ナイフ事件
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1998年2月1日日曜日
 
26才の中学女教師が中1男子に殺害された事件について
 
 3日前、この事件が起きた。授業に遅刻した生徒を叱った教師がナイフで脅かされ、それにひるまなかっため、10箇所も刺されて死亡したのだ。マスコミは普通の子と報道している。校長が普通の子と言ったためだ。殺人をする、ナイフを持ち込むのがどうして普通の子なのか、この校長に問いただしたい気分だ。1才の赤ん坊を残して無惨な一生を終えたこの教師の人権をだれが代弁するのか。
 
 人間関係には上下がある。親子であれば、親は絶対だ。親に手を挙げるなどどんなにかっとしてもできない。夫婦、関係は平等だ。どんなにかっとしても手は出せない。子ども、自分より下である。しつける存在である。言うことを聞かなければ、あるいは自分をばかにすればかっとすれば手が出る。この少年と女教師の関係はどうだったのだろうか。思うに、この少年はこの女教師を下の存在と見ていたのだ。自分より体力の劣る存在、腕力なら負けるはずのない存在と見ていたのだ。だから、みんなの前で叱られたとき、「ぶっころしてやる」とつぶやいたのだ。授業後、廊下で叱られたときいきなり刺したわけではない。ナイフで脅かしている。この時、女教師がひるめば、それで終わっただろう。だが、女教師は生徒を下の存在と見ていた。少年はひっこみができなくなった。だからかっとして、めったざししたのだ。自分はそう思う。
 
 少年に社会性が育っていなかったのだ。躾が充分されていなかったのだ。人間関係の上下関係がわかっていないのだ。これが相手が男の先生だったり、やくざだったりしたら、少年は「切れる」ことはないのだ。相手が自分より下の存在だったから叱られた事に「切れた」のである。マスコミはこういう視点を持って欲しい。
 
 教育として今後どうすればいいのか。それは、人間関係には上下があること、社会性を育てることだ。親に口答えする、手を挙げるそういう子にしないことだ。箸をしっかりもたせる。家事をさせる。敬語をつかわせる。こういう事をしっかりさせることだ。働きもしないで大きな口をたたかせないことだ。こういう風に育てておけば学校で教師の指導にも素直に従うのだ。その方が本人の精神生活にもいいのだ。ストレスや欲求不満にならないのだ。
 
 子どもと話し合うことではない。要はしつけることなのだ。