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2015年3月終業日
休業日記

こどもに通信簿を渡して下校させた後、年休を取る。同僚には随分と親切にしてもらったが。風のようにいなくなる事を選んだ。こどもにも同僚にも別れの挨拶をしてないので、なんだか辞めた感じがしない。もっとも65才まで再任用の可能性はあるし、再任用の申請をしなかっただけの事だから、休業していると言えばそうである。今年再任用を申請すれば復職ということもあり得る。申請するかどうかは本人次第。その本人の気持ちがわからないのだが。

取り合えず辞めたかった。

理由1

 宮仕えに嫌気が差した。正論を言えば孤立するだけだし。生活のためがまんしてきたが。

理由2

定年後も一年働いた。もう充分だろう。若い者に道を譲るべき。

理由3

 61才から年金が出る。この権利を行使しないのはもったいない。

理由4

 身体がボロボロ。日常生活には問題ないが、走ったり跳んだりは若い頃のようにはできない(当たり前か)。人より上手にできるのは鉄棒ぐらい。無理しない方がいい。

でも、他人の心も変わるが自分の心も変わる。復職するかも。

まあ今年一年は無職。これは決定事項なので。小学校教師以外、やりたい職業もないし。暇つぶしにエッセイを書いていく事にした。日記と言っても休業中なので過去の教育の事などを思い出して書いて行く。時間はたっぷりあるのでね。

2015年4月21日火曜日曇り

「愛川欽也さん亡くなる」

 80才だそうだ。癌と闘わず亡くなられた。手術、入院などをせず、最後まで仕事に没頭したかったのだろう。80才という年齢も考えられたのではないか。自分はまだ61だが、関節痛に困っている。再任用を申請しなかった理由の一つだ。身体に自信が無いと。まあ癌と比較するのはおこがましいが。ぼくも癌とは闘わず、手術、入院などせず、ぴんぴんころりと行きたいね。没頭する仕事も趣味も無いが、取り合えず、オートバイはやっている。今じゃないとできなくなると思う。

「昭和戦争文学全集」なるものを図書館から借りて読み出したのだが、なんと昭和40年発行の物。今から50年前の印刷物だ。道理で変色しているわけだ。内容は書き手によって様々だが、平の兵隊の無念さは痛い。多くの兵隊が戦闘行為ではなく、飢えで死んでいる。若いときが一番食欲がある。生きる力が強いのだ。その時に飢えで死ぬなんて。戦争が終わって僕は生まれた。だから長生きできた。贅沢はしてないが、それなりにおいしい思いはしてきた。恋もした。人生を楽しんだ。すべて平和のおかげ。平和憲法のおかげ。

戦争だけは総理大臣がなんと言おうとやってはいけない。アベノミクスで何か得したのかねえ。貯金は目減りするし、ガソリンは値上がり。消費税は8%。法人税だけは下げると言うのだから腹立つ。

2015年4月29日水曜日曇り

昔は天皇誕生日だったと思う。死んだ人の誕生日を祝うのはどうかというのか、それとは別の理由かもしれないが、みどりの日となった。いつの間にか今は昭和の日。よくわからん命名だが、本当は昭和天皇の誕生日なのだ。

戦争から帰った父がテレビに天皇が出ると、

「こいつのせいでたくさん死んだ。」

と怒ったように言っていた。こどもだからよくはわからなかったが、恨まれているのだなとは思った。そう言えば、天皇一家が手を振る所にパチンコを打ち込んだ元兵士がいて、それから防弾ガラス越しに手を振るようになったと記憶している。父のように外地の戦場から生きて帰れた兵士の中には、天皇責任を問う声がはっきりとあったのだろう。その父も亡くなった。自分は教育公務員として日の丸、君が代に起立せず、歌わずのような反抗を見せる事はしなかった。その立場に立てば、定年退職はなかったかもしれない。ただ、授業の中ではそういう国民の声があることは公平的に伝えては来た。アベノミクスは、憲法九条を廃止し、自衛隊員に外地で戦死する覚悟を求めているようだが、日本はまた戦争への道を進むのか。

「ちいちゃんのかげおくり」

 ちいちゃんの心情を読み取るだけでは、ちいちゃんはうれしそうに、しあわせそうにしているのである。情景を読み取ると、悲しさがわかる。戦争に対する怒りも感じることができる。登場人物の心情の読み取りと情景の読み取りとは区別して考えることが大切。書き込みはさせずに話し合い中心、つまり教師の発問中心の授業でやってみたが、うまくいった。時折嗚咽しそうになって困ったが。

(ちいちゃんのかげおくりをやると、いつも泣きそうになって困る。泣いてもいいのかもしれないが。授業をやっている教師が泣くと、こどもはどう感じるのだろう。やはり冷静さは必要だと思う。解説者が自己陶酔してはいけないだろう。)

2015年5月5日こどもの日

 昭和戦争文学全集の中の「流れる星は生きている」を読了する。6才、3才、生後一ヶ月の3人の子を連れて棄民された女性が裸足で朝鮮半島を逃避行した体験記だ。国民を守るはずの軍隊は姿を消し、ひたすら歩いて朝鮮半島の38度線を目指す。多くの同胞の屍を見ながら。こどもにとって一番必要なのは、平和でしょう。

「最後の遠足」

 7時20分ごろバスは来る。最後の遠足だ。小学生はかわいい。

 反省会はお茶だけで、(会議中に菓子は反対という)自分に配慮したのかなと思った。

いずれにしろこれで最大のイベントは終わったのでいつやめてもいいや。もう膝は治らないみたいだし、両手首もだめで。

(夏休み中に両手首が腫れる。初めての事。プールで泳ぎすぎたのかと思ったが、加齢によるものだと思う。以後、これに苦しむ事となる。老いるとはこういうことなのだろう。)

2015年5月11日月曜日

退職というか再任用を申請しなかったので自然とそうなったのだが。暇なので時折近くの児童公園の鉄棒で遊ぶ。児童と会った事は無い。誰もいない公園なのだ。一人懸垂から逆上がり、空中前回りの連続回転、懸垂で両足を直角に10秒間持ち上げる筋力トレーニングなどをする。後はストレッチなど。誰もいない公園で老人が一人こんなことをするのもなんだかなあという気分だが。関節が痛いのは変わらないのだが、一通りの技ができるまでには回復した。

「身体が痛い」

 左手首が、親指だけでなく痛くなり、左前腕全体に痛みが広がり、握力も無くなる。給食の時、こどもから差し出せれるお代わりのおわんを持つことさえ困難。おまけに放課後蛍光灯も交換しなくてはならず、ほぼ右手一本でやる。もう終わりだなあと思う。辞めると宣告しても最低一ヶ月は登校しなくてはならないだろうし。3月までごまかし、ごまかし、がんばるしかないだろう。

(体育でマットの片付けで無理をしたのが原因。子どもだけでは片付けられないので。この時が最悪で、徐々に持ち直す。懸垂から逆上がりができなくなっていたのだが、できるまで回復した。痛み自体は解消しないのだが。老いるとは一直線に悪くなることではないのだね。努力すれば、持ち直す事もあるわけだ。)

2015年5月18日月曜日

職員会議で平の自分の意見が通る事はほとんど無かった。決定には従わないといけないし、従ってきたわけだが、納得できなかったなあ。退職後、ぼやくぐらいは許されるだろう。許されなくてもいいや。言っちゃおう。

「耐震工事は信用できる」

 避難訓練のやり方が変わる。校庭に出ている子は教室に戻し、教室で避難報告をして終了する。何を考えているのだ。激しい地震が来ているのに教室に止め、校庭にいる子はわざわざ教室に入れるというのだ。耐震工事が完了しているから校舎内が一番安全だと。阪神大震災では、耐震工事がされていたはずの高速道路が崩壊。東日本大震災では想定外の津波で原発が破綻。耐震工事を業者の言うとおりに信用できるのか。想定外の事が起きて子どもが死んだら、誰が責任を取るのか。今までどおり、危険だったら外に出すのが一番安全だし、避難方法として一貫している。

 上が安全だと言うから下も従えと言う事だろうけど。命に関わる事まで上意下達でいいのか。一人反対意見を述べる。


2015年5月26日火曜日

「保護者の代わりに検温」

 昔はワクチンの集団接種が学校で行われていた。同意書に保護者が体温を記入し、押印する。ところが体温は書いてないし、押印も無い。だったら受けさせなければいいのだが、そうはならないのが学校という所だ。保健室で体温を測る。まあこれはいいでしょう。ところが担任が保護者の代わりに押印しろと教頭が言うのだね。びっくりした。そんなことはできませんと断ると、親心が無いと叱られる。でも押印はしなかった。あの調子だと他の担任は押印したのではないだろうか。

 あれからワクチンの副作用が社会問題となり、集団接種は無くなった。良い事だ。ところが、水泳の授業では、同意書にその日の体温を記入し、押印する欄がある。今時、保護者の代わりに担任が押印しろと言う教頭はいなくなったが、保護者の代わりに検温しろと言われる。できない事はないが、プールの水温、気温を測り、塩素剤を投薬、水量を調整、かつ着替え、引率など短時間に多くの事をこなさないといけない担任が、忘れた児童の検温までしないといけないとなると授業開始が遅れる事となる。本来保護者がやるべき事柄なのだ。忘れたら見学でいいと思うがね。罰という事ではなくルールという事でね。


2015年6月1日月曜日

「運動会の席取り」

 運動会の悩みの一つがこれなんだよねえ。早い人は前日の午後から夜中中行列だよ。当日朝の開門と同時に席取り。教員が混乱をさけるため、対応。学校によっては事前に抽選会なんてものもある。で、やっと取った見学席だが、一日中座っている人なんてまずいない。空席である。その空席の後ろから我が子の演技を見るというはめになるのだから馬鹿馬鹿しい。要するに自分の子の演技以外は関心ないわけだから、ほとんど空席なわけですよ。無駄なスペース。

 だから思い切ってトラック周辺は、本部テント、来賓席、敬老席、児童の応援席以外はすべて立ち見席にするのだ。そうすれば、朝早くから、あるいは前日午後から席取り合戦に参加しなくても自由に我が子の演技を見られる。立ってね。1年から6年の演技が終日行われるわけだから、この立ち見席は終日だれかが立っている事になる。その後ろの席を取ったって立っている他人の背中しか見れないわけだから、だれも前日から並んで席取りをする人はいなくなる。まあ周知徹底するまで、一年目はいるかもしれないけど。2年目からはだれも席取りなんてしなくなる。昼の弁当なんて演技がないわけだからどこで食べても同じだからね。まあ木陰がいいとかなんとかはあるかもしれないけど。前日から並んでまで取りたい席ではなくなる。これでいいんじゃないかなあ。

2015年6月8日月曜日

「日直」

 実習先の小学校では、4時15分になると教頭が鍵束をジャラジャラさせて校舎内を締めて回る。全員退勤せざるを得ない。学年会等まだ話し足りない時は近くの喫茶店で続きをやるのだ。もう40年近くも前の話になるが。

 先日、校長室の窓が施錠されていなかったのでしょうねえ。日直は校長室の窓も施錠を確認するように言われる。そんな事したこともなかった。まあ、最後まで残業した時はアラームの誤作動が恐いから職員室、校長室の施錠も確認するが、日直が最後まで残る決まりにはなっていない。第一校長室の窓ぐらい校長がやったっていいんじゃないの。校務分掌とは何から何まで管理職がやるのは大変。分業しましょうという事でしょう。でも本来は管理職の責任。だから40年前は教頭が自らの責任で施錠に回っていたわけだ。まあ多忙を極める今日だから、職員が施錠を代行してもいいけど、校長室ぐらい校長がやったっていいと思うけどねえ。

2015年6月15日月曜日

「白衣貸与」

給食当番がクラスを三分割して行われているのだが、その分しか貸与されていない。全員貸与じゃないんだ。けちくさい。で、持ち回りになる。毛じらみがはやるとその伝染源ともなる。洗濯だけでなく、熱湯消毒をするとかきっちりアイロンかけをするとか必要なわけだ。でも洗濯そのものもやっているのか疑わしい家庭の子もいるし、それを持ち回りすることに不都合がある。クラスの子の3分の1レンタルなんてけち臭いことをやるからだ。全員貸与、予算がないというなら個人持ちに戻すべき。だが、管理職は一部の苦情でシステムをいじるわけにはいかない、個別対応で継続してくれと言うのだ。

 個別対応はやっているのだ。保護者からはしっかり洗濯してないので、家の子に着させたくないなんて苦情も来る。しかたないから予備の物を貸し出したり個別の対応はしている。予算がからむ話だし、全員貸与すれば済むことなんだから行政に具申して欲しい、具申はできないんですかと重ねてお願いする。現場の教師は親と管理職の板ばさみで苦労している。

2015年6月22日月曜日

「サポート体制」

空き時間にサポート体制を組みたいという提案がある。一言いや十言ぐらい言う。頭数がそろっても指導方針なり問題行動に対する共通した指導方法がないと意味がない、烏合の衆だ(ここまでは言わなかったが)、指導方法を確立するための話し合いが必要だとね。困った子の情報交換をしても実質愚痴を並べているようなもので打開策がない。結局普通級からクールダウンさせるとか、支援級に行かせるとかの一時的避難策しか出てこないのだ。それでは空き時間がいくらあっても足りない。やはり担任が指導する、指導し切る方策を追求する、研修する事が大切。クラス集団から出さない。疎外させない。出す事は、問題児が自分を特別な存在と思い上がり、自己中心性を肥大化させる契機となる。あくまでクラス集団の中で仲間として問題行動に対処。指導。押さえ込む。クールダウンは、一時的に後ろに立たせるとか、席を黒板前の教師横に持って来させるとかすれば教室内で可能。教室の外に出さなくても落ち着かせることはできる。自分は一度も外に出した事は無い。まあ、自分が無いからといって他人の事はとやかく言えないが。どうしても無理と言うなら、教師や児童に暴行する問題児は出席停止。その上で親子で反省させるぐらいの気概で臨まなくては。(まあ出席停止なんて実際にはできないだろうし、へたすると自分の進退問題にもなりかねないが、それぐらいの覚悟が無いと。道理を引っ込めてまで教師稼業を続ける必要もないのではないか。いざとなればすっぱり教師をやめて他の職に就くという手もある。自分ならそうすると思う。道理も理屈も無くずるずるとやっていると自分が精神的におかしくなるのではないか。処分されたらされたで、裁判を起こして世に問うという手もあるなあ。こっちの方が潔いし建設的か。まあそこまで行かなくても毅然と対処すれば大体解決すると思うけどね。)

2015年6月29日月曜日

「勤務時間」

 休憩時間は一斉に付与する。これが労働基準法の趣旨らしいが、教員の職場で守られた事が無い。昔は45分の休憩時間を後ろに持っていくという事で4時15分が退勤時間だった。これはだめという事になり、今は3時から3時45分が休憩時間。でも管理職自体が3時半から会議を主催するので、守られていない。ひどい時は、3時から作業なり会議が召集されるので、休憩無しだ。

 第一こどもの登校時間が8時ごろ。教員の出勤時間が8時半。これに無理がある。スーパーで言うと、店員が来る30分前に客が店に入っている事になる。で、勢い7時半ごろに出勤して仕事を始めている教員がいる。交通安全やら、登校指導やらでそうならざるを得ない面がある。テストの丸付けやら、企画文書の作成やらの仕事を自宅に持ち帰る事は原則禁止なので、夜7時過ぎまで残っている教員もいる。夕食代わりに菓子を食べている教員が多いよね。実質7時半から7時半まで勤務。通勤時間を30分とすると、7時から8時までの13時間仕事に拘束されているわけだ。まあ、定時に来て定時に帰る教員もいないわけではないが、12時間学校にいる教員がいるから学校が成り立っている。それじゃいけないんだけど、そういう面はあるよなあ。

自分ももし今年再任用を申請し、復職したりするとこの12時間勤務、13時間拘束の生活になるわけだ。年が年だからねえ。職場で死ぬ可能性も出てくる。ATMじゃなかった。あれは銀行の機械か。そうじゃなく心臓を電気ショックで動かす機械。あれのお世話にこどもじゃなく、自分がなる可能性がある。

 まあ授業は楽しいし、こどもはかわいいし。戻るといいこともたくさんあると思うが、戻って生きていけるのか、死ぬんじゃないのか。恐ろしい。天国か地獄か。その中間という選択肢は無いのかね。


2015年7月6日月曜日

「過労死阻止のための改善提案」

こんなもの採用されるはずはないが、一応。

まず、8時登校が早すぎ。一時間目が始まるのが8時50分だ。8時半で間に合う。そうすれば教員の出勤時間と同じわけだから、サービスで早出する必要が無い。そもそも登下校は保護者の管轄。登校してきたら学校の管轄と割り切らないから、勤務時間前の安全指導、交通指導が出てくるわけだ。夫婦共働きで8時半登校では遅すぎるというのなら、教員の出勤時間共々8時10分ぐらいに早めたらどうか。もちろん、授業開始も20分早めて8時半から。退勤時間も20分早めて4時40分。これでもいい。要するに教員が出勤する前にこどもを登校させないという事。

 サービス残業を撲滅させるには、どうしたらいいか。40年前の鍵束ジャラジャラの教頭に復活してもらうのが一番。教頭が施錠に回れば、皆退勤するって。平の日直がサービス残業はやめましょう、退勤しましょうなんて言ったって、誰も帰らないって。仕事が終わらないんだから。勤務時間内に終わるように仕事を精選、簡素化する事も大事だなあ。これはやはり管理職の仕事でしょう。

2015年7月9日木曜日

 テレビで知ったのだが、中学2年生の男子が電車に飛び込み自殺したとの事。いじめが原因。担任にはいじめや死にたいなどの文言を伝えていた。どうして担任が動かなかったのか、学校が動かなかったのかというような疑問がテレビのコメンテーターから出ていた。

取り合えず、学校から逃げる、逃げなさいなどの呼びかけもあった。尾木ママなる批評家は、殺人学校、こんな学校見たことも聞いたことも無いと怒りのコメントをネットで表している。

 ぼくはそんな事ないんじゃないの。大体今の日本の学校はそういうもんじゃないかなあと思った。原因は教師が権力を持っていないからだ。ぼくが担任だとしたら、いじめの訴えがあったとしたら、この子を守るため、いじめていた子を取り調べて事実関係を明らかにする、叱る、二度とやらないと約束をさせる、まあこういう一連の行動を取ると思う。でも、これが大変なんだなあ。第一いじめていた子がすなおに事実関係を認めない。親に訴える。保護者が何の証拠があってうちの子を犯人よばわりするのかと学校に怒鳴り込む。

学校長が謝る。自分も頭を下げさせられる。勤務評定は最低にランクされる。いじめていた子は鬼の首を取ったようになって、さらにいじめは続く。自分もいじめの標的にされる。

こんな図式が見えるねえ。まあぼくは首を覚悟で立ち向かうから、いじめは自分の目の前では絶対にさせないけど、見えない所はわからない。証拠が無い所は及び腰にならざるを得ない。これが正直な所だ。権力を与えて欲しい。警察官のように腰にピストルを与えて欲しいのだ。ピストルは例えで、そんなのはいらないけど、権力は欲しい。担任がいじめと認定したら、出席停止、自宅謹慎などができる権限がね。担任が見て無くても、級友は見てるでしょう。それを担任が証拠だと認定できる権限だとかね。言い分が食い違っている時は、どっちが正しいか判定できる権限とかね。そういう権限や権力が何も無い。丸腰だよ。そんなんでいじめ子を押さえようとしたら上の図式になって、反対に自分がやられてしまう。だからいじめられる子がなくならないんです。自殺する子がなくならないんです。思春期ていうのはただでさえ自殺しやすいわけだからね。大事に、大切に扱ってやらないと。教師を首になったっていいじゃないか。目の前の教え子を救う事ができれば、本望だと思うけどねえ

2015年7月17日金曜日台風

 安保法案と言うのか、戦争法案と言うのか、衆議院で自民党、公明党だけでの強行採決をテレビで見る。これでアメリカ軍と共に自衛隊が従軍することになる。戦死者がたくさん出るだろうなあ。大体自民党と公明党だけで国会の三分の二を超えるという選挙結果がいけない。4割台の得票で8割台の議席を得るという小選挙区制の不合理はあるとはいえ、一度は自民党は負けたのである。政権を取った民主党が結局自民党と同じ政治しかできず、公約違反の消費税増税もやらかしたので、国民は自民党に戻ってしまった。農家の多い自分の周りにも自民党のポスターだらけだ。TPPで農業はだめになるというのに、自民党の支持者だらけなのだ。国民がいけない。自民党、公明党に投票する人々の責任である。

 アメリカの属国だ。国民保険もアメリカの民営会社に。国民年金はすでに民営化されて、記録が無いとか、情報流出だとかしている。自衛隊もアメリカの家来になる。すべて金だ。アメリカ資本の要求なのだ。戦争とは大企業、資本家を太らす。戦争に行くのは貧民の子だ。死ぬのは貧民の子、儲けるのは資本家。この図式は今も昔も同様。自民党はアメリカ資本と日本資本の要求を貫徹する政治集団なのだ。

 選挙で自民党と公明党以外に投票すること。これしかない。今一番まともな事を言っているのは共産党だけだね。

 

 オリンピック招致のボスというかリーダーと言った方が穏当か。森元首相だね。今2520億円という国立競技場の建替え費が問題になっているのに、3千億でも4千億でもいいんだと言っているのだから、下々が何を言っても減額なんてできるわけない。減額したけりゃ、森さんの首を切るしかないだろう。ロンドンオリンピックは500億でできたとテレビで報道していたけど、日本てどこまで馬鹿なんだろう。土建屋と政治家を儲けさせるだけじゃないか。復興増税で我々庶民は25年間も辛抱させられる、当の被災者は今も仮設住宅だ。なのにどうして1競技場に国費を2520億もかけるの。これを馬鹿と言わなくてなんと言える。アベノミクスは戦後最悪の政治だ。


2015年7月27日月曜日

「不審者対策講習会」

 モップとバインダーである。ナイフや包丁を持った殺意ギラギラの男に対して、女性教員がわが身と40人近い子どもを守る道具がね。モップは掃除道具だし、バインダーは学習道具。流用である。バインダーはダンボール製かプラスチック製。とても金属製のナイフや包丁からわが身を守る事は不可能と思える。モップはあくまで掃除道具。座頭市のように仕込み杖になっているわけでもない。これでナイフや包丁を持った男性に対峙できる女性がどれほどいるだろうか。竹やりでアメリカ軍と戦う戦前の訓練のようである。

 池田小の悲惨な事件の後、年に一回か隔年に一回か夏休みなどを利用してこのような訓練というか講習会が行われている。空しい。

 せめて前任校のように催涙スプレーを配布して欲しいと管理職に要望したのだが。それぐらい予算をつけられないのかねえ。人命がかかっているのだよ。

 ぼくは学生の頃ビルの夜警をやっていた。制服と腰にはベルト。三段式の鉄パイプを携帯している。ビルの出入り口は一箇所しかなく、その前に守衛の詰め所がある。夜警なので、各テナントの従業員が退社するのを待って施錠。後は夜間のパトロールが数回ある。その合間に仮眠。これが仕事の内容だった。

 子どものいる時間帯、朝の8時から午後の5時ごろまで、守衛を一人置くぐらいの予算はつけられないのか。それでほとんどの問題が解決する。屈強の若者でなくても、定年退職後のおじいさん(自分のことか。いやだな。やりたくない)でもいいじゃないか。今の無防備の体勢よりずっと安全になる。


2015年8月3日月曜日

 教育関連のこのホームページには何の関係も無いが、白鵬である。逸ノ城との対戦。先場所不覚を取った悔しさなのか、報復なのか立会い張り差し。横綱が平幕に取る手とも思われないが、まあこれはいいだろう。問題は土俵の外に押し出したその後。右手であごにパンチ。(拳骨ではないけど、手の付け根の一番硬い部分で叩いたから効果は同じ。)明らかにもう勝負はついている。余計な事だ。横綱という立場を利用したパワハラだ。相手は平幕で若手。黙って耐えている。これは勝負と関係ないパンチなので暴力、傷害である。関係者は注意はしたらしいが、言葉だけでは痛くも痒くもないだろう。やはり一場所休場させるぐらいの罰が無いと。

 ぼくが子どもの頃は大鵬、柏戸がヒーローだった。稽古場では無敵だった琴桜だが、本場所ではかわされたり、はたかれたりで力が発揮できず、全力でぶちかましができるのはこの両横綱だけだった。横綱だけが、逃げもせず胸で琴桜のぶちかましを受けて、それからねじ伏せていたのである。それに比べ白鵬はどうだ。立会いに駆け引きはする、張り手はする、せこい。そこまでして勝ちたいか。横綱相撲など眼中にないのだろう。相撲界もこんなのを大横綱として特別扱いしているようでは、国技が泣く。子どもも見ているのだよ。教育上よろしくない。(教育と関係してきたか)

2015年8月10日月曜日

 あいさつ運動と言うのがある。自分が子どもの頃は無かった。教師になった頃も無かった。新採用の時の校長が校門で一人挨拶をしていたが、教員はだれもしていなかった。ところが、いつの間にかこれが全国的な運動となってきたのだね。校長でこのあいさつ運動に参加している人は逆に見た事が無い。(新採用の時の校長は、あいさつ運動なんて意識はなくて校長としての自分なりの責務としてやっていたのでしょう。)

 大体が教員と運営委員会の子どもたちが校門に立って

「おはようございます」

と声をかけるのだね。特定のこどもだけだと不公平というので、交代でさせる所もある。(デパートの開店の時、店員が一列に並んでドアからなだれ込んでくる客に対してあいさつしているけど、あれとほぼ同じだね。どっかの教員がデパートの開店のやり方をまねて始めたのかねえ。)いずれにしろ教員が先にあいさつをすれば、こどももあいさつをするようになるという趣旨なんだろうねえ。ところがそんなことは無い。あいさつをせず、平気ですり抜けていく子も多いし、通学途中で安全指導のために立っている地域の大人には無視する子が圧倒的に多いのである。あいさつをさせて欲しいという苦情の電話が地域からよく来るので、勢いこのあいさつ運動が熱を帯びるのだが、状態は変わらない。

 思うに、校門であいさつもしないで通り過ぎる輩は留め置いて説教。それにも応じない輩はそのまま家に帰させればいいんじゃないのか。だが実際にそんなことをすれば、体罰教師だとか教育権の侵害だとか、いずれにしろ教員の方が人権を侵害したと訴えられ、謝罪に追い込まれるのが落ちだ。だから大声で

「おはようございます」

と繰り返すだけ。あいさつはこだまする、教員と特定の子の間だけ。なんかアリバイ工作みたいで虚しい。

 

 柳家小三治の「まくら」を読んでいたら、お父さんは教員だったんだね。退職後は自宅で書道塾を開いている。通う子の義務というか前提条件は、あいさつをする事。これができないと帰させるのだね。徹底している。うらやましい。

「先生、どうぞ教えていただきとうございます。」

これを言わないと

「言えないのか。言えなければ帰んなさい。お母さん連れてきなさい。」

お母さんが来るんだろうねえ。たぶん頭を下げるんでしょう。お母さんが。先生じゃないよ。人権侵害だと怒鳴り込むお母さんだったら、塾をやめてくださいで終わりなんだろうねえ。

うらやましい。

 教育て本来こういうものなんじゃないの。先生と生徒は対等ではない。先生に対し尊敬の言葉、態度を取る必要、前提がある。教師には資格と権威が必要。そうでないと教室に規律なんて生まれるはずがない。規律の無い教室に学習が成立するはずなんて無い。

今はなんていうか、デパートの店員と同じなんだろうねえ。よくPTAのアンケートに先生のあいさつの声が小さい、笑顔がないなんてあるけどそういう意識なんでしょうねえ。税金払っているんだから、店員も先生も同じ。サービス員というか使用人ていう感覚なんでしょう。地域の大人は使用人じゃないけど、赤の他人だからあいさつする必要は無いと。

校長も

「地域の方が来校されたら大きな声で、笑顔であいさつしてください、名札は必ず見えるように付けてください。」

なんて打ち合わせで言う時代だから、保護者、児童はお客様、先生は使用人ていう感覚なんでしょう。そう言えば、朝礼で

「今日も学校に来てくれてありがとう。」

とまず第一声がそれだった校長もいたなあ。これなんか、

「本日もご来店ありがとうございます。」

と同じじゃない。学校はサービスを提供する所、保護者、児童はそれを享受する利用者という感じなんだね。これじゃ、あいさつを躾けるとか無理じゃない。あいさつをするのは、店員、使用人のすることで、お客は気が向けば返答すればいいし、しなくてもいいわけだから。

あいさつを躾けようと思ったら、あんなデパートの店員みたいな事を教師にやらせるのではなくて、教師が各教室であいさつの社会的意味を教え、実地にあいさつを児童に練習させる。児童の方にデパートの店員みたいなあいさつの方法を教えるのだね。ぼくはそうやっていた。教えるあいさつの言葉は

「おはようございます。」

「お願いします。」(ノートなどを教師に見せる時を想定して)

「ありがとうございます。」(丸付けなどをしてもらって、返してもらう時を想定して)

などだ。ノートや提出物を持っている事を想定して両手を差し出す。頭を下げる。これを全員一斉に練習させる。ドリル学習だね。授業ですよ。物を教えようとしたらこうでなくちゃおかしいでしょ。

まあこんなことをぐだぐだつぶやいている自分には、再任用の口は無いという事だろう。

 

でもあいさつも強制できない学校がいじめを無くすなんて無理。使用人がお客様に対してそんな強制力があるわけないでしょう。学校を学校として再生するには、教師に権威を与えて懲戒権をちゃんと与える事。自明の理だと思うけどなあ。教師は免許制度、採用試験で人格審査されているわけなのだから、それぐらいの権限を与えるのがどうしていけないのか。笑顔をふりまいているだけでは、何の問題も解決できないって。

2015年10月3日土曜日晴れ

 ノートパソコンのビスタが突然真っ黒の画面になる。後はうんともすんとも言わない。2008年に買ったパソコンだからあの世に行ってもおかしくはない。2011年に今と同じ状態になって、購入したコジマに持って行ったら5年保証だったか3年保証だったか、いずれにしろ保証に引っかかったので3万で修理してもらった。保証なのに3万取られるのは変かなとは思ったが、向こうに有利な都合だろう。その時は液晶の壊れだったので今回もと思ったが、今回はマザーボードとハードディスクの壊れだそうだ。マザーボードの意味がわからんが、わかった所で直せるわけでもないし。メーカーの部品供給も終了しているので修理不能という連絡であった。

 取り合えず書斎用にと以前買っておいたレノボのノートパソコンをリビングに下ろす。ウインドウズ7だ。3万しなかった超安値のパソコン。(他にもう1台書斎用に中古のノートパソコンがあるのだが、これはXPなのでネットに繋ぐ訳には行かない。マイクロソフトがもう保証しないからね。)ネットにつなぐ。セキュリティソフトは3台までOKというセキュリティ0というのを持っているのだが、7には対応しておらずだめ。こんなことなら1台だけOKという奴を買っとけばよかった。金の無駄。店に行くのも面倒だし、無料のキングソフトセキュリティなるものをダウンロード。ネットのトップページをこの会社の指定の物にしておけばセキュリティを永遠にただでやってくれるというのだ。メールソフトも7には無いので、こちらも無料のメールソフトをダウンロードする。名前は忘れた。ウインドウズライブでも、アウトルックでもなかったが。(後で調べたらサンダーバードというものだった。)

 ネットで調べると今売り出しの10では自宅のプリンターもスキャナもテレビ機器も動作しない。10を買うと周辺機器も全て買いなおす事になる。そんな事はできないので、7にドライバーをインストールしてプリンター、スキャナ、テレビが動作するようにした。最後にホームページビルダー12。これは7に対応しているのだが、一台に一つという契約。でもネットで調べるとジャストシステムは個人使用なら問題にしないらしいので、インストールする。ネット承認というシステムではないので、何台にでもインストール可能なのだ。(ここまで来るのにえらい苦労した。時間も神経もえらい使った。今回はなんとかできたが、次回はどうか。)

ようやく復活という所だが、外付けハードディスクがだめ。IEEE端子なんだね。今はUSBが人気なので、端子がないのだよ。互換機器を探すしかないが。IEEEはファイヤーウオーとかなんとか言って超高速で人気だったのに、もうだめだ。考えてみるとフロッピー、MOMDLDなんたらかんたら新商品が死んでいく。買ったユーザーが馬鹿みたい。いや馬鹿にされてるわけだ。

 アドレス125のエンジンオイル交換に行きつけのバイク屋に行ったら、タイヤ交換も必要だからしばらく預かる、代車で帰ってくれという事でPCXに乗るはめとなる。すこぶる乗り心地がいい。新商品はやはりいい。馬鹿にされてもしょうがないか。

2015年10月9日金曜日晴れ

 パソコン顛末。これにて一件落着。結局コジマ、ヤマダ、リサイクルショップ、ネット等を探したがIEEEUSBに互換する端末ないし、IEEEのあるパソコンは見つからなかった。レコードと同じで時代遅れなのでしょう。諦めて捨てる事にする。そのままでは個人情報の塊だから分解してと思ったが、ネジ穴が見えない。面倒だから庭石に叩きつけてぼこぼこにして金物ゴミとして出す。コジマから戻ってきたノートパソコン。リサイクル料金は前払いというか前取られというか、だったのでメーカに無料で引き取らせる事ができるそうだ。でもこれが面倒なんだね。買った販売店からメーカーに出してくれればいいのにそういうサービスは無い。直接メーカーに電話。これが平日の昼間しか受け付けてない。役所か。無料だけど梱包して郵便局から郵送する手間はこっち持ち。金を取っているのに引取りには来ないわけだ。近くのハードオフに持って行く事にする。ノートパソコンそのものを庭の石に叩きつけるわけにはいかないのでハードディスクだけ取り出す。庭の石に叩きつけた後、枝切りバサミで突き刺す。何の恨みも無いがここまでやる必要があるのか。ハードオフのきれいなお姉さんに出したら、手の平に200円乗せてくれた。

 今後の教訓。いつ壊れるか予測できないので、パソコンに個人情報は入れない。外部記憶媒体に残す。これが悩ましい。フロッピー、MOIEEE外付けハードディスク、メーカーの都合で過去の物。CD-R.DVD-Rにその都度焼く。これも面倒。今はUBSメモリーにバックを取っているが、これとて信用はできない。5年くらいしか持たないとネットに書いてあった。どういうこっちゃ。パッケージには永久保証と書いてあったぞ。何を永久に保証するのだろうか。まあ取り合えず、この方式で行こう。

2015年11月4日水曜日晴れ

 午後銀行で通帳記帳をする。KDDIの料金が上がっている。不審に思い、契約書を引っ張り出してネットで調べるが、基本情報不足でパスワードが入手できずAUのサポートセンターにログインできない。KDDIに夜7時過ぎに電話するがロボットばかりで人間が出ない。6分以上待ったが諦める。

2015年11月5日木曜日晴れ

 午前9時にKDDIに電話。人間につながる。昼間がいいんだね。みんな働いているから。明細を郵送してもらう事にした。ログインに必要なコード番号も教えてもらう。来月明細書が来るそうだ。

 車で10時過ぎにAUに行く。店員にいろいろ説明を受けるがはっきり言ってわからない。でも契約変更で1008円の基本料だけになるというので同意する。そのまま山中湖を目指す。車中いろいろ考えるがどうもわからない。店員の説明が腑に落ちない。運転が危ないので帰宅してから考える事にする。宮が瀬園地でトイレ休憩。満車状態。遊んで暮らす人の多さよ。ノンストップで湖へ。今日も焼き鳥6500円というのを買う。今週末まで紅葉祭りだ。車中で妻のおにぎりと食す。帰りはどこにも寄らず一気に自宅へ。ネットで調べる。パスワードを作る事ができたので、AUのサポートセンターにログインする事ができたのだ。契約内容だけではよくわからなかったので料金明細も見る。言葉の意味がわからないのでこれは他のホームページなどでも調べる。わかったこと。店員の説明はまちがえている。

 店員の説明

基本料金1008

パケット通信料定額サービス401

毎月割525円(これは24ヶ月過ぎたので無くなる)

884

で、メールをやっていないので401円をやめる。今後1008円になる。

自分が調べた結果

基本料金934

オプションサービス372

毎月割り525円(これは24ヶ月過ぎたので無くなる)

その他2

消費税104

1412円引く372円で1040

妻のも銀行口座を調べてもらったら同じように値上げしていたので、明日行って同様に契約内容変更、つまりオプションサービスを無くしてもらう。

要するにまあ詐欺だったわけですね。(言い方がきついか。でも悪く言うとそうだ。よく言うと当初の料金を安くするためのサービスなのでしょう。)メールを使えない機能なのにパケット通信料定額サービスに入ったのは毎月割り525円を得るための方便だったわけだ。でも24ヶ月過ぎた現在となっては使えないメールのために372円のパケット通信料定額サービス料金を徴収しているのが詐欺である。当然向こうが自動的に解約すべきもの。客が申し出ないと解約しない事がおかしい。でも2年間毎月372円引く525円で153円儲けていたわけだ。かける24ヶ月で3672円儲けていたわけなので強くも言えないか。そう言えば24ヶ月過ぎたら解約してもいいと言われていたのはこの事だったのかもしれない。誰でも割り24ヶ月と誤解していた。これは24ヶ月過ぎて解約すれば解約料金は発生しない。これと誤解していたか。自動更新なので誰でも割りは継続するので解約する必要もないわけだ。他社に乗り換えしなければね。

2015年11月6日金曜日晴れ

対外的には携帯を持っていない事にしている。かつての職場で唯一携帯を持ってない職員として有名?だった。今回はその顛末。

2015年11月6日金曜日晴れ

 10時に妻の車でAUに行く。昨日と違う店員に対応してもらう。契約内容の変更をしてもらって最後に紙の明細書の請求をしたら月216円もかかるとの事。昨日の申し込みの時そんな話は無かった。帰宅してKDDIに電話して取り消してもらう。AUHPで確認しようとしたら昨日と違って二重ログインに変わっている。一日で変わるのか。携帯にメールで暗証番号が届き、それをパソコンの入力画面に打ち込めというのだが、メール機能の無い携帯でどうするんじゃと思ったが、特殊なメールらしくちゃんと来た。000が並んでいるだけなので変と思ったが選択すると開いて番号が出てきた。無知とは恐ろしい。やっとログインできる。取り消してあったのでよかった。372/月を取り消すだけで半日潰す。

 まとめ

 24ヶ月前の契約事項なんて頭に入ってないよなあ。それに料金明細が来ないからよけい忘れてしまう。たまたま銀行に行って通帳記帳をして気づいたから良かったものの、気づかなかったらメール機能のない携帯なのに毎月372円パケット料金を何年も支払う結果となる。下手したら死ぬまで何十年も払う事になったかもしれない。元々客を引き寄せる24ヶ月限定の毎月割りというサービス自体がおかしい。自分も結果的に同意したから強くは言えないが、よくわからず、安くなるからいいかぐらいにしか理解してなかった。メール機能が無いのだからたとえ月の支払いが高くなったとしてもパケット料の支払いに同意すべきではなかったし、向こうもやってもいないサービス料金を請求する事自体が商道徳に反している。少しでも当初の支払いが安くなるようにというサービスなのだろうが、メール機能がない携帯なのにパケット料金を設定する事はおかしいでしょう。ちょっとくどいか。

 携帯の使い道はJAFを呼ぶ事と、交通事故の写真を撮るだけなのだ。だからほとんど使ってない。無駄な出費と言えばそうだが、携帯が無いと車やバイクが山の中で動かなくなったらどうしようもない。必要な出費なのだよ。だからできるだけ安くしたいし、メールやネットを見る必要など自分には無い。スマホなど必要無いのだよ。それにしてもデジタル社会とは老人に取って実に酷な社会である。

2015年11月8日日曜日雨

 年を取るとは痛い事だ、ということが年を取ってわかった。45才の時原因不明の首痛になる。整体に通って治ったのだが、腰も悪いですよと指摘される。その通り今度は腰が悪くなる。高校の時はバレーボールの選手で垂直跳びは80cmの測定限度を超えていたぐらい足腰のばねには絶対の自信を持っていたのに。腰痛と付き合いながら今度は右膝が悪くなる。手術を受けるかどうか悩んだが、受けずに来たが、今度は左膝も痛くなってきた。それどころか、両手首、両足首、要するに全身の関節が痛んだり、腫れたりするのである。リュウマチも疑ったが、診断では異常無し。要するに加齢によるもの。痛くて寝れないということは今はないので助かっているが、動くとあちこち痛くて、日常生活のあちこちで「イタタタ」なんて言っている。情けない。

 喉は枯れる。口内炎にはしょっちゅうなる。ギターの弾き語りをしてもなんか昔の声と違うなあと思う。今は授業もないのでしゃべらなくてすんでいるからいいが、大声を出さないといけない生活は恐い。

結局教員に戻る決意をして健康診断を受けた。11510円。自腹なんだろうなあ。異常は無かったが、炎症が見られるとの事。満身創痍の体で復帰していいんだろうか。自分のやりたいという気持ちも大事だが、アーチストではないのだから組織の一員として使い物になるのか、周りの迷惑というのも考えないといけない。まあ障害者というほどではないし、相手は小学生なんだし、経験もあるからなんとかなるかという気もする。なんとかなるかでは無責任か。でも就職するという事はなんでもかでもうまく行く事を想定して行うわけでもないだろう。40年前中学校の教員試験に合格して、結局小学校に無免許で回されて(その後働きながら免許収得)就職した事を思えば、そこまで心配しなくても。やはり本人のやりたいという気持ちが大事だろう。その上で向こうが採用するかどうか判断すればいいのだから。申し込んだから採用されるわけでもないし。自分の場合、何でもやりますという応募の仕方はしてないし、採用されない可能性も十分にある。今さらやった事の無い専科教員をやるのは嫌だし、初任者教員の指導教員なんて柄じゃないし、学級担任以外はやらないと宣言しての申し出だ。それで都合が悪ければ断ってもらって結構。別に生活がかかっているわけではない。不採用の通知を受け取るのは40年ぶりの事になるだろうが、まあそれも人生。申し込まないであきらめるよりすっきりするだろう。

もし採用されてどこかの小学校に復帰する事になると、これはこれで大変だろうなあ。でももう何も失う物も無いし、恐れる物も無い。くだらない事はくだらないと言い、まちがっている事はまちがっていると反対しよう。自己の良心に従い、目の前の子どもたちの幸せだけを考えて行動しよう。自分らしく、自分でなければできない実践をしよう。

2015年11月13日金曜日曇り

 採用されるかどうかはわからんが、よく考えるとこの再任用という制度。ひどいなあと思う。国民年金の支給が65才から。共済年金も段階的に65才に繰り延べされる。そのために65才まで働いていいよという制度なわけでしょう。

働く内容は同じなのにどうして給料が半額に減らされるのか。

65才まで定年延長なのにどうして一年契約なのか。つまり1年毎に首になる可能性があるわけだ。パートや非正規の労働者扱いだ。

60才の定年退職を終えると途端に非正規労働者扱いになり、給料は半額にされる。でも仕事の内容は同じなわけだ。雇う方にすれば同じ労働者を半額で雇えるし、1年契約だから都合が悪ければ即解雇できるわけだ。解雇という形を取らず選考に落ちたという形でね。解雇だと揉めるからねえ。1年契約で切れているわけだから選考に落ちたという形なら再契約しなかっただけなので首にしたわけじゃないでしょ、問題ないでしょという事なんでしょうねえ。裁判沙汰を回避する方便なのでしょう。

65才まで定年延長にして、60才以降は勧奨退職という形にしてくれた方が労働者にとっては納得できると思う。もう揉めるのは嫌だし、どうしても働きたいわけでもないから、選考に落ちても裁判沙汰にするつもりは無い。でも労働者にとっては不利な制度だから、後輩の為には闘った方がいいのかなあとは思う。

2015年12月4日金曜日晴れ

 昼食問題である。

 40年近く給食を食べてきた。年金生活というか無職になって昼食をどうするか。妻は専業主婦だが、これまで朝食と夕食はお世話になってきたが、昼食はなかったわけだ。それを毎日作らせるというのもなあ。自分の昼食で拘束するのも気が引ける。取り合えず、朝食を作ってもらうついでにおにぎりを2個作ってもらう事にした。こうすればお互い昼食問題に拘束されないわけだ。

 でも毎日おにぎりというのも、飽きるというわけではないが、冒険もしてみたい。独身の頃は結構外食したし、もう一度そういうものもしてみたい気もする。サラリーマンだったなら、そういう昼食だったわけでしょう。でも一人だしファミレスというのはなあ。

 一人で気兼ねなく食べられるというと吉野家の牛丼ぐらいしか思いつかない。で、ネットで調べる。吉野屋と並ぶのがすき家、松屋だ。一度も行ったことがない。まあ同じようなものだろう。山田うどん、丸亀製麺、なか卯といううどん屋があるらしい。まずこれを体験しよう。ラーメン屋というのはちょっと今の自分にはこってり過ぎるというか量的にも多すぎる。うどんでやってみよう。

山田うどん。

丼物とうどんのセットが売りのようだ。若者というかブルーカラーの人だね、この量は。安いし、うまいし、量は充分というか自分には多すぎる。

丸亀製麺。

だしはうまい。でも麺はごん太というか、自分の好みではない。セルフというのも学食じゃないんだから、この年ではちょっと嫌だなあ。

なか卯

だしはうまい。麺も丸くて細くて喉越しがいい。自分好み。丼物もあるし。券売機で購入だが、後はセルフではないので感じは悪くない。

外食だけでなく中食というのもやってみよう。一人だと席についても当然ながら話す相手はいないわけだから食べるだけである。食べる以外にやることはない。ひたすら食べるだけ。まあ食事なんだからそれでいいわけだが、大半の客は同伴者がいてしゃべりながら食事を楽しんでいるわけだ。一人だと食事を楽しむだけ、それ専門というかそれしかない。食べ終わるとやることはない。すぐ店を出る。どうもなあ。

一人で食べるなら家で食べる方が気楽。ラジオをつけてもテレビをつけても何もつけなくてもいいわけだ。食後はぼーとできる。帰る所はないわけだ。自宅にいるわけだから。中食が気楽でいいじゃないか。取り合えずスーパーの弁当を買ってみた。弁当だけだと寂しいのでみそ汁代わりにインスタントの小さい天ぷらそばも付けてみた。なるほど。人目を気にせず(店で食べても誰も見ていないわけだが、人目を気にするのだよ)食べる物を味わえる。こっちの方がいいと思った。

ほか弁は昔食べたことがあるのだが、店先で待たされるのが嫌だった。電話で予約とかできるのだろうか。その際名前とか住所とか電話番号ぐらいは言うのだろうか。あんまり馴染みになるのもなあ。食の好みとか個人情報流出(大した個人情報でもないが)という問題もある。コンビニ弁当というのは食べたことがない。これも一度体験してみよう。

思えば給食というのはいろいろ思い悩む事はなかったので、そういう意味ではよかったか。でもあれは食事ではなくて仕事だったよなあ。味わうなんてできなかったもの。教師を辞めてから一度も牛乳を飲んでない、ゼリーやプリンを食べてない。あれは子どものための食事だったわけで、なら教師は持参の弁当でもよかったんじゃなかったのか。教師も同じ物を食べる必要があるのか。なら給食費はただにすべきでは。実際は教師の給食費の方が高かったよなあ。大人だからたくさん食べる?そんなことはないでしょう。こどもの世話を焼き、盛り付けもし、食後のかたづけもし、それで給食費も取られていたんだからねえ。

一人で何を食べるか思い悩む毎日というのも、考えると贅沢なもんだよ。

2015年12月18日金曜日晴れ

「再任用を辞めてからの生活」

何をやってもやらなくてもいい生活だが、自己流の健康法だけは毎日やっている。まあ体調や都合によってやらない日もあるが。

学校にあった鉄棒が自宅には無い(当たり前か)。で、鴨居にぶらさがって懸垂をやっている。鴨居は指しか引っかからないので鉄棒での懸垂よりむつかしい。割と楽にできるようになってきた。成長しているんだねえ、この年でも。後はドイツのブルーワーカーという道具を使った筋トレ。最新式も買ったのだが、結局高校生の時通信販売で買った(しかもその時すでに中古だった)物でやっている。ドイツの職人気質恐るべし。全く壊れない。

後は膝に重しを着けての筋トレ。それから股割りなどのストレッチ。四股踏みもやっている。効果が見えてきた。膝を壊して正座ができない、しゃがめないというのは愕然とする事実だったが、少しずつ正座ができるようになってきた。まともな人間に戻りつつある。

それ以外は何をやってもやらなくてもいい毎日で、スケジュールは自分で作るしかない。

山歩き、オートバイ、ギター、読書(図書館で借りるか古本屋巡り)、映画(レンタルDVD)などなど。映画館には結局一度も行ってない。無職になって暇はあるのにどうも映画館の椅子に拘束されるのが嫌になってしまった。若い頃はあの雰囲気が好きだったのだが。動物園も水族館も年間パスポートなるものを買ったが、結局行かず。どうも自分の心が読めず。

まあ何をやってもいいし、やらなくてもいいという今の生活は教師だった頃に比べると天国と言っていいと思うのだが、子供にもみくちゃにされていた生活も良かったとは思う。くだらん事務仕事が多くて馬鹿馬鹿しいとは思った。理不尽な要求に振り回されるのもくだらん生活だと思った。あんな生活になぜ戻ろうとしているのか。自分の心が読めず。

恐らく、もう一度ファイトしたいんじゃないのかなあ。闘いたいのだろう。奴隷のようにこき使われる生活に戻って、逆らう事のできない相手や仕事に対して、これはいいとか、これはまちがっているとか、一つ一つ闘いを挑みたいのだろう。


2016年1月4日月曜日晴れ

 「確定申告」

 年金収入が400万以下で所得が20万以下の人は確定申告の必要が無いというので自分には関係の無い話だと思っていた。でもそれはまちがいだった。一年のサイクルが4月から3月までと思い込んでいた誤解だった。一年は1月から12月までなんですね。3月までは再任用教員として給与所得があったわけで、従って確定申告しないといけなかったのだ。

 それにしても年金収入が400万以上なんて人がいるんだねえ。自分の場合共済年金の切り下げに続く切り下げで生活保護レベルだから、65才から満額もらえることになったとしても200万ちょっとだろう。

 確定申告自体は216日からなのだが、税金の還付つまり払いすぎているから返してもらうという手続きは11日からできるとの事。でも、いくらなんでも正月はやってないでしょう。4日に税務署にスクーターで行く。これだと満車でもなんとか隅っこに止められるからね。

 給与と年金の源泉徴収票、それに各種控除証明書を持って行く。一番大きいのが健康保険。次に任意の国民年金保険、地震保険とか生命保険とかだね。職場では、自分で計算していたので電卓も持参した。印鑑も。税務署に着いたらテレビで男女の掛け合いでマイナンバーがなんたらかんたらというビデオが流れていたので、これはしまった!持って来なかったと焦ったが。

 受付の後、自分でパソコンに氏名、住所、電話番号、生年月日を打ち込む。家族の生年月日はうろ覚えだったので焦る。数字と英字の混合8桁の暗証番号を入れるよう言われてこれも焦る。とっさに適当に作った。控除証明書に記載されている金額は係りの人が代わりに打ち込んでくれたので楽だった。自動計算シートになっているのだろう。電卓など必要なかった。パソコンなどさわった事の無い人には酷な作業だと思ったが。

 最後に還付される税金の振込み先の銀行を聞かれて焦る。通帳など持って来なかった。最寄の郵便局に振り込む方法もあると教えられてそうする。マイナンバーは聞かれもしなかった。次回からは暗証番号を打ち込めばもっと楽に手続きできますよと教えられる。焦る連続だったが、親切な所員で助かる。

 来年はどうなることか。マイナンバーは持参しないといけなくなるのだろう。年金収入は400万などありえないし、所得が20万を超える事もあるまい。でも医療控除など還付できるものはした方がいいし、確定申告の還付申告は綿密に検討して、できるのならやった方がいいと思った。

税金というのは消費税もそうだが、取るのは強制だが、取りすぎても還付申告しないと返してくれない。法人税など減税に次ぐ減税が予定されているのに、貧民からは申し出ないと返さないからねというのだからひどい話である。強い者には減税して、弱い者からむしり取るわけだからねえ。この国の税体系は強きを助け、弱きをくじくシステムに変貌しようとしている。年金組合にでも入って声を上げようかと思う。

2016年2月1日月曜日曇り

 小林節さんの講演会に参加する。ほぼ満員だった。悪く言うと自民党の御用学者、改憲論者と思われていた人だが、国会証人で自民党推薦だったにもかかわらず、安倍総理の法案を違憲と証言したことから、一躍時の人となる。自民党としては誤算というか驚愕したと思うね。その後菅官房長官が他にも合憲という憲法学者はたくさにいるんだと強弁。実際には3人しか実名を上げられなかったという情けない後日談がある。

 改憲論がいけないとはぼくも思わない。国民主権と天皇制は相容れないからねえ。天皇の条項は廃止した方がいいと思う。自衛隊の扱いにしても、自衛権はあるのだから特殊警察隊のようなものは認めてもいいとぼくは思っている。

 ただ今日問題になっているのはそれとは全く別問題。憲法の条文を無視してアメリカの同盟軍として海外の戦争に派兵しようという法案なのだから、これは違憲でしょう。理屈で考えれば、右も左も無い。違憲という結論しか出てこない。これを合憲というのは裸の王様である。だれが見ても王様は服を着ていない裸の状態なのに、自らの保身を考えている者は王様は服を着ていると強弁するのだ。今日の合憲論者は権力に従っていれば勝ち組だという人間たちである。勝ち組だとか負け組だとか、一度しかない人生なのにくだらないものさしである。

 自分の目を信じて、王様は裸だと叫べばいいのだ。自分の考えを信じて、正しいこと、みんなを幸せにする事に賛成すればいいのだと思う。

 小林節さんの話を聞いてこの人はいいなあと思ったのは、楽天的な所だ。戦争法案は通ったが、彼は次の選挙で安倍を落とせばいい、その可能性はある、野党が垣根を越えて協力して小選挙区で統一候補を立てれば勝てる。たとえ次回の選挙で負けたとしてもまだまだ打つ手はいくらでもあるのだ。という楽天性だ。いいねえ。まねしたいと思った。

 人生、最悪の結果を考えて覚悟して生きる事も必要だが、いい事も考えて生きないと毎日がつまらなくなる。楽天的に考える、いい生き方だと思った。


2016年2月25日

 再任用の選考結果は合格だった。ぼくの場合、再々任用になるのだが。したがって休業日記は終わりとなる。

 まあよっぽどひどくなければ合格ということなのだろうか。ぼくの場合賞も無いが、罰も無いので問題無いという事だろうか。もっとも学級担任以外はやらないと面接でも宣言しているので、初任者指導教員だとか教科専任教員などが押し付けられるようなら断る事となる。この場合、休業ではなく廃業となるね。いずれにしろ休業日記は終わりだ。休止にしていた教育雑感、教室日記を再開することとなる。廃業したら教室日記は休止でなく終止だが。教育雑感は教師でなくても書いていいだろう。

 まあおそらく復職する事になる。もう一度勝負できるのだから楽しみだ。うまく行かなかったら今度こそ廃業だな。考えて見ると人様の子供を預かる仕事なのだから、大変責任の重い仕事である。今までできたからこれからもできるという保証は無い。全力を尽くしてだめなら、責任を取って辞めるのが潔いだろう。

自己の良心にもとづいて実践して行こう。

2017年5月6日土曜日晴れ
 学級担任として一月たった。授業も掃除も遊びも組織できた。もちろん子どもの名前も覚えた。
自分なりにベストを尽くせた。でもなんだかなあ。過労だと思う。体力が無いのか。いずれにしろ、無理なことをやっている感じがするなあ。若いときは体力を持て余していたのに。かぜはひくし、いつまでも治らないし。でももう船は出港したのだ。漕ぎ続けるしかない。わらび座のソーラン節みたいにね。
やーれんそーらんだよ。どこまで漕ぎ続けられるのか。もちろん、来年の3月までは漕がなくてはいけないのだが。
ちょっとむつかしい課題だなあ。手抜きはできないし。今日ベストを尽くす。それしかないだろう。

2017年2月2日
 再任用、いや再々任用いや再々再任用の選考結果は合格だった。これで64才まで働く事になる。体が持つのかという問題があるが。懸垂から逆上がりは連続10回できた。上半身はまあまあ。下半身がだめ。右ひざはもう歪んでいるのだが、それをかばってか近頃は左ひざも痛んで来た。テレビで腰痛対策としてジャックナイフストレッチなるものが紹介されていた。
さっそくやってみる。これいい。確かに尻の後ろとももの裏側が引っ張られている
感じがする。その後ひざを伸ばした前屈をやると伸びているのがわかる。通常の
前屈よりずっと効果的。体育の授業でも前屈に替えて採用した方がいい。
小学生に腰痛体操とはどうかなとは思うが、ストレッチとして考えれば今までの
前屈より効果的なのだ。
 まあなんだかんだ身体を動かして高齢化に抗しているわけだが、現役続行というのはやはり困難だと思う次第だ。決まった事とはいえ、4月からできるのか。未定である。

2017年6月4日日曜日晴れ

 運動会終わる。最後だと思ったからか、あっと言う間に終わってしまった。楽しかった。またやりたいと思った。あ、最後だったんだな。

 例年理不尽に思うのは、席取りのため教員が振り回されること。運動会とは言え、授業参観である。相撲の桟敷席ではないのだ。第一弁当を食べる時には子どもの演技はやっていない。トラック最前列にシートを張っても何の利点があるのだろう。座って見られる、隣の人と肩をぶつけなくて見られる、優越感、そんな所だろうか。そのために本人ががんばるのはまあいいとしても、仕事の関係等で並べない人が狭い立見席に押しやられる、教員は場所取りの整理に時間も手間も取られる。トラブルに発展することもある。全家庭から見るとほんの一握りの家庭の場所取りのために多くの保護者や教員が迷惑するのはもうやめた方がいいと思う。

 トラック周辺はすべて立見席にすればいいのだ。立見席の真後ろにシートを引いたって人の背中しか見れない。そんな場所を確保するために前日から並ぶ人などいないでしょう。我が子の演技を間近に見たい人は立見席で立って見ればいいのだ。それ以外は木陰にシートでも敷いて飲み物でも飲んだら。

 大体が来賓席なるものが、優先席、特等席なる意識を生み出して、それが桟敷席という概念に結びつくのでしょうねえ。自由にまかせるとトラック最前列にだだっ広いシートを占有してテーブルは設置するわ、椅子は置くわ、天幕は張るわになる。夜桜の場所取りではないのだ。全部立見席にすれば授業参観としては、万人平等になる。後は好きな所にシートを敷いて過ごしていいし、仕事が忙しい人は昼食時だけ来て親子で弁当を食べればいいのだ。ぼくなんか同業者だったから、その口で子どもの演技を見る事はあまりできなかったなあ。だから余計、トラック周辺はすべて立見席にして欲しいと思うのだろう。

 この提案は何度もしているのだが、いつも取り上げてもらえない。学校自体が運動会を相撲の興行と同じと考えているのではないか。授業参観に来賓席などないし、特別席などないのだ。早く来た人が教室の一番いい場所にシートを敷いて座って見るなんておかしいでしょう。市長だろうが、市議会議員だろうが、保護者と同列に立って授業を見ればいいのだ。一部のお偉方がテント付きの、椅子付きの場所で、冷たいお茶のサービスなんかもあって接待されているから、親が同じような場所を確保しようとすると前日から並ぶなんて行動が生まれるのではないか。まあ、敬老席は残してもいいと思うけどね。

2017年8月30日水曜日

 ゲオに行く。気になったCDを借りに来たのだが、どうも売り場のシステムがよくわからん。レンタルでない商品も売っているのだなあ。一枚のcdが三千円以上もする。これでは手が出ない。手が出ない事もないが、目的は借りてcd−rに焼く、コピーを作る、その後にレンタルしたcdは返却するという事だ。だから買わない。金が無いわけではない。目的が違うのだ。でもまあ、要するにケチなんでしょと言われればその通りだ。

 店員に質問する。当日借りというのは、次の日の正午までに返却と言うのでこれは無理だ。仕事があるのでね。次は一週間レンタルになると言う。290円と言う。それにした。それでも約三千円の物が十分の一の290円で自分の物になるのだから安い。自宅に戻り、パソコンでコピー。スキャナで歌詞目録を印刷。でも字が小さいのだ。だから結局紙に手書きする。これで全く同じ物が手に入った。どうしてみんな三千円以上も出して買うのだろうか。ジャケット、歌集が欲しいのか。それにしてもそれが三千円以上の価値があるのかねえ。まあ個人の好みだからしょうがないが。それともパソコンが無いのか。あってもやり方を知らないのか。

 まあ取り合えず、人の事はどうだっていいのだ。

車に載せて長距離ドライブの時、聞こうと思う。楽しみだ。

最後の夏休みが終わる。明日でね。研修の合間に教室でギターの弾き語りをやる。こればっかりは職員室でやるわけには行かないのでね。もうこういう事はなくなる。来年の4月からはね。自宅で近所迷惑にならないよう配慮してやるしかないわけだ。ギターは自宅。鉄棒は公園。読書は図書館を利用して自宅か図書館で。水泳は市営プールで。散歩は森林公園で。趣味のバイクや車を楽しむ。たまには電車に乗って旅に出る。こんな生活になるのだろうか。

学級担任をやる体力は無いわけではないが、ちょっと厳しくなった。やりたい気持ちは100%なのだが、体力は100%ではない。今年を最後にしようと思うに至った。

4月からは年金という収入はあるが、働いて稼いでいるわけではない。金を使うだけの人生となる。消費だけの毎日だ。大金持ちでも貴族でもないので、こういう生活は後ろめたい気にもなるが、しょうがない。いつまでも学級担任ではいられないのだから。まあ他のバイトを探すという手もあるが。それはおいおい考える事としよう。

2017年9月13日水曜日
 授業はおもしろい。自分が冗談を言うと子どもがどっと笑う。怒るとしゅんとする。一人ひとりの顔を見、一人ひとりの考えを聞く。これがおもしろい。子どもだからと言って、馬鹿にしてはいけない。実におもしろい、傾聴に値する意見を言う。これが楽しい。だから授業が大好きだ。これほどおもしろい仕事を手放さないといけない。もう年だからしょうがない。だれもが通る道だろう。無理してやっても後一年だ。無理はしない事にした。


2017年9月23日土曜日
 遠足に行く。小学生とバスに乗る事ももうないだろう。自分のクラスを引率して歩く事ももうないだろう。子どもたちはとても楽しそうだった。まあ、大変な事もいくつかあったが、それは小さい子を引率しているのだから当然の事だ。それより教師としての幸せを強く感じた。自分を信頼してついてくる子たちがとてもかわいい。子どもたちが幸せそうにしているのを見るのは、とても幸せだ。できればまた遠足に行きたいものだが、辞める事にした。子どもたちがいなくなったこの遠足の地に、今度は一人で来るのだろう。思い出の中に生きるのはつらいことだと思う。


2018年1月7日日曜日晴れ

 この年まで学級担任でいられた秘訣は、自分をほめると言う事です。

もっともほめるべきものがなければ無理なわけですが。子どもに対して

自分はまじめにやっている、恥ずかしいことはしていない、そういう信念を

持っていれば自分をほめることができます。組織の中で働いていると叱られる事もあるし、自分のやり方や生き方そのものを否定されることもあります。その時、他人といっしょになって自分を否定していたら絶対つぶれます。

 まあ反省すべきことは反省すべきだし、自分はまちがってないと思っても

頭を下げることはあります。そうしないとどうにも折り合いがつかない事も

あるからねえ。でも自分の信念は曲げてはいけない。この信念を曲げるぐらいなら教師をやめる。食べるだけなら教師じゃなくても生きていけるぐらいの腹をくくって事に当たる事が大事です。よっぽどの悪事を働かない限り懲戒免職なんてないです。

何も悪いことをしてないのに、精神的にまいってつぶれる同僚を何度も見てきました。

 朝起きたら顔を洗って鏡を見ます。自分は美しいと思うのです。鏡に聞いてはいけません。鏡に聞くと余計なことを言ってきますから、聞かないんです。自分は美しいと思えばいいんです。第一自分の顔に自信が持てなかったら、他人の顔なんて正面から見られません。自分に自信が無かったら子どもの前に立てません。自分に信念があるから、教師としての自信があるから教室に入れるわけです。それを失ったら怖くて教室なんか入れません。自信を失った教師にとって、教室はジャングルに見えると思います。

自信を持った教師なら、どんなジャングルでも野獣でも調教できると思えます。

だから毎朝自分をほめるんです。自信を持って登校するんです。それができたら体力の続く限り学級担任ができます。

 ぼくは自信はあるんですが、体力が無くなりました。