけではない。だから批判的に読む姿勢が良識ある国民としては望まれるし、そういう国民を育てる国語教育になっていなくてはいけないわけだ。

説明文を無批判に読む国語教育では、従順な国民、危険な国民を育てるだけだ。

例えば原子力発電を必要、安全と考える筆者の説明文と、原子力発電を危険、不要と考える筆者の説明文では物の描き方が違ってくるのは当然である。

 

物語文では、作者の作品世界に共感しながら読むことが求められる。共感できなければ読者にとってその作品はつまらないものだし、つまらなくていいのである。世評の高い作品を全ての読者がおもしろいと思う必要は無い。日本は自由の国なのだからね。

笠地蔵という作品が教材として提示されていたが、信仰心が無い人には理解できない話である。イスラム教やキリスト教など他信仰の人にとってもそうであろう。偶像崇拝をしない人にとって地蔵は意味の無いものである。

地蔵さんを大切にするのは日本人の一部の人と考えていい。すべての日本人が雪にさらされている地蔵を見てかわいそう、正月を迎えるための売り物だった笠をかぶせてあげましょう、自分のほおかぶりをつけてあげましょうと感じる必要はないわけだ。そう共感できる人にとっては味わい深い作品であるが、作者の作品世界を強要できることではない。これを読解教材として授業で提示することにそもそも無理があるのかもしれない。

またこの先生ご自身がおっしゃられていたが、子どもが学習に飽きる、疲れるというのだ。そりゃそうだろう。同じ本を3回も続けて読むのだから。全文通読して初発の感想を書き、その上で学習課題、学習計画を子どもが立てる。10時間なり12時間のね。それを計画通り学習を進めるわけです。それが三読法なのです。ぼくに言わせれば国語嫌いを作り出す学習法なわけですよ。だれが本を読んだ後、感想文を書き、学習課題を持ち、学習計画を立てますか。あなた好きな本を読んだ時そうしてますか。しないでしょう。まさに学校の中だけで通用する方法なのです。お勉強なのですよ。だから本嫌いを作り出す。それに比べると一読総合法は実際の読書スタイルに似ている学習法なのです。題名から本の内容を想像する。それから立ち止まり(本来なら一人一人立ち止まる所は違うはずだが、授業なのでそうもできないので教師が立ち止まる所を指定する)毎に行間に書き込みをし、それを元に話し合う。心を動かされたことをね。その先の展開の予想なんかも話し合う。だからおもしろい。全文通読なんかしないからね。最後まで読み終えたらおもしろかったね、楽しかったねで終わりです。感想文を強要する事はありません。書いてもいいけどね。だからぼくは一読法が好きです。三読法は異常な読書法だと思います。

 

まあこんな事を聴衆の先生方が皆りっぱな講演会だと感嘆している中で感じている自分というのも、困ったもんである。こんな異端児が百足競争みたいに足並みそろえて走っている職場で生きていくというのもどうなのかねえ。戦力外通告をつきつけられるのもわかる気はする。でも省みて直かれば千万人といえど我行かんだ。孤立するよりつらい事は自分にうそをつくことだ。これでいいのだ。バカボンのパパなのだ!


2013年2月18日月曜日

 体罰は禁止されているのだ。懲戒免職である。それなのに体罰が起きている。暴力的な人間が教師に多いというわけではないだろう。なぜ体罰が起きるのかその原因を考えないと問題解決にはならない。教師に挨拶もしない、悪態をついて授業妨害をする、こんな子らを言語だけで指導しろというのが無理。無理なら出席停止にして親子で反省する機会を持たせればいいのにそれはできない。大手をふって学校に来るわけである。教師がノイローゼになるのは当然。ノイローゼにならなければ自分のような体罰教師になるしかない。

体罰と言っても殴る、蹴るではない。肩を抑えたり、首根っこをつかんだり、要するに力の差を見せ付けているだけだ。けがにつながるようなことはしていない。これがないと教室の後に立ちなさいと言っても立たなくなる。黙りなさいと言ってもしゃべり続けるのである。これがあるから子どもは言うことを聞くようになる。実力行使は必要。羊だって犬がただ吼えまわっているだけでは言うことは聞かない。時々後ろ足をかじられるから小屋の中に入るようになるのだ。

2月19日火曜日

 霙が降る寒い一日となったが、授業参観である。スーホの白馬の暗唱大会をやる。朗読でなく暗唱としたのだが、子どもの能力とはすばらしい。リハーサルではうまく行かなかった班もほとんどまちがいがなくすばらしい出来だった。練習ではリーダー的存在だった子が発表途中で泣き出すハプニングもあった。後で聞いたらまちがえたらしい。こちらが気づかない程度の事だったのに、まじめだから深刻に受け止めたのだろう。なぐさめておいたが実にかわいいなあと感嘆した。こんな純粋な子と付き合える教師としての喜びは大きい。

考えて見ると大半の子は実にまじめである。掃除も学習もよくやっている。ごく一部の子が神経を逆なでしているわけで、いらいらしてもしょうがないのだ。大半の子はいい子だ。悪い子だっていい所はある。後一月か。

2013年3月25日月曜日晴れ

 何の打診も無く、担任発表の日を迎える。同僚も打診が無かったと言っていた。昨年のような嫌がらせ(親睦会に入ってない事、地区研究会に入ってない事を理由とした担任はずし)はしないだろうとは思ったが、万一そのようなことがあれば、闘わなくては筋が通らない。それもしんどいなあと思ったが、闘う覚悟は決めておいた。

1 発表されたその場で全員注目の中で抗議する。

2 法的措置を検討する。

 結果は学級担任だった。校長なりに反省したのだろう。あるいは面倒を回避しただけかもしれないが。学級担任として最後の年を迎える事となる。事前に相談されれば、学級担任でなくても受け入れる気持ちはあったのだが。何の相談も無く全体発表なら抗議せざるを得ないでしょう。

 「考えを変えるなら学級担任に戻すけど、そうでないなら教科担任をやってもらいます。」という校長の校内人事方針というもの自体が学校の私物化である。各人の希望や適性を考慮して、事前の相談と納得を得て発表というのが筋でしょう。校内人事委員会なりを設けて集団で検討する方が校長の独断専行、学校の私物化を防ぐ手立てともなる。現場の教師の意見を聞かず、上意下達だけでやってしまおうという意向がある。こんな事をしていたら、教育委員会自体が存在意義を失ってしまう。行政が直接学校を指揮している事となんら変わらない、いやそれ以上の保守化、弊害につながっている。

2013年5月11日土曜日雨

 朝5時半に起きてCB400に乗り道志道を走る。道の駅道志に着いたら小雨が降り始める。山伏峠を越えるのは無理と判断し、帰りの道を走る。無心でバイクを走らせるのが今一番の楽しみだ。

 昨日は体育館でわらび座の花笠音頭を指導する。まず股割りのストレッチから始める。両足をできるだけ開く。股の付け根に両手を当て、腹を床に着ける。頭を着けるというより、腹を着けるつもりで股関節を回転させる。これができると、しこ立ちがきれいになる。子どもにもしこ立ちの美しさを求める。これが決まると踊りもきれいになる。家で股割りとしこ立ちの練習をするよう呼びかけた。

盆踊りが基本の踊りなのだが、一部ソーラン節のようなしこふみが入る。ここがきつい。ピンマイクを胸に着けて繰り返し踊って見せる。もう膝の限界を超えているなと思ったが、やめるわけにもいかない。夜体重計に乗ってみたら2キロも減っていた。幸い膝に水が溜まるなどの症状は出なかった。一度水が溜まりだすとどうしようもなくなるので自重しながら指導を続けるようだ。

 まだ59才だが、7月には60になる。もう踊りを指導するのは無理なのかなと思う。個人差はあるだろうが、自分としてはすでに限界を超えている気がする。悲しいがこれが現実だ。再任用の制度はあるが、全員採用する義務は教育委員会には無い。評判の悪い自分が採用される事はまずないだろう。今年が最後と考えるべきだ。体育館のステージに上がり、子どもに踊りを教えるなんてことは、今まで仕事と考えていたのでしんどいという思いが先にたったが、これで最後だと思うと幸せなことだと思えてくる。今年は鏡でも踊れるよう踊りを覚えたので、こどもと向き合って指導できる。後数回しかないが、大事に大切にやっていこう。

2013年8月19日月曜日薄曇り
最後の夏休みだ。年休がたまりにたまって40日もある。
なんとか消化しないと。無理だろうけど。
で、夏休みだ。ここで取るしかない。授業が始まると結局取れないからね。
毎日、散歩、読書、オートバイ。これはこれで楽しいけど。退職後はこれで毎日行くのかと思うと、なんかなあという気にもなる。
小学生と毎日過ごしたいというわけではない。未練があるわけでもない。
でもなんかなと思うのだ。
先日一人で電車を使って横浜方面の遠足の下見に行って来た。
結局これなんだな。仕事をしている、だれかの役に立っている、この感覚が欲しいのだろう。働いて、金を得る、この感覚が欲しいのだろう。
希望者は全員再任用可能というらしいが、来年はどうなるのだろう。
再任用と言ったってどういう就労形態かはわからない。
なんでもいいという気にはなれないしね。

2013年8月30日
 先日不祥事事故防止講義なるものに勤務で参加する。いわゆる退職校長の再就職先だね。
いつも退職校長が講師としてやってくる。まあ何を話してもいいのだが、一つ聞き流して反論しなかった事が悔まれた。内部告発者は、職場の人間関係が悪いと現れるというのだね。
なんかストーカーか精神異常者のような扱いだ。
 内部告発者とは、組織が社会的常識や法律を無視して自己の利益実現に向けて暴走してきた時にそれを抑えるものとして現れる、良心の呵責のようなものなのだ。自己犠牲の上で社会的正義を実現しようとする勇者なのである。
 若いころ教材会社のリベートをもらうのが職場の常識だったが、北九州のある教員が不正だと内部告発した。それを端緒に全国的に教材会社のリベートを受け取る慣習は姿を消した。
 警察でも上司への餞別、接待のための裏金作りを組織としてやっていた。機動隊員の日当や旅費をピンハネしてプールしていたようだ。これも内部告発者によって摘発された事だ。
 良心と正義感を持っていればみな内部告発者になるのである。

 学力調査の結果を受けて学力向上のために宿題をやろう、辞書や教具を個人持ちにさせようという提案があった。まあ宿題はいいとしても教材の個人持ちとはどういうことか。
 保護者の負担軽減として、これまで教科の消耗品として教具を一クラス分購入してきたとか、運動会の参加賞として全員分購入して来たとかの工夫が個々の教員の良心として行われてきたのである。
そういう努力や工夫を評価しないで、学力向上のためには個人持ちがいいと言うのは、だれのための学力向上なのかという気がする。必要なら公費で全員分購入すればいいのである。そんな事は現状できないから工夫して来たわけでしょう。今度の提案が通れば、いきおい教材会社の斡旋する辞書なり教材の購入を教師が保護者に勧める事となる。
「教育はこれを無償とする」のが原則だ。だから教科書も無償配布になったし、学級費も保護者負担で無く公費になった。高校の授業料無償化もその流れなのだからと反論したのだが、同調者はいなかった。上が提案すると通るのが役所の常である。学校の職員室も同じなのだ。

2013年8月31日
まあ、全国学力テストの平均点からうちの学校が低い所を平均より上にしましょう、そのために宿題を出しましょうという理屈はわからないわけではないが、よく考えてみると成り立たない理屈なのだ。
文科省もあゆみも子どものやる気を育てるため絶対評価を建前にしている。それに対して学力テストは相対評価である。つまり、何十年この学力テストをやり、何十年全国の学校が学力向上に取り組んでも、必ず全国平均より上の学校と、下の学校が存在するのである。がんばれば、うちの学校を平均より上の学校へ引き上げられるというは成り立たない理屈なのだ。いくらがんばっても必ず平均より下の学校が出る仕組みなんだって。がんばらないから下になるわけじゃないの。
そういうシステムなんだって。
 どうもその辺の所をすり替えている気がするなあ。
相対評価でわかるのは順位だけである。絶対評価を建前にしている文科省の自己矛盾である。
 いっそ絶対評価に変えたらどうなのかねえ。例えば、80%の子が逆上がりができるようになったらA評価にするとかね。漢字の識字率が80%を超えるとA評価にするとかね。そうすれば、がんばればA評価になれる可能性は全国の学校に出てくる。
結果日本でA評価の学校が増えるわけだ。みんなで赤飯を炊けるってもんだ。

 そんな事は考えず、取りあえず自分の学校の順位さえ上がればいいのって事なら、受験勉強をやらせるのが一番効果的だ。つまり過去問に取り組ませるのね。傾向と対策だ。
でもこれってだれのための学力向上なの。教育委員会関係の大人の出世と保身のための学力向上策だよね。
 そんなものに現場の先生が協力する筋合いはないね。


2013年9月15日日曜日台風
 先週で水泳指導が終わった。小学生を教える事もドル平を教える事ももうないのだろうなあ。
プールサイドで伏し浮きの姿勢と、両手で平かきをしてあごを上げて息を吐く、吐けば自然に空気が入るのですばやくまた伏し浮きの姿勢に戻る。沈んで来るお尻を持ち上げるためにドルフィンキックを2回か3回やって、体勢を元に戻す。
これを指導してから、今度は入水してプールの壁を両手で押して息つぎの練習だ。
これがけっこう初心者にはむつかしい。
その次は実際に泳いでもらう。スピードは関係無いので息つぎを中心に自分のスピードで泳いでもらう。今回、ぼくのグループは30人ぐらいだったので、3つのグループに分けてインターバルトレーニングのようにこの泳ぎの繰り返しである。水温、気温共に快適だったので時間の範囲内せいっぱいがんばってもらった。
これで終わりなんだなと青い空とこどもたちを見ながら思った。
 体育で実習生が見学する。その手前張りきったわけではないが、三点倒立の見本を見せる。
別名頭倒立。頭を三角形の頂点とし、両手の三点で逆立ちするわけだ。
首が悪いので普段はブリッジもしないし、三点倒立は一年ぶりだ。いきなりできるかなあと思ったのだが、自転車と同じで一度できるとできるもんなんだねえ。首がちょっと心配だったが大丈夫だった。こどもたちもがんばってやっていたが、今日はできる子はあらわれなかった。
次回期待しよう。まあ、できなくてもいいのだが。体重が少ない小さい時にできると楽だからねえ。
もともと小学校の先生になる気はなかったのだが、人生のあやでこうなってしまった。
でももう60だからねえ。体育の見本はさすがに自信が無くなってきた。潮時でしょうよ。

2013年9月20日金曜日晴れ
 「ちいちゃんのかげおくり」を国語の下巻でやる。戦争の事がわからないと想像しにくい世界だ。
総合科の地域探検で防空壕を見た。これも言葉で説明するだけでなく、想像しやすい工夫が必要だと思っていた。そこで、合科という事で「はだしのゲン」を教室で上映する事にした。
以前、広島の被爆の写真をみせただけで、自衛隊員だという保護者から苦情が来たし、「はだしのゲン」を閲覧禁止にする教育委員会もあるご時世である。
 だが、信じる事をやろう。長い話なので、二日に分けて総合と国語の時間に上映した。
残酷な場面では、目を閉じたり、耳をふさいでもいいという事を事前に指導。それでも一日目の上映で涙を見せる子がいたので、二日目の前に一人でも見たくないという子がいればやめます、普通の国語の授業に変えますと宣言したのだが、全員が見たいというので上映する。
 ただ残酷な場面の連続というだけでなく、生きる力とユーモアにあふれた感動的なアニメである。
小中学生に見せない、閲覧禁止という所もあるけど、みんなは見た方がよかったですかと聞いたら、みんな見て良かったと言う。
 たまたま青空が広がっていたので、教室で感想文を書かせるより、外に出てかげおくりをさせる事を選んだ。一人で、二人で、クラスみんなでというふうに自分たちで工夫して遊び始めた。
 教師ていいなと思えた一日だった。

2013.9.29日曜日晴れ
 ちいちゃんのかげおくり、題名読みから立ち止り読み、書き込み作業。書きこんだ教科書を
班で読みあう。その後、全体討議。子どもの意見を一々板書などはしない。
教科書にすでに書き込んであるので二度手間だからね。それより、自由討議のよさを板書は台無しにしてしまう。

はだしのゲンを見た後なので、物語の世界によく入り込んでいる。
また、一読法の良さだろう、読み取りに緊張感がある。物語の読み取りだけでなく、戦争や平和、家族、生きるとはと話し合いが多義に渡る。子どもの話もそうだが、教師の話も充分にできる。
楽しいというか教師冥利に尽きる授業。永遠に続けたいとさえ思える。
もちろん、最後まで読み終えたら終わりなのだが。二度読みはしないからね。

 土曜授業参観という事で体育をやる。鉄棒だ。一年生を指導した時も空中逆上がりができる子はいた。
4年生の時は空中前回りを連続でできる子もいた。ところが今年の3年生はいないのですね。
しかたなく、自分が空中逆上がりと空中前回りの連続技を見せる。よく考えると60を迎えたおじいさんがよくできるものだとは思うね。
 その後、じゃんけんで対戦チームを決めて三色鬼をやる。ルールには習熟しているので、安全面の管理とトラブルの仲裁だけやればいいので特に指導する事も無い。
 今日はトラブルもなく、楽しそうにやっていたので、暇だった。
いつもだとトラブルやわがままに固執する子が出てくるものなのだが、授業参観という事もあったのだろう。

 今年も新採用教員の師範授業を体育でやるはめとなったが、いつも雨対策という事で体育館でやるのだが、回は鉄棒をやろうか。雨だったらしかたないので、体育館の予約も取っておかないといけないので、面倒だが。鉄棒の師範授業など見る機会も無いだろうから、いいかも知れない。

 授業とは、人間が人間に教えるもの。指導要領の縛りはあるが、自分の良心にもとづいて信念を持ってやれば楽しいものとなる。
 これまでの経験から言って、指導主事にほめれられる授業とは、見ていて楽しいものではない。
型破りの教師、型破りの授業が自分は好きだ。そんな授業はめったに見られるものではないが。

2013.10.5日曜
 先日遠足に行く。小学校教師として最後の遠足だね。
台風でどうなるかと思ったが、台風一過の青空となる。
幸運である。多少のハプニングはあったが、楽しい遠足となった。
 職員の弁当は各自持参、担任はクラスの子と昼食を取る、遠足後の反省会はお菓子は禁止、お茶のみで簡潔に行う、というごく当たり前の事のようだが、自分の方針が貫けて良かった。

 どうも女性の職場というか、一般的にはそうではないのだね。
大体、弁当係というのができる。当該学年の教師が負担する。
弁当を買ってくるのである。付き添いの教師は弁当を買う手間が省けるわけだ。
その上、昼食時はお湯だけ持ってくればいいからねと言われる。
昼食時、インスタントみそ汁やらコーヒーが当該学年によって用意される。
まあ、お客さん扱いなわけだ。教師だけで円陣を組んで食事会となる。
当該学年はおかずやデザートを用意する。プチ宴会となるわけだ。
子どもたちは子どもどうしで弁当タイム。
これが変と思って来たのだが、若い時は仕切れなかった。で、学年主任となってからは上記のやり方を押し付けるようにした。押しきれない場合は、自分だけプチ宴会には参加せず、クラスの子と昼食を共にしてきた。

 遠足の反省会に至っては、お菓子やデザートが会議室に並べられ、ここでもまたプチ宴会となる。低学年の遠足など大体5時間目ぐらいには帰って来るので、高学年の子たちはまだ6時間目の授業中だという事が多い。廊下をぞろぞろ子どもたちが歩いているのに、会議室で先生たちは反省会という名目でお菓子を食べて雑談しているわけだ。
これも変だよね。大体が当該学年のおごりなのだが、中には会費を徴収される場合もある。
自分などは菓子は食べないので、金だけ払っている感じだった。これも学年主任になってから角が立つ事は覚悟の上でお菓子禁止にしてきた。それでも無視してお菓子を並べる同僚もいたが、会議が終了してから食べるように釘をさしたので、食べながらの会議にはならなかった。
今年はお菓子を並べる同僚もいなかったので、自分の方針が浸透してきたというか、あの人の時はあきらめましょうという雰囲気なのかもしれない。

 ともあれ、自分の遠足は終わりだ。小学生と弁当を共にする事はもうないのだなあ。

2013年11月1日

校長に呼ばれる。11月5日の再任用の説明会に出ないと申請はできませんよと言われる。18時からだからねえ。勝手に行事黒板に名前が書いてあったので、勤務時間外なので出ないよと教務に断ったのを聞いたらしい。

 先日再任用の申請書を校長に提出したのだが、どうも校長は気に入らないらしい。給料は半額になるし、いい事はないですよ、臨時採用教員に登録しておいて、おいしい仕事の話だけ受けたらどうかと勧めるのだ。

 学級担任希望、今の学校で勤務したいと希望欄に書いておいたのだが、それがお気に召さないらしい。どういう仕事になるかは配属された勤務校の校長が決める事だから、学級担任とは限らないよ、それに今の学校に残れるかもわからないよ、何でも受けますという覚悟でないと申請は受け付けられないと言うのだ。任用が決まってから断られても困るからねえともっともらしい事を言っていたが。まあその通りかとも思ったが、希望欄があるのに希望を書かないのもおかしいし、第一いろんな希望を調整するのが委員会の仕事だろう。校長の言うことを鵜呑みにして申請自体を取りやめるのも癪だと思った。

 

 取り合えず、説明会に参加しないと申請を受けてくれない雰囲気だったので参加する事にした。

 説明会そのものは話を聞かなくてもプリントを読めばわかる内容で、まあやりましたというアリバイ工作みたいなものだった。プリントも校長から渡されたものと同じ物で目当たらし情報はなかったので、やはり時間の無駄だなと思った。再任用は年金支給が61才からになるので、無年金になる公務員の救済措置だ。従って希望者は再任用するという閣議決定がなされているので、面接もやる予定はないとの話だった。質問はありますかと言うので、面接がないとするとどうやって希望を言うのかと聞くと、申請書に書いてくださいという返事だった。

 

 次の日、校長にまた呼ばれる。なんでも受けるという事でないと申請を受ける事はできないよと言う。教科担任なら受けない気持ちだったので、確かに再任用されてから話を断るのは迷惑をかけるだろう。条件付きでも申請できるものかどうか自分の方で委員会に確認してもいいかと聞くと、それは構わないと言うので、直接確認する事にした。

 さっそく電話で面談の約束を取り付ける。教科担任なら断る。それ以外ならどんな条件でも飲む気持ちだと率直に申し出る。担任を任せられない人が多いのが実情なので、担任を希望する人はむしろ調整しやすい、申請してもらって結構ですという返答だった。

 次の日、条件付でも申請できるという返答だったので、受理してもらいたいと校長に申し出る。わかりましたとの返答。裏にどんな推薦文を書くのだろうか。以前推薦しませんという推薦状を書いた校長がいて対応に困ったという話を説明会の折に聞いた。自分はその口だな。推薦しないというならその校長に引き受けてもらおうという対応になったらしい。それも手だな。自分もその口で今の勤務校に残れるならおいしい話だと思った。

 まあこれで再任用は十中八九決まりだと思うが、良かったのかどうか。声もかすれてきたし、身体はがたがただ。本当に働けるのか。職場で死ぬんじゃないのか。

 希望者は全員採用という話を聞いて、申し込まないと後悔すると思ったのだが。来年の4月から無収入でも自由でのんびりとした生活を選んだ方が良かったかもしれない。心は揺れるなあ。

 


2013.11.4雨
 体育の授業で4年生が鉄棒をやっていた。久しぶりの空き時間なので自分も鉄棒をやろうと校庭に出てみたのだが、授業中では邪魔するわけにもいかない。雲挺で懸垂などをやっていて、チャイムがなったので鉄棒に向かう。4年生は離れたので腕立て前転と後転をやったら、いつの間にか4年生の男女が集まって来て拍手される。どうやったらできるのか口々に聞かれる。思いつくまま答えたが、それだけではできないだろう。自分もできなかった。できるようになったのは、40過ぎてからだ。痩せたからかなあ。

 自分のクラスで台上前転を指導する。もともとやる気はなかったのだが、同僚が3年生だから指導するというのでそういうものかなと思った。体育には教科書が無いし、自分には指導書も配当されなかったので、年間計画以外わからないのである。もっとも指導書を読めばいいのだが、関心ないしね。職員室で3年の体育の副読本を探したが無い。4年のものはあったので見ると台上前転のイラストがある。4年からは指導するらしい。
念のため自宅でネットでも検索する。ユーチューブに動画があったので参考にする。
 とにかくけがが怖い。器械体操の場合深刻な事態が予想されるので慎重にならざるを得ない。6班あるので、一枚はマットのみ。2枚目は一段目を乗せてそれにマットをかぶせる。3枚目はむき出しの一段目だけ。
4枚目は2段。5枚目は3段。6枚目は4段。これでゴール。見本でやって見せなくてはと思ったが、低学年用の跳び箱なのでなんせ小さい。これではいくら手前に手をついても大きな自分の背中が台上に乗るとは思えない。まあけがをすることはあるまいと子どもの前でやって見せる。歓声だ。なんでもこれだから嬉しい。
 マットだけで前転をさせる。頭のてっぺんでなく、後頭部でまわらないと合格にしないよと話し、これも見本を見せる。一人ひとりチェックし、頭頂部でまわっている子は不合格にし、次には進めさせない。
 このやり方で一つ一つクリアしていくわけだ。最後の4段目まで進んだ子はミニ先生となる。幸い、けが人は出なかったのでよかったが、あぶなっかしい子はいた。

 算数の授業で互除法を指導する。教科書には無いのだが、これを指導しないと小数との違いがわからない。
紙テープで1と三分の二をつくり、1mよりは長いが2mよりは短い中途半端な量を表現させるのだ。小さい物で大きい物を互いに割るのが互除法である。三分の二だから1mでは割りきれなく、また中途半端が出てくる。
これで再度次の大きい物を割ると割り切れる。これでお終い。この最小単位が三分の一だったので、表現したかった量は1と三分の二だとわかる。黒板一杯に討論の結果が載る。この一時間だけで互除法も分母、分子、帯分数、仮分数、真分数も指導できるのである。わけのわからない教科書のイラストよりずっとわかりやすく合理的だと思うがね。

 音楽ではギター伴奏でパフのリコーダーアンサンブルを始めた。楽しい。いつもはCDでやっているのだが。
昔はCDが無かったのでオルガンでやるしかなかった。オルガンが苦手な自分はギターを覚え、ギターでやっていたのだが、CDが登場してからはその必要もなくなった。

 かように各教科を指導するのは楽しい。国語も理科も社会も図工もそれなりに楽しいものだ。



2013年11月13日水曜日晴れ

 1年の○○さんと6年の○○さんの授業だ。確か○○さんの授業を希望した記憶だったのだが、○○さんの方に配当されていた。特に関心は無かったのだが見てるうちにこれはおかしいと確信する。教材は広島の原爆資料館が世界遺産になぜ登録されたかという説明文。それを読んで小学生なりに平和について考え、資料を集め自分なりの意見文を書くというもの。例示されていた作文は民族浄化により虐殺された事例などを調べて、自分なりの考えを書いたものだった。だったら、戦争についてしっかり勉強し、自分なりの考えが持てればいいと思うのだが、授業はちがっていた。ユネスコの平和は心の中に砦を築かなくてはいけないというフレーズに着目させ、身近な暴力を防ぐというものだった。具体的には班で友だちどうしのけんかや兄弟けんか、町のクレームによるトラブルを列記し、イライラする時に心の平和の砦をきづくのか、やりかえそうとする時に心の砦を気づくのかを討論するものだった。廊下に掲示されていた班討論のメモを見ると、ムカつくとか、うざい、などの言葉が氾濫している。授業は背伸びをして大人の言葉を使い、大人の世界を想像する所だ。見えない物を見、知らない事を想像する所だ。そんなの知っている、おれはわかっていると知ったかぶりをする所ではない。私的な言葉と公的な言葉を使い分けて、授業では敬語を使う場なのにこの短絡的な言葉の氾濫を許している事自体すでに授業になっていないと思った。またこれを批判する同僚や管理職が存在しないのも信じられない。校長や教頭は暇さえあれば人の授業を見に来ているが、こういう掲示物をおかしいと思わないのか。それが信じられなかった。

 自分は教材研究のため広島に手弁当で行き、原爆資料館を見学した。その際親子で見学している家族を多数見た。その子どもらがもし作文を書いたとしたら、このような内容にはならないはずだと思った。けんかと戦争とは規模の違いではなくその原因、内容、性質がまったく違う。卑近なけんかという事例に戦争を矮小化してしまった事自体が説明文を読み取っていない、60数年前300万人の日本人が殺され、全世界では2千万の人が殺された戦争の悲惨さを軽視、ないし無視した授業だとさえ思った。

 指導要領のねらいを先取りした授業だとか、子どもがよく発言できているとかよく書けているとか概ね好評であったが、自分は違和感を禁じえなかった。

 指導主事に誉められようとするとこんな授業になってしまうのか、今の若い人には歴史に学ぼうと言う真摯な心が無いのか、失われた人命に対する謙虚さが無いのか愕然とした。

 指導主事の指導講評がまたひどいものだった。落語の枕のように今日私的に起こった事を話し始めたが、100円を拾ってコンビニで肉まんを食い幸せだったとは、身内の会だと思っている思い上がりである。100円だとねこばばしていい、1万円だと届けないといけないというルールは無い。


2013年11月20日

月曜は終日フェスティバルの準備。火曜は本番。一年生が多数来る。どうもいつまでも客がいるなと思ったら、回転が極端に悪いのだね。一昨年から景品を出す場合、客と一緒に作ったものというルールが加わったためだ。モグラ叩きをやると景品としてミサンガを作る。割り箸鉄砲を撃ったら景品として折り紙を折る。レストランでは景品は無いのだが、注文した料理を自ら紙粘土で作らないといけない。いずれにしろこの作る作業に時間がかかるのだ。高学年の子はさっと気づいていなくなるのだが、初めての一年生がこのえじきとなる。教室中一年生であふれかえる。まあかわいらしい。マジックだけが景品が無いので回転が速い。ここはマジックを見るだけなので楽である。


2013.12.2月曜日晴れ
 すがたを変える大豆の研究授業を見る。自分でもやった授業だが、なかなか興味深い説明文だ。
ただ一点だけいやな比喩表現がある。「大豆は畑の肉」というもの。今は肉食はコレステロールが高いとか肥満の原因とかマイナスイメージがあるが、ぼくが子どもの頃は肉は魚に比べてはるかに高い食材で肉食は金持ち、豪華、うらやましいというイメージだった。だから肉という比喩は大豆の価値を高めるものだったのだろうね。でもこういう比喩がきらいなのだ。
 ぼくは戦後の物の無い時代に生まれた。戦争に負けて日本は貧乏だったし、自分の家も貧乏だった。
まがい物、代用食にあふれていた。粉末を水道水で溶かしたものがジュースだった。家に冷蔵庫は無かったので氷なんて無い。氷のないコップに粉を溶かしたのがジュースだった。
長い間ハムとかソーセージは魚肉で作る物と思っていた。果実を搾ったものがジュースで、豚肉を腸詰したものがハム、ソーセージと知った時はうそだと思ったね。給食のパンの横には牛乳の代わりに脱脂粉乳があった。
パンの横には牛乳がいて欲しいのだ。だから、肉は肉を食いたいのだ。畑の肉なんてありがたくない。
畑の肉と言われてありがたく思うその心持が貧しい。あのころの日本の貧しさを象徴しているようで実にきらいな比喩表現なのだ。

2014年2月3日晴れ

 まったく話にならない。放課後児童指導全体会で、雨の日は校庭で遊ばないよう教頭が放送を入れるという部の提案に対して校長がナンセンス、そんな事は児童の判断に任せればいい、そうしないと指示待ち人間を作るというのだ。部下が校務分掌で丁寧に話し合って出してきた提案をナンセンスの一言で片付ける神経が信じられない。お前は全共闘か。

 しょせん小学生ではないか。ずぶぬれになっても遊びたい子はいる。それを指導するのが教師の役目。温度差があって指導が統一できないから、教頭が音頭を取って放送を入れてくれと言う提案に子どもの判断に任せればいいと校長が言うのだ。念押しに雨が降っていても体育の授業をやるとか、雨が降っていても外で遊ばせるとかの事について管理職はどう考えるのかと聞いたら、それは程度問題だ、担任の判断に任せると言うのだ。じゃその責任はだれが取るのかと聞いたら、担任が取ればいいと言う。だったら管理職なんていらないじゃないか。馬鹿馬鹿しい。馬鹿が殿様になっているからしょうがない。今度雨の中ずぶぬれになって遊んでいる子がいたら、本人の判断に本校は任せているのです、それが校長の指導ですと答えるようにしよう。

まあこれではいけないね。公務員は全体の奉仕者であって、一校長に仕えるのが仕事ではないですからな。必要な指導は校長を無視してもやる事にしよう。


2014年3月1日土曜日小雨

 朝から雨でバイクも山もあきらめる。傘を差して山を歩く元気は今日はないからね。雪かきの疲れがまだ残っているのかも。

 いよいよ退職の月を迎える。35年働いてきて辛いから辞めようとか、苦しいから辞めようと思ったことは一度もない。第一そんな辛いとか苦しいとかそんなことはなかった気がする。単に忘れただけかもしれないが。

 ただ馬鹿馬鹿しいと腹を立てる事はよくあったし、今でもある。

「馬鹿馬鹿しくてやってられるか!」

というやつだ。こっちがまじめに考え、まじめに働こうとしているのに馬鹿馬鹿しい事が大手を振ってまかり通る。逆らえば、首を覚悟する事になる。

こんな馬鹿な事は馬鹿な人にやってもらって、自分はもっと真っ当な生き方をするんだと力んだところで相手になってくれる人はいない。再就職の当ても無いのに、粋がって退職届けを出したところでそれこそ馬鹿を見るだけだ。家族を路頭に迷わす事になる。

 

 馬鹿馬鹿しいから社会党一党支持の日教組はやめた。

 馬鹿馬鹿しいから地区研究会はやめた。

 馬鹿馬鹿しいから厚生会はやめた。

 馬鹿馬鹿しいから親睦会はやめた。

 でも教員だけはね、これは生活がかかっているから。金がからんでいるからねえ。おいそれとは辞められなかった。気がついたら退職の月を迎える。

教員以外に生きる道もあったとは思うが、辞める勇気は無かった。それが正直なところ。みっともないやなあ。

教師という職業に未練は無い。授業をやるのは楽しいし、子どもを躾けたりお世話することは有意義なことだと思う。でもどうしても自分がという必要はないし、第一だれにだって終わりはあるのだ。何の能力も適性も無い、不適格教員の見本のような自分だったが、誠実に働いてきたし、未練は無いよ。どうも自分が信じる教師像と文部省の掲げる教師像とが違うってことに若い頃から気づいては来た。もちろん自分の方が正しいんだ。長年の経験からそう言える。でも言ったところで平教員の意見に誰が耳を傾けるかってんだ。

まあしかたないやなあ。

4月から再任用の口があるのだが、勤務の延長という気はしない。やはり首になったんだよ。それで再任用。なんせ給料は半額以下になるんだから。新採用レベルか、それ以下だよ。ベテランとかそんな意識では働けない。金目当ての仕事先の一つだ。今度は辞めやすいよなあ。もういったん首になっている身だからね。

まあそんな先の事は考えず、とりあえず最後の授業。最後の成績付け。最後のクラス編成。それをやり通すこと。一日先だって、人生は見えないんだからやるべきこと、自分の信念を貫いて終わりを迎えよう。



2014年3月7日金曜日

 3月の一週が過ぎた。いよいよ後数週間。授業があるのは実質後一週間だ。後は短縮日課が続くからね。

 退職に当たって心残りな事は、不登校になった同僚に何もしてあげられなかった事だ。

この学校の事ではないが、今まで何人も見てきた。なぜ守れないのか。なぜ不登校になるのか。

 

 子供が言う事を聞かない、保護者の中にクレイマーがいる。そんなことで職員が不登校になるわけではない。

きっかけは管理職というか上司が作っている。本当に自分が悪いと思っているなら上司が言わなくても本人が自分から進んで頭を下げる。悪いと思っていないのに、理不尽だと思っているのに上司が頭を下げさせるからだめになっていくのだ。根が純粋でまじめだから、方便として頭を下げることができない。頭を下げたことで自己を否定してしまう。その事が尾を引いて自信を失い、子どもたちの前に立てなくなってしまうのだ。

上司なんて自分の事じゃないのだから、頭を下げるなんて気楽なもんだよ。こいつが申し訳ないことを致しましてと一緒に頭を下げてるだけだろ。痛くも何ともないじゃないか。当の本人が一番辛い思いをして頭を下げてる。自分が分裂してしまう。頭を下げたくない自分と下げないと職場で生きて行けないと思っている自分と。

 

 だから同僚は守る事も助ける事もできないのだ。だって、潰れるきっかけは上司が作っていて、同僚じゃないのだから。きっかけを作ってない同僚がいくら励ましたって問題解決にならない。要は上司の指導にある。原因は上司が無理やり頭を下げさせた事にあるんだって。

 子どもや保護者とのトラブルで、職員なりに解決策というか言い分があるのだ。それを謝罪させることで上司が丸く、自分に取って丸くだね、納めようとするから職員を潰す事になるんだって。

 

 残される後輩に言えることは、方便として頭を下げろって事かねえ。

あるいは嫌なら頭を下げるな、自分の良心を守れるのは、自分しかいないってことかねえ。心が潰れたら元気なんか出るわけないだろ。自信というのは、自分を信じるということ。自分を裏切っておいて自信なんか出るわけないだろって。

2014年3月13日木曜日雨

退職にあたって心残りな事は、不登校になった今までの同僚の事だ。過去の同僚の不幸な出来事をああだこうだと言うのは失礼にあたる。だから自分の事を言います。

子どもが言う事を聞かないとか、保護者の中にクレーマーがいるとかで教員がつぶれるわけではありません。つぶれるんじゃなくて潰されるのです。ぼくもいろいろ子どもや保護者とトラブルがありました。そのたんびに上の者は事を丸く収めるためにぼくに謝れと言うのですね。自分が悪いと思っているなら人に言われなくても頭を下げます。それぐらいの素直さはあります。頭を下げないのは悪くないと思っているからですよ。

 そういう時の選択肢は二つしかないです。悪くないと思っているけど、しょうがないから頭を下げる、これが一つです。世の中の謝罪会見なんてみんなこれですよ。演技としてすまなかったという顔をしているだけです。だから心は何も傷つかないです。

 もうひとつは謝らないです。首になったって謝るもんかというやつです。ぼくは大体これでした。でも一度も処分されたことはないです。随分脅されたけど処分できなかったですね。ぼくは出る所に出るつもりでいましたから。上の者は負けるけんかはしないです。

 潰された人は演技で謝ることができない誠実な人です。頭を下げたことで自信を喪失するのです。自信とは自分の生き方ややり方を信じる事です。それを否定したら、自分を信じられなくなったら、子どもの前には立てないですよ。日がたつにつれ不安が増大し、息苦しくなって終いには学校に来れなくなります。

 うそも方便ということわざがあるじゃないですか。先人の知恵ですよ。

方便として頭を下げればいいんです。それができないなら、決して頭を下げない事です。押し切ればいいのです。組織を守るより自分を守る事の方が人生においてずっと大切なことです。


2014年3月23日日曜日晴れ

 後二日で授業は終わる。月曜3時間掃除あり。火曜2時間掃除無し。これで終わりだ。子どもとは終わり。春休みに雑用はあるかもしれないが、教師としての仕事は後二日だ。これで35年の教員生活を終え定年退職となる。

 人としての命が後どれぐらいかは、もう終わり近くだとは思うが、それは誰にもわからない。でも教員生命ははっきりしている。後二日で終わりなのだ。こういう日が来るとは思わなかった。必ず訪れるわけだが、35年も働き続けるなんて想像もしてなかったし。25才の時採用されて60才まで教師を続けるなんて思わなかったなあ。定年の年が2014年というのは50才になって感じたが、遠い先の話だった。今そこに来ているのだ。

 不思議な感覚である。親睦会は辞めてしまっているので送別会は無い。そういう形ばかりのものはいらないし、親睦会は校長のファンクラブだと思っているので、そこのお世話になる気はない。感謝状授与式に出席するよう文章が机上に先日あった。出張扱いで。平教員と管理職では同じ退職者でも渡す日が別と記載されている。同じ年に退職するのに、そこまで差別する必要があるのかねえ。一緒に渡せばいいじゃないか。差別されてまで感謝状をもらってもうれしくはないよ。感謝の気持ちはないでしょう、形式でしょう。

市役所に呼びつけ、教育長から手渡されるのだろう。職場で同僚が代理で渡せば済む問題だと思うが。簡略でいいと思うがね。妻が早期退職の時は旅行券があったが、自分の時は宿泊所の簡易カタログが渡されただけだ。廃止されたのだろうねえ。感謝状には金がかからないのでそれは廃止されないわけだ。よっぽど年休を取ろうかと思ったが、それも大人げないのでやめておいた。せっかくの春休みの平日を背広を着て出かけなくてはならない。まあ話のネタにはなるかもしれないから、体験しておくか。

4月から再任用の予定だし、応募した以上受けなくてはいけないのだが、自分という人間が読めない所がある。事によると行かないかもしれないなあ。身体は応募を決めた11月の頃より思った以上に老化が進みガタガタだ。喉はすぐ疲れて夕方には別人の声になる。6月からの水泳なんてできるのだろうか。はなから体調不良ということで断った方が迷惑がかからないのでは。まあ、辞めるのはいつでもできるからもう少し様子見とするか。

2回続けて教員の不登校問題について私見を述べたが、本当に悪いことをしたならいくら頭を下げても首になる。逆に言えば、悪いことをしてなければ頭を下げなくても首にはならないわけだ。

自分を信じて頭を下げないのも一つの手だし、面倒くさいから頭を下げちゃおうと方便として頭を下げるのも一つの手だと思う。いずれにしろ、悪い事もしてないのに上から言われて頭を下げて自信を喪失、学校に行けなくなるという結末だけは避けて欲しい。それが言いたい事の全て。まじめに働いているのに、一生懸命にやっているのにかわいそう。同情を超えて怒りすら感じる。もう腕力も体重も無いのでけんかには勝てないが、身体を張る度胸はまだある。機会があれば今度こそ同僚の前に身体を張りたい。



2014年3月28日金曜日晴れ

 公園で幼児たちが群れをなして遊んでいる。保育園の子達が引率されているのかと思ったが、親らしい人や祖父母らしき人がそばにいるので平日のこの時間帯に幼児と保護者は遊んでいるのだろうと思い直す。まったくかわいいものだ。あんまり見つめていると変質者と思われるからやめておいたが。

 30分前から受付なのだが、少し公園で時間を潰して10分前に会場に入る。椅子が並べられていて顔見知りの同僚も何人か見かける。教育長が入ってきて全員起立。そのまま賞状授与式が始まる。全員授与されてから教育長の訓示、いや感謝の言葉を頂く。でも起立したままだから、やはり訓示を聞くような感じだ。起立したまま、解散。ものの10分ぐらいの事だった。お茶も出なかった。別にそのようなサービスを期待しているわけではないが。殺風景な会場で華やかなものは何もなかった。やはり、職場で同僚に代理で渡された方がいいなと思う。まあもらう方に言う筋合いはないが。

 厚生会の初代代議員になったのだが、正直に感想を書いたら記事はぼつにされる。それでやめたわけではないが。職場の同僚に懇願されてしょうがなく組合の執行委員に立候補して本部に通うようになったが、なぜ社会党に入党しない、みんな社会党の選挙運動をやっているのにどうしてやらない、お前はおかしいとつるし上げられる。組合は社会党の後援会か、あんたらの方がおかしいだろうがと思うが一年間村八分となる。でも影で助けてくれる執行委員もいてそんなに悪い一年でもなかったが。

 地区研究会はやめる、地区研究会の出張には行かないと宣言したら、職務命令を出すぞと校長に脅かされる。任意団体なのに教室を自習にしてまで出かける必要があるか、そんなことで職務命令なんか出せるものかと思っていたが、案の上そんなものは出なかった。

 親睦会をやめると言ったら、途中でやめることはできない、一年分の会費を払えと言われる。お前らはやくざかと思った。結局やめると言った時にやめ、一年分の会費など払わなかったが。

 地区研究会に入らない、親睦会に参加しない、そういう考えを改めないなら、教科担任にする、考えを変えるなら学級担任に戻すと人事権を盾に校長に脅される。教科担任とは島流しか。そんな思想差別みたいなことをするなら弁護士を雇って民事裁判を起こすと宣言したら学級担任の希望が通る。

 子どもに謝れ、保護者に謝れ、謝らないなら懲戒処分にするぞと校長に脅されるが、謝る理由は無い、処分したけりゃしろと放っておいたが何の処分もされぬ。本当に悪いと思っているなら自分の首をかけて処分しろ。口からでまかせを言うな。

 菓子をくれるのをいらない、食べないと言うものだから、あんたはおかしい、変と言われる。犬じゃないんだから尻尾を振ってなんでも食べるわけないだろ。

 向こうから言わせればけんかを売っているのだろう。奇人、変人のまま退職する事となる。でもぼくから言わせてもらうなら変なのはあんたらの方、ぼくはまっとうな事を言ってまっとうな事をしてきただけだ。

 確かに親睦会にも参加しない、地区研究会にも参加しないというのはけんかを売っているようなものかも知れないが、それでも親切にしてくれる同僚はいたし、感謝してくれる同僚もいた。それで満足だ。

2014年6月25日水曜曇り

再任用されて4月、5月、6月となる。運動会は持ちネタのわらび座のソーラン節を指導する。同僚の協力があったのでね。鉢巻とかたすきとかそんな飾りは無しで臨みたいという希望も同僚の承諾があったのですんなりと通った。練習は順調に進み、子どもも素直に学習し、本番もなかなかよいできあがりだった。昨年は児童席で子どもの面倒を見ていただけなのに、カメラの邪魔になったのでしょうか、「先生、じゃま」なんて怒鳴られてムッとすることがあったのだが、今年はそんなこともなく、順調であった。

小学生の学級担任というのは、疲れることもあるが、なんせ見た目はかわいい子たちに囲まれているわけだから幸せな職業ではあると思う。

再任用なので給料は実質半額。やる事は同じ。本来なら腹の立つ所だろうが、気分的にはもう退職した身分なのでやはり楽だ。退職金も4月下旬に受け取ったしね。いつやめてもいい、本当はいけないのだが、でもそんな気分なので精神的には楽だ。でも正直体はついていってないと思う。ソーラン節の指導で無理があったのだろう、右ひざが痛い。股関節にしびれる感じがある。のどはすぐがらがらになるし、大声を出す指導はできない。それでも鉄棒の回転技はできるし、ブリッジはできるし、普通の人と比べるとましなのかもしれない。毎日、ギターとリコーダーと往復算、ソーラン節はやるようにしている。子どもも喜んでくれるのでねえ。

2014年7月4日金曜日小ぬか雨

 自分が落語好きということもあるのだろうか、自分の語り口が知らぬ間に落語みたいになっているのか、子どもが爆笑に継ぐ爆笑になるのだね。そんなおもしろいことを言っている意識はないのだが。

 今日は国語の「海をかっとばせ」を一読総合法でやり、その書き込みと発表をやったのだが、どういうわけか爆笑に継ぐ爆笑なのだ。それはともかく、子どもと教材を元に話し合うというのはおもしろい。教師ってこんなに楽しい仕事なのかと思う。これでお金をもらっていいのかとさえ思うね。

 来週からプールが始まるので、そのガイダンスをしたのだが、これがまた爆笑に継ぐ爆笑なのだ。何がそんなにおかしいのかねえ。単なるガイダンスなのだが。あんまり子どもが笑う物だからこっちも笑い出してしまった。幸せな一時だ。

 毎日ギターで「だれよりも遠くへ」を歌ってその後、リコーダーの演奏をしているのだが、これも楽しい。毎日やっていると自分の声域も、老人特有のしゃがれ声なのだが、出ている気がする。ギターの腕前も上がって来ている気がする。勤務としてこういう事ができるのだからありがたいことだ。この幸せも今年限りだ。何か全てを失ってしまう気さえする。そんな風に考えず、第二の人生が始まると考えるべきだとは思うが、小学生と付き合うことはもうあり得ない話なのだから、やっぱり喪失感はあるだろうねえ。うつになるかもしれない。だれでも精神に病を持つことはあるだろう。あれだけかわいい、光り輝く子どもらとの日常を一気に遮断されて変調を来たさなかったら、それはそれで異常かもしれない。自分の弱さを認識しておくことも生きる術だ

2014年8月1日金曜日晴れ
 夏休みなので子どもは学校に来ない。で、無理して登校しても意味無い。
年休のまとめ取りをしている。退職したら、もう定年退職はしているのだが、再任用で同じ仕事をしているので。
でもこういう生活が来年の4月からはずっと続くのでしょうねえ。
毎日年休だ。まあ年金なんて微々たるものだから年休とは言えないでしょうけど、暇なのは同じだ。
 暑くて家にいるのはあれだし、せっかくの年休だから出かけないのももったいないし、毎日出かけていたのだが、ちょっと疲れたね。
車、バイク、スクーター日替わりで出かける。電車にも乗った。船にも乗った。
山歩きもした。でもこう毎日だとねえ。飽きるねえ。
 仕事も飽きるがお金がもらえるからねえ、充足感は違うでしょう。
 無職だ。無職になると毎朝の健康観察がないわけだ。毎日毎日、何十人もの子どもの健康を気遣い、けがしたり、熱出したり、吐いたりした子の面倒を見て来た。
何十年もね。それが無くなる。これからは自分の健康だけ気をつけてねということだろうけど、自分の健康なんて関心ない。他人の健康を気遣い、努力することが生きがいだったんだと思う。
 給食もなくなる。毎日自分の食事はさっさとかたづけ、子どものお代りをしていた。
何十人ものこどもが小さい手を出して、それにお代りをよそっていくのだ。給食を味わう余裕なんてない。秒刻みで働いていた。食事ぐらいゆっくりさせろよと思っていたが、自分で自分のお代りして何がおもしろい。たくさんの子の食事のお世話をしていることが生きがいだったんだろうねえ。一人でゆっくり食事をして何がしあわせだろうか。
しあわせとは、だれかをしあわせにするためにがんばったり、がまんしたり、下げたくない頭を下げることだったんだろうねえ。それが生きがいだったんだ。これからは自分のしあわせだけ考えて生きて行って下さいと言われてもねえ。自分の幸せのために何をどうがんばれがいいのか。他人につくすことがしあわせなのじゃないのか。自分で自分につくすって何をどうやればいいのよ。
 教室もなくなるが、職員室もなくなる。同僚もなくなる。今でさえ人づきあいが少ないのに、どうなっちまうのだろう。自治会だけか。何かのサークルに入ってお友達を作るて生き方もあるだろうけど、いまさら組織に入っていくというのもねえ。
来年の4月になってみないと、どうなるかわからんなあ。
 一応このホームページに随筆やら小説を記載する事を目指しているが。
自称物書き、小説家になるのが夢だ。excelのプログラムの公開では、いくつかの出版社から掲載依頼があったが、小説は物になるだろうか。まあ、ならなくてもいいわけだけど。

 でもまあ、まだ現役だから8月の下旬からはフルタイムで仕事が入って来る。フルタイムといったって、実際はサービス残業もついてくる。ブラック企業だよ。来年の3月まで他人のために尽くそう。それが幸せなんだ。

2014年12月30日火曜日晴れ
 定年退職後、再雇用という形になる。仕事としては昨年と同じ学級担任なのでなんら変わらないのだが、待遇が全然違う。まあ冷遇はされてないけどね、もらうものが半額なのだ。ボーナスにはわかってはいたが、がっかり。同じ仕事をしたのにこうももらうものが違うとがっかりはするよ。年休もほとんど消化できず。自習は増やしたくないので、そうすると年休消化は困難となる。まあしかたないか。
 夏休みに泳ぎすぎたのか、加齢が加速したのか、原因不明だが、手首が痛くなる。
不便この上無し。なんとか体育の授業はこなせたが、マット運動、跳び箱、縄跳びと手首が痛いと何をやっても痛い。まあそれでも子どもたちは楽しそうに授業できたので幸せではあったが。二桁の往復算はほとんどの子ができるようになったし、9桁の往復算もできる子も出て来た。継続は力なり。
 教え子という感じにはなってきた。後、余命三カ月の命(教師としてのね)だ。
1月は書き初め、昔の暮らし展示会、人形浄瑠璃鑑賞、クラブ見学など行事が立て込んでいる。あっという間に過ぎて行きそうだ。1月行っちゃう、2月逃げちゃう、3月去っちゃうと昔から言われているが、あっという間に終わっちゃうんだろうねえ、余命三カ月。
 去年みたいに周りに退職だ何だと祝われるのもいやだから、黙っていなくなろうと思っている。春休みは年休を全部つぎ込んで、職場の荷物を車に積み込んだら別れの挨拶など無しで風のように去ろうと思っている。その方が悲しくなくていいよなあ。

 冬休みだ。ドライブ、山歩き、ギター、映画鑑賞、読書、オートバイ、スクーターと日替わりでやりたい事をやっているが、手首、膝、足首と関節が痛いのには悩まされている。
首と腰はそうでもないので助かっているが。退職後の事も考えてどう毎日を楽しんでいくかシュミレーションしていかないとね。この体調ではアルバイトも無理。遊び人になるしかないかと思っている。

2015.2.28土曜日晴れ
 昨日で体育館体育が終わった。最後はソーラン節、股割り、ブリッジ。最後だからとブリッジもやってみたが、左手首が炎症で痛くて持ち上がらない。情けない。その後、縄跳びをやらせ、最後にボールキープゲーム。子どもは先生がいると、先生にまとわりつくというか、じゃれつくというか、サッカーに興味の無い子も群がって来るのだね。それらをかわしながらキープする。両膝も炎症を抱えているので、無理はできないし、やらない方がいいのだが、それではおもしろくない。子どもに囲まれてのボールキープ。楽しいね。この学校には自分の希望でサロンフットボール用のサンドボールが購入してあるので、本格的にできるので、ほんと楽しい。
 同日隣のクラスの体育館体育も同様にやる。担任の先生が妊娠しているので、教科交換しているわけだ。本来なら体育の代替え教員が来るべきなのだが、これが3人でできる権利なんだね。管内に3人妊娠している教員がいるとできる制度ということで、一人ではだめなんだと。本来権利とは一人に備わっている物だと思うが、3人で権利発生と言う事は人間扱いしてないんだね。教員は。
ぼやいてもしかたないが。隣のクラスの子もかわいい。かわいいよなあ。一緒に遊んでいると。
 まあかわいい子どもたちとも今宵限りだ。国定忠治だね。忠治ははりつけで殺されたそうだが、まあ殺されるわけじゃないから幸せな老後か。
 明日からは3月。もうほんとカウントダウンに入る。引っ越しの準備をしないとなあ。親睦会には入ってないし、離任式というやり方自体に反対なので、風のように去るしかない。だれとも口を聞かずいなくなろう。年休がまだ28日もあるので、明日から全休というのもありなのだが、まあそうも行かないだろう。

2015年3月3日火曜日晴れ
 6年をおくる会だ。先生の出し物は踊るぽんぽこりんのダンス。歌の前奏で一年団から6年生の前に出て送る言葉を言う。
 次は2年団。2年団が送る言葉を言って後ろにまわるために走り去ると自分の3年団が最前線となる。
ここから1コーラス、フルで踊りが始まるのだ。最前線で踊りをフルコーラス踊りゃにゃならぬ。3年団は4クラスだから担任は4人。一人は最近肉離れしたので、無理はできない。一人は妊娠中で踊ってはいけない。
自分は膝が腫れていて、ヨイヨイである。まともなのは残る一人だけ。これで最前線!無理じゃないの。
第一踊りを覚えてない。今まで前の人を真似て、ヨイヨイしていただけなのに。
 前夜一夜漬けでなんとか頭に入れる。膝が痛い。
ついに本番。なんとかなった。けっこう楽しかった。
 肝心の3年生の出し物はパフの演奏。とてもきれい。ソーラン節。元気いい。考えてみると今の6年も4年もそして3年もソーラン節を自分が指導したので、この学校の半分の子はこの踊りが踊れるのだ。
すごい事かもしれない。単に自分がわがままを通しただけのことかも。
 まあいいや。どっちみちこれで退職なんだから。
 ぽんぽこりんを踊る事はもうないだろうが、ソーラン節はラジオ体操代わりに一日一回は踊ろうかなあ。
ボケ防止にはなるかも。

2015年3月4日水曜日晴れ
 今日は最後の日直。パソコンルーム、プール、図書室、音楽室と見て回る。膝が腫れて痛いので、右足を引きづって歩く。情けない。おまけにプールを開けたはいいが、今度閉める時鍵が回らない。右手も腫れて痛いのに力をこめる。動かない。手に力がないせいか。もう一度力を込める。おかしい。あ、カギが二つあった。別のカギを差し込んでいたのだ。よかった、壊さなくて。ただでさえ痛いのに、さらに右手首を痛める。音楽室に腰かける。図書室に腰かける。これじゃ時間がかかるよなあ。でもまあ最後なんだからそれぐらい懐かしんだっていいでしょうよ。もうこの教室で授業をすることはないのだ。授業自体無いし。教室に入る事も無くなる。すべて関係の無い世界となる。36年間毎日のように過ごした教室とおさらばだ。考えてみると学校とは金がかかっているよなあ。これだけの建造物。敷地。教材、教具。これらとも無縁の存在となるのだ。
生きている子ども、生きている同僚とも無縁の存在となる。自分が今後関係する物とは何か。生きている物とは何か。待っているのは孤独だろうなあ。

2015年3月5日木曜日晴れ
 クラス替えの時期だ。今までは手作業で個票を作っていたのだが、パソコンで作るようになった。
順位を付けるのに関数を使う。それをそのままコピー、ペーストすると数値ではないのでエラー表示になる。で、値の形式で貼り付けるわけだが、普通の教員にそこまでの知識は無い。そこで、総合点をコピー、ペーストするだけで、順位、平均値ができあがり、マクロボタンを押すと自動的に貼り付けもするexcel表を自作した。同僚に喜ばれる。それでもこの表を使って同僚が作業をするのは、やはり困難だろう。いっそのことこっちが全部代行してあげた方が効率的ではないか。
 まあそうしてあげようと思っている。できる人ができることをやればいいのだ。
excel表を自作するのは、久しぶりだったので、ちょっとまごついたが。退職したらexcel表を自作する機会もないと思う。自治会の会計ぐらいかなあ。
 まあ最後の御奉公だ。それより膝が痛い。懸垂は軽くできたが。
来週からは他人の成績物の相互点検が始まる。これがやっかいというか面倒と言うか余計な作業というか大変。自分の成績処理だけでも大変なのに。まあぼやいてもしょうがない。最後の御奉公だ。
年休は後25日もあるのだが、使えるわけないでしょう。
 今日の給食もよくこどもたちがお代りをする。自分の教室は全部ぼくがよそおう。子どもが勝手におかわりすることは禁止している。「お願いします。」「ありがとうございます。」と言わせている。これも教育だ。
欠席者の分もなにもかも全部食べてしまった。本当によく食べるなあ。感心する。ちっちゃい手でおわんを差し出す。
それによそおうわけだが、かわいいなあ。もうこんなこともなくなる。よそおう相手なんてこれからいるのだろうか。
自分でよそって自分で食べるだけだろう。まあそれも清々していいけどね。


2016年5月1日日曜日晴れ

 再々任用になってようやく一ヶ月が過ぎた。60才で再任用を希望し一年間働く。年金が61才から出るので退職。一年間年金生活を送るが、膝の調子もよくなってきたので働けるだけ働くかと思い直し、再任用を希望する。採用されて一月立っての感想。

 やはり体力が無い。膝が痛い。65才どころか今年一年働けるのかどうかさえ心配である。41日から朝7時に登校し夜7時、8時まで働く毎日が続く。体調は一気に悪化。舌が腫れてしゃべるのも苦痛になる。喉は枯れて大声は出せないし、難儀する。ようやく身体も慣れ、舌の腫れも治まり、普通に生活できるようになったが、一日12時間以上も職場に拘束される生活は、自分の寿命を縮めている感はあるなあ。

 頭は大丈夫なのだが、身体がついて行かない。同僚は親切だし、これ以上は無い職場だとは思うが、職業として子どもの指導に当たるというのは、やはり理不尽に感じる事は多い。挨拶もしない、返事もしない、指導に従わずわがままを押し通す、これらをひとつひとつ忍耐強く指導していかなくてはならない。先生の言う事が聞けないなら学校に来る資格は無いと言いたくなるがそんな事は言えないのが宮仕えの辛さである。私塾ならそういう方針で経営しようがどうしようが自由でしょう。潰れて構わないのなら。こっちも一旦退職した身なのでついそう思ってしまうが、組織の一員としてそういう言動は取れないわけである。

 とはいえ、相手は小学生。見た目は実にかわいい。大半の子は素直でかわいい。何をやっても「先生、すごい」と驚いてくれるし、「先生、見て見て」と催促する姿もかわいい。まあ幸せだと思う瞬間が多々あるので、理不尽なことも棒引きして考えないとなあ。

2016年8月8日月曜日晴れ

 朝CB400でツーリング。朝日が眩しい。空を群れ飛ぶ鳥たちが朝日を浴びて光り輝いている。珍しいほどの輝く朝だ。

 小学校の学級担任として、久しぶりの夏休み。この間、運動会も指導したし、水泳もやった、成績もつけた。フルタイムでの勤務はやはり老体には堪えた。気持ちは全然若いのだが、体は確実に老人の物だと思う。脳細胞に比べ、筋肉細胞は年相応に老化するのだね。正直と言えば正直。脳細胞が異常なのかもしれない。

 若々しい頭脳と破壊された体を抱えて生活していかなくてはならない。これはなかなか辛いものである。でも多くの老人は自分と同じ感情を持っているのではないだろうか。

 今一番の悩みは来年どうするかと言う事だ。常識的に考えれば64才の学級担任なんて子どもがかわいそう。でも自分的に考えるとやりたいのだ。やりたいからやるのではどうかと思うのだが。体はがたがただが、今年こうしてできているのだから、来年やれない事はない。授業は楽しいし、やりたいなあ。周囲がどう評価しているのか。そういう事も冷静に考えなくてはいけないと思う。今年の4月倒れはしなかったが、体を壊した事も考慮しないと。無理をせず年金生活に戻るのが周囲にも迷惑をかけず、自分的にも楽な生き方だとは思うのだが。

 東京都議選は女性知事の誕生となる。どうも顔が嫌いなのだ。意地の悪さを感じる。長年人を見て来たので、この感覚は当たっていると思うよ。自民党中枢、アベノミクスの継承者でもある。目新しさはないではないか。オリンピックは結構だが、金をかけ過ぎ。大手ゼネコンの利権になっていると思う。

 相模原市のやまゆり園で19人が元職員にナイフ等で刺し殺されるという惨劇が起きた。その対応として不審者対応の訓練の様子が報じられていたが、これがモップなんだよねえ。いまだにバインダーで身を守り、モップで不審者を押さえつけろと言うのか。馬鹿馬鹿しい限りというか、金は出さないという事か。せめて催涙スプレーぐらい配布できないのか。

 話は飛ぶが、もう脈絡も何も無いが、口で言っても聞かない子の扱いにはほんとまいった。授業のやり方どうのより、チャイムが鳴っても着席しない、教科書を出さない、おしゃべりをするだけで、教師の指導はまったく無視。こんなの言葉でどう指導しろと言うのだ。いくら説得しても聞く耳を持たない。何の改善も無い。少年サッカーなら、やる気がないなら来るなでお終いだし、大体そういう子自体が存在しない。公立学校だとこういう子が日常的にいるんだよねえ。自分の教室だけで授業しているなら、ほっといてもいいのだが、教室移動もこれではできない。校外学習も無理。指導に従わないし、説得に応じない、なぜ応じないのかその理由もわからない。結局力ずくで着席させる、教科書等を出さなかったら平手で頭を叩く、泣かせる、体罰だと訴えられたら首だなあと覚悟して強制した。そしたらすなおに指導に従うようになった。今では何の問題も無い。あのまま言葉の説得だけに指導を限定していたら、クラスは崩壊していたと思う。

 もう退職した身だし、首になる事自体は構わないのだが、クラスが崩壊するのを黙って見るのは嫌だ。それなら体罰教師として首になるほうがいい。そう開き直ったらこの結果。釈然としないなあ。来年もこんなことを繰り返すのだろうか。結局男の先生という事で来年も超問題児を担当する事になるだろうしねえ。そんな事を思うと、すっぱり辞めた方が精神衛生上いいかとも思う。体罰だ、人権侵害だと言うが、相手はまだ子どもなのだよ、お尻ペンペンが必要な子もいるのだ。言葉だけで指導できるというなら、現場で実際にやって見せてもらいたい。精神疾患で毎年たくさんの教師が退職に追い込まれているのだが、追い込んでいるのはこういう教育論者なのだよ。


2016年8月28日日曜日曇り後雨

 結局いじめというのは無くならないのではないか。集団として生活している以上、人間も集団生活をする動物である以上、序列化しようと互いに突付き合うものだと思うのだ。クラスの中もそうだし、職員室だってそうだ。地域だってそうだと思う。子どもから大人まで毎日序列化する突付き合いが日常化していると思う。それは直接的な暴力でなくても言葉のやり取りなど。互いに力関係を試し合っているのだと思う。上司と部下、先輩と後輩。皆社会生活を営んでいる以上突付き合いはしかたないのではないか。下から這い上がっていく者、それを押さえつけようとする者。せめぎあいというのは日常的にあると思う。

 むしろ軍隊みたいな所は安定しているのではないか。軍隊経験は無いが、運動部の経験はある。運動部も監督、先輩、後輩と序列化が安定していて日常的に突付き合う事は無い。逆にストレスが無いのだ。クラスが荒れるとは、序列化が安定していない事ではないか。担任の権威が無い、従って日常的に突付き合いが激しさを増す。仲裁、裁定する者がいなければ無法化して暴力化するのではないか。

 担任の権威があるクラス、担任に敬語表現を使っているクラスというのは序列化が安定し、むしろストレスの少ない集団ではないかと思うのだ。

 いじめを無くすという視点に立てば、担任の権威を確立するという事が近道だと思う。

 来週から2学期が始まる。



2016年8月29日月曜日

 官製研修会に動員だ。仕事だから断るわけにもいかん。

 物語の分析なのだが、普通に起承転結と解説するのではオリジナリティがないと思うのだろうねえ、前話とか後話とか言うのだ。ドラマの部分、つまり転回の所はクライマックス場面と言うのだ。まあそのへんはどうでもいいし、好きなようにやってと思う。物語を読む事を、型に分類する事と講師は勘違いしている。型などどうでもいいのだよ。おまけにクライマックス場面では心の変容がないといけないと型にはめて考えているようで、思い込みによる強引さを感じた。教材は「一つの花」。転回の部分、講師によればクライマックス場面だね。ここで心の変容が一番見られたのはゆみ子でもなく、お父さんでもなく、母親だと言う。まあそれはそれでこの人の読みだからとやかく言う事ではない。ただ納得できなかったのは、結の部分、講師によると後話だが、ここの記述から紐解いて行くというか根拠付けるわけですね。これはおかしい。読書とは、読み終えた部分から想起して読み解いていくわけだから、結論部分の記述がこうだから、こうだという読み取りはあり得ないのだよ。まあ、読書感想文ならそう言う事もありかなとは思うが。

 物語を読む力とは、物語を型分けしたり、分類する事ではないとぼくは思う。文章に即して場面や背景、登場人物の心情などを想像し、共感したり、反発したりする力だと思う。そういう力が付けば、本を読む楽しさがわかるようになる、その事が養いたい力だと思うのだ。この場面で言えば、空腹の余り「おじぎり、ひとつだけちょいだい」と泣き出すゆみ子に対して、「いいわねえ。お父ちゃん、兵隊ちゃんになるんだって、ばんざあいって。」

と伴侶が戦場に持っていかれ、恐らく殺されてしまうだろうに、そういうあやし方しかできない母親。空腹を訴える娘に対し、食べる物を与える事ができず、必死に探して見つけたのが「ごみすて場のような所に、わすれられたようにさいていたコスモスの花」一輪だった父親。それを喜んでキャッキャッと喜ぶ我が子を見てにっこり笑い、何も言わずに戦場に行く父親。その情景の悲しさ、辛さを想像する事が読み取る事だと思うのだ。

 やはり三読法の弊害だね。教師の読み聞かせだろうが、朗読だろうが、全文を通読してしまうのがまちがいだと思う。読書とは、立ち止まりながら、場面や登場人物の心情を想起し、物語の展開を予想し、共感したり、反発したりする事なのだから、立ち止まり無く一気に読んでしまうというのは、読書ではないのだよ。読書ではない事を子どもに強制してから、学習課題を与え、あるいは今流行りのアクティブラーニングよろしく学習課題を自ら設定し、読み進めていくというのは、単なるお勉強であって、読書の楽しみとは無縁な行為、読書嫌いを作り出す行為なのだよ。一読総合法の自然な読みの良さを再認識した講習会だった。


2016年11月26日土曜日晴れ

 両膝が腫れてしゃがむことができない。毎晩入浴する時浴槽内で正座するようにしているのだが、昨晩はそれもできず。朝湿布を貼る。なおるかどうかわからんが、それよりも原因がわからん。そんなに運動したわけでもないしなあ。日常生活で腫れるなんて。タマゴサミンなるサプリメント(栄養剤)を飲んでいるのだが効果無しか。

 鉄棒は昔同様にできる。懸垂も回転技も昔同様だ。マット運動は三点倒立もブリッジもできる。上半身自体は遜色無いと思うのだが、膝がだめだ。従って全力走、跳躍などが不可能。これから縄跳びの季節だが、だいじょうぶか。まあ指導はできるだろうが。

 11月初旬に再任用の申請はしたのだが、こんな膝で4月から担任をやっていいのか。断るべきではないか。3月に断るのもなあ。社会的に言うと無責任だよなあ。

 教室は宝箱だ。開くと33個の宝がある。毎朝教室で「おはようございます」と入ってくる子どもたちを迎えるのは幸せだと思う。でもこの身体ではなあ。4月からまた年金生活に戻るべきではないかとも思うのである。

2018314日朝会講話安全部(朝会は行われず話せなかった)

 集団登校は随分昔から行われていたようです。橋の無い河という小説の中で町や村や部落の子供たちがそれぞれ班長が旗を持って学校に行進していた様子が書かれています。当時は小学校の数が少なかったので山や谷を超え、河を渡り一時間も2時間もかけて歩いて来たようです。道草を食うという諺がありますが、途中でお腹が減った子供たちはポケットにあらかじめ塩を入れていて道に咲いている草をむしって、塩で味付けをして食べていたそうです。都会から来た若い先生がこの事を知らず、寄り道をせずまっすぐ家に帰りなさいという意味で

「これからは道草を食ってはいかん。」

と教室で話したところ、子供たちは非常に驚き、悲しんだという文章を読んだ事があります。そういう平和な時代から日本は不幸な事に戦争の時代に入ります。15年もの長い間戦争が続き、300万人以上の日本人が死にました。みなさんはまだ生まれてから15年たった人はいませんので、生まれてからずっと戦争が続いていたという長さですね。日本は戦争に負け、全面降伏して貧しいが平和な時代を迎えます。軍隊は廃止され、これからは軍隊を作ってはいけない、軍隊は持たないという平和憲法が作られました。軍隊的なものは廃止されました。集団登校は隊列を作る、行進するという所から軍隊的なものとして全国的に廃止されました。従って戦争が終わってから生まれたぼくは集団登校を体験していません。兄弟はいましたが、一人で登校していました。それからしばらくたってから、交通安全のためという目的で集団登校が始まるようになりましたが、いろいろな事情で全ての小学校が集団登校をやっているわけではありません。市内でも集団登校をしてない学校も実は多いのです。

 6年生は、6年間雨の日もかぜの日もこの集団登校を体験してきました。君たちが親になった時この集団登校の意味を考えてもらいたいと思います。ですが、君たちが毎朝努力してきたことは尊敬に値することです。低学年の子たちはそのことに感謝しなくてはいけません。そこで、みなさんに四つの拍手を提案します。賛成してくれる人は大きな拍手をしてください。

 一つ目。6年間集団登校にまじめに取り組み、小さい子を守ってくれた6年生に感謝の気持ちをこめて大きな拍手をしましょう。

 2つ目。6年間以上、ずっと君たちの集団登校を見守ってくださっている黄色いチョッキを着て、黄色い旗を持って安全指導をしてくださっている地域のおじさん、おばさんに感謝の気持ちを込めて大きな拍手をしましょう。

 3つ目。君たちの安全のため、地域の人とともに努力している先生方に感謝の気持ちを込めて大きな拍手をしましょう。

 四つ目。毎朝列を守り、大きい子は小さい子を守り、小さい子は大きい子の言う事をしっかり守り、安全に登校している君たち全員の努力に大きな拍手をしましょう。

 これで先生の話はお終いです。静かに聴いてくれてありがとうございました。